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*50*
「いるか?」
誰もいない寒々しい廊下に澄んだ声が響く。低く魅了されそうな美声は尖っていた。
「……いないのか?」
扉を何度かノックしても返ってこない返事に、ナイトは首をかしげた。
他の場所を探すか……と扉に背を向けたとき、その扉が音もなく開いた。
「いますよ。すいません、待たせてしまって」
そこには微笑むケイの姿。しかし、ナイトには仮面をつけているようにしか見えなかった。
「お前に話があるんだが」
「いやですね、ケイって呼んでくださいよ。ナイトさん」
誰とでもすぐに仲良くなれそうな人懐こい顔でケイは少しふくれっ面になった。しかし、頬が少し大きくなり可愛さが増すばかりだ。
そのキャッツアイの瞳はナイトをとらえたまま「了解」の色を示していた。
ケイはナイトに導かれるまま、部屋を出て廊下を進む。辺りは真っ暗で、足元もぼやけて見えるのが精一杯だ。ナイトの手に持っている燭台がなければ闇黒に包まれるだろう。見えない影に何かが潜んでいてもおかしくない。
二人は廊下を抜け、豪華ならせん階段を下りバルコニーへと出た。バルコニーはそのまま館の庭へと繋がっている。テラスと椅子が複数置かれいていた。
外は美しく照り輝く三日月で明るくなっている。これならもう、光は必要ないとナイトは燭台から手を放した。
「で、どうしたんですか? いきなり」
晩餐の夕食を食べ終え、小一時間ほどでナイトはケイの部屋へ向かった。ご飯を食べ終わり休む程度にはちょうどいい時間帯だが、あまり訪問には適していない。
「俺を襲うのはもう、やめてくれないか? 生活にも支障がでるし、なんていったってルリィに害が及ぶ危険も少なくない」
単刀直入にナイトはそう切り出した。しかし、その言葉に驚くでも動揺するでもなくケイは表情を変えないまま「いったい何のことですか?」と首をかしげる。
だがナイトの黒曜石の瞳は変わらなかった。
「ルリィを傷つけることは許さない。たとえそれがルリィの昔からの知人であろうが幼い子供であろうが」
低い声で静かに告げる。それはまるで狼の威嚇のようだった。
「すいません、言っている意味が分からないのですが……? 僕は今日一日中、お姉さまと月光の雫について調べていましたよ? なんならお姉さまに聞いてみても……」
「知っている」
ナイトの威嚇にビクリッと肩を震わせつつ、ケイは弱った顔をした。その言葉にナイトは当然のようにうなずく。
「お前がルリィと一緒に何万とある本棚で月光の雫の情報を知らべたのは聞いている。もうあれは本棚ではなく図書館というべきだな……。そして情報がつかめたことも」
「はい! そうなんです! 月光の雫は絶対に清らかな水である、であるっていうことが古い本からわかりました!」
嬉しそうにケイは眼を輝かせる。きっと尻尾が生えていたらぶんぶんと振っていただろう。
これでアリバイ成立、そう思われたが……
「お前ならできるだろう? あれぐらいのこと。どれも細工しとけばいいものばかりだったし、ルリィからは時々お前が紅茶を淹れにその場を離れたことも聞いている」
ケイの顔から表情が消えた。いや、素なのかもしれない。目障りな靄が晴れた感じでスッキリしていた。
ナイトは急に笑顔も幼さも消え、大人びた少年につめていたものがとれた気がした。いつもへらへらと笑顔なケイに息苦しさを覚えていたのだ。
「お前、そっちのほうがいいんじゃないか?」
茶化すような言葉だがナイトは本当にそう思った。
黙ってうつむくケイにナイトは覗くように近づく。その瞬間、ケイが腰に隠し持っていたナイフをかかげ襲い掛かってきた。
そのナイフはまだ、一度も血に染めたことのない祖母からのナイフ。
いきなりのその状況にナイトは体を大きく引いたが、小柄なケイの動きは素早かった。
襟をつかまれ倒れこむように押し倒される。首筋にはナイフが置かれ、少しでも動いたらのどに深く突き刺さりそうだ。
「くっ」
どうすることもできない状態にナイトはうめき声をあげた。まだ子供と思い油断していたとはいえ、こうも体格差があるのに急所を取られてしまう自分が情けない。早まる心臓を押さえつつ、深い呼吸を繰り返した。
「ふっ、無様だな男。僕は子ども扱いされることも、それで甘やかされることも嫌いだが、こうして子供だと思って隙をつくってくれるのには便利なんだ」
