コメディ・ライト小説(新)
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- Banka
- 日時: 2019/08/31 01:15
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel2a/index.cgi?mode=view&no=3918
- Re: Banka. ( No.18 )
- 日時: 2019/04/12 18:28
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
「じゃあ、早速対局してみる? 手が空いてる部員も結構いるから対局相手には困らないよ」
そう。僕達は今日、他校に練習試合をしに来ていた。場所は僕らの高校の最寄り駅から五、六駅ほど離れている場所で、尚且つ高校と駅がそれなりに遠いので、駅からさらにバスに乗ってここまで来ていた。なので、僕らがここに到着したときには既に夕方だった。
奥の盤前に座る部員の人が手を振るので、茅野はそこまで歩いていった。僕ももう一つの空いた盤まで歩み寄り、靴を脱ぐ。畳だ。部員数から何から、僕らの将棋部とまるで違う。立地最悪な上、畳が外されている第二多目的室とは雲泥の差だ。
「ん? 君は……、もしかして県大会優勝した杉本さんでは?」
盤の前に正座すると、対局相手の人は僕の顔を見るなり驚愕する。
「それに、彼女も女子部門で優勝した茅野さんだ! ……ってことは君達があの有名な個人戦男女総ナメした伝説の将棋部なの?!」
「えっと……、今気づいたの?」
顧問の先生が半笑いで訊く。
「顔をよく見てませんでしたから。今日練習試合することは知ってましたけどまさかその高校とするなんて夢にも……」
彼らは何か話しているが、僕には流石に気になって仕方ないことがある。
「え、僕らって有名なんですか?」
言うと、話している二人が同時にこちらを向く。
「何言ってんの? 西峰高校将棋部っていったらめちゃくちゃ有名だよ。今や高校将棋界では知らぬ者がいないレベルで」
マジか、と返そうとして慌てて口をつぐむ。確かに凄いことを成し遂げたとは自分達でも思っていたが、まさかそこまで名が上がってしまっているとは思いもしなかった。
彼らは未だ嬉々として僕達のことを話し続けている。なんというか、恥ずかしい。
彼の声はこの十五畳ほどの部室全体に響くほどだったが、彼女は既に対局に集中していて聞こえていないようだった。
「いやー、マジで強すぎて無理だー」
対局相手は、投了した後天井を仰ぎながら言う。僕と茅野はあれから相手を入れ替えて何回か対局していったが、少なくとも僕のほうは一度も負けていないという状況にいた。
他の盤で対局している部員の人達も次々に漏らす。
「普通に奨励会とか入れそうなぐらい強いよね」
「いや、そりゃ優勝する訳だわ。アマ三段とか四段の俺達でも歯が立たない」
そんなに強かったのかと驚く。三段四段の彼らに一度も負けていないということは、必然的に僕はそれ以上ということになる。
僕は何となく返す言葉に詰まり、茅野の対局を見に行こうと思い少し歩く。対局相手に褒められて、素直に謝意を述べるのならまだしも、謙遜したりお世辞を使うというのは、この場所では逆に失礼にあたる。
「負けました」
それは茅野の声だった。遅れて対局相手も頭を下げる。
盤面を見てみると、茅野がかなり圧倒されていて、相手の矢倉が手つかずのまま一方的に攻められていた。玉が詰んでいる訳ではないのだが、ここから勝つ見込みが全くないと思っての投了だろう。
「んー、ここは攻めずに玉を囲ったほうが良かったかもね」
「あ、はい……、本譜だとちょっと無理攻めっぽかったですもんね」
終わるなり、二人はいきなり話し出す。これは感想戦というもので、開始から終局までの盤面を再現し、二人でそれぞれ感想を述べ合ったり最善手を検討することである。終わってから客観的に見つめ直すことで棋力向上が望めるという意味があり、太古から受け継がれている手法でもある。
「杉本さんはどう思います?」
