複雑・ファジー小説

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【吸血鬼】Into the DARK【毎週日曜更新】
日時: 2016/05/14 21:06
名前: ヒュー(元鈴香) (ID: m.v883sb)

ひゅーです。

二年くらい前まで天緋とか鈴香とか言う名前で小説を書かせてもらっていました。
ふたつの小説が未完結にも関わらず、いなくなったこと本当に申し訳ありません。時期は未定ですが、他ふたつの小説についても書き直しを考えています(もう一度言いますが時期は未定です。もしかすると書かないかもしれません、すみません)。

ということで再び、カキコで小説を書こうと思います。
読んでいただけるとすごく嬉しいです。感想を残していただけると、調子に乗ってPCの前で踊り狂います。

完結目指して頑張りますので、よろしくお願いします。



○この小説は基本毎週日曜日更新です(調子に乗って週に複数回投稿する可能性あり)



〜目次〜

登場人物・用語解説(必読ではないです、随時更新) >>02

Prologue >>01

序章 -sunset-
†第一話 暗雲の街† >>03>>06
○第二話 ネグル○ >>07-08
†第三話 聖軍† >>09-13
〇第四話 ヴェルジュ〇 >>14-15

第二章 -twilight-
†第一話 兄の剣† >>18>>21-22
†第二話 遭遇† >>25-27
†第三話 交差† >>28

第三章 -dusk-
○第一話 スパイ○

〜お客様〜

・ろろさん
・風死さん
・囚人Dさん
・コッコさん

Re: 【吸血鬼】Into the DARK‐グリース戦記‐ ( No.7 )
日時: 2016/03/21 07:27
名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)

 ○第二話 ネグル○

 たんたんたんたん、と石畳を打つ音が、寝静まった街に響く。

「はあ、はあ」

 乾いた音を響かせ続け、リッダは走る。後ろから迫るのは、2人の警官だ。いつもは一日中グリースをぶらついているだけの彼等も、盗みの現行犯とあっては逃がすわけにはいかないらしい。
 こんな餓鬼を追いかけている暇があるなら、せめて『聖軍』の盾になって散れと、リッダは言いたい。

「……っ!はあ、はあ、」

 何の当てもなく、リッダは路地裏に入った。薄暗い路地裏には、ぼろ布が数枚落ちている。

「はぁ、はぁ、はぁ」
 
 先程から同じ場所をぐるぐる回っているように感じる。ここが一体どこなのか、確かめたい気持ちはあるがそんな時間などある訳がない。
 見覚えのあるT字路を、右へ曲がる。考えてなどいなかった。ただひたすらに、逃げるために走り続ける。左へ、右へ、もう一度右へ……。

 しかし、そこに広がっていたのは、見たことのない光景だった。いや、遠くからなら飽きるほど見た、この街の象徴的な建造物。
 寂れた人間の街を見下す様に天高くそびえる黒い塔。側面にはこれも黒い、歪な塊がくっついている。塊は後で増設したものらしく、アンバランスなシルエットを造りだしていた。その奇妙な造形が、この場所の禍々しさを一層際立たせている。

 吸血鬼の城、ネグル。

「ネグル!?」

 幸か不幸か、リッダが今来た道は、帝国への抜け道だったのだ。

「……」

 背後に、追手の足音が迫る。それに合わせて、リッダの心臓が拍を討つ。
 つぅ、とリッダの背中を汗が伝った。夜の街に吹くそよ風が、やけに大きく聞こえる。つばを飲んだリッダの耳に、澄んだ声が響いた。

「おいで」

 顔を上げたリッダの前には、美しい女性が片手を伸ばしていた。
 突然の声、突然の第三者に、リッダは唖然とする。力の抜けた体から、間抜けな声が漏れた。

「おいで」

 繰り返す女性の口元に浮かぶ、微笑。あまりの美しさ故か、その柔らかな微笑みは、悪寒を伴ってリッダへ届いた。

(怖い)

 リッダは、自分は恐怖に従順だと思っている。恐怖とは、動物が危険から身を守るための盾のひとつだ。その盾を投げ捨てて、あえて死を選ぶ人間をリッダは尊敬したりしない。英雄と呼ばれる彼等は、リッダに言わせれば馬鹿者だった。

