複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 式姫—シキヒメ—【コメントに飢えています、誰かプリーズ】
- 日時: 2012/04/09 00:36
- 名前: アールエックス (ID: 1866/WgC)
1 プロローグ
五年前、第三次世界大戦末期 ポイントG—13エリア戦区
照りつけるような太陽が浮かぶ砂漠に、キャタピラの金属音や野太い男の怒号が響き渡る。
黄色の砂で満たされた大地の上にはところどころテントが張られ、その間を銃を持った兵士達が忙しなく駆け回っていた。そのほかにも戦車やヘリコプター、軍用車両などが数百メートルにわたって並んでおり、それらは彼らが軍隊以外の何者でもない事を意味している。
かなりの規模の部隊の中でただ一人、壮年の将校が陣営の中を歩きながら指示を出していた。
「第三機甲小隊は左翼に展開してそのまま待機! 第四歩兵分隊の配置も急がせろ!」
「イエス、サー!」
兵士たちの威勢のいい返事に、彼は一度頷いてから再び別の部隊へ歩いて行く。そしてまた次の場所でも各々へ命令を出す。
それを何度か繰り返して彼は陣の端にある小高い砂丘の上に登って行った。
砂丘の上には数名の白衣を着た男達が簡易的なテントの下でコンピューターを操作していた。
砂塵防止かガスマスクを着ける彼らは将校が来た事に気付くと、作業を止めて立ち上がる。
「……これはルチエン中尉。今回はこちらの実験にご協力いただき、感謝いたします」
うやうやしく頭を下げる彼らに、ルチエン中尉と呼ばれた将校は言った。
「構わない、余計な前置きは無しにしよう。今回の実験は新兵器の稼働試験とあるが、我々の任務はその間の護衛及び敵対勢力の排除となっている。だが、私の部隊は旧型兵器の混成部隊でしかない。敵に式神が配備されていた場合、戦力としての期待はしないでもらいたい」
式神とは、第三次世界大戦の中期に開発された装着型兵器の名称である。
人間の生命力を解析しエネルギーとして利用する兵器で、絶大な火力を誇る代わりに人間の生命力を大量に消費するという諸刃の剣だが、結局は戦車や戦闘機などの旧型兵器では相手にならないのは明白な事であった。
それを考慮しての将校の言葉に、男はおどけた風に肩をすくめて言った。
「問題ありませんよ。今回実験に使う新兵器は式神を元にして制作したものですから」
「迎撃は可能、ということか。ならば我々は作戦開始時間まで待機を……」
将校が無線を手に踵を返そうとしたその時、突如どこからか爆音が響き、陣地の一部が派手な土煙と共に跡形もなく吹き飛んだ。
突然の攻撃にも部下の手前大きくはうろたえず、将校は手に持った無線機に声を張り上げた。
「砲撃か。どこからだ!?」
『ぶ、分析中です! ……出ました。八時の方向、所属不明の旧式式神を確認、兵種は…砲撃型式神一機と強襲型式神二機の三機編成です』
対応した兵士の声が後半震えていたのは将校の聞き間違いではないだろう。それだけ式神というのは畏怖の対象なのだ。
すでに目視できる距離まで接近していた式神への攻撃を開始させながら将校は男に尋ねる。
「くっ、式神三機とはまた御大層な編成で来たものだ。我々は急ぎ迎撃準備を進めるが、実験はどうする? 中止するのか」
「いえ、稼働ついでに戦闘能力も測っておこうかと思います。ですので、こちらの準備完了までの時間稼ぎをお願いしますよ中尉」
男はそう言って他の研究員たちと共に必要最低限の機材だけをまとめて移動し始めた。
(時間稼ぎとは、難しい注文をしてくれる……む)
と、不意に後ろへ気配を感じた将校は背中越しに振り返った次の瞬間横っ跳びに転がった。
一瞬前まで将校のいた位置を巨大な砲弾が音速以上の速さで通過していく。
見れば、数百メートル先の上空に巨大なカノン砲を備えた式神が浮遊していた。一発ごとに手動で再装填する必要があるらしく、生身では持つことすら困難な大きさのボルトを搭乗者の兵士が後ろにスライドさせているところだった。
しかし、式神がその砲口を再び将校に向けようとした時、その装甲に無数の砲弾が降り注ぎ式神に乗る兵士は空中で態勢を大きく崩した。
それでも将校の表情は晴れない。
(これでは足りん、式神にただの砲弾では大してダメージを与えることはできない……!)
今も陣地の上空に浮かぶ三機の式神には大量の砲弾やミサイルが殺到しているが、それだけである。味方の与える攻撃はどれもが式神にとって致命打足りうるものではないのだ。
式神は絶え間なく襲いかかる攻撃など物ともせず、眼下の敵兵器群に一撃必殺の攻撃を見舞う。
たった一発の砲弾で数十人規模の兵士が吹き飛び、一発の銃弾で戦車がただの鉄くずに成り下がる。これが式神と旧型兵器の圧倒的戦力差だった。
(式神相手に旧型兵器で挑んだ以上戦死する覚悟はできているが……これでは犬死にだ)
「…………」
研究者の男には悪いが将校が頃合いを見て部隊への撤退命令を送ろうとしたその時、戦場に光が迸った。
「な、なんだ!?」
将校は驚きの声を上げるが、驚いたのは将校だけではない。
太陽すら超えるのではないだろうかと疑うほどの光量が将校の視界を覆い尽くし、膨大な量の光の束が空中に滞空する三機の式神を包み込んだ。
———ゴオオオオオオオオオオオオッ!