「窓なんか見てどうしましたー? 先輩」
二人が話しかけてくる中、僕は窓の外の空を見ていた。雨が降りそうな空だなと思って眺めていた。今日の天気予報では晴れのち雨だったが、今降るとは。
感想戦は対局した二人でやることがほとんどだが、ときに第三者に意見を仰ぐのも重要である。盤のほうに目を戻してみると、彼らはとある一局面を考察していたようだった。先手中飛車対後手三間飛車という僕の目には奇異に映る将棋が、中盤で膠着状態に陥っているようだった。
「んー、相振り飛車は全然知らないけど、もうちょっと手を進めてみたほうがいいかもしれないですね」
とりあえず手を進めさせてみる。このレベルだと、アマチュア高段者でもない限りほとんど終盤で勝敗が決まるので、そこを精査したほうが明らかに合理的だ。
- Re: Banka. ( No.19 )
- 日時: 2019/04/30 00:51
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
「この辺ですか? ここだと既にこっちが勝ちになってそうな気はするんですが」
「いや怪しいですね。桂成りから角打ちで飛車を素抜く筋もあるから色々と難しいと思います」
自分も駒を動かしながら検討してみる。この局面はまだ怪しい。どこから茅野が劣勢になっていったのだろう。
それから二人はまた駒をパチパチと動かし始める。凄いスピードで手を進める両者の手を見つつ、何かに気がついた僕は一瞬でその手を止めさせた。
「いや、ここ飛車がどけば後手玉が寄るから銀打ちで勝ってる気がする」
茅野の手を物理的に遮ると、彼女は「ええ!?」としばらく驚いた後、一転して納得したように腕を組む。
恐らく後手玉が詰む訳ではないが、必至がかかる上に先手のほうは詰まないのでこれで勝ちである。
「そうかー、こうされてたら茅野さんが勝ちだったのか……。じゃあ案外難しい将棋だったのかも」
彼は感心したように壁にもたれ掛かる。盤をのめり込むように見つめる茅野と対照的である。
「……じゃあ、あと一局指して終わりましょうか。ほら、杉本くんとウチの山田くんの対局でも皆で観戦して終わりにしましょう」
そう、顧問の先生はよく通る声で言った。よく分からない提案だったが、茅野と最後に対局した彼が山田といって、どうやらこの部で一番強いようだった。
時計を見ると七時過ぎで、まだ終わるには少し早いような気もした。見るとちょうど他の対局も終わっているようで、ここが一番キリがいいと判断してのことなのかもしれない。
「じゃあ、やりましょう。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
茅野はすぐに立ち上がり、今まで彼女が座っていた座布団に入れ替わるように僕が座った。
部屋は窓外の雨音すら聞こえてくるほど静まりかえっている。振り駒で決まった手番で、先手の僕はすぐに指した。
「……マジすか」
ざわ、と部屋が一瞬どよめく。目の前の山田さんも声が漏れる。ただ、すぐ真横で座る茅野は黙ったまま盤を見つめていた。
この部屋の全員が僕の指す将棋に集中している。雨はしだいに強くなっているようで、静かな部屋に響く雨音も段々大きくなっていく。両者共が駒を盤に叩きつける度にその音はかき消え、それが何となく、心地よかった。
「うわー、降ってますね」
外は土砂降りだった。知ってはいたがいざ見てみると迫力が凄く、こうして学校の昇降口から足を踏み出すことさえ辟易してしまう。
昇降口には僕ら以外誰もいない。将棋部の部員も少しミーティングして帰るみたいなので、僕達だけ先に帰ることになった。
「なんか、ちょっとテンション上がりますね」
へ? と思いながら彼女の横顔を見る。雨が降るとテンションが上がるというのはまあ分からなくもない。根拠は不明だが、どことなく現実味が湧かないというか、夢の中にいるような気分にさせられる感じは受ける。
校門を抜けると、すぐバス停が見えてくる。
僕らは縦に並んで歩いていた。傘が雨を弾く音でほとんどの音はかき消されていて、当然会話もなかった。
