コメディ・ライト小説(新)

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/11/29 21:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜第175次元 >>176-193

■第2章「片鱗」

 ・第176次元~第178次元 >>194-196
 〇「或る記録の番人」編 >>197-


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.195 )
日時: 2025/11/19 22:00
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第177次元 燻り

 元魔の襲撃があった区域は、順調に復元を進め、もうじき営みを取り戻せるところまできていた。作業場の警備班班員の男たちはあいかわらず、手伝いにやってくるレトヴェールを歓迎しておらず、事あるごとにちょっかいをかけては無視を返されていた。レトは依然として、男たちと口を聞かなかった。
 しかし、ロクアンズが失踪したと知るやいなや、彼らはなぜか得意げな顔をし、やっかみや陰口を加速させた。
 聞こえていてもレトは無反応を貫いていたのだが、あるとき、男たちとのすれ違いざまに放たれた一言には、我慢ができなかった。

「最初から見るからに人を騙しそうだった。あの神族は。結局、逃げたんだ」

 レトは運んでいた資材を地面に放り捨て、拳を握ると、そう言った男の肩を掴んで寄越し、頬を殴った。まったく警戒していなかったところへ拳が飛んできたので男はひっくり返って、路上に積んであった荷物や資材ごと弾け飛んだ。ほかの班員たちは面食らってどよめいたが、それから加勢に入ってくるまで、間はなかった。
 あらゆる暴力や罵詈雑言が雨のごとく降ってきたが、レトは、男の襟元を掴んで離さなかった。

 騒ぎを聞きつけて現場の支配人がやってくるとようやく事態は収束した。レトに殴られ、怪我をした男たちは作業場の天幕に引きずられ、レトのほうは町の施療院に放りこまれた。
 施療院の薬師たちは、レトがやってくると驚き、困惑した。怪我の加減に、ではない。男たちから剥がされてしばらくしてもレトの憤りが一向に鎮まらず、傍に寄っただけで冷気が漂ってくるような、見えない圧力を肌で感じ取ったからだ。薬師たちは彼を遠目にし、困り果てていた。

「すみません、次元師が運ばれてきたと聞いたんですが……」

 そこへ、知らせを聞いて飛んできたキールアが入口の戸をくぐり、中へ入ってきた。歩き回っていると、大部屋の隅で憮然と座りこんでいるレトの姿を彼女は見つけた。
 傍まで近づいていったが、レトはキールアに気がつかなかった。彼はぼんやりと虚空を見つめていた。

「レトくん……」

 声をかけてようやく、レトはキールアの存在に気がついて、反応を示した。顔を上げた彼の目の色はくすんでいて、下の瞼も重たく、見るからにうまく眠れていなさそうだった。返事をしなかったり、ほとんど微動だにしないところを見ると、すっかり気力がないように見える。
 彼がいつもの機嫌でないことは、キールアは一目でわかった。肌がひりついて仕方ないこの感覚がするときは、「近づくな」とでも言われているようだった。だから慎重になって、彼の様子を確かめていると、片方の手のひらが異様に赤くなっていた。

(……火傷?)

 キールアは、気になってレトの顔色を伺ってみたが、彼は口を開く気力もないのか、だんまりとしていた。
 おそるおそる手を伸ばし、キールアはやんわりと彼の手を取った。
 院内は、もうだれも、レトのことを気に留めていない。ほかの患者を診るのに忙しくて歩き回る足音が、治療具を手に取る雑音が、大丈夫かと問う声が、耳につくほどにひしめいていた。

 結局、二人は一言も交わさないまま、あらかた彼の治療が済むと施療院をあとにした。外はもうすっかり夜になっていた。街灯に照らしだされた歩幅は、ほんのすこしずれていて、キールアは、包帯が巻かれた彼の手が振り子のようにただ前後に揺れているその半歩後ろについていた。
 キールアは、レトがどのような任務を渡されているのか詳しくは知らないのだが、此花隊の仮拠点に向かって歩いているところを見ると、彼もまたちょうど帰還するところだったのかもしれない。訊いてもよかったが、訊かなくたって歩いている道筋を考えればわかることだったし、なによりキールアにはほかに訊かなくちゃならないことがあった。
 
「ロクを……探しに、行ったの?」

 ──なにかあった、と。そう、レトの顔に書いてあるから、キールアは恐れずに切りこんだのだった。
 返答はない。沈黙は肯定かもしれない。けれども、引き下がれず、キールアは歩調をあげて、レトの目の前につかつかとやってくると、足を止めさせた。

「ねえ、レトくん。教えて……! ロクは、ロクは本当に……どこかに行っちゃったの? 嘘、だよね……? 班長たちはきっと、探すふりをして、ロクをどこかに隠して、わたしたちから離そうとしているとかじゃ、ないの? わたし……」

 すぐにでも探しに行きたい──キールアは、「ロクアンズが失踪した」と報告されたつい先日のことを思い出して、ふたたび胸が締めつけられるような心地になった。
 その日はずっと汗が止まらなくて、ふとしたときに泣きだしてわめいてしまいそうだった。どんな仕事をしたかも、だれと話をしたかも、自分がどんな顔をしていたかももう覚えていない。キールアにとって救いでもあった唯一無二の友人、それがロクだ。せっかく再会をしたのに、隊に歓迎をしてくれたのに、友人としての時間はまともに送れないままに、今度は彼女が姿を消してしまった。
 声がだんだんと切羽詰まってきて、彼女が一度言葉を切ると、石のようだったレトの身体が、ようやく動きだした。緩慢に首を回して、包帯を巻いた手を見下ろす。そして、重い口を開いた。

「……いない。たぶん、俺たちは見つけられない」
「どうして……」
「知らねえよ」

 木の葉が渦を巻き、そよ風に解かれて、静かに二人の足元を吹き抜ける。木の葉たちはたちまちに、ばらばらになって、夜よりも遠くへ運ばれていく。

 ロクとさんざん言葉を交わしてもまだ、レトは、納得がいっていなかった。なにをすれば引き止められたのか。なにを言えば悲しませずに済んだのか。もう遅いのに、繰り返し考えてやまない。彼女と意見が食い違ったときにどうやって話をつけてきたのか、彼女が離れずに飲みこんできてくれたのか、わからなくなってしまった。
 「わかった」「ここにいるよ」と、ロクが頷いてくれる夢を毎日のように見る。目が覚めてそのたびに、ただの夢だったと知るのをもうやめたいのに、できない。
 頭に浮かんできた彼女の顔を振りほどくみたいに、レトはかぶりを振った。それから、あらためてキールアの目を見て言った。

