ダーク・ファンタジー小説

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死んで花実が咲くものか
日時: 2021/02/06 09:30
名前: わらび餅 (ID: XXDJo3cv)

神様が、憎かった。

願って縋って嘆いた先、待っていたのは地獄だった。

生きたい。

生きたい。

まだ、生きていたいのに。


死神の足音は、すぐそこまで迫っていた。






***


死んで花実が咲くものか
生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば万事おしまいである。

──goo国語辞書より引用




※読む前に
・流血、暴力表現あり
・死ネタ
・魔法等の類ではありませんが一応ファンタジー
・現実にはない病気が主題

元題「いつか花を。」です。
以上のことをふまえ、お進みください。


*目次
・序章 >>1-14
・一輪目 『勿忘草』 >>16-29

*お客様
・ゼロ様
・祝福の仮面屋様
・nam様


*2018年5月27日 参照1000突破
*2019年6月11日 参照2000突破
*2020年6月11日 参照3000突破
*2021年1月29日 参照4000突破

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.25 )
日時: 2020/06/21 10:43
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

「せんせいのお家、本たくさんになったねぇ」
 
 殺風景だった部屋に本という彩りがぐんと増えた頃、僕とミオの勉強会は週二日から週一日になっていた。ミオはもうすっかり一人で本を読めるようになり、勉強会というよりかは感想を言い合うもはや座談会と言った方が正しいものに姿を変えていた。僕の生徒はとても優秀だったのだ。
 彼女の最近のお気に入りは、魔法という力を使って悪しき力から世界を救うというなんとも不思議な物語らしく、時折自分の手を見つめたと思えば颯爽と振りかざし、なにやら呪文のようなものを口にしている。恐らく本の影響だろう、微笑ましい光景だった。
 
「そうだね、随分増えてしまって置き場所に困っているよ……ああ、そういえば、昨日買った『月光唄』もとても素晴らしい作品だった。ミオも読んでみるといい」
「ええ……せんせいの好きな本、難しいのばっかりなんだもん」
「そうかい? そんなことないと思うけれど……まあ、本の面白さは話だけではないからね。僕なんかは、書き手の人生が垣間見える瞬間がたまらなく好きだったりする。彼らが生きてきた中で見つけた言葉たちに、命が吹き込まれるその瞬間が。これは僕の例だけれど、ミオもいつか、こういった琴線に触れるものに出逢えるよ」
「そうかなあ」 
「人の好みは千差万別だ。この先も本と共にあれば、必ずひとつは見つかるさ。それに、『月光唄』はどちらかといえばミオの好きな分類じゃないかな。月の光に呪われた少女と神に愛されなかった少年が織り成す、うつくしくも儚い愛の物語だったよ」
 
 恋愛物語、好きだろう? と問いかけると、彼女はなんとも言えない表情を浮かべた。眉尻を下げて、何かを言おうと口を開けては閉じる。その繰り返し。
 約数秒という短い時間ではあったが、彼女は確かに言おうとしていた言葉を飲み込んで、かわりに彼女らしからぬ不格好な笑みを浮かべた。
 
「……やっぱりちょっと難しいよ」
 
 結局、彼女の口から零れた言葉は、たったこれだけだった。
 
「それよりもさ、せんせい」
「……なんだい?」

 追及はしなかった。誰だって、言いたくないことのひとつやふたつは抱えている。それを暴こうとするのは愚か者のする事で、僕は彼女の前でそのような人間にはなりたくなかったのだ。
 けれどもし、時を巻き戻せるのなら。僕はきっと、愚か者になってしまうのだろう。全てはもう、遅すぎる後悔ではあるが。
 
「せんせいも、書いてみたら?」
「……書く? 何を?」
 
 突拍子もなく投げかけられた言葉に返せるほどの器量を僕は持ち合わせておらず、質問を質問で返すという禁忌を犯してしまったのを今でも覚えている。そんな僕に浮かべた微笑みは、もう先程のぎこちなさの欠片も残ってなどいなかった。
 
「お話! 私、せんせいのお話が読んでみたい!」
「……お話」
「せんせいなら書けるよ! だって頭いいもん」
「……そうかなあ」
 
 確かに、頭は悪い方ではないが、だからといって何の知識もない素人が書けるものなのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎらなかったわけではない。けれど、彼女が読みたいと言ったのだ。僕ならできると、そう言ったのだ。
 ああ、認めよう。僕は恐ろしい程に単純な人間だ。そして、僕の中では『ミオの願いを叶えない』という選択肢は存在すら許されておらず、まるでそれが当たり前かのように僕は筆を手に取ったのだった。 