爆音と閃光が世界を支配する、全てを掻き消すかのような純粋な破壊。
やがてそれらが収まった後には三機の式神がいた跡などどこにも存在しなかった。装甲の欠片一つ残さぬ圧倒的な火力に将校は戦慄しながらその破壊をもたらした者を見る。
そこには機体の一部以外何の変哲もない、たった一機の式神が浮遊していた。
むき出しのコックピットを囲むいぶし銀の装甲。背面の小型バーニア。両腕に装着された多層シールド。複雑な構造のハイヒールのような脚部。
そして、機体の比率的にアンバランス過ぎるほど巨大な右肩の巨砲。
他のパーツはある程度洗練されたデザインであるのに対し、その部分だけはゴテゴテとした動力ケーブルや内部構造がむき出しのままだった。
まるで、まだ開発途中だったのを急遽戦地に輸送したかのようにも感じられるその式神は、未だ蒸気を上げ続ける砲身を下に向けてゆっくりと降下を始める。
同時に将校の持っていた無線からどこか久しく感じる研究者の声が響いた。
『ご無事ですか中尉! それより見ましたか、今の砲撃』
「ああ……。凄まじい威力だな」
『そうでしょう!? いかに旧式とはいえ式神三機を一撃ですよ!』
「…………」
嬉しそうにまくし立てる男に将校は浮かない顔で尋ねる。
「それはいいのだが……あれだけの大出力砲撃をしてしまっては、パイロットの方はもう……」
式神は命を糧に戦闘を行う兵器。その戦闘能力は消費する生命力に比例するため先程のように莫大なエネルギー量の砲撃を行った場合、搭乗者の命はそれだけで吹き飛んでしまってもおかしくないのだ。
しかし、男はケロリとした様子で返す。
『え? いえいえ、パイロットの心配はしなくても大丈夫ですよ。我々がこれを作ったのはまさにその生命力枯渇によるパイロットの死亡率をゼロにするためなんですから』
「なに……?」
『我々の作りだしたこの兵器は式神と人体を完全に融合させ、擬似的な永久機関を搭載させることによって式神による人体への様々なデメリットを削除した兵器の試作一号機なんです。だから、生命力を使い果たす事はまず無いし、肉体と式神をリンクさせることによって更に兵器としての強さを確立する事が出来ましたよ』
荒唐無稽ともとれる男の言葉に将校は聞き返していた。
「人体と式神を融合だと……、人権に反しているんじゃないのか? それは」
『問題ありませんよ。彼女はすでに戸籍も人権も失った戦災孤児ですからね。このご時世、いくらでも材料はいるんですから』
「…………」
残酷に言い放つ男の言葉に将校は黙りこくるが、彼に研究者の男を責める権利は無かった。
あの式神に乗っている彼女なる人物は、もしかしたら将校のせいであの場所にいるかもしれないからだ。
戦争の裏には必ず力無い者が虐げられている。戦争が行われる以上世界のどこかで誰かが悲しみに暮れているのだ。将校は少しでもそういう者を減らそうと努力し、部隊の人間にも不必要な破壊や略奪は厳しく取り締まってきた。
だが、それでも少なからず不幸な運命に叩き落とされる者はいる。それが世界中で戦争が起きているならなおさらだ。
そして今、新たな兵器の素体となった少女を見て、将校は何も言えずに軍帽を目深にかぶった。
それを遠くから見つけたらしい男が無線から何かを言おうとする。
『どうしました、中尉。彼女に同情でもしてるんですか? 必要ありませんよ、彼女にはそんなものを感じる感情など……ッ!?』
「? どうした、一体何が…」
無線の向こうで男が息をのむ気配を感じた将校は聞き返す。だが、返答は無い。
代わりに、複数の人間が口々に騒ぐ音と、キーボードを叩く音だけが返ってきた。
何やら不穏な気配を察した将校は数百メートル先に鎮座する式神から目を離さずに、危機を脱したことで気が緩みかけている部下達に簡単に警戒を促しておいた。
「…………」
相変わらず無線からは騒がしい音声だけが響いているが、それらはさらに将校の嫌な予感を加速させていく。
そして、それは起こった。
- Re: 式姫—シキヒメ—(プロローグ2) ( No.1 )
- 日時: 2012/02/27 01:05
- 名前: アールエックス (ID: O7xH2wYh)
「————。」
式神が冷却を続けていた砲身を急速に展開し、全身のスラスタ—を起動させて急上昇を行い、同時に左後ろへと方向転換して何の躊躇もなく巨砲から光線を照射した。
その射線上にあった砂丘が跡形もなく吹きとんだ途端、将校の手にあった無線が何の音も響かせなくなる。恐らくあの砂丘の裏には研究者達が待機していたのだろう。そこを何らかの緊急事態に陥った式神が攻撃したのだ。
暴走。
こういった新兵器の実験の時、そのような事態は決して珍しくない。だが、それが式神では状況が全く違ってくる。
明らかな異常事態に将校は平静を装って全部隊に指示を送る。
「……全部隊、全ての装備を放棄して散開! 全速で退却し、一人でも生き残れ!」
式神対生身の兵士。
明らかに分の悪い賭け。
その結果は見えていた。
数十分後、太陽に照らされて黄金色に輝いていた砂の地面は一面が真っ黒な焦土に変わり果て、今も火を吹く兵器の残骸から発生する煙で空が遮られるせいで周囲は全て薄暗く染められていた。
漆黒のその中に一つだけ輝く物体が浮かんでいる。この場所をこのような状態に変えた式神だ。
その足元には一人の軍服に身を包んだ男が残骸に寄り掛かるようにいて座っていた。
男は諦めたような、そしてどこか清々しいような眼差しで懺悔の言葉か何かを呟く。
その言葉を聞いた式神に乗る少女は、感情を感じられないような瞳で目の前の将校を見つめ、無言のまま引き金を引いた。
同時に式神の右肩の砲に光が集まり、男が自分の死を意識して瞼を瞑った次の瞬間。
———ゴアッッ!
