複雑・ファジー小説

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紫電スパイダー
日時: 2022/07/25 23:10
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

『篝火』という異能が存在する東京の話。
そこでは刃物、銃弾、篝火だろうが何でもアリの非合法な賭博が横行していた。

バーの地下には巨大闘技場!
アタッシュケースの札束は勝てば総取り!
ミラーボール回るディスコで血飛沫と鉄風雷火が乱れ舞う!
チープなゲーセンの奥にある麻雀卓で異能イカサマ合戦!
蟹味噌を喰って宇宙の果てまでブッ飛び狂う!

今宵も賭けるのは金と命と、そして生き様。
愉悦に任せるがまま全てを薙ぎ払う『藤堂紫苑』という天才。
その背中に……凡人である『黄河一馬』は何を思うのか。
これは、後に日本の裏社会で、伝説と呼ばれる男の物語である。



※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。また実在の人物や団体などとは関係ありません。





何回目のリメイクになるでしょうか。
お恥ずかしい限りです。紅蓮の流星です。
今回は完結させます。よろしくお願いします。

Tips:カクヨム版ではこっちより更新が早いらしい。

□本編
Chapter1 VS『岩猿』
1-1「片玉だいたい350万円」 >>1
1-2「ストレスで吐きそう。火を」 >>2
1-3「起立! 金的! 着席!」 >>3
1-4「お前をツミレにしてやろうか」 >>4
1-5「紫電」 >>5

Chapter2 VS『蛭』&『バー・パンドラ』
2-1「蟹味噌キメて狂う回」 >>6
2-2「月々の返済がゼロになる!」 >>7
2-3「玉ヒュンパラダイス」 >>8
2-4「10分間ずっとベロベロバァ~」 >>9
2-5「高圧放電」 >>10

Chapter3 VS『透狐』&『情報屋ザイツェフ』
3-1「ゥラッシャーセー↑」 >>11
3-2「エブリデイバンビ(猿)及びヤンデレ」 >>12
3-3「アレはコスプレです。そして私は無関係です」 >>13
3-4「ドラゴン総受け過激派」 >>14
3-5「電磁障壁」 >>15

Chapter4 VS『都内ヴェリタス実施店』
4-1「アレクサ、男のロマンを叶えて」 >>16
4-2「ズムズム血みどろ百花繚乱」 >>17
4-3「魔改造1/1スケール蛭(渋谷Ver.)完成品」 >>18
4-4「地獄までひとっ飛び☆パスモ鉄道」 >>19
4-5「ペペロンチーノ(対戦希望)」 >>20

Chapter5 VS『喰蛇』
5-1「口、口、口、口、口!」 >>21

■作者Twitter(更新情報、イラスト等)
@Dorry_0921
ハッシュタグ #紫電スパイダー

Re: 紫電スパイダー ( No.7 )
日時: 2022/06/03 19:36
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

「俺は戦う事が大好きだ」

 そう言いながら紫苑は、徳利からお猪口へと透き通った酒を注ぐ。それをまた一口に呷ると、口元に薄ら笑いを浮かべる。

「知っている限りで最強の男は誰か、と問えば、大太法師だいだらぼっちの名が飛び出す。だから俺はソイツを探している。戦う為に……だ」

 紫苑に対して若頭が……阪成が言う所によると、こうだ。
 関東以北に星の数ほどある暴力団を、取り仕切る大元締めが『黒澤會くろさわかい』だ。
 黒澤會の頭として、東日本におけるやくざ者の頂点に君臨する男が、会長たる黒澤弥五郎くろさわやごろうである。
 そして黒澤弥五郎は、扱う篝火イグニスに因んで大太法師だいだらぼっちとも呼ばれていた。

「だが生憎と俺達は会長に会った事もェ、当然ながら居場所も知らねえなァ」

 家守組は黒澤會系列の中でも、わりと末端に近い組織だという。黒澤弥五郎だいだらぼっち本人もまた慎重かつ狡猾な男で、黒澤會系列の大規模な集会がある場でさえ、ここ十数年程は姿を晒した事も無いらしい。
 その強さと篝火イグニスを使った際の威容だけが口伝くちづてに一人歩きしている。今はどこで何をしているのやら、そもそも日本に居るのかも定かでは無かった。

「けれど紫苑、お前さんの目的がそういう事なら丁度いい。こっちも話がある」

 阪成が何かを企んでいるような様子で、口の端を少し上げる。胡座を崩して楽立膝になると、横合いの紫苑に向けて提言した。

「手を組まねえかァ? あの岩猿を鎧袖一触で仕留めた、お前さんの力が欲しいィ」

 阪成の言葉に紫苑は少し目を細めたのみで、何も言わぬまま次の言葉を待つ。

「もう東日本は黒澤弥五郎のモンになっちまったァ。奴の首を狙って、内ゲバも激しくなっているって話だァ。かくいう家守組オレらも黒澤組に仕掛けるつもりで居る。心強い味方は何人いたって損しねェ」

 突然だがパンドラという店は強い男が集う事でも有名だ。
 ヴェリタスユーザーの聖地・東京にあって、間違いなく岩猿は歴戦の益荒男として名を馳せている。元々は阪成も、岩猿を引き入れる心積もりだったのかも知れない。
 そういう事情があるなら……特にこの藤堂紫苑という男は逃したくないだろう。

