複雑・ファジー小説
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- 紫電スパイダー
- 日時: 2022/07/25 23:10
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
『篝火』という異能が存在する東京の話。
そこでは刃物、銃弾、篝火だろうが何でもアリの非合法な賭博が横行していた。
バーの地下には巨大闘技場!
アタッシュケースの札束は勝てば総取り!
ミラーボール回るディスコで血飛沫と鉄風雷火が乱れ舞う!
チープなゲーセンの奥にある麻雀卓で異能イカサマ合戦!
蟹味噌を喰って宇宙の果てまでブッ飛び狂う!
今宵も賭けるのは金と命と、そして生き様。
愉悦に任せるがまま全てを薙ぎ払う『藤堂紫苑』という天才。
その背中に……凡人である『黄河一馬』は何を思うのか。
これは、後に日本の裏社会で、伝説と呼ばれる男の物語である。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。また実在の人物や団体などとは関係ありません。
◆
何回目のリメイクになるでしょうか。
お恥ずかしい限りです。紅蓮の流星です。
今回は完結させます。よろしくお願いします。
Tips:カクヨム版ではこっちより更新が早いらしい。
□本編
Chapter1 VS『岩猿』
1-1「片玉だいたい350万円」 >>1
1-2「ストレスで吐きそう。火を」 >>2
1-3「起立! 金的! 着席!」 >>3
1-4「お前をツミレにしてやろうか」 >>4
1-5「紫電」 >>5
Chapter2 VS『蛭』&『バー・パンドラ』
2-1「蟹味噌キメて狂う回」 >>6
2-2「月々の返済がゼロになる!」 >>7
2-3「玉ヒュンパラダイス」 >>8
2-4「10分間ずっとベロベロバァ~」 >>9
2-5「高圧放電」 >>10
Chapter3 VS『透狐』&『情報屋ザイツェフ』
3-1「ゥラッシャーセー↑」 >>11
3-2「エブリデイバンビ(猿)及びヤンデレ」 >>12
3-3「アレはコスプレです。そして私は無関係です」 >>13
3-4「ドラゴン総受け過激派」 >>14
3-5「電磁障壁」 >>15
Chapter4 VS『都内ヴェリタス実施店』
4-1「アレクサ、男のロマンを叶えて」 >>16
4-2「ズムズム血みどろ百花繚乱」 >>17
4-3「魔改造1/1スケール蛭(渋谷Ver.)完成品」 >>18
4-4「地獄までひとっ飛び☆パスモ鉄道」 >>19
4-5「ペペロンチーノ(対戦希望)」 >>20
Chapter5 VS『喰蛇』
5-1「口、口、口、口、口!」 >>21
■作者Twitter(更新情報、イラスト等)
@Dorry_0921
ハッシュタグ #紫電スパイダー
- Re: 紫電スパイダー ( No.2 )
- 日時: 2022/04/30 19:44
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: Jhl2FH6g)
放ったらかしの食器へ、蛇口から水の滴る音が響いた。
電気も止められてしまった底冷えする部屋の中で、いきなり押し入ってきたヤクザたちの言葉を受け入れられないまま、オレは固まっている。
そんなオレを見かねたらしい強面の大男は、深い溜め息をついてから言い直す。
「聞こえなかったのかな。1億ある借金を返して欲しいんだよね」
オレがちょうど14歳になる、寒夜のことだ。
1億という数字に現実感が無い。男の言葉が耳から脳裏を素通りしていく。
クリスマスイブだと言うのに、ケーキもツリーも無い。母さんは2年前に死んだ。クソ親父はついに帰って来なくなった。
あのクソ親父がいなくなって安心した。問題はどう生きていくかという事だ。
オレはそう思い悩みながら毛布に包まっていただけのガキだ。この1週間程は学校の給食しか食べていない。水道もいつ止められるだろうか。
「払えません、ごめんなさ」
最後まで言い切るより先に吹っ飛ばされる。
いきなり激痛と視界のメリーゴーランドが襲い掛かってきたので、雑多に散らかる居間の片隅まで転がされても、何が起こったのか分からなかった。
蹴り飛ばされたと気付いたのは、頭から流れる生温かい何かを指でなぞった時だ。それは血だった。
強面の男は、またも溜め息をつく。心底からうんざりした様子で吐き捨てる。
「払えないとかじゃないんだよ、全部これから払うんだよ。ねえボクくんわかる?」
