複雑・ファジー小説

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コンプレックスヒーロー【完結】
日時: 2015/11/01 15:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 『誰にも言えないよ』

 『誰にも見せないよ』

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 諦めと正義を抱くヒーローの話


 ◆挨拶

 初めまして、またはこんにちわ。
 瑚雲です。

 ちょっと短いものを気分転換で書いていきます。
 リメイクを開始しました。


 ◆目次

 序章 >>001

 第01話 >>006
 第02話 >>008
 第03話 >>009
 第04話 >>010
 第05話 >>011
 第06話 >>012
 第07話 >>013
 第08話 >>014
 第09話 >>016
 第10話 >>017
 第11話 >>018
 第12話 >>019
 第13話 >>020

 終章 >>021

Re: コンプレックスヒーロー【リメイク】 ( No.15 )
日時: 2015/10/23 23:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 こんにちわ。作者の瑚雲です。

 一年以上放置していたこの作品を、全話リメイクし、心機一転して再連載を開始しようと思っています。
 他にも掛け持ちしている作品がありますので、こちらも不定期且つ遅めの更新となりますが、良ければお付き合い下さい。

 宜しくお願いします。

Re: コンプレックスヒーロー【10/24 第08話更新】 ( No.16 )
日時: 2015/10/25 12:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 
 ※第04話の一部変更された部分が今話に含まれています。
  お手数ですが今話を読まれる前に一度第04話をお読み下さい。
 

 第09話

 ぽつぽつと歩きながら考えていたことがある。
 僕は以前に、『完璧な人はいないけれど、完璧に限りなく近い人はいる』とふと思った。
 哲という不良男の母親をやってる女性の言った言葉にあてはめてみる。
 つまりは前世でいい行いをしたから、そうやって来世で返ってきただけなのかもしれない。

 前世で僕は、人の容姿を笑う奴だったのかな。
 傷もできものもない綺麗な肌を見せびらかして、人を見下していたのかな。
 僕が大嫌いな人間だったんだろうか。
 もし今、自分を卑下して、傷つけるだけの自分を変えることができるなら。
 来世では自分を愛すことのできる、優しい人間になれるのだろうか。

 「だんだん日も落ちてきましたね。“鍵探し”は、順調ですか?」

 全くいいタイミングだ。宙に浮かんでるか目に見えない監視カメラで捉えられているとしか思えないくらい実にいいタイミングで彼女は現れた。

 「いいところに来たね。ちょうど君に聞きたいことがあったよ」
 「本当ですか? 貴方の口からそう言って頂ける日が来ようとは!」
 「? まあいいや。君が来たってことは、イベントは通過したんでしょ?」
 「そうです。貴方もだんだん慣れてきましたね」
 「まあね。質問してもいい?」
 「ええ、どうぞ。何でも聞いてください」

 街の外れに構えていた哲の家から少し歩いたところ。イベントクリアの通達にやってきた彼女はいつになくわくわくしているようだ。早く早くといった表情で僕の言葉を待ってる。

 「……? どうしました?」
 「いや、その……こんなことを質問してもいいのかと、ちょっと思いとどまって」
 「言ったはずですよ。質問は何でもいいのです。それとも私では、貴方の力にはなれないと?」
 「まるで僕が言おうとしてることを知ってるかのような口ぶりだね」
 「こうも言ったはずです。私は貴方のことを知ってます。どこへも逃げませんから、聞かせて下さい。貴方が私に、聞きたいことを」

 飄々として、僕のことを見透かしているような挙動が苦手だ。自分勝手にずけずけ人の中に入ってくるところも。
 でも僕が死んだこの世界で。今の僕がどんな状態下に置かれているかを知ってる。今日出会ったばかりの、目の見えない少女に、ぽろりと吐き出した。

 「僕は、やり直せるのかな」

 今一番聞きたいのは、鍵を探すことでも、元の世界へ帰ることでもない。
 哲の母親の顔が脳裏に浮かび上がってくる。慈愛に満ちた彼女は本当に息子を愛してる。
 僕の母親は肌の赤い僕を疎んだり、嫌ったり、虐げたりはしないけれど。
 それより僕は。


 『大丈夫よ』と言われるより。

 『愛してる』と言われたい。


 「……本当に、そんなことを質問していいのですか?」
 「だから言ったのに。いいよ、答えられないなら変えるし。何か恥ずかしいし」
 「やり直したいと思いますか?」
 「……っ」
 「自分を好きになりたいですか? 母親に笑ってほしいですか? 貴方の体がどうこうではありません。“変わろうとする貴方”を、きっと周りは認めてくれます」
 「つまり……だから、できるの?」
 「ええ。やり直せますよ。貴方がそう思い続けるなら、何度でも。これから先どんなに辛いことがあっても、それを乗り越える力があるから、生まれてきた」

