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*26*
「……ちょっと、新しいことをやってみたくなったんだ」
澄んだ目で見つめられ、俺はごわごわと口を開いた。
星原の言う通り、俺は自分から話を持ち掛けたり友達を遊びに誘ったり、面白いギャグを言って周りの気を引かせたりすることがあまり得意ではない。むしろその逆で、出来ることならば目立たず平温に過ごせればそれでよかった。
話しかけられたら返事をする。お礼を言われたら素直に受け取る。手伝いが必要ならば出来る範囲で助ける。だけど深く干渉しない。当たり障りのない行動をとることを重視してた。
自分で言うのもなんだが、勉強も運動もそれなりに出来たから、それに満足していたんだと思う。
普通でいることが大事だと思っていた。日常の変化が怖かったんだ。
「あるときふと、つまんねえなって考えちゃって。あなたは良い子ね、成績よくて偉いねって言われて苛立ってたのもあるかも。ある日、なんか吹っ切れちゃって。ちょっと馬鹿になってみたんだ」
そしてそれが案外楽しい。
みんなが不思議な目でこっちを見る。説教されたことがなかった当時の俺は、先生の説教をゲームのイベント感覚で楽しんで、変に満足していた。
「ほお。……それで?」
「でも怒られ続けるうち、そんな自分が恥ずかしくなって、いつの間にかやめてた。ちょっとふざけて、すぐ優等生に戻ってってな感じで。それすらも疲れたから、気分かえる為に。それがたまたま高校入学と重なって」
俺は、もうすっかり色の薄くなったピンクの髪の先っぽをいじる。
前髪がまぶたにかかって痛い。今度また美容院に行かないと。
俺の話を黙って聞いてくれていた星原は、「なるほどね」と頷く。
自分語りなんて対して面白くもないだろうに、彼女はこちらが話し終わるまで口を挟まなかった。こいつの飾らない優しさに、つい泣きそうになる。
「じゃあ、時常くんは逃げなかったってことだね」
言葉ってのは不思議だ。目に見えないはずなのに、重さなんてないはずなのに、その言葉はやけに胸に突き刺さった。自分にも分からなかった自身の心の陰の中に、それは無遠慮に入っていく。
「……逃げなかったって、どういう」
「入学してすぐ染めたんでしょ。先生が時常くんに懲戒処分するまで、黒髪に戻す機会はいくらでもあったはずだよ。先生もきみが優秀なのを知ってるから、あえて泳がせてたんだと思う」
「それは」
中間テスト開け、担任の先生に呼び出されたことがある。放課後、人気のない職員室の真ん中で、俺は先生にこう諭された。
『今回だけ見逃してあげるね』と。
思えば、引き返すチャンスは沢山あった。
それら全てに唾を吐いたのは他でもないこの俺だ。このままやめたらきっと、同じ日常を永遠と繰り返すことになるだろう。
毎日が平穏なのは有難い。それすらも満足できないなら、いっそこのまま歴史を黒染めしてやろうと。
お前は……星原は、こんな俺を肯定してくれるのか。
逃げてるとしか思えない、この生き方を受け入れてくれるのか。
「すごいよ。かっこいいよ。なんでそんなに落ち込むの? 立派な理由じゃん。自分でそういうことをちゃんと口にできるのは、時常くんの感性が豊かだからだよ」
星原は遠慮気味に笑う。
「私は、きみが元気でいてくれたらそれでオッケーだから。ねっ」
ああ、世界には、こんな考え方の奴もちゃんといるんだ。
引きずられてばっかりの人間を、引っ張ってくれる存在がちゃんといるんだ。
俺は無意識に止めてしまっていた息を吐きだす。
すごいな、言葉の力って。くるりと辺りを見回す。どこもかしこも、キラキラと輝いて、まるで別世界に迷い込んだようだった。
「それで時常くん。誕プレ買うんでしょ? 誰? 妹とか彼女とか?」
「妹なんていないよ。でも、まあ、似たような相手かな」
ちなみに兄も弟もいない。ああでも妹みたいな奴だな、アイツは。
アイツもこいとも、星原と同じく俺の価値観を受け止め、そして支えてくれる。
べちゃくちゃうるさいから、毎晩部屋は祭りかよってくらい騒がしくなって。かといって出て行って欲しいとかでもなくて。
心地よくて温かい大事な居場所を、いつも自分にくれる。
「すげーいい奴なんだよ、そいつ。俺にとって、めっちゃ大事なやつなんだよ」