「お前に言わないといけないことを忘れてた」
「え? なに……?」
「ベルイヴの復活のときにはおそろく、デスニーも俺たちの前に姿を現す」

 ロクのことで頭がいっぱいだったキールアは、ベルイヴ、という名前を飲み下すのに時間を使ってしまった。はっと目を瞬き、言葉を返す。

「ロクが言ってた、ベルイヴっていう神族の話……? どうして、デスニーも一緒だって……」

 キールアから視線を外して、レトは、周囲を見渡した。閉じた店の看板であったり、吹く風に踊る木の葉だったり、静かに佇む街灯だけが目に入ると、静かに告げた。

「キールア。お前にはもう話したから言っておく。──デスニーの呪いが進行してる。いまはまだ、なんとか動けるけど、そのうち俺は動けなくなる」

 大きく目を見開いて、キールアは息を止める。彼女の二つに結わえた髪は、風にさらわれてさらさらと泳ぐのに、彼女の重心は重りのように固まってしまう。

「……」
「あと一年だ。来年の年の暮れまでにデスニーを殺せなかったら、俺は呪いで命を落とす」
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.196 )
日時: 2025/11/15 10:49
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第178次元 刻一刻

 頭ではわかったつもりでいた。けれど、呪いが進行しているとはっきり言われてしまえば、キールアは言葉にならない焦燥感を覚えた。
 呪い、とは──たしか、レトヴェールの母も患っていたという命の期限を決めてしまう呪いだった。神族デスニーがレトにかけたその呪いは、期限が近づけば近づくほど、身体が衰弱していき、ついには命を落とす。キールアは、レトの母であるエアリス・エポールの様子を必死に思い出そうとしていた。記憶の中の彼女はいつも朗らかに笑っていたが、年を追うごとに瘦せ細っていった。キールアの母、カウリアは、エアリスがよくなるようにと薬を処方していたが、結局呪いの力には及ばなかったのか、彼女は亡くなったという。
 ちかちかと目を瞬かせたあと、キールアは、声を震わせて言った。

「……それは……わたしが、どれだけ次元の力を使っても、遅らせたりすることが、できないんだよね」
「ああ。おそらくは」

 『癒楽』の次元の力でも、治すことや進行を遅らせることはできない──そのはずだ。それができるなら、カウリアがとっくにやっているのだ。次元の力でも治せなかったから、カウリアはひたすらに調薬を続け、あらゆる知識を尽くして、友人を救おうとしたはずだ。
 でも、救えなかった。力になれそうな手立ても思いつかない。そのもどかしさに胸を痛めたキールアは、しかし、自分よりもレトのほうがずっと苦しんでいく事実に直面して、つい本心を口走ってしまった。

「それじゃあ……レトくんがこの先、戦いを続けても、続けなくても、日を追うごとに苦しくなるなら、わたし……。た、戦ってほしく、ないよ」

 エントリアでの戦いを終えて、首の皮が一枚繋がったような状態で帰ってきたレトはそして、謹慎の処分から解放されたと思えばさっそく隊服を着ていて、腰元には空の鞘をぶら下げている。キールアはそんな彼を見ていて、心配でたまらなかった。この先も彼が戦いを続けていくのなら、きっと心配と安堵を繰り返す。そして呪いが進んでいくにつれて心配のほうが嵩んでいくだろう。ならいっそのこと、彼が自ら危険な場所に身を置こうとするのを、もう止めてしまいたかった。

「キールア、それは」
「ほかの人に任せるじゃ、だめなの……? デスニーを見つけて、だれかに倒してもらって、それを待つじゃいけない? どうしても戦わなくちゃだめかな? ロクもいなくて、レトくんまでいなくなったら、わたし……生きていける自信がないよ……っ」

 堰を切ったようにキールアは言って、すぐに、はっと顔をあげた。それから、レトがなにかを言う前に、慌てて続けた。

「あ……ご、ごめんなさい。わたしの、ことじゃなくて……。レトくんのことが……」
「わかってる。だから、そうならないようにもっと真剣にデスニーを探すよ。できるなら俺が奴とけりをつけたいからな。あのままで終わってやる気はない」
「レトくん……」
「あと、いなくなるつもりでもいない。そもそも……」

 言いかけて、ふとキールアの目をまっすぐ見てしまったレトは、目を逸らした。そのまま踵を返し、歩き出す。

「いや、なんでもない。はやく帰るぞ。……いや、俺がお前を、呼びつけたようなものだったか」
「ううん」

 キールアはふるふると、首を横に振った。もう背中しか見えなかったが、彼の纏う空気は冷たいばかりではなくなっていた。


 作業場で援助部班員らともめたことがセブンの耳に届いて、レトの仕事は北の警備一本に絞られた。もとより現場の復興作業はほとんど終わりが見えていて、昨日で任が解かれる予定だったのでちょうど引き上げと重なったとも言える。が、各地の避難所での手伝いまで取り上げられたのは、どこにでも此花隊の隊員が配置されているためだ。セブンは、レトがまた騒ぎを起こさないとは信用しきれなかった。
 「行動にはくれぐれも注意をするように」と再三釘を刺したが、レトはうんともすんとも返さず、横柄にも黙ってセブンの執務室をあとにした。

 そうして執務室を出たあと、レトがつかつかと廊下を歩いていると、曲がり角からぬっと影が飛び出してきた。咄嗟が利かず、レトはその人影とぶつかってしまった。
 自分よりも随分と背が高い影とぶつかったので、男だろうと思い顔をあげたレトは、目の前でおろおろしているその人物を見て目を丸くした。
 背中を丸めて、心配そうにこちらを覗きこんでいたのは、真新しいめの黒い隊服を身に纏った女だった。

「す、す、すみません……! あのあの、ええと、どどどこかお怪我などは……!」
「してない」

 きっぱりとレトが応えると、女は胸を撫でおろし、大げさに安堵をした。
 レトは彼女の姿をまじまじと観察した。黒い隊服の着用を義務づけられているのは、副班長、班長、そして隊長補佐のうちいずれかの任を与えられている隊員である。隊長補佐はセブンが下りてから席を空けたままだ。つまり、戦闘部班以外の部班の副班長か班長だろうが、ハルシオ・カーデンを除く全員の班長の顔をレトは知っている。そしてハルシオは男という噂だから、つまりは副班長の者だろう。さらに言えば、援助部班も医療部班も絶賛大忙しでカナラを駆け回っている。こんなときに呑気な足取りで廊下を歩けるのは、実情をよく知らず動きの鈍い研究部班か──、とレトはそこまで考えて、あることに思い至った。

「あんた……研究部班の副班長か?」
「えっえっ、なぜお分かりに?」
「あそこの副班長の顔は全員知ってるが、だいぶ前にまとめて処分されたはずだから、新しい黒の隊服を着ているのは、そこで代替わりがあったからだと思って」
「…………ああっ!」

 女はなにかにぴんときたらしく、大きな声をあげた。レトはその声に驚いてびくっと肩を震わせた。

「なんだよ」
「ああ、もしかして、あなたがレトヴェール・エポール様ですか!?」

 さらに背中を丸めて、女は興奮した様子で、ずいと顔を寄せた。レトが反射的に身を引いて、ついでに気のほうも引いているのをまるで意に介さず、女は続けて謝罪の言葉を述べた。

