複雑・ファジー小説
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- 紫電スパイダー
- 日時: 2022/07/25 23:10
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
『篝火』という異能が存在する東京の話。
そこでは刃物、銃弾、篝火だろうが何でもアリの非合法な賭博が横行していた。
バーの地下には巨大闘技場!
アタッシュケースの札束は勝てば総取り!
ミラーボール回るディスコで血飛沫と鉄風雷火が乱れ舞う!
チープなゲーセンの奥にある麻雀卓で異能イカサマ合戦!
蟹味噌を喰って宇宙の果てまでブッ飛び狂う!
今宵も賭けるのは金と命と、そして生き様。
愉悦に任せるがまま全てを薙ぎ払う『藤堂紫苑』という天才。
その背中に……凡人である『黄河一馬』は何を思うのか。
これは、後に日本の裏社会で、伝説と呼ばれる男の物語である。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。また実在の人物や団体などとは関係ありません。
◆
何回目のリメイクになるでしょうか。
お恥ずかしい限りです。紅蓮の流星です。
今回は完結させます。よろしくお願いします。
Tips:カクヨム版ではこっちより更新が早いらしい。
□本編
Chapter1 VS『岩猿』
1-1「片玉だいたい350万円」 >>1
1-2「ストレスで吐きそう。火を」 >>2
1-3「起立! 金的! 着席!」 >>3
1-4「お前をツミレにしてやろうか」 >>4
1-5「紫電」 >>5
Chapter2 VS『蛭』&『バー・パンドラ』
2-1「蟹味噌キメて狂う回」 >>6
2-2「月々の返済がゼロになる!」 >>7
2-3「玉ヒュンパラダイス」 >>8
2-4「10分間ずっとベロベロバァ~」 >>9
2-5「高圧放電」 >>10
Chapter3 VS『透狐』&『情報屋ザイツェフ』
3-1「ゥラッシャーセー↑」 >>11
3-2「エブリデイバンビ(猿)及びヤンデレ」 >>12
3-3「アレはコスプレです。そして私は無関係です」 >>13
3-4「ドラゴン総受け過激派」 >>14
3-5「電磁障壁」 >>15
Chapter4 VS『都内ヴェリタス実施店』
4-1「アレクサ、男のロマンを叶えて」 >>16
4-2「ズムズム血みどろ百花繚乱」 >>17
4-3「魔改造1/1スケール蛭(渋谷Ver.)完成品」 >>18
4-4「地獄までひとっ飛び☆パスモ鉄道」 >>19
4-5「ペペロンチーノ(対戦希望)」 >>20
Chapter5 VS『喰蛇』
5-1「口、口、口、口、口!」 >>21
■作者Twitter(更新情報、イラスト等)
@Dorry_0921
ハッシュタグ #紫電スパイダー
- Re: 紫電スパイダー ( No.12 )
- 日時: 2022/06/08 21:15
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
「当然ながら焼肉にも美味い喰い方がある。片面ごとの焼く時間に、肉の部位ごとに違う旨味を引き立てる調味料や、付け合せの野菜など……」
紫苑がトングを片手に、目を瞑ったままぽつぽつと語る。
「だが」
それから目を開き、鋭い紫紺色の視線を覗かせた。
「ぶっちゃけ何も考えず好きな様に焼いて喰うのがいちばん美味いと思うぜ」
「だよなぁ!?」
「お米、酒、カルビ、ホルモン、ハラミ、タン、ロース、狂う、狂う、狂う!」
「お肉の味がするぞ」
肉が焼ける音でテンションはブチ上がる。立ち上る蒸気に纏わり付く匂いが食欲を加速する。次々と空のジョッキやグラスを大量生産しながら、酒池肉林の宴は続く。
「そういえば今更だけどよ、何で岩猿と蛭まで当たり前のように居るんだ?」
「……岩猿は俺が呼んだ。蛭は勝手に付いてきた」
紫苑がイチボを飲み込んで「美味い」と呟いてから説明する。
「大太法師について何か知っているかもと思って呼び出した」
「そりゃあ大太法師は有名だからよお。噂じゃ百年以上も前からずっと黒澤會の頭を仕切っているって話だあ」
岩猿は無造作に生焼けの肉を頬張りながら言う。
岩猿が言うには、駆け出しのヴェリタスユーザーとして毎日の様に生傷をこさえていた時よりずっと前から、大太法師はその名を轟かすのみで存在も不確かな、まさに「生ける伝説」として君臨し続けているという。
まるで都市伝説だ。
「生ける伝説っていうか、本当に死んでるだろ、それ……」
あまりに突拍子もないスケールなので、オレは半ば呆れた心持ちで呟いた。
けれど岩猿は、冗談を話すにしては大袈裟なほど眉間のシワを深くする。
「俺様もそう思っていただろうさ。俺様がヴェリタスをやり始める前に見たあれと、その後に聞いた今の話が無けりゃあな……」
岩猿が珍しく神妙な面持ちで、ビールが半分ほど残るジョッキと視線をテーブルに落とす。オレも紫苑も無言で眉根をひそめていた。
個室に少しばかりの静けさが漂ってから、重々しく岩猿は口を開く。
今のところ、オレが阪成から聞いた情報も含めると、大太法師が篝火を使う時は赤黒い巨人になるらしい。
「当時の俺様は陸自に居て、日本を守ってやっていた。忘れもしねえ……お隣の国がミサイルをしこたま撃ってきた時に、俺様は日本海の海岸線沿いに居たんだ」
岩猿は語る。
まだ若き岩猿が、武装した陸上自衛隊の列で並んでいる時に、日本海の水平線上で見た影を。よく晴れた日の、穏やかな波間の果てで、赤い閃光と共に現れて屹立するひとつの巨大な姿を見たという。
今の岩猿が作り出す岩石巨人など比ではない。
まるで特撮映画に出てくる怪獣だった。
漆黒の体躯に紅い紋様を刻んだ巨人が、海に現れた。
それが波を打ち上げ、大地を震わせ、巨大な咆哮を上げたのだ。
海の向こうから飛行機雲を伴って殺到するミサイルの群れは、咆哮と共に放たれた幾本もの光線で、ひとつ残らず撃ち落とされた。
