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*19*
† 十の罪 “崩壊への序曲” (前)
「そりゃもう谷を滅ぼしてでも連れてゆきますよー。同じ指導者たる身として、子供一人と村、どっちを取るのか……答えは分かってますよね?」
「ずいぶんな態度じゃな……あの子を育てるよう申し付けたのは君たちの方だった筈だが」
「――“Homo proponit, sed Deus disponit(計画は人にあり、成敗は天にあり)”
僕はこの世を背負う身ですからね、態度がどうとか言ってられる立場じゃないんですよ。魔王とそれに対する切り札が同じ村にいて、しかも仲良しとは困りものだ」
「誰にでも守りたいものはある、そちが嫌いでしょうがないお兄さんの言っていたことじゃ。齢をとると情に弱くなるもんでな、こちらもそうコロコロとかわいい女の子の身寄りを変えるってのは忍び難くてのう。いや、わかっておるのじゃ、いつかこの日が来るかもしれぬとは思っておった……じゃが今日、初めてあの子があんなに楽しそ……」
「あららー、悪魔にたぶらかされちゃいましたか? 相変わらず甘いですね。あなたが彼女を我が子と本当に思っているのだとしても、この世界を犠牲にしていい理由にはなりませんよ。だいたい何も残らなければいくらあの子のためを思っても元も子もない。それこそ、あの子の未来ごと消えてしまう選択なんじゃないですか。しょせん竜も人間や他の動物と一緒だ。目先のことに目を奪われて綺麗ごとばかり並べる……愚かだ、実に愚か。神の代行者として力を授かった僕たち天使が、神によって創られたあなた方のために決断した、それをこの世界を構成してる一員であるあなたの一存で妨害するというんですか?」
溜息を吐く竜の長。
「全体のことを思うがゆえにそれを動かそうとする。見る方角こそ違えど、その考えはそちらがかつて地獄に落とした者たちと大差……」
「はァ?」
締め括られるに先んじて、威圧感を含んだミカエルの声が発せられた。
「都合の悪いことから目を背けているのが神の代行者とやらかね。そちたちも元はと言えば悪魔と源を同じくする存在、いくら人心を集めて歴史を正当化しようと過去は変わらん。当時を見てきたわしに違うとは言わせんぞ」
「……るせーよ…………」
「あやつと兄弟であるそちが何よりわかって……」
「うるせーんだよ! 怪物の分際で分かったような口聞いてんじゃねえぞ」
遮るようにして怒鳴る前大天使長ルシファーの後任。
「貴様は他に何の役にも立たない老いぼれなんだよ。分をわきまえたら早く連れて来い、さもなくば村ごと皆殺しだ……いいな!?」
端正な顔立ちを歪めて喚き散らすと、ミカエルの姿形を模っていた幻影は消え去った。
「二人とも、こんな夜遅くにすまんのう」
「いえ、それだけ重要なことなのでしょう。我々に力となれることがあれば何なりとお申し付け下さい」
兄の弁に、デアフリンガーも神妙な表情で首肯する。
「あの二人は確かに悪魔じゃ、それもとりわけ大物のな。そして悪魔狩りに来たのは天使方が仕向けた勢力よ。さらに、奴らはアザミを渡せと言ってきた。拒むなら、谷を…………」
そこまで説明すると、唇を噛む長老。
「では……受けるのですか?」
ツェーザルが真剣な眼差しで伺う。
「……進退これ極まれり。憎め、恨め。わしのせいじゃ……何もかも責任をとるつもりでおる」
それを聞いて黙り込むツェーザルであったが、困ったように苦笑してみせた。
「まったく、あなたに裏切られるとは心外です……あなたが自分の育てた弟子のことをこんなにも理解していなかったとは心外ですよ」
「心外ですよ。どうせ一人で責任をとる気でしょ。そんなことは弟子として認めらんねえ……ほんとに心外だ」
弟も続いて頷く。
「そちたち、まさか……ならぬ! まだ未来の長い若者を巻き込むわけにはいかん」
「まさかは我等の台詞です。好きで巻き込まれているというのに……幻滅だな、弟よ」
「師を見捨てるような人間に育てたとでも思ってるなら幻滅だ」
顔を見合わせる兄弟。
