複雑・ファジー小説

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コンプレックスヒーロー【完結】
日時: 2015/11/01 15:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 『誰にも言えないよ』

 『誰にも見せないよ』

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 諦めと正義を抱くヒーローの話


 ◆挨拶

 初めまして、またはこんにちわ。
 瑚雲です。

 ちょっと短いものを気分転換で書いていきます。
 リメイクを開始しました。


 ◆目次

 序章 >>001

 第01話 >>006
 第02話 >>008
 第03話 >>009
 第04話 >>010
 第05話 >>011
 第06話 >>012
 第07話 >>013
 第08話 >>014
 第09話 >>016
 第10話 >>017
 第11話 >>018
 第12話 >>019
 第13話 >>020

 終章 >>021

Re: コンプレックスヒーロー ( No.5 )
日時: 2014/03/15 21:45
名前: 悠 (ID: Ug45cB3V)


初めまして、悠と言います!

最初の文章から何だか惹かれて、読ませていただきました♪
どういうお話になるのか気になります(`・ω・´)

Re: コンプレックスヒーロー ( No.6 )
日時: 2015/10/22 19:47
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 長い夢の中で、君の声を聴いた。
 数え切れない夜を跨いで、君の声を、聴いていた。

 目が覚めた時に、ごめんって、素直に吐き出せるだろうか。
 ああ、でも、まだ眠いや。

 ごめんね。
 ごめんね。





 第01話

 手首を切ってみた。
 ちょっと好奇心もあって、すっぱりと。
 血を見ることには慣れていたけど、流れるのはなかなか見ない。肌に一筋垂れるそれは、くっきりと映えて新鮮だった。

 昔交通事故で脳に障害を持った母が、痛いの痛いの飛んでけと魔法をかけて早10分。
 そろそろ飽きてきた僕は母の泣き顔を置いて部屋に戻った。
 電気のついていないそこは生活感に欠けていて、唯一生きた本棚の、びっしり詰められた本のうちから一冊を適当に掻き出して、流れるようにベッドに腰をかけた。

 「……」

 傷だらけの視界に辛うじて浮かぶ文字。僕は本を読むのが好きだ。
 その中は知らない世界で、この世界ではなくて、好きだ。
 夢中になってページを捲って、世界を捲っていくと、自然に鼻を啜る母の声は聞こえなくなった。
 いや、僕の耳に、届かなくなった。


 「また、本読んでるの?」


 せっかく築き上げた世界は、簡単に壊される。
 窓の方からだ。開いたままのそこから、風と一緒にたった一人、女の子も入り込んできた
 一体いつもどうやってここまで来るんだか。
 聞くまでに至らないけれど、彼女はいつもそうやって唐突に現れる。

 「何しに来たの」
 「好きな人に会いに来ちゃだめ?」

 ほら。まただ。
 そうやって、嘘みたいに綺麗に笑うんだ。その笑顔で一体いくらの男の胸を貫いてきたことやら。ああ、物理的でなく。

 「……もう一回聞くけど、何しに来たの」
 「目も合わせてくれないなんて、寂しいなあ、幼馴染なのに」
 「用件は?」
 「おー冷たいですなあ。世間はカラカラの夏なのに、この部屋は温度が丁度良いようで」 
 「……」
 「怒らないでよ。それより手首、大丈夫?」
 「ご心配をどうも」
 「うんと長い風邪を引いてるね。そろそろマスクぐらい卒業したら?」
 「うるさいって言ってるだろ!」

 無意識のうちに捲っていた本を、彼女の顔に投げつけた。
 ずるっと落ちる本から、綺麗な顔がまた覗く。
 無に還った表情は、一瞬、泣き出しそうな顔に変わった。

 「……何だよ」
 「そう睨まないで、光ちゃん。あたしは、光ちゃんが好きだよ?」
 「聞き飽きたよ。それに僕は君が嫌いだ」
 「光ちゃんとなら、結婚だってできるよ。寧ろウェルカム」
 「聞いてた? 嫌いだってば」
 「うん。知ってる」
 「……」
 「でもどうせ、好きな人なんてこの世界にいないんでしょう?」

