複雑・ファジー小説

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コンプレックスヒーロー【完結】
日時: 2015/11/01 15:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 『誰にも言えないよ』

 『誰にも見せないよ』

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 諦めと正義を抱くヒーローの話


 ◆挨拶

 初めまして、またはこんにちわ。
 瑚雲です。

 ちょっと短いものを気分転換で書いていきます。
 リメイクを開始しました。


 ◆目次

 序章 >>001

 第01話 >>006
 第02話 >>008
 第03話 >>009
 第04話 >>010
 第05話 >>011
 第06話 >>012
 第07話 >>013
 第08話 >>014
 第09話 >>016
 第10話 >>017
 第11話 >>018
 第12話 >>019
 第13話 >>020

 終章 >>021

Re: コンプレックスヒーロー ( No.10 )
日時: 2015/10/25 12:04
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
参照: ※内容を一部変更致しました。

 第04話

 冷たくて気持ちの良い何かが、頭からすっと足の先まで伝わってきた。
 瞼も不思議と熱くない。夏なのに、夏のはずなのに。
 なぜか草と土の匂いはしなかった。乾いた風の匂いもしない。
 その代わりと言ったら変かもしれないけれど、そう、この匂いを僕は知っている。
 鼻に差す嫌な、嫌な臭いだ。慣れた今ではどうってことのない、科学薬品の臭い。

 「……目、覚めた?」

 細い視界に、黒くて艶のある、長い髪が映えた。部屋も同じように喰らいのに、くっきり映るのはよほど綺麗だからだろう。覗く大きな瞳も、この声も、知っている。
 白くて冷たい掌が、そっと僕の目の横を撫でる。

 「うん……元気そうっ」

 詩鶴は、そう言って笑った。

 「……ここは?」
 「さっき言った……知り合いの家です。今ではもう、知り合いの母しか住んでいないけど」
 「……そう」
 「あたしもよく、ここへ来てたんですけど……いっつも追い払われちゃって」

 幸いにも、僕は助かったらしい。
 詩鶴が連れてきたのか? 相変わらず力持ちな奴。そこも詩鶴が変である要因の一つなんだけども。
 でも、もし僕があのままあの場所で、誰にも見つからず寝そべったままだったとしたら。
 今度こそ重度の熱中症で、そのまま逝ってしまっていたかもしれない。
 でも生きてる。もう少ししたら失うはずの心音が今は響いてる。どう足掻いても、この世界で自殺とかはできないらしい。

 体中に感じていた冷気の正体は、この冷えるシートの奴か。
 にしても数時間ぶりの我が家が、妙に懐かしい。いてもいいはずの場所が、居心地が悪くて仕方がないのが不思議だ。
 しかも、詩鶴はまだ気づいていないみたいだ。
 マスクはしているけれど、眼鏡はさっきの場所に落としてきたようだし。
 とは言っても、フードもしていない今、近づくのは非常に危険だ。この距離で心臓がうるさいくらいに音を立てているし、何とか対策を練らないと。

 「ふふっ……おかしいですよね。……嫌われ、てたのに」

 静寂に満ちた僕の部屋の中で、詩鶴の凛とした声色は本当によく響く。流石に葬式後だからか、普段より声は掠れているみたいだけど。
 腹部が痛いというのもあって、ベッドから這い上がるのに力が入らない。
 目を逸らして自嘲気味に笑う彼女の目が決して笑っていないのを、横目に僕は腹筋を使おうとする。

 「嫌われてたのに、よく来てたんだ」
 「はい……あたしの片思いです。好きなんです……彼のこと」
 「だった、じゃなくて?」
 「ええ。だって好きですから、死んだ今でも——光ちゃんのこと」

 詩鶴のような奴が、何で僕なんかにそんなことを言うのか、何年も経った今でも甚だ疑問に思うことがある。
 時間がもったいない上に、周りは皆否定するだろう。
 僕と詩鶴が億に一つでも結ばれたって、祝福なんかされないとみた。まず僕が祝わない。

 「嫌われてるなら諦めればいいのに」
 「……そうですね」
 「素直じゃないっすか」
 「いえ……諦め、られなくて、それに……彼に言わなきゃいけないことが、まだ……」

 じわりとまた涙が滲んできた。伏し目にぽろりと一つ零す彼女は、まだ現実を呑み込めないでいるらしい。

 「もし……もしも、だけど」
 「……?」
 「その、男が生きてたとしたら君は……やっぱり、諦めないの?」

 いちいち喉に痞えた言葉は、ぽろっと簡単に口から零れた。
 僕は一体何を聞いているんだろうと、我に返ってから、人が漏らした言葉が消えないことに後悔した。

 「……はい。諦めないです。どんなに嫌われたって」
 「時間がもったいなくない? その男、本当に君に見合う男?」
 「もったいなくないですっ。好きだから……あたしこそ、光ちゃんに見合うかどうか」
 「どうせかっこよくもないでしょ。君みたいな子に好かれて動じないなんて。絶対変人だよそれ」
 「そ、そんな酷いこと言わないで下さい! 光ちゃんは、あたしにとって、とってもかっこいい————ヒーローなんです!!」

 ヒーロー。
 和訳すると、英雄。

 詩鶴の手が震えていて、もう一つ涙を流しそうだった。
 呆気になってその様子を見ていると、僕の喉も同じように震えた。久しぶりに、声が掠れた。

 「……ヒーロー、なんかじゃない」
 「……?」
 「ヒーローじゃないよ……絶対。勘違いじゃないかな」
 「絶対、ヒーローなんです。そっくりさんでもそれ以上言うと、許しませんから」
 「……そう」

