ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
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- シロガネ
- 日時: 2010/05/22 18:23
- 名前: 志麻 (ID: 0Flu7nov)
がんばってシリアス書きます
読んでくれたら幸いです
- Re: シロガネ ( No.4 )
- 日時: 2010/05/23 15:02
- 名前: 志麻 (ID: 0Flu7nov)
第一話 始まりの朝 目覚めの刻
寅の刻をすこしまわったころだろうか。闇の帳は一層深まっているようだった。開け放たれた半蔀から射しこむ月夜が眩しい。灯台も必要ないくらいだった。
柱に瀬を預け、鎮座していた青年は閉ざしていた瞼を上げた。広い母屋で血族の者達がひしめき合いながら、議論を交わしていた。大声を上げて怒鳴る者や、難しい顔をして仮説を並べている者まで様々だった。
そんな様子を眺めながら、青年はそっと息をついた。さっきからずっとこんな調子だ。狂ったようにお互いに互いの罪を擦り付けては、真相は何だとわめいている。真相を突き止めようという者もいるが、一切そういって行動をとらない。ただ騒いでいるだけでこれといった進展は何一つない。有限無実行とはこのことだ。
呆れ顔で青年はもう一度月をを仰ぎ見た。
月の眩しさに目を細める安倍将影(あべのまさかげ)は、そっとため息をついた。
今この母屋に集まっているのは安倍家の血族たちだ。
安倍家とは、平安時代に生まれた陰陽師安倍晴明(あべのせいめい)の末裔だ。陰陽道を理解し、操る者を陰陽師と呼び、卜占や妖対峙に長けた一族である。平安期は人の因縁や憎悪が渦巻き、人と人の間で醜い権威争いをしていた、人の負の情念が溢れ返っていた。その情念から生まれる妖は、人を襲い、人々から安寧を奪っていた。こうして陰陽師は人々の平穏な日々を守るために存在していた。
たが、今はどうだろう。徐々に時代は進み、世は権力争いから刀を握り、自らの領地を広げていき天下を掴もうとする安土・桃山時代にさしかかっている。この時代の陰陽師といえば、武将達の武運を占うか、出陣の吉日を占うくらいの簡素なものに変貌していた。武将は一人は陰陽師を抱え、運気を占わせていた。そのように時代は進んできたため、妖対峙をする陰陽師は減少した。今や妖を“視る”力さえない者までいるのだ。討伐といった類の術を使う者は、この世には数を数えられるほどとなった。
そんな数少ない中、この安倍家で“視る”力を有しているのは、安倍家当主と丸柱にもたれて静かに鎮座する将影だけであった。
月から視線を剥がし、再度一族を見渡す。どの人も顔に深い皺を刻んだ老人が多く、あれこれと議論を交わしている。今こうやってこの安倍家本家に集った訳は、急を要する件だったからだ。一族が騒然とした事件が、昨夜の晩に起こったのだ。身の毛もよだつようなあの恐ろしい事件。思い出すだけで身震いがした。
将影は一族の面々から視線を逸らした時、誰かに名前を呼ばれた。
「そう言えば将影殿。そなた昨夜の晩、どこで何をしていた?」
喧騒が飛び交っていた部屋が、一瞬にして静まり返る。老人達の相貌が将影に一斉に向けられた。
「…昨夜の晩は、鋼汰様のおそばで控えておりました」
老人の言葉の裏に込められた意味を理解した将影は、眉をひそめた。
「ならば何故鋼汰様をお救いしなかった?よもや、妖が恐ろしくて何もできなかったなどと言うまい?」