 彼女は、詩鶴シヅルはそう言い切った。
 幼稚園、小学校、そして中学校に通う今に至るまで。
 彼女は学園一の人気を誇る絶世の美女だと男子達は騒ぎ立ててきた。

 僕も否定はしない。実際詩鶴は綺麗だ。

 腰まで伸びた長い髪の、深い黒が孕む妙な艶やかさ。
 長くて濃いまつ毛から覗く彼女の瞳が、おっきなビー玉みたいにキラキラしていて本当に綺麗だった。
 彼女が笑うと、息が止まるほどだって、実際に会って話した男子は後日そう語る。その顔が見たくて目の前に立つのに、やっぱり恥ずかしいからすぐ逃げるなどとわけのわからない話をよく耳にした。

 「話はそれだけ?」
 「んー、他にもまだ、あったような」
 「早くしてよ」
 「あ、そうだそうだ」

 大人しそうに見えて実は明るく無邪気な面を持つ彼女は、僕からしたら世話焼きな太陽に見える。
 照らさなくていいものを、顔を出さなくていいものを。いつもひょっこり現れては、突然消えて、静寂がやってくる。その循環を作り出す、太陽によく似ている。
 僕の“光介”という名前は、やはり今になっても間違いだと思う。
 光というのは彼女にこそ似つかわしい単語だと。
 思った、時。


 「好きだよ、光ちゃん」


 誰もがその声で、その顔で、言われたいだろうその言葉。
 学校でそんなことを言ってみろ。前後左右あらゆる方向からカッターナイフとか飛んできそうなそんな台詞を。
 彼女はいとも容易く、喉を鳴らして紡ぐのだ。

 「あ、そう」

 でも応えたことは、ない。

 不意に、手に本を掴んでいないことに気がついた。そういえばさっき詩鶴に投げつけたっけ。
 部屋にある本は大体読み尽してしまっている。同じ本を読んでもいいけど、何となく今は新しい刺激がほしい。
 相変わらずにこにこしたままの詩鶴の足元に目をやる。大したものは何も入っていない薄いバッグに指をかけて、持ち上げた。

 「? 光ちゃんどこ行くの?」
 「図書館」
 「あ〜公園の近くにあるとこ? お勧めの本、教えたげよっか」
 「余計なお世話」
 「一番左奥のね! “盲目のマジシャン”っていう恋愛小説!」
 「窓、閉めといてよ」
 「あ、ちょっと! 光ちゃんっ!」

 財布と水の入ったペットボトルを、ぺったんこの鞄に放り入れた。
 戸を開けて、すっかり泣き止んだ母が立つ台所を横切る。
 栗色の髪が揺れて、僕の名前が呼ばれたような気がしたけど。
 当然のように無視を返して、そのまま家を後にした。



 窓を隔てない蝉の声はやっぱりうるさい。
 じわりと溶けるような熱が体に堪える。さらけ出していない肌に暑苦しさだけが伝う。
 早く早くと図書館への道を急ぐ。だから暑いのは嫌いなのに。

 詩鶴が言っていた、恋愛ものでマジシャンとかいう本の話を急に思い出した。
 第一、詩鶴の趣味感覚が分からない。長い付き合いを経てわかったことだけど、実は味覚もどうかしてる。
 結果、彼女は外見こそ良いものの中味は重度の変わり者なのだ。
 何も知らない男達は、後光差す太陽の笑顔に心を奪われ毎日想いを寄せているのか。
 そっちの人間じゃなくて良かったと、この時だけ思える。

 気が付いたら近くまで来ていた。
 死んだ蝉を踏み潰して顔を見上げる。やっと着いた。
 機械の生み出した冷たい空気に誘われて、そのまま中へ入る。
 暑い空の下で歩いた代償は重たい。少しくらっときたけど、足の歩みは止めなかった。





 取り残された部屋で一人、彼女は変わらずそこにいた。
 帰りを待ってる。
 今も待ってる。
 早く、早く。逸る鼓動が忙しくてたまらない。
 転がった薬に手を伸ばした。
 使い古したマスクにも、水の入ったコップにも。

 涙を呑んで、彼女は風を頼りに窓へ向く。
 狭い空は、今も広がっているのだろうか。




Re: コンプレックスヒーロー ( No.7 )
日時: 2014/03/16 00:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: E29nKoz/)


>>風死さん

 こんばんは。思わぬ御仁に今目が冴えました((震
 そうですね……ファジーとか正直まだ良く分かっていませんが、手を出してみました。
 なるほど……確かにそうですね。
 同じものはないと思っています。もちろん、限りなく同じに近いものはあっても、です。
 楽しみにして頂けて光栄です。コメント有難う御座いました!