「元々、一馬も抗争の戦力にしたいからヴェリタスやらせて鍛えさせたんスよね」
「そうだったの!?」
「バッ……カおめェ! 何を本人が居る前で言ってやがんだァ!」

 オレが素で叫ぶと同時に、隣に居る扇増の顔面へとブン投げられた焼酎の瓶がめり込む。オレの事を子飼いにしたがっているような素振りは見せていたけれど、それが真意だったとは知りもしなかった。
 扇増が思い切り背後にブッ倒れ頭から壁に埋まった事を気にも留めず、紫苑が阪成に確認する。

「つまりアンタらも大太法師の首を狙っているから、戦力が欲しい、と」
「そういう事だァ。俺達はお前さんに戦う相手と金をくれてやるゥ。お前さんは存分に力を振るうだけで良いぜェ」
「良いよ。俺が飽きるまでなら」
「目指す相手は一緒なんだァ。ここは一丁、共同戦線と行こうじゃねえかァ」







 そんなやり取りをした翌日に、家守組はひとり残らず死んだので潰れた。

 オレは借金がまた増えたので、またヴェリタスをさせられる予定だったのだ。紫苑は家守組の組長と話し合いをするつもりで来ている。
 新宿にある小さなビルの最上階が、家守組の事務所だ。

 オレと紫苑が連れ立って事務所へ足を運ぶと、扉を引き開いた先に血溜まりと死体が転がっていた。首から上と内臓の無い死体達は、手足を、あるいは胴体を不自然に曲げられたまま並んでいる。
 よく見るとそれが「WELCOME」という文字を描いている事に気付いた。
 部屋の四隅を繋ぐ様に縫い付けられているハラワタも、パーティーで飾るペーパーチェーンのつもりだろうか。
 奥にある机は、阪成と扇増を含めた、都合13人の生首で敷き詰められている。
 更に奥では異様に長いプラチナブロンドを垂らす誰かが、窓の縁へ腰掛けていた。

「よく分からんが、アンタ、これで借金チャラじゃないか?」
「マジで? 言われてみればマジだ。よっしゃ」

 紫苑に言われてやっと気付く。晴れてこれでオレは自由の身だ。
 オレ達の声に反応したか、窓際でプラチナブロンドの髪が揺れる。身体の華奢さと顔立ちから、少女だという事が分かった。紫苑よりも更に色白い陶器のような肌だ。大きく伏し目がちな瞳の下には大きなクマが落ちている。そして頬と髪にはべっとりとした血がこびり付いている。

 振り返った黒いワンピースの少女は、オレ達を、いや紫苑の方を凝視していた。瞳はルビーを連想させるほどに紅い。
 それから傍らに立て掛けてあった、少女自身の背丈ほどもある巨大な得物を掴む。ボロボロの包帯を巻いた素足で、室内へ舞い降りる。得物は手足と同じく乱雑に包帯を巻き付けた、刃こぼれと血だらけの巨大なノコギリだ。
 着ている黒いワンピースの裾はボロボロに擦り切れていた。

 彼女はペタペタと床を、死体を踏みつけこちらへ歩み寄る。頬をほんのり赤く上気させ、目尻を下げ、口を弓なりに曲げて笑みを浮かべながら。
 笑顔の口が開けば、鈴が鳴るような……と形容するに相応しい可憐な声が転がる。

「やっと会えたな藤堂紫苑」

 ところで家守組と言えば武闘派で、ちょうど勢力を急速に拡大している最中らしいと聞いていた。オレがずっと大人しく阪成に従っていたのも、単純に勝った事が無いからだ。組員は軒並み屈強で、しかも強力な篝火イグニスを持っている。

 血の海と、まさに目の前で巨大ノコギリを軽々と振り上げる、返り血まみれの少女が居たのなら。コイツが家守組の面々を皆殺しにした事も確定的なら。
 結論はシンプルで明快だ。

「紫苑ッ! コイツはヤバいッ!」
「私は愛しの貴方をずっと探していた」

 高くつんざくような金属音が鳴り響く。
 一気に踏み出した少女が片手で得物を振り下ろしていた。
 紫苑が銀色の糸で──ワイヤーの束で受け止めていた。
 立て続けに少女が何処からか真っ赤なナイフを取り出す。
 都合3本のそれを懐めがけて突き出してくる。
 紫苑はノコギリを押し返す。体勢を切り返す。突き出されたナイフを躱す。
 躱した先でノコギリの柄が迫る。
 紫苑は咄嗟に屈んで前方へ転がり込む。
 転がって立ち上がるより僅かに速く、少女が踏み込んで斬り掛かっていた──。
 ──壁ごとぶち破り、2人は屋外の空中へと躍り出る。
 吹き飛びながら2人は鍔迫り合いを演じる。
 巨大ノコギリの刃をワイヤーの束が阻む。
 少女は目を細め、まるでこれから情事に及ぶかの如く、湿った吐息を吐きつつ紫苑に顔を寄せる。

「藤堂紫苑よ、今から殺すぞ。この時を待ち侘びていた。愛が溢れて爆ぜそうだ」
「参ったな。アンタが誰だか知らないし、全く意味が分からない」

 凶暴な笑みを浮かべながら、紫苑はそう零した。

Re: 紫電スパイダー ( No.8 )
日時: 2022/06/04 20:12
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