 哲の母親と同じことを言った。白い肌に差すピンク色の口元が微笑む。
 だって貴方は。少女はまだ何か言いたげに続ける。



 「だって貴方はヒーローだから。今も昔も、これからもきっと貴方らしく、生きていける」



 自分にまるで自信のないヒーロー。
 コンプレックスばかりを気にして生きる、ヒーロー。
 それが永崎光介という男だった。


 僕はなんて滑稽な男だったんだろう。変なところで正義感の働く、中途半端で根性なしの男。自然に思い出された詩鶴の泣き顔が、私にとってヒーローなんですって言った時、もやっとしたのは、他の誰でもない僕自身が、“ヒーロー”って言葉を忘れかけていたからなんだ。

 なんで彼女はそう言ったんだっけ。いつから僕を英雄視していたんだっけ。
 なんで変わろうと思ったんだっけ。いつから僕は諦め始めていたんだっけ。

 ぼうっとしてたら少女はいなくなっていた。もう少し先へ行けば、街に戻れるところまで来ていた。
 被ることを忘れていたフードが風にふわふわ揺らされる。眼鏡も落としてしまったから今はないけど、そこまで視力は落ちていないし、なんとか歩ける。
 それにしても視界が変わった気がする。俯いて、本と地面とばかりにらめっこしていた時より、ちょっとだけ。
 顔をあげれば街往く人がたくさん見える。携帯を耳に当てて歩いたり、バッグ片手に走る会社員も、二人仲良く並んで、よく脚の見える服を着た若い女の子たちも。
 傷のついたレンズ越しでは汚く見えた世界は。
 今はこんなにも明るくて眩しい。上着を脱いでしまいたいくらいの夏だったんだ。



 だんだん蝉の声が近づいてきた。不協和音はしっかり耳に届くものだな。うるさい中をひたすら歩いて僕は、あるところに辿り着いた。
 『KEEP OUT』の黒字に黄色いテープが張り巡らされた、少数の警備員がその中を散漫として歩いている。
 大きな車の痕。その他へこんだガードレールや轢き潰された草木を見ると、どうやら事故現場らしい。
 嫌な予感がして、何やらメモをとっていた男性に声をかけてみる。

 「あの」
 「? なんだい、君。ここは今現場検証中でね、向こうへ渡りたいなら左の歩道を」
 「事故現場ですか?」
 「あ、ああ……中学3年生の男の子が、大型のトラックに跳ねられて亡くなったんだ。ちょうど君くらいの年だね。全く最近は飲酒運転が多くて困ってるよ」
 「へえ……あの」

 久々に頭を使ってみるか。見たところこの男性、優しそうだし。

 「僕実は、その男の子の……永崎光介君の友達なんです。あまりにショックで」
 「そうだったのかい? それはお気の毒に……じゃあ庇った女の子のことも?」
 「うん。花園詩鶴でしょ?」
 「そうだよ。彼女も可哀想にね。目が見えなくなるところだったんだろう?」

 ————は?

 「え、待って。どういうこと?」
 「あれ、知らなかったかい? 飛んできたガラスに目をやられて、失明したらしいんだけど……どうやらその少年の角膜を使って、手術をして、視力は取り戻したって」

 嘘だろ。そんな話は聞いていない。
 そこまで考えて、はっとした。


 『謝らなきゃいけないことがあって、それと……もしもう一度会えるなら、ちゃんと言いたいの——『ありがとう』って、それと……『ごめんなさい』って』


 ああ、なるほど。あの時詩鶴が、かたかた身を震わせて零した言葉には、そういう意味があったのか。
 男性の話によると、女の子が事故で失明した直後、気が動転しまま手術を受け、視力は取り戻したものの、その角膜が僕のものであると知ったのは手術後のことだったらしい。
 僕は死んだのに、自分だけしっかり手術をして助かってしまったことに、後悔と自責の念を負わされているというわけか。
 可哀想、と思うのは少し違う気がするけど。彼女にこれから先、僕に申し訳ない気持ちで生きていかれるのはちょっと気が引けるな。気にしなくてもいいのに、詩鶴はそういうところ器用じゃない。

 何気なく首筋を掻いて、顔を上げて見えたのは大きくて綺麗な校舎だった。
 事故の起きたこの場所から真っ直ぐ見えるのか。あの学校に通う生徒はさぞ困る——だろう……に。