>>悠さん

 こちらこそ初めまして! 作者の瑚雲です。
 嬉しいお言葉有難う御座います。
 期待に添えるかはわかりませんが……頑張らせて頂きますね。
 コメント有難う御座いましたっ!

Re: コンプレックスヒーロー ( No.8 )
日時: 2015/10/22 22:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第02話

 涼しい風が吹いているのだろうと思う。
 あまり肌で感じないものだから、無縁の感覚だけれども。
 図書館内に入った時はその温度差に反応を示したものだが、慣れてしまえば特別どうということはない。
 早速館内を舐めるように歩き回っていた。

 「えっと……」

 基本僕はミステリーが好きだ。
 謎が解き明かされていくのに面白味を感じる。単純にそんな理由。
 もっと言ってしまえば、“答え”のあるものが好きで、こうすればこうなるという経緯が好きで。
 物語の中で人はどんどん死んでいくのに、読み手としては内心イキイキとして続きを読みたがるわけだから、本はやっぱり面白い。
 だからって答えのある勉強が好きかと言われると、そうでもない。

 「最新刊……出てなかったっけ」

 最近はまりだした長編小説の続編が棚に並んでいなかった。
 ということは誰かに借りられている? もしくはまだ用意されていないか。
 前者だとしたらとんだ物好きだな。この間出たと聞いていたのに。
 今日読めると思ってわくわくしていたのがバカみたいだ。無駄足だった。来なければ良かった。やっぱり帰ろう。
 悔しさ胸に重たい踵を返して、一歩。踏み出した時だった。

 (あれ……)

 まただ。またくらりと頭が揺れた。今日は多いな。厄日だろうか。
 空になった本棚にそっと、手を伸ばしてみる。よろめいた体をなんとか起こしたところで。
 意味もなくただ、振り返ってみた。

 「……」

 そういえば。詩鶴の奴が言っていた、あれは何だったっけ。
 盲目の、マジシャンとか。また意味のわからない恋愛小説。
 別に気になるとかではないけれど、自然と爪先は館内の左奥の方へ向いていた。

 題名を頼りに探すと、作家名“H”の欄に、その本は倒れて置いてあった。
 一冊無造作に棚へと放り込まれている。なんて扱いだ。
 僕はそっと手を伸ばして、本を掴み取った。
 表記は割と新しい。ぱらっと数枚、捲った。

 “序章 出会い”

 ありきたりな駆け出しで、小説は始まっているようだった。
 僕はまた一つ紙を滑らせる。新しい世界が顔を出す。

 “幼い頃恋に落ちた。それが初恋と呼ばれるものだと、最近知った。
  私は数年経った今でも、その恋を忘れることができずに……”

 そうして僕はまた、静寂へ還る。
 はしゃぐ小学生の声も、小さな秒針ももう、聞こえなくなっていた。

 恋に落ちて、その子と仲良くなって……大人になって。
 想いを告げてしまおうと決心したその日、主人公は事故に遭った。
 自分を庇った想い人が意識不明の重体——で……。

 「……?」

 ページを捲った。
 然しその先に、文字はなかった。

 “彼は眠ったまま動かない。目を覚ましてはくれない。
  何度も何度も、己の身を責め続ける日々がどんどん過ぎる。
  どうやら担当の看護婦に顔を覚えられたらしい。
  死んだような顔つきで病室に入り浸っているのを、不審な眼で見ていただろうに。
  涙の痕がくっきりと残ってしまった顔で、飽きもできず。
  彼の顔を覗き込むだけで、そこから私はいつも動けないでいた。
  そして、”

 ここで、物語は終わっていた。
 印刷ミスかと疑ったが、それにしてはあまりにもページが残り過ぎている。
 急いで先のページを捲る。何度も。何度も。親指が擦り切れるほど強く、最後まで。
 然し続きは、どこにもない。

 「……詩鶴の奴、何を考——、!」

 僕が掴んでいた本は、急にパラパラと捲れ出した。
 それも自動的に。
 風が吹いているわけでもないのに、紙は速度を増してどんどん捲れていく。最後のページから遡っていく様に驚いた。
 ついに気味が悪くなって、ぱっと、本を手離した時だった。


 本が、明るく発光し始めたのだ。


 「な————!」


 ぼとり。本は堕ちる。
 突然に頭を掻き回られるような痛みが僕を襲って、一瞬。
 既に僕はいなかった。

 図書館にも、この世界にも。





 「——っ!」

 汗を払うように、勢いに乗って起き上がる。
 べとつく掌が、柔らかいものの上をびっしょりと濡らしていた。
 呼吸は苦しくて、なかなか頭も働かなくて。
 目の前にぼんやりと浮かぶ白い壁に、別の白い何かが過ぎる。

 「君、大丈夫? 気がついた?」

 だんだんと視界は明らかになってきた。
 目の前にいたのは、白衣を身に包んだ中年の男性で。
 ベッドに腰をかけ、シーツも体にかけられている。
 僕は、寝ていたのか?