悲鳴も出ない。恐怖も感じないし、何も伝わらなかった。
痛みと手で触れる以外の全てに現実味がない。何も想像がつかない。
ただ襲い掛かるのは、この部屋の暗さとは比較にならない、真っ黒くて掴めない闇が目の前を覆う感覚だけである。
道徳の授業は、とにかく生きる事の喜びと、命の尊さを伝えようとするけれど。
ただクソ親父の暴力に耐え、クラスメイトが楽しそうな出来事や、つまらなかった出来事までも面白おかしく語り合う姿を横目に妬ましく思いながら。
ただ耐えて生きてきた先に、オレを待っていたのが、これか。
これまではクソ親父に蹴られ殴られ、煙草の火を押し付けられ、ぶん投げられ、空になった酒瓶を叩きつけられ、それでも耐えて生きてきた。そしてこれからは、この良くも知らん男に金を注ぐため生きなくちゃいけないのか。
自然と笑えてきた。
最初に笑い出してしまえばもう、あとは止めることが出来ない。いつ以来だろう、笑った事なんて。もう覚えていない分まで溢れるように、気持ち良くなるくらい大声で笑った。
泣きながら笑い過ぎて、脳から酸素が抜け、頭の中をめまいと痺れが駆け抜ける。最高の気分だった。
「もう嫌だ」
それだけ呟いて台所に走り出す。
ヤクザたちは呆気に取られていた。
置き晒しの包丁を掴む。刃を自分の首元へ向ける。息を止めて、力を込める。目を瞑ったまま何もかも終わらせようとする。
果たして、包丁の刃はオレの首を薄皮一枚だけ裂いた。
強面の大男が、オレの腕を強く掴んで止めている。
彼は柔らかく優しげな笑みを浮かべると、オレの背中にもう片方の手を回しつつ、なだめるように語り掛けてくる。
「ダメだよ、命は大事にしないと。とりわけ君はまだ若いんだからね」
慈しむような眼差しをサングラスの奥から覗かせて、オレを諭し続ける。
「安心しな、良い働き口を紹介してあげるからさ。もちろん体力仕事だって選び放題だし、君くらいの少年が良いっていうお金持ちのおじさんやおばさんも結構いるよ。それに酒もタバコもやっていないなら、病気でもないなら、僕にすごぉく、とっても良いアイデアがあるんだ」
優しい笑顔が、おぞましくて、寒々しくて、呼吸が苦しくなってゆく。
「これから先、何十年もあるんだ。未来を捨てちゃダメだよ、君にはまだやるべき事があるんだから……ね?」
──今の御時世なら篝火はそこまで珍しくもない。
けれど誰しもが持っているワケじゃないし、発現する時期もまちまちだ。その条件も明確には分かっておらず、きっと今も研究者達が日夜ああでもないこうでもないと言い合っている。
ただ「強烈なストレス」がきっかけになりやすいらしくて、オレの場合はこの夜を境に……口の中から黄色い炎を吐き出せるようになった──。
強面の男が言葉にならぬ悲鳴を上げて、真後ろへ倒れて転がり込んだ。
オレの前にフラッシュのようなものが焚かれたと思ったら、次の瞬間には男が燃え上がって、ごろごろとのたうち回りながら火の粉を振りまく。
他のヤクザの男達が、慌てて転がっていた毛布や自分の上着なぞ引っ掴んでは叩き付ける。
けれど火が収まった頃には、強面の大男だったモノは動かなくなっていた。
他の男達は驚きと怒りがない交ぜになっているようで、目を見開いた形相で一様にオレを睨む。とんでもないことをしてくれたな……とでも言わんばかりに。
「おかしいよなァ。最初っから火ィ吹けたんなら、自殺なんかより、俺たちを焼けば良かったのになァ」
「わ……若頭……」
ただ一人、一部始終を静観していたらしい男がようやく進み出る。
若頭と呼ばれた男は、オレの前にしゃがみ込んで、前髪を掴んで無理矢理に視線を合わさせる。眉毛がないオールバックの男だ。深く刻まれたクマの真上から真っ黒な視線を差し向けている。しばらく何事かを考えているようだったが、オレはとにかく混乱していた。
「たった今しがた覚醒したのかァ?」
「……わかんない、です」
だからその一言をやっと絞り出すしか無い。
オールバックの男は再び黙り何かを考え込んでいたが、オレを雑に投げ捨てながら立ち上がると、他の連中に「コイツ連れて行けェ」とだけ命じる。
「賭けを……ヴェリタスをやらせるかァ。コイツの篝火は使えるからなァ」
- Re: 紫電スパイダー ( No.3 )
- 日時: 2022/04/30 20:45
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: Jhl2FH6g)
「次のヴェリタスは岩猿と戦えよォ。パンドラのチャンピオンを景気良くブッ倒し、華々しく新たな人生の門出と行こうじゃねえかァ」