靴が雨水を吸って濡れ始めている。彼女は傘の分だけいつもより少し遠くにいる。テンションが上がったとさっき言っていたが、それをぶつける相手がいない様子だった。
- Re: Banka. ( No.20 )
- 日時: 2019/06/11 03:28
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
「さっきの中飛車、見事でした」
バス停が屋根付きだったことが幸いし、誰もいないベンチに腰掛ける。その声は低く、なぜか神妙な面持ちの彼女に不気味さを感じた。
「あ、久しぶりに中飛車でも指してみようかなって思って。ちょっと前に一通り研究したから知ってるんだよ」
「そうなんですね。どうりで強いわけだ……」
ふと、ここで会話が途切れ、一層雨の音が耳につく。
隣の彼女は何か言いたげだった。今思えば、それはさっき昇降口で話したときからそうだ。
間が持たず用もないスマホをいじりながら、この雨はいつ止むのだろう、とでも考えてみる。
「……先輩、本当に三段とか四段なんですか?」
数分後、バスがやって来て停車する。よし、と立ち上がると、後ろで彼女はまだ座っていた。そして怪訝そうな目で僕をじっと見つめる。
「な……、何言ってんだよ。本当に決まってるじゃん」
「だって先輩、棋力の成長のスピードが異常じゃないですか。気づかれないとでも思ったんですか? 私だってそんな馬鹿じゃないですよ」
バスのドアが開くと、彼女はすぐに立ち上がり、立ち尽くす僕の横を抜け乗り込んでいった。僕を追い抜くとき、彼女は少し僕の目を見た。いや、恐らく見たのだろう。僕は目を合わせられずにいた。
「今日の対戦相手の方なんて有段者ばっかりじゃないですか。先輩が最後に対局した山田さんって人の棋力知ってますか? ネット将棋で五段らしいですよ。そんな人を軽くいなせるってただ者じゃないと思うんですが……」
僕らはバスの最後列に座っていて、茅野は窓側の席で窓の外を見ていた。雨の水滴が幾つもくっついているようで景色が全く見えない。
窓ガラスで反射した彼女の目が僕の目と合う。ついにこのときが来てしまったみたいで、そう思うと下腹部が震えるように痛む。流石に気づかれるのは時間の問題だと思っていたが、茅野の口からそれを切り出してくるのがまさか今だとは。
「ごめん。今まで嘘ついてた」
言うと、彼女はゆっくりと僕のほうを見つめる。真剣な眼差しだった。
バスは信号待ちをしていた。この雨はいつまで降り続けるのだろう。全く嫌になる。
「本当は一年ぐらい前はアマチュアのトップクラスにいたんだ、僕」
アホらしい。こんなこと言っても信じるわけないよな、と思いつつ彼女の顔色をうかがう。
「なるほど……」
彼女は納得したように腕を組み始める。信じるのかよ、と心の中で突っ込んでみる。
「それが、あるきっかけで急にモチベーションが薄れちゃって、将棋自体が嫌になって全部やめようとしたんだけど、それも叶わず何となくぐだぐだ続けてる感じ」
「だと思いました。……だって先輩、全然将棋の練習してないですもん」
核心を突く彼女は未だ僕を見つめたままだった。僕はしだいにそれに恐怖すら覚え、その目二つが銃口のようにも見えた。
彼女の言うことは完全にその通りだった。モチベーションが薄れる前は毎日のように家で将棋を指していたのだが、ここ一年ぐらいはずっと部室や道場以外で指していない。惰性で続けているという感じで、それがとても辛くもあった。
だから、僕の棋力が上がったのは、将棋の練習をサボり続けた結果下がり始めた棋力が、今更少しだけ元に戻り始めていったというだけに過ぎない。
ただ、自分で言うのもおかしいが一年前の自分は今とは比べものにならないくらい強かった。あんな鬼のような場所で研鑽を積んできたので当たり前ではあるが、文字通り僕はアマチュアのトップにいた。それこそ、もう少しでプロに到達するレベルまで。
つい最近、家の本棚で詰将棋の本がふと目について、本当に久しぶりに読んだことがあったのを、ふと思い出す。そのときは純粋に楽しめたのだが、そういえば将棋を楽しいなんて思えたのはいつぶりだったのだろうと今にして思う。