結論から言って日本は隣国から侵攻されなかった。
漆黒の巨人はそのまま悠々と海の真ん中を歩いていった。隣国が差し向けた大量の戦闘機と、空母がひとつ沈められたらしいと岩猿が知ったのは、数日後になってからの話だ。
それらは当時の自衛隊員で実しやかに囁かれながらも、最終的にニュースとして報道される事すら無かったという。ただ淡々と、隣国が無条件で日本から手を引いたという事実だけを、ニュースキャスターは報じたらしい。
それが却って不気味な現実感をもたらした、と岩猿は言う。
「しかも昨日今日になって紫苑と蛭……テメエらみたいな化け物がポンとパンドラに転がり込んで来た。今の俺様は……日本海で見たアレを、白昼夢だと笑い飛ばす気にもなれねえよ」
変わらず岩猿の口調は重々しい。
オレは生唾を飲み、紫苑はチビっ子が枕元でピーターパンの話を聞かされている時みたいに、爛々と目を輝かせながら嗤っていた。
もちろん大太法師が今も生きているという確証にはならない。
けれど現に切り落とされた腕を容易く元通りに生やした蛭が、今は気を取り直し、そこで焼肉を片っ端からパクついている。
岩猿が見た事実と、大太法師が黒澤會の長として今なお居座り続けているという話が、全く無関係だと言い張るのも……それもまた根拠が無さ過ぎた。
「そんで紫苑、お前は大太法師に何か恨みでもあるのかあ?」
「全くない。たぶん会った事もない。ただ強いらしいから戦いたいだけだ」
「そういう事なら残念ながら俺様も居場所までは知らねえ。だが腕利きの情報屋ならアテがあるぜ。ザイツェフって奴だ、何か知っているかもだあ。どうだあ明日にでも連れて行ってやろうかあ」
「随分と気前が良いな?」
「俺様にも理由があるのさ」
岩猿は紫苑を指差したり、手を横に振ったり、両手を広げたりと、やけに大袈裟な身振り手振りを交えながら持ち掛ける。
紫苑は頬杖を付いたまま、視線だけ岩猿の方を向いて応答していた。けれど空いたもう片手は、人差し指が一定の調子でテーブルを叩いている。
何度目になるか岩猿がテーブルから身を乗り出して、紫苑に詰め寄る。
獣が唸るような低い声で、岩猿は提案した。
「旅は道連れと言うじゃねぇかあ、しばらく一緒に行こうぜ紫苑。黒澤弥五郎がまだ生きているのかどうかはこの際どっちでも良いがよ、テメエとなら黒澤會のケツに火を点けて追い立て回してやるのも、きっと無理無謀じゃあ無え」
「俺はアンタが居ようが居るまいが、どうでも……」
「見返りとしてこれから毎日のようにテメエの命を狙い続けてやるぜ、紫苑」
にべもなく岩猿の提案を断ろうとした紫苑だが、テーブルを叩く指が止まる。
「斬られた腕の断面がずうっと、真夜中も疼くんだよ。テメエに応報しろ、敗北の味に、財布ん中のレシートぐらい溜まった利子を上乗せして喰らわせ返してやれ、圧殺してやれってなあ」
岩猿が立ち上がる。それから紫苑の胸倉を掴んで乱暴に引き上げる。
紫苑に寄り掛かっていた蛭がフォークを掴んだままひっくり返って肉も舞う。
「どうにも収まらねえのさ。更に火が点いちまったあ。俺様のイチモツばりに高ァくそびえるプライドってヤツがよ、俺様に2度も勝った男が居るって事実を許せねえ。そして黒澤弥五郎とかいう亡霊が未だに幅を利かせてんのも我慢ならねえ。俺様の気が狂って新宿駅前で素っ裸のまんま踊り狂わないようにする為にゃあ、テメエと黒澤弥五郎を仕留めなきゃならねえんだよ」
焼肉屋のテーブルを挟んで、獣同士が嗤い合っていた。
それぞれ憤怒と高揚が、凶暴な笑みという仮面を被ったまま、火花を散らして燃え盛る。金網の下からむせ返るほどの熱気が吹き上げて居るはずなのに、オレは脊髄へ水差しを刺された様に凍り付いている。
岩猿は隻腕で紫苑の襟首を掴んで、失った腕の代わりに、個室の壁から引き寄せたコンクリで新たな腕を作り出す。
それは拳を握りしめ、眼前の紫苑へと狙いを定めていた。
「何だそれは。聞いていないぞ、それは。ずるいぞ私も行く。おはようからおやすみまで藤堂紫苑を殺したい。おやすみしてからも寝首を掻きたい」
蛭はぶつぶつと独り言を呟きながら、フォークと一緒に置いてあったナイフで自らの手首を裂く。紫苑の足元を掴んで、よじ登るようにして彼へと縋り付く。それから右手を伸ばすと、手首の傷口から更に細く長い、真っ赤な腕が飛び出し、テーブルの横にあった巨大ノコギリを掴む。
巨大ノコギリで首の裏を、岩石の拳で顔面を狙われながら、紫苑はたまらずという様子で押し殺したような笑い声を零す。
「ちょっとはスリルを楽しめる日々になりそうだ……」
そう言いながら紫苑はゆっくり、自分の目元あたりまで手を上げてゆく。何か軋むような音が鳴り始めて、徐々に岩猿と蛭が紫苑から引き剥がされ、それぞれ椅子へと引き戻されていく。キッチリ背筋を伸ばし、両手を膝の上に載せた姿勢で、顔は思い切り歯軋りをしている。
紫苑は座り直して足を組む。
「勝手に付いて来なよ。けれど今は肉を喰え。時と場所を弁えるってのは大事だぜ」
- Re: 紫電スパイダー ( No.13 )
- 日時: 2022/06/09 21:41
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
新宿にあるビジネスホテルの一角で、端整な顔立ちの少年が薄目を開けた。
「ん……」
少年……紫苑は色白な肌をしており、それが淡い紫色の頭髪と馴染んでいる。
寝返りを打って仰向けになる。ホテルで貸し出される白いパジャマの襟から、紫苑の鎖骨と筋肉質な胸元が覗く。眩しい朝日を左腕で遮り、未だ睡魔に身を委ねる。
そして二度寝の魔力に抗えない紫苑へ──人の身丈ほど長い巨大ノコギリが迫る。
巨大ノコギリの切っ先は、紫苑が振り出した左手を合図に、ワイヤーで阻まれた。
巨大ノコギリを振り下ろした少女は歯噛みして、しかし怯まず2度3度4度と連続攻撃を仕掛ける。どれもが紫苑の致命傷を狙う、必殺の一撃だった。
「ゴキゲンな目覚めだな……おはよう」
