社会問題小説・評論板
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- 境界性人格障害製造過程
- 日時: 2010/08/01 22:45
- 名前: みやび (ID: pHBCaraS)
境界性人格障害と戦う私と、その私を支えてくれる私の大切な家族のノンフィクションです。
最近やっと「死神」と遠くなったので、自叙伝を書いてみたいと思って書き始めました。
幼少期から書き始めるので、長くなると思いますが、よろしくお願いします。
- Re: 境界性人格障害製造過程 ( No.19 )
- 日時: 2013/06/01 17:28
- 名前: みやび (ID: wgp3kh6n)
中学に上がっても友達にも、先生にも誰にも家庭内の事は気づかれず、私は普通の明るい中学生を演じていた。
夜中に窓ガラスが割れようと、ブラウン管テレビが割られようと、
もう関係ない、と耳を塞ぎながら眠った。
ある朝、いつもより酷い暴力を受けたらしい崩れた母親が、
玄関近くの壁に座り込んでいた。
私は、無視して学校に行こうと靴を履いていたら、
『こんな母親置いて、あんた、よく学校なんて行けるわね?信じらんないわ!』
と言われた。
私はその言葉も無視して、中学校に行った。
もはや、母親など、要らなかったのだ。
- Re: 境界性人格障害製造過程 ( No.20 )
- 日時: 2013/06/01 17:50
- 名前: みやび (ID: wgp3kh6n)
それからは、借金に追われる日々。
母親と定職につかないFはパチンコばかりし、結局家のローンも払えず、家を売却した。
平屋の古いボロ屋に引っ越し、もう家もないに等しかった。
毎夜繰り返される暴力と、お金がなくてどうやって暮らしていくのか、漠然とした不安。
私は、すべてを無かったことのように過ごしていた。
中学のジャージとか、穴あいたら、おばあちゃんにわざわざ電車で来てもらい、買ってもらってた。
親戚は事実を知っていても、おばあちゃん以外は誰も助けてくれなかった。
でも、母親の兄夫婦と同居して年金生活のおばあちゃんにも、私達を救えるのには、限度があった。
私は何故か父親にも話せなかった。
妹は手紙で、ジャージ買いたいからお金が欲しいと頼んだらしいが、返事は無かった。
父親は、単に小遣いをせびっていると思っていたらしい。
ならば、何故、電話などで確認してくれなかったのか?
後に病が発症した私も、この父親には罵声を浴びせ、二人の人格を殺したんだよ、お前は!人殺し!慰謝料を払え!と請求した事があるが、金で解決するなら、それで一切関わらないなら、とお金を払われた。
父親は、私たち姉妹は要らない、迷惑な存在だったのだろう。
その後、一度病気を理解して和解したが、結局面倒くさくなったのか、携帯番号も変えられ、今は一切音信不通。
- Re: 境界性人格障害製造過程 ( No.21 )
- 日時: 2013/06/01 18:31
- 名前: みやび (ID: wgp3kh6n)
高校へは自分のバイト代で学費、定期代を払いながら行った。
公立だから、なんとか払えた。
ただ入学式の時、美術か、音楽か選択しなければならなく、
絵の好きな私はもちろん美術を選択したかったが、
美術は油絵の具代に二万かかるため、選択出来なかった。
貧乏は何も選べないのかな?
いつまで続くのかな、、、こんな生き方、、
と、屈辱と悲しみを感じた瞬間だった。
高校生になっても、暴力と借金に追われる日々は変わらなかった。
そこにまた新たな嫌なことが、、
ある日の午後、制服姿の私とFの二人きりで家にいた。
Fは居間で布団で寝ていた。私は、台所にいた。
するとFに呼ばれ、腰を押してくれないか、頼まれた。
私はしぶしぶ、腰を押してると
『そんな強く押したら、おちんちん潰れちゃうよ〜』
と笑いながら言った。
嫌悪感の走った私は、素早くFから去りまた台所に戻った。
そこに背後からFが近づいてきて
『なにしてんの〜?』
と笑いながら、私のお尻を触り、股間を押し付けてきた。
私は、Fをはねのけ、外に飛び出した。
その夜、何事もなく過ごしてるF。
どうでもいい母親には言わなかった。
言っても仕方ないだろうし、下手すりゃ私が責められと思ったから。
それから私はバイト以外は、おばあちゃんちに入り浸るようになった。
それを気に食わなかった叔母は、高1の私を廊下に正座させ、
『お母さんがシッカリしてないんだから、長女のあんたがシッカリしなくてどうすんのよっ!』
と二時間近く説教した。
泣くしかなかった。
何も言えなかった。
言い訳も何も。
私になぜ、全部任せるの?