 思わずついて出た、いつも通りぶっきらぼうな返事。
 憎まれ口を叩くようなことはしないけれど。目だけはちゃんと逸らした自分を褒めてやりたい。
 ヒーローだなんて、大袈裟すぎる。

 「ねえ、さっき言ってた『言わなきゃいけないこと』って、『好きだ』って、伝えること? だとしたら」
 「あっいいえ、違います」
 「え?」
 「謝らなきゃいけないことがあって、それと……もしもう一度会えるなら、ちゃんと言いたいの——『ありがとう』って、それと……『ごめんなさい』って」

 詩鶴が何について触れて言っているのか。
 この時の僕にはまるでわからなかった。

 詩鶴はそれから僕の部屋をあとにした。取り残された僕はその隙に、いつも詩鶴が現れる扉に手を掛け、その先へと潜っていった。
 木を伝って下へ降りる。本当に詩鶴の奴、器用だな。涼しい顔してこんな苦労してまで、僕に毎日会いに来てたのか。まあ飽きもせずよくやるよ。
 ふと腕時計に目をやると、ちょうど午後の1時を指していた。ゆっくりゆっくり、いつもよく遅く時間が流れてる気がする。
 今日という日は、やけに長い。

 「こんにちは。素敵なお兄さん?」
 「……」

 塀を超えたところで再び遭遇。セミロングの少女は妙にいらつく笑顔で僕を待っていたようだ。
 二回目なので驚きはしないが、神出鬼没はやめてくれ。どっかの誰かさんを彷彿とさせられる。

 「今度は何」
 「うっ……視線が冷たい。ええとですね、さっき申しました通り、貴方には“鍵”をお探しして頂くということで」
 「了承してないんだけど」
 「まあまあお気になさらず。実はですね、その“鍵”を見つけて頂ければ、貴方は元の世界へ帰れるという話ですが……それには、“イベント”の通過をして頂く必要もあるのです」
 「……? 何それ」
 「“鍵”に至るまでのながーいレースの、その途中地点にある“ヒント”だと思って下さい。貴方は各イベントをこなしつつ“クリア報酬”を受け取りながら、ゴールに辿り着くのです」
 「イベントクリアで報酬? ゲームか」
 「そうですね。命を賭けた、ゲームです」

 ドキリとする。こいつはたまに、こうして厭らしい言い回しで僕の心臓にナイフを突き立てる。

 「イベントをクリアして頂くごとに、私自らが貴方のもとへ出向きます。その際に貴方は、“何でも一つ質問できる権利”を与えられるのです」
 「何でも一つ質問できる権利?」
 「はい。答えられない質問はありません。然しイベントにも限りあります。その度に全く関係のない質問をされると、どんどん“鍵”への道を、見失ってしまうこととなります」
 「ふーん……まるで」
 「貴方のお好きな、ミステリー小説ですね」
 「……」
 「では早速お一つどうぞ! 今回私が貴方の前に姿を現したのも、貴方がたった今イベントをクリアしたからなのですよ」
 「へっ……そうなの?」

 いつの間にか、知らないうちにクリアしていたのか。一体どこの場面だ? 不良に殴られたあたりかな。かなり衝撃的だったし。

 「まあ僕別に、元の世界とかどうでもいいけど……って何回も言ってるんだけど」
 「命に関わると言っているでしょう。当然時間制限もありますよ。“鍵”を見つけられなければ、貴方はあの葬式を迎えるのをただ待つだけとなりますし」
 「じゃあ、君の言う通り……暇をつぶすよ。でも何て質問しよう」
 「何でもいいんですよ? せっかくなので、私の好みのタイプとか」
 「じゃあイベントは残りいくつあるの?」
 「……はあ。愛も情けもない」
 「有意義な質問をしろと言ったのは君でしょ」
 「はいはい、そうでしたね。イベントは残り“4つ”です。今回を含め全部で“5つ”なので」
 「あと4つで辿り着けるの? こんな高難易度な問題」
 「質問は1つまでですので」
 「さっきまでべらべらしゃべってたくせに」
 「サービスです」

 怪しげに微笑んだその顔が印象的で、思わず目なんか逸らしちゃって、汚い髪を無造作に掻き荒らした。

 「タイムリミットは日没——“午後6時”まで。それまでに見つけられなければ、貴方はそれでジ・エンドです」

 それではまた。風をざあっと連れてきた木葉に邪魔されて、視界が一瞬閉じられると、目を開けた時にはまたいなくなっていた。
 イベント通過。残り4回の質問。タイムリミットはあと、4時間。
 がんじがらめの意味不ルールにまんまと踊らされているだけのような気がする。

 でもなんとなく、あの嫌な笑顔だけは。
 信じてもいい、気がする。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.11 )
日時: 2015/10/23 00:17
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第05話

 謎の少女と別れてから、またぽつぽつ歩くだけの時間を過ごしていた。
 詩鶴に介抱してもらっただけあって、今はほんの少し気持ちが楽になった。あの冷えるシートのやつは万能だ。

 暇つぶしとはいえ、勢いで鍵探しに参加することとなってまった。この世界に来てからなんとなく調子が悪い。
 変に前向きだったり、いつもの千倍は口を動かしたとも思うし。
 
 「あ……」

 頬に張られたシップの内側が、じわじわと痛みをぶり返した。
 目に映った彼の姿に、逃げろと痛みがものを言う。
 間違いなく、さっき僕の腹に一発いれた奴だ。

 「……!」

 本能的にその場から動けず、立ち尽くしていた僕の姿に、彼は気づいた。
 細い目を見開いてから、座っていたベンチから腰を持ち上げて、確実にこちらへ歩み寄ってくる。
 シップの上に滴が垂れる。暑さ故のそれなのか、それとも。
 なんて考えている間に、ついに彼は僕の前で大きく太陽の光を遮った。