光と共に砂丘の上半分ほどが消し飛び、ルチエン試験大隊はこの世界から消滅した。
実験結果書類№687 閲覧規制レベルSSS
作成者 機密書類のため明記なし
実験内容 新兵器『式姫』システムの稼働実験、及び緊急時の暫定的な戦闘実験。
実験結果 試作型コアの稼働状況は良好。長時間の連続稼働も問題無いレベルにまで到達していると思われる。
戦闘実験については大出力のレーザー照射後の冷却時間が長いためこれの改善に力を入れるべきと考察される。
また、本実験の最大の問題点である実験素体の暴走による研究チームとルチエン大隊の壊滅事故だが、暴走を起こした肉体部分は回収後に廃棄処分とし式神部分は別の献体に移植を行う予定となった。
備考 素体の暴走原因は未だ解明されておらず、早急な原因解明が求められる。式神の機能には現在も不明な点が多く、その周辺を調べることが原因特定の鍵になると予想されている。
報告は以上とする。
- Re: 式姫—シキヒメ— ( No.2 )
- 日時: 2012/04/03 16:50
- 名前: アールエックス (ID: 1866/WgC)
2 世界の裏側
十年前、戦争が起きた。
各国上層部の軋轢が生んだ、起こって当然の戦争だった。
あらゆる場所で人が死に、あらゆる時に命が消えた。
世界には恐怖と憎しみと、大きな悲しみしかなかった。
しかし戦争が起こって数年。とうとう列強の国々が核兵器を持ちだしての最終戦争に突入しようとした時、世界のどこかで核兵器さえ凌駕する新兵器が生み出され、核兵器を使用しようとしていた国々は懸念していた環境への被害が少ないその兵器をこぞって集め出した。
その兵器の名前を霊動式神兵鎧装(れいどうしきしんぺいがいそう)——通称『式神』といった。
一人の命を糧に絶大な破壊をもたらすその兵器は、そこに一つあるだけで戦場の勝敗を左右する程の戦闘能力を持ち、各国の軍部の人間を大いに喜ばせた。
しかし、式神を使用していくごとに彼らは式神の欠点に気付いていった。
それはどんなに屈強な兵士も何度か乗っただけで衰弱死してしまうという、式神の燃費の悪さである。
初めは自主申告で募集していた搭乗者も段々と集まらなくなり、抽選によって半強制的に式神を運用してやっと上層部もその事に気付いた。
式神投入前の兵士の数が投入後には半分近くまで減っていたのだ。
式神の攻撃で死亡した者も多かったが、式神に命を吸い尽くされた者も多かった。
その事実に気付いた国々は慌てて式神の使用を禁止、破壊は困難なため内部機能の非活性化処理を行い他国との停戦協定を結んだ。
皮肉なことに最凶の兵器である式神が逆に戦争を終わらせたのである。
そしてその五年後。表面上は戦争も終結し、全ての式神は機能を停止したとして平和を取り戻しつつあるこの世界。
だがその裏では、戦争末期に式神の命を吸う機能を軽減するため確立された兵器のさらなる研究が進められていた。
式神を人体の中に移植し、生命力を大量に供給する機関を内蔵させる兵器。
式神の強力な精神干渉からも耐えうる精神を持つ女性の中からしか適合者が見つけられないその兵器は、コードネーム『霊動式神鎧姫装』(れいどうしきしんがいきそう)。
またの名を『式姫システム』といった。
無数の機材。無数のケーブル。無数の書類。
それらが床を、壁を、テーブルを埋め尽くす部屋の中にひとりの白衣の男が椅子にふんぞり返ってパソコンの画面を眺めていた。
「ふわぁ……」
だらしなく欠伸をするこの男の名前は高野耕。二十代の半ば程の年齢なのだが、くたびれた白衣に無精ひげ、少し長めの髪を後ろで縛っている外見は三十代後半の男性に見えても不思議はない姿だった。
冷房の利いたこの部屋は窓のブラインドの隙間から差し込んでくる僅かな夏の日差しとパソコンから放たれる無機質な光だけしか証明がないせいかかなり薄暗い。
その時、部屋を照らす照明の一つであるパソコンの画面に新しい光がともった。
「ん? メールか……」
それを見た高野は億劫そうに身を起こすと、画面上に現れた新たなウィンドウをクリックした。
ウィンドウが拡大され画面に大きく文字が表示される。
西暦20××年 6月25日 PM3・53
№03からの定期報告。
『水無月市街地を警邏中、敵性反応を感知。対象の追跡を開始します』
そう、パソコンの画面に映し出される文字列を見て、高野はにやりと笑った。
「敵ねぇ……ま、家の三女に任せておけば心配ねぇか」
高野はこのメールを送ってきた少女を思い浮かべて再び椅子にもたれかかり、机の上に散らばる書類の中からある一枚を取り出す。
そこには十五、六歳くらいの年齢の少年が写った写真が貼られ、その横に「佐久間佑人」という名前が記されてあった。
「……俺としちゃあその敵の狙いがこの少年じゃない事を祈るばかりだが」
そう言った高野は書類を適当に投げ捨てると、机を蹴って椅子ごとくるくると回った。
「そんなもんは希望的観測か」
回転の止まった椅子を再び回しながら、高野は天井を見つめて呟いていた。