「その説は、我々の部班が、ご迷惑をおかけして……」
「俺はべつになにも被ってないけど……」

 以前、研究部班の旧副班長らが、次元師増加実験などという怪しい計画を進行し、そのうえさらに闇商人と手を組んだことが、戦闘部班の班員たちの調査によって明らかになった。隊には内密にしてそれを断行した三名の隊員は、責任を問われ政会へと送検された。最たる被害者は、実験によって身体の不自由を余儀なくされた元隊員らと、最後の被験者として手に入るはずもない帰らぬ父の力を渇望し、利用されていた少年ナトニ・マリーンだ。レトはどちらかというと、鼻につく物言いをしていたあの開発班の副班長を義妹が殴り飛ばしたので、それでむしろすかっとしたほうだ。
 班長不在のまま副班長らも全員が席を空けてしまい、研究部班の内側は当時、それはもう大変に荒れていたらしい。そして急いで副班長の階位を任命された者のうちの一人が、この背が高く、頬にそばかすを散らした女、ユーリ・ファンオットだった。
 ユーリは、暗い印象を受ける顔立ちに得意げな笑みを浮かべて言った。

「ですが、もうご心配には及びませんよ。もうじき、ハルシオ班長が長期の任務から帰ってこられるんです。きっと、我々、新たな副班長一同に、厳しく指導をしてくださるに違いありません」

(ハルシオ……)

 優秀な研究者で、実力一つで班長の階位にまで登り詰めたと人づてに聞いているが、本人に放浪癖があるのか、はたまた人付き合いが極端に苦手なのか、なかなか表舞台に出てこない人物としてレトの中では印象づけられている。なぜか、東の森の奥深く、辺境の地にあるノーラ村にまで足を運んだこともあるらしいが──。
 レトが黙々と考えはじめたところへ、ユーリが次に言葉を放つ。そのとき、彼の眉がぴくりと動いた。

「神族ハルエールは失踪してしまって、会えなくなってしまったので、彼は残念がりそうですが……」
「……会いたがってたのか?」
「あ……お、おそらく? ですが。ハルエールのことは、伝えなければいけなかったので、ひとまずお手紙でお知らせをしたんです。ああ、もちろん、ハルエールのことは最重要機密ですから、手紙には細工をしましたよ。特別な手法でしか読めないように……。そしたら、珍しく、半月も経たずにお返事がかえってきまして……! すぐにカナラへ向かうと。これはさすがの班長も、神族にはお目にかかりたかっただろうなと、勝手ながら推測を」

 ユーリが早口でまくし立てているのを意識半分で聞きながら、レトは、心の内でかぶりを振っていた。反射的に反応してしまったがそもそも次元の力の研究者であれば、それと対成す神族に興味があってもおかしくはないし、研究者という生き物は興味関心で命を動かしているといっても過言ではない。
 だから、ロクアンズに関心があるとは言い切れない──。そのはずなのに、どうにもレトは、胸中が落ち着かなかった。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.197 )
日時: 2025/11/29 21:32
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第179次元 或る記録の番人Ⅰ

 見慣れない顔がカナラの仮拠点の門を叩いた。身分証を検めた警備班の班員は、珍しい人物を目の当たりにして思わず、身分証とその男の隊服とを往復して眺めてしまった。ぼんやりしていると、戦闘部班の班長室の場所を訊かれて、警備班員は慌てて答えた。そうして中へ促したあとも、建物の中に入っていって見えなくなるまで、鈍い銀の髪と細く高い上背を目で追いかけた。
 物珍しげにしていたのは門番だけではなく、廊下ですれ違えば隊員たちはだれもが振り返った。
 無理もない。隊服に金の肩飾りを提げているのは隊長と副隊長を除き、四部班の長を務める四人の班長のみで、そのうちの一人だけ顔を知らないという隊員の数は圧倒的に多い。
 ほとんど足音を立てず、さながら幽霊のように静かに書斎を目指していると、階段の踊り場で二人の人間が話をしているのをちょうど見かけた。

「エントリアにやってきた二人に挨拶をしたあとですが、こちらも注意深く観察をしていました。ニダンタフ班長から厳しく監視せよと言いつけられておりましたから。しかし、にわかには信じがたいのですが……目撃した班員によれば、「さきほどまでフィラ副班長と会話をしていたのに、忽然と姿を消してしまった」と。まるで煙に巻かれたかのような、不可思議な光景をたしかに見たと強く発言しております」
「フィラ副班長から直接聞いた内容と相違がないということだね。彼女が逃亡を手伝ったかと思ったけれど、君たちが見ていてくれたのなら、違うだろう。もっとも、心情を操る能力が君たちのあずかり知らぬところで行使されていれば、だれも真相は掴めないが……これについての言及はよしておこうか。君たちは引き続き、エントリアの警備と巡回を。まだ元魔がいる気配はあるかな」
「いいえ。半融合した飛竜の元魔を見たのが、最後です。それからは、まったくありません」
「わかった。報告ご苦労様」
「は。持ち場に戻ります」

 胸飾りのない黒色の隊服を着ている副班長らしき男が、一度礼をして下がる。階段を下りてばっちりと目が合えば、その目をまん丸にして、副班長の男は階段の途中で足を止めた。その脇をすり抜けて昇っていくと、足音に気がついたセブンが顔をこちらに向けた。

「……これは。本日ご到着でしたか。お久しぶりです、ハルシオ・カーデン班長」
「はい」
「立ち話もなんですから、私の執務室までご一緒願えますか。この屋敷の書斎の一つを借りていましてね。あくまでも仮の拠点ですので、片づけはあまり……まあ、私は、もともと片づけが苦手なものでして。エントリアの本部にいたときから執務机周りの様相は変わっていなくて、逆に落ち着いていたりして」

 セブンは手帳をぱたりと閉じ、ハルシオとともに一階へと下った。当たり障りのない話をしながら書斎へと向かっていくセブンの半歩後ろを、ハルシオは静かについていく。
 拠点内では隊員が小走りになって歩いていて、多くの隊員と何度もすれ違う。見ていればだれもが、早口で用件を伝えてはすぐ姿が見えなくなる。のんびりと静かにしているハルシオは場違いなようで、つい口を開いてしまった。

「お忙しいところに立ち入ってしまい、申し訳ありません。監督者として私が不出来ですので、ファンオットには大分不便をかけています。彼女にはどうか、ご容赦を」
「ああ、ユーリ副班長ですか。彼女はよく働いてくれていて、こちらも助かっていますよ。カナラとエントリアを一日に何度も往復しているそうで、大変研究熱心な部下だとお見受けしました」
「それは、喜ばしいことですね。本人にも、伝えておきます」
「はは。ええ、ぜひ」