子供独特の幼い口調や身振りはなく、それは暗殺者のような鋭さだった。
「僕のことを初めから警戒し、今回の仕掛けの仕掛け者である僕に気づいたことは誉めてやろう。あんなにあった罠でも手の怪我一つで済んだみたいだしな」
ケイはちらりとナイトの右手を見た。怪我はハンカチから包帯でカバーされている。結局ルリィに見つかって「気をつけなさいよ!」と怒られながら治療された。しかしその顔にはくっきりと心配の色が浮かんでいた。
「ふっ、子供(がき)のくせに生意気な口調を聴きやがって」
ナイトは余裕な表情でケイを見つめた。その様子にケイは気に入らなそうな顔を向けた。
「お前は今の状況が理解できてるのか? バカなんだな。こんなバカ、お姉さまの傍に置いておけない」
そう言い放つとケイはより一層力を込めてナイフを首元へと近づけた。ナイトの首から鮮麗な血が流れる。薄く皮が切られたようだ。
その様子に、背中が強張った。
(意志をしっかり持て、俺)
自分の心に言い聞かせる。こんな子供一人にやられるわけにはいかない。たとえ暗殺術にたけていようが、大人よりよほど頭脳が回ろうがやはり子供だ。
まだ大きくないその小さな手でナイフを握っている様子を横目で見て、ナイトは目を見据える。
「ふん、気に入らないなあ、その眼。やっぱり小賢しい手じゃめんどくさいよね。まずはその眼をくり抜いて、それから一気にあの世へ行かせてあげるよ」
ケイは不適に笑った。素で初めて見る笑顔かもしれない。
「さようなら。ナイト、さん」
ケイが思いっきりナイフを振り上げる。月の光でナイフはきらびやかに光った。なにものでも裂きそうなその刃は初めて血を浴びることになる、はずだった。
「お前はルリィが本当に好きなのか?」
「……なに?」
ケイの手が止まった。ナイフと顔の距離は紙一重だ。
「愛する者を守る、それは納得のいくことだ。そして愛する者の幸せを願うこともそうだと思わないか?」
「ああ、そうだな。僕はお姉さまの幸せを願っている。だからこうしてお姉さま近づく害虫は駆除を……」
「――違う。それはお前の押しつけだ。お前はルリィの幸せを考えるのではなく、自分の幸せを最優先に選んでいる」
ナイトはケイの言葉をさえぎり、はっきりした言葉でケイを見つめた。ケイはその瞬間、弾けたように瞳を大きく開いた。
「そんなわけないだろう! 僕がお姉さまより自分を優先している!? ふざけるな!」
「ふざけてはいないんだが。お前はルリィが嫌がっているやつを削除しているのか? ルリィが嫌だと言ったやつを? お前に頼んでやらしているのか」
「そっ……それは…………」
ケイはナイトを憎々しげに見つめていた眼を落とした。そして押し黙った。それが何を示しているのかは言わなくとも自然と分かった。
「やっぱりお前は自分のためだけに動いている。自分から見て邪魔な奴、障害となる物は消してきた。違うか? なあ子供(がき)それはお前の……――わがままだ」
「――っ!」
ケイが瞳の奥をのぞかれた気持ちでナイトから身を少し引いた。そんなケイの行動にできた隙をナイトは見逃さなかった。
ケイが怪我をしているからと警戒していなかった右手で自分の顔の目の前にあるナイフをつかむ。刃が手に食い込み新たな鮮血が流れるがナイトはつかんだままケイの手から引き取る。そしてナイフを取り上げ後ろへ投げた。
はっとした顔でケイはナイフへ走ろうとしたがそれは叶わなかった。
ナイトが身を起こしたケイの足を思いっきり蹴る。もう子供だからなんて容赦は欠片もなかった。
そして派手に前へ倒れこむケイの首をつかみ、庭の池へと放り投げた。普通の少年より軽く細いであろうその身体は空気のように持ち上がったので、ナイトにはたやすいことだ。
目の前で池へと突っ込むケイを見つめナイトは重いため息をつく。
「今日で一生分の悪運が降ってきた気がする……」
手から滴り落ちる血に顔をゆがめ、赤く染まってしまった包帯を見るとめんどくさい気持ちにかられた。また包帯を巻きなおさなければならないのだ。
「そこで頭でも冷やせ」
ケイに向かって静かに言い捨てるとナイトは背を向けバルコニーから館へと上がっていく。
襲ってくるものに死角となる背中はふつう向けない。しかし、ナイトにはわかっていた。ケイはもう襲ってこないことを。
そして、一人池の中でぺたんと座り込むケイを残してその場を後にした。