私にどうしろと?
なぜ、あんたにまでこんな事言われなきゃならないの?
泣きながら沈黙しながら、心の中では叫んでいた。
それからはおばあちゃんちにも行けなくなり、友達の家に一週間いたり、バイト終わったら、渋谷のディスコ行ったり、居酒屋で過ごしたり、タバコも吸い始めてた。
でも、グレることは、私の価値観が許せなくて、
学校ではやはり成績優秀、見た目は多少注意されたが、いわゆる不良ではなく、原宿系だった。いわゆる不良のいでたちは、私のセンスからはダサかったから。
でも、裏では遊びまくり。
同級生とセックスし、教育実習の大学生と遊びセックスし、テレクラで知り合った30代のオヤジには会う度お小遣いをもらっていた。
そんなこと、学校の友達も教師も知らない。
真面目に勉強して、イイコでいなくてはならなかった。
それが私の価値だと思い込んでいたから。
間違って擦り込まれた価値観。
本当は自分がないから、人にどう思われてるか、
それだけが自分の価値だと思い込んでいたから。
理系に進んだにも関わらず、進学率95パーセントの学校にも関わらず、お金のためには就職しなければならなかった。
本当は、ずっと、小学校からデザイナーになりたかったのに。
就職するのも、普通の会社では駄目。
まだバブルだった、名ある証券会社を受けた。
きちんと勉強してた私は、落ちることなどなかった。
面接も巧みな話術で、面接官を笑わせるほど。
誰も本当の私なんて知らないから。
- Re: 境界性人格障害製造過程 ( No.22 )
- 日時: 2013/06/01 18:36
- 名前: みやび (ID: wgp3kh6n)
高校へは自分のバイト代で学費、定期代を払いながら行った。
公立だから、なんとか払えた。
ただ入学式の時、美術か、音楽か選択しなければならなく、
絵の好きな私はもちろん美術を選択したかったが、
美術は油絵の具代に二万かかるため、選択出来なかった。
貧乏は何も選べないのかな?
いつまで続くのかな、、、こんな生き方、、
と、屈辱と悲しみを感じた瞬間だった。
高校生になっても、暴力と借金に追われる日々は変わらなかった。
そこにまた新たな嫌なことが、、
ある日の午後、制服姿の私とFの二人きりで家にいた。
Fは居間で布団で寝ていた。私は、台所にいた。
するとFに呼ばれ、腰を押してくれないか、頼まれた。
私はしぶしぶ、腰を押してると
『そんな強く押したら、おちんちん潰れちゃうよ〜』
と笑いながら言った。
嫌悪感の走った私は、素早くFから去りまた台所に戻った。
そこに背後からFが近づいてきて
『なにしてんの〜?』
と笑いながら、私のお尻を触り、股間を押し付けてきた。
私は、Fをはねのけ、外に飛び出した。
その夜、何事もなく過ごしてるF。
どうでもいい母親には言わなかった。
言っても仕方ないだろうし、下手すりゃ私が責められと思ったから。
それから私はバイト以外は、おばあちゃんちに入り浸るようになった。
それを気に食わなかった叔母は、高1の私を廊下に正座させ、
『お母さんがシッカリしてないんだから、長女のあんたがシッカリしなくてどうすんのよっ!』
と二時間近く説教した。
泣くしかなかった。
何も言えなかった。
言い訳も何も。
私になぜ、全部任せるの?
私にどうしろと?
なぜ、あんたにまでこんな事言われなきゃならないの?
