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*8*
「うわっ!?」
?い壁に触れて瞬間、息が止まるかと思った。肺の中に、物凄く熱い空気が入ったようだった。
それも一瞬で終わり、気が付いたら数日前にお世話になった、あの、由雅の部屋の真ん中に仰向けに倒れていた。数秒すると、由雅の軽い足音が部屋の向こうから聞こえてきた。
「あっ、土我さんここの部屋に居たんですか。よっぽどここに来たかったのね(笑)」
唖然とする俺に構わずに、由雅はすごい勢いで喋り始めた。
「土我さんはさっき、川で着物の血を落としていました。でも、土我さん本人に外傷があるわけじゃない。あれはあなたの血ではありませんよね? それに、土我さんは泉屋の遊郭亭のほうから来ました。……私、今度の事件現場はあそこらへんだろうな〜と思って目星はつけて、見張ってたんですよ。さては、昨晩の被害者は遊郭で遊びまわっていた若衆7人ですね。」
「まぁ……正解だけど……」よく喋る娘だな。「やったのは俺ではない。」
「へぇ〜。じゃあ、あの血は誰のです?まさか、鼻血だとか言いませんよねえ。」由雅は可笑しそうにクククッと笑った。
「……。」説明に困る。このまま返り血ではないということで話を進めれば、あのバケモノについて話すハメになってしまう。
返答に詰まる俺を、流し目に見ながら、由雅がまた話し始めた。
「まぁ、話せないんならいいです。ところで、被害者の数は毎晩ごとに一人ずつ増やしていましたよね?あれには何か意味はあるの?……奈良の都が栄えている時期にはそういう呪いの形式があったような気がしますけど。」
「随分と博識だな。奈良の都ではそのような呪いの儀式が毎晩行われていたのか?」
「もちろん、私がその時代に生きていた訳じゃないから、詳しくは知りませんけど。文献にはいくつか残っていますよ。」
「………お前、文字が読めるのか。」
「女だからって馬鹿にしないでくださいよ。私はそこらへんの貴族さんよりは数倍頭はいいですよ。」由雅が得意そうに言った。「で、質問に答えてください。人数の変化にはいったいどんな意味があったの?」
「だから、言っただろう。やったのは俺ではない。お前と同じだ、俺も犯人を突き止めようとしたのだ。」……こんな嘘で、この賢い娘は納得してくれるだろうか。
そう言うと、由雅は不満そうにふくれっ面をして見せた。「なーんだ、せっかく大物を仕留めたかと思ったのに。つまんない。」
「なんでもいいが、早くこの金縛りを解いてくれ。」
「別にいいですけど。変な気は起こさないでくださいね。」
由雅の白い手が、俺の着物の帯へと伸びてきた。長い黒髪が、少し頬をくすぐる。どうやら、由雅は俺の背中の帯の結び目を解いているようだった。
「な、何をする!」
「耳元で大声出さないでください。別に何もしませんよ。……ちょっと緩めるだけですから。」
すると、由雅は頭の簪を一本抜いた。
「呪いってね、かけるのは簡単でも、解くのはけっこう疲れるんですよ……ああ、面倒くさい。」
言いながら、俺の緩めた帯の先に簪をそっと刺した。
瞬間、由雅の表情が凍った。
「? どうしたのだ。」
俺を見上げた由雅の目は、ひどく真剣だった。
「あなた、昨日、銀髪で赤面の鬼に会ったでしょう?」
「会ったが……それがどうした? というか、何故そんなことが分かったのだ?」
「ちょっと失礼します。」そう言うと、由雅は俺の右肩に触れた。「この刺青。あいつのに間違いないわ。……うん、この八つ蛇はあいつのですね。」
あんまりにも真剣な声でいうものだから、少し、怖い。さらに、由雅はブツブツと念仏のようなものを唱え始めた。
「……駄目みたい。」
「駄目?」
由雅はまるで墨を流したような真っ黒な瞳で俺を見つめ返した。「金縛りなら解いてあげられる。でも、赤面の呪いは私じゃ無理だわ。ごめんなさいね。」
そう言うと、由雅は俺の帯に刺した簪を勢いよく抜いた。「ほら、これでどうですか?」
急に、いままで動かなかった体の節々が自由になった。どうやら金縛りは解けたらしい。
「……すごいな。」
「何がです?」由雅が後ろを向きながら聞いた。
「いや……何でもない。」
………さっき触れられた右肩を恐る恐る見てみると、由雅が言ったように、確かに刺青の蛇は八匹描かれていた。
「日本書紀。」由雅がニヤリと笑いながら口を開いた。「あれに出てくるヤマタノオロチ………確か、首が八つある蛇の怪物でしたよね?」