 「……?」

 なんだろう。妙な胸騒ぎがする。
 僕らの通っている学校はあそこじゃないけど、視界に釘つけられたままその場から動けずにいた。

 高実績。校内の景観にも力を入れた名門私立女学校の。
 校舎が描かれたパンフレットを、背中に隠しながら。へらっと笑った詩鶴の顔を思い出した。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.17 )
日時: 2015/11/01 18:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第10話

 花園詩鶴という幼馴染の女の子が僕にはいる。黒く艶やかな長髪に清楚な顔立ち、ほそっこい手足、その割に力持ちで明るく飄々とした、変なやつだと認識してもらえればそれでいい。
 彼女は割と乙女チックだ。少女漫画や恋愛小説を好む。新しい占いごとが学校で流行れば、迷わず僕のところへそれを持ってきて、相性だのなんだのって熱く語りかけてくる。その辺は普通の女の子だ。

 いつも僕の隣のいる詩鶴だが、別に女友達がいないわけじゃない。むしろ容姿性格成績、彼女を形容するステータスと、持ち前のコミュケーション能力の高さが、彼女に友人が多いことの理由となっている。
 ただ学校の行き帰り、休日、学校行事。何かにつけて僕の傍にいるのを、周りの人は不思議に、あるいは不審に思っただろう。
 実は付き合っているんじゃないかとか。片方がもう片方の弱みを握っているんじゃないかとか。あるいは生き別れの兄妹だ何だって。あることないこと噂されるのにはもう慣れてきた頃。

 僕らは付き合っていない。
 弱みを握り合ってもない。
 正真正銘赤の他人だけど。

 詩鶴から僕へ向けられる目があまりにも真っ直ぐだから。
 僕は詩鶴のその目をいつも見ることができなかった。
 僕らは決して見つめ合わない。横に並んで歩くだけの、幼馴染で。


 だから余計に覚えていたのかもしれない。
 詩鶴が僕の顔を見なかった時のこと。


 (あれは確か、僕が下校しようとして、進路相談室から出てくる詩鶴に声をかけた時……だったっけ)

 普段は詩鶴に声をかけたりしないのに。自分でもびっくりするくらい自然に声が出ていた。
 ——『詩鶴』って。振り返った詩鶴の目がみずみずしく輝いて、あの時は。
 確か、久々に目が合ったんだった。

 『! ……珍しいね。光ちゃんがあたしの名前、呼んでくれるなんて。今夜は世界滅亡かな?』
 『大袈裟すぎ。別に意味なんてないし』
 『意味がないのに呼んでくれるってところに意味があるんだよ〜』
 『何それ』

 ずずっと鼻を啜った。ほんのり赤くなった、高い鼻先が震える。
 詩鶴にしては珍しく。伏し目がちに、一体どこを見ていたのだろう。
 きっとどこをも捉えていなかった淀んだ眼差しがその時、目に焼きついた。

 『一緒の高校行こうね、光ちゃん。それでおんなじとこの制服を着るの。絶対だよっ』

 普段詩鶴の顔を見ない僕がそこまで鮮明に覚えているのには、詩鶴が僕の顔を見ていなかったという理由がある。
 彼女は、本当は言いたいことがあるくせに、全部喉の奥へ押し戻す。そういう時に、ああいう目をする。



 あの時手に提げていたのには間違いなくこの学校の校舎が映っていた。私立の女学校でも名門中の名門“聖鶯学園”。
 僕に『一緒の高校行こうね』と言った割りに、持っていたパンフレットが女子高のものだと知ってやっぱりこいつおかしいと思ったんだった。
 ただ冷静になって考えてみると、やっぱりあの日の詩鶴はどこかおかしかった気がする。いつものおかしさじゃなくて、別の。

 「……——そう、いえば」

 事故に遭った時、僕と詩鶴は一緒にいたってことだろ? 僕が詩鶴を庇って死んだということは。
 どこかへ行こうとした? それとも帰り道だった? それがあの学園? 一体、何をしに?
 詩鶴が僕の私情についてくることは多々あった。でも僕が詩鶴の用事に付き合ったことが今まであっただろうか。
 いや、待てよ——確か。