泣きながら沈黙しながら、心の中では叫んでいた。
それからはおばあちゃんちにも行けなくなり、友達の家に一週間いたり、バイト終わったら、渋谷のディスコ行ったり、居酒屋で過ごしたり、タバコも吸い始めてた。
でも、グレることは、私の価値観が許せなくて、
学校ではやはり成績優秀、見た目は多少注意されたが、いわゆる不良ではなく、原宿系だった。いわゆる不良のいでたちは、私のセンスからはダサかったから。
でも、裏では遊びまくり。
同級生とセックスし、教育実習の大学生と遊びセックスし、テレクラで知り合った30代のオヤジには会う度お小遣いをもらっていた。
そんなこと、学校の友達も教師も知らない。真面目に勉強して、イイコでいなくてはならなかった。
それが私の価値だと思い込んでいたから。
間違って擦り込まれた価値観。
本当は自分がないから、人にどう思われてるか、
それだけが自分の価値だと思い込んでいたから。
理系に進んだにも関わらず、進学率95パーセントの学校にも関わらず、お金のためには就職しなければならなかった。
本当は、ずっと、小学校からデザイナーになりたかったのに。
就職するのも、普通の会社では駄目。
まだバブルだった、名ある証券会社を受けた。
きちんと勉強してた私は、落ちることなどなかった。
面接も巧みな話術で、面接官を笑わせるほど。
誰も本当の私なんて知らないから。
- Re: 境界性人格障害製造過程 ( No.23 )
- 日時: 2013/06/01 18:37
- 名前: みやび (ID: wgp3kh6n)
高校へは自分のバイト代で学費、定期代を払いながら行った。
公立だから、なんとか払えた。
ただ入学式の時、美術か、音楽か選択しなければならなく、
絵の好きな私はもちろん美術を選択したかったが、
美術は油絵の具代に二万かかるため、選択出来なかった。
貧乏は何も選べないのかな?
いつまで続くのかな、、、こんな生き方、、
と、屈辱と悲しみを感じた瞬間だった。
高校生になっても、暴力と借金に追われる日々は変わらなかった。
そこにまた新たな嫌なことが、、
ある日の午後、制服姿の私とFの二人きりで家にいた。
Fは居間で布団で寝ていた。私は、台所にいた。
するとFに呼ばれ、腰を押してくれないか、頼まれた。
私はしぶしぶ、腰を押してると
『そんな強く押したら、おちんちん潰れちゃうよ〜』
と笑いながら言った。
嫌悪感の走った私は、素早くFから去りまた台所に戻った。
そこに背後からFが近づいてきて
『なにしてんの〜?』
と笑いながら、私のお尻を触り、股間を押し付けてきた。
私は、Fをはねのけ、外に飛び出した。
その夜、何事もなく過ごしてるF。
どうでもいい母親には言わなかった。
言っても仕方ないだろうし、下手すりゃ私が責められと思ったから。
それから私はバイト以外は、おばあちゃんちに入り浸るようになった。
それを気に食わなかった叔母は、高1の私を廊下に正座させ、
『お母さんがシッカリしてないんだから、長女のあんたがシッカリしなくてどうすんのよっ!』
と二時間近く説教した。
泣くしかなかった。
何も言えなかった。
言い訳も何も。
私になぜ、全部任せるの?
私にどうしろと?
なぜ、あんたにまでこんな事言われなきゃならないの?
泣きながら沈黙しながら、心の中では叫んでいた。
それからはおばあちゃんちにも行けなくなり、友達の家に一週間いたり、バイト終わったら、渋谷のディスコ行ったり、居酒屋で過ごしたり、タバコも吸い始めてた。
でも、グレることは、私の価値観が許せなくて、
学校ではやはり成績優秀、見た目は多少注意されたが、いわゆる不良ではなく、原宿系だった。いわゆる不良のいでたちは、私のセンスからはダサかったから。
でも、裏では遊びまくり。
同級生とセックスし、教育実習の大学生と遊びセックスし、テレクラで知り合った30代のオヤジには会う度お小遣いをもらっていた。
そんなこと、学校の友達も教師も知らない。真面目に勉強して、イイコでいなくてはならなかった。
それが私の価値だと思い込んでいたから。
間違って擦り込まれた価値観。
本当は自分がないから、人にどう思われてるか、
それだけが自分の価値だと思い込んでいたから。
理系に進んだにも関わらず、進学率95パーセントの学校にも関わらず、お金のためには就職しなければならなかった。
本当は、ずっと、小学校からデザイナーになりたかったのに。
就職するのも、普通の会社では駄目。
まだバブルだった、名ある証券会社を受けた。
きちんと勉強してた私は、落ちることなどなかった。
面接も巧みな話術で、面接官を笑わせるほど。
誰も本当の私なんて知らないから。