 
 筆を片手に真白い紙切れと顔を合わせ、唸りながら文字を捻り出す作業を始めてから数週間。端から長編の大作なぞ書けるはずもないので、手慣らしに詩と短編小説をいくつか書き上げた。だが、結果はそれはもう惨憺たるもので、早々に火にくべてなかったことにした。もし今それらを目にすることがあったなら、僕は間違いなく正気を失い気絶することだろう。それ程までに惨たらしいものだった、とだけ言っておこうと思う。
 さて、なにがいけないのだろうとあちこちから本を引っ張り出して自分の文と見比べてはその差に落胆し、全て投げ出してしまいたい気持ちを必死に押し留め再び筆を取る。そんなことを繰り返すうちに、重大な欠陥があることに気がついた。
 僕の文字には、命が生まれない。
 しかしそれもそのはず、僕はうつくしいものや素晴らしいものを眼に映すことのない、からっぽな人生を歩んできたのだ。そんな人間が作り出した文字など、生まれる前から死んでいて当然だった。それに、つい最近感情というものに触れた人間が他者の思いを想像するなど、天地がひっくり返っても不可能だったのだ。
 けれど、書くと言ってしまった手前「出来ませんでした」と醜態を晒すことは許されない。ミオはきっと、笑って許してくれるだろうけれど。
 どんな研究よりもこちらのほうがよっぽど難しいな、と腰掛けていた椅子の背もたれに体重を乗せる。たったひとつでも素晴らしい作品が出来たのなら、彼女は喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら、あの子の笑顔を思い出す。どこまでもあたたかくて、純粋で、思わずつられて笑ってしまうような、そんな表情を。
 その時、ふと思った。「これだ」と。
 僕が文字にすべきものは、王子と姫の恋愛物語でも、不思議な力で世界を救う物語でもなく、僕自身なのだと。今まで起きたことの全てを──家族に見限られ天涯孤独になり、そしてひとりの少女と出逢ったことを、そのまま文字に起こせばいいのだと気がついたのは、すっかり夜も更けた時のことだった。
 全てを書き上げた頃にはもう日はてっぺんまで昇っていて、呆然としたのをよく覚えている。そうして出来上がったものは、お世辞にも素晴らしいものだとは言えなかった。けれど火にくべようとはどうしても思えず、紙の束を抱いたまま布団に寝転んだ。目を閉じて、文字に起こした僕の物語を再生する。何度も、何度も。
 あの時はきっと、悲しかった。寂しかった。でも、嬉しいこともあった。それらはすべて、僕の心だったもの。昔の僕がどこかに落として壊してしまったものを、今の僕が拾い上げて名前をつけて、ようやく存在を許された。
 
 寝る間も惜しんで筆を走らせたあの時、僕は確かに、作家としての一歩を踏み出したのだ。
 
 

 
 
「……これ、もらっていいの?」
 
 僕が差し出した紙の束を、ミオは目を丸くしながら受け取った。あまりにも驚くものだから、思わず笑い声を零す。それに気づいた彼女は、少々気恥しそうに紙の束を抱きしめた。
 
「もちろん。君のために書いたものだから、好きにしてくれて構わないよ。読んで気に入らなかったら捨ててくれ」
 
 さほど面白いものでもないだろうし、と続けた言葉は、他でもないミオに遮られた。
 
「絶対捨てない! 大事にする!」
「……そうか」
 
 それはそれで少しむず痒いものがあるな、と口ごもる僕はお構い無しに、ミオは嬉しそうに紙を指で撫ぜた。
 この時の彼女の顔を、今でも鮮明に思い出すことが出来る。頬をほんのり赤く染め、目を細め、柔らかく口角を上げたその顔を、僕はきっといつまでも覚えているのだろう。
 この後、日刊紙の隅に僕の短文が載せられるようになり、いつの間にかそれらが本となって多くの人の手に渡るようになるが、彼女の笑顔ほど僕を喜ばせてくれる事柄はなかった。ミオははじめての読者であり、僕の文をはじめて愛してくれたひとりだった。
 僕が物語を書き、それを彼女が読み、「面白かった」と、「好きだ」と、笑って教えてくれる。そんな日々は瞬く間に過ぎ去って、やがて転機が訪れる。
 
 
「せんせい、あのね。私、結婚するんだって」

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.26 )
日時: 2020/07/12 23:00
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