 書斎に案内したあと、お茶の用意のために外したセブンが部屋に戻ってくると、ハルシオが腰もかけずにまだ入り口の近くでぼうっと立っていた。部屋の中央には長机とそれを挟む革製の腰掛けとがあるので、セブンはそこへ座るよう促し、机の上に茶器を並べた。
 まずは固い空気を砕くべきかと、セブンは世間話をするかのような柔らかい物腰で話題を振った。

「近頃、研究のほうはいかがですか。たしか……五年前に本部でお会いしたときには、次元の力とその扉の実態について調査中だとお話されていましたよね。それと、半年ほど前だったかな。定例会で提出された報告書に目を通しましたが、随分と興味深かった。次元の扉は、それぞれが互いに繋がりを持っているとか」
「ええ」
「差し支えなければ、現在の詳しい研究状況をお聞きしても?」

 セブンも向かいの腰掛けにもたれて、淹れたての紅茶を口に含んだ。目の前のハルシオが、茶器のふちで唇を濡らすくらいに小さな一口を嚥下する。

「構いません。わかっているのは、次元の力同士が、共鳴性を持っている可能性があるということです。次元の力というのは当人以外には扱えません。個人が持つ元力の質と、次元の力とが一本の糸のように結びついているためです。しかし、元力の質、というのは……その本質は、物質であるのか概念であるのか、どちらとも言えません。開発した通信具に使う元力石……つまり高濃度な元力質は、次元師当人と血の繋がりを持つ者でも、扱える。これについて私は、血縁の結びつきが条件だと考えていましたが、最近の調査で、それだけではない可能性が新たに浮上しました」
「というと?」
「訪れたある農村で、血の繋がりのない二人の次元師に出会ったのです。一人は村の生まれで、もう一人は外部からやってきた旅人の息子でした。彼らは、幼いときから次元の力を磨き、互いに高め合ってきた。一人は八元質の一つ、風を自在に操る『風皇ふうこう』を持ち、もう一人は『凪槌なづい』と呼ばれる槌を扱います。ある日、村の畑を狙ってやってきた大猪を退治しようと二人が畑に出てきました。しかし、風を操る次元師は、体調が優れなかったのか、後ろに控えていました。そうして、槌を持った次元師が技を振るいかけたとき。『凪槌』に奇妙な風が巻きついたのを見ました。風の次元師は技を発動していないのに……まるで、二つの次元の力が、合わさったかのような光景だった」
「……他者の次元の力に、自らの次元の力が影響したと?」

 次元の力が、ほかに干渉する──とは、セブンも聞いたことがなかった。もたれていた背が自然と伸びて、彼は気づかないうちに前のめりになっ真摯に耳を傾けていた。
 ハルシオは頷くとも、首を振るともせず、淡々と続ける。

「私は、他者の意思が、自らの意思と重ね合わさり、それにより"各々が持つ次元の扉が互いに向けて開かれたのではないか"、と考えています。次元の力は、意思ひとつで生まれて、意思ひとつでいかようにも変化する。しかし、意思にも質がある。すこし逸れればすれ違う。元力石の話に戻りますが、この意思は、血縁者であればあるほど、生活環境、社会の見え方、思考の持ちようが似てくるがゆえに、合わさりやすく、元力石にも意思が通りやすい。ただそれだけではなく、纏う雰囲気や胸に持つ意思が似た者たちが揃うことでも、元力は互いに共鳴する」
「それによって、次元の力の強化は期待できそうですか」
「まだ、そこまでは。しかし、村にいたその二人の次元師にはもちろん師たる人間もなく、まだ十二ほどの幼い少年でしたが、繰り出された技の質は少なくとも、五元の階級を満たすほどだったかと」
「訓練をしていても五元の階級に辿り着くには時間がかかる。二つが合わさったことでより大きな力へと変化をしたのなら……我が戦闘部班の次元師たちも、まだまだ力をつけられるわけだ」

 セブンは笑って、小さく頷いた。

「ありがとうございます。あなたの研究が、ひいては彼らの成長にも繋がっています」
「最前線で戦い、日々次元の力の可能性を開いていく次元師たちに比べれば、私のしていることなど、微々たるものです。先日の、エントリアでの戦いについては、話を伺いました。犠牲者は多く……しかしながら、神族に立ち向かってくれた次元師たちが、一人として欠けていないこと、大変喜ばしく思うとともに、彼らの強さに敬服するばかりです」

 ハルシオはいっぺんも表情を変えることはなく静かな声色でそう言った。細身で背が高く、物静かな彼は、見た目から受ける印象でいうと人を寄せつけない雰囲気を持っているが、言葉の端々から上品な丁寧さが伺える。セブンは、以前彼に会ったときには、貴族の生まれかと勘違いしそうになった。鈍い銀の髪やその色の瞳自体はそれほど珍しくないので、見た目からでは出身地が推測できなかった。挨拶のついでに生まれはどこなのかと訊ねてみたら、聞いたこともないような山の奥地の、傾いた家の軒下にうじゃうじゃと蛇が湧くような小さな集落──とも呼べるか怪しいほどの過疎地──の生まれだと答えられた。セブンは、ベルク村もたいして変わらなかったような記憶を思い出して、勝手に親近感のようなものを覚えていた。
 話をすればするほど、貴族を相手にしているかのような気品があるのに、まるで天然の植物かのような素朴な男でもあるとわかって、セブンは大分彼に興味を持っていた。それに、此花隊でもっとも華がある研究部班の長でありながら、滅多に人前には姿を現さず、知識をひけらかす素振りもない。そういった透明度の高さにも惹かれていた。
 ──この男にならば、もしかしたら。
 セブンは紅茶に口をつける間にあることを考えて、茶器を受け皿に戻すと、立ち上がった。執務机まで歩いていった彼は、振り返らないまますこしだけ声を落として、ふいに切り出した。

「ハルシオ班長。お伺いしたいことが」
「なんでしょうか」
「"空白の歴史"について研究されたことは」

 二百年前の、神族の顕現と襲来──その真相について"不自然なほどに手がかりがない"ことから、神族に関する歴史の研究者たちはそれを「空白の歴史」や「開かずの真相」などと呼んで、それを解き明かそうと今日もメルギース各地を歩き回っている。
 ハルシオも研究者だ。次元の力だけではなく、神族の歴史に手を出したこともあるかもしれない。思った通り、彼は小さく頷いた。

「多少は。研究者ならば、だれもが一度は手を出す分野かと思います」
「であれば……この本の内容の信憑性を検めていただきたいのです」

 セブンは執務机の引き出しから、紐で留められた分厚い紙束を取り出すと、それをハルシオから見えるように持ちあげた。

「それは?」
「神族ハルエールが書き記した、二百年の歴史についての文書です。彼女は、ここにすべてを書いたと言っていた。しかしながら、我々は空白の歴史についてまったく見識を持っていません。安易にこの文書に目を通せば、内容に引っ張られる可能性があり、正誤の判断がつかない。だから、この次元研究所の研究部班の班長であるあなたに、これを任せたいと考えています」
「……」