同時刻、水無月市街地の細い路地を制服姿の少年が逃げ回っていた。その後ろを複数の男達が荒々しい足音を立てて追いかけていく。
「待てやゴラァァア!」
「待ってほしけりゃもうちょっと友好的に言いやがれ!」
どう見てもたちの悪いゴロツキにしか見えない男たちの怒鳴り声に、『佐久間佑人』と刺繍された半袖Yシャツと黒いズボンを着た少年は全速力で逃げながら叫んだ。
「……ったく、何だってテメェらなんざと追いかけっこをしなきゃいけねえんだ!」
悪態をつきつつも、佑人は走る速度を少しも落とすことなくコンクリートの壁に囲まれた薄暗い路地を駆け抜ける。
佑人がこのような状況に陥ったのはちょっとした理由がある。
発端は佑人の通う笠間学園の授業が終わった放課後。彼がさっさと鞄に教科書を詰めてさあ帰ろうとしたその時、校門の辺りがなにやら騒がしいことに気付いて窓から外を覗き込んだ。
そこにいたのが———。
(……このうざってえ野郎どもなんだよな)
佑人はつい先日、街で肩がぶつかったらしい中年男性に絡んでいたチンピラを蹴散らした事があったが、恐らく彼らがその仕返しに来た事に気付いた佑人はこっそりと裏門から退散しようとしたのだ。
だが、向こうもなかなか仲間意識が強い連中だったらしく学校からほんの少し離れたところですぐに佑人は補足されてしまった。
結果的にこの裏路地に追い込まれてしまった佑人だったが、勝算がないわけではない。
むしろ好都合である。
なぜなら、たとえGPSを持っていても年に一度は行方不明者が出ると言われるほど迷宮然としている水無月市の裏路地は、以前から佑人がテリトリーとして行動している場所の一つなのだ。どのような道を通れば相手が迷うかぐらいは熟知している。
しかし。
「……へっへっへ、これでもう逃げれねえよなあ」
しかし、圧倒的なアドバンテージがあるはずの佑人が逆に一本道で挟み撃ちにあっているのは一体なぜなのだろう。
佑人の左右には高いコンクリートの壁がそびえていて、片方の壁のかなり上のほうには錆びかけた梯子が架かっているが、佑人にはとても手が届きそうにない。恐らく下は錆びて朽ちてしまったのだろう。
かといって通路の両端にはチンピラ達が隙間なくふさいでいるためにこちらも逃げ道はない。
どうしようもないこの状況に佑人は険しい顔で歯ぎしりする。
「くそったれ……油断しちまった」
「油断だぁ? テメーは端っから俺らの作戦にはまってたんだっつーの。油断してなくともこうなることは目に見えてんの」
そう言って、集団の中からリーダー格と思しき男が下品な笑いをしながら進み出てきた。
男は目元の落ちくぼんだ三白眼で佑人を見ながらさらに歩み寄ってくる。
「まあ、お前にもわかってると思うけど一応状況の説明でもしとくわ。俺んとこのダチが道でいきなりテメーに殴られたんで、情に熱い俺は仲間集めてお前を追っかけてるってわけ。分かる? 仇討ちよ仇討ち」
「うるせえな、テメェの手下が俺に突っかかってきたんだよ。逆恨みもいいところだ」
軽い口調で返しつつも佑人は慎重に男との距離を測っていた。もちろんこの状況を打破するためにしていることである。
目測したところ佑人と男の距離は残り数メートル。あと数歩でも男が近寄れば確実に一撃を見舞える距離だ。
だがその時、男はそれ以上歩を進めずにそこで立ち止まった。
「……!」
驚く佑人に男は嘲笑を浮かべ大仰な動作をしながら佑人を見据えた。
「お前さあ、もしかして俺に不意打ちでもくれてやろうって魂胆だったろ? 殺気がバレバレだっつの。ちょっとは隠せよ、おい———」
しかし、挑発するような口調でまくし立てていた男のセリフが最後まで続く事は無かった。
なぜなら。
影すら残さぬような速度で肉薄した佑人の拳がその顔面を打ち抜いたからだ。
「——ぶふぁっ!?」
「殺気だのなんだのと分かったような口きいてんじゃねえよ。俺も分かんねえけど」
佑人は男の顔面を思い切り殴り飛ばし、よろけて無防備になったその体に横蹴りを見舞った。
周りの人間達は何が起こったのかも分からなかったのだろう。ぽかんと口を開けて硬直していた。
「……リ、リーダー?」
しばらくして、やっと集団の中から一人の少年がリーダー格の男に近寄ってその肩を揺らした。
気を失っているのかどんなに肩を揺らされても男に反応は無い。
「テメー! リーダーによくも!」
どんなに揺さぶったところで男に意識がない事を悟ったのか、少年が憤然と立ちあがって佑人に殴りかかろうとした。
それをとりあえずけっとばして、佑人ははるか上に梯子があるビルとは逆のビル壁に背を付ける。
「テメー……こんなことしてただで済むと思ってんじゃねーぞ!」
「うっせ。言ってろタコ」
額に青筋を浮かべた男達が一斉に殴りかかってきた瞬間、佑人は隣に置いてあった木箱を踏み台にして一人の男の肩に飛び乗る。
「!?」
「………ふっ」
目を剥く男を尻目にさらに跳躍し、短く息を吐いた佑人は梯子がある壁のざらついた表面に靴裏を立て、体が落下を始める前にその壁を駆け上がる!
