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† 二十の罪 “大罪のスペルビア” (中)
「魔力反応が止んだから何かと思って来てみたってのに……なんなのよ、あれ」
遠巻きに眺めてイヴが呟く。
「しばらく放置するのだ」
静観する一行。
「身も心も強い兄さんが長となり、僕は二番手に甘んじ続けるのは必然だったんだ……いや、二番手すら務まらない。弱い僕は自分を守ろうとするあまり、本当に護るべきものを見失った。目的と手段を取り違えた出来損ないの弟だ」
慇懃無礼な大天使長でもなく、先程までの宿敵でもない、誰よりも近くでルシファーを支えていた頃と同じ、優しくて少し気弱なミカエルがそこにはいた。
「たとえ出来損ないであったとしても、お前は此の世に一人しかいない我が弟であることに変わりない」
兄もまた、温かな面持ちで向き合う。その言葉は、普段の冷淡なものではなく、柔らかい声色だった。
「……たった一人の家族を突き落としてしまった……闇に落ちたのは、僕の方だったんだ――――」
「変わらぬな。やはり変わらない。お前は何時もそうであった。誰よりも正直であろうとするあまり、自分に嘘をつき、その葛藤を独り抱え込む。
他者に弱さを見せたくないのであれば見せなくても良い。然れど、家族ぐらいには頼っても良かろう。他人ではないのだ、云えば良い。苦しい時は苦しいと、辛い時は辛いと。そして――泣きたい時は、泣けば良いではないか。俺を頼れと、あれ程云ったと云うのに……まったく、兄不孝な弟よ」
俯く弟に、彼は穏やかに呼びかける。
「帰ろうか、弟よ。長い――回り道であったな」
「……甘いな。実に甘い――――」
空気を裂くようにして、敵意のこもった声が雲間に木霊した。
「えっ……!?」
驚愕する全員。それもその筈、佇んでいる青年はルシファーに酷似していた。
「――ル、ルシファーが二人……?」
刮目して見入るイヴ。
「うーん、よく見ると違うような…………」
デアフリンガーの言う通り、異なる点が有るとすれば、黒衣の代わりに藍色の装いを纏っていることと、十二枚もの翼が漆黒ではなく、ミカエルと同様に純白であることか。
「いや、間違いない。あれもご主人様だ」
ベルゼブブの見解もまた、是であった。ただ、強いて言うなら、他ならぬルシファーその者であって、傍らにいるルシファーとは別の存在だが。
「二人とも、まったく同質、同量の魔力を持っている……でも同じ時間、同じ場に両方ともいられるってことは――――」
息を呑むアザミ。
そう、悪魔たちは元を正せば天使であった。堕天した際に霊格は失われ、彼らは地獄で実体として活動している。無論、その長たるルシファーも然り。仮に、時空の彼方に霊体としての自身を置き去りにしていたのだとすれば――――
「……フッ。伊達に最強の身だけあるな、貴様――否、我が身よ」
悠然と振り向くと、容貌(すがた)を同じくする男に、彼は問いかけた。
「貴様が現世(こちら)で魔王としての力を使い、世界を歪めた故我が身が魔王になる未来が絶たれてしまうではないか」
細い眉を歪める堕天使。暫し魔王となった自分(ルシファー)を見据えていたが、ミカエルに視線を移した。
「やめ――」
ルシファーが制止する間も無く、巨大な雷が放たれる。
「うがッ……!」
胸を貫かれ、倒れ伏す弟。
「ミカエル……ッ!?」
「まあ此の忌々しき者に復讐を果たせただけでも良いとしよう。魔王ルシファーよ、かの戰で我が身を貫かれておきながらも、斯様に生温い結末に甘んじた己が愚かさを怨むとせよ。尚も異なる歴史を望むのであれば、遥かなる時空(とき)を超え、己が宿命に抗うが良い!」
高らかに宣告すると、当時(あちら)のルシファーは、外套を靡かせて影と消えた。誰もが呆然と立ち尽くす中、魔王は弟に駆け寄る。
「ごめんなさい兄さん。あなたを置いていってしまう兄不孝者をお許しください」
覗き込む兄を半笑いで見上げるミカエル。止めど無く鮮血が流れ続けてゆく。
「でも、最後に話せて良かった…………」
微笑みを浮かべた口元より、深紅の雫が滴り落ちた。
「ゆくなミカエル。お前は俺の唯一の家族と云ったであろう!」
瀕死の弟を抱き締めるルシファー。
「兄さんなら大丈夫ですよ。あなたは強いから。……この剣を。彼を止められるのは――あなたしかいません」
鞘より出でし剣を手渡し、満足気に頷くと、彼は瞼を閉じる。
「ミカ……エル…………」
震える声で糸の切れた人形のように項垂れる弟を見つめたままの後ろ姿を、居合わせた者たちは見守る他無かった。