 「お前、さっきの」
 「……どうも」
 「あー……なんつうか、悪かったな。いきなり腹パンきめちまって」
 「ま、まあ……痛かった、けど、なんか君さっき、追われてるっぽかっ——」
 「よく喋るじゃねェか、お前」
 「……っ」

 しまった。
 詩鶴のせいでしゃべるクセがまたついてしまったようだ。
 水を含むことにしか機能しなかった自分の口が、自ら開いてしまったことに驚く。普段はわざとしゃべらないでいるのに。
 やっぱり今日はなんだか、上手くいかないみたいだ。

 「……? 傷……」
 「あァ?」
 「あ、いや……」

 ぱっと逸らす視線。冷や汗はじっとりとシップの上を這った。
 余計なことに口を挟むものじゃない。問題を起こさないうちにさっさと退散してしまおう。
 フードを深く深く被って、去ろうとした、その時。

 「あ! あいつあんなとこに——おいゴラァ!! 哲ッ!!」
 「やっと見つけたぜ……——捕まえろ!!」
 「!?」

 哲、そう呼ばれてはっとする彼は、ぐるっと太くて大きい首を回した。
 まるで統一性のない制服を身に纏った男達数人がこちらに向かって物凄いスピードで走ってくる。
 って、これってまさか。
 この哲っていう男まだ——追われてるの?

 「くっそ……——いくぞ!!」
 「え? は、はい————ってはあ!?」

 こんな大声、自分の中で聞いたこともなかった。僕大声出せるのか。意外。じゃなくて!
 あまりの事実に驚きを隠せない僕をひょいと持ち上げて、哲というらしい男は駆け出した。
 今日起こる、奇想天外な出来事にはもう何も、言うまい。

 「あ、あの……一体どこまで……」
 「うるせェ!! どっか遠くにだよ!!」
 「あの人達、他校の生徒、ですよね」
 「そうだよ!! あいつらこの間負けたことをまだ根に持ちやがって……!」

 喧嘩、か。まあ体格といい、体中に見られる傷や痣の数を考えてもこの考察は間違いではないらしい。
 傷だらけの体。それでもしっかりとしていて、確かに喧嘩には強そうな外見をしている。
 特別細いわけでもないけど、体格普通以下の軟弱な僕とは偉い違いだ。

 「はあ……はっ……ここまで、来りゃ……」
 「……海辺」
 「ああ。……あーっ! つっかれたァ……」

 浜辺でごろんと寝転がる彼。赤茶色がかった短い髪、耳に開けたピアス。
 それに相当着崩している制服のこの擦り切れよう。 
 縒れ縒れのそれは、入学当初の黒い光沢を既に失っていた。

 「見つかったらまずいな……おい、これ着てろ」
 「!」
 「ったく……面倒な事になったぜ」
 「……あ、あの」
 「あァ?」
 「何で……連れてきたんですか」

 僕の学校の制服は学ランだった。黒くて大きなそれを、彼は僕の体に豪快に被せた。
 見た通りの失われた硬い質感。何十年も着続けた作業着かのような柔らかさだ。
 なぜ知り合いでもない僕なんかを連れ出したのだろう。喧嘩をしようにも、僕じゃまるっきり足手まといだ。

 「ちっと疑問に思ってよ……お前」
 「?」
 「新聞に載ってたろ、それも事故死した学生として」

 今の僕は眼鏡をかけていない上に、制服を着ていなかった。
 マスクもしている。フードはさっきの風圧で下ろされてしまったが、それでも可笑しい。
 着眼点が鋭すぎる。ぎくっと心臓が嫌に踊った。
 優れた洞察力だ。常人のそれじゃない。
 殆ど他人の姿である僕に、確信を秘めた瞳を向ける。

 「……人違いだよ」
 「うちの学校の生徒っつうか……先輩、なんだろ?」
 「へ? 君何年生なの?」
 「2年だ。お前、3年生の永崎光介だろ?」

 学校の影と化していた僕。受験期だというのにサボり癖まである僕のことを、どうやら知っているようだ。
 僕と積極的に話をしていたのは、それこそ詩鶴だけだった。
 表彰台に上がったことも、事故死するまで新聞に載ったこともなかった。
 ましてや美術や音楽、体育といった実技教科に優れてるわけでもないし。
 同じ学年、同じクラス、隣の席の奴まで僕を知らないくらいだ。
 おかしな点が多すぎる。

 「それ……何で知られてんだって、顔だな」
 「……っ!」
 「えーっと……なんつったっけ……し、シズカ? 違うな……シズ……シズク?」
 「……もしかして、詩鶴?」
 「そうだ! 確かそんなような名前だったな」
 「詩鶴がどうかしたの」
 「ああ……そいつがな」

 茶髪の彼いわく、直接詩鶴と話をしたことはないが、関わったことならあるという。
 詩鶴は誰にでも好かれ、誰もが憧れの的としていたから、知らないはずはないと。
 彼もそう言ってちらっと僕を見た。

 「その詩鶴って先輩、人気だったんだろ? 知らねェけどよ」
 「はあ……まあ、一応」
 「それで……頼まれたんだ——あんたをどうにか不登校にしてくれってな」

 ドキン。また心臓はその鋭い言葉に反応を示した。
 まあ、今に始まったことではないし、似たような台詞も何度か聞いてきた。
 またか、と呆れるのも疲れてくる。

 「多分その女を慕ってたグループの奴らだと思う。詩鶴がストーカーされてるってうるさくってよ」
 「は? その文脈だと……」
 「ああ。その女の先輩が——あんたにストーカーされてるから消してくれって」

