複雑・ファジー小説

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お狐様と指切り〜和風嫁入り奇譚〜
日時: 2013/10/30 22:47
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

初めまして、桜詞さくらことばと申す者でございます(´・ω・`)
今回初めての投稿となりますので、お手柔らかにお願いいたします(内心ビビリまくり)

妖の出てくる、現代パラレルなお話をば少々……
私の名前でお分かりの方もいらしたでしょうか?
実は私……
廓詞くるわことばが大好きなのです!!!!(((o(*゜▽゜*)o)))←あっどうでもいいって石投げないでッッ
と、言う事で現代に近い科学技術を保有した時代の、江戸の風潮の残ったパラレルワールドが舞台となっております。
皆様「吉原」という単語を一度は耳にしたことがお有りかと思います、
遊郭、遊女、花魁、太夫、身体を売り金を稼いだ女達の一生が凝縮された舞台。「くるわ
身分の高い遊女「太夫」の称号を持つ一人の女と、神様のお話。
切なくダルく、少しずつ、無理のない範囲で進めて参りたいと思います(^ω^)

突発的ですので、完結の目処は立っておりませんので、中途半端な野郎がご不快な方(当たり前だ)はご遠慮頂いた方がよろしいかと思います。
それでも「まあよかろう」と仰るそこのお方様!!
ありがとうございます・゜・(ノД`)・゜・

コメント等大変喜びますので、どうぞ応援してやってください(´・_・`)
批評やご指摘、お待ちしております!!

※スレ主は大変メンタルが脆弱なので、イジメのように酷な批評はやめてあげてください……


                          〜登場人物〜

【貴椿:きつばき】
遊女の中でも最上の称号、「太夫」を冠する花魁。
吉原の最高妓楼「宵月喜楽楼」の看板遊女。
年齢:19歳
身長:167cm
艶のある黒髪に虹彩の複雑な黒目。
お天気雨と呼ばれる「狐の嫁入り」の際、中庭にて白い狐を保護する。その後狐の世話をしながら生活を送る。
おおらかな性格で、自分の美貌や教養に見合うだけの自信は持っているが、過信したり溺れる事もなく何事も事実は事実として受け止める聡明さを持つ。
他人を揶揄って楽しむのが案外好き。
一見大らか過ぎて流されているようにも見えるが、強い芯がありそれを曲げることは決してしないが、状況や環境によって柔軟に対応する度量の広さの持ち主。

【紫紺:しこん】
狐の嫁入りと共に置屋おきやの中庭に現れた白狐。
貴椿に連れて行かれ、その後貴椿の飼っている狐として日々を送る。
人に化けたり色々なものに化けることができる。普段はただの薄い毛色の狐だが、本来は9本の尾を持つ。
普段は人型を取ることはないが、指先を必要とする作業を要する時や、貴椿に迫りたい時には人外とひと目で分かってしまう美貌を持つ。
おあげが好き。

【野分:のわき】
番頭新造と言う、売れなかった遊女がなる太夫の世話役をわざわざ買って出た粋狂な女性。昔は売れっ子の花魁で、太夫の一つ下の格である「太夫格子たゆうこうし」まで努めたが、途中身請けされ吉原を抜けるも、夫の死後また吉原に戻ってきた。
年齢:32歳
身長:157cm
全体的に薄い色合いで、栗色の髪と瞳。
おっとりとした見た目に反して姉さん肌で、筋金入りの女前。

【鶯:うぐいす】
貴椿の妹分。太夫である貴椿を心より尊敬する同じ妓楼内の仲間で、同時に貴椿の良き友でもある。
太夫格子であり、上級遊女に位置する。
貴椿太夫に続いて、「宵月喜楽楼」の看板を務める花魁で、得意な芸事は本人の名からも連想出来る通り歌舞である。
年齢:18歳
身長:150cm
栗色の髪に黒く大きな瞳。小動物のような見た目だが、その内はなかなかに強かで辛辣な一面もある。