「……結婚?」
 
 思わず零れた言葉は、それはそれは情けない声色をしていた。
 
「うん。前から言われてはいたんだけど、私がずっとほったらかしにしちゃってたんだ。それにお母様が耐えきれなくなっちゃって……」
 
 ミオの合意なく、婚約が正式に決定されてしまったと彼女は言った。
 確かに、ミオはもう結婚できる歳にまで成長した。あどけなさを残しつつも、大人の女性と言って差し支えないほどにうつくしく。彼女と出逢ってからもうそれほどに時が経っているのだという事実は、彼女の形をして僕の眼前に現れていた。
 
「相手は、どんな人なんだい?」
「いい人だよ、とっても。優しくて、かっこよくて、きっと私を大事にしてくれるんだろうなって人」
 
 伏し目がちにそう語る彼女に、祝福をしなければと思った。望まない婚姻というのは、このご時世そう珍しいものでは無い。それに、そんなにもいい人ならば、いつかの未来で恋心を抱くこともあるだろう。そうでなくも、あたたかで穏やかな人生を歩むことができるだろう。決して優しいとはいえないこの世界を生きていく上で、隣にいる誰かを作ることは非常に大切だ。人はひとりでは生きていけない。この子には、幸せになって欲しいのだ。笑った顔が良く似合う、太陽のような子だから。
 だから、祝福をしなければ。
 
「……きみは、それでいいのかい?」
 
 祝福を、しなければ。
 しなければいけないのに、口から出たのは全くの真逆で、僕は自分の言ったことに驚きを隠せなかった。こんなことを言うつもりなどなかったのに、どうしてだか僕の愚かな口は勝手に動いてしまったのだ。
 
「……ああ、いや、すまない。不躾な問いだった。いい人ならば、いいんだ。僕は……その、きみをずっと傍らで見ていたから、父親のような気持ちになってしまったのかもしれない。少し、心配で」
 
 この時ほど、己の口下手を呪ったことはない。彼女の顔を見れずに、視線をうろつかせながら言い訳を募る僕の姿は、恐らく滑稽以外の何者でもなかっただろう。いっそ笑ってくれたら、と思いながら彼女の返答を待った。まるで断罪を待つ囚人のようで、いますぐここから立ち去ってしまいたい衝動に駆られたが。
 けれども、彼女が口にした答えは、僕の頭が瞬時に作り出した想像のどれでもなく。僕は思わず視線を彼女にうつしたのだ。
 
「──せんせいは、いいと思う?」
 
 その時の彼女の顔は、僕が覚えている限りでは見たことのない、深い夜の色をしていた。いつだって太陽のように輝いているのに、分厚い雲に隠れて月の光さえも見えない。
 どうしてそんな顔をするのかわからなくて、返事をするのも忘れて彼女を見つめた。数秒だったか、それとも数十分だったか。その間僕達はただ目を見合わせて、互いをその瞳にうつしていた。
 その時間のはじまりは僕だったが、終わりは彼女だった。
  
「……なんてね。なんでもない!」
 
 止まった時間が、ゆっくり流れ出す。息のかたまりを吐き出してやっと、自分が呼吸を止めていたことに気がづいた。
 
「あはは! せんせい、変な顔!」
「……どんな顔?」
「うーん、『心底わかんない』って顔」
「正解だ」
「ほんと? やったあ」
 
 いつもの、ミオだ。
 あまりにもいつも通りすぎて、先程のあれは幻覚なのではないかと思い始めた。けれど紛れもない現実で、あの時の彼女は僕の知らない彼女だった。
 
「せんせいは、しないの?」
 
 すっかり元通りになったミオが、机に頬杖をつきながら尋ねてきた。深い夜はなりをひそめ、かわりに太陽が再び顔を出した。
 
「なにを?」
「結婚」
「……しないさ」
「えー、どうして?」
「僕なんかと一緒になっても、その人が不幸せになるだけだよ」
 
 結婚は人生の終着点だと、顔も知らないどこかの誰かが言っていた。
 だというのに、化け物と共に生きたいと願う人間がどこにいるのだろうか。人間のなりそこないが、必死に人間の振りをしてどうにか今に至るというのに、誰かと毎日同じ家にいて同じ時間を過ごすなんて到底無理だろう。いずれ化けの皮が剥がれて、かつての両親のように僕を置いていくのだ。
 寂しさと名付けたあの感覚を、僕はもう味わいたくなどない。
 
「そんなことないよ!」
 
 机をバン、と両手で叩いて身を乗り出した彼女のおかげで、思考の泡がぱちんとはじけた。
 
「驚いた。どうしたんだい、突然」
「せんせいが変なこと言うから! あのね、ずーっと思ってたけど、せんせいは自分の評価が低すぎるんだよ」
「そんなことはないと思うけれど」
「あるの! ……ねえ、せんせい。私、ずっとせんせいと一緒にいたよ? 私が不幸せに見える?」
「……いや」
「でしょ! 私はね、せんせいと一緒にいるの、すごく楽しいよ。せんせいとお喋りするのも、せんせいのお話を読むのも大好き。せんせいと会えてよかったって、ずっと思ってるよ。だからそんなこと言わないで。私が大好きなせんせいを貶めないで」
 