- Re: 式姫—シキヒメ— ( No.3 )
- 日時: 2012/03/07 16:44
- 名前: アールエックス (ID: 1866/WgC)
そして、一気に数メートルの高さまで駆け上がった佑人の手は、難なくその錆びのついた鉄の棒を握りしめていた。
握りしめる手に力を込めて、佑人はそのまま純粋な腕力だけで梯子の上へ飛び乗る。
先程の二人を殴った時の拳速もそうだが、たいして鍛えてもいないような佑人がなぜこれほど超人的な身体能力があるのか。実は佑人にもよく分かっていない。
小さい頃は本気を出せば瞬間的に大人並みの力を出すことができたが、ある時を境に周りには極力隠すようにしていたため詳しい事は何も分からないままなのだ。
梯子を登る途中で下を見れば、今まで呆然と立ち尽くしていたチンピラ達が慌てて佑人が登っているビルの周りを囲むようにして階段を探しに走りまわっているのが見えた。
(とりあえず……登るか)
軽快なテンポで梯子を登っていた佑人はすぐにさして高くは無いビルの屋上に辿り着き、そばに落ちていた鎖で非常階段のこれまた錆びだらけな鉄扉のドアノブに巻き付けた。
直後、扉越しに荒々しい足音が響いて鉄製のドアが勢いよく叩かれる。
「この野郎、おとなしく出てきやがれテメー!」
「誰が出るかよバーカ」
相手の罵声に佑人も罵りで返すが、いつまでもここで籠城しているわけにもいかない。
と、どこかに飛び移れそうなビルはないかと佑人が周りを見回していると、扉の向こうを窺っていた耳が何やら異変を感じ取った。
「———うわぁっ、何だこれ!? 苦し……」
「おい、どうした!? ぐわっ」
「に、逃げろ! ひいっ!」
(……なんだ? 罠…にしちゃ演技が細かすぎるな。あいつらにそんな技術があるとは思えないし……)
一瞬騒がしくなった後、すぐに何事もなかったかのように静まり返った扉の向こうに佑人は耳を傾ける。
しかし、どんなに待っても扉一つ隔てた先からは何の音もしない。
万が一のためにもうしばらく待ってから鉄の扉を開くと、狭い階段のそこら中に男たちが倒れていた。
「首に何かが巻き付いたような跡……一体何があったんだ……?」
何かが起こっていたのは大体予想していたが、男たちのあまりにもあっけないやられ方に倒れている男の息を確かめながら佑人はゆっくりと階段を下りていく。
男たちが無力化されたのはいいが、この一瞬でそんな芸当をしでかす人間が現れたのはある意味状況が悪化しただけかもしれないのだ。
死屍累々と男たちが転がる(実際には誰も死んではいないが)非常階段を下りきり、そこかしこで気絶している男たちを避けながら佑人は用心深くビルの角を覗き込み、息をのんだ。
「……っ!」
そこにはどうやらかろうじて被害を免れていたらしい数人の男たちと、それらに囲まれている一人の少女がいた。
袖の余ったパーカーと頭の右側だけを縛ったサイドテールが特徴的な中学生くらいの少女は、突然の出来事に動揺しているのか一歩も動けないで固まっている。
「くそっ……」
そう毒づいて、少女を助けようと佑人が足に力を込めたその時、少女を囲む男たちの様子がおかしいことに気付いた。
その場でなんとか飛び出すのを踏みとどまった佑人が見たのは、首を押さえて地面をのたうち回り泡を吹いて気絶する男たちの姿だった。
「………!」
「………ふふ」
思わず壁の角から飛び出した佑人をパーカーの少女は笑みを浮かべてみつめる。
不意に上がった少女の右手がパチンと鳴らされると、倒れている男たちの首に巻きついていた銀色の帯のようなものがその裾の中へと吸い込まれていく。
一体どんな仕掛けなのかは理解できないが、この少女があの銀の帯を使って男たちを倒したのは明白だろう。
謎めいた雰囲気の少女に佑人は微動だもできないまま警戒するしかない。
(まさか、こんな子があのチンピラ達を倒したって言うのか……あの銀の包帯みたいなのと言い、いささか冗談が過ぎるぜ)
「…………」
「………」
佑人はもちろん何も言葉を発せず、少女も笑みを浮かべて右手を下ろしたまま静止している。
永遠とも思えるような静寂が、場を支配した。
実際には数秒の間、互いに見つめ合っていた二人だったが、少女の方が先にその静寂を破った。
「……初めまして、かな? 僕は日月琴華(ひづききんか)。彼らにはちょっと手荒な手段を取っちゃったけど特に問題ないよね、佐久間佑人君?」
琴華と名乗る少女は気絶している男たちを指さしてそう言った。
「なんで俺の名前を……」
名乗ってもいない自分の名前を相手に言い当てられ、佑人は若干の驚きを表す。
それを見て琴華はけらけらと本当に楽しそうに笑った。
「あはは、まあそんな事はどうでもいいじゃん。そんなことよりもっと楽しい話をしようよ」
「楽しい話だ? 俺はお前みたいな得体の知れねえ奴に構ってる暇はねえんだよ」
「ありゃ、つれないねぇ。この男達を蹴散らしてあげたのは誰だと思ってるの?」
琴華は足元に居た男を蹴飛ばしながらゆっくりと佑人に近寄ってくる。
「わりぃがその恩は仇で返すことになりそうだ」
じわじわと接近してくる琴華に佑人はそう呟いて踵を返そうとした。
しかし。
「———させないよ。逃がさない」
「………おいおい」
振り向けば、佑人の背後にあったはずの路地がすべて消えていた。否、佑人が逃げるのを阻むように例の銀の帯が何層にも重なって壁を作りだしていたのだ。
逃げ場を失った佑人はにじり寄ってくる琴華に身構えることしかできない。
だが琴華もそれ以上は近づかず、佑人と一定の距離を保ちつつ口を開いた。
「悪いね、逃がす訳にはいかないんだ。こっちも事情があるから」
「そっちの事情なんか知るか。とっとと帰らせてくれ」
「まあまあ。落ち着いて話でもしようよ、例えば……ほら、君の異常な身体能力の事とか」
「……! なんでそれを……」
「さてね」
そう言って琴華は先程と同じように不意に右手を上げ、中指と親指を打ち鳴らした。
「でも、君には話をするより行動で見せた方がいいかな?」
琴華の指が打ち鳴らされると同時にその足元から薄い金属の帯のようなものが噴き出し、数秒後にはそれを人型に巻き付けたような三体のモノがいた。
「な、何だこいつら……」
前傾姿勢で沈黙するそれらに、佑人は後ずさりしながらも琴華に尋ねる。
「何のトリックを使ってるか知らねえが、俺にはそこまでする程の大層な力なんてないぜ?」
「あるよ」
佑人の問いに琴華は即答する。
「君のその運動能力……たいして鍛えてもいない君がなんでそんな動きが出来ると思う? 不思議に思った事は無いかな、その力」
「単に生まれつきじゃないのか?」
「生まれつきと言うには少しおこがましいね、その力は……」
一度言葉を切った琴華は一瞬で獰猛な笑みを作り、銀色のミイラのようなしもべに命令を下す。
「…君には分不相応なんだよ! 行け、『フェアバンド』!」
フェアバンドと言うらしい三体の異形は、主人に下された命令の通りに佑人に向かって突っ込んでくる。意外に早いその移動速度に佑人は内心で驚いた。
(——っ、速え!)