「おいで」

 伸ばされた手から、不意に生気が消えた。
 一瞬のうちに、不自然なほど青白くなった四肢。何よりもその髪と瞳の色が、彼女の正体を表していた。
 雪の様に白く、星光を反射する銀髪。リッダの頭上に浮かぶ月をそのまま閉じ込めたような、金色の瞳。故郷の山に棲む獣と同じ色でも、こちらは気品を兼ね備えている。



 ———吸血鬼だ。



 驚くほどの事ではなかった。今リッダが立つのは、吸血鬼の世界と人間の世界の狭間。此処にリッダが居ることの方が、よほど驚くべきことだ。それは頭で分かっていても、驚かざるを得なかった。

(……違う)

 こんなに美しいものは、鬼なんかではないとリッダは思った。リッダの知る《鬼》は野蛮で、汚らしい化物だった。

「おいで。……早く」

 吸血鬼の言葉に我に返り、リッダは振り向く。2つの大柄な影が路地裏に揺れている。耳を澄ませずとも、それが警官であることは明白だった。

 ただでさえ焦りでうまく働かない頭と、ひどく動揺した心を精一杯使って、リッダは考える。

(生きなきゃ)




 リッダは、吸血鬼の手を取った。

Re: Into the DARK【オリキャラ募集】 ( No.8 )
日時: 2016/03/18 23:43
名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)

「こっちよ」

 吸血鬼の手に引かれるまま、リッダはネグルの中へ入っていく。内部へ入るまでにはいくつもの扉があるが、鍵はかかっていないようだった。壁は岩をくり抜いて造られたようで、そこかしこに凹凸が見られる。

 ここが吸血鬼の根城となる前は、何かの施設の跡だったと聞いた事があった。何に使われていた場所かは分からないが、相当に大きな建物だ。
 ふと、リッダは自分が握っている手に温かみを感じた。先程まで夜の石のように冷たかった吸血鬼の手は、人間と変わらない温かさになっている。よくよく見れば、髪の色ももう白銀ではない。手入れされた綺麗な金髪だ。

「私はヴェルジュ。月種の長よ」

 階段を上りながら、吸血鬼———ヴェルジュは短く自己紹介をした。

「……リッダ」

 リッダが名だけを答えると、ヴェルジュはふり返って微笑んだ。

「リッダね。良い名前」
「そんなこと思っていないでしょう」
「いいえ、貴方によく合った名前よ。強い目をした可愛い貴方に」

 思いがけない言葉に、リッダは手を振りほどき、踊り場で立ち止まった。

(何なの、この……吸血鬼は)

 まるで人間のようじゃないか。先程までは、リッダには触れることが許されないのではと感じるほどに、浮世離れした存在だったのに。
 リッダは敵意を籠めて睨みつけるが、ヴェルジュは微笑んで小さく首を傾げてくる。リッダは大股で歩きだし、誤魔化すようにヴェルジュへ話しかけた。