 どうして。
 彼女の言葉を聞いて一番に思ったことは、疑問だった。
 誰も彼もが僕を毛嫌いし、遠巻きにして、石を投げつけてきた。僕は異質だったのだから、それは仕方の無いことなのだ。こうなってしまったのは僕のせいで、周りの人々が悪い訳では無い。僕が間違って人に生まれてきてしまった化け物だったばかりに、両親も僕を捨てざるをえなかった。全ては僕が僕であるために起こった出来事だったのだ。けれど彼女は、ミオは、何も変わらない。僕が何をしても、何を言っても、何も変わらないのだ。僕が僕であり続けても、笑ってそばにいてくれた。
 彼女の言葉全てが、僕の心をやわらかくつついてくる。僕自身が吐き出して綴ってもうんともすんともいわないそれらは、彼女の声で象られた途端に光り輝き、命が吹き込まれるのだ。
 
「どうして……どうしてミオは、僕の隣にいてくれるんだ?」
 
 僕の問いかけに、彼女はぱちくりと大きな瞳を瞬かせたあと、深くため息をついた。
 
「……ここまで言ってもわかんないかぁ」
「……?」
「ううん、いいの。それがせんせいだから、いいの。……私はね、せんせいが私を見てくれるから、隣にいたいなって思うんだ」
「見て、くれる?」
「うん。『お嬢様』でも『なにもできない女』でもない、『ミオ』として私を見てくれるのは、せんせいだけなんだ」
 
 この時の彼女は、なんだか難しいことばかりを口にしていた。
 ミオはミオなのに、それ以外にどうやって彼女を見ろというのか。そう言うと、彼女は「そういうとこだよ」と笑った。
 
「息がね、しやすいの。呼吸をするなら、せんせいの隣がいい」
「……随分難しいことを言う」
「そうだね。せんせいにもいつか、わかるよ」
 
──でも、そのいつかが来た時、私は隣にいないんだろうなあ。
 
 それならば、その『いつか』は来なくていいのに。
 彼女のつぶやきに、そんなことを思った。けれど、結論から言うとその『いつか』はやってきた。そしてその時、彼女は確かに僕の隣にはいなかったのだ。

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.27 )
日時: 2020/08/31 03:14
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

 その後、すぐにミオは結婚した。本人から直接報告を受けたわけではない。風の噂で「結婚したらしい」と聞いただけ。しかし、あの時の会話や彼女が僕の家に来なくなったことをふまえても、その噂の信憑性は十分なものだった。あの日以来、僕は彼女に会っていない。
 正直に言うと、僕は彼女がいない数ヶ月をどう過ごしていたのか、あまり覚えていない。陽の光で目を覚まし、味気ない食事を胃に詰め込んで、筆を手にして紙と向き合い、日が落ちる頃に眠りにつく。そしてまた朝を迎える。ただひたすらに繰り返されるそれらは、僕の脳が覚えていられる程意味のあるものではなかったのだ。
 けれど、今でも鮮明に覚えていることがひとつだけある。周囲の人間の目だ。いつの間にか僕は『化け物』から『人気作家』に変化したらしく、石を投げられることも水をかけられることもなくなった。それからというもの、かねてからの友人かのように気さくに接してくる人間が驚く程増えたのだ。彼らの中で、過去の僕に対する扱いはなかったことになっているらしい。
 きっとこれは、喜ばしいことなのだろう。彼らの目では、僕は人間に見えるようだったから。けれど不思議なことに、彼らの口から自分の名前を聞く度、僕は酷い不快感に襲われた。罵詈雑言を聞いていたあの頃の方が、余程よかったと思う程に。

──せんせい!
 