「紫苑!」

 壁が砕かれた部屋の端へと慌てて走り寄る。
 紫苑と少女は隣にある、ここより少し低いビルの屋上で大立ち回りを演じていた。
 恐ろしい速度で巨大ノコギリが嵐の様に舞う。
 袈裟斬り、横薙ぎ、もう一度横薙ぎ、逆袈裟と、慣性を活かしながら小柄な体躯で少女が猛追する。
 対して紫苑は身を反らし、後退し、屈み、跳んで退きと、全て紙一重のスレスレで凶刃を避ける。
 少女の恐るべきは身体能力だ。見るからに折れそうなほど華奢な体躯でありつつ、目にも留まらぬ敏捷性と強靭な膂力で紫苑に迫る。
 身体強化の篝火イグニスか……等と考えていると、紫苑と少女が一合爆ぜて距離を取る。

「……【21期60号(ヴァンパイア)】」

 言うなり少女は巨大ノコギリの刃で自らの手首を裂いた。
 包帯ごと切った手首の傷から、真っ赤な鮮血がボタボタと勢い良く零れ落ちる。
 それが足元へ滴るなり、赤い水溜りはあっという間に屋上を満たす。
 口元を裂いたような笑みを浮かべ、少女が巨大ノコギリを空高く放り投げる。
 更に両手を広げ、少女が弾けて消えた。少女が居た場所から赤いコウモリの軍勢が四方八方へと散らばって舞い踊る。コウモリの群れに呼応して、新たに血溜まりから真っ赤なナイフが飛び立つ。
 コウモリとナイフは次々に紫苑へ襲い掛かる。
 紫苑が腕を振る度にそれらはワイヤーで撃墜される。

「いきなり愛を囁いて、挙げ句はリストカットか……情熱は買うが、止めときなよ」
「紫苑、後ろだ!」

 余裕気な嗤いを湛える紫苑の背後で、立ち上がる影があった。
 血溜りから少女が生えてきた。喜色満面の笑みで得物を振り被っている。

「何しろ俺は忘れっぽいからな」

 巨大ノコギリが横薙ぎに一閃を描く。
 けれど巨大ノコギリは、明後日の方向へ、掴む腕ごと弧を描いて放られる。
 紫苑が振り返らずに手首を返していた。ワイヤーで少女の腕を切り飛ばしていた。

「ちっ……!」

 片腕と得物を失った少女は、歯噛みしつつも素早く下がる。
 その隙を逃すワケもなく、紫苑が踏み出して詰め寄る。
 紫苑が放った回し蹴りは、虚しく空を切る。
 少女が再び血溜まりの中へ沈んだのだ。
 紫苑はその場で留まり、消えた少女の気配を探る。
 巨大ノコギリが転がっている辺りから、白く細い腕が這い出る。
 すぐさま少女が血溜まりから現れ、紫苑の背後へ駆け出し、両手で巨大ノコギリを振り下ろしにかかる。
 しかし足元に手を付いた紫苑が──それを発動させる方が、僅かに早かった。

「【紫電フルグル】」

 紫色の電光が、血溜まりを、屋上を伝播して駆け巡る。
 少女は悲鳴すら上げずに、まるで魚のように打ち上げられて動かなくなった。







「やっぱり紫苑、お前の武器は、細い金属のワイヤーか」
「ああ。切断や、移動とか、こんな風に捕縛とか……用途に合わせ使い分けている」

 屋上にて、俺と紫苑は気絶している少女を見下ろす。
 傾いていた陽は、西側にそびえるビル街の更に向こう側へ沈もうとしていた。
 少女は紫苑のワイヤーで……パッと見ただけでは分かりにくいが……がんじがらめに縛り上げられ、芋虫のように拘束されている。
 岩猿を【国つ神の槌(ギガースハンド)】ごと斬ったのも、ワイヤーに電流を通した熱で、コンクリの鎧を焼き切った……という事なのだろうか。

「しかし何だコイツは。頭もフィジカルも篝火イグニスもブッ飛んでるぜ」
「でも俺は勝った」
「……そうですネ」

 まず間違いなく、オレは勿論、きっと岩猿だってコイツに勝てやしない。
 飛ばされた腕を生やしたり、血を操り、血と同化したりコウモリに化けたりなんてしていた。
 まるで文字通りの吸血鬼ヴァンパイアみたいだ。
 紫苑は煙草の箱を軽く叩いて一本取り出し咥える。先端へ指先を近づけると、指を鳴らし、紫色の電気を散らして火を点す。深く息を吸って、間を置いてから、真上に紫煙を吐く。
 それから改めて少女を見下ろす。

「それより、ちょっと面白い事を思い付いた」

 言うなり紫苑は少女を肩に担ぐ。それから俺の方に向かって手を差し出す。
 何をするつもりなのか見当もつかず呆気に取られるまま、条件反射的に紫苑の手を握り返す。すると紫苑は、まるでイタズラを思い付いた子供のような笑みを浮かべ、俺を引き寄せる。

「パンドラに行く。ワイヤーを使う為に片手は空けるから、しっかり俺の腰にしがみつけ。振り落とされたら、多分、死ぬぜ」
「振り落とされたらって……んぬぉ!?」

 ワケも分からないまま、言われるがまま紫苑の腰へ腕を回すなり、オレ達は紫苑につられて屋上から飛び降りた。
 ハラワタを押される様な浮遊感が駆け抜ける。
 喉から空気は漏れたが、悲鳴は出なかった。
 アスファルトに向かって一直線へ叩き付けられる──より先に、今度は強烈な重力が襲い掛かる。違う、遠心力だ。