冷やかすような言葉が将影の神経を逆なでする。
気を取り直し、言葉を選びながら将影は言葉をつむぐ。
「まず第一に。鋼汰様があのおそろしい大妖怪、空弧(くうこ)に昨夜の晩にさらわれたのは事実です。長老衆。こちらには情報が少なすぎます。それ故焦るのはわかりますが、ここは早急に対処を———」
「問いの答えになっとらん!昨夜、貴様はなぜ鋼汰様をお守りせなんだ?」
「天才と謳われているのに、大したことはできんのか」「妖を“視る”力は備わっておらんのか」「何と無様な」「これだから分家の者は———」
長老達が囁き合っているのが、将影の耳にははっきりと聞こえてきた。将影のなかで何かが音を立てて切れた。
「お言葉ですが、長老衆。あの時、確かに何もできなかった私の不甲斐無さが一因でもあります。ですが、同じく何もできなかった方々に私を責め立てる理由はないはずでしょう」
ぴしゃりと言い放つと、その場が一瞬凍りついた。将影の言っていることは正しく、だれも返す言葉を見つけられずにいた。空気が冷たくなった時、襖が勢い良く開けられる。
「将影の言うとおりじゃ。まったく、いい年食ってまったくまとまりが無いのう」
こう着状態だった母屋に、一人の老人が現れた。長い白髪を後ろで結い、白い武将ひげをはやした老人は苦い顔をする。安倍家の当主であり、陰陽師としても名高い重秋(しげあき)であった。
一度将影に視線をやり、にっと笑ってみせる。それを見た将影はほっと安堵し、頷いた。
「さて、と。くだらぬ言い争いはそこまでじゃ。本題に入ろう」
持っていた扇を開き、良く通る声で話を続けた。
「皆も知っての通り、我が孫、鋼汰が空弧にさらわれた。救うべく某が動くことも考えたが、何せこの老いぼれ。足腰が言うこと聞かんのでのぅ」
重秋はちょっと視線を将影を見ると、歯を見せて笑った。
「という訳で、鋼汰救出には将影に向かってもらう」
扇を閉じ、高らかに宣言したとき、その場が騒然となる。長老衆より将影が一番驚いた。重秋の愛孫はこの安倍家を継ぐあととりとなる重鎮だ。救い出すなどという大役は誰も背負いたくないと思っていた。
「あの、重秋様。私でよろしいんでしょうか。その…鋼汰様救出に向かっても…」
「無論だ。嫌か?」
「いいえ、とんでもない!私が参ります。その命、甘んじてお受けいたします」
深々と頭を下げ、重明は頷いた。
長老衆がざわめく声よりも大きく声を張り上げる。
「将影に数人同行させる者を某が選ぶ。これより将影に命を下した。異論がある者は前へ進み出よ」
重秋の荘厳な瞳が場を一瞥する。その鋭い目は有無を言わせぬ威厳があった。長老衆は口をつぐみ、押し黙ってしまった。それを横目で見ながら、将影は内心飛び上がりそうになるのを必死に抑えた。鋼汰の守役を役目としている将影は、鋼汰を救いたい気持ちが強くあった。だが、重秋の許可なしに動くこともできず、今までじっと堪えてきた。
将影は身命の重大さを噛み締め、気を引き締めた。
「では、明朝より将影にはここを発ってもらう。議論はここまでだ。皆ご苦労であった」
重秋が退席したと同時にどっと長老衆がざわめく。どんな言葉が囁かれていようが、将影は構わなかった。今はただ、鋼汰を救いたいと願う思いで心がいっぱいだった。
- Re: シロガネ ( No.5 )
- 日時: 2010/05/26 17:59
- 名前: 志麻 (ID: BS73Fuwt)
少年は何度も目を瞬かせた。唖然としている少年をよそに、九つの尾をもった男は口端を吊り上げる。
木に埋まっていた人が這い出てきた。