「おはよう、さっさと死ね。起きて間もなく永遠におやすみしてしまえ」
暴風雨さながらに繰り出される剣戟を、左手の指捌きによって舞い踊るワイヤーで弄びながら、右手は欠伸を受け止める。目元を軽く擦る間も、何食わぬ顔で左の指先から伸びるワイヤーが重い剣閃を受け流していた。
昨晩の事だ。ビジネスホテルへとチェックインする際に、もちろん紫苑は蛭と別々の部屋を取っていた。それでもなぜか蛭は紫苑の部屋にいる。
隣室との間には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。まるで巨大ノコギリか何かでブッた斬ったような断面だ。
誰かに寝顔を見られるのは、あんまり良い気分じゃないな……等と考えつつ、紫苑は頭を掻きながらベッドから這い出る。
ついでにワイヤーを足に引っ掛けられた蛭が床へと転がる。
「とりあえず顔を洗うか」
「あ……待て、藤堂紫苑」
床で寝そべったまま見上げてくる蛭に対して、紫苑が振り返る。
「また血を吸わせてくれ」
「……歯を磨いてからにしろ。それから藤堂紫苑だと長い。紫苑で良い」
紫苑は無愛想に言い捨てながら洗面所の方へと歩く。
蛭はのっそり立ち上がり、呆然と巨大ノコギリをぶら下げたまま立ち尽くす。
「紫苑」
噛み締めるように、小さく彼の名前を呟く。
蛭は彼の後を追い掛けるように小走りで洗面所へと向かった。
◆
駅のホームで4つ同時に缶を開ける音が鳴る。オレはエナジードリンクを、紫苑はブラックのコーヒーを、岩猿は小さなアロエの欠片が入ったジュースを、蛭はトマトジュースを、各自勝手にぐいっとあおる。
「それ美味いよな、アロエのやつ」
「しかもアロエは健康に良いらしいからなあ、最高だぜ」
結局のところ、オレも紫苑たちと一緒に情報屋を訪ねる事にした。
オレを縛っていた阪成たち……家守組も既に居ない。副業である物流倉庫のバイトも今日は休みだ。今後どうするかは決めていない。ただ情報屋ザイツェフと呼ばれる男に興味があったし、ヴェリタスで稼ぐにしても何か有益な事が聞けるかもしれないと考えたのだ。
まずオレ達4人は連れ立って山手線に乗り込んだ。車内では、何度かあからさまに蛭の方へと注がれる視線を感じた。当の蛭は何食わぬ顔のまま、巨大ノコギリを片手に掴んでぶら下げたまま座席に腰を下ろして、素足に包帯だけ巻いた両足を無造作に揺らしている。
大丈夫だ。何か言われても都内なら大概は「コスプレですが何か?」っていう顔で平然としていれば問題は無い。ダメそうなら徹底的に他人のフリを貫く所存だ。
途中、ベッタベタな髪にシミだらけのTシャツ一丁で尚且つ下半身丸裸という風貌の百貫デブが、真っ赤に充血した目で物凄く鼻息を荒立たせつつ指先はダンゴムシの足みたいにワキワキと高速で動かしながら蛭の方へノシノシ歩いてきたが、おもむろに立ち上がった蛭の蹴りをアゴに喰らい電車内の天井を突き破ってめり込んでいた。
「紫苑、アレは殺しても良いか?」
「知らねえよ、俺に訊くな」
とんでもなく不快げに顔をしかめながら再び座席へ着く蛭と、腕を組んだまま目を瞑っていた紫苑との間で、そんなやり取りが交わされた。
「……次は、鶯谷。お出口は左側です。The next station is Uguisudani, station number JY06. The doors on the left side will open……」
岩猿の後を追いかける形で、オレ達は駅のホームを降りる。
駅から出て少し歩く。辿り着いたのは質素な蕎麦屋だ。軒先に「そば処・こやま」という看板を掲げるのみで、店の前は往来する人通りも少ない。その辺のゴミ捨て場で知らん人がブッ刺さっていたりもしなかった。
ただガリッガリに痩せた見知らぬネーチャンが向かいの室外機に腰掛けて、アルミホイルの上で何か白い粉を炙り吸引していた。ひょっとして片栗粉かな。
岩猿が木造りの引き戸を開く。ぞろぞろと暖簾をくぐり後に続く。店内も何て事は無い、真昼間から他に客が一人も居ないような、寂れた蕎麦屋だった。店の奥側にはタヌキだの木彫りの熊だのダルマだの雑多に並べられた戸棚がある。
入って横合いの座敷席へと、まず我先にどっかと座った岩猿、続いて紫苑、その隣に蛭、最後にオレという順序で滑り込む。
すぐに厨房の方から、ひとりの女性が品書きを持って歩いてきた。
彼女はハイネックセーターとロングスカートの上から、臙脂の布地に白い筆字で「こやま」と書かれているエプロンを着けていた。肩のあたりで切り揃えた黒髪に、黒縁メガネを掛けている地味な出で立ちだ。左側のこめかみ辺りだけ、髪を三つ編みにしてまとめている。
「ご注文が決まりましたら、お呼び下さい……」
「いつも通りのペペロンチーノだあ。黒胡椒は多めでな」
岩猿が得意げな笑みを浮かべ言うと、女性はメガネの縁を左手で少しだけ上げた。
オレは隣の岩猿に向かってこっそり耳打ちする。
「コイツが、例のザイツェフって奴なのか?」
「いんや違う。コイツはザイツェフの……何だっけかあ?」
「あたしは彼の弟子です。コードネーム『透狐』とでも、そう呼んで下さい」
少女は、透狐は平坦な声で言いつつ再び厨房に戻った。エプロンを外し「準備中」と書かれた札を持って店の入口へ行くと、すぐにオレ達の方へ戻ってくる。
「アレクサ、オープンセサミ」
「OK, Welcome to hell」
透狐が2回ほど柏手を叩く。すると店の奥側にあった、タヌキの置物など置かれている棚が、真っ二つに割れてずりずりと左右へ開く。立ち上がり寄って覗き込むと、地下へ縞鋼板の階段が続いているようだった。
「付いて来て下さい」
透狐が先に、ロングスカートの裾を揺らしながら階段を降りてゆく。
オレと、後ろに岩猿、更に後ろに蛭、最後尾に紫苑という順序で並び降りて行く。
「アレクサって便利だなァ……」
「なんと誕生日にはバースデーソングも歌ってくれるんだぜえ?」
「紫苑の誕生日はいつなんだ?」
「忘れた、覚えていない」