 一体どんなおめでたい目をしていたんだそのグループは。
 逆だ。ありえないって。
 でも僕と詩鶴がどれほど弁解したって、今までその連鎖がなくなることはなかった。
 大体ストーキングされてたのは実質僕の方だったんだけど。
 ありえないと思ったのか。まあ僕は見た目冴えないし、綺麗な詩鶴を追いかけても不思議じゃない。
 それにしても至極解せない。

 「んで、喧嘩に強そうな君に、頼んできたってわけ?」
 「そういうこった……試しにどんな奴かと思って見に行ってみればあんただったってだけだ」
 「断っちゃったんだね」
 「たりめェーだろ。見るからに弱そうだし。実際ストーカーは女の方だったしな」
 「分かってくれるんだ」
 「ありゃあからさまだろ」

 結局その依頼を断った彼は、久々に学校に通ったことを後悔したと言った。
 似た者同士なのかな。彼も最近は学校をサボり気味だと高らかに語ってくれた。
 最初見た時とは印象が随分違ったけど。僕も彼に対する恐怖は不思議となくなっていた。

 「それで? 君はどうするの。それに僕が死人だって知って驚かないの?」
 「まあな。さっきは気づかなかったし」
 「……君、追われてるんだよね。早く逃げないと」
 「ああ……でも、逃げてたら終わらねェよな」

 何度目かの心臓の高鳴り。いちいち核心を突かれる。こんなにも心が穏やかじゃないのは、いったいいつぶりだろうか。
 逃げてたら、終わらない。
 意外すぎるその言葉に、息を呑んだ。

 「その見た目で、そんなこと言うんだ」
 「見た目は関係ねェだろ」
 「それより逃げなきゃ。また傷増えるかもね」
 「……気づいてたのか」
 「なんとなく」
 「でも次は逃げねェ。ここなら誰にも迷惑かかんねェしな」

 彼は、そうして黙り込んだ。
 今までペラペラと上手に回っていた舌が響かない。
 土塗れの白いシャツ。締めていない指定のネクタイ。
 引き千切れたような穴が目立つ、ズボン。
 何よりその死んだような目つきが、僕とそっくりだ。

 「一つ、聞いてもいいか」
 「……何?」
 「あんたはさ、生まれ持ったものを、他人に否定されたら、どう思う」

 確かに、その言葉は固まったままの僕の胸にじわりと溶け込んだ。
 不良の彼と肩を並べ……ても、いないけど。
 隣に座っているのがとてつもなく非現実なこの状況下で。

 僕は確かに、彼と自分を、一瞬重ねてしまったんだ。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.12 )
日時: 2015/10/23 00:11
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第06話

 僕は何かと否定的な言葉が好きだった。
 嫌い、否定、諦め、逃げ、なんて。上げてたらキリがないけれど。
 否定の言葉はいわゆる逃避だ。自分という現実からの、逃避。

 彼は言う。不良の口から吐き出される台詞にしては随分、何というか。意外な質問だった。

 「……髪の毛?」
 「……よくわかったな」
 「いや、それ、染めてないでしょ。遺伝か何かかなって」
 「……この髪を見ただけで、皆怖がって避けるしな」

 彼の髪は、短い髪の赤茶色で、黒い髪か、もしくは焦げ茶色の髪色が主な日本人とは遠くかけ離れた色をしている。
 国名までは覚えてないけれど、どこか遠くの血を持った祖父がいると。つまりはクォーターだと彼は続ける。
 地毛だと言い張っても誰も信じてはくれない。教師も同級生も当然近所に住む人も。
 何かと目をつけられ、何かあれば髪のことについて触れ、理不尽に殴られたり殴り返したりの毎日を過ごしていくこと14年。
 見た目から察するに、彼も強くなることを決心したようだった。
 誰にも自分を傷つけさせないように。
 自分を護れるのは、世界でたった一人、自分だけだからと。

 「これは爺ちゃん譲りなんだよ。俺のせいじゃねェ……なのに、なのに皆寄って集って……!」
 「偏見、ってこと」
 「そうだ!! 結局何言ったって、信じる奴が誰もいなきゃ意味がねェんだよ……!」

 世間の目はとても厳しい。見た目に至っては実にそうだろう。学生でいるうちは特に、皆同じ服を着て同じ場所で勉強をするわけだから、髪の色や肌、生まれ持った性質は顕著に外へ映し出される。
 ざざっと揺れる海面を、ただじっと見つめる僕は考えていた。
 自分についても。確かに誰も、認めてはくれないことを。

 「じゃあ君は、生んだ親を嫌う?」
 「はァ? 親父は病死しちまったし……お袋は何も言わねェからな……」
 「でも、優しくされなかった?」
 「まあお袋がハーフだしな……ごめんなさいとは、言ってた気もするけどよ」
 「そっか」
 「……何が言いてェんだよ」
 「いいや、別に」

 彼と僕はよく似ている。他人から否定されるところも。
 どれだけ頑張っても、認めてもらえないところも。
 偏見の眼差しで、どれだけ他人と線を引かれ続けてきたことか。
 その一歩先に、踏み込んだことももちろんない。
 その一歩先に、踏み込めるほど勇気だってない。

 「僕にも、あるよ」

 意外だった。
 割と素直に、自分の口から、ぽろりと漏れた。

 「はァ? あんた普通に日本人っぽいじゃん」
 「髪の毛とか、顔立ちとかじゃないよ」
 「じゃあ何だってんだ」
 「……」
 「ケッ。結局言わねェんじゃねェか」

 足元にぎりぎり辿り着かない白波。あともう少しなのに届かなくて、いいところまではいっても、すぐざーっと元の居場所に戻るのを繰り返す。
 長ズボンにおさまった脚を、長袖で覆われた腕で抱えた。潮風のあまりの気持ち良さに、思わず水平線の先をぼうっと見つめてしまっていた。