「はっ、は……うお、おっ、すげえ!」

 斜陽で照らされたビル街が墓石みたいに立ち並ぶ。
 その間をブランコじみて飛び抜けてゆく。
 前髪を向かい風でなぶられる。時折また投げ飛ばされたような浮遊感が再来する。更に落ちて振り子のように空を切ってと繰り返す。地面のスレスレまで近づいて掠りもせずまた浮上する。クラクションを鳴らすトラックにも当たりはしない。窓から顔を出す運転手の野次さえも置き去りにする。
 雑多な新宿の全てをすり抜けて、ビル風のど真ん中を舞い踊って貫いてゆく。
 空を落ちてゆく。

「やっほう、すげえ、オレ達は、今、空を飛んでるぜ!」
「爽快だろ。このままパンドラまで一直線だ」

 もう何度目になるか。高層ビルの中腹まで振り上げられた瞬間に、たまらず叫ぶ。
 しがみつく腰元から見上げると、紫苑が口端を吊り上げて言う。
 オレは首筋へぞくぞくと込み上げる高揚に浮かされながら煽った。

「ああ、最高だ、盗んだバイクで首都高ハイウェイをかっ飛ばすよりずっとゴキゲンだぜ! どこでも好きに連れて行ってくれよクレイジータクシー!」
「そうかい。だったらお客さん、アンタをもっと楽しいお祭り騒ぎに連れて行くぜ」

 ちなみに実際、オレはバイクどころか原チャリに乗った事すら無い。内緒だが。

Re: 紫電スパイダー ( No.9 )
日時: 2022/06/05 19:02
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)




 パンドラ店内の隅っこにあるテーブル席は、いつも小汚いジジイが居座っている。
 どう見てもこの場の雰囲気にそぐわない陰気なジイさんだが、マスターを含めて他の誰も、彼を店の外へつまみ出そうとはしない。
 このジイさんはとても優秀な治癒系の|篝火《イグニス》を遣う。
 階下のスタジアムでボロボロに転がされた奴を治し、安くない額面をぼったくる。それがジイさんの生業だ。だからオレもあまりジイさんの世話にはなりたくない。

「ヘイ、お兄さん。アンタがパンドラの癒し手らしいな」

 声をかけられたジイさんが、紫苑を見上げる。
 紫苑は札束を幾つかテーブルの上へ叩き付ける。

「祭の下準備だ。こっちの一馬を、指のササクレの1つまで綺麗サッパリ治せ」

 ジイさんは札束の山を見て汚らしく舌なめずりすると、強引にオレの手を引っ掴み横の席に座らせる。それから「いないな~い」とでも言いそうな感じで顔を隠して、すぐ「んバァ~」とでも言いたげな雰囲気の変顔をしつつ両手を広げる。
 ジイさんが指先と舌をそれぞれピロピロと動かし続けている間、ずっと淡い白緑色の光がオレに纏わり付く。ジイさんはずっと変顔のままである。オレは、至近距離で真顔のままジイさんと向き合っている。
 オレの折れた腕が痛みを感じなくなるまで、およそ10分しか経たなかった。

「なんでオレの怪我を治すんだ?」
「振り子みたいにブラ下がった腕で祭囃子を踊れるかよ」

 紫苑は嗤いを浮かべつつ、黒い仮面を着ける。
 それきり質問に答える気は無い様で、オレの怪我が治るなり、すぐにスタジアムへと通じる鉄扉の方へ歩き出してしまう。
 オレも慌てて仮面をリュックから取り出し、紫苑の後を追い掛ける。
 少女を肩に担ぎながら、スタジアムの階段を一歩ずつ降りてゆく紫苑を見るなり、パンドラの客たちは口々にざわめく。空いている片手から、3つのアタッシュケースが提げられていた。

「新チャンピオンだ」「シオンだ」「やるつもりらしい」「俺はあいつに賭けるぜ」「誰だよ、アイツ?」「知らねえのかよ、昨日あの岩猿をブッ倒したんだ」「というか……あれ、何を抱えてんだ?」「女か、髪めっちゃ長いな」「犯すつもりか?」「公開ファックかよ」「客席からじゃあよく見えねえよ」「今から降りて待つか?」

 めいめいに騒ぐクソどもを、まるで意に介さず、紫苑は何も言わずレフェリーからマイクを取り上げる。それから闘技場でそれぞれ剣と銃を持っていた男達を、左腕の一振りと紫電フルグルの一閃で雑にブッ飛ばす。
 オレは隣で何も言わずに、名も知らぬヴェリタスユーザー2名に両手を合わせた。
 紫苑が担いでいた少女を足元へ降ろす。
 3度くらい軽く肩を叩かれた少女は目覚め、寝ぼけながら頭を振る。
 どうやらワイヤーの拘束は既に解かれていたらしい。

「う……」
「お目覚めか、眠り姫さんよ」

 紫苑は黒い仮面越しに言った。
 それから紫苑が立ち上がると、少女は女座りのままでじりじりと後ずさりしつつ、同じく傍らへ転がっていた巨大ノコギリの柄へと手を伸ばす。
 それを見やり、紫苑は満足げに鼻を鳴らす。表情は仮面に覆い隠され見えない。

「アンタは俺を殺したいのか。だったら今から最高の舞台を用意してやる」

 それだけ言うと立ち上がった紫苑は、掴んでいた3つのアタッシュケースを無造作に投げ捨てる。そしてマイク越しに、ライブ会場の新鋭ボーカルがMCを繰り広げるみたいに宣言する。