縞鋼板の階段を一番下まで降りると、簡素な鉄扉が立ち塞がる。鉄扉の真ん中には黒いタッチパネルが設えられていた。透狐がその表面で何か描くように指を滑らせると、すぐドアが解錠されたらしい。簡単で硬質な音が鳴る。
扉の向こうは、まるで古ぼけているゲームセンターだった。
薄汚れたコンクリートの室内を照らす蛍光灯は、あちこち不規則に点滅しており、電気が点いていないものも幾つかある。蛍光灯の合間にぶら下がっているシーリングファンは、羽根が欠けていたり、そも軸が残っていなかったりした。
並んでいる筐体も……ゲームには詳しくないが……ひと目で型落ちだと分かるほど旧いものばかりだ。レーシングゲームのポリゴンは車か背景かもう判別が付かない。脱衣麻雀は女の子がドットで全身ギザギザしている。エアホッケーのネットは破けているし、ビリヤードの棒なんて折れている。
あちこちから絶え間なくチープな電子音が飛び交う中を、透狐に付いて突き進む。ゾンビを倒すゲームの筐体に誰か居た。背が高く、黒いコートを着込んでいる男だ。
「……そろそろ来る頃だとは思っていたよ。私がザイツェフだ」
騒音の中にあって、低く落ち着いている声がはっきりと聞こえた。
ザイツェフが片手をポケットに突っ込んだまま、もう片手は拳銃を模したいかついコントローラーの、トリガーを立て続けに引き続ける。画面の中で襲い掛かってくるゾンビ(らしき……ポリゴンが荒い灰色っぽい何か)がひとり残らず爆散した後で、彼はオレ達に向き直る。
アゴに黒いヒゲを蓄えている精悍な男だ。鼻筋がまっすぐ通っていて、目元の彫りが深い。青い瞳も相まって、おそらく日本人ではないだろうと考えた。
「久しぶりだな、岩猿クン」
「よう、ザイツェフさんよお。その口ぶりなら要件は分かっているだろ?」
「透狐が篝火を通して視ていたからね。大太法師に至る手掛かりが欲しいのだな。では……こちらの部屋へ」
ザイツェフがゲームセンターの更に奥にある、小さな灰色の扉を目指す。連れ立ち後を追う間に、岩猿がオレ達に説明した。
「ザイツェフは変わりモンでなあ。ちょいちょいこうやって情報料の代わりにゲームをさせてくるんだあ」
ザイツェフが開いた扉の先は、小さな個室だ。地下だから、当然ながら窓は無い。観葉植物が部屋の四隅に1つずつと、真ん中に麻雀卓が置いてある。後はパイプ椅子が卓の周りに並んでいるだけだった。
ザイツェフが雀卓を親指で指し示しながら、嗤う。
「今日はこれにしよう。オーラスの点数で私と透狐に勝てば、何だって答えるとも」
- Re: 紫電スパイダー ( No.14 )
- 日時: 2022/06/11 00:11
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
怒られそうなくらい雑に言ってしまえば、麻雀とは「14個の牌を良い感じに揃えたら点が貰えるゲーム」である。
「分かっていると思うが、イカサマの瞬間を捉えた場合はすぐにゲーム終了だ。私達は情報を渡さない。キミ達は速やかにお引取り頂く」
「俺様がテメエらのイカサマ掴んだら、有無を言わさず何でも話して貰うぜえ」
ザイツェフと岩猿は牽制する様に言い合うけれど、ヴェリタスユーザーが絡む麻雀は大抵がイカサマ前提なんだよなあ。バレなけりゃ良いってスタンスで。
当然バレたら大抵の場合は殺される。岩猿とザイツェフの間で交わされたペナルティが、やけに温く感じるのは……ザイツェフにとって、岩猿が常連客だからなのだろうか。
「俺は麻雀のルールを知らないぜ?」
「もちろん私も同じだ」
紫苑はドヤ顔で、蛭は胸を張って言い放つ。
仕方なくオレと岩猿が卓へ着くことになった。麻雀なら阪成たちに付き合わされ、多少はやっていた覚えがある。
オレから見て右手側に岩猿が、左手側にザイツェフが、向かいに透狐が座る。
実は縞鋼板の階段を下っている間に、こっそり「こんなまどろっこしい事しないで、力尽くでも聞き出せば良いんじゃないのか?」と岩猿に耳打ちしていた。けれど岩猿は「ゲーマーのオッサンと女相手にかあ、漢らしくねえなあ」と吐き捨てるのみで取り合わなかった。
「階段での話の続きだがよ、ザイツェフは篝火を無効化する篝火の使い手だあ。そんでもって喧嘩慣れしている。俺様ほどじゃあ無いけれどな。勝てるつもりなら試してみやがれ」
岩猿が舌打ちする。オレが視線を遣ると、岩猿は頭の裏を掻いて溜め息なんぞ吐きながら、透狐を指差した。
「そしてこっちの女の篝火は、俺様らの心と視界を丸裸に覗いちまうらしい」
「マジで言ってる? ヤバいじゃん」
「おいおい岩猿クン、それは無闇矢鱈に言い触らさないでくれよ」
「ぅるっせえ、こんぐらいハンデにもならないだろうが」
当の本人である透狐は、目を瞑り平然とした様子でメガネに手を掛ける。
「あたしは構わないですよ」
メガネを外した奥から、灰色、いや銀色の瞳がオレを見据える。
「【私を見ない月(ムーンゲイザー)】について知られても知られなくても、あたしがこういうゲームで敗ける事は有り得ません。そして断言するわ。皆さんがここを出ていく時にはもう、あたしの事を忘れている」
透狐の言葉に、真意を測り兼ねて黙り込む。けれど彼女もこれ以上は何も語らないといった風に、白く細い指で牌を切る。最初に捨てたのは西だ。
麻雀について少し詳しく言えば、これからオレ達はこの文字や数字が書かれている牌を使い、同じ牌3枚1組のセットを4つと、同じ牌を2つ揃えなければならない。
ちなみに数字牌は、似た図柄なら、連続した3つの数字も1セットとして扱える。
例えば筒子(サイコロみたいに丸っこい模様が書いてある奴)なら一筒、二筒、三筒と……これが揃っても3枚1組としてみなす。
揃える方法は2つだ。裏向きの牌が積まれている山から自力で引く(ツモる)か、他の誰かが捨てた牌で上がる(ロンする)か。
だから麻雀は運の要素も大きい。けれど真相は高度な戦略を要する心理戦だ。