 「そういやあんた、夏なのに随分厚着みてェだけど……」
 「……」
 「それに意味でもあんのか?」

 やっぱり彼は鋭い。確かに半袖は好んで着用しない。聞いてから、バツの悪そうに自分の赤茶色の髪をくしゃくしゃ掻き回していた。
 他人から気味悪がられるのに慣れている僕は、そんな彼の反応に少し違和感を感じてしまった。
 慣れるとは、あんまりいいことでもないらしい。

 「……! おい!!」
 「……どうしたの?」
 「見つかった!! お前はどっかに隠れてろ!!」
 「あ……っ」

 彼はどうして教えてくれたんだろう。
 一番言いたくないことだっただろうに。
 僕は、いつもそうだ。
 こうやって、誰かが隣にいてくれて、話をしてくれたとしても。
 自分の話をしたことは一度もなかった。


 『絶対に逃げない』と彼が言った時もそうだ。
 僕と彼の間に唯一違いがあるのなら。

 それは、向き合う勇気が、あるかないかだ。


 「——哲!! 見つけたぞゴラァ!!」
 「くっそ……」
 「そんな見た目して、今更怖がってんのか? あァッ!?」
 「見た目は関係ねェだろ!!」
 「この間の落とし前……きっちりつけさせてもらうぜ!!」

 相手は2人、か。哲という彼の実力はあまりよく知らないけれど、彼は今負傷してるし、不利であるのは確かだ。
 大体まずいのは僕の方だ。こんなところでまた気を失うなんてシャレにならない。

 「おい哲、そこのチビはなんだァ?」
 「お仲間かよ! ハハハ!! そんなひよこ野郎連れて何しようってんだ!!」
 「こいつは関係ねェよ!」
 「へェ〜……珍しく、仲良く駄弁ってたみたいだけどなァ?」

 ダメだ、逃げたい。逃げたい、逃げたい。
 彼の後ろに匿ってもらっているとはいえ、この状況じゃ手を出されてもおかしくない。
 喧嘩なんて——向いてないのに。

 「それじゃあ歯ァ食いしばれよ!! オラァ!!」
 「ぐっ!?」
 「こっちもだ!!」
 「ガハッ!!」

 腹部に一発、深いものが入った彼は蹲る。
 口から洩れる赤いものが、黄色い砂の色を変えた。
 愉しんでる。明らかに、彼を痛めつけて笑っている。ただでさえ傷を負ってるのに、それじゃあまるで、虐待だ。
 ——あまり、気持ちのいい光景じゃない。

 「おい哲……痛いかァ?」
 「ぐ……こんなの、どうってこ、と……」
 「じゃあもっと遊んでも良いよなァ!?」
 「哲ゥ……跪いて、ごめんなさい、って言えよ?」

 赤い髪を掴み上げた。その瞬間心音が一つだけうるさく響いた。
 彼が祖父から受け継いだというその髪は。
 嗤う彼らの頭のように、決して染色加工のされていない、純粋な血筋のもので。大切なもののはずなのに。
 誰かが汚して、掴み上げていいものなんかじゃ、決してない。

 絶対、それは違う。

 「……やめて、あげなよ」
 「ああ? んだとこのチビ」
 「や、め……っ」
 「その髪は、君達の汚れたその手で、掴み上げていいものじゃない」

 何となく、ぼやっとだけれど、思い出してきた。
 誰とも関わろうとしなかったこの数年間。
 忘れかけていた記憶が、うっすらと脳裏に浮かび上がってくる。


 確かに、僕はこうやって。
 嫌いなものを、嫌いと言える人間だったはずなんだ。


 「は……? 調子乗んなよ、クズ」
 「離してあげなよ、痛そうだろ」
 「ふざけてんじゃねえぞ——!!」

 彼を掴んでいた手を離す。然しそれは止まらなかった。
 僕の顔を、広い手が鷲掴む。被っていたフードが揺れてぱさりと落ちた。
 僕の軽い体は持ち上げられて、そのまま。

 ————海に、放り投げられた。

 「が、はァ……! げほ! げほっ……」

 まずいまずい、痛い、痛い痛い痛いっ!
 こうなるとは思ってなかった。しまった、近くに海があることをすっかり忘れていた。
 一気に顔が焼けるように熱くなった。肌を突き刺すような痛みが、日光をも超えて顔面を襲う。
 指もそうだ。指と指の間に沁み込む塩水が、ものすごい速さで体全体へ痛みを繋げていく。
 水で息が詰まりそうになることにも、頭が回らない。

 「おらよ!!」

 顔を押さえつけられて、再び海水へ埋まる。
 ついに目を開くことさえ阻まれた。強い力に圧迫されて、顔も上げられない。
 息が、できない。
 辛い、苦しかった。痛くて、どうしようもなくて。


 ぼくは、無力だ。


 「この野郎——!!」


 一瞬、頭が軽くなった気がした。
 反動で浮き上がった頭が水を割る。
 ぶくぶくと浮き出る息と、泡と、潤んだ景色がごちゃごちゃになって。
 赤い彼の、怒号を聞いて、その時意識は消えた。





 日没まであと、4時間。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.13 )
日時: 2015/10/24 00:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第07話