ここへ来るより前に、オレは家守組の若頭である阪成に言い付けられていた。
本音はオレを手放したくないから、敢えて岩猿に挑ませるつもりなのだろう。
そして敗けたオレを飼い殺し、これからも利息分の儲けを吸い取り続ける心積もりに違いない。
だから今日は必ず勝ってみせる。勝たなくちゃ人間に戻れない、家畜のままだ。
岩猿はアゴを突き出しオレを見下ろしたまま、ガントレットを嵌めたままの鉄拳をぶつけて打ち鳴らす。オレは鞘から抜いた剥き身の刀を構えて向き合う。
観客席では賭け金を声高に叫びながら、切符を買う音で溢れる。
ヴェリタスの参加者は、つまり実際に戦うヤツは、それぞれが賭けた金を遣り取りする。観客は「参加者のどちらが勝つか」に賭けて、その成り行きに一喜一憂する。それがヴェリタスだ。さながら競馬や競艇みたいなモノだろう。
「レぇッディーッ……ぅファイッ!!」
レフェリーの合図と共に、スタジアムがひときわ強い歓声で爆ぜ返る。
オレは真っ直ぐに駆け抜ける。刀を携えたまま。
岩猿が地面を叩く。地面が直線状に隆起して迫る。
斜め前に踏み込み避ける。一足一刀の間合いから岩猿に斬り掛かる。
岩猿は袈裟斬りをガントレットで防ぐ。次に返す刃も弾き飛ばす。
岩猿が素早くジャブを繰り出す。手数が不利だ。一発避けてすぐに距離を取る。
しかし距離を取れば、岩猿のイグニスが襲い掛かる。
「【国つ神の槌(ギガースハンド)】ォ!」
再び拳を打ち付けた地面から、岩石の腕が伸びて迫り来る。
地面や石やコンクリを自由に操るイグニスは、現代社会と相性が良かった。おまけに岩猿のそれは範囲も規模も恐ろしく広い。けれども間合いを詰めれば、途端に拳打の雨が降り注ぐ。
バー・パンドラにおける難攻不落のチャンピオン、岩猿。
オレはパンドラに通い始めた数年前から、コイツの敗北を見た事が無い。
しかも岩猿はまだ切り札を隠している。
挙句の果てに……。
「【エルドラド】ッ!」
ガスマスクのノズルを回す。
オレは口の中から息ごとヒマワリみたいな色の炎を吐き出す。熱風が辺りを抜け、眩むような輝きが燃え盛る。
しかし勢いを収めた炎の中から見えたのは、大きな岩の壁である。壁が崩れ落ちると岩猿は奥から余裕綽々といった様子で首を鳴らしてみせる。
この様に岩猿の岩石は、オレの炎を通さない。言うまでもなく相性は最悪だ。
勝機があるとすれば、岩猿が壁を出せない程の超至近距離で殴り合い、隙を見せた所で【エルドラド】に焼かれてもらうか……。
「500万はオレにとっても安くはねえ。いきなりフッ掛けてきやがるモンだから、何か勝算でもあんのかと思って身構えていたがよ……」
岩猿はゴリラを模した仮面の奥から、首を鳴らして嘲るように鼻で笑う。
「困るぜ……弱い物イジメは大好きなんだよ。これからじっくり時間をかけて、どういたぶってやろうかと……おおっ、考えるだけでイキり立って来やがる。たまんねえたまんねえ」
今度は岩猿の巨体が圧力と俊敏さを伴って迫る。
目の前で両手を組んで振り下ろす。オレは後ろへ飛び退いて避ける。
拳を打ち付けられた地面から石柱が伸びる。塔の影から大振りの裏拳が迫る。
その場で屈んでやり過ごす。裏拳が先程の石柱を叩く。
そこから斜め下のオレを狙って新たな石柱が伸びる。
岩猿の股下へ転がり込み逃げる。
「だったら……へし折ってやるよド変態が!」
その場で全力の起立。
大男の股ぐらに、オレの頭突きが突き刺さる。
岩猿が小さく息を吐いた後に「きょふっ」と呼吸の止まる音を漏らした。気のせいかもだが、何か頭の上で潰れた気がする。潰れていると良いな。
岩猿は極端な内股になってブルブルと脚を震わせながら、両手で股間を押さえる。
「ぉ……ぉまぇえ……っこ、の……ぉ……」
「弱い物イジメが何だって? ザマぁああ~ねぇな、産まれたての子鹿ちゃんみてぇだあ! 岩猿だって? 贅沢な名前だなぁ! 今日からお前はバンビだよ!」
言い捨てながら黄色い火炎を思い切り吐き出す。
また吹き荒れる炎は目の前をイエローに染めてうねり、中腰のままろくに身動きも取れない岩猿を辺りの岩ごと呑み込む。
これでバンビちゃんの丸焼きになっていれば御の字だが、さあ判定や如何程に。
「調子に乗ってんじゃあねえぞ、キンパツひょっとこクソ野郎が!」
煙と土埃の向こうから、それらを揺るがすほどの怒声が響く。直後に腹にボウリングの球を打ち付けられたかと思うほど重い咆哮が……文字通りの猿叫が、オレを立ち竦ませる。
熱気の中からシルエットを現したのは、全身を岩石で覆っている巨人だった。