【榊:さかき】
宵月喜楽楼の厨房を預かる、料理番の青年。
遊郭に関わっている人間とは思えぬ程に純情で、妓楼内の遊女達の癒しスポット。
料理に対する姿勢は真剣そのもので、少しの手抜きも絶対しない。宵月喜楽楼内全員の好みを把握しており、最上級の妓楼に恥じない料理を出せる唯一の人物だと楼主に腕を買われて吉原にきた。
年齢:21歳
身長:170cm
少し長めの黒髪を後ろで一つに纏めている。顔立ちは整っているものの、本人の醸し出す癒しオーラにより、幸か不幸か「可愛い」と言う評価しかして貰えない。

【東雲:しののめ】→ポンタ様より(*´ω`*)
宵月喜楽楼に出入りする髪結い師。右目に眼帯をし、腰まである黒髪をゆるく束ねて簪を刺している。赤い着流しを好んで着用する色男。
吉原内で唯一貴椿の髪結いの権利を持つ腕の良い髪結い師だが、その実は狐や幻術を得意とする妖の天敵である、雲外鏡と言う鏡の妖。元は九郎助稲荷社に祀られた神鏡しんきょうだったが、長い年月によって命を得たらしい。
身長:186cm
年齢:ウン百歳
紫紺は天敵である東雲に対して敵意があるが、それだけではなさそうな様子の紫紺を見てからかうのが好き。

【譲葉:ゆずりは】→魁人様より(*´ω`*)
引込ひきこみと呼ばれる、禿の中でもエリートに分類される教育を受ける童女。楼主や女将からの期待を受け、本来禿の仕事である筈の姉女郎などの世話から離れて、茶道や香道、学問についての教育を受けている。
黒く長い髪に、穏やかな顔つき、少し垂れた黒目がちな大きな眼の相当の器量良し。容量もいい為、お客や他の妓楼の女郎たちからも可愛がられている。
年齢:10歳
身長:132cm
姉妹関係にある姉女郎の貴椿を尊敬してやまない。引込禿としての英才教育のせいか、雰囲気や仕草は淑やかだが感情的な部分や、人見知りの部分を隠し持っている。
姉女郎が同じ貴椿である、菊莉葉きくりはとは歳も同じで良きライバル同士。

 ※物語に登場次第、人物は追加してまいります(*´ω`*)


●○●プロローグ●○● >>1-6
●○●約束の始り●○● >>7-14>>16-18
●○● 第二章 ●○● >>19-20

【其ノ一、約束の始り】 ( No.7 )
日時: 2013/10/29 17:52
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 桜も満開の春只中の午後、春うららという言葉が正に相応しい日和にも、吉原ではいつもと変わらぬ日常が流れていた。

「貴椿太夫」

 1人の太夫に付く世話役の中でも、それらを取り仕切る立場にある番頭新造ばんとうしんぞうである女に呼ばれ、貴椿きつばきと呼ばれた女はゆったりとした仕草で振り返った。

「なんでありんしょうかぇ?
何か御用でありんすか?」

 古めかした言葉遣いだが、貴椿がそれを操るとどうにも不思議なのだが何の違和感もなく滑り込んでくる。廓詞と呼ばれるそれを如何に流暢に操るかも、遊女の品格を品定めする一つの要素とされている。

「今晩のお客は甚介じんすけなお人でありんすから、気を付けてくんなましね」

 此方も随分流暢に廓詞を操る番頭新造だが、それもその筈。大見世である惣籬そうまがきでダントツの人気を誇り、太夫への昇格前に身請けされ吉原から去った、最上級と呼ばれた花魁の一人なのだ。身請けされたにも関わらず、何故番頭新造などと言う身分も低く、面倒な世話係を吉原でしているのかと言うと彼女曰く「この世界は厳しく、楽しいから」と口にしたと言う。粋な彼女の生き様は最早知る人ぞ知るところで、吉原中の遊女達にとっては憧れの「格好良い女性像」を具現化したような存在だ。