 「……ん……っ」

 うまく働かない頭は重い。顔を顰めて僕は上体を起こした。
 随分と長い間、寝込んでいたような気がする。僕は一体、何をしていたんだっけ。
 眼鏡をかけていないにも関わらず、視界はぼやけている。寝起きだからか?
 何もない。クリーム色の世界だけが無限に広がっているみたいだ。

 ああ。もしかしてここは死後の世界なんだろうか。

 そういえば僕は未来に来ていたんだった。
 死んだ僕を目の前で見たんだった。
 気味悪くなって逃げ出して、でも苦しくて逃げられなくて。
 あれ。そうだ。溺れてた。そうだ、痛くて、死にそうなほど。
 もっさりとした頭を掻き回す。眠い。
 まさか未来の世界で死ぬなんて。
 こりゃ墓の下に倍の数骨が埋まる、なんて奇怪なことに……。


 「あ、起きました? もう驚きましたよ。心配したんですから」


 なんだろう。無性に腹の立つ声が僕の体中を駆け巡った気がした。

 「……君が現れたということは」
 「はい。貴方が2つ目の“イベント”を通過しましたので、その通達です」

 2つ目のイベントを? ということは……。

 「死を体験することがイベントクリアになるの? 物騒だね」
 「はい?」
 「え? 違うの?」
 「……質問は、それでいいのですか?」
 「……」

 イベントをクリアすると何でも一つ質問できるシステムだったんだっけ。
 それならその質問はなんだかもったいないな。
 
 「それよりここどこなの? ふわふわしてるし、天国?」
 「質問はそれですか?」
 「……1回目と違ってずいぶん冷たいね」
 「私、言いましたよ。初回はサービスです」
 「けち」
 「なんとでも」

 でも死んだら普通はゲームオーバーになるんじゃないのか?
 夢の中かな。起きた時眠かったし、実際今もそれほど眠気は飛んでない。
 死んだら死んだで別にいいけど。死のイベントが用意されてるなんてむごすぎる。

 「えっと……じゃあ、“鍵”っていうのはどんな形をしてるの?」

 まずは、そこからだ。“鍵”を探せと言われても、形状が分からなければ探そうにも探せない。
 目を閉じていて見えないくせに、どうしていつも僕の目の前にちゃんと現れることができるのか。それも知りたいけど、今は鍵探しだ。
 暇つぶしなんて言っておいて、結構はまってしまってる自分が、こわい。

 「答えは……“そもそも形はありません”です。世間に広まっているあの鍵ではなく————」

 もったいぶって、瞬きほどの間があいたと思う。
 見える瞼で僕を捉えた。口元が優しく、優しく笑みをつくると。


 「————“自覚”という名の、鍵なのですよ」


 しばらく、考えることを放棄していたのが悔やまれる。ぴんと伸びた脳みそにぶっかけられた、何かを暗示する、水のように形のない彼女の言葉はいちいち僕の胸につっかえる。
 ——心地が悪くて、一瞬だけ言葉を失っていた。

 「……は? え、ちょ、待ってよ!」

 用が済んだらすぐに消える。その手際はまるでどこかの魔法使いみたい。
 いや、でも、現実的に言うのなら。

 ————マジシャン、みたいな……。

 「——!」

 では。またお会いできることを願いまして。
 脳の内側から、薄ぼんやりと。彼女の声と思しきもの寂しげな声色が、フェードアウトする。
 安堵をする間もなくて、ぐらり。世界は傾いた。

 頭から落ちるような気持ち悪さが、そうやって巡ってきた。





 熱い。じわり、溶ける肌に浮かんだ汗は頬を伝って音もなく沈んだ。
 柔らかい何かに身を包んでいるのは確か。それも知らない匂いだ。
 リンリンと聞こえるこれは、風鈴? 風情のあるものは嫌いじゃない。そういえば詩鶴もいつか、風鈴を作ってみたいだとかぼやいていたな。
 突拍子もなく無理なことばかり口にするから、呆れていた夏を思い出した。

 もう、何年も経ってしまったかのような静寂だった。

 「お! 起きたのかっ!?」

 ざらりと捲った……あ、あれ。何て言うんだっけなあの竹みたいなの。竹のカーテンみたいな。
 すっかりと頭も働かなくなってしまったようで。情けない。
 臙脂色の髪とがっしりとした体格が目の前の景色を覆う。

 「おはよう」
 「おはようじゃねえ!! ったく危ないマネしやがってバカかおめェは!!」
 「先輩に対する態度くらい改めた方がいいよ。来年受験でしょ」

 最近の若者は、と商店街を歩く奥様方が、買い物袋を提げて歩みを止めて口々にそう零すのはこれが原因だろう。
 とは言っても最近の若者も、そんな女性も、引きこもりライフを送っていると出会う機会はないのだけれど。

 「ねえ、ここってもしかして君のい————」

 何で今まで気づかなかったのか。
 明らかに違う、肌寒さに。
 引いた痛みが、ぶり返す。

 「は? 何——」
 「————うわああっ!?」

 僕の中では今世紀最大の。機能が低下しつつあった口の奥からとんでもない声が溢れだした。
 いや、そんなことを、気にしている場合じゃない!

 「な、なな……んで……僕、上、着て……ッ!!」
 「はあ? 全身びしょ濡れだったろ、何だよ今更」
 「うるさい!! 早く僕の服返してよ!!」

 海に体を放り投げられた時の感覚が妙にリアルに浮かんできた。
 あの時と一緒だ。
 大嫌いなものを、一番嫌だと感じる瞬間。
 体の中で沸騰する何かを抑えようにも抑えられなくて、自分を嫌いになる瞬間。

 「な、何なんだよ……」

 震える。心も体も、痛いくらい叫んでる。
 見られた? いや、違う。違う。
 絶対、そんな事ない————って。
 考えてた、時だった。

 「あら哲! お友達、目を覚ましたの?」

 元気で張りのある、辺りによく通る声。
 知らない声だ。誰だ。哲、というのが彼の名前だということは知ってる。
 ということは、彼の、母親?