 紙束を片手に持ち、セブンはハルシオの向かいの腰掛けに戻ってくる。そして紙束を長机の中央に置いた。

「ただし、二度目になりますが、くれぐれも内容の取扱いにはご注意ください。引き受けていただけますか」
「わかりました。少々、宛がありますので、またご報告をいたします」

 ハルシオは承諾して、紙束を受け取った。彼が手に取って、それの表紙を眺めているのを見つめながら、セブンは申し訳なさそうに眉を下げた。

「ハルエールについては、申し訳ありません。あなたと会話の機会を、と思っていたのですが、つい先日任務中に失踪してしまい。捜索を続けていますが、足取りが掴めていません。お恥ずかしい限りです」
「……左様ですか。それは、残念です。ならば、彼女が残したという、この文書と対話をすることにします」

 そう言って、ハルシオが腰掛けから立ち上がったので、セブンも合わせた。部屋の扉の前まで向かいながらセブンは訊ねた。

「しばらくはカナラに滞在を? ご要望があれば私に言ってください。すぐに用意を」
「ああ、では……。レトヴェール・エポールという少年はどちらに」

 セブンは足を止めかけたが、目をしばたくだけに留まった。そして部屋の扉を開けてから答えた。

「レトヴェールなら北部の巡回を任せています」
「巡回?」
「ええ、近頃は元魔の発生が相次いでいましてね。神族クレッタの影響かと思いますが。そのためいま、街の各地に次元師を配置しています。いろいろあって人員不足なので、畏れ多くも、副隊長まで現地にいらっしゃいますよ。各地で宿の一室を借りていて、そこで休息をとらせていますので、その宿でお待ちいただければ早く会えるかと」
「そうですか」
「ただ、いまは……。少々、彼の気が立っていましてね。あなたに対して失礼な態度をとるようなら、ご報告ください。しかるべき処分を下します」

 言ってから、退室を促したつもりだったが、ハルシオは開けられた扉の前で立ち止まってしまった。
 不思議に思っていれば、ハルシオが口を開いた。

「セブン・ルーカー班長、街の巡回はおそらくもう、必要ありません」
「? それは……」
「正確には、人員を減らしても問題ありません。近頃、街に発生していたという元魔は、エントリアでの戦闘の際に生み出された産物。その生き残りでしょう。新たに元魔を生み出す余力があるのなら、すぐにでも我々に向かってくる。クレッタは、そういう性質を持っている。そうしてこないのは、クレッタがすこしも力のない状態だからです。生き残りの元魔を探しだし、駆除できる次元師が二人ほどいれば十分です。では」

 ハルシオはそれだけ告げると、扉をくぐって出て行った。セブンは考えを巡らせていたのと、呆気に取られたのとで、見送りの言葉を失ってしまっていた。
 ──彼の言う通り、カナラで飛竜の元魔が一体、エントリアで二体、大きな個体が発見されて以降は、まったく発生していない。さらには、脅威になり得ない小さな個体であれば何件か報告があがっているが、それも日を追うごとに減ってきている。ここ十日ほどは、ぱったりと目撃が途絶えている。

(ハルシオ・カーデン……。次元の力だけでなく、──本人が会ったこともないであろう神族の性質まで断言するとは……)

 託した文書にどのような見解を添えて返してくるのか、セブンは珍しく、読み切ることはおろか想像することもできず、かえって期待の念が膨らんでいた。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.198 )
日時: 2025/11/29 21:35
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)


 第180次元 或る記録の番人Ⅱ

 日に日に、道端ですれ違う人は多くなっている。避難してきて直後は、陰鬱とした空気や人の呻きや泣き声が充満していて、街ですれ違うのもカナラの住民と、此花隊の隊員がほとんどだった。いまやもう軽傷者だったエントリアの住民が動けるようになっていて、街に繰り出し始めている。しかしながら重傷を負った者はまだ深く寝台に沈み、意識不明で日がな親族に祈られている者も少なくない。
 レトヴェールは軟禁の処分が解かれてから元魔の警戒に勤しんでいるが、ある日を境に、小さな個体さえもめっきりと目撃されなくなって、違和感を覚えていた。

 営みを閉じた静かな夜道を歩き、北で一番大きな宿屋に足を向かわせるレトの考えは"彼"と似ていた。

(クレッタがなにかをしているのか? ……いや、奴が生み出してるってことは、"なにもしていない"のか)

 考え事をしていれば早く到着するもので、宿屋の軒先にぶら下がっている提灯の薄明かりが道の先に見えてきて、レトは顔を上げた。
 そのとき、背が高く細身な人影が店の外壁にもたれかかってぼうっとしているのが見えて、足を止めた。
 靴音がその人物の耳に届いたか、こちらに顔を向けてくる。そして悠長な歩みでレトに近づいてきた。薄明かりに照らされてようやく、はっきりとした。此花隊の黒い隊服を身に纏い、鈍い銀色の髪と目をしている男──ハルシオだった。
 彼は、レトの目の前までやってくると立ち止まって、静かな面持ちでレトの顔を見下ろした。

 一瞬だけ、目の前の人物がだれなのかまったく見当がつかなかった。しかし、すぐに、よく知っている男に似ているとレトは勘づいた。

「随分、大きくなったものだな」

 レトはそれを聞くと、瞳孔を大きく開いて、静止した。ハルシオは、そんなレトをよそに淡々と続けた。

「話がある。お前の部屋はどこになる」
「待て」

 さっさと宿に入ろうとするハルシオの腕を、レトはすかさず掴んだ。
 見覚えのある背丈、顔立ち。班長位に与えられる金の肩飾り。纏う雰囲気。じっくり観察して、いや、そう時間をかけずとも、さまざまに散らばっていた欠片が嫌な音を立てて合わさっていく。
 "似ている"のではない。
 かちりと、情報の欠片が綺麗に合わさって、レトの中で一つの真相と相成った。

 腕を掴まれたハルシオは、抵抗もせず、またレトを見下ろすと、彼は俯いていた。肩を小刻みに震わせている。そして問いを投げるその声は一段とゆっくりで、低かった。

「まず、訊きたいことがある。"ハルシオ・カーデン"ってのは……誰だ」

 ぐっと、ハルシオの腕を掴む力が、強くなる。
 レトの心音が、耳のすぐ傍で鳴っているくらいに昂っている。とっくに記憶の底で眠っていたあらゆる感情が一気に叩き起こされた。意を決して見上げれば、ハルシオは感情の読み取れない無色透明な表情をしていた。
 レトは動揺を隠せない眼差しで彼を見つめて、言った。