「まだ師だと思ってくれるのか……天使の圧力に屈して我が子も同然の少女を人柱として差し出す情ないわしの、弟子でいてくれるのか…………」
消え入るような声を長老は震わせる。
「誰が憎むものですか、長老なくしてこの谷は有り得ません。酒以外なら付き合いますよ」
「ほっほっほ、こりゃなんととがめようが大人しくしそうにもないのう。そちたちがこんなに強い大人になるとはな……長生きとはするもんじゃ」
暗い廊下を並んで歩く二人の剣士。
「これで良かったの? 兄上」
横顔に問う。
「決まってるだろう。あの方がおられたから今の我等がある。私はあの方の決断を尊重し、どこまでも着いてゆく。私たちに剣の使い方を、生きる道を、家族のあたたかさというものを教えてくれたのはあの方だ。そのすべてが詰まったこの谷を害す者が現れれば私は全力で戦う。そういう理不尽に立ち向かえるように、あの人は強さを与えてくれた。そして、剣士というものは相応しい時に剣を使うのだ、とおっしゃておられた。その時が来たら、私は己が最強の使い手であることを証明し、最大限に尽くす。それだけのことだ」
ツェーザルは毅然として述べた。
「師の教えと師が愛した谷を守る、か……兄上らしいな。では兄上は僕が守るよ」
「何を言うか。この谷一の剣士は私だ。まだまだお前の助けを必要とはせん」
「悔しいが認めるさ、兄上には一歩及ばねえ。だけど僕はいつかその一歩を埋めてやる。だから……だから、勝手に死ぬなよ」
その言葉に精悍な面構えで弟を見つめ返す。
「言われなくても分かってるさ。死ぬ時は兄弟一緒だ」
明くる朝、中央広場に集まる村人たち。ミザール襲来以来、一連の騒動に関して一切の公表が行われていなかったこともあり、村は殺伐とした空気に包まれていたが、長老直々の発表に人口の数割が駆け付けた。
「忙しい中、ありがとう。もう察しがついておると思うが、まずは皆に謝らせてもらう」
頭を下げる長老。
「わしの不手際で外とのやりとりに失敗して大きな勢力の不興を買ってしまった。もう存じておる者もおるやもしれんが、先日の一件はことの始まりに過ぎぬ。谷に災いをもたらすことだけは避けたいし最大限の努力はするが、いつ何があるかは正直保証できん」
聴衆がさざめく。
「今まで尽くしてくれた皆には詫びる言葉もない。わしの無能なら気が済むまで罵ってもらってかまわん。役場、自治団などは各々で今後について決めてくれれば良い、解散を含めてすべての権限をゆだねよう」
互いに顔色を窺い始める村役人たち。
「出てゆく者を門番も止めるでないぞ。誰も逃げたとは言わん、家族と財産を守るのは当然のことじゃ。申し出てくれれば、わずかではあるが食料と餞別を支給させていただこう」
ここでツェーザルが歩み出る。
「なお、これより命を賭してでも、あくまで村を死守する志願兵を募る。武装と飲食に関しては全面的に提供するため、身一つで十分だ。谷と運命を共にする覚悟のある者は残ってくれ」
武人らしく簡素に伝えると、長老の脇に戻った。
「しつこいようだが自分の意思で決めるのじゃ。志願してくれるのはありがたいが、しなかったからと言って誰も批難できん。兵として武器をとるも、別の地に移るも、どの道を選ぼうがみんな違ってみんな良いのじゃ。すべての人間は幸せになる権利を持っておる。どう生きるかは個人の自由、誰に強制されることもない。ここに来てくれた皆もそう。誰もが二人とおらぬかけがえのない存在、尊い人生の主人公じゃ。どんなに世の中が動こうと今までも、これからも変わりはしない。堂々と胸を張れ! 村を去っても胸張ってこの先も生きてけ! 残るという者は最後まで命をまっとうしろ!」
堂々たる熱弁の末、誰もが愛した慈愛に溢れる目元を緩めて告げる。
「最後に……それぞれの生き方に誇りを忘れるでない。つたないながらも、村の代表として言うことは以上じゃ」
演説を終え、部屋に戻ろうとした長老は、甲高い呼び声を耳にした。
「いたいた……おーい!」
息を切らして走り来るデアフリンガー。
「ハァハァ……アザミが、さらわれた……!」
「なにっ!?」
思わず目を瞠る。
「みんなが広間に集まっている間に……」
「そんな……あの子が…………」
愕然と立ち尽くす一同。
「――狼狽えるな」