 「お袋! 勝手に入ってくんなってばっ」
 「あら、ごめんなさいね。でも良かった……もう体は大丈夫なの?」

 優しい目つきだ。ぱっちりとした、優しい目元が彼とよく似ている。声の張りがいいところも。
 綻んだエプロンを着て、ゆっくりしゃがんだ彼女は僕の顔を覗き込む。
 何も、言えなくなった。

 「……っ」
 「哲、布取り替えてきて、うんと冷たいやつね」
 「けっ。人を使うなっての」
 「あら。息子はいいじゃないの」
 「へいへい」

 渋々といった表情で、彼は部屋から出ていった。残るのは、僕と、彼の母親である彼女だけ。
 非常に気まずい状況だけど、今はそれどころではない。
 今すぐにでも服を着たいのに、僕の服はきっとびしょびしょのぐちょぐちょなのだろうから。

 「怖がらなくてもいいのよ」
 「っ!」
 「大丈夫、誰も何も言わないわ」

 ……?
 この人……もし、かして……——。

 「み、たんです……か?」
 「え?」
 「その、え、えと……だ、から……」
 「……体の、事?」
 「——!?」

 僕の母意外は知らなかったものがある。事故のおかげで頭をおかしくしたせいか、今となっては母も知らない。知っても「そうねえ」とまたすぐ忘れてしまう。
 もしかしたら、詩鶴は気づいてたかもしれないけれど。
 それでも、他人から、世間から、ずっと隠してきたものがある。

 僕が、死ぬほど嫌う。
 普通の“それ”がほしいと、何度も流れ星に祈りかけるほど。

 「哲は多分気づいてないわ……安心して」
 「……」
 「嫌われると、思ってるの?」
 「違う!! そんなことは、どうだって……っ」
 「……ずっと、そうやって、苦しんできたの?」

 涙を浮かべた顔が、じっと僕の瞳に入り込んできた。
 それ以上、口は開けなくて。
 紡がれる言葉に、何も言えなくなった。


 「————“皮膚炎”よね? それも、全身の」


 人生が始まって15年目を迎えた。
 僕は、物心ついた時から“それ”と、一緒だった。
 気づいた時にはもう、既に、自分の体を嫌っていたんだ。
 周りの人が、嫌うみたいに。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.14 )
日時: 2015/10/25 10:44
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第08話

 再び訪れた静寂を破ることはなく、そもそも口が開かなかった。
 今までも何度かあった。母が事故に遭う前はよく病院に行って、診察してもらって、ちゃんと薬をもらっていた。
 塗って、呑んで、呑んで。でも最後には掻きむしってしまっていた。

 何か言おうとしたこともある。荒んだ肌を見て気味悪がる奴、ばかにする奴。僕の横を通り過ぎてから、ひそひそ、ひそひそ悪口をいう奴に、何か言おうとして。結局何も言えずにここまできた。
 我慢じゃなくて。ただの諦めだった。

 「赤みが多いのね……特に背中。遺伝か、何かなのかしら」
 「関係、ないじゃないですか」
 「……そう、ね。ごめんなさい。でも、何だか放っておけなくて」
 「放っておいて下さい。お願いですから」
 「……」
 「もう大丈夫ですから。服、乾いたら出ていきますね。時間もないし」

 真っ直ぐな彼女の瞳は僕にとって毒だ。逸らしたまま立ち上がった。
 医者は口を揃えて言う。「放っておいたら悪化する」「きちんと薬で治せるから」って。
 僕にもまだ友達がちらちらいた時。まだ明るい空の下で、肌を出して遊んでいた時。
 友達は口を揃えて言う。「それどうしたの?」「すごく痛そう」「掻いちゃだめだよ」って。

 診察は受けなくなった。
 袖の短いのを着るのもやめた。


 返ってくる言葉が予測できるから。


 「……ねえ」
 「何ですか」
 「少しだけ、あの子の……哲の、話をしてもいいかしら」
 「……」
 「耳、塞いでてもいいから」

 とても穏やかにそう切り出した。僕のこと云々ではなく、きっと、哲という息子の話を聞いてもらいたいのだろう。
 彼の持つ髪の色には、僕と似たようなところがある。それをこの人も気づいているのだろう。

 「あの子の髪、不思議だと思ったでしょう? 黒ずんだ赤い色で」
 「……」
 「私がハーフなの。可哀想に。でもあの子は一度も言ったことないのよ。何だかわかる?」
 「……さあ」
 「『こんな髪で生まれてきたくなかった』って、ね」

 墨みたいな黒髪の中で、あの鈍い赤色はさぞ目立つだろう。でも彼がその髪を黒く染めたことはないという。
 家族の血筋を誇りに思う。周りに何を言われても、その髪色を大事にし続けた彼は立派だ。不良なんてものをやっている割りには家族想いな奴だ。
 でも。