白い三角の耳に、白い九つの尾を肌から生やし、白銀の髪をなびかせて悠然とそこに立っている。
「妖…?」
少年、鋼汰はそっと呟いた。必死に記憶を手繰る。昔そういった類の本を読んだことがある。三角の耳に九つの尾。確かあの妖怪は。
「久しぶりじゃねぇか。あの時以来だな」
九つの尾を持った男は、狐の面をつけた者に声をかけた。ゆったりとした足取りで近づくと、狐の面をつけた者達はさっと身構える。気にせず九つの尾を持つ男は続けた。
「今度は何だ?ガキなんか襲って」
「ここで目覚めたのなら仕方あるまい。覚悟されよ。九尾」
一人面妖な男が九尾と呼んだ男に、苦無を矢のごとく投げ放つ。九尾はそれほど地を蹴った様子はないのに、軽々とした身のこなしで天高く飛ぶ。かわされた苦無はむなしく地に刺さる。着地した九尾は満面の笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。体がなまってんだ。相手してもらおうか」
黄金色の瞳が月光を反射して、怪しく光った。
鋼汰が九尾に出会った場所から、更に奥の森。高山と呼ばれる山頂に、荘厳な城が建っている。崖のように盛り上がった岩山のてっぺんにそびえ立つその城は、異様な空気に包まれていた。
城の一室、高い天井には色とりどりに描かれた絵が灯台の光でおぼろげに見える。白い布が天井から吊り下げられ、それが何枚も重なっている。部屋の中央に座していた影が、燭台の光によって白布に映し出される。
その影に、音もなく顕現した狐の面をつけた者が声をかけた。
「空弧(くうこ)様。いかがなさいましたか?」
空弧と呼ばれた影が身じろぎ、立ち上がると白布の森をかいくぐると、格子に手をかける。そっと格子を開け、空を仰ぐ。天頂には満月がぽっかりと闇夜に浮かんでいる。その様子を見ていた面妖な男は、再び問うた。
「空弧様?」
「目覚めた…」
黒い武将髭を生やした口元が歪む。
その低い声はこの広間によく響いた。
漆黒にも見える床まで伸ばされた髪は、光や角度から見れば赤く焦げたようにも見える。鶯色の袈裟を無造作に着こなしている。
面妖な男は空弧の布で隠された目を見た。
白い布で目を隠しているのは遥か昔からだ。目が見えないとのことで、空弧に出会ったときからもうずっと同じ姿のままだった。
「奴が目覚めた…」
空弧が誰のことをさしているのか察した男は、はっと開け放たれた格子から満月の浮かぶ空を見た。夜の盛りを少し過ぎた頃だろう。陰陽師家である安倍家に刺客を差し向けて、もう二日。同胞の腕ならもうとっくに安倍家の次期当主である鋼汰をここへ連れ去ってくるはずだ。だが、二晩もかかるとは思っていなかった。思いのほか手こずることが起きたのか。面妖な男は思案した。
もしかすると、ここに向かってくる途中、あの男に出会ったのだろうか。否、あの男は封印されている。よほどの“力”がない限り、その封印は解けないことをよく知っていた。ではなぜ。
面妖な男は空弧の横顔を見た。
口元に怪しい笑みを乗せ、夜空を仰いでいる。
この人が施した封印だ。そう易々と解けるはずがない。面妖な男は頭を振ったが、記憶の片鱗がぶつかり思い起こした。
もしかするとあの少年、鋼汰とか言う少年が解いたのかもしれない。安倍家の次期当主と認定されているほどだ。“力”もそれなりにあるのかもしれない。
それならば封印を解くことも容易いはずだ。封印を解かれたあの男と、同胞との間に何かあったのかもしれない。
思いをめぐらす僕をよそに、空弧は空に浮かぶ月を眺めていた。