 『お願い光ちゃん。一緒にいて。それだけいいの……それだけで、いいから——』


 ——8月上旬。その日、学園の説明会が催された。
 両親と待ち合わせをしていた詩鶴。ついてきてほしいと頼まれた僕。

 ——図書館に行くついでならと応じると、学園へ向かう途中で詩鶴が言った。
 『お父さんとお母さんが、この学校に行けって言うの』

 ——学園の正門が見えるところで。それらしき両親が目に入った時に。
 トラックのブレーキ音が、耳を突き抜けた。



 花園詩鶴という幼馴染の女の子が僕にはいる。彼女の両親については触れてこなかったと思う。
 俗に言う“いいとこのお嬢様”だと思ってくれればいい。たった一人の社長令嬢である彼女はその容姿、性格、成績、どれも大変優れているためか、両親、祖父母にいたく執着されてきた。

 煌びやかで広い籠の中が生き苦しいと啼いたのは。
 ため息一つ零したところで誰の耳にも届かないから。

 毎日毎日。逃げるように僕のもとへ来ていたのはそのせいだったのかもしれない。僕の隣では彼女は深く息ができていたのかもしれない。
 それだけでいいのと言った、彼女は両親と向き合って、違う高校へ行きたいとはっきり言うために、深く息を吸うために、僕にあんなことを頼んだのか。

 と、ここまで脱線して考えに耽ってしまったものの、明らかにおかしい点に気づいてしまった。
 詩鶴の事情を考えている場合ではなかった。荒々しく髪を掻き回して、ぴたと止まる。


 「——何で知ってるんだ……? オープンキャンパスのことも、詩鶴が両親と待ち合わせしていたことも————事故を起こした、“直前の景色”も」


 僕がここを未来の世界だと仮定した時、あのセミロングの少女は『そうとは限りませんよ』と返してきた。
 未来の世界でないならこの世界は一体何だ? 確かに僕の葬式に出くわした。でも何で、過去にいたはずの僕が未来で死んだ自分の葬儀を見て、そして事故にあったことも知らなかったはずなのに——今、思い出した?

 ……ん? ————“思い出した”って、何だ?

 「も、もしかして……——」
 「——はあい! ぱんぱかぱーん! お呼びですか? そうですねっ!?」
 「!」
 「これで4回目ですね。そろそろ時間も危うい頃となってきましたが——イベント通過の、お知らせにやってきましたよ」

 毎度のことながら突然現れ、耳にキンキン響くやかましさを連れてやってきたのは黒髪セミロングの少女。本当いつもどこでどうやってスタンバってるんだろうこいつ。

 「さあさあ、時間もないので4つ目の質問をどうぞ。聞きたいことが、あるんでしょ?」
 「……」
 「? どうしました? 早くしないと、日没までに間に合いませんよ〜?」
 「……僕が、その……この世界に来る前にいた……あの世界は————」

 変わり映えのしない夏のある日。僕が本を読んでいて、詩鶴が突然窓から入ってきて、読む本がないから図書館へ向かって、詩鶴に勧められた変な恋愛小説を読んだ。
 僕がここへ来る前の、あの日は。


 「————本当に、現在進行形の世界?」


 本体の僕は一体どこで息をしてる?
 この未来みたいな世界で死んでいた僕と、図書館へ向かった僕の間に。
 何かがある気がする。本体がどこかに隠れている気がする。
 どうして僕は、まだ知りもしない未来を知ってた? ここは本当に未来の世界か?


 ——知りたい。確かめたい。“僕”が今、どこにいるのか。


 「……いいえ。貴方がここへ来る前にいた世界は、現在進行形の世界じゃありません」
 「じゃ、じゃあ……!」
 「“鍵”を探せと言いましたよね。“この世界”と“元の世界”を繋ぐための。その“元の世界”こそ————現在、貴方が生きている世界です」
 「!」
 「貴方がこの世界へ来る前にいた、あの日は……——“過去の世界”の一片なのです」

 図書館で謎の恋愛小説を読んで、僕はこの奇妙な世界に飛ばされた。過去の世界から未来の世界へ、現在をすっ飛ばして今ここにいる。そういうことか?
 どうして現在へ帰ることができないのだろう。顔色の冷めた僕を見て、少女は続けた。
 長い長い夢を見ているだけだと。


 「夢……?」
 「イベントは残り1回です。質問ができるのも次でラスト。日もだいぶ傾いてきました。貴方が生きるべき世界へ戻りたければ、“鍵”を見つけること。このまま夢に溺れてしまう前にどうか————目を、覚まして下さい」


 次に会うのが最後です。どうか悔いの残りませんよう。
 諦めることをしないで下さい——今度こそ。


 長い長い夢を見ている。深い水を掻いては掻いて。繰り返しもがくのはこんなにも息苦しい。
 嗚呼、詩鶴が僕の隣で息をしていたように。


 僕も息がしたいと思った。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.18 )
日時: 2015/10/29 23:17
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第11話