 鈴を転がしたような声が、頭の中で木霊する。
 彼女から呼ばれた時は、あんなにもあたたかな気持ちになったというのに。一体どうしたというのだろう。
 そしてもう一つ、不思議なことがあった。彼女と会わなくなっても、特に支障はない。勉強会にあてていた時間を執筆に費やすことが出来るのだから、むしろ仕事の面ではこれまで以上に捗るというものだ。だというのに、紙の上を滑る筆の進みはいつも以上に遅かった。何も浮かばず、言葉を綴りたいという気持ちも溢れてこなかった。僕の文を読むのが『彼ら』だと思うと、今すぐに筆を折りたくなった。彼女を思って書いた時は、時間を忘れる程だったというのに。
 彼女と会わなくなっても、特に支障はない。生きていける。
 
 けれど、どうしようもなく息がしづらかった。
 
 
 
 
 
 そんな日々を送っていた僕の元に、思いがけない客人が訪れる。雲ひとつない空に、星が瞬く夜。
 やってきたのは、ミオと彼女の婚約者だった。何よりも真っ先に目に入ったのは、彼女の姿。彼女は婚約者の彼が押す車椅子に乗せられ、目を閉じていた。その瞳が開かれる様子はない。僕の姿を映すことも、ない。彼が挨拶と自己紹介しているのを遮って、僕は尋ねた。その声が震えていたことにも気づかないくらいには、冷静ではなかった。
 
「なにが、あったんだ。彼女はどうして、こんな」
 
 動揺からうまく言葉を発せない僕とは反対に、彼は至極落ち着いた様子で説明してくれた。
 
「──病に、かかりました。私と結婚した時にはもうすでにかかっていたらしく、かなり進行しています」
「……病?」
「花咲き病を、ご存知ですか」
 
 その名前を聞いた瞬間、頭が真っ白になる。
 原因不明、治療方法も薬もない、不治の病。かかった人間を必ず死に至らしめる、殺人花。そんな病に、彼女が?
 この時の僕は、きっと酷い顔をしていたのだろう。僕を見て、彼がその整った顔立ちを悲しそうに歪めた。
 
「起きているのも辛いようで、最近はずっと横になっていたんです。恐らくもう、長くは……」
 
 目を伏せた彼に、思わず僕は怒鳴る。人生で初めて、声を荒らげた。
 
「ならどうしてこんなところに連れてきた!? 安静にしていれば、まだ!」
「これが彼女の願いだったからだ!」
 
 僕の声を遥かに上回る大きさで、彼の悲痛な叫びが響き渡る。水の膜が張られた二つの瞳が、僕を捕らえる。そこには、怒りにも似た激情が確かに込められていた。彼は決して、落ち着いてなどいなかった。堪えていたのだ。今にも溢れて零れてしまいそうな感情を、必死に。
 いつしか、彼女が言っていたことを思い出した。
 
──優しくて、かっこよくて、きっと私を大事にしてくれるんだろうなって人。
 
 ああ、本当に、君の言う通りだった。
 
「私たちは想い合って結ばれたわけじゃない! それでも彼女のことは大切に想ったし幸せにしてあげたかった! でも私じゃ駄目なんだ、貴方じゃなきゃ……!」
 
 彼の瞳から、雫が溢れる。ぼろぼろと零れるそれは、とどまることを知らないようだった。
 
「……ミオは、貴方のことを楽しそうに話してくれました。貴方から貰ったと言っていた紙の束を何度も何度も読んで、抱きしめて、眠るんです。私が、なにかしたいことはあるかと尋ねた時、必ず困った顔をして笑うんです。彼女が何も言わなくても、私にはわかった。わかってしまったんです。彼女は、貴方のそばにいたいのだと。……だから、どうか、彼女の願いを叶えてくれませんか。彼女を想っているのなら、彼女のそばにいてあげてくれませんか」
 
──私では、駄目なんです。
 
 絞り出したような声で懇願する彼に、僕はかける言葉を失った。かわりに、頭の中でミオに問いかける。
 どうして、僕なんだ。どうして、彼じゃないんだ。こんなにも、君を想ってくれているのに、どうして。僕なんかのそばにいたって、いい事などひとつもないのに。僕は君に、なにもしてあげられないのに。
 ミオはなにも答えてくれない。ただ黙って、目を瞑っている。僕達の間にしばらく沈黙が横たわった。それを破ったのは、僕の掠れた息を吸う音だった。
 
「……わかった」
 
 僕の言葉に、彼は唇を噛み締めた。そして、深く、深く、頭を下げたのだった。

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.28 )
日時: 2020/11/01 22:51
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)


 このままミオ目が覚めなかったら、という不安に駆られながらベッドに横たわる彼女を見つめていた。時間が経つのも忘れて、その瞳が開かれるのを今か今かと待ち続けていたのだ。
 彼女がいるはずのない僕を見てなんと言うのか気にならなかったわけではないが、そんなことよりも彼女の安否が僕にとっては最も重要なことだった。目を覚ましてくれればいい。その声で「せんせい」と呼んでくれたら、もっといい。そう思いながら彼女の傍に椅子を持ってきて、そこに座り時を過ごした。そうして何時間が経っだろうか。
 