誰がどの牌を欲しているのか、自分の欲しい牌がバレていないか。手牌の役なんて要素もある。難しい揃え方ほど点数は高いのだ。相手が狙うのは高い手役だろうか。自分の配牌から高い手は上がれるだろうか。じっくりと高い手を育てるべきか、それとも低い手でさっさと上がって相手の高い手を流してしまうか。
更に親とか、場風やドラ牌なんてものだとかまで戦況に絡んで来る。
しかし相手の心を読むなんて、これに限らずボードゲームじゃあ、無条件で最強に近い篝火だ。
ババ抜きどころかジャンケンだって生涯負け知らずじゃねえか、ズルいぜ。
「それでもやるってんだな、岩猿、何か勝算でもあるのかよ」
「今のところ無ァし! ただ尻尾を巻いて逃げるのは格好が付かねえ! 逆に超有利の篝火を、俺様の豪運で捻り潰してやるぜ!」
岩猿が両拳を打ち合わせて吠える。ゴツく太い指で牌を掴んで、勢い良く卓に叩き付ける。岩猿が切ったのは北だ。
岩猿の啖呵で思わず笑い出しそうになる。そりゃ確かに、もう卓に着いたんだし、ここで背を向けちゃあ締まらない。それにいつもオレは、勝てると分かり切っている賭けに挑んだ事なんて無い。
ボロい電球が照らす、コンクリ打ちっ放しの薄暗い部屋で、オレは牌を指で挟む。切るのは九索だ。
「良いね、思いがけず燃えてきた!」
◆
しかしオレと岩猿の意気込みをよそに、続く展開は非常に厳しいモノだった。
良い配牌が来たと思えば、鳴き(他の人が捨てた牌を、自分の手牌へと加える事)まくる透狐によって爆速で上がられてしまう。
こっちも展開を焦れば、高い手で上がれない。
透狐とザイツェフに高い点数で上がられる展開を警戒して、流局としょっぱい手の小競り合いを繰り返す。
オレと岩猿は、ヤスリで削られるみたいに、徐々に点棒を失っていく。
「おおっと……ツモ!」
もうひとつ厳しい事実があった。
透狐の篝火……【私を見ない月(ムーンゲイザー)】を警戒しているから、オレと岩猿はイカサマが出来ない。
対してこちらは、常に透狐とザイツェフのイカサマを見張らなければいけない。
「天和、九蓮宝燈……と来たもんだ」
少しでも注意を怠れば……油断すれば、こうなる。
ザイツェフのダブル役満で、点数の差は大きく相手有利へと更に傾いた。
岩猿は奥歯を噛み砕かんばかりの勢いで食いしばる。
オレも同じ気分だ。何しろコイツは、ザイツェフはわざとこんな、あからさまな事を仕掛けてきた。
初手で配牌が完成しているなんて事と「見たら死ぬと思え」とさえ言われる幻の役が、今日この場でたまたま偶然にも鉢合わせるなんて、有り得るワケがない。
これはザイツェフの挑発だ。
私はイカサマをしているぞ、さあ証拠を押さえてみせろ、或いはキミもイカサマすれば良いという宣戦布告だ。
「ンッ! ンッ! フギィイイイイイィン!! ウンヌバァアアアアアッ!!」
憤懣やる方なし火山大噴火、といった様子で岩猿が声にならない叫びを上げながら頭をものすごい剣幕で掻きまくる。
「落ち着け岩猿! オレ達は勝って大太法師の事を聞きたいんだから!」
「ンッフヒィー、ヌッフヒィー……おう落ち着いたとも、俺様はいつだってクレバーでハードボイルドだぜ……だが炎馬ァ、お陰で俺様はあ、大天才ジーニアスな最強の秘策を思い付いちまったぜ……」
岩猿は肩を上下させて、口の端から怒気を洩らしつつ、まるで血走った獣みたいなえげつない目付きのままで言う。この状態でどんな秘策を思い付いたって言うのか、オレは恐ろしくてパイプ椅子ごとちょっとだけ引く。
そして岩猿は、世にも恐ろしい事を言い出した。
それはまるで耳を疑う『秘策』だ。
「炎馬ァ! 今からずっと……ドチャクソにエロい事を考え続けろ!」
痛く沁み入るような静寂だった。
扉の向こうからゲームの筐体が鳴らす合奏と、空調の稼働する音だけが、時間と共に流れてゆく。狭い部屋には6人の男女が居るけれど、誰も言葉を発しない。
ただ岩猿が思い切りオレを指差しており、他の全員は座ったまま硬直している。
たっぷり空白の時間を、岩猿が言った意味と一緒にじっくり反芻した後で、やっと口を開く。
「なんて?」
「めちゃくちゃにドエロい事を考えろ。三千万回【エルドラド】が出ちゃうくらいの奴だあ」
「オレの篝火の名前を下ネタに使うのやめてくんない?」
ちょっとイラっとした直後で、後ろからシオンが声を押し殺すように笑う。
「成る程ね。羞恥心で透狐の集中力を削ぐ作戦か。面白いじゃないか岩猿」
「うわっこの戦闘狂めっちゃ真面目に分析してくるじゃん」
「そういう事だあ」
しかしオレの正面から、透狐の吐き捨てる様な溜め息が聞こえた。振り向けば彼女は、瞳に絶対零度の銀色と冷たさを宿し、まるで下らない汚物を見る様な視線でオレたちを睥睨する。ロングスカートに覆われた脚を、ゆっくりと組み直しながら。
「もしや侮っていらっしゃるのですか。言っておきますが、これでもあたしも一介のヴェリタスユーザー。発情期の中学生男子めいた下らない思い付きで、あたしを翻弄する事が本当に出来るとでも」
見た目は謂わば文学系の女性だ。
けれど纏う空気は、放つ覇気は、紛うこと無き一人の賭け事を生業とする者だ。
「不愉快です。あたしと師匠の2人がかりで、岩猿さん、あなたを二度と此処へ顔が出せない位に叩きのめして差し上げましょう」
そして10分後くらいにはもう、透狐は真っ赤な顔をブルブル震わしていた。
綺麗な銀色のお目目に今から零れそうなほど涙をいっぱい浮かべている。
「があっはっはっはっは、ざまあ無えな、俺様を二度と此処へ顔が出せないように、ンン~、続きが思い出せないなあ、なんだっけ? なあ?」
岩猿は満面に浮かべているウッキウキの下卑た笑みを、透狐へ押し付けるように身を乗り出す。
透狐の牌捌きはすっかり精彩を欠いていた。仕舞いに彼女は両手で顔を覆って嗚咽を洩らし始める。なんか指の隙間から小声で「だって……ドラゴンが……ドラゴンが車に……」とか聞こえてきた気がする。
「岩猿、お前……いったいどんな妄想と性癖を……」
「これが漢の世界って奴だぜ、ネーチャンよお」
「師匠ぉ……そうなのぉ……?」
もう隠しもせず泣き腫らす透狐は、まるで縋る様な視線をザイツェフへ向ける。