- Re: シロガネ ( No.6 )
- 日時: 2010/05/27 22:40
- 名前: 志麻 (ID: 5T4lUgOl)
鋼汰はしばし声を上げられずにいた。
目の前で起こっていることに頭がついていけていけない。
鋼汰はただただ目の前で繰り広げられる争闘に、息をすることも忘れて見ていた。
狐の面をつけた者達が一斉に苦無を九尾に向けて放つ。九尾は器用に、軽い身のこなしでかわすと、手を天に向けた。するとその掌に青白い何か、靄のようなものが集まり始める。それが青白い炎だと気付いたときには、既に九尾の手から離れ、面妖な男達に襲いかかった。ごうという猛々しい音とともに炎は面妖な者たちに火の粉を散らす。身にうつった炎は一瞬にして体を覆う。普通の焚き火や、篝火に用いられる炎より熱を持った青白い炎は、面妖な男達を苦しめた。焦げる臭いが辺りに広がる。男達は身を焦がす火をかき消そうともがく。一度移った炎は消すことは難しい。
唖然とその様子を見ていた鋼汰は我に返った。
鋼汰の記憶が正しければ、九尾と呼ばれたあの男は『白面金毛九尾』という日本古来から住まう、妖弧だ。九つの尾を持ち、炎を操ると聞いた。鋼汰はもがき苦しむ男達をにやにやと睥睨している九尾に目をやる。確かに、あれは絵巻で見たとおりの姿だ。人に化けるとも聞いた。だとすれば、どうしてこんなところに。
鋼汰が思いをめぐらせていると、面妖な者のうちの一人が炎をかき消し、鎖鎌の鎖を九尾の首めがけて解き放つ。目にも止まらぬ速さで九尾の白い首に巻きつくと、ぎりぎりと距離を保って男は締め上げる。
九尾は顔色一つ変えずに、男を見据えた。
金色の瞳がきらめく。
「どうした?お前達はその程度か?まだまだだな…」
落胆した声音は、低く怪しく森に響く。すっと表情を変え、九尾は鋭い眼光で首を絞める男に言い放った。
「本気出さねぇと死ぬぞ」
そう言い終らぬうちに、九尾は鎖に手をかける。手に宿った炎が鎖を伝い、首を絞める男に再び襲いかかった。今度はさっきよりも火嵩を増し、男は今度こそ叫びながら地にもんどりうった。地に身をこすり付けるが、消えるどころか徐々に荒々しく燃え上がっているようだった。火種を見つけた火が大きくなっていくように、青白い炎は天高くまで昇り、男の身を燃やし尽くす。鼻が曲がるような臭いが辺りに漂う。
火種をなくした炎はむなしく小さくなっていき、やがて男を跡形もなく燃やした灰だけが宙に舞う。
鋼汰は総毛立った。一瞬にして人を灰と化した炎が恐ろしくなったのだ。目の前に佇んでいる狐は無表情でその灰を見つめていた。
「俺も殺されるのか?」死の恐怖が喉まで競り上がってくる。息苦しい。這い上がってきた恐怖は鋼汰の体全身を振るわせた。
同胞の死を目の当たりにした他の男達は、火をかき消すと、九尾と一定の距離をとった。己もあのように灰となるかもしれないなどという迷いや不安は一切感じていないのか、苦無や鎖分銅を取り出す。
戦意を失っていない男達に、九尾はため息をついた。
「はぁ…もういい。お前ら雑魚相手だと体慣らしにもならねぇ。雑魚を相手にするのは疲れんだよ」
忌々しげに舌打ちすると、九尾は体の向きを変えた。鋼汰は歩み寄ってくる狐に身構えた。恐怖はじわじわと体の感覚を奪い、冷たく冷えていくのがわかった。九尾は手を横たわる少年に手をかざす。その手を見て、鋼汰は硬く瞼を閉じた。脳裏に浮かぶ家族の顔を思い出し、今度こそ死を覚悟した。
「大丈夫だ、殺さねぇよ」