「"アノヴァフ"って、名前だっただろ。──父さん」

 ──いったい、自分がいくつのときだっただろうか。
 ぱったりと家に帰ってこなくなった、もう顔もうろ覚えになっていた父が、目の前で鮮明になった。

 船乗りだって一年に一度は家に帰ってくるし、薬売りにあちこちと出かけていたキールアの父もまめに顔を出していた。 
 幼い時分では、たとえ一年のうち一度だってうらやましかった。もう何年も父の顔を見ていなくて、レトは、父に遊んでもらった記憶はおろかなにかを教えられた覚えもなかったのだ。けれど、母がその分、寂しい思いをさせまいと相手をしてくれたし、ロクアンズやキールアもいたから退屈はしなくて、いつの間にやら父がいなくて寂しいなんてことは露にも思わなくなった。

 それなのに再会してしまった。記憶の片隅へと押しやられていた、もういない者とさえしていた父への不満が泡立って、次第にふつふつと沸く。それでなくともこのところ虫の居所が悪いレトは、余計に苛立ちを募らせ、もはや自分でもどんな顔をしているかわからなかった。

「外では話せない。だから、お前の部屋まで案内してくれと頼んでいるんだ」

 思い切って言ったつもりだったのにまるで暖簾に腕押しだ。ハルシオは──否、アノヴァフ、と呼ばれた男は、あくまでも柔和な態度で、レトにそう返してくる。
 レトは、無言で彼の横をすり抜けて、小さな木板がぶら下がった宿の扉を押し開く。静かな足取りがそれに続く。

 客室は、一人では持て余しそうな広さがあって、最低限の調度品が誂られている。部屋を借りてしばらくになるが、レトは持ちこんだ物が少ないので小ざっぱりとしていた。迎え入れられたアノヴァフは、ここでも変わらずに、居所がわからないみたいに食卓の傍なんかでぽつりと立つ。
 ぱたん、と客室の扉を閉めるなり、レトはさっそくと言わんばかりに話の続きを持ちかけた。

「……此花隊の隊員だったなんて聞いてない。いつから、ここにいる」
「……」
「わざわざ偽名を使ってるのはなんでだ?」

 疑問は次から次へと頭に浮かんで、浮かんだままを投げかける。目の前にいるのは紛れもない自分の父だが、父と過ごした思い出がほとんどないおかげで、かえって吐き出すのはたやすかった。
 レトの疑問は当然なのに、アノヴァフはしかし、まだ口を開かない。
 自ら姿を現しておいて、対話を拒否するなんて、レトはアノヴァフがなにを考えているのかまるでわからなかった。はっきりとしない父の態度に、だんだんと顔が強ばっていく。レトは――もっと冷然と戦うはずだったのが、急に、身体の奥底からもっとも突きつけてやりたい鋭い文句がせりあがってきてしまった。
 
「なんで俺たちの世話を母さん一人に任せた……? 母さんが弱っていたこと、その事情を知らないはずないだろ。母さんは、死んだんだ。その報せも送った。なのに……なのにあんたは、帰ってくるどころかひとつも返事を寄越さなかった……!」
 
 家にいないのは、もはやどうだってよかった。有事になっても家族を放っておいたこの男を、レトは本能的に父親だと認めたくなかった。けれど母親のエアリスの口から、アノヴァフへの不満の声を聞いたことはない。彼女は常に彼を信用していた。だからレトは、いくつ不満を思いついても、父を憎みきれず、信用と不信の狭間で揺れていた。

 レトがそうして、いっそう声を荒らげてすぐに、客室の扉が開いた。ちょうど夜食を運んできた年若い女給が、立ち止まってふるふると震えた。部屋の外にも声が漏れていたのだ。
 女給は、室内にいる二人のただならぬ雰囲気にあてられて、すっかり竦み上がってしまっていたが、一言断りを入れて、廊下に夜食を乗せた盆を置くと、そそくさと戻っていった。
 レトは、アノヴァフへと視線を戻す。
 おかげで、荒れていた胸中が、幾分か落ち着きを取り戻していた。レトは気を取り直して、本題を切り出した。

「答えろ。いまさら、何の用で、俺の前に姿を現した」

 責め立てているのではなく、どちらかといえば、疑問の感情のほうが色濃かった。
 だんまりとしていたアノヴァフだったが、のそのそ動きだして、食卓の椅子に腰をかける。そうして、彼はようやく口を開いた。

「そう一遍に訊くな。だが……。そうだな、いまのお前の話から、だいたいの状況を把握した」
「話すつもりがないっていうのか」
「違う。お前のたくさんの質問に答えるためには、お前が"あること"を知っている必要がある」

 アノヴァフは身体をレトのほうへと向けて、このように訊ねた。

「ロクアンズの名前の意味を知っているか」

 思考が止まったのはほんの一瞬で、すぐに、レトは持ち直して考えを巡らせた。"なんでそんなことを?"と、反射的に突っぱねそうになったのを引っこめる。それは、レト自身、一度は考えたことがあるが──答えが見つからず、忘れてしまっていたからだ。
 レトは、アノヴァフの向かいにある椅子に近づいていきながら、それを口にした。

「……なんだ、それは。名前の意味……。考えたことはある。けど、現代語にはもちろんない。古語にもそう読めそうな単語はなかった。歴史人にもいない。地名も違う」
「ならばまだ調べが浅いだけだ」
「それを知ったら、なんだ。あんたは、さっき俺が訊いたことに、すべて答えるのか?」
「ああ。ただし」

 アノヴァフの目の色が途端に変わった。レトは、その視線の切っ先に刺され、息を吸うだけのわずかな身動きさえも取れなかった。

「レトヴェール。エポールの血と名を継いだお前は、覚悟を持って知らなければいけない。この道の先には、味方にも敵にもなる人間と真実がいて、いずれお前から自由を取り上げる」

 この道の先──。

 どくりと、心臓が反応する。ロクアンズも言っていた、「この道の先に私は行く」と。たまたま文字列が重なっただけの、偶然の産物なのに、レトは心の中で何度か反芻をした。
 ロクが歩もうとする道が、仮に神族として生きる道だったとして、その延長線上でふたたび出会うためにはどうしたらいいのかを考えていた。
 そして、その答えがもしも、アノヴァフの示す"この道"──エポール旧王家の血を継ぐ者という特殊な視線の先にあるとしたら。結果、正しくても間違っていても、一つを信じて歩きだしてみないと、どちらかなんてわからない。

 レトがなかなか反応を示さずにじっとしているので、アノヴァフが口を開きかけると、短い返事がかえってきた。

「わかった」
「素直に頷くのか。俺が言うことではないが、突然現れた男の言葉だ。お前は、俺を疑ってもいい」
「じゃあなにをしに来たんだよ。そもそも俺は、まだあんたを父だと思えてない。あんたを選んだ母さんを信用してるんだ」
「そうか。それでいい」