 「顔色がよくないね。驚いたよ、本当に」
 「あの、ここは……」
 「館内にある休憩所だよ。君、本棚の前で倒れていたんだよ?」
 「そうですか……」
 「持病は?」
 「……いえ、特に」
 「そうか、まあ安静にな。軽い熱中症だろうから」

 男性は立ち上がって、そのまま姿を消した。
 そうか、熱中症にかかって倒れていたのか。どうりで何度か頭が痛くてくらくらしていたわけだ。
 腕時計に目をやると、細い秒針は朝の11時を指していた。
 まだそれほど時間は経っていないな。
 ベッドから這い降りて、バッグを掴み取りその場を後にした。
 あの男性が介抱してくれたおかげで大分楽になったようだけど、まだちょっと頭が痛い。
 さっきと何一つ変わらない館内を、再び歩く。

 「あの本……一体何だったんだ」

 あの本を読み進め、白紙のページを見ていた時急に本が逆さへ捲れ始め、気がついたら意識が飛んでいた。
 続きを読まねば。妙な使命感が僕の心を駆り立てる。
 僕の足は自然にさっきの本棚へと向かっていく。
 然し。

 「あれ……」

 最新刊コーナーを、過ぎるところだった。
 その棚の一角に違和感を覚えた僕は、ぴたっと足を止める。

 「最新刊……出てる」

 さっきまで置いてなかったミステリーの最新刊が、並べられていた。
 たった数十分の間に返しに来たというのか。
 これはいいタイミングだ。僕は元々この本が読みたくてここまで足を運んだのだ。
 本を手に取って、客の列に並ぶ。さっきの本のことはすっかり頭からいなくなっていた。

 それにさっきのことは忘れた方がいいだろう。
 続きは別に、詩鶴にでも聞いてしまえば済む話だし。



 また蒸し暑い空の下へ舞い戻ってきた僕は、借りた本をバッグに入れて歩く。
 いつの間にか頭の痛みも引いていた。気分はいい。


 でも僕はこの時、確かにいつもと変わらない日を。
 いつもと変わらない、変わるはずのない僕自身と歩んでいた。

 はずだったんだ。


 家までの帰路を歩いていると、見慣れない服装がわらわら逆方向からやってくる。
 全身真っ黒な服と、見覚えのある制服。みんな顔を上げず、口数もなんだか少ない。
 不思議に思いながらも僕はその列にまぎれてついていく。どうやら黒い人達は僕の家の方へと歩いているようだった。
 僕の家を訪れる人なんて、詩鶴くらいしかいないはずだけど。
 嫌な違和感が胸の中に湧いて、自然と歩を進める速度も速くなって。
 ついにはがむしゃらに走って、家の前まで辿り着いた。


 そして、その光景を、やっと目にしたんだ。


 「え……——っ?」


 僕の写真が飾られていた。
 夏なのに、花がたくさん、咲いていた。黙り込んだ人々の中。
 ただ一人の、涙の音が聞こえてきた。
 彼女は必死に、僕の写真に手を伸ばしていた。

 「い、いや……っ嫌だよぉ……——光ちゃん!!」
 「やめ……やめて、詩鶴ちゃ……っ」

 母さんと……詩鶴……?
 何をそんなに泣いているんだと、次の瞬間。


 「そ、んな……ぁ、こ、光ちゃ……———死んじゃやだあ!!」


 たった一人が零す雨。それは弱弱しく地面を叩いて。
 何が起こっているのかわからない僕はただ、詩鶴の泣き顔を見るばかりだった。
 母も泣いてる。詩鶴も、泣いてる。
 茫然と立ち尽くすだけの僕は、もう一度、僕の写真を見た。

 まるで、誰かの葬式のような光景だと思った。

Re: コンプレックスヒーロー ( No.9 )
日時: 2015/10/22 21:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第03話