「……せ、んせ…………?」
 
 か細い声が僕の鼓膜を確かに揺らした。
 ハッとしてミオの顔を見ると、ぼんやりとした瞳が僕を見つめていた。その瞬間にこみ上げた気持ちを表す言葉を、僕は持ち合わせていない。
 ああ、ああ、よかった。本当に、よかった。思わず視界がぼやける程に、僕は心から安堵していた。生きた心地がしなかったというのは、こういう時のことを言うのだろう。もう二度と味わいたくないものだ。
 
「……夢?」
 
 まだ完全に覚醒していないのだろう。ミオが掠れた声で呟いたその言葉に、「夢ではないよ」と答えた。すると、その目がみるみるうちに見開かれていく。夢心地から帰ってきた彼女は、やっと今が現実だと気がついたようだ。そして茫然と零した声には、喜びや嬉しさといった色は感じられなかった。
 
「どうして」
「……きみの夫がここまで連れてきてくれたんだ」
「ここ、は」
「僕の家だよ」
「……あの人は?」
「……君を連れてきてすぐ戻ったよ」
 
 彼女の問いに簡潔に、淡々と答えていく。
 あの人というのが彼女の夫であることはすぐにわかった。僕の言葉にミオはゆっくりと目を伏せて、声を震わせた。
 
「……そう。そっか」
 
──あの人を、傷つけちゃったなあ。
 
 呟きは、聞こえなかったふりをした。
 
 その後再びミオは瞼を閉じて、眠りに落ちた。一瞬頭が真っ白になり血の気が引いたが、緩やかな寝息と共に上下する胸をみてほっと息を吐く。大丈夫、またすぐに目を覚ましてくれるだろう。
 彼女を見つめながら、頭の中で彼に問いかける。これが本当にミオの望みだったのか? と。僕を見た彼女は、ひとつも嬉しそうじゃなかった。きっと君を見たならば、いつものような微笑みを浮かべていただろうに。彼はなにを期待していたのだろう。こうして近くにいても出来ることなどない情けない男に。
 それでも、己の吐く息が少しも苦しくないことに気がつき、なんて浅ましいのだろうと自分の首を絞めたくなった。彼女が酷く苦しんでいるのに、隣にいられることが嬉しいだなんて。ああ、どうして病に犯されたのが僕ではなく彼女なのだろう。
 せめて彼女が穏やかな夢を見られるようにと、僕は傍で祈ることしか出来なかった。
 
 
 目を覚まし、しばらくしてまた眠り、を繰り返していたミオの傍について数日。僕はすっかり定位置となったベッドの傍で本を読んでいた。そんな僕をじっと見ていた彼女が、「せんせい」と名前を呼んだ。
 
「なんだい?」
「……どうして、隣にいてくれるの?」
 
 その質問に、ふといつかの日を思い出した。
 彼女が結婚すると言ったあの日。「どうして隣にいてくれるのか」と彼女に問うたあの日を。
 伝えなければ。同じ言葉を使うことは、文字書きとしてあまり褒められたものではないだろう。けれど、どうしても伝えたかった。
 
「──息が、しやすいんだ」
 
 はっとしたように目を瞠る彼女に、苦笑いを浮かべる。
 
「ミオの言う通りだったよ。君がいなくなってからようやく分かったんだ。僕を僕として見てくれるのは君だけで、そんな君がいない場所では酷く息がしづらかった」
 
 ミオの隣ではなくても、生きていける。食べ物が味気なくとも、僕を呼ぶ鈴のような声がなくとも、生きてはいけるのだ。
 けれど、
 
「呼吸をするなら、ミオの隣がいい。……だからどうか、傍にいさせてくれないか。傍に、いることしかできない情けない男だけれど」
 
 これはどうしようもない、僕の我儘だ。彼女に向けるこの感情の名前は分からないけれど、間違いなく僕の心が叫んだ感情だ。彼の言葉を信じ、彼女が同じことを望んでくれているのなら、愚かな僕を傍においてほしい。傍にいることを赦して欲しい。望まないのなら、彼の元へミオを戻そう。これは賭けだ。あまり、勝算のない無鉄砲なものだけれど。
 本を膝の上に置いて、ミオの手をそっと握った。すると、茫然と僕を見ていた彼女の瞳からぽろぽろと雫が零れてきて、ぎょっとしてしまった。泣くほど嫌だったのだろうか、と冷や冷やしていると、彼女の細い指が僕の手をぎゅっと掴んだ。
 