これが岩猿の十八番だ。奴を無敗のチャンピオンたらしめている理由だ。これからヤツの死角は消え、一撃が全て必殺の殴打となる。
「【国つ神の槌(ギガースハンド)】……『ティタノマキア』! よくも……よくも俺様のバベルの塔をおシャカにしてくれやがったな……。まずはそのクソ生意気な口から潰してやる」
岩猿が大股で地面を踏み鳴らせば、振動がオレの元まで届いてくる。そのまま天蓋を仰いで、再度の猿叫を上げて怒り狂う。
「ギブアップなんて言わせねえぞ、生きたまま全身の骨を砕かれた人間がどうなるかを教えてやる。そのまま岩を被せて、一番しまいに一番デケえ岩を突き刺してやる。それがお前の墓だ、今日がお前の葬式だ!」
そしてオレの指先は震えている。奥歯がカチカチと鳴る。
ただし恐怖からではない。武者震いだ。オレはこの時を待っていた。岩猿が本気を出す瞬間をずっと狙っていた。ガスマスクの下で、思わず口の端が吊り上がる。
刀を構え直して、元の3倍の大きさにまで膨れ上がった岩猿へと切っ先を向ける。
「アホ抜かせ、今日はテメーの葬式だよ。こちとら火葬しか用意してねえがな」
- Re: 紫電スパイダー ( No.4 )
- 日時: 2022/06/01 00:02
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
全身を岩石の鎧で武装した状態は、岩猿自身が『ティタノマキア』と呼んでいる。
自分の篝火やそれを用いた技などに、名前を付ける事はちゃんと意味がある。想像力や集中力は篝火のコントロールに大きな影響を及ぼすらしい。どこぞの大学の偉い先生とか、色んな人が同じ様な研究成果を出したそうだ。
だからそれらに具体的な名前を付ける事で、自分の中でイメージを固める手助けとするのだ。
岩石巨人が拳を振り上げる。
打ち下ろす。辛うじて避ける。
更に岩石のラリアットが迫ってくる。
同時に捲れた地面から石の槍が飛来する。
合間を掻い潜るように逃げる。
反撃の暇も無いままただ逃げる。
岩猿と戦う相手は、本人からの格闘戦と、地面や建造物から生える多種多様な飛び道具の波状攻撃で悩まされる。
そして攻撃の度に足元は荒れ、壁に覆われ、こちらの逃げ場は刻一刻と塞がれる。
岩石を纏っている岩猿は、平時より少し動きが鈍い。
この弱点があるから、普段は温存しているのだろう。
しかし恐るべきは、そんなデメリットを物ともしない程の防御力と攻撃力である。
岩猿の猛進撃を、岩の壁や塔や槍なぞの合間を掻い潜り逃げ回る。
最早スタジアム中央はアスレチックの様相を呈している。
……まさしく、この状況を待っていた。
追い掛けてくる岩猿に向かって、無造作に【エルドラド】を吹き付ける。
炎は岩猿の鎧に阻まれて通りもしない。
構わず手近な石柱の上へ駆け上がる。
岩猿の視界を振り切ることだけ考える。
岩石巨人はオレを見失い、首元の岩を軋ませながら、周りを見渡す。
「オレはここだぜ、バンビちゃん」
真上から岩猿の頭部に飛び乗り、しがみつく。
ティタノマキアとはまるで人間要塞だ。一部の隙間も許さない、動く城である。
たった一部を除いて。そう外を覗く穴を除いては。
ちょうど目の辺りに空いた空洞に向かって、オレは口元を寄せる。
岩猿のスピードが落ち、圧倒的な防御力にかまけている、この瞬間を狙っていた。
「【エルドラド】ッ!」
くぐもった爆音が岩石巨人の内側から鳴り響く。
目玉の穴からバックファイアが起こり、オレは衝撃で吹き飛ばされる。すぐに起き上がって、ティタノマキアを、岩猿の様子を窺う。
岩石巨人は棒立ちのまま動かずにいた。けれどすぐに、まるで積み木を倒すように崩れ落ちる。
安堵して肩から力が抜けた。刀の切っ先を下げて、大きく溜め息を吐く。
直後に腹部へ岩石の拳が飛び込んできた。
声も出ない。息が出来ない。浮遊感を味わう。高速で真後ろに吹っ飛ぶ。
石の壁に思い切り背を叩き付けられる。肺から全ての酸素を追い出された。
全身の痛みが力を奪う。
何が起きたか脳ミソで理解も出来ず、その場で膝から落ちる。激痛のあまり蹲る。
横合いの、石壁の一部分が割れて崩れる。
「俺様だよ」
壁越しに、割れたところから岩猿が顔を覗かせる。
たったの火傷ひとつさえも負わずに平然としている。
声も出せないまま、なぜ、という疑問だけが回らない脳髄を満たして溢れていく。
「そりゃあ普通は俺様があの中に居ると思うよなあ。誰だってそう思うぜ。けれど残念ながら、アレはお人形だァ!」
最初からあの中に居らず、隠れて岩石巨人を独立させ操っていただけだという。