 それに、アノヴァフには言っても仕方ないが、レトが素直に頷いたのはロクとの別離によって、思い悩んでいたからだ。班長はロクに対し信用に足らないの一点張りで聞く耳を持たず、当の本人からは一方的に別れを突きつけられ、よその班員たちには好きに言わせて、仕事の自由もなく与えられた任務を言いつけ通りにこなす日々だった。思い返せば、もうしばらく、自ら動こうという気概を失っていて、それではいけないとわかっていながら、動いていなかった。これもまた他人から示された道に変わりはないが、答えを探しにいけるだけで、レトの気の持ちようは随分と違っていた。
 アノヴァフは小さく頷いた。

「……では、名前の意味がわかったら、俺のもとへ来い。しばらく拠点に滞在する」
「ああ」
「……」
「……まだなにかあるのか?」
「いや、ない。邪魔をした」

 アノヴァフは椅子から立ち上がると、扉から廊下へ出て行った。部屋が静かになって、ぼうっとしかけたレトは、はっと夜食の存在を思い出した。廊下では丸く太ったパンと、野菜のスープが盆の上で冷えかけていた。
 せっかく引き上げたのに口に運ぶのもそこそこにして、レトは食卓の椅子に座ってさっそく思案に漬かろうとした──が、すぐに、やめた。この部屋には本の一冊も持ちこんでいなくて、調査には不向きなのだった。


 翌日になっても変わらずに巡回の仕事があるので調べ物をする隙はない。どうしたものかと頭の片隅で考えながらも真面目に仕事を終えて、夕刻に宿に戻ってきたレトは、看板の前でばったりと此花隊隊員に出くわした。横をすり抜けていこうとするレトをその隊員が引き止めるので、しぶしぶ従うと、隊員は告げた。

「セブン・ルーカー戦闘部班班長より伝令。任地より引き上げ、拠点へ帰還とのこと」
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.199 )
日時: 2025/11/30 20:34
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第181次元 或る記録の番人Ⅲ

「ハルシオ・カーデン班長から、君を"しばらくの間貸してほしい"と頼まれたよ」

 呼び出されて仮拠点に帰還してみれば、書斎にいるセブンが執務机に張りついていて、顔も上げずに彼は、レトヴェールにそう言い渡した。視線だけでなく、心なしか声色も沈んでいるようにレトには聞こえた。レトは黙って、話の続きに耳を傾けた。

「いま取りかかっている研究で動ける次元師が必要だそうだ。それの協力要請でね、たしかに彼はいま次元師の新たな可能性を探っているところらしい。それに彼には先日、警備について指摘を受けてね。意見がもっともだったので、次元師は手が空かないとも言えなかった。まさか最初から君を使うつもりで、あのような指摘をしたのかな。まあいいのだけれど。なぜ君なのかと訊ねてみたら、以前の、次元師増加実験で地下の場所を探し当てた君の思考力に関心を持ったと言っていたよ。ハルシオ班長は、あの支部を留守にして長かったから、地下室の存在を知らなかったらしい」
「はあ」

 レトは、丁寧に体裁を整えたものだなと、ハルシオ──本名、アノヴァフに感心を返した。次元の力の研究への協力要請とすれば戦闘部班の班長も耳を貸さざるを得ないだろう。加えて、研究内容を一部打ち明け、警備の指摘をすることでセブンへの説得力を嵩増し、見事に要請を受け取らせている。研究への協力要請とは表向きの、いわば言い訳だ。ハルシオは、レトがロクアンズの名前の意味を調べるための環境を整えてくれたらしい。
 おもむろにセブンは立ち上がって、部屋の壁に立ち並ぶ書棚のひとつへ向かう。探している本があるのか、目はうろうろと動いているのに、手元は疎かで、書棚に手を伸ばす素振りはない。あっちへこっちへ移動して忙しないので、レトはそれを目で追いかけながら訊ねた。

「よく引き受けたな」

 それにしたってあっさりとしすぎている気がして、不思議だった。するとセブンの指先がぴくりと跳ねて止まった。それから彼は振り返らずに、質問を投げ返した。

「……。"騎盤"というものを、君は知っているかい?」
「騎盤? たしか……二百年以上前からある、卓上で複数の駒を動かして敵陣でもっとも位の高い駒を奪い合う遊戯。貴族たちの間で、娯楽の一つとして流行ってたもんだって、本で読んだことがある。もう正しい遊び方を知っている人間は少ないだろう。だけど、当時製造された騎盤の卓台やら、駒やらは貴族が職人に頼んで作ったものが大半だから、材料から意匠に至るまでかなり高価な代物で、希少価値が高い。いまじゃ貴族たちは、自分の一族がどれだけ金を持っているか、くだらない資産争いのために、騎盤を物差しにすることもあるらしいな」
「ご名答」

 くるりとセブンが振り返ると、彼はその手に騎士を模した駒をつまんでいた。それを卓台の上に置かれた、駒を収納する木箱の中にしまって、卓台ごと持ちあげた。革張りの椅子に挟まれた低い机の上に卓台を置くとき、セブンは慎重になっていた。そして重い音が鳴ったので、よほど純度の高い金で作られていることがわかった。さらに側面に掘られた意匠も細かく、職人の腕の良さも一級品だ。木箱からふたたび取り出された駒は木製らしく、白色と黒色の二色があった。駒も、思わず感嘆の声がこぼれてしまいそうなほど形が立派で、削りの仕事がいいのか色むらもない。

「私があまり乗り気でないのを察してか、彼が持ちかけてきたんだ。棚に置いてあったこの騎盤を指して、勝負をして勝てたら君を貸してほしいとね。さすがと言うべきか、彼の記憶力には恐れ入ったよ。私はね、たしかに騎盤の遊び方を父に教わっていたから知っているという話をしたんだよ。けれど、その話をしたのは一度だけだし、十年以上前だ。よく覚えていたよね」

 木箱から取り出された駒たちが、盤上に並べられる。片側には白い駒の軍隊がそびえ、もう片側には黒い駒の軍隊が構える。実物を見たのが初めてになるレトは、すっかり夢中になってしまって、並べられた駒をじっくりと交互に見比べている。盤上は、格子状にわずかに削られていて、一つの枠に一つの駒が収まっていた。駒の軍隊の中心には、ひときわ大きくて、美しいドレスを纏ったような形の駒が周囲の駒たちに守られている。

「そいつで、負けたのか」
「ああ。いいところまでいったと思ったら、隙をつかれて……。いいや、正直に白状するよ。最初から負けていたんだ」

 悔しさからだったのか、沈んだ声でセブンは言って、勝負の流れを思い出しながら、白色と黒色の駒を順番に動かしていく。白の駒を使っていたのがセブンで、黒の駒を使っていたのがハルシオらしい。

「この遊戯は国に見立てられていて、両陣はそれぞれ一つの女王の駒を持つ。女王の両脇には、屈強な騎士が二人控えている。この二体の騎士は強力で、相手の注意を引きやすいんだ。だからふつう、どちらか一方は囮に使われる。人間の心理では、利き手のほうが動かしやすいからね、もし右利きの人間なら、左の騎士の歩みは疎かになりがちだ。だから途中まで右を泳がせると見せかけて、気づかれぬように主力の右の騎士を包囲し、潰してやる算段だった。しかし……いや、いま思い出してもぞっとするよ。思った通り右の騎士を制圧し、確実に殺せたと思っていた。けれど終盤になって、突然、息を吹き返した」