「私にはアレが言っている事はちょっと分からないな」
ザイツェフはニッコリ優しく微笑み、バッサリと岩猿の性癖を切り捨てた。
一般的に篝火の性能は想像力や集中力だとか、メンタルに関わる部分が強く影響するらしい。透狐が崩れたお陰で、なんとかオレと岩猿はザイツェフ達を相手に一進一退の攻防を続けられた。
しかし決定打が足りない。序盤にザイツェフが決めた、あのイカサマダブル役満がやっぱり尾を引いている。もう次は北場を迎える終盤戦だと言うのに、点棒の本数は大きく引き離されているままだ。
しかもついに透狐が泣き止み、調子を取り戻し始めた。
かなり雲行きが怪しくなってきた、その時である。
「一馬」
唐突に肩へと手を掛けられたので、びっくりしてオレは小さく跳ねてしまった。
横を見上げれば、紫苑が薄く笑みを浮かべて立っている。
その笑みは、すぐに暗く獰猛な闇の色を湛え、嗤いへと変貌した。
「ルールは覚えた。だから俺と代われ」
- Re: 紫電スパイダー ( No.15 )
- 日時: 2022/06/11 22:52
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
「牌のシャッフルと配牌は蛭にやらせよう」
紫苑が卓に着くなり、有無を言わさずに提言する。
間違いなくイカサマ対策だろうけれど、それ自体がオレの中に違和感を抱かせる。この場でルールを覚えたばかりの初心者が、ザイツェフのイカサマを見破っていたとでも言うのか。
勝負を左右する重要な局面で、言われるがまま交代するのは、我ながらどうかしていると思う。けれど岩猿は引き止めなかったし、オレも断る事が出来なかった。
この男はどうにも得体が知れなくて、底も知れないからだ。
「紫苑少年……蛭嬢がイカサマをしないという確証は有るのかね?」
「それこそ透狐に見張らせれば良い。あるだろう、ご自慢の【私を見ない月(ムーンゲイザー)】が」
結局はザイツェフと透狐も、紫苑の提案を呑むしか無かった。
「私も分かったぞ紫苑。恐らくこれは東西南北そして中を揃えたら最強だな?」
「ソイツは面白いな。その役をグランドクロスとでも名付けるか」
蛭が牌を裏返しのまま混ぜる横で、全くリラックスした様子でパイプ椅子に体重を預ける紫苑は、頓狂な事を言い出す蛭に冗談で応じた。
それから思い出したように、自身のこめかみ辺りへ上げた手で指を鳴らす。
「【紫電】……『電磁障壁』」
ほんの小さく、紫電の火花が舞って散った。
「それは、何のつもりかね」
「ちょっとした、おまじないさ」
ザイツェフから初めて余裕気な笑みが消え、目を細めながら紫苑へと問い掛ける。紫苑の方こそ鼻を鳴らしながらザイツェフの問い掛けをあしらう。
隣で透狐が、何度か驚いたように瞬きする。それから手元を見て何か考え込むが、再び紫苑に視線を向けると、彼が返す薄笑いへ忌々しげに舌打ちする。
「どうかしたか、透狐」
「師匠、あの人……視ることが出来ない」
その場の誰もが瞬時に察した。詳しい道理は分からない。分からないが紫苑は自分に対しての、篝火による読心や視界の覗き見を封じてみせたのだ。
「あれこれと勝手に覗き見て、アンタは行儀がなっていないぜ。そっちのオッサンも随分と手癖が悪い様子だからな。これで下拵えは終わりだ。さあ──……」
紫苑は両手の指を組み合わせ、腕を卓の上に乗せ、前のめりに体重を掛ける。
紫色の眼光を透狐に差し向けながら、嗤う。
「……──思う存分、楽しもう」
「ザイツェフ&透狐、VS、紫苑&岩猿、レディー、ファーイ」
蛭が気の抜けた声で宣言し、それを合図に北一局が始まった。
ザイツェフは一筒を切る。透狐は南を切る。岩猿も南を切る。紫苑は二筒を切る。牌が卓を叩く音は、リズミカルに連鎖していく。紫苑はこれまで見ているだけだったのに、慣れた様な手付きで牌を次々に河へと捨てていく。
透狐は苛立った様子で、紫苑を睨み付けながら言う。
「いくら【私を見ない月(ムーンゲイザー)】を封じたとは言っても、油断はしない方が良いですよ。あたしはそれが無くたって強いから」
「それは重畳だ。これで骨抜きになっていたら、面白くないからな」
紫苑は余裕綽々と言った様子で透狐の言葉を受け流す。
けれど、やっぱりオレの買い被りだったのか。途中から紫苑はせっかく揃いかけていた面子を無造作に崩し始める。すぐに紫苑の手牌は、目も当てられない様なクズ手に成り下がった。
しかも流局まであと半分くらいの所で、紫苑はザイツェフからの振り込みを許す。
「おおっと紫苑クン、それ……ロンだ」
幸いにしてザイツェフの手もそれほど高くない。紫苑は2000点をザイツェフに奪われ、鼻で笑いながら点棒を彼の方へと放り投げた。
オレと岩猿の間にどこか落胆したような空気が流れる中、透狐だけは更に不機嫌な表情で眉根を寄せていた。
「見せてみなよ、透狐とやら」
しかし透狐が紫苑からそう言われて手牌を倒した瞬間に、オレは戦慄する。
「小三元……か、大三元の2面待ち……」
言わずもがな役満だ。
これが成っていれば、或いは勝負はここで終わっていたかもしれない。
岩猿に直撃すれば、点数がマイナスに食い込み飛んでいた。
「このゲームの肝は捨てた牌だな?」
紫苑が妖しい笑みで透狐を見据えながら、種明かしに興じる。
「さっきまでのやり取りで、何となく点数の計算法は分かった。多分こっちの方が傷は浅くて済むだろう」
つまり透狐の役満を察知して、ザイツェフの手が安い事も見抜き、致命傷を避けたのか。ろくに麻雀の知識も無い素人が、初戦から意図してそれをやってのけたのか。
岩猿への直撃があれば、その時点で勝負が終わるかもしれない……それさえも織り込んだ上で。
ザイツェフと透狐は何も言わなかった。ただ粛々と、蛭が裏向きの牌を混ぜる様子に注視している。
明らかに場の雰囲気が一変した。
一気に広がった緊張の糸を、紫苑は眺める様に頬杖をつく。
そして満足気に、また口の端を吊り上げて嗤う。