「あい、重々肝に銘じていんす。
なんのまあ、お方様に至ってはあの性分は地獄に落ちても治りんせんでおざんしょう。
 野分もこないだはお方様に迫られて手数ではなかったでありんすか?」

 ヤキモチ妬きの客や、遊女相手に本気になる男も多いが、その中でも特にヤキモチ妬きな男が貴椿の今晩の客らしい。しかも番頭新造の野分のわきにまで言い寄っているのだから、手に負えない女好きだ。

「そんなことに心づかいをなさりんすな、大したことではおざんせん。
今晩はあがりでおざんしょう、吉原もお客入りのけちなこと」

 ふんわりと笑う上品な笑みで貴椿の心配を包み込むと、今日は暇だろうと告げて「狐の世話も捗るでありんしょう」と言い残すと今晩貴椿が纏う帯色について訪ねて去っていった。
 酔狂な人も居るものだと野分の背中を見送って、貴椿も部屋へともどった。

「ああ、おあげを持って行かねばな」

 独り言でそう呟くと、一度厨房へ寄る為に方向転換して歩を進めた。

【其ノ一、約束の始り】 ( No.8 )
日時: 2013/10/29 17:53
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

「榊は居るかぇ?」

 厨房と廊下か仕切る暖簾を軽く腕で避けて顔を出した貴椿の顔を見て、榊と呼ばれた料理番は効率良く剥いていたじゃがいもをぼとりと取り落とした。

「……き、貴椿太夫!?
 ま、またいらしたんですかッッ?」

 昼餉も終わり、暇な時間帯であるこの時間を見計らって訪れた貴椿に、顔を赤く染め上げながら榊は動揺した様子で慌てる。

「昼ほどはゆるりとした時でありんしょう?あがりの時分ぐらいゆっくりとさせておくんなまし」

 その様子を揶揄うように袖で口元を隠してクスクスと笑う貴椿に、榊はますます狼狽える。こうして揶揄われた過去で勝てないと悟っている榊は、身分の高さにも関わらず厨房などに訪れる貴椿を諌めるよりも、貴椿の目的を早々に達成させて去って貰う事に思考を切り替えて、半ば諦めたように話題を転換した。

「はぁ……、野分さんに俺が怒られるんですよ……。
 どうされました?」

 貴椿はおあげを貰いに来たのだが、料理人として一流である榊が提供する食事を、例え拾われた狐の餌だとしても忘れる訳はない。朝も昼も、きちんと貴椿の膳と共に狐の食事も運ばれてきて、それをペロリと全て平らげている。それは下げられた膳で榊も確認済みであろうから、どうしたのかと訪ねているのだ。

「それがな、おあげが無いせいか紫紺しこんが不機嫌でな……」

 困ったように笑む貴椿は少し首を傾げて榊へと視線を遣る。貴椿の手練手管に榊はまんまと揶揄われ、顔を赤くしながら冷や汗まで浮かべて貴椿の視線から逃れるように、わたわたと冷蔵庫へ頭を突っ込む勢いで覗き込む。

「え、ええとっ
 おおおおおあげですね、おあげ!!
 おあげ、おあげー……」

 覗き込む榊の声が「うーん」と渋る様子へと変化していく。

「ありんせんか?」

 心配そうにそう貴椿が問うた瞬間「あっ」と榊の声が上がる。

「あったあった、ありましたよ。」

 ニコニコとしながら顔を上げた榊の表情に、貴椿もほんわりと笑む。

「どれぐらいご入用で?」

 問われて一瞬考えるように瞳を伏せるが貴椿はすぐに顔を上げる。

「そうじゃな、取り敢えず2枚もありゃあ満足すると思いんす」

「じゃあお持ちします」

 不自然に逸れる榊の視線にまだ揶揄いたい衝動が沸き起こるが、部屋で不満を訴える存在の要望を叶えるには榊の手際が重要となる。少し残念な心境を抱えながら榊をそっとしておいてやる事にしたらしい貴椿はやっと部屋へと戻っていった。

【其ノ一、約束の始り】 ( No.9 )
日時: 2013/10/29 17:53
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