疾風の如く肉薄したフェアバンドの一人が佑人の右腕を掴み、驚く佑人をそのまま地面に組み倒そうとする。
だが———、
「——なんてな! 俺がそう簡単にやられるかよっ!」
つかまれた腕を回転させて逆に相手の腕を掴み返し、佑人は近づいていたもう一人のフェアバンドに向けてその身体を投げ飛ばした。
ガシャン! と言う音と共に二体のフェアバンドが壁に思い切り叩きつけられ、そのまま地面に崩れ落ちる。
「とろいんだよ!」
投げ飛ばした隙をついて後ろから近づこうとした残り一体のフェアバンドの腹に、佑人は強烈な蹴りを炸裂させた。
佑人の蹴りを受けたフェアバンドの体は真っ直ぐに琴華に向けて飛んで行くが、彼女に激突する前にその身体は空中でバラけてその袖の中に収納された。
一体どういうトリックか、二度目の現象にどんなに目を凝らしても佑人には分からなかった。
- Re: 式姫—シキヒメ— ( No.4 )
- 日時: 2012/03/09 21:21
- 名前: アールエックス ◆Ue1gYEb5SI (ID: 1866/WgC)
「……やれやれ、やっぱりフェアバンドなんかじゃ相手にならないか。しょーがない、僕が相手してあげるよ。この日月琴華がね」
壁の前で崩れ落ちている二体の身体も回収して琴華は佑人に近づいていく。
再びゆっくりと歩み寄ってくる琴華に佑人は笑いながら言った。
「お前みたいな女の子に手は上げたくないんだが、できればもう諦めてくんねーかな」
「不必要な甘さは自分の首を絞めるよ? ま、油断してるだけなんだろうけどね」
琴華は「なら……」と呟いて右手を横に突き出す。
「油断する余裕もないくらいの恐怖を見せてあげるよ。式神顕現」
「!?」
琴華の言い放った言葉に佑人が驚く暇もなく左右を壁に囲まれた小路を閃光が包み、佑人は思わず目を瞑る。
そんな中、佑人の脳内を様々な言葉が駆け巡っていた。
(式神、顕現だとっ!? 大戦時に作られた最凶の兵器の起動コマンドじゃねえか!)
人を喰らう兵器、禁忌の鎧、デスメイル。様々な二つ名で呼ばれる最凶最悪の兵器、霊動式神兵鎧装。
今琴華が放った言葉は、命を喰らって力とするその兵器を起動するコマンドだ。
世界中の大地を、大空を支配した兵器は多くの人達の命を奪い尽くす。
ニュースなどでもたびたび登場するその兵器は、認証した人間が放つコマンドによって起動する。佑人はそれがこの戦争が終わった平和な時代に聞かされるとは思ってもみなかった。
「……驚いている、という事は少なからずこれの正体を知ってるんだね?」
琴華の言葉に佑人が目を開くと、閃光は消え去りさっきまでパーカーの少女がいた場所には代わりに茶色の装甲で構成される機械鎧を身に纏った琴華がいた。
茶色と焦げ茶色のツートンカラーに塗装された装甲。背中に広がる長方形の板を連ねたような推進装置。人の頭ぐらい余裕で掴めそうな両手。脚部の先には足は無く、三角形に似た脚部全体のスラスタ—からも推力を得てその鎧は空中に浮遊しているようだ。
その名も霊動式神兵鎧装。
なおかつ鎧と言う名を持ちながら、搭乗者たる琴華の腹部などはラバースーツのような黒い布で覆われて、頭部に至っては無防備に露出しているのがほとんどの式神共通の特徴と言える。
弱点をさらけ出しているように見えるそれはあらゆる衝撃、熱、その他外部からの不必要なダメージをほぼ完全に無効化するという特殊空間を備えた、式神の中で最も堅牢な部分なのだ。
露出する必要は無いように思えるが、それは視界確保や可動部分の拡大などの理由があるのだ。
佑人は呆然としながらも諭すような口調で琴華に語りかける。
「琴華…とか言ったな。それ式神だろ、そんなもんに頼るんじゃねえよ。死んでもいいのか?」
「そこまで知ってるんだ、博識だねえ。ますます君が欲しくなっちゃうよ」
「俺にたいした価値はないっつってんだろうが。こういうときは……逃げるに限る!」
佑人は短く叫び、身を低くして琴華の横をすり抜けようと走り出す。幸い式神の右手の方にスペースがあり、そこを目がけて佑人は走った。
(そこだ!)
「あは、逃がさないって言ってるでしょ?」
だが、琴華が右手に現出させた大型ライフルに佑人の目指す先は阻まれる。
「うおっ!?」
突然現れた障害物に佑人は思わず立ち止まったが、その隙を琴華は見逃さなかった。
「…捕まえた」
———ドン!