「俺はコードネーム・シオン。悪いが乱入させて貰うぜ。賭ける金額は10億と……ちょうど昨日、岩猿から巻き上げた500万円。正真正銘これが俺の全財産だ」

 誰との果たし合いを望むのか。
 パンドラの地下にあるスタジアムで、クソッタレな誰もが期待する。
 けれど紫苑が叩き付けた宣戦布告は、その場の誰の脳をも真っ白に染め上げた。



「──いちばん最初に俺を殺した奴が、この全てを総取りだ。まとめて来い」



 オレも、観客席の野郎共も、少女も、呆気にとられて声すら上げられない。

「言葉が足りないか。つまりは俺とアンタら全員とで、賭けをしよう」

 紫苑がサーカスの開幕を告げる司会者みたいに、大げさな素振りで両手を広げる。

「指に挟んだ煙草なんて放り捨てろ。掴んだ酒の缶は頭から被って酔いを覚ませ」

 そして紫苑は岩猿や少女に見せた時と同じく、上半身を軽く屈め、左半身を前に出し、腰を少しだけ沈め、軽い構えの姿勢で宣言する。黒い仮面に包んでいる顔だけ、観客席で腰を下ろす、有象無象の命知らずへと向けた。
 その大小6つ紫色の球が並ぶ、蜘蛛の複眼を思わせる仮面が、雁首を並べる無法者へと睨め付ける。淡い紫に揺れる前髪と、無機質な蜘蛛の眼光が、怖気さえする高揚を以って男達の……ロクデナシ達の尻に火を点けた。
 紫苑が続いて何かを言うより先に、誰かが観客席から飛び出す。
 続くように、また別の馬鹿野郎が闘技場へと躍り出る。

「え、えっ……えぇ?」
「ほらほら、何をボサっとしているんだ。アンタも早く来いよ」

 寝起きから上手く状況を飲み込めず戸惑う少女へ、紫苑が背を向けたまま急かす。

「でないと……うっかり誰かが、アンタより早く俺を仕留めちゃうかもだぜ?」

 この場でただひとり仮面を着けていない少女の顔色が、みるみる青ざめていく。

「そっ」

 突如として足元が爆ぜたように、少女が飛び上がって巨大ノコギリを振りかざす。
 今に泣きそうな切羽詰まった必死の形相で紫苑の背をめがけて駆け出す。

「それだけはダメぇえええっ!」

 無法者共が差し向ける凶刃や弾丸や雑多な|篝火《イグニス》に加えて、少女の巨大ノコギリと、ついでにいつの間にか岩猿の拳までもが、大挙して紫苑へと押し寄せる。
 紫苑がくるりと身を翻しただけで、その全てを紙一重で避ける。
 仰け反った紫苑が、通過してゆく巨大ノコギリの鎬に、マスクの口元を当てた──軽いキスをした。
 それがゴングの代わりだった。
 シオン、対、パンドラに集った全員……という大勝負の。

「さあ、宴を始めよう」

Re: 紫電スパイダー ( No.10 )
日時: 2022/06/06 20:38
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)




 シオンが人差し指を弾く。
 横合いで銃口を向けていた男が、腕と胸を裂かれて倒れる。
 シオンが反対の手で中指と薬指を曲げる。
 都合4人のナイフや手斧などを持った男達が、めいめいに吹っ飛んで転がる。
 シオンが掌底を繰り出す。肘打ちを放つ。開いた指を握る。回し蹴りを決める。腕を振るう。踵落としを振り下ろす。裏拳を振り出す。足払いをかける。腕を広げる。
 彼の周りで群がる男達は、みぞおちを、あるいは脇腹を、あるいは四肢を、あるいは顔面を、あるいは全身を、あるいは脳天を、あるいはこめかみを、あるいは足元を、あるいは戦意を、次々に撃ち抜かれ崩れ落ちていく。
 舞う紫電が弾けて霧散した中心に、紫色の髪をした男が立っている。

 ──バー・パンドラはヴェリタスの激戦区たる東京、その新宿にあって、名だたる猛者が集う店として名を馳せている──。

 凶刃や弾丸のみならず、槍や火の玉に、水の鞭やら氷の礫、岩の拳、疾風も迅雷も、絶え間なく飛び交う戦場で……彼は何ひとつ掠りもせずに舞い踊る。
 歴戦のロクデナシ共から刺さるような殺気を一身に浴び、しかし藤堂紫苑は、黒い仮面の奥で笑っている。口の端を吊り上げ、鋭い犬歯を剥く。
 仮面の裏で、紫紺の眼光を煌めかせ嗤う。

 ──かつて空間を歪める篝火イグニスによって開拓され、スタジアムを建造した地下闘技場に……後に伝説として語り継がれる男が君臨していた──。

「そうッ、まさに伝説だッ! 異例だッ! 前代未聞だッ! このパンドラに集う、イカれたメンバーを十把一絡げに丸ごと翻弄するッ! 舞い踊るッ! 薙ぎ払うッ! 目にも留まらぬッ! 疾・風・迅・雷の血祭りだァ! さあさあッ、遠けりゃ寄ってブッ飛ばされなッ! 近けりゃ飛び込み痺れやがれッ!」