岩猿がもったいぶった足取りで、転がるオレの方へと歩み寄ってくる。オレは呼吸をつなぐことに手一杯で、とても立ち上がれやしない。
まずい。速く体勢を立て直せ、オレ、まずいぞ。
焦る。焦燥感が喉の奥から迫り上がる。けれど岩猿はそれもお構いなく、オレの首を掴んで持ち上げる。仮面越しでもヤツの下卑た嗤いが伝わってきた。
みぞおちに深々と、今度は岩猿本人の拳が突き刺さる。
オレが声にならない声を漏らし、視界を白黒させていると、全身をブルブル震わせながら満足げに唸る岩猿の姿が見えた。
それから間髪入れず今度は顔面を何発か殴られ、口の中に鉄みたいな味が広がる。ブッ飛びかけた意識を、また次の殴打が呼び覚ます。何度か脇腹の中からひときわ嫌な音がした。
「……スッ……ごぉーい! たァーのしィーッ!!」
これは間違いなく、殺される。
「さあさあお立ち会い! クソガキ主演のスプラッタショーだあ! 見とけよ今からコイツをツミレにしちまいます! タネも仕掛けも無いですぜ!」
「ぎ……」
ギブアップ。たったそれだけの事が言えない。首を絞められているから。
岩猿の腕を振りほどけない。頭に酸素が回っていないから。折れたのか左腕が動かないから。
徐々に遠のく意識の中で、興奮に湧く観客席の喧騒が、ひどく視界を掻き回す。
脳裏をいつかの冷たい夜が掠める。
ヴェリタスで勝つ為の道具として、家守組の連中に無理矢理に戦わされた日々が、フラッシュバックしてゆく。
14歳のあの夜から、3年間も懸けて1億円を返し続けた。
その果てがこのザマかよ。
クソみてぇ。全部ひっくるめて出てきた感想は、たったのそれだけだった……。
「ガキ相手にみっともないぜ、オッサン」
……割り込んだ誰かの一言に、なぜか、その場の誰もが静まり返る。
決して大きな声ではない。
けれど不思議な事に、オレも、岩猿も、観客達にまでその声が聴こえた。全員が声の方を振り向くと、そこには観客席を一歩ずつ降りる男の姿。
こつ、こつ、こつ、とブーツを鳴らす音が聞こえた。
メンズシャツに革手袋とデニム、そして仮面。
顔からつま先に至るまで黒でまとめ上げた服装だ。ただし少しクセのある髪だけ、薄い紫色を帯びている。右手にはアタッシュケースを提げていた。
男の声色は若く、オレと同じ位の歳だろう。けれどシルエットはオレより細い。
「何だァ? てめェ……」
「飛び入り参加だ。コードネームは『シオン』で」
レフェリーの前を素通りし、スタジアムを降りた彼は、アタッシュケースを開く。会場の誰もが目を剥いた。俺も息を呑む。岩猿でさえもたじろいだ。
見せつける様に掲げたアタッシュケースからバラバラと落ちてゆくのは、幾つもの札束だ。何千万円あろうかという札束が、少年の足元に転がっている。
「ざっと3億円ほど。アンタが勝ったなら全部くれてやるよ」
前代未聞の額である。
誰もがぽかんと呆気に取られたままでいる中で、岩猿だけは、とびきりの冗談でも聞いたような笑い声を上げる。
「おい、どこのボンボンだ? ここは迷子案内センターじゃないんだぜ? 冷やかしなら帰れ。どうせ転がってんのも偽札だろ。レフェリー、早くコイツをつまみ出せ。今せっかくいいところ……」
「ゴチャゴチャと御託を垂れんなよ、オッサン。良いから早くやるぞ」
遮る様に黒衣の男が、シオンが言う。
ぴきり、と。岩猿の額に青筋が浮かぶ。
シオンはアスレチックを掻い潜る様に跳び、岩猿と同じ高さまで上り詰める。
「安心しろ。アンタがそこまで金を持っているとは思っていない。賭けるのは有り金すべてと」
あくまでも冷然かつ悠々とした態度で、シオンが岩猿の方へ歩み寄る。
岩猿の固く握られた拳は、怒りのあまりわなわなと震えている。
「プライドだけで良い」
「ガキが俺様にナメた口を利くんじゃねえ! テメエも! まとめて! 望み通りにブチ殺してやる!」
岩猿の怒りの一撃が爆裂する。それがゴングの代わりだった。
「さあさあさあさあッ! 俺の合図も待たずにおっ始めちまいやがったッ! コイツはメンツが立たねえぜッ! 兎にも角にも岩猿の猛攻が始まるッ! これがゴングの代わりだぜ! ンンンるるぇっディイイイ~、んヌファアアイッ!!」
レフェリーのがなり声を気に留めるでもなく。
岩猿が拳で打ち付けた足元から、大小何本もの石柱が大挙してうねり押し寄せる。
闘技場は既にアスレチックと成り果てている。
攻撃のたび更に岩猿の良いように作り替えられていく。
「決めたぞ! 今日のディナーはハンバーグだあ! クソ生意気なガキとガキの合い挽きを、じっくりジューシーに焼き上げてやる! デザートは3億円だ!」