「ぐ、はぁっ!」
瞬時に加速した琴華は自由な式神の左手で佑人の体を拘束、そのまま直進してその身体を壁に叩きつけたのだ。
あまりの激痛に体中が悲鳴を上げ、佑人は遠のきかける意識を懸命につないでいた。
(くそっ……これが式神の力かよ。圧倒的じゃねえか)
「ふふふふふ、あとは君の力を僕が取り込めばいいだけ……さっきも言ったけど琴華ちゃんは君自身にも興味があるからね、どうしようかな」
琴華は佑人の体を壁にのめりこませたまま顔を近づける。
「……む」
その時、琴華は不意に佑人から顔を離して周囲を見回した。
そして一言。
「隠れてないで出てきなよ、いるんでしょ?」
琴華は右手のライフルを袋小路の出口に向けて引き金を引く。
———ズキュウン!
放たれた光線がコンクリートの壁にぶつかって爆発し、瓦礫と土煙を周囲にばらまいた。
「…………」
土煙が消えた後も琴華はずっとその場所を睨みつけている。
しばらくの間そこを凝視したまま琴華が沈黙していると、不意にどこからか声が響いた。
「……流石は腐っても式神ですね、光学迷彩を簡単に見破られるとは」
抑揚の少ない声。感情をほとんど感じられない機械のような声だった
同時に電気が走るような音と共に先程ライフルの光線が着弾した少し横、その空間が歪んでそこから琴華ほどではないが小柄な少女が現れた。
Yシャツにチェック柄のスカートという学校の制服のようないでたちの少女は、風になびく長い髪を手ですきながら無機質な光をたたえる瞳を琴華に向ける。
「単刀直入に言います。その人を…佐久間佑人さんを解放してもらえないでしょうか」
「なんでどいつもこいつも俺の名前を……ぐっ」
「君は黙ってて?」
言いかけた佑人を琴華は一層壁に押し込んだ後、その手を離して制服の少女へ向き直る。
「ねえ、あなた誰? この街の監視官?」
「……高野鈴、とだけ名乗っておきましょう」
「どうして僕の邪魔をするのかな?」
「あなたのようなはぐれ式姫を放っておけば、何をしでかすか分からないからです」
二つほど問答した後、琴華は少女に笑いかける。
「ん〜、琴華ちゃんははぐれ式姫とかじゃないんだけど……まあいっか、とりあえず……」
そして、その笑みを絶やさぬまま琴華は右手のライフルを剣のように後ろへ構え、目にも止まらぬ速度で鈴と名のる少女に直進する。
「今は邪魔だから、少し眠っていてもらえるかな」
言葉と共に刺突のように突き出されたライフルの銃口。
口ぶりからして琴華は相応の手加減をするつもりのようだが、突き刺すためのものではないとはいえ、生身の人間にあんなものが当たれば無事ではすむまい。
壁から崩れ落ちる佑人はボロボロの体で鈴に警告しようとする。
(や、めろ………)
佑人の思念に反して、琴華は刺突の一撃を繰りだした。
- Re: 式姫—シキヒメ— ( No.5 )
- 日時: 2012/03/12 19:27
- 名前: アールエックス ◆Ue1gYEb5SI (ID: 1866/WgC)
「…………」
しかし、驚くべきことにその一撃を、鈴は体を少しずらすだけで回避してしまった。その動きはまるで風に逆らわずに受け流していく草葉のようでもあった。
「なっ……!」
攻撃を難なく回避されたことで、琴華は驚愕に目を見開く。
「そんな、常人じゃ目で追う事も難しいのに……あ、まさか君…!」
一瞬で何かを悟ったらしい琴華が、斜め前にいる鈴の体へ左手を伸ばす。
だが、それよりも鈴が右手を握って言葉を唱えるほうが先だった。
「慢心は時に判断を誤ります。あなたは最初から接近戦を挑むべきではなかった。式神顕現」
コマンドと同時に鈴の右手を鉛色の重厚な装甲が覆い、高速で振るわれた超巨大な鋼鉄の拳を受けた琴華は強烈なボディーブロウによって上空へと殴り飛ばされた。
同時に何もない空間にひびが入るかのように琴華の式神を覆っていた透明な殻が粉砕される。
あらゆるダメージを無に帰する特殊空間も、同等の力を持つ式神ならば破る事が出来る。逆を言えば式神にしか破壊できない物を破壊した鈴の右手も同じ式神ということである。
「が、はあっ!?」
特殊空間は球状に式神の周囲へ配置され、普段は操縦者の任意で作動し、ある程度の危険を感知すると自動で展開される。また、特殊空間は式神本体の物理装甲の強度で支えられているため、それが破られた場合は物理装甲にもダメージが通るのである。
鈴の繰り出した攻撃により茶色の装甲は爆ぜ飛び、特殊空間を砕いてそれでもなお向かってくる鋼拳の軌道へとっさに割り込ませたライフルもへし折れた。吹き飛ばされた琴華の機体は上空二十メートル程のところでやっと停止する。
荒い息を吐きながら焦燥と困惑の入り混じった表情で琴華は真下にいる鈴を見つめた。
「はぁ、はぁ、……まさか、そんな……」
「いかがですか、私の式神の力は」
巨大な右手の鋼拳を閉じたり開いたりしながら鈴は言う。
「ちっ、そういうことか……」
琴華はそれを見て小さく歯ぎしりをした。
何かを警戒するかのように周囲を見回し、最後に琴華は鈴へ視線を向ける。
「……君も式姫だったとはね。僕は君達とは事を構えたくないんだけど……今は一旦引く事にするよ」
その一言と共に琴華の体がぼやけ、足元から銀色の粒子のように風に乗って消えて行った。恐らく銀の帯の応用か何かなのだろう。
琴華の姿が完全に消え去ると同時に鈴は構えていた拳を下ろす。
「げほっ、げほっ……すげ……」
佑人には影しか見えなかった琴華の攻撃を軽く避けたのもそうだが、たったの一瞬で彼女にカウンターを浴びせて退かせた鈴の手際に佑人はむせながらも思わず呟いた。
「……武装解除」
鈴は重量感のある鋼の右手を掻き消すと、佑人に向かってゆっくりと歩いてくる。
(次は俺ってか……?)