遊女達の部屋は大抵2階にある。貴椿を支える、趣を重視しているのだろう木目も美しい床や階段は、その見た目に反して中には鉄筋などが通っている。今のご時世、人が住み客を招く空間である以上、耐震性は必須条件と言えよう。そんな裏を知れば興醒めの階段を上り、一番良い位置にある部屋の襖を引いた。

「何ぞけちなことなぞしとりんせんな?」

 そう声を掛けながら部屋へ戻ると、もう昼も過ぎたと言うのに敷きっ放しの布団の上で丸まった白い塊が一つ。我が物顔で満足げに目を閉じていた。

「また気ままなことを……
 食べてすぐ寝ると牛になる、言うことわざを知らんのかぇ?」

 塊に向かって呆れたようにそう零す貴椿の声に、塊がむくりと膨らんだ。四肢が綺麗に伸び、面長の顔は寝起きの様子で目を眇めている。やっと起き上がった白狐は、名を紫紺しこんと言う。今は一尾しか生えていない尻尾も、出会った当初は九尾あった。化け狐だと踏んでいる貴椿は尻尾が9つあった理由も、今は一尾な理由も聞かず、その内何処かへ行くだろう狐に寝食を与えて世話をし、時たま自身も狐に癒されながら、八分咲きだった桜が満開を迎える時を過ごした。
 ふてぶてしく注文をつけてくる狐に可愛気があるかどうかではなく、動物自体がセラピー効果を発揮しているのだ。元来動物の好きな貴椿には嬉しさ半分、化け狐故に複雑さ半分、といったところなのだろう。狐の注文に、今のところ問題なく応えているようだ。
 足元まできた狐を貴椿はひょいと抱き上げる。

「主は愛らしいの」

 不満げにフンッと鼻を鳴らした狐の前足を肩に掛けさせ、重心を傾けると片手で抱え込む。そのまま部屋へと入り開けっ放しだった襖を閉めると窓の側に座り、狐を膝の上に下ろした。
 狐は嫌そうでも嬉しそうでもなく、下ろされたからそこに居る、といった風情で貴椿の膝の上から動かなかった。

「撫でられるのは好かねえことはないんでありんすね」

 つるつると艶があるのに、触れば柔らかい体毛をゆっくり撫でる貴椿の顔をちらりと見遣り、また満更でもなさそうに目を閉じた。

「ああそうじゃ、おあげは榊が持っておいでなんす。
 後で頭の一つでも撫でさせておあげなんし」

 「おあげ」の単語が聞こえた瞬間、耳がピクリと反応する。それにクスクスと笑いながら、紫紺を撫でる手はそのままに窓の外を眺めた。樹齢100年を超える桜の木がその姿を誇るように満開の薄桃の花弁を纏っている。いっそ折れるのではないかと幼稚な考えを抱くほど、樹には桜が花開いていた。

「綺麗じゃな……」

 最盛期を迎え気が済んだ花びらから、順々に散り始める様子を眺める貴椿に釣られて、紫紺も窓の外へと首を向ける。目を眇める様子は人間くさく、感情が伺える。
 2人で何をするでもなく窓の外を眺めて、時折貴椿が呟くように唄を歌う。透き通るように、流れるように紡がれる音を、紫紺はゆったりと聴いている。毎日の流れが穏やかで、紫紺が来てからのんびりと過ごす時間が増えたことに貴椿は気づいていない。
 稽古に追われ、知識を蓄え、恋人ごっこを演じる。客と連絡を取り、騙し騙されながら恋愛を演じる。そんな時間に疲れを感じていたことに、誰が気づいただろうか。
 人ではない白い狐だけは、もしかすると気づいているのかもしれない。

【其ノ一、約束の始り】 ( No.10 )
日時: 2013/10/29 17:53
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

 ゆったりと時間を過ごしていると、襖の外に気配を感じたのか紫紺が窓から視線を外し、襖の向こう側を見透かすように視線を投げた。
 貴椿が「おや?」と思った瞬間、カチャリと陶器の擦れる音がした。