低い声が頭から降ってくると、温かい何かが体を包んだ。わけがわからず瞼を上げると、身をあの青白い炎が包んでいた。声を上げそうになったが、それを飲み込む。不思議と火が身を焦がす熱さを感じない。むしろ太陽に包まれたような心地よい温かみを感じた。恐怖で凍てついた体が解けていくような気がした。
鋼汰の身を縛っていた紐を燃やし尽くすと、九尾は鋼汰の襟の部分を掴むと、そのまま踵を返して森の奥へと突き進む。
「えっ、あれ?おいっ」
「ついてこい、童」
肩に担がれた鋼汰は訳がわからず声を上げた。
「させるかっ!!!」
森の奥に消えようとする九尾の背に向けて面をつけた者は、苦無を投げ放つ。鋭い風切音がしたと思うと、鋼汰は飛んでくる苦無に思考が一瞬停止する。刺さる。そう思い、反射的に目を瞑る。ざくりと鈍い音がして、鋼汰はゆるゆると瞼を上げた。今確実に何かが刺さった音がした。自分に刺さったのではない。痛みはどこにも感じないから。
鋼汰は苦無の突き刺さった場所を目にしたとき、息を呑んだ。
九尾の手の甲に深々と突き刺さっていた。血が垂れている。九尾は前を向いたまま、手の甲に刺さった苦無など気にもせず、落胆した低い声で言葉をつむぐ。
「あいつに伝えろ。俺は目覚めた。首を洗って待っていろってな」
九尾は深々と突き刺さった苦無を抜き、振り向き様に苦無を投げると、狐の面をつけた男の頬をかすめて木にめり込んだ。
鋭い眼光で面妖な者達の目を睨むと、そのまま前を向き、軽く跳躍したと思うと、天高く飛び上がり闇夜に消えていった。
残された面をつけた者達はただその影を見送ることしかできなかった。
- Re: シロガネ ( No.7 )
- 日時: 2010/05/28 11:21
- 名前: 志麻 (ID: 5T4lUgOl)
鋼汰は渋面で考え込んでいた。
安倍家とは陰陽道に長けた一族で、今の時代生業としている術は少なかれど、昔は様々な術を使いこなしていた。
卜占では星読みや人相占い、妖退治にはそれなりの対魔の術を施したり、結界を張る術など多種多様だった。安土・桃山ともなれば人が刀を振るい、権力を争う領地の取り合い合戦と化している。陰陽師の肩身など日に日に狭くなっていった。それに比例して、陰陽師の力を発揮する場面が少なくなっていき、時代を追うごとに陰陽師に備わっている“霊力”も薄れていった。
そんな中。数少なくなっていく陰陽師の中で、霊力を生まれ持った赤子が生まれた。安倍家は歓喜し、大事に育て上げた。それが鋼汰だった。
物心ついた頃から書物を紐解き、陰陽五行説についても理解を深めていった。
一族の天才と囁かれ、その通りに育っていった。“霊力”を持つ者は妖を“視る”ことができる。一族の中では蝶よ花よと育て上げられた。
鋼汰の側近には一族の中で数少ない“霊力”を持つ、将影が任命され、毎日のように鋼汰に教えを説いた。その甲斐あってか、土が水を吸うようにみるみる陰陽道五行説、天文暦法を理解し、術を操れるほどにまで成長した。
「さすがは鋼汰様ですね」と将影から褒められると胸を張り、「某の愛孫は天才じゃのぅ」と祖父から誉れをもやうと顔を赤らめては照れた。
術を使ったり、何か知らないことを覚えるのは楽しい。鋼汰は勉学が大好きで、術を練習するのは努力を惜しまなかった。それ故天才は開花し、幼いながらも安倍家の後取りと謳われるようになった。
その天才と謳われた少年は、渋い顔をして唸っている。
今奥深い森の中を疾駆している。唯一の明かりである月光は森の木々に遮られ、森の中は闇夜よりいっそう暗い。
木々や茂みを可憐にかわしながら、森の山道を駆けている九尾の肩に、渋い顔で唸っている鋼汰はいた。