「そうだ、そうして緊張感を持ったまま臨め。つまらない終わり方は御免だからな」
そこからの展開は一方的だった。
「ポンだ」「チー」「ポンです」「ポォン!」「ロン……ってヤツかな」「ポン」「リィーチ!」「カン」「おおっとリーチだ」「チー」「カン」「ロン」「ポン」「チー」「ロンだ」「……リーチ」「ツモッ、ツモッ、ツモォオオオ!」
全ての局が終わるまで、あと僅か。
岩猿はパイプ椅子を勢いで倒しつつ、立ち上がってガッツポーズする。
それを後目に、紫苑は手牌を倒しながら、ザイツェフと透狐をからかうように軽く言ってみせた。
「探し物はこれかい、お二人さん」
紫苑がザイツェフと透狐の上がり牌を全て握っていたのだ。紫苑は意図的に2人の上がりを阻止したまま、岩猿の上がり(ツモ)を待っていたのだ。
ここまでで紫苑は連荘含め、3度も透狐へと重い直撃を決めていた。
透狐とザイツェフの2人が上がらない様に、場を制御しながら。
しかもザイツェフのイカサマに目を光らせた上で、紫苑は彼の指先を度々ワイヤーで縛り、動きを止めていた。けれどその度に紫苑は、苦々しく笑うザイツェフの視線を受け止めて、なおも嗤い返すだけ。
ここで終わりは味気無いだろう、良いからさっさと続けよう、とでも言いたげに。
逆に紫苑の3度に渡る上がり(ロン)は、途中から牌が不自然な揃い方をしていた。恐らく2人の目を盗み、イカサマを敢行してみせたのだ。
それらは間違いなく、初心者がやって良い領分を超えていた。
「紫苑……お前、ビギナーだっていうのは嘘だろ……」
「さあ。忘れているだけで、実はどこかでやった事があるかもしれないな」
オレの追及をも紫苑は涼しく流して、ついに最終局面が始まる。
しかしオレが卓に着いていた序盤とは、まるで逆だ。ザイツェフと透狐は、紫苑のイカサマを警戒しているから集中が削がれる。
一方で自らを「豪運」と称した岩猿も言うだけはある。透狐達は強烈なツモを未然に防ぐべく、無難で早い立ち回りにならざるを得なかった。
そんな2人の息の根を刈り取ったのは、死神か悪魔か。いずれにせよ勝負の女神と呼ぶには程遠くおぞましい何かが、結局は紫苑に微笑んだ。
「ロン。断么九って奴かな」
「違うぜ……紫苑、それはッ……四暗刻だッ、役満だあッ!!」
たまらず岩猿が再び思い切り立ち上がる。
転がったパイプ椅子が、横合いをうろついていた蛭に当たり、イラッと来た彼女は岩猿の横っ面に鋭い蹴りを叩き込んだ。岩猿は宙を回ってブッ倒れた。
「何だ、やっぱりこれは良い役か。それなら……」
紫苑は小さな箱からタバコを1つ咥えて取り出し、指を弾いて紫電で火を点ける。
タバコ越しに地下の淀んだ空気を吸い込んでから、紫煙をゆっくりと吐き出した。
「……チェックメイトだ。楽しかったぜ」
もう先程までの鋭い笑みを浮かべてはおらず、まるで無表情のまま宣言する。
この勝負は透狐が全ての点数を失い、明暗は分かれた。
「次があれば、その時は力で語り合おうぜ……ザイツェフさんよ。アンタとはそっちの方が楽しめそうだ」
Chapter3『VS透狐&情報屋ザイツェフ』END
NEXT⇛Chapter4
- Re: 紫電スパイダー ( No.16 )
- 日時: 2022/06/13 00:49
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
いきなり介入した紫苑がみるみる内に雀卓の空気を変えていく間、オレは胸の奥から言い知れない黒いモヤが湧き上がるのを感じていた。
他の5人と一緒に縞鋼板の階段を上がっていく中で、ガラにも無く思い悩む。
オレ達は勝った。これで大太法師への手掛かりを得られる。
一昨日の岩猿戦だって、紫苑が勝ったお陰でオレは生き永らえた。
そうだ、全てが藤堂紫苑という男の勝利によって展開しているのだ。オレの実力も意思も、まるで無関係な所で運命が廻っている。
それは阪成たち家守組が押し入ってきた、あの凍えるほど冷たい夜の日と同じだ。
オレの悔しさや怒りとか、悲しみと全く無関係な所で、ただ強い奴らがオレの運命を好き勝手に振り回していく。
為すべき事のついでみたいに、オレを救う事も見向きもせず、オレを大きな物語の端役に貶めている気がした。
命があるだけ儲けもの、あるいはむしろラッキーだった。それはそうだろう。
けれど、どうしようもなく座りが悪いのは、納得が行かないのは何故だろう。
「この世って生き様の押し付け合いで、結局は強い奴が正義なのかなあ……」
思わず小さな声でぼやく。
それは紫苑を追い掛け、狭い隙間を縫って二段飛ばしで駆け上がる蛭に、たまたま聞かれてしまっていた。
「急にどうした」
「いやあ……別に」
適当にはぐらかすと、蛭は一度だけ首を傾げ、すぐに再び階段を駆け上がる。それから紫苑の隣へ辿り着くと、並ぶようにして彼の横を付きまとった。
それを、オレは後ろでぼんやりと眺めている。
◆
「お待たせしました。そば処こやま謹製の、つけ蕎麦が4人前です」
負けた事が不服なのか、透狐は未だにむくれた様子のまま、厨房から歩いてくる。
小さな|簾《すだれ》に盛り付けられた蕎麦と、器に注がれた麺つゆと、生姜とネギ等の薬味が透狐の手で配膳される。蕎麦の上には刻まれた海苔も載せられていた。
座敷席で向かい合っているオレたち4人は、手を合わせてお辞儀した。
「いただきます!」
「頂きます……紫苑、これで合っているか?」
「礼儀を守るのは良い事だ。頂きます」
「オッシャア、まずは腹ごしらえと行こうじゃねえかあ。いただきァす!」
めいめいに割り箸を小気味良い音で分ける。
蕎麦を麺つゆに浸して啜り上げる。塩気と瑞々しさをたっぷり纏った細麺が、噛み締めるごとに確かなモッチリさを伝え、けれど小気味良く噛み切れてゆく。
「あ……うまっ……」
「うん……紫苑、この蕎麦、非常に美味だ」
「美味いな。十割蕎麦なのに喉越しが良い。麺つゆも絶妙だ」
「うめえな……まさかこの蕎麦って透狐が打ってんのかあ?」
「あたしの祖父よ、蕎麦を作っているのは。今も厨房に居るわ」