 白い兵たちに囲まれていたはずの黒い騎士が、終盤に差しかかったあたりで、ふいに味方の駒と繋がりだした。詳しくないレトも、その瞬間にはぞっと背筋が凍った。黒い兵と騎士に挟まれた白い兵たちが次から次へと死んでいき、白い女王への道が見えてくる。

「わざと奇襲を受け、死んだように見せかけた、というべきか……。彼は騙しの天才だ。まんまと我が陣の女王陛下の首をかっさらわれてしまった」

 白い女王の御前にやってきたのは、はじめ左側に立っていた黒い騎士の駒だった。起死回生を果たした黒い騎士は、派手に動き回ったあと、最後に相棒へと橋渡しをすると、今度こそ本当に白い兵たちに殺されてしまった。しかしもはや問題はなくなっていた。残った左の黒い騎士が、鮮やかに白い女王の首を斬り払った。 ──かのように見えてしまったほど、レトは息を呑んでこの激しい戦況を傍から見守っていた。
 セブンが、白い女王の駒を横に倒して、何度目かのため息を吐きながら言った。

「というわけで敗戦国となったので、要求を呑むことにした。研究の成果を期待しているよ」
「……ああ」
「それと」

 セブンは執務机に向かうと、机の端から落ちそうになっていた茶封筒を持って、それをレトに差し出してきた。茶封筒はところどころ繊維がはみ出していて、手作りなようだった。

「これは、懐かしい元同胞から君宛に、昨日届いたものだ。君をここへ紹介してくれた、元援助部班警備班のルノス・レヴィンからのね」

 ルノスとは、北東の山奥の僻地にあるネゴコランの洞窟を抜けた先、ノーラ村という小さな村で偶然にも再会して以来だ。わざわざ手紙を寄こしてきたのは、単なる文通のためではないだろう。レトは、茶封筒を受け取った。

「手紙にしては分厚いね。そういえば、彼になにか頼み事をしていたのだったかな」
「……」
「失礼いたします」

 扉が数回鳴らされて、がちゃりと開けば、その隙間から警備班の班員が顔を出した。班員の男は畏まって入室すると、セブンに礼をして言った。

「セブン班長、出発の準備が整いました」
「わかった。すぐに出るよ」

 セブンが片手を上げて返すと、班員はまた礼をして、扉を閉めて出て行った。セブンが執務机の上で手荷物をまとめだす。そして腰掛けにかけられていた外套を取って、袖を通した。

「これからどこかに行くのか」
「ラジオスタンにね。しばらくここを空けるよ。神族【BELEVE】の再臨に備えて緊急対策本部が立てられようとしているんだ。すでに多くの人間が動いている。おそらくハルシオ班長のもとにも、ベルイヴの居場所を突き止めるよう指令が下っているだろう。いまは政会、此花隊、そして諸領地の領主らが共同調査中だけれど……ゆくゆくはどこかが最高司令部に据えられる。どこが責任を持つかで揉めているんだ」

 ロクの口から語られた、神族ベルイヴの復活の件はすでに政会にも報告が回っており、諸領地の領主らの耳にも届いている。【NAURE】、【IME】、【CRETA】と立て続けに神族が顕現し、大多数の人間に目撃されている状況下では、ロクの話を無視することができないと判断された。緊急対策本部は、政会、此花隊、諸領主ら、各組織によって早くも結成を目前として、ベルイヴの復活によって起こる事態を各所が想定し、そして最終的にはベルイヴやまだ生存している神族の討伐を目標として掲げている。
 関係する組織が複数あるために、一組織を最高司令部とし、総括する必要があった。しかし神族の掃討は国の悲願である。この戦争の責任を持つことは国の英雄となる権利を獲得するのと同義だ。ゆえに、直接口にする者はいないものの、水面下では責任のありかを争っているのである。

「そんなくだらないことで揉めてる場合かよ。戦線に立って命を削るのは権力者じゃない。次元師だ」
「僕も君の意見に賛同だが、これはとても重要のことだ。領主らはともかく、政会に司令部を置くわけにはいかない。彼らが、次元師を奴隷のように扱うのが目に見えている。いかようにして我々此花隊が獲得すべきか、考え中だ。……君の意見を仰いでも?」
「そういうのはあんたか隊長の仕事だ」
「では、君は君のすべきことを」

 セブンはそう言うと、外套の裾を翻し、扉から出て行った。

 執務室をあとにしたレトは、じっくりと読み物ができる場所を探した。仮拠点内部の部屋はどこも使われているし、街の貸本屋も療養施設と化している。仕方なくレトは、仮拠点まで帰ってきて、裏手に回ってみた。家主のイルバーナ貴婦人らがひっそりとした茶会を楽しんでいたのであろう、豪奢な丸い茶卓と腰かけとを見つけて、卓上に茶封筒を置き、骨組みの細い椅子に腰を下ろした。
 傍には立派な木が聳え立っていたので、木漏れ日が、ちらほらとレトの前髪に落ちた。

 茶封筒の中には、ぎっしりと紙が詰まっていた。どれも文字で埋め尽くされている。意外にもルノスは字が綺麗で、見るたびに驚いてしまうほどだが、コルドと同僚だった時期に教えてもらったのだと、村で過ごしたあの夜に、嬉しそうに語っていた。
 紙は重ねられて、それが束になって折りたたまれていたので、茶封筒から取り出して広げればすぐに前文が目に入った。

『天才師匠の弟子レトヴェール、ロクアンズへ。よう、元気に過ごしているか? 俺は真面目に村の警備をして、鹿を捕まえて、木の実の蜜漬けを村人に振る舞って、いい気分で過ごしている。でも、あれだな。村の若い女の子たちは立派に貞淑で声をかけるのもおっかない。手紙を出しに外へ出るついでに、そろそろ女の子と遊ぼうと思う』
「まさか、単なる文通じゃないだろうな」

 紙面に入れた突っこみは墨の黒い文字に吸いこまれる。
 じとっとした視線を紙面に這わせていると、やがてレトは、ある一文に辿り着いてはっと目を瞬いた。

『ナダマン・マリーンの手記の一部が解読できた。これより下に、その内容を書き記す』

 ノーラ村に辿り着いたレトとロクが、そこで偶然再会したルノスに託したのは、元研究部班調査班にして故人ナダマン・マリーンの最期の調査記録とも呼べる──、一冊の手記だった。
 "神族は呪いを解かれると、心臓を得る"と、ルノスは最初に翻訳してみせた。
 そこからさらに解読を進めて、"なにか"が明らかになったのだ。だから手紙を寄こしてきた。レトは、喉を鳴らしてから、紙面に注ぐ視線を下へと滑らせた。


 


Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40