 「貴方は、どう思うかしら?」

 彼の母親は『こんな肌で生まれてきたくなかった』って。そういう意味合いで僕に投げかけたのだとしたら。
 答えは一つだ。


 「嫌に決まってるだろ。何にも知らないくせに」


 白くて綺麗な肌が並んでいるところに。
 赤くて荒れた肌はよく目立つ。

 キラキラ輝く太陽の下で海水浴をする人たちを。
 見てる僕の肌は太陽の熱を嫌う。海の塩を嫌う。

 思い切り動かした後の身体に触れる風の心地よさは。
 汗ばんだ全身の悲鳴を聞いている僕には届かない。


 「母も父も肌は綺麗な方だと思う。でも両親からの遺伝じゃないのなら、恨む相手はどこにもいない。一番嫌なのは、家族も、知り合いも、誰もわかってくれないところだよ」

 最も、仕事忙しさに単身赴任でどっかへ行ってしまった父親のことなんてよく知らないけれど。小学校の途中くらいまでは家にいたから覚えてはいる。確かに僕と同じような肌をしていたわけではなさそうだった。

 「でもお医者さんも、ご両親も、気にかけてはくれたでしょう? 苦しんでいる我が子を見捨てる親なんていないわ」
 「そうだね。もちろん病院にも通ってたよ。でも最初に彼らは何て言うと思う?「これは酷いね」って言うんだよ。自分のせいだってわかってる。でもどうしようもなくかゆくて、痛くて、でも、大人たちはみんな、嫌なものを見る眼でそう言うんだよ!」

 荒げた口調でやっと振り返った。彼の母が驚くのも想像できた。彼女は優しい人だから、あまり気を悪くしてほしくはないけれど。
 もし今までみたいに。僕の肌について触れる人たちみたいに。
 嫌な顔をされでもしたら、僕はまた軽蔑を繰り返すのだろう。


 「生まれてくるのは何も、こんな傷だらけの僕でなくてもよかったんだ」


 久々に喉が震えた。自分の声で初めて聴いた本音が、反響して胸を叩く。炎症を起こしている肌とはまた違った鈍い痛みが僕を襲う。
 彼女は笑った時目の横に皺ができる。いわゆる笑い皺だ。夫が亡くなってからは、一人で彼を育てて、大変だっただろうに、笑って生きてこれたんだろう。
 筋肉の衰えた、頬にもぼつぼつ傷を持つ僕のマスクの内側が緩まなくなったのは、果たしていつからだっただろうか。

 一体僕は、いつから。こんなにひんまがった、気持ちの悪い道の上を歩いていたんだろう。
 自分が歪んでいたせいで気づきもしなかった。
 母も詩鶴も、何度も呼び戻そうとしてくれていたのに。

 「……貴方のこと、私はあまりよく知らないわ。今までどんなに苦しい思いをしてきたのかも。でも、これだけ、忘れないで」
 「……」
 「人は……何十何百、何千億を遥かに超える“可能性”の中から生まれてくる。妊娠するタイミング、卵子や精子の一つ一つでも違うでしょう。出会った女性男性にしてもそうよ」
 「僕が選ばれたのは奇跡だって、そう言いたいの」
 「違うわ。誰が生まれたって奇跡よ。数え切れないほどの、生まれてくる“可能性”のある子どもたちは、どうして貴方の背中を押したのかしら。どうして、生まれてきたのが今の貴方だったのかしら」

 今まで考えもしなかった。僕以外の子どものこと。綺麗な肌の子どももいただろう。もう少し背丈の高い子も。
 どうしたって考えてしまう。『もう少しああだったらよかったのに』って。


 「貴方が選ばれたんじゃないの。誰が生まれても“貴方”だった。皮膚炎を持って、辛い思いをしても生きていける力を持ってるから、みんな今の貴方の、傷を負うその背を——押してくれたのよ」


 言葉が出なかったのは、口が閉じていたからだと思う。何か言い返そう言い返そうと思って準備していた唇が、弱弱しく塞がっていた。
 彼女はこうも言った。『今自分のコンプレックスや、苦しんでいることは、大体前世での“罪”だそうよ。現世ではそれを償うように、ちゃんとみんなに違う試練が待ってる』と。

 「そういう考え方もありだと思うの。辛くなったら「前世このやろう」ぐらいに思って、少しでも気を楽にしてほしい。できるだけ苦しまずに生きてほしいの。ごめんなさいね、全く面識もないのに、こんな話をして」
 「……いえ」
 「話を聞いてくれてありがとう。そして哲を助けてくれて。本当の本当に、ありがとう」

 また機会があればいらっしゃい。いつでも歓迎するわ。
 目尻の皺がくしゃっとなってから、彼女は部屋を出て行った。服はまだ乾いてないから、少し大きいけど哲のものを着て、と黒くて無地のTシャツと無難なズボンを手渡された。
 後から入ってきた彼は冷たいタオルとやらに苦戦していたらしく、一度部屋に入ろうとして廊下がびしょびしょになっていることに気がついて、廊下の雑巾がけをしていたそうな。
 廊下に出た彼の母親の叱るような声と、言い訳をする彼の声は二つとも大きくて、騒がしくも楽しそうな家であることが僕にもわかった。

 「おお? 何だもう行っちまうのかおめェ」
 「うん。実は……日没までに、帰らなきゃいけなくて」
 「? 小学生かよ」
 「僕にも色々あるんだよ。ありがとう、服貸してくれて」
 「おー。お古だしな。返さなくってもいいぜ」
 「そうはいかないよ。洗って返す。あと、お袋さんにも言っておいて……『ありがとうございました』って」
 「はあ? お袋に? まあいいけどよ」
 「ありがとう」
 「何だお前さっきから、気持ちわりィな。やけに素直じゃねェ?」
 「……そうかも」

 彼はぷっと吹き出した。僕もわずかに笑った気がする。かなり大きな彼のTシャツを着て玄関で別れ、少しだけ乾いた自分の服を袋に提げて、また長い道を歩き出した。
 なんだか歩幅が広い気がする。心の中もやけにすっきりしていた。

 外の風をこんなにも気持ちよく感じたのは、初めてだ。


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