岩猿が首を伸ばして「おやっさあん、ここの蕎麦は最高だ、うまいぜ」と厨房の方へ大声を張り上げる。厨房の方から、負けじと「そうか、嬉しいねえ、あんがとよ」と壮年男性の明朗な声が返ってきた。
老舗っぽい佇まいと言えば確かにそうだが、この店は非常に質素だ。悪く言うなら寂れているし、ちょっとオンボロな感じもする。
そんな店構えからは、想像も付かない程に上品な味わいだ。麺つゆは鰹出汁の良い匂いが漂い、淡い口当たりの優しい味がする。そして主張し過ぎない麺つゆが、蕎麦の旨味と香り高さをよりいっそう際立たせる。
「|狂うジングなう」
全員の簾から蕎麦が消え失せた頃である。
蕎麦湯を啜りながらボソッと呟いた蛭の方には誰も見向きせず、オレと紫苑と岩猿の視線はザイツェフへと向いていた。
ザイツェフはカウンター席に腰掛けて長い脚を組み、身体をこちらに向ける。それから両手を叩き、少し大きめな声を上げる。
「アレクサ。モニターを出せ」
「OK, I’ll show you」
いきなり木造りの天井がパカーッと割れて開き、物々しいロボットアームが何本も滑らかに出てくる。ロボットアームはそれぞれ幾つもモニターやコンソールらしき物を装着していた。
すぐに蕎麦屋の店内が「これぞ情報屋のアジト」という様相に成り果てる。
まるで秘密基地だ。オレと岩猿は大興奮で叫びながら抱き締め合ってしまった。
「オレこういうの大好き」
「俺様もだあ」
「岩猿、アンタはザイツェフの常連じゃなかったか?」
「岩猿クンは毎回そのテンションだよ」
モニターの前へ立った透狐が、タッチパネルの上で指を滑らかに滑らせる。
あれ良いなあ、カッコいいなあ、パソコンすら持ってないもんなあ、オレは。オレもあんな風に沢山あるモニターの前でカタカタ、ターンッてやってみたいなあ。
羨ましくてアホみたいに口を半分開きながら眺めていると、モニターはある画像を映し出す。海のド真ん中で屹立する大きな影があった。何十、何百メートルあろうかというほどの黒い巨躯に、禍々しく紅い紋様が浮かび上がっている。
きっとあれが大太法師だ。
「残念ながら私でさえも大太法師が今どこで何をしているのか、そして奴の居場所も分からない。だから私が知りうる限りの……黒澤會に関する情報を提供しよう」
そう前置きをしてから、ザイツェフは語り始める。
「キミ達の何人かは既に知っていると思うが、とりわけ強力な篝火の中には、代償や発動条件などを要するモノが存在する。これは『副作用』と呼ばれている」
「そうなの? 岩猿、知ってた?」
「当たり前だろォがあ。もっとも俺様が持つ【国つ神の槌(ギガースハンド)】に副作用なんてのは存在しねえがなあ。長年ヴェリタスで培った経験値と想像力の賜物ってやつだあ!」
岩猿は大口を開けて豪快に笑う。
何気なく紫苑と蛭の方へ視線をやる。紫苑はテーブルに頬杖を突いたまま、蛭は彼の肩にアゴを乗せたまま、2人ともモニターを注視している。
紫苑と蛭の篝火には相応の副作用があるのだろうか。特に蛭の【21期60号(ヴァンパイア)】は異様だ。
「結論から言うと大太法師は生きている。ヤツは規格外の篝火を持っているが……およそ十数年前に日本海を渡って隣国へ強襲したきり、一度も姿を現していない」
「恐らく篝火を使った反動で動けなかった、という事だな」
「その通りだ紫苑クン。だが……」
ザイツェフが言葉を区切ると、透狐がそれに合わせて新たな画像を別のモニターへ映す。どこかの監視カメラを経由したのか、粗い画質で3人の男を捉えていた。
長髪に着流し姿の老人と、革ジャンを羽織っている銀髪の青年と、神父服姿の男という、あまり共通項を感じられない顔ぶれだ。
「彼らは黒澤會の幹部だ。ここ最近になって活発な動きを見せている。有力な篝火使いやヴェリタスユーザーを、傘下の組織を使い積極的に引き入れている、らしい」
歯切れの悪い言い方に訝しむと、ザイツェフは顎ひげをなぞりながら補足する。
「引き入れられたヴェリタスユーザーは、その後の消息が途絶えているんだ。これに限らず都内では篝火使いの不自然な失踪が、徐々に増えている」
「そういやあ俺様も、1年前くらいだったかあ……黒澤組のナントカってモブに何か持ち掛けられた気がするぜえ。テメエらの下に付くなんざ真っ平ゴメンだ、つって突っぱねた気もするがよお」
岩猿といえば都内でもトップクラスのヴェリタスユーザーだ。確かに黒澤會が目を付けないハズもないか。
ザイツェフが透狐へと目配せすると、透狐は投影された3人のうち、神父服の男をクローズアップした。
「その中で……この神父然とした男はコードネームを『喰蛇』という。幹部の内で彼だけはヴェリタスユーザーを殺し、殺害時の動画を、一応は匿名でネットに上げている……何度もな」
標的にされたヴェリタスユーザーは、動画では冒頭から既に瀕死まで追い込まれており、殺される時は決まって篝火など使わず複数人にリンチされているらしい。
現場にも、犯人特定に至る証拠はほとんど残されない。やったのが喰蛇であるという事は、ザイツェフだけが辿り着いた真実だ。
それを透狐は補足として、淡々とオレ達に語る。
この悪趣味な愉快犯を、世間一般では『ユーザー狩り』と呼んでいるらしい。
「それってすぐ警察か……『灯籠機関』に捕まるんじゃねえの?」
「事実として未だに検挙されていない。黒澤會の後ろ盾に依るものか、彼らの手口が巧いのか……恐らくは両方だろうがな」
ザイツェフが心底から忌々しげにため息をつく。その苛立った様子に、何か違和感を覚える。単に「情報屋でありながら不完全な情報しか提供できない」という以上の、明確な憤りを抱いているように思えた。
「どうあれ、これで今後の方針は決まったな」
声が聞こえた方向へ振り返る。紫苑だ。
紫苑は蛭がもたれかかっているのもお構いなく、寛いだ様子で麺つゆが入っていた器に、蕎麦湯を急須から注ぐ。
器を傾け、蕎麦湯を堪能した後で、モニターの方へと指差した。
「要はヴェリタスで勝ち続ければ、黒澤會が来る。だったらやる事はシンプルだ」