- Re: Banka. ( No.21 )
- 日時: 2019/06/23 01:42
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
一通り説明してみる。まだ隠していることは少しだけあるが、とりあえずほとんどは言っていた。
その間バスは駅に到着していて、僕達は電車に乗っていた。ターミナル駅に着くと僕はそのまま降りて歩いて帰るが、彼女は線を乗り換えるので、実質あと話していられるのは五、六駅分ということになる。
「やっぱりそんな感じなんですね。前に先輩の家に行ったときは将棋盤すら部屋のどこにもなくて、将棋の本とかも埃被ってたから将棋の勉強してないのかなって思ったんですけど、今の先輩の棋力が、成長したんじゃなくて下がった棋力が元に戻っていったものっていうのなら辻褄が合う気がします」
「アマチュアトップだなんて急に言いだして、信じるの?」
言ってはみるが半笑いだったかもしれない。よく信じてくれるな、と流石に衝撃を受ける。いくら何でも冷静すぎるだろう。
「一応筋は通ります……。それより私だって隠し事ばっかりしてるのに、先輩だけそういうことを言ってくれるのはフェアじゃないので、私もその内包み隠さず言うつもりです」
電車が駅に停車する。その度に乗客は降車していき、代わりに同じくらいの数の人々が乗車してくる。彼らは乗るギリギリまで傘を差していて、車内に入ってから傘を閉じる。
「すいません。ちょっと恥ずかしくて……。何せ親にすら言ってない程ですから」
そこまでなら別に言わなくてもいいよ、と言おうとしたが、無意味だとすぐに思った。
僕が少しだけ秘め事を打ち明けたところ、彼女は一人でアンフェアさを感じ、自分もいつか言わなくてはいけないという義務感を勝手に覚えているのだ。もはやそれは彼女の性格なのかもしれない。言わなくてもいい、と僕が言ったところで、彼女はそれだと不服なのだろう。
「……それより、先輩にもそういうことがあったんですね。何というか、すみません」
彼女はクロスシートの窓側の席で、また窓の外を見ていた。雨はさっきより少し弱まったみたいで窓に張り付く水滴もかなり減っていた。
将棋に対するモチベーションが下がるきっかけ。それを彼女は訊いてこなかった。
「謝らないでくれ」
「はい。すみま……」
彼女はギリギリのところでそれを押しとどめ、きまりが悪そうに窓に目をやった。口癖になっているのだろうか、意外なことに。
ふう、とシートの背もたれに体を預けると、彼女のスクールバッグについているストラップが目に付いた。
「そこに付いてるのは将棋の駒?」
「そうです。香車なんですけど、前にしか行けない感じがなんか凄く好きなんですよね」
彼女が裏返しで見えないようになっていたそれをひっくり返すと、やはり将棋の駒の形をしたストラップが露わになる。よくそんな物売ってたな、と鼻で笑う。
それはそうと、好きな気持ちは少し分かる気がした。香車は一筋と九筋の九段目、つまり右下と左下が初期配置の駒だが、端にある上に歩が邪魔をしているのであまり戦いに参加することがなく、非常に影が薄い駒である。対局開始から終局まで、お互いの香車が一度も動かないという将棋もザラにある。ただいざ相手陣地の端攻めをする展開になったり、持ち駒に加わったりしたとき、急に存在感が増す。前にどこまでも進めるので、単純に攻撃・守備範囲が広いからである。そこは確かに面白い駒だとは思う。
前にしか行けない。それは彼女にぴったりな気もした。後ろを顧みたり、左右に寄り道することなく、ストレートにどこまでも進んでいく。
思えば少し前の僕もそうだったかもしれない。ただ何の寄り道もせずに一つのものに没頭し続け、他のものを全て犠牲にして歩むような日々を彼女もまた送っているのかは置いておいて、今となっては僕はそれをはっきり後悔している。あの頃は、大した目標もないのに食い入るように逃げるように盤に向かい続け、今自分がどこに進もうとしているのかすら分からずに駒を動かしていた。