二日前の晩、突然家を襲撃した狐の面をつけた者から逃れてこの森に入り込んだ。必死に走ってたどり着いた大樹にこの九つの尾を持った狐は埋まっていた。
そうして死にたくないと懇願したとき、この狐は大樹から開放されたように顕現したのだった。
今思い返せば、一応あの狐の面をつけた者たちから助けてくれた事になる。そう思う。
だが鋼汰はどうも不満が拭えずにいた。
妖を敵とすると言っても過言ではないのが陰陽師だ。
術を使い、妖を退けるのが仕事でもある。
その陰陽家で育った自分が今、妖弧に担がれて闇夜を走っているなど誰が想像しただろう。こんな光景を見たら、安倍家の長老衆は怒り狂うこと間違いなしだ。もう一つ心に引っかかる不安もあった。
そんなことを揺られながら考えていた鋼汰に、九尾は声をかけた。
「おい、お前。何であいつらに追われてる?」
九尾は歩調を緩めずに駆ける。景色が矢のごとく流れていく。返事をしない童にもう一度、声を張り上げて問うた。声が届いていなかったのかもしれない。
「おい、童。お前は何であいつらに追われてつんだ?」
またもや返事がない。不審に思って肩に見やると、目が点になった。足に力を込め、急停止する。さっきまで肩に担いでいたはずの少年の姿がない。あるのは木の枝だ。それを見た時、九尾は一瞬考え辺りを見渡した。
「あれ?」
どこかに振り落としたのか。辺りの茂みをかき分ける。
「おい、こら…」
低く唸る声が三角の白い耳に届いた。後ろを振り返ると、童は木の枝に襟元を引っ掛け無様にぶら下がっていた。
「あ、悪りぃ」
「軽いなおいっ!」
走っている途中木の枝に引っかかった鋼汰に気付かず、そのまま疾駆していたらしい。
抗議の声を上げる鋼汰を木の枝から下ろすと、鋼汰は九尾と距離をとった。
小首をかしげる九尾に、鋼汰は良く通る声で叫んだ。
「あんた、九尾だろっ」
「…何をいまさら……」
「山海経(せんがいきょう)で見たことあるっ!!お前も空弧の手下かっ」
胸に引っかかっていた不安を口にする。
空弧は恐ろしい大妖怪だ。妖を従え、自分をさらおうとしているのは事実だ。身の回りに何が起こっても敵かもしれない妖怪と一緒にいるのは不満この上ない。
確かめておかなければこのまま大妖怪の元に連れ去られると、幼い頭でも容易に想像できた。
鋼汰は後ずさりながら、九尾を睨み付けた。
「空弧…お前、空弧に追われてるのか」
すっと九尾の表情が変わった気がした。月光を屈折させ、黄金色の目を煌かす。
「安心しろ。俺はお前を襲う気はない。俺がもし空弧の手下だったら今お前の口をふさいで身動きをとらせない状況にしていただろうな。それに、面をつけたあいつらと戦ったりしないだろ?」
「あ。そっか…」
納得した鋼汰は構えを解いた。もし敵だというなら陰陽師の端くれでもあるから、術をもって対抗しようと思っていた。
「教えろ、童。俺が眠っている間何があった?」
一陣の風が吹く。
木の葉が舞い、九尾の白銀の髪がなびく。夜空の月は傾き始めていた。
- Re: シロガネ ( No.8 )
- 日時: 2010/05/31 18:41
- 名前: 志麻 (ID: 5T4lUgOl)
夜も大分更けてきた。森を吹きぬける風が冷たい。
森で息を潜めるように寝静まった動物達が起きはじめた。
鋼汰は震える足で木の幹にもたれかかれ、木の根に腰掛けた。長時間慣れない野山を駆け抜けたせいで足は限界を迎えていた。関節が痛み、上手く力が入らない。立っているのもやっとで、座り込んだ時疲れがどっとやってくる。重い体を木の幹に預け、目の前の狐を見つめた。