シオンはそれらを避ける。飛び退き。身を翻し。掻い潜り。踏み出し。全て涼し気な様子で凌ぐ。石柱が即座に砕ける。細かな散弾となって四方八方から襲い掛かる。それすらも舞い踊るようにすり抜ける。
けれど唐突にシオンの足元だけぽっかりと穴が空く。
言うまでもなく岩猿の作戦だ。
シオンは為す術なくビル3階建てほどの高さを落下……していかなかった。
彼は平然と何も無い空中で立っている。
「何だ、飛べる篝火かよ。めんどくせえな。羽虫は囲って追い込むに限るぜ!」
岩猿が拳を振るう。今度は空中に居るシオンの周りを幾本もの石柱が囲い込む。
左右も上下も後方も虫カゴの様に封鎖される。
正面から迫るは岩猿の、岩石巨人の巨大な拳。
少年を待ち受けるものは逃げ場ない圧殺のみ。そのハズだった──……。
「チェックメイトだ! シオンとか言ったか! 黒尽くめのクソガキめ!」
……──シオンが虚空に手を振るう。たった一条、淡い紫色の閃光が奔る。
それを合図に石柱の檻が砕け散り──岩猿の巨腕は斬り飛ばされた。
「……ハァ?」
- Re: 紫電スパイダー ( No.5 )
- 日時: 2022/06/01 19:50
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
途端に静まり返る会場の中で、岩猿の呆気に取られた声だけがこだまする。
遅れて、斬られた腕の断面から、ホースのように血流が溢れ出す。更に遅れて岩猿が、絞り出すように絶叫し出した。
会場の誰も何が起こったのか分からない。
敗け知らずの岩猿が、しかもティタノマキアという岩の鎧を纏う、岩猿の腕がスッ飛ばされた。
それだけの事実しか分からない。
驚愕と困惑に満ちる場で、たったひとりシオンだけは岩猿へと歩み寄る。目の辺りに紫色の球が都合6つ並んだ黒い仮面で、膝をついた岩猿の顔を覗き込む。
まるで蜘蛛の複眼を連想させる仮面だ。
その奥から冷ややかで静かな声が紡がれる。
「大げさに騒ぐな。片腕が無くなっただけだろ。まだ戦えるよな?」
何度目になるか、岩猿の猿叫が空気を震わす。
ただし今度のそれは、これまでと比にならない怒気を孕んでいた。
「【国つ神の槌(ギガースハンド)】……『ギガントマキア』!」
辺りの石柱から、石の壁から、都合10体もの岩石巨人が作り出される。岩猿自身も、無くなった腕を岩で補う。
それだけに留まらず、岩の腕がまるで悪魔の腕みたく鋭く肥大する。周りの残った石柱も大蛇の様にうねり出す。壁から大小さまざまの槍が生え出す。
コンクリートがお祭りを始めた。カルト宗教の儀式みたいな、おぞましい祭だ。
どっちが地面だか、目が回って来そうな光景に、岩猿の本気に囲まれて……シオンは上半身を軽く屈め、左半身を前に出し、腰を少し沈め、軽い構えの姿勢を取った。
そして嬉々とした声色でボソリと言う。
「そう来なくっちゃ」
「塵も残さずに磨り潰してやるぜ、シオン!」
槍が乱れ飛ぶ。柱がのた打ち回る。石礫が降り注ぐ。
たくさんの巨人が殴りかかってくる。その真ん中へとシオンが駆け出した。
「さあさあさあさあッ! まさに驚・天・動・地ッ! かつてこんな戦いを、ここで見た事があるかッ!? 岩猿が岩の津波を起こすッ! 巨人の兵団が一挙一動で地面を震わし叩き割るッ! 対して彗星の如く現れた挑戦者、シオンッ! その全てを掻い潜るッ!」
45度に傾斜した足場を。
崩れ落ちる石柱の上を。
何もない空中を。
巨人の腕を。
所構わず駆け抜ける。
槍の雨も瓦礫の散弾も巨人の拳も全てを置き去りにして。
目指す先は岩猿自身が入り込んでいる岩石巨人だ。
岩猿は迎え撃つように、その背から幾つもの巨腕を岩石で作り上げる。
「さあさあさあさあさあさあさあさあッ! 賭け金は有り金の全部と矜持ッ! 店の名はバー・パンドラッ! 岩猿ッ、対ッ、シオンッ! 今宵、この瞬間が痺れる程のクライマックスだッ!」
一瞬だけ静まり返った先程とは打って変わっていた。
会場のボルテージは最高潮に達している。
岩猿は背から生やした無数の腕を振りかぶり、シオンへと肉薄する。
走る両者がついに交錯する──。
「【国つ神の槌(ギガースハンド)】、『ヘカトンケイル』! 勝つのは俺様だ! 俺は岩猿だ! 俺が岩猿だ!!」
「そうか。俺は俺だ」
──シオンは全ての巨腕が自分へ迫る直前に、思い切り腕を真横に振り抜いた。
「【紫電】」
ふたたび紫色の電光が迸り、シオンの周り全てを打ち砕いて切り裂く。
纏う岩石の鎧すら粉々に剥がされ、岩猿は全身から血飛沫を上げて崩れ落ちる。
高く積み上がった岩のアスレチックも同様に、全てが崩落してゆく。