 綺麗だったはずの黒髪が乱れて、ただ僕の名前だけを何度も叫ばれた。
 整った顔立ちに滲む涙も、それはもう見事なものだった。

 「まさか永崎君が……」
 「そんな奴だと思わなかったよな……」

 ふとそんな呟きがどこからともなく耳に入ってきた。
 僕は思わずパーカーのフードを深く被って、マスクを広げ更に顔を覆う。
 塀の端から、じっとその声の主を見てみた。
 若い。うちの学校の制服で身を包んでいる。恐らくクラスメイトだろう。
 僕の悪口でも零しているのかと、改めて呆れ返っていると。


 「まさか、花園さんを庇って自分が事故に遭うなんて」


 詩鶴が、母が、泣いている理由も。
 誰もが顔を上げずに、ただ地を見ている理由も。
 頭の中で何かがカチンと音を立ててくれて、繋がった。
 ああ。なんだ。

 僕は、死んだのか。

 その後も、葬式らしきものは着実に進んでいった。
 すすり泣きをする詩鶴の目は真っ赤に腫れて、始め花を持つことにさえ抵抗していたものの、ようやく歩みだして、何も言わず僕に花を添えていた。
 冷たくなった僕。ここにいて、じっと自分の葬式を眺めている僕。
 さて、どうした事だろう。
 僕は今、どこにいる?

 「とりあえず……ここから消えよう」

 バレてはいけないと思った。
 僕は何も言わずに、ただ僕の葬式を過ぎてその場を立ち去った。
 行く宛とかはもちろんないけど、ここにいてはならないと本能が言った。
 それにこれ以上、見ていられなかった。

 僕は途方に暮れたまま、ぶらりと家の辺りを歩いていた。
 提げたバッグが重い。そういえば、本を借りたんだった。
 どこかに座って読んでしまおうか。いや、なんとなく、気が進まない。
 大体自分の葬儀を目の当たりにするって。

 「そういえば……」

 僕は、車に跳ねられて死んだとか。それも詩鶴を庇って。
 確かにあれは僕の葬式で、僕は今、確実にここに生きていて。

 もしかしてここは、未来の世界か何かなのだろうか?


 「——そうとは、限りませんよ?」


 公園を横切るところで、声は耳に刺さる。
 フードを被ったまま、マスクを深く身につけた僕は振り返った。
 景色の中にいたのは、セミロングくらいの黒髪の、女の子だった。
 顔は笑っていた。口元もうっすらと歪んでいて。
 ただ、目は、閉じていた。

 「? どうしました?」
 「……ねえ、聞くけど、君は誰?」
 「気になりますか? そうですねえ〜……」
 「僕を知ってるの?」
 「知ってますよ、“死にぞこない”」

 心臓が跳ねた。喉まで声が辿り着くも、それは音とならなかった。
 楽しそうにくくくと笑う。どうやら彼女は僕で遊んでいるらしい。
 話すだけ無駄だ。逆方向へと足を踏み出した。

 「あら? 行っちゃうんですか?」
 「君と過ごす時間が勿体ないからね」
 「そうですか……せっかく」
 「っ?」
 「折角、貴方のことをお助けに来たのに」

 ぴたりと歩みを止める。
 僕を、助ける?

 「どういう意味?」
 「貴方は仰いましたね、『ここは未来の世界か何かだろう』と」
 「言ってはないけどね」
 「未来で貴方が死ぬ……それも、ここへ来る前の世界より、あまり時間の経たないうちに」
 「……ここへ来る前の世界?」
 「そうです。貴方は死ぬのです。貴方は、自分が助かりたいと思いますか?」

 突拍子もない話だ。聞くだけ無駄なのはわかってる。
 でもここは事実のある世界だと彼女は笑いながら語るのだ。
 つまり、何かの理由で未来に来た僕は、死んだ僕を見て。
 過去に、元いた世界に戻って対策でも立てろ、と?

 「思わないよ」

 僕は、手首に巻いた包帯を、一瞥した。
 別に死のうと思ったわけじゃない。でも、これでぽっくり逝ってもいいとは思った。
 自分の命はそんなに惜しくない。何なら今すぐ死んだっていい。それくらいには自分の命というものを、自分でも驚くほど軽く見てる。
 どうせ未来で、僕は詩鶴の為に死ぬんだろう?
 足掻いたって、未来は変わらないのではないだろうか。
 僕が生きるということは、詩鶴が死ぬということにも繋がるだろう。

 「おや? 生きたくはない、と?」
 「どうせ死ぬんでしょ? どっちでもいいや 」
 「珍しいことを言いますね」
 「努力したって、無駄なんだよ」
 「……」
 「これでもまだ、君は僕を助けたいの?」