睡魔に襲われそうになったが、頭を振りやり過ごす。九尾はそれを見ると急に背を向けた。
「待ってろよ」
そう短く言うや否や、軽く跳躍すると森の奥に消えた。逃げる気力も立つ気力も失せた鋼汰は、黙って狐が消えた方向を見ていた。
少しして九尾が片手に何かを提げて戻ってきた。持って来たそれを鋼汰の顔に突きつける。
「飲め。飲まないと倒れるぞ」
突きつけられたのは竹筒だった。その辺の竹を拾ってきたのだろう。水が並々と入っている。
鋼汰はそれを受け取ると一気に飲み干した。冷たい水が喉へと滑り落ち、体に染み渡る。ほぅっと息をつくと重い体が少し軽くなった気がした。
鋼汰は竹筒を地面に置くと、九尾に向き直った。
「落ち着いたか」
「うん。ありがとう…えっと…」
九尾は黄金色の瞳を丸くした。不審に思う鋼汰をよそに、静寂な森に大声が響いた。そのせいで眠っていた動物達が跳ね起き、どこかへ逃げていく気配が感じられる。
「あっははははははっ…くくくくっ……」
「な、何だよ」
いきなり大声で笑われては、こちらも虫の居所が悪い。眉根を寄せる鋼汰は、目の前で笑う九尾に小首をかしげた。
「くくくく…いや、いいんだ。俺が悪かった…」
そう言って九尾は目じりに溜まった涙を拭いながら、難しい顔をしている鋼汰に手を振った。
「驚いたな。人が妖に礼を言うとは…」
「助けてくれたんだから当たり前だろう?」
当然の振る舞いを大笑いされると不快感はますます募る。
九尾はすっと表情を変えた。月光に照らされる白い顔は美しいという形容では表せないほどだ。見つめていると心を持っていかれそうだった。
鋼汰はくっと口をつぐみ、怪しく微笑む九尾を見つめる。
「もし、俺が悪い妖怪だったら。俺はそうやって優しいふりをしてお前を油断させ、そうして襲うって手段もあるんだぜ?」
「もし、なんて仮定の話をしている時点で、悪い妖怪とは言いがたいけどな」
真面目に答えた鋼汰はまたもや大声で笑われた。今度こそは呆れた。何なんだこの狐。大丈夫か。
「くくくっ…そうか、そうだな。お前の言うとおりだ。人間にしては面白い。まぁ、そういうずる賢い妖怪もいるってことだ。覚えとけ」
何が言いたいのか訳がわからない鋼汰は口をあけて、頭に浮かぶ疑問符を消せずにいた。
「何だか、わけわかんねぇ」そう口の中で呟くと、鋼汰は咳払いをした。
「で、あんたが空弧の敵じゃないならなんであんな木に埋まってたんだよ」
「あぁ…俺はな、その空弧にあの木に封印されたんだ」
「封印…?」
聞きなれない言葉に小首をかしげる。
「なんで、そんな…」
「邪魔だったからだろ、俺が。そうさな、空弧の悲願の成就には俺が邪魔だったんだよ」
話の筋が全く見えない鋼汰は、眉をひそめた。
九尾はゆっくりと地に腰を下ろす際に、己の尻尾を器用に曲げてそれを椅子に代用した。
「教えてくれ、童。今まで何が起こったんだ?」
低い語調に真剣さが滲んだいあた。さっきまで大笑いしていた表情とは打って変わって、整った顔は少年を見つめた。
「ここ数十年で、空弧はこのあたりの、飛騨を治める大名を初め、殺していったんだ。そうして権力を意のままに操って、今では民をも虐げてる」
ゆっくりと言葉をつむぐ。言葉を選び、間違いのないように頭の中で組み立て、言葉にする。
真っ直ぐな真剣なまなざしに答えるように、鋼汰はゆっくりと語りだした。
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