 事故現場の辺りをうろうろしながら、わかっている事実とそこから考察できる情報をもとに、今の状況を整理してみる。
 近くに聳える時計台は立派に17時半を示す。残り30分。ずっと向こうに見える赤い夕日が、高い建物と建物の間をじっくり沈んでいくのが見える。僕の心はなんて正直に焦り始めるのだろうか。脆弱な心音がうるさく聴こえるなんて。

 今いる世界が未来の世界だと仮定しよう。実際この世界で僕は死んでいるわけだし。現在の世界では生きているらしいのだから、まあ間違いではないだろう。
 そしてこの未来に飛ばされる前は、現在の世界よりも少し前、つまりは過去の世界にいたという。
 ただあの不思議系のおめめ閉じセミロング少女は確かに『長い夢を見ている』と僕に言った。
 あの言葉が忘れられない。

 (そもそも何で過去の世界にいたんだ? 現在僕は何をしてる? ——いや、むしろ)

 現在の僕は、何もできない状態にいるのか? それにしたってこんな夢はひどすぎる。
 夢? 夢を見ているのか? 過去の世界にいたことも、へんてこな未来の世界にいる今も。
 現在の僕が夢を見てる? 午後6時になったら覚める魔法?

 ————夢なら、どうして僕の“命”が関わってる?

 「ああ、くそっ!」

 わかんない。わかんないわかんない——全然わからない!
 肩から提げていたバッグを放り投げた。自棄になって道路へ叩きつけた。
 この場で唯一正しい時計塔の秒針が、残酷に回ってる。

 「……違う。これじゃ何も、変わらない」

 『やり直せるのかな』『ええ。やり直せますよ』——今まで世間から、自分から、目を背けたまま歩き続けて辿り着いた先は、誰もいない世界だった。誰も見えない、見ようとしない世界だった。
 振り返れば確かにいたはずなのに。父親も母親も友達も医者も。
 向き合えば確かに変われてたのに。詩鶴がくれた機会を真摯に。
 受け止めていれば、俗に言う優しさを、与えて与えられて。少しずつでも僕は。変わっていけると、教えてもらったばかりだというのに。

 「……あ」

 顔を横に振るって、落ちた鞄から顔を出した、一冊の本が目に入った。今朝図書館で借りたままのミステリー小説の新刊だった。
 タイムリミットまであと30分を切ったところ。どうやら僕は死ぬらしく、鍵を見つけなければ生きることができないと聞いた。
 残りの時間を使って、気になっていた本の続きを読もうか。鍵探しに時間を割いて、だめだったらきっと僕は天国で、続きが読みたくなって後悔する。と、同時に。
 残りの時間を使って、元の世界へ、この夢の中から僕が生きている世界へ戻るために。
 鍵を探して、生きて、そうして本を読む道もある。

 諦めても本は読める。
 諦めなければ、もしかしたら生きられる。もしかしたら本も読める。
 欲張りになるかならないか。今まで捨てるばかりだった僕が、零すばかりだった僕の手が。
 何かを掴んでも、抱いても、許されるというのなら。

 「……ばっかみたい」

 僕は本を拾い上げる。その拍子にどこのページからか、はらり。薄くて名刺くらいのカードが音も立てずに足元へ落ちた。
 貸し出しカードだ。図書館専用のカードをレジで読み込んで、貸し出しカードに名前と日付を入力する。レジにも記録が残るし、自分もいつ借りたか、いつまで返さねばならないかを確認できるシステムになっているもののはず。
 借りた本人は、自分の目では、めったに確認しないものだ。
 今の僕みたいに、今朝借りたばかりであれば——尚更。


 「——!」


 貸し出しカードに入力されていた、単純な名前と日付は。
 僕に更なる驚愕を齎した。



 『貸出日時 08月03日 永崎光介』


 『返却日時 08月05日 花園詩鶴』


 『貸出日時 08月10日 永崎光介』



 心の臓は、どくん、どくん、と矢継ぎ早に音を繰り出す。
 借りた本を返す際には、借りた本人がこの貸し出しカードに、その日の日付と直筆でサインを、返却欄に記入する。
 当然本を借りた本人が必ず返すという決まりはない。図書館側にしてみれば、本が戻って来さえすれば、誰が代理で返して来ようと構わない。
 今この貸し出しカードには。この本を最初に借りた人物、永崎光介と、返した人物の花園詩鶴。そして次に借りた、永崎光介という名前が記載されている。
 つまり僕は————以前に、この本を、借りていたんだ。