 ついに興奮が極まった様子のレフェリーは、耳をつんざく声で裏返したまま叫ぶ。

「誰がシオンを殺すのかッ! それとも、誰もがシオンに敗けるのかッ! さあさあさあさあ、さあさあさあさあッ! シオンッ、対ッ……バー・パンドラッ! ンッ、レッドゥルルルリィイイイ……」

 シオンが広げた五指にワイヤーを引っ掛け振り抜く瞬間と、レフェリーがゴングを鳴らす瞬間は、奇しくも一致していた。

「ン、ッヌファッァアアアイ!!」
「【紫電フルグル】──『範囲掃討ビートダウン』」

 闘技場に張り巡らされたワイヤーから幾本も電撃の槍が飛び交う。
 淡い藤色の輝きが屈強な男どもを十把一絡げに打ち倒す。

「雑な前戯じゃねえかッ! こんな火花じゃ俺様は殺れねえぞ! シオン!」
「私だけを見ろッ見てッ見てよ藤堂紫苑!」

 閃光のド真ん中を突破し、鬼気迫る勢いで猛進するふたつの影があった。
 ひとりは岩石を纏った巨漢の岩猿だ。片やプラチナ色の髪をなびかせる少女だ。
 岩石で象られた鉄拳が振り下ろされる。巨大ノコギリの刃が横薙ぎに襲い掛かる。
 十字を描く致死点に……けれどシオンの姿は無かった。

「よう」

 姿を眩ませたシオンは、ただ眼前の光景に圧倒されている少年へと声をかけた。
 シオンはスタジアムの天井からワイヤーで足を吊るしている。
 逆さのままで黄河一馬と目線を合わせている。
 シオンは……紫苑は黒い手袋に包まれた手を、一馬へと差し出した。

「呆気にとられている暇は無いだろうが。さあ……アンタは、どうする?」

 黒い仮面に並んだ、紫の六眼が問い掛ける。
 一馬は全身の毛穴から、衝撃が吹き抜ける心持ちを味わった。
 一馬の口元がニヤけて抑えられない。これまでの人生で味わった事もない高揚が、昂りが、常識も理屈もスッ飛ばし、たったひとつの感情を駆り立てる。
 コイツと戦いたい、コイツを超えたい、という熱情を。

「──テメエに勝つ!」

 一馬が刀の鞘から白刃を振り抜いた時、しかしそこに紫苑の姿は無かった。
 紫苑はすでにワイヤーを解いて、再びスタジアムの中央へと舞い戻っている。
 紫苑を追い掛けていた少女と岩猿に並ぶ形で、一馬は彼に向けて切っ先を構える。
 岩猿も足元に手を当て、スタジアムの地面を隆起させてゆく。
 少女も巨大ノコギリで手首を裂いて、滴る雫で赤い水溜りを拡げてゆく。

「【国つ神の槌(ギガァアアアスハンド)】ォ!」
「【21期60号(ヴァンパイア)】!」
「行くぜ……【エルドラド】ッ!」

 間欠泉の様に石柱が幾つも噴出する。
 血の海から赤い槍が何本も伸び上がる。
 一馬がガスマスクのノズルを回す。
 スタジアムが黄色と灰色と紅との色彩で引っ掻き回される。
 呼吸も止まる熱風と轟音が辺りを席巻し、暴威の嵐が、彼へと押し寄せる。災害を招いている3人が見据えているのは、ただひとりの男、その背中だけである。
 三者が睨みつける視線の先で、紫苑は振り向きながら言った。

「そう来なくっちゃ」

 紫苑が左の手の平をかざす。
 淡い藤色の電光が全てを受け止め競り合う。紫電を纏ったワイヤーが岩石をも切り飛ばして弾く。紫色の髪が風圧で揺られ躍る。紫苑が立つ足元の直前まで抉られる。
 左手だけで3人の全身全霊を迎え撃つ紫苑は、右手を頭上へ振り上げる。
 右手は人差し指を立てたまま、鋭く迸る紫電を纏っていた。

「まだまだァ! イキり勃て世界ッ! 『ギガントマキア』ァ!」

 いきなり岩猿が叫んだ。
 紫苑が指を鳴らすより早く、スタジアムの大地が鳴動する。
 あちらこちらが盛り上がって、まるで無秩序な砦を形成する。
 石柱に岩石の壁やら、お互いが立っている足場をも無視した。
 スタジアムの天井から照らす照明さえも割り砕く。何本も歪なコンクリートの柱が突き立ち、闘技場の地面と天蓋を繋ぐ。
 しかし紫苑は好機とばかりに三度続けて腕を振るう。投げ放ったワイヤーをまるで蜘蛛の巣みたいに張り巡らせる。
 紫苑が縦横無尽に空間を跳ね回る。彼を少女が追撃する。一馬は2人の姿を目の端に捉えるだけで精一杯だ。頭上、横合い、斜め上の前方、後方、目と鼻の先と、激突する金属音だけが連続して鳴り響く。
 それから紫苑が少女に引き付けられている間に──少女の背後から、幾本もの腕を背負った岩石巨人ティタノマキアが迫る。

「『ヘカトンケイル』ゥウアッ!」

 紫苑と少女は互いに飛び退いてそれを避ける。
 即興の足場が降り注ぐ拳で打ち砕かれてゆく。
 一馬と少女と岩猿は、周りごと崩落して落ちてゆく自分たちの更に下方で、紫苑が自由落下しつつも左手を自身らへと向けている事に気付いた。
 彼の左手は紫電を纏い、3人へと人差し指を向けていた。
 それから、彼はそれだけを端的に詠唱する──……。