「榊です。
 貴椿太夫、お持ちしました」

「あい。
 手数を掛けんした。そこでよござんす」

 貴椿の言葉に従い廊下におあげを置いたまま、退去の旨を告げて榊は下がっていった。
 榊の持ってきたものが何かとうに察している紫紺は、期待するように耳をピンと立てて急かすように貴椿と襖を交互に視線を彷徨わせる。

「そう急かすもんではありんせん」

 幼子をあやすような心地でそう呟いて襖を引くと、そこには榊の用意してくれたおあげが綺麗に盛られて鎮座していた。盆の上には醤油と生姜、ネギの入った小皿に箸まで付いているところを見ると、貴椿も食べられるようにとの配慮が伺えた。
 わざわざ気を使わせてしまったな、と今後の榊に対する接し方に気を付けようと考えながら盆を紫紺の前に置くと、醤油やかやくの入った小皿とおあげの盛られた皿とを交互に見る。少し考えるように首を傾げた後、貴椿を仰いだ。

「ん?どう……」

 どうした、そう貴椿が言い切る前に口を塞いだのは他でもない、もう幾度か経験した獣の口だ。短い毛はチクリとする。貴椿が驚きで身を引いた瞬間、ぼわんとでも音がしそうな程煙が周囲に広がる。
 ああ、変化へんげか——
 貴椿が心中でそう理解すると同時、目の前の存在感が増す。少しだけ冷たい煙が晴れ、視界がクリアになって目に映るのは、人外。
 美貌。
 美しい、かんばせ。
 それどころではない、この世界の美をどれだけ寄せ集めても、神聖ささえ漂う本当の異形には叶わないと、人の手が、文化が、生が、及ばぬ所にいる者、それは尊ささえ伴って畏敬の念を抱かせる存在なのだと、貴椿が悟ったのはそう幾ばくも昔ではない。
 煌く銀糸の髪は、輝く銀細工。肌は滑らかで透き通った陶器のような白肌。均整の取れた肉体は細身で、きっとその中身さえも正しい位置にあるのだろう。纏う衣服の皺でさえ、そうあることが一番美しい角度であるかのように。スッと通った鼻梁に、柳の葉のように優美な眉、紫水晶に金を溶かし込んだような虹彩は見るものを射抜く神聖さがある。
 決して人の踏み入れない領域だと、目にするだけで悟れる。
 美しさ故にまるで神の彫像のそうな存在は、貴椿の顔の両脇に腕をつき上から貴椿の瞳の虹彩を眺めている。尤も、貴椿にとっては心臓に悪いことこの上ないので早急に状況を打開したくはあるのだが、何度この状況を体験しても最初の一句を紡ぐことはできない。
 畏れ、尊いあまりに、罪を犯す際の高鳴りにも、恋しいものに触れる時のときめきにも、恐ろしいものに出会った時の動悸にも似た感覚で、心臓は早く、早く鼓動する。
 そうなっている貴椿の状況は分かるだろうに、紫紺はいつもこの体制から変化する。前足が腕にあたるのだろう、後ろ足を膝に前足を肩に乗せて2本足立ちになる紫紺の体制は、変化後には貴椿が重みに耐えられず押し倒される状況に至っている。

【其ノ一、約束の始り】 ( No.11 )
日時: 2013/10/29 17:54
名前: 桜詞 (ID: ehc5.viK)

「……」

「……」

 どちらも言葉は紡がぬまま、けれど心中の穏やかさは比ぶべくもなく紫紺に軍配が上がっている。暫く貴椿を光から攫った後、動かぬ彫像でもない紫紺がやっと僅かに動きを見せた。髪結いをしていない貴椿の床に広がった、濡れ羽の髪に指をスッと通した。

「前から思っていたが」

 徐に口を開いた紫紺に、貴椿はやっとこの状況を打開する糸口を見つけてホッと息をついた。その視線が執拗な程に貴椿の瞳を見詰めているのだけは勘弁願いたいと心中で呟いたが。