 (間違いない……僕の名前だ。確か、この世界に飛ばされる前、過去の世界では、誰かに本を借りられていた……あの日は、8月3日以降の世界で、借りていたのは僕自身? 今朝僕が貸し出しカードを確認せずにこの本を借りた“今日”が、8月10日……——ってことは)

 今朝。この世界に飛ばされた直後に見たものは、僕の葬儀だった。
 昨日。8月9日。この本を返したのが僕でなく、詩鶴だということは。
 昨日まで—————僕は。


 「昨日……“まで”——————生き、てた……?」


 嗚呼、なんて、なんて悪い夢を。長くて、長くて。
 ——決して永くない悪夢を。


 僕は、見ているんだ。





 人間としての機能を、半分以上失ってしまった脚で。人生でこれ以上ないほどひた走る。
 傷だらけの両腕と両脚が順番に風を掻く。赤く滲んだ関節が折れ曲がって、伸びてを繰り返すのが痛い。
 ひどい炎天下、夏真っ只中。汗を掻かない身体があるなら貸してほしい。皮膚に塩が浸るのを嫌がるくせに、それを忘れていた激痛と猛暑でおかしくなりそうだ。
 走るのも、動くのさえ、何かのために一生懸命になるなんてのももうばかばかしい。
 でも笑えないほど必死だったんだ。例えおかしくなってでも。
 言いたいことがあるんだ。



 僕は今未来の世界に来ている。昨日までは生きていたらしい。
 そして過去に本を借りて、恐らく借りた本を返すついでにと詩鶴と行動を共にしていたその日。
 僕は事故に遭った。詩鶴を庇って命を落とし、詩鶴が死んだ僕に代わって本を返却した。

 でも引っかかるのはそこだ。8月3日に本を借りて、僕はきっとその日に小説を読み終えて、新刊だから早く返さなきゃいけないことも知ってた。それで聖鶯学園までわざわざついていったということは、学園の説明会は翌日の8月4日で間違いない、と思う。
 つまり————。



 「素敵な、夕景色ですね」

 「ああ、ほんとに——すごく綺麗だよ」



 僕は戻ってきた。ここ数日で何度ここへ足を運べばいいのやら。
 誰もいない図書館の前で、その窓がキラキラ夕焼けに照らされて真っ赤になっているのが見えた。
 誰もいない殺風景の中で僕と、一人。
 セミロングの、僕のことを知っているらしい不思議な少女が。何度目かの逢世を果たす。

 「貴方もそう思いますか? いやあ、いつか大切な人と、肩を並べて見上げてみたいものですね」
 「見えないのに? やっぱりおかしいよね、君」
 「……そうですか?」
 「ああ、おかしい」
 「ふふっ……ああ、そうそう————“鍵”は、見つかりましたか?」

 図書館の外壁にある時計が差す。6時まであと10分足らずか。
 少しだけ時間があるな。にしても珍しく走ったりしたから、どっと疲れが沸き上がってくる。
 余裕の顔色でしゃんと立つこいつは本当に、最後の最後まで気にくわない。
 だからだと思う。返答もいつも通りつれなく返してやった。

 「知らないよそんなもの」
 「あら。あと10分もしないうちにタイムリミットですよ?」
 「そうだね。君が僕の、最後の質問に答えてくれたらわかる気がする」
 「そういえばそうでした。ささ、最後の質問ですね、何でもどうぞ!」

 この質問に関しては、自慢じゃないけど迷わなかった。
 それよりもわくわく顔で待つ彼女の顔を早くも見飽きてしまって困ってる。
 ああそうだ。むかつく笑顔で、さんざん僕を振り回して、僕について回ってきたこいつに。
 一発仕返ししてやらないと、僕の気が収まらない。

 だからここまで来たんだ。

 「じゃあ聞くよ? 何でもいいんだよね」
 「ええ。どうぞどうぞ。あ、スリーサイズは勘弁して下さいね?」
 「ばかじゃないの」
 「うっ、冗談半分で言ったのに」
 「半分は本気かよ」

 たわいない会話が僕らを繋ぐ。容赦ない秒針だけが、僕らのずうっと上の方で響くけど、聞こえるはずがないから、とくとく胸の内を叩く。
 この心音だけが。
 今はただ、心地がいい。



 「君の好みのタイプは?」



 この心地よさがずっとずっと。続けばいい。
 それだけでいい。


Re: コンプレックスヒーロー ( No.19 )
日時: 2015/11/01 13:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: kkPVc8iM)