「……──【紫電フルグル】、『高圧放電ダウンフォール』」







「勝者ぁあああッ……シオンッ!!」

 まるで無様にオレも、プラチナブロンドの髪をした少女も、岩猿も……パンドラに巣食うヴェリタスユーザー達も、誰もが瓦礫にまみれ、スタジアムで倒れていた。
 その中にひとりだけ、勝者が立っている。
 淡藤色の髪を揺らし、シャツもメンズパンツもブーツも皮手袋も、そして仮面も……全てを漆黒に包んだ装いの華奢な男である。
 おそらく17歳のオレと、歳は大して変わらない少年だ。それがこの場に横たわる誰もを圧倒し、ただ静寂の中に佇んでいる。
 シャツを捲った腕からでさえ、傷のひとつも見当たらなかった。

「楽しかったぜ」

 見慣れた映画の感想を呟くように言い捨ててから、おもむろに転がっているオレの方へと、紫苑は歩いてくる。それから転がっているオレを見下ろすようにしゃがむ。仮面を外し、笑顔も何もない全くの無表情で問い掛ける。
 その無表情は、まるで飽きた遊びを終えた後の幼稚園児みたいだった。

「なあ……アンタはどうだ?」

 仰向けに転がっているオレは、それがたまらないほど悔しく思えた。
 だから奥歯を噛む。
 清々しさと、煮え切らない悔しさが入り混じった混沌の心持ちで吐き捨てる。

「ちっとも楽しくなんて無ぇよ。次こそは、テメエをブッ倒すからな」

 ほんの一瞬だけ目を見開いた紫苑は、そこでやっと口端を歪める。
 わずかに目尻を細めてから、顎に指先を当てる。
 オレを見下ろしたまま、少しばかりそうしてから、おもむろに立ち上がる。
 それから視線も合わさずに、踵を返しながら言い放った。

「上でさっきのジイさんに怪我を治して貰え。それが終わったら焼肉を喰うぞ」



Chapter2『VS血姫&パンドラ』END

NEXT⇛Chapter3

Re: 紫電スパイダー ( No.11 )
日時: 2022/06/07 20:06
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

「そして私を囚えていた白い檻は……研究所は、ただ1人の少年によって瓦礫の山と成り果てた」

 少女は白い灯りが照らす下で、赤い液体が注がれたグラスを揺らす。長いプラチナブロンドの髪が、肩から一房、音も無く黒いワンピースの胸元へと落ちた。
 グラスを満たす液体よりも更に深く紅い瞳が、豊かな睫毛の奥で横へと滑る。

「黒い雲の切れ間から、淡い月明かりが彼の後ろ姿を映し出していた。ほんの1年前のあの日に、まるで流れ出した血がそのまま落ちて地面を濡らす事と同じ様に、私は必然的に悟ったのだ」

 包帯を乱雑に巻いた細い腕で、少女は頬杖を突く。
 薄い笑みを湛える一筋の口元は、遠く離れた恋人の名前を呟く様に語り続けた。

「あの日、私は恋をしてしまった。だから兵器として生み出された私は……『ひる』は、何としてもこの手で藤堂紫苑を殺したい」
「……だ、そうですが藤堂紫苑さん」
「全く何も覚えてないな」

 蛭が真横に居る紫苑へと向かって、この世の終わりみたいな顔をする。
 紫苑は全く素知らぬ顔で、ジョッキに注がれている生ビールを呷った。
 ここは焼肉屋である。

 新宿駅の東口前を3分ほど歩いていけば「120分食べ放題2,950円」という売り文句のビラと共に『焼肉・葵園』と書いてある看板が見える。
 比較的リーズナブルな焼肉屋だ。ただし借金まみれだった貧乏人であるオレ以外の世間一般にとっては。

 席はそれぞれ黒を基調とした個室のみで、身内でパーティーをする時などはうってつけと言えるだろう。
 金髪のオレと、紫色の髪をしたイケメンと、プラチナブロンドが本人の身長くらいある少女と、ゴリゴリマッチョにタンクトップで隻腕の大男が個室に会していた。
 ちなみに蛭は、巨大ノコギリをテーブルの横に立て掛けている。

 蛭が「藤堂紫苑の隣に座らせろ」と言って聞かないので、オレと岩猿は対面に腰を下ろしていた。
 ゴリラモチーフの仮面を着けていない岩猿は、荒くれ者らしい無骨な風貌である。アゴから口の端を横切り、鼻骨に通る傷跡を始め、顔面に無数の傷が残っている。

「そういや紫苑が切り落とした腕は、あのジイさんに繋いで貰わなかったのか」
「俺様の腕はガレキの下でグチャグチャに潰れてたから無理だあ」

 なんとなしに聞くと、岩猿は舌打ちしながらジョッキを掴む。それからオレの横で紫苑と同じ様に生ビールを喉へ流し込む。さっそく空になったジョッキを、勢い良くテーブルに置くと、たっぷり口元に付いた泡を拭ってから蛭へと向き直る。

「それより俺様には、惚れたから殺したいって言うのが意味不明だわ」
「私は、愛する男の、最後の女になりたいのさ」

 蛭はアセロラジュースの入ったグラスをストローで啜る。

「アンタは阪成たち家守組の連中を殺したよな。だから今の俺は、どちらかと言えばアンタの事が嫌いだぜ。せっかく大太法師だいだらぼっちへの手がかりを得られそうだったのに」