盛大に砂塵を巻き上げ、瓦礫の山へと成り果てる。
徐々に砂埃が晴れてゆく。
岩猿は上半身が瓦礫へ埋まっており、下半身だけ出したまま動かない。
そこから少し離れている、瓦礫が積み重なる山の頂点へ、シオンがブーツの靴底を鳴らし降り立つ。
雑に埋まっている岩猿の方を見下ろすと、彼は言い捨てた。
「チェックメイトだ。岩猿とか言ったか。楽しかったぜ」
「しょ……勝負ッ、ありッ! 勝者ッ……シオォオオオオオンッ!!」
スタジアムがひっくり返るかと思う程の、大歓声が湧き上がった。
◆
生温い夜風が淡藤色の髪をもてあそぶ。
古ぼけたビルの地下から石階段を上り、仮面を着けた一人の少年が姿を現す。
少年は仮面からブーツに至るまで、すべて漆黒の装いに身を包んでいる。左手には大きく無骨なアタッシュケースを提げていた。
溜め息をひとつ吐いてから、彼は仮面を外す。
夜も更けてきた頃だが、喧騒が路地ひとつ隔てている向こうから鳴り止まない。
少年はそちらの方へと爪先を向けて歩き出した。
「待ってくれ!」
しかし新たにビルから飛び出してきた、満身創痍の少年が彼を呼び止める。
吊り目と金髪が、オーバーサイズのストリートファッションに馴染む少年だ。
ただし所々に浮かぶアザと血痕と、腫れ上がった顔面さえ無ければの話だが。
彼……先程までコードネーム・炎馬と名乗っていた少年に呼び止められ、淡藤色の髪を揺らす少年は、足を止めたまま黙っている。
一馬は言葉を探していたようで、しばらく両者の間に沈黙が流れる。やがて一馬はおずおずといった様子で口を開く。
「お前は、何者なんだ?」
「人の事を尋ねる時は、まず自分から名乗れ」
一馬に対して振り返らぬまま、彼は冷ややかな声で返した。
「……俺の名前は黄河一馬。コードネームは炎馬だ」
一馬の名乗りを聞き届けると、紫髪の少年が彼の方へ振り向く。
色白く端整な顔立ちから、切れ長で鋭い紫紺色の眼光が、真っ直ぐに射抜く視線を投げかけた。
「藤堂紫苑」
再び夜風が流れて、その内に籠もった熱を相対する2人へ吹き付ける。
黄河一馬が藤堂紫苑を追い掛けて階段を駆け上がってきた事には、そして不躾にも呼び止めた事には、明確な理由がある。
すなわち、どうしようもなく思ってしまったのだ。
この紫苑という男みたいに強くなりたいと。
「何だってんだ一馬ァ、いきなり飛び出してよォ!」
紫髪の少年……紫苑が名乗った後から、今度は一馬を監視していたハズの、家守組の若頭・阪成と組員が階下から駆け上がってくる。
彼らは一馬の姿を見るなりすぐ肩を掴もうとするが、その手が空気の壁で阻まれたように勢いを失う。ただならぬ面持ちで真正面を見据える一馬の先に、今しがた岩猿を圧倒的な格で下した男が……紫苑が立っていたからだ。
「丁度いい、俺もアンタらに訊きたい事がある」
そう言いながらおもむろに紫苑が一馬達の方を指差したので、一馬ら3人は同様に身構える。紫苑は彼らの様子を意にも介さずに続ける。
「場所を変えよう。まずは一馬の怪我を手当てしてやれ。それが済んだら──……」
紫苑は一馬たちを指差していた手で、今度は親指で自身の背後を指し示す。
それから口の端を吊り上げて言う。
「……──カニを喰いに行くぞ」
それを聞いて一馬と家守組の2人は、全く同じタイミングで首を捻った。
Chapter1『VS岩猿』END
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- Re: 紫電スパイダー ( No.6 )
- 日時: 2022/06/02 19:51
- 名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。お酒と煙草は二十歳になってから。
初対面の相手を連れて行くメシ屋として、カニ専門店は最悪手だと思う。
新宿某所の雑居ビルで8階に店を構えている『かに永』本店は、ラストオーダーが午前1時半まで、閉店は2時らしい。
今は深夜0時過ぎで、ちょうどテーブル席がひとつ空いていたのは幸運だった。
そこに居座るは、まずパッと見で明らかにカタギじゃないと分かるようなヤクザが2人と、顔面包帯だらけな上に折れた腕を三角巾で吊っているオレと、柏か新船橋のオバチャンくらいしかそんな色に染めねぇよって具合な紫色の髪をした男……紫苑の、素っ頓狂な4人組だ。
ほんのり磯の香りが漂う店内の一角で、4人の男が眉間に皺を寄せつつ膝を並べ、真剣にカニフォークを握っていた。カニの脚を折る小気味良い音が鳴り続けており、誰一人として会話を切り出そうとはしない。