「……私も、私もずっと、せんせいのそばにいたい……!」
 
 絞り出したようなか細い声が、僕の脳を震わせた。
 
「……な、ならどうして泣いてるんだ。てっきり嫌なのかと」
「う、嬉しいから泣いてるの……! ばかぁ……!」
 
 馬鹿、だなんて初めて言われた。頭は悪くない方だと思っていたのだが。
 泣き続ける彼女にどうしていいかわからず、震える体をそっと抱き寄せた。落ち着いてくれ、と願いを込めながら浅葱色の髪を撫でた。最初は石のように固まってしまった彼女だったが、しばらく続けていると力を抜いて、体重を預けてきた。
 腕の中で鼻をすする彼女を見て、どうしてだか内蔵がぎゅっと引き絞られるような感覚に陥ったが、すぐに治ったので気にしないことにした。それよりも、ミオの髪を撫でる方が優先事項だと思い、彼女が泣き止むまでその手を止めることはなかった。そしてふと、いつか読んだ「泣きながら笑う」という文を思い出して、これが嬉し泣きか、と、また新しい感情を知った。
 無性に、ミオの笑顔が見たくなった。

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.29 )
日時: 2021/01/03 00:57
名前: わらび餅 (ID: IjQZZTQr)


 ゆるやかに、終わりは近づいてきていた。音もない、穏やかな終わりがすぐそこにきていた。
 
 ベッドに横たわる彼女のそばで、本を読む。それが日課になって数週間が経ったある日、ミオがぽつりと呟いた。
 
「死んだら、どこにいくのかな」
 
 どこか夢うつつの彼女の瞳は、こちらを向いてはいなかった。どこか遠く、目には見えないどこかを見ているようだった。
 
「どうしたんだい、突然」
「んーと……天国って、あるのかなって思って」
 
 話しかけてようやくこちらを向いた瞳には、悲しみや怒りといった負の感情は浮かんでおらず、ただただ静かに凪いでいる。
 
「……どうだろう。死後のことは誰にも分からないからね」
 
 科学的根拠など何も無いにも関わらず、人々の間で信じられている死後の世界。きっと、死に怯える人間が、「死は終わりではない」と思うために、或いは、大切な人の死を受け入れるために創り出したものだと僕は考えている。昔の自分だったら「そんなものは有り得ない」と一蹴していただろうが、それはミオが望む答えではないだろう。
 故に僕は、「分からない」と答えることにした。事実そうであるし、もしかしたらこの世の神秘というものが本当にあるのかもしれない。それを目にする術は、今のところ無いけれど。
 
「私は、天国にいけるのかな」
 
 ぽつりと呟く彼女。
 もし、もしも、天国や地獄のような場所が本当にあるのだとして、彼女がどちらに逝けるかなんて明白だろう。彼女は背負うべき罪も罰もなく、まっさらに生きてきた。そんな彼女が地獄に堕ちるのなら、この世の人間は全て地獄逝きだ。
 
「いけるさ」
「ほんと?」
「うん。なにをそんなに疑うことがあるんだい? きみはなにも償うべきことなどしていないだろう」
「……そうかなあ」
 
 なぜか納得していない様子で、ミオは布団の上で手を握りしめた。
 その姿をみて、どうしたものかと思案し、頭の中でかける言葉を探す。僕は口が上手い方では決してないため、冗談や軽口の類は得意じゃない。好き好んで口にする方でもない。他人の冗談に付き合うことも、あまりしたいとは思わない程だ。けれど、彼女の笑顔を見る為ならば。
 
「そうだとも。それを言うなら僕の方がよっぽど地獄に相応しいよ」
「えっ、どうして? せんせいだってなにもしてないでしょ?」
「……実は」
「……実は?」
「──虫を、殺したことがある」
 
 至って真面目な顔を作り深刻に告げる僕を見て、ミオはぽかんと口を開けた。そうして見つめあった僕達の間に沈黙が横たわる。その沈黙を破ったのは、少し間抜けな空気が弾けた音だった。
 
「ぷっ…………」
「……」
「あはっ……せ、せんせ……」
「なんだい?」
 
 彼女の笑顔を見て、僕の口元も自然と緩む。よかった、どうやらこれはきちんと冗談として彼女に届いたようだった。
 
「それで地獄いきだったら、地獄が人でいっぱいになっちゃうよ。大変! ふふ」
「うん、確かにそうだ」
「私も小さい虫とか、ありさんとか、気づかないうちにころしちゃってるだろうし……」 
 
 生死の概念を知らない幼かった僕の行動を知らない彼女は、そう言ってくすくすと笑った。虫をかき集めて観察し、時折それらをわざと押し潰していたことは、まあ、言わなくてもいいだろう。どうか目を瞑ってくれと神様に祈った。
 ひとしきり笑ったあと、彼女は滲んだ涙を指先で拭った。
 