 蛭のストローを啜る音が止む。そのまま彼女は宇宙の終わりみたいな顔をする。

「その上、愛しているから殺したいって言われても……なら少なくともアンタは今日だけで13人の男をヤッた、とんでもない尻軽女って事になるな?」

 さらなる紫苑の追撃で、蛭は全くの感情を失い、証明写真を撮る時のような真顔で固まる。
 直後にそのまま涙と鼻水がまるで滝みたく、しとど溢れ出た。

「ッツレシャース、こちらカルビとタンと……うわっ」

 盆に肉が載っている皿を持ったまま流れる様に個室へ入ってきた店員は、わんわんと泣き喚き散らしながら紫苑の袖に縋る少女を見てドン引きした。皿を置き、岩猿と紫苑が使っていた空のジョッキを持ち去ると、そそくさと逃げる様に扉を出て行こうとする。
 店員の背後から、紫苑が気怠げな声色で引き止める。

「生ひとつ追加で」
「俺様もだあ」
「……ショーチャシァー、生ビール2つでぇ!」

 今度こそ店員は流れるような動作で個室を素早く出て行った。

「さて、肉を焼くか」
「焼くのは頼むぜ。利き腕をどっかの誰かさんに持っていかれたから、な!」
「丁度いい機会じゃないか。もう片方の腕も慣らしたらどうだ?」

 テーブル越しに乗り出して至近距離で睨みつける岩猿を鼻で笑いながら、紫苑は手に持ったトングで淡々と肉を並べていく。傍らで涙と鼻水をシャツに擦り付けながらぐずる蛭の事は全くお構いなしだ。

 カルビとハラミとタンが、金網の上で白い煙を吐きながら、焼ける音を奏でた。
 否応なしに食欲をそそる音だ。思わず生唾を飲み込んで凝視する。これまで稼ぎをほとんど全て家守組に取られていたオレにとって、焼肉は最上級の贅沢である。
 たまに阪成が気まぐれで連れて行った時くらいしか食べた事が無い。

「阪成や家守組と言えば……どうして紫苑はそこまで蛭に突っ掛かるんだ?」

 それまで金網の肉へと視線を注いでいた紫苑が、オレの言葉でこちらを見やる。

「それだけじゃない。さっきのヴェリタスでも、お前は出来るだけ誰も死なない様に色々と気を遣っていたよな?」

 あの場でオレだけが最後まで気を失わないで居たから……そして悔しい事にオレがコイツらの動きに付いて行けず、傍観していたからこそ気付けた。

 まず紫苑から放たれる攻撃で、バー・パンドラの誰も殺されていない。岩猿や蛭の他には四肢どこかを切り落とされた奴さえ居ない。気絶か戦闘不能になる程度だ。
 加えて最終盤の、岩猿の作り上げたアスレチックが崩壊し、数え切れない程の瓦礫が落ちて行く場面に至っては……オレはその瞬間を見ていた。高圧放電ダウンフォールを撃つ直前に、もう片方の空いた手で、紫苑は地面スレスレにワイヤーを張り巡らせていた。
 闘技場の地面で転がるロクデナシ共に、瓦礫が降り注がない様にしていたのだ。

「大した理由じゃない。命は資源だから、殺すのは勿体ないというだけだ」

 何だ、そんな事か、とでも言いたげな様子で紫苑は再びオレから視線を逸らした。視線は再び焼肉の方へと戻り、肉を置いた順からひとつひとつ裏返してゆく。
 全ての肉が裏面の赤色を見せた頃に、紫苑はトングを静かに手元へ置く。
 そしてタバコの箱を取り出しながら言う。

「本気で野心を持っている奴と、挫折を知った人間は、どこまでも強くなれる」

 タバコを咥えた紫苑は、その先端で指を弾き、淡い紫色の火花で灯した。
 深く息を吸い込み、蛭へと煙が向かないように反対側へ吐き出す。
 紫紺色の眼光を細くして、オレと岩猿に向き直り、にやりと嗤って言う。

「いつか……俺に敗けた奴が、とんでもない程に強くなって、リベンジして来るかもしれない。それが楽しみだから、俺は出来るだけ殺さないんだよ……」
「はんッ、だったら俺様ん時はどうして生き埋めにしたのかね!」

 岩猿が不機嫌そうに、金網から焼けた肉を何枚かまとめてトングで引ったくる。

「どうせアンタは、あの程度で死ぬタマじゃあ無いだろう」
「おうよ、当たり前だあ。俺様はパンドラ無敗の岩猿様だぜ。紫苑、今に見てろよ。またすぐにテメエをブチ殺して血祭りに上げて、パンドラの闘技場で何時間も叫んで勝鬨かちどきを上げてやる!」

 岩猿は威勢良く言うなり、3枚の肉を箸で挟む。タレの飛沫が飛び散るのもお構いなしに、焼けた肉を小皿の上で滑らせてから、そのまま口の中へと放り込む。
 何度か頷きながら咀嚼し、個室の照明へ向かって轟くような雄叫びを上げる。

「うんッまァアアアイ! 狂う! 狂う! カルビ、タン、ハラミ、狂う!!」

 岩猿は堪らず座席の上に立ち上がって、右拳を振り上げた。
 物音がしたから個室の入り口側を振り返ると、ビールを2つ盆に載せている先程の店員が、またもドン引きしたまま凍り付いたように固まっていた。


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