 フードも眼鏡も。呼吸をするのにうっとうしいから、走ってる途中でマスクも外した。
 あんまり見られたくない素顔も、目を閉じて僕の方へ向く彼女には見えないわけだし。最初はそれだけ感謝していたけれど。
 今はどっちだって構わないと思ってるなんて。全く自分の心境の上下にはほとほと呆れる。
 ちょっと前に。久々に(沈みかけてたけど)お日様の下に顔を出した僕の貧相な唇が紡ぐ質問を。
 予想だにしていなかったのか、珍しい表情を見せた彼女のことを、今思い出しても笑いがこみ上げてくるのはもう抑えられそうにない。

 児童の姿が見えなくなった、本来の静けさを取り戻した図書館の。
 一番左奥の本棚の前で、僕は一冊の本を手にかけていた。

 「全てはこいつのせいだ、間違いなく」

 気づかなかったのが不思議なくらいだ。全ての元凶っぽいこの本を放り出して、ミステリー小説の新刊に目が眩んで、すっかり忘れていたあたり僕らしいっちゃ僕らしいけど。
 最も、まさか未来みたいな世界に飛ばされているとは思いもしなかったんだから、どうか大目に見てほしいかなあ、なんて。
 誰に言ってるかって問われれば、答えは明白なわけで。


 「遅くなってごめん」


 それだけ呟いて、僕は本のページを捲った。
 “盲目のマジシャン”とかいう、また意味のわからない恋愛小説の続きを読んだ。





 幼い頃恋に落ちた。それが初恋と呼ばれるものだと、最近知った。
 私は数年経った今でも、その恋を忘れることができずにいる。



 それには理由がある。
 彼を好きになった理由はとても単純で、口に出すのは少しためらわれる。
 けれど、一目見た時。初めて彼の口が、喉が、震えたのを聞いた時。
 同時に私自身の心の、うるさく、どくどくしたものと重なった。

 彼はお天道様の下までゆっくり歩んできて。
 さえぎられた私が、彼の頭の後ろを不安げに見つめているうちに。

 『こいつはわるくないだろ。わるいのは、おまえらのあたまだよ』

 そう言い放った。思っていたよりもはっきりした声で。
 まるでアクション映画の主人公が、悪役に言うみたいなセリフを。
 私はその日、その時その瞬間。



 ヒーローに恋をした。
 間違いなく私は、ノンフィクションの世界でヒロインになった。



 彼は眠ったまま動かない。目を覚ましてはくれない。
 ——早く、早く、起きて、起きてよ。まだ心が微かに弾んでいるうちに。

 何度も何度も、己の身を責め続ける日々がどんどん過ぎる。
 ——私のせいだ。私のせいで、大切な貴方をこんなにも傷つけた。

 どうやら担当の看護婦に顔を覚えられたらしい。
 ——今は静かに見守りましょうなんて言葉に、返事はしてない。

 死んだような顔つきで病室に入り浸っているのを、不審な眼で見ていただろうに。
 ——ああ、皆同じことを言う。大丈夫って。貴方の気持ちが痛いくらい胸に刺さる。

 涙の痕がくっきりと残ってしまった顔で、飽きもできず。
 ——止まらない。不安に押し潰されて、貴方がいないから、息もできなくて。

 彼の顔を覗き込むだけで、そこから私はいつも動けないでいた。
 ——早く、この目を。

 そして、








 初め、くんと鼻に通して身体の中へ取り込んだのは、乾いた夏の空気だった。次に耳が、折り重なってより一段とやかましい蝉たちの声を捉えた。
 頭が重いのは相も変わらず。今度は掌が冷たい何かの感触を辿る。恐らく布だと思う。
 そういえば眼鏡は失くしたんだっけ。起きた時に景色がぼやけるのは二度目だ。目はまだ上手く働いてくれないらしい。

 ああ、身体がだるい。軽い熱中症にかかってるみたいに辛い。図書館で目を覚ました時の、あのけだるさの再来を感じる中で。
 僕の耳にはもう一度、何か別の響きが挿した。


 「——ひ……うっ、く……ぁ、こ、光……ちゃ、ひっ……」


 細かい嗚咽だった。鼻を啜っては、吐息と嗚咽を漏らして、喉を躍らせては、また啜る。
 がくんと垂れ下がっている首と、黒い前髪。僕の寝ているベッドのシーツを、震えたままの青白い手で掴んでいた。
 最後に見た時より一回りくらい手首が細くなってる気がした。
 食べる間も飲む間もきっと寝る間をも惜しんで僕の傍にいたんだろうな。なんとなくだけど。
 きっとこいつなら、そうする気がする。

 「っ……ご……め、んね……ごめん、ね……っ、ごめん——なさい……っ!」
 「……」
 「……ごめん……なさ……っ、目、めを……お願い、だから……目を開けっ、開け、てよぉ……っ」