 久々に人の顔を真っ直ぐ見た気がした。目を閉じたまま少女は、さっきまでとは少し違って、柔らかく笑ってみせる。

 「この世界と元の世界を繋ぐ“鍵”を見つけることができれば、貴方は元の世界へと帰ることができますよ」

 僕の質問に答える代わりに、意味ありげな台詞を吐いて彼女は、忽然と姿を消してしまった。
 一瞬言葉を失ってしまった自分の不甲斐なさに呆れる。重たい足取りを引きずって、宛もないのにふらふら歩き出した。

 もうそこにはいない彼女から、逃げたかったのかもしれない。
 何となく、全て見透かされているようだった。



 自分の知っている土地をウロウロし始めて30分。時計の針は12時前を指していた。
 今頃僕の体はゴーゴーに焼かれて灰と化しているところだろう。
 何だか気味の悪い感覚だ。何も食べてない胃から、薬だけでも吐き出されてしまいそうな。
 ふらっと街角を曲がって、僕の体は強く何かにぶつかってしまった。
 どさっと崩れ落ちる僕は、思わず閉じていた目をほっそり開けた。けれど。


 「え……」


 詩鶴がいた。
 目の周りはまるで彼女のものとは思えない。瞼を腫らして、目尻に涙を浮かべたままの、彼女が。
 相変わらず長くて綺麗な髪は、結ばれないまま無造作に腰まで伸びて。
 逃げてしまいたかった僕の体は言う事を聞かず、その場から動けずにいた。

 「あ、え、と……これは、その……」
 「……」
 「……えと」
 「あ、ご、ごめんなさいっ」
 「!」

 謝ろうとして、上手い言い訳が思い浮かばず、痞えていた僕の台詞はそうして途切れた。
 じっとこちらを見る詩鶴の目から、視線を逸らして。
 詩鶴ははっとして、ごめんなさいと続けたのだった。
 他人行儀なその言葉に、僕は思わず聞き返す。

 「え……?」
 「知り合い、に、似てて……何でも、ないんです」
 「……」
 「変ですよね……生きてるわけ、ないのに」

 彼女は立ち上がった。僕も腰を上げる。
 俯いたあと、彼女は苦しそうに歪んだ笑顔で、ぱっと花開いた。
 いつもの可憐で、太陽のような笑顔なんかではなく。
 必死になって涙を堪えた、無理やり笑おうとする詩鶴を僕は、久々に見たのだった。

 「それではさようなら……そっくりさん」

 最後の部分、やけに小さい声で紡いでから僕を横切って、彼女は去った。
 初めて、僕を避けて彼女は消えたのだ。
 手を伸ばそうとか振り返ろうとか思わなかった自分が偉い。
 ただぴくりと動いてしまった指先を、きゅっと制した。それだけだった。

 僕らは幼馴染と言われる奴だ。
 まだ幼い頃、ある出来事がきっかけで、詩鶴は僕について回るようになった。
 女の友達ができても男に告白をされても。いつだって僕らは近すぎない距離にいた。
 だから、僕を見た時気づかれると思ったんだ。
 何でどうして、生きてたんだ良かったって泣いて喜んで、抱きつきにかかってくるまで予想してたのに。
 だから逃げようとしたのに。
 詩鶴は、ただ僕を“そっくりさん”と呼んで、去ってしまった。
 気づかないわけがない。それほど、彼女は何かで頭がいっぱいなんだろうか。
 いや、考えるのは、よそう。ただでさえ今は暑い。ろくなことがないだろうし、また誰かにぶつかっても——。

 「っ!」
 「つ……ってェな!! 誰だてめェ!?」

 詩鶴とぶつかった時とは違う。硬くてゴツゴツした、明らかに男の身体に思い切り体当たりしてしまったようだ。
 まずい、としか思えない。

 「こんなとこで昼間っからふらふらしてっとなァ……——」
 「!! おい——いたぞ!!」
 「げ……っくそ! 悪く思うなよガキ!!」
 「は? ——うぐっ!?」

 状況が全く呑み込めないまま——何故か、腹部に一発喰らってしまった。
 あまりの痛さにその場で倒れ込み、炎天下、夏の温度が嫌いな僕がよくもこんなに長い間、外で立っていられたものだ。
 ぐるぐるどこかへ吸い込まれそうになって。二度目の失神を迎えた僕は。

 間違いなく今日が厄日だと、確信を下した。


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