そして全てが終わったとき、ふと驚いたのが、あれほど充実した日々を送ってきたのにも関わらず、手元に残った物が何もなかったことだった。……いや、空しさと、徒労感だけは残っていたのかもしれない。
各駅停車の電車は苛立つほどゆっくりだった。窓外の雨を見て、僕はまた一つため息をつく。
- Re: Banka ( No.22 )
- 日時: 2019/07/11 19:54
- 名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)
チャイムが鳴る。先生が授業を終わらすと、教室が一気に沸く。
金曜日の放課後である。この学校は部活入部者と帰宅部者が半々ぐらいなので、授業が終わるとすぐ帰るという人は多い。
僕も席を立ち上がる。そういえば今日一度も声を発してないな、と今更気づく。誰とも話さないなんて今では当たり前すぎてもう慣れてしまっているから、別に大したことではない。僕はこの教室に於いて、いてもいなくても同じ存在である。
教室の外では多くの生徒達が下駄箱へと向かっていた。僕も帰ろうと思ったが、すぐに思いとどまる。なんとなく、一年の教室まで行ってみようとふと思った。そういえば茅野が僕の教室まで来てくれることはあっても、僕が向こうの教室まで行くことは今までなかった。
一年の教室は四階にあり、三階の二年の教室からは階段を少し上がるだけで着く。なんだかこの階段を上がるのは久しぶりだった。
四階に上がると、既に帰ろうとしていた一年生がやはり大勢いて、左胸の校章の色だけで分かる、学年が違う僕のことをじろじろ見てくる。
僕はそれに多少の居心地の悪さを感じつつも、彼女の教室に直行する。確か四組だった気がするので、一番端の教室だと思った。
四組の教室からは既にほとんどの人が帰っていたようで、残った生徒は十人もいない。
一番後ろの窓際の席に茅野を見つけたので手を振って呼ぼうとしたが、ふと嫌な予感がしてやめる。よく見てみると、彼女は四、五人の女子生徒に囲まれているようで、何かを窘められているようだった。窘めるというのはまだ可愛い表現で、諭すというより、どちらかというと、責められていた。
「茅野?」
大きな声で彼女を呼ぶ。気づけば教室に足を踏み入れていて、教室にいた全員が僕のほうを向く。それはもちろん茅野を囲んだ女子生徒も同様である。
「先輩……」
囲んだ女子生徒の間から見える彼女は半泣きだった。状況を読み取るのがあまりに容易すぎたので、僕が我慢の限界に達するまでは早かった。段々といけない考えが脳内を支配しようとしていた矢先、ようやく彼女らが口を開く。
「二年の先輩がこの教室に何か用ですか?」
「そこの茅野に用があるんだけど。今君らは何してる?」
彼女らは未だ怪訝そうな目で僕を睨みつける。
「何もしてないですよ。ただちょっと茅野さんと少し話していただけで」
リーダー格らしき女子が代表して答え続ける。口調こそ穏やかだが、早く帰れよ、ぐらいにしか思われていないのがありありと分かる。
ふう、とため息をついてみる。茅野を囲む女子達は一様に僕を睨んでいて、他にいる教室の生徒はその光景を見向きもしていない。まるで見てはいけないもののように、見て見ぬ振りをしている状態に近い。
しだいに、なるほどと僕は納得していた。そういう空気がこの教室には流れていて、誰も彼女らに口出しできない状況が出来上がってしまっているのかと、半ば呆れてくる。
そして、それが分かったのはいいとして、これからどうすればいいのかが難しかった。別に今、この場所で彼女らを攻撃しようと思えばいくらでもできるのだが、それではきっと根本的な解決になっていないのだろう。だから、とりあえずこの場所から去ってしまうのがいいのかもしれない。茅野と一緒に。
「茅野、来て。こんな所にいちゃダメだ」
彼女の手を握って、こちらに誘導する。机の横に掛けてあったスクールバッグも余った手で掴む。
女子達は何も言ってはこなかった。二人で教室を出る途中も、出てからも、追いかけてすらこなかった。握ったままの彼女の手は、嫌なくらい暖かかった。
「とりあえず部室行こう」と言うと、彼女は静かに頷いた。