 虚ろな瞳から、零れる滴が真っ直ぐ頬を滑り降りる。白いシーツを台無しにしていく。
 僕の嫌いな、しょっぱいそれで。

 僕がくっきり目を開けて、詩鶴の方をじっと見ているというのに。
 やっぱりそうか。彼女は懺悔するばかりでこちらに気づきもしない。
 僕らはどう頑張っても見つめ合わないらしい。
 彼女が僕を見えないのをいいことに、ずっと、しばらく、珍しい詩鶴の、ぐしゃぐしゃした泣き顔を眺めてから。


 「詩鶴」


 僕がこう呼ぶと、彼女は驚いて振り向く。続けていつもなら。
 『珍しいね』とちゃかすのに。

 前髪が持ち上がる。黒い瞳から真っ直ぐ垂れる涙はキラキラしてるのに。
 最初から最後まで、あの夢の中で疑問に思ってた。その眼差しはちゃんと僕の方へ向くことが。
 何も変わらないでいてくれた。例え。


 「……え、ぁ……こ……っ、ちゃ……——っ」


 ——その眼が光を失っても、長い髪を短くしてしまっても。



 「好きだよ」



 嗚呼、伝わっただろうか。ちゃんと声に出していただろうか。
 喉が震えて変に聞こえてやいないだろうか。
 これだけ言いたくて。わざわざ目を覚ましたっていうのに。


 ——好きだよ、詩鶴。悔しいくらいに、君が好きだ。





 しばらくポカンと僕の方を向いていた詩鶴だが、細い手をわなわなと僕の頬へ伸ばした。
 ぺたぺたぺたぺたしつこいくらいに触ってから、だっと涙が溢れて言う。

 何でどうして、生きてたんだよかったって泣いてばっかりで。伊達に何年も幼馴染をやっていないな。一度は裏切られたけど、あの時感じたのと全く予想通りの反応を彼女は示した。

 「ごめ、っ、ん……ごめんね、ごめんね光ちゃん……!」
 「……生きてたのにまだ謝るの? 僕に申し訳ない気持ちでいられるのは、やっぱり気が引けるんだけど」
 「? やっぱりって……それ、それより……その……大、丈夫? かっ看護婦さん、えと……っ」

 (落ち着きのない詩鶴はレアだな……)

 「目、不便でしょ」
 「えっ?」
 「僕が死んだら、失明のままでいることはなかったのにね」
 「ど、どう……して、そんな……」
 「うーん……夢を見てたんだよ」
 「夢……?」
 「そう、僕が死んでいる未来————“もしも”の世界にいる夢」

 目が冴えてきたところで、そろそろ答え合わせをしようか。
 僕がいた世界は、紛れもなく——“もしも”の世界だったんだ。

 事故で意識不明の重体に陥った僕は、まず初めに過去の夢を見た。図書館で本を借りようとした、現実と夢がごちゃごちゃに混ざった、恐らく8月3日、現実でミステリー小説の新刊を借りた後の夢。
 当然新刊はなくて。代わりに詩鶴に勧められた恋愛小説“盲目のマジシャン”を読むとあら不思議、今度は未来——じゃなくて、“もしも僕が死んだら?”というへんてこな世界に連れられた。誰に連れてこられたか、もうお分かりだろうけど。
 盲目のマジシャン。当の本人であることに間違いはない。

 彼女が“鍵探し”だ、やい“イベント”だ“命を賭けたゲーム”だ何だと言って僕に挑発をかけてきたのが最初だった。饒舌な彼女の口車に乗せられて“自覚”という名の鍵探しをゆるっと始めることとなった僕だったが。
 僕が死んだ後の母と、まだ僕を想い続けていた詩鶴の反応。僕を知っているという不良男の哲と僕の間にあった共通点と、相違点。
 哲の母親が告げる、天性のものを否定しない考え方、その奇跡。
 人と関わってこなかった僕がたくさんの人と出会って、考えさせられ、そうして詩鶴との向き合い方を思い出して、僕らの関係を再認識したところで。

 気がつけば自覚してた。本当の本当は、詩鶴が好きなんだってこと。
 鍵を探せだなんて、今更思うけど、なんて意地の悪い問題だったんだか。


 あの時最後の質問で、“好みのタイプは”と聞いたのは。ただ、意地悪な問題の出題者に。
 仕返しも兼ねて、聞きたかったからなんだ。


 自覚をしたところで、何も知らないんじゃ——生きて戻った時。
 話にならないだろうからさ。


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