誰もがカニの脚を剥くのに夢中で、喋っているヒマなど無いのだ。
ただでさえ集まっているのが男ばっかりなので、空気は重苦しくムサ苦しい。カニは死ぬほど美味い。
「甲羅の内側にある、この豆腐みたいな白い身……」
おもむろに紫苑が、まるで独り言のように口を開く。何事かと思ってオレを含めた三人が彼の方へ見やると、箸とカニミソが乗った甲羅をそれぞれ手に持っていた。
オレと、隣に座っている家守組の手下……ちなみに彼は扇増という名字だ……は、身を乗り出して彼の挙動を凝視する。
「これも食える部分だ。醤油を垂らし、カニミソと一緒に混ぜる。そして喰らう」
紫苑は白い身とカニミソと醤油を甲羅の上で、箸を使ってかき混ぜ、甲羅の縁に口を寄せ、それらを啜る。彼は口に含むなり瞑目して、喉を鳴らして嚥下する。
「磯の香りと濃厚なカニの旨味が口の中でとろけ、解ける。後引くコイツの味を」
言いながら横合いのお猪口に手を伸ばし、一息に中身を煽る。
お猪口を再びテーブルへ置いて、硬質な音が響いた。紫苑は口元を弓なりに曲げたまま、深く味を堪能するように頷く。
「辛口の、引き締まった口当たりの日本酒で流し込むと、もうたまらない」
オレと扇増は、揃って生唾を飲み込む。紫苑の隣で、阪成だけは「わかる」とでも言いたげな様子で、腕組みしたまましきりに頷いていた。
たまらずカニミソがたっぷり乗った甲羅へと手を伸ばす。それから醤油を垂らし、折れていない手に掴んだ箸でかき混ぜる。恐る恐る、蟹の甲羅を口元へ近付ける。
──それを啜った瞬間に、目の前で宇宙が開けた。
数多の星を飛び越えて、暗黒の宇宙を光さえもスッ飛ばす速さで堕ちてゆく。星雲も銀河も置き去りにした先で、オレは、ひとつの星が産まれる瞬間を垣間見た。
「狂う」
たったそれだけを呟くのに精一杯だった。身体はちょっと痙攣していた。
「おいィ、一馬が白目むいてアヘ顔を晒してるぞォ」
「無理もないっスよ、若頭……これは……狂う……」
意識さえ曖昧なまま、ぼんやり横合いに目をやると、扇増はテーブルに突っ伏したまま震えていた。
「カニミソは勿論、脚も、香りからして『格』が違う……存在感も、味の奥行きも。これが本当の『蟹』の味わい……。ウソだろ、今までオレが食っていたカニカマは、いったい何だったんだ……」
「わかる……カニカマとは何もかもが違う……」
「それは単なる業務用スーパーで特売されてるスケトウダラの加工食品だろうがァ。あとカニカマをディスってんじゃねえよォ、俺はカニカマも好きなんだよォ」
オレと扇増が開けた新たな世界に慄いていると、対面の座席から落ち着いた笑い声が聞こえる。紫苑が頬杖を突いたままで、愉快げにこちらを眺めていた。紫苑は既に結構な量の酒を飲んでいる筈だが、色白い顔からは酔っているのか酔っていないのか探りにくい。
彼は徳利を左手でぶら下げるように揺らして、手で弄びながら口を開く。
「美味いだろ、この店。少し前に新宿へ来てから、足繁く通っている。それより一馬は酒を飲まないのか?」
「あ、ああ……オレは、酒は飲まない」
「そうか。まあ、適当に食っていけ」
今までも酒を勧められる機会は何度もあったが、その度に全て断っていた。
酒や煙草と聞くだけで、あのクソ親父が脳裏に浮かぶからだ。自分でも知らずの内に、それらのものに生理的な嫌悪感を抱くようになっていたらしい。
もっとも、それ以前に大前提として根本的な理由があるのだけれども。
「っていうかお前、紫苑もさ……オレと同い年くらいだよな?」
「俺はアンタの年齢を知らない」
紫苑は自らの胸ポケット辺りに手を差し込みながら、素っ気なく返す。
「17だ」
「なら多分、同じくらいだな。数えていないから適当だけれど」
「飲んじゃダメだろ……て言ってるそばから煙草を取り出すなよ、篝火で火を点けるなよ、煙を深く吸ってから天井へ吐き出すなよ。そもそもここ喫煙席か?」
「ここは全席喫煙オーケーだァ」
「なら良かった……いや良くねえけど……」
「それで、聞きたい事についてだが」
紫苑が灰皿へ煙草の灰を落としながら、一言で流れを遮る。
紫苑は再びお猪口に手を伸ばし、酒を一気にあおる。それから再び咥えた煙草から紫煙をくゆらせた後で、訝しげな視線を向けるオレ達へと投げかけた。
「ある男を探している……『大太法師』の居場所を知らないか?」
オレは聞いたことのない名前だった。
しかし隣に居た扇増と斜め向かいの阪成が、途端に眉間の皺をより一層深く刻む。
しばらくの沈黙を待った後で、先に口を開いたのは若頭……阪成だ。
「ウチの会長を探しているって事かァ」