「はあ。こんなに笑ったの、久しぶり……」
「それはよかった。……ねえ、ミオ」
「なあに?」
「ないとは思うけれど、もし万が一、なにかの手違いで君が地獄にいってしまったとしても」
「うん」
「その時は、僕も一緒に地獄にいこう。だから……」
 
 だから。
 はっとして、途中で言葉を止めた。だから、なんだと言うんだ。安心して死んでくれ、とでも言うつもりか。死んで欲しいわけじゃない。ただ、本当にこのまま何の手立てもなく、彼女には死しか残っていないのなら、そこに少しでも安堵を抱いてほしかった。
 この時ほど、自分の口下手を憎んだことは無い。他の誰に誤解されても構わない。だが、ミオだけは、彼女だけには、僕の気持ちを正しく受け取って欲しい。
 
「だ、だから……」

 言葉に詰まった僕を見て、ミオは柔らかく微笑んだ。
 
「せんせいが来てくれるなら安心だなぁ。約束だよ?」
 
 そう言って笑う彼女に、はっとする。怖がっていたのは、きっと、僕の方だ。
 
「……ああ、ああ。約束だ。必ずいくから」
 
──だから、もう少し。もう少しこのまま、君と。
 
 いつの間にかかたく握りしめていた手を、暖かな温度が包む。彼女の手が、そっと僕のそれに重なっていた。
 
「もうひとつ、約束してもいい?」
「……なんだい?」
「私のところに来る時は、お土産を持ってきて欲しいの。せんせいの本と、せんせいが面白いって思った本。たくさん持ってきて欲しいから、たくさん書いて、たくさん読んで……おじいちゃんになったら、会いに来てね」
 
 ひどい、酷い言葉だな、と思った。まるで呪いだ、とも。
 彼女は僕に、生きろと言っているのだ。彼女がいなくなったあとも、自分で自分の命を捨てることがないように。僕は彼女のいない世界など想像出来ないし、したくもないというのに。
 けれど、きっと僕はこの約束をやぶることなどできないだろう。他でもない、彼女の願いなのだから、頷く以外の選択肢など存在しない。彼女が隣にいなくても、息をしなければいけないのだ。きっとそれは、酷く苦しいことだと思った。それでも僕は、生きなければならない。
 ああ。ひどい、酷い言葉だ。
 
「……えっ」
 
 ぎょっとしたようにミオが僕を見る。目を見開いて、信じられないような顔をしていた。
 どうしたのだろう、と首を捻ると、ふと、頬にあたたかいなにかが伝った。
 
「……せんせいが泣いてるとこ、初めて見た」
 
 歪んだ視界の中、彼女がそうぽつりと呟いたのが見えた。この頬を伝うものが、涙だというのか。拭った指先が、次から次へと溢れ出るそれで濡れる。
 僕の記憶が確かなら、この世に生まれ自我を持ってからは一度たりとも涙を流したことがなかった。両親に捨てられた時も、ごみを投げつけられたり水をかけられたりした時も、何も思わず感じず、涙なんて滲むことすらなかったというのに。
 涙が出るのは悲しい時だと、今の僕は知っている。
 
「……本当に、死んでしまうのか?」
 
 泣きながらそう尋ねる僕に、ミオはきょとんとした顔を浮かべた。恐らく僕の顔は酷く情けないものになっているだろうが、そんなもの気にしている余裕がなかった。
 こうして彼女と話をして、約束をして、やっと実感してしまったのだ。これは彼女が死んだら、なんてもしもの話ではなく、確実にやってくる近い未来の話なのだと。それはきっと、すぐそこにやってきているのだと。
 
「……うん。死んじゃうみたい。なんとなく、わかるんだ。そろそろだなあって。でもね、怖くないんだよ。せんせいが約束してくれたから、ちっとも怖くないの。ほんとだよ? むしろ、ちょっと楽しみなんだ。せんせいがどんな本を持ってきてくれるのかな、とか、天国や地獄ってどんなところだろう、とか」
「僕を、置いていくのに?」
「……そんなに悲しい?」
「悲しい。し、寂しい。こんな感情初めてだ、知りたくなかった」
「……えへへ」
「……なんで嬉しそうなんだ」
「えへへ、ないしょ。……ねえ、せんせい」
 
 
──約束、きっと守ってね。
 
 
 
 次の日の朝、彼女は目を開けることなく、そのまま息を引き取った。
 彼女の襟首からは、細い細い蔦が顔を出し、そこに小さな花を咲かせていた。
 本当に小さな、小さな花だった。


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