「お前、その瞳の色は生来それか」

 低く、だがよく通る声は厳かな音色な筈なのに、聞くことは的外れで貴椿はやっと口を開く。

「……あい、瞳の色は生まれつきこの色でありんす。
 いつまでもそう女の上で口上を述べるもんではございんせん、まだまだ宵の口は先でありんすよ」

 女の上に乗っかって喋るだけとは野暮だと告げれば、何とも堪えていない様子の紫紺だがようやく貴椿の上から退いて、その形の良い指が動くと同時貴椿の黒髪が艶と共にするりと再び床に落ちた。
 動揺を隠すように廓詞が口を吐いたしまった事には、貴椿自身しまったと思ったのだが紫紺は気にしていない。その様子を見て、貴椿も何もなかった風を振舞うことにした。

「それにしても全く不便な身体になったものよ」

 ふう、と変わらぬ表情で瞳を伏せた紫紺の言葉に、貴椿はこの性別などあるのかと不思議になる程の美貌を持った男との初対面を思い出す。
 拾った白狐と唇を合わせるだけのキスをしたかと思えば、突然煙に覆われ重みが増したかと思えば肘を背面に突いて半分押し倒されたような体制になり、煙が晴れたかと思えば恐怖さえ抱く程のかんばせがドアップ、その上勢いのまま貴椿に自分の面倒を見させると約束させ、居座ってしまって早一週間。
 狐の嫁入りは一族総出で嫁に行く狐を見送るのだが、その参列から落っこちてしまい、紫紺は下界に嫁に来たことになってしまったらしい。嫁ぎ先にまで敷かれた絨毯を外れると掛かる呪いは、そのまま紫紺にまで作用し、性別的に男であろうが女であろうが人間の伴侶を娶るまでは禄な術も満足に使えないと言う。
 少し崩れた襦袢のえりを整え体を起こし、貴椿はようやくおあげの盆の前に座った紫紺を見る。

「それで、何か思い付きんしたか?」

「お前が早く嫁に来ればよい」

 以前聞いたセリフと全く変わらない状況に溜息を吐いて、貴椿は茶を入れるために部屋の端にある茶托の前に移動した。

「そりゃ無茶と言いんした。
 外の一般の女なら兎も角、この吉原に居るのは殆どが事情があって遊女をしとる。わっちもここのお楼様おやかたさまには恩がある。年季も明けぬ、身請けもされぬのにこの吉原から出れば犯罪者になる」

 昔の花魁は蔓延する病気や、掛かる性病によって死ぬケースも多くその多くが若くして命を落としたが、近代の技術ではそう死ぬこともない故に、昔よりも長く現役を続けることができる。
 17歳で突き出しと言われるデビューを果たし、それから10年間27歳になって晴れて引退し吉原から出ることができる。それを年季が明けると言ったが、現代の法律でそんな人権を無視した労働は認められていない。だからこそ、いま現代の吉原には自分の意思で赴き、身をやつしている者が殆どだ。
 現代の吉原は水商売と呼ばれ得る職業の中で、厳選され、高度な教育と技術を持った者だけが入ることのできる最高の色町。とは言っても、ある程度の自治が認められている小さな独立国家には、随分と苦労して客をとっている遊女もいる。そこまでするのは、全員借金がある為だ。寝食、服、かんざし身の回りの全て、それらを払えない状況から始める多方の遊女達は、見世からの投資で数年を送り十分な準備や技術を身に付けた後、働いて借金を見世に払う。
 その借金を返す方法は三通り。ひとつは客に借金を肩代わりして貰う代わりにその身を渡し、大半はそのまま妻となる。それを身請けと言う。ふたつめは遊女自身が借金を返し切り、見世が遊女自身からの利潤が十分であったと判断した場合にできる、足抜け。そして借金を返すとは意味合いが異なるが、遊女の契約が切れることを年季明けと言う。27歳で切れる契約を再び履行するも、晴れて吉原の外に住所を持つも自由だ。


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