僅かに後ずさることしかできない佑人に鈴は首をかしげた。それから得心したように手を叩く。
「……ああ、漏らしましたか」
「漏らしてねーよ! 初っ端から失礼だな!」
「ジョークです。肩の力は抜けたでしょう?」
「………!」
そこでやっと佑人は鈴が自分の緊張を解くために冗談を言ったのだと理解した。
どうやら敵意は無いらしい鈴に佑人は安堵のため息をつき、気分が落ち着くのを待ってから口を開いた。
「……いくつか質問がある。聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「助かる……お前達はいったい何者だ? どうして式神を持っている」
同意の意を示した鈴に佑人は不躾と思いながらも質問を重ねた。
「それは……式神は、お前達の命まで食いつぶす兵器だぞ。これ以上使ったら……」
「式姫システム……」
その佑人の問いを遮るかのように鈴の口から耳慣れぬ言葉が吐き出された。
「え……?」
硬質な足音を辺りに反響させながらそう呟いた鈴に佑人は聞き返す。
その言葉に、最初の時からずっと表情を変えない鈴は答えた。
「式姫システム……私達の体とそれに宿る式神の名称です。式神の連続使用にも耐えうるように設計された体とナノマシン化された式神を持つ私たちは、式姫という名称で呼ばれ様々な任務を受け持っているのです。中には先程の少女のように政府などといった正式な組織に属さないはぐれ式姫を捕獲し、矯正させる事も任の一つに入っているのです」
「ま、まて。待ってくれ。政府に所属だって?」
鈴の話の中にあり得ない言葉を聞いた佑人は思わず問いただす。
「その式姫だか何だか言うお前は、政府に所属する人間だってことなのか?」
「はい。私は政府直轄兵器犯罪監視局水無月支部所属の式姫、高野鈴軍曹です」
「軍曹……」
鈴の言った長ったらしい肩書に佑人はそう漏らした。
しかし、軍曹の階級を持つ鈴の言葉が真実ならこの日本では今も式神の研究がおこなわれていることになる。
だとすれば、日本は未だに戦争を起こす気なのかと佑人が考え込んでいると、それを見た鈴は首をかしげた。
「佑人さんが何を考えているかはわかりかねますが……式姫の研究を行っているのは日本だけではないですよ」
「……なんだって?」
「大戦に参加したほとんどの国は現在も式姫の研究を続けています。しかし、その事を知っているのは国の上層部にいる人間だけです」
「……なるほど。余計な混乱を防ぐため、か……」
戦争の被害をじかに被った人間にとって、式神は恐怖と憎悪の象徴だ。
直接的な破壊を振りまいた対象としても、搭乗者として親類や友を「喰われた」対象としても、式神という存在は人々の心の奥底に恐れと憎しみを喚起させる。
そしてそれは、その延長線上にあるという式姫だとしても同じだろう。
(自分の利権ばっか考えてるこの国のお偉方にしては賢明な判断だな。いや、それも利権がらみってことか)
「鈴が追っているはぐれ式姫ってのは一体何なんだ?」
「はぐれ式姫は式姫が未だ研究段階だった頃に生み出された精神と人格が崩壊してしまっている、もしくは他の理由で政府に属さない意向を示した式姫の事です」
さらりと鈴が口にした言葉に、佑人は自分の聞き間違いかと思ってその言葉を反芻する。
「人格が…崩壊?」
「式神には本来装着者の感情のうち戦闘に必要無いものを一切排除する機能があり、適切な対処を受けずに式神を長期使用した場合は人格などが崩壊する恐れがあるのです」
(鈴はその処置を受けているってか……ん?)
ふと、そこで佑人はある事に気が付いた。
「そう言えば俺はお前らが式姫であることを知っちまったが、この場合どうなるんだ? 口封じのために強制的に冤罪を着せられて一生を刑務所で過ごすなんて俺はご免だぞ」
映画やドラマでよくありそうな展開を想像して佑人は身ぶるいする。が、鈴はそれに対しては首を横に振った。
「万が一、私達式姫の情報が民間人に知られた場合は、同じく政府直轄の特務機関員が特定の記憶を消去しますので安心してください」
「安心して良いのかよく分からないが、まあいいや。俺は今ここでそいつらにこの記憶を消されるってことだな」
「いえ、消しませんよ」
諦めたように佑人が言うと、鈴はあっさりとそれを否定した。
「佑人さんには式姫についての記憶を覚えていてもらう必要がありますから」
「どういうことだ? 俺はそんな価値がある人間じゃ……あ」
佑人は鈴に尋ねようとした時、それが先程琴華と話した内容と似ている事に気がついて口をつぐんだ。
「……俺の力ってのが関係しているのか」
「はい、そうです」
鈴は澄んだ瞳で真っ直ぐに佑人の目を見つめた。
「佑人さんの力は、先程の式姫のように悪用できる者が悪用すればたくさんの人達を悲しみの中へ突き落す事も出来る力です。だから、絶対にその力を間違った方向へ使わないようにするために私達がいるのです。それを忘れずに行動してください」
鈴はそれだけ言うと「では、またいずれ」と踵を返して路地裏の角を曲がって行ってしまう。
「……またいずれ?」
そして佑人は、誰もいなくなった路地裏で一人、鈴の言葉に首をかしげていた。