「私の故郷で、猫を意味する古語なの、『リッダ』は」
「そう。……うん、やっぱり貴方に合っているわ。貴方、本当に猫みたいだもの」

 ヴェルジュはくすくすと笑い、廊下を進む。その様子はまるで少女のようだった。

 ネグルの中は、リッダが思っていたより質素だ。装飾はほとんど無く、壁に取り付けられたろうそくが唯一の光源。部屋数は多いようだが、人の影は見えない。

「ここが、私の部屋」

 ヴェルジュが立ち止まったのは、ネグルの中では珍しく、豪奢な雰囲気を漂わせる大きな扉だった。これを見る限り、ヴェルジュは吸血鬼の中でも高い地位にあるようだ。

「何で私を助けたの?」

 リッダは、ヴェルジュが扉を開ける前に問うた。そこに入ってしまえば、本当に、もう二度と戻れないと思ったから。

「話せば長くなるわ」

 ヴェルジュはリッダの目を見ずに、扉を開けた。そして部屋の中から、リッダに言う。

「結論から言えば、貴方は私に必要なの。……それだけよ」

 リッダはヴェルジュの青くなった瞳を睨んだ。ただの人間である自分が、吸血鬼にとってどんな価値があるのか。答えは一つしかないと、リッダは考える。

「血は飲まないわ、約束しましょう」

 ヴェルジュは、リッダの考えを読んだように強く言った。

「……」

 吸血鬼の言う事は、決して信用できない。ヴェルジュがその気になれば、リッダの『黙らせる』ことなど容易いから……。
 そこまで思考が及んだ時、意図せず足が震えた。
 怖かった。得体の知れぬこの生物が、どうしようもなく怖かった。それでも、死の方がよほど怖かった。

(逃げれば、殺されるかもしれない)

 自分も、あんな赤黒い肉塊となってしまうかもしれない。

(……あかくなってしまう)

 無残に引きちぎられた衣服。村中にたちこめる鉄の匂い。ほんのすぐ横で響く絶叫。そして、巨大な牙から薄赤い唾液を垂れ流すのは———。
 脳裏に浮かんだ光景が、リッダの足を前へと出させる。




 もう、戻れない。

Re: Into the DARK【オリキャラ募集】 ( No.9 )
日時: 2016/04/04 13:55
名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)

†第三話 聖軍†

 赤い光で、ハルは目を覚ました。

「……」

 朝日が、灰色にくすんだ街を赤く染めている。どこか遠くで、鳥の鳴く声がした。甲高いその声が、ハルの意識を覚醒させていく。
 ミカヅキが帰らなくなってから、丸二日が経っていた。その間ハルは、ほとんど寝ずに兄の帰りを待ち続けている。
 早く、早く帰って来て欲しい。そう願い続ける自分の傍に、もう一人の自分がいることを、ハルは感じていた。もう兄は帰ってこないのだと、お前はついに唯一の家族を失ったのだと、囁き続ける自分が。

「何で」

 何故自分ばかりが、こんな目に遭わなくてはならない? ハルは茫然と、そんな事を思う。不思議と涙は出なかった。その代わり、胸に大きな穴が開いたような喪失感がずっと居座っている。目をこすったハルの視界に、小さな麻袋が映った。

(……これ)

 金だ。兄が吸血鬼から稼いだ金。紐を解くと、眩いばかりの金貨が現れた。この輝きの対価は、兄の血。
 結局ハルは、ミカヅキを苦しめるばかりだったのかもしれない。嫌がるミカヅキを怒鳴り続けてでも、働くべきだったのかもしれない。戻ってくるはずのない両親のためだと言って、この街に留まらなければ良かったのかもしれない。王都へ行って、二人で汗を流しながら、疲れた疲れたと言って暮らせばよかったのかもしれない。
 血が出そうなほどに唇を噛んだハルはしかし、ふと顔を上げる。

 ……こぉんこぉんこぉん……。聞き慣れない、鐘を叩くような音。小刻みに続くその音に、ハルは表に出る。
 どうやら、音はネグルの方向から聞こえてくるようだった。

(こっちに近づいてくる)

 音はハルに近づくにつれ、カンカンというはっきりした音に変わった。その音と共に、人の声が響く。

「———れろ!———ネっ———」

 人の叫び声の直後、バキィ、という音がした。木が、無理やりへし折られる音。それをハルが認識したときには、二軒向こうの家が崩れ落ちていた。その振動に、食器が大きな音を立てる。

(嘘だろ)

 逃げなければ、逃げなければいけない、と切実に訴える心臓とは裏腹に、足は微動だにしない。唯一動いたハルの目が、家の前に立つ《その姿》を捉えた。
 ヒヒヒ、と下品に笑う《それ》は、焦らすようにゆっくり、爛々と光る薄い青色の瞳をハルへ向ける。

「……!!」

 その人間を見下した表情よりも、口の端から垂れる赤い液体よりも、《それ》を追って走ってくる人々の服に描かれた青い十字架よりも、その銀色に輝く頭髪が《それ》の正体をよく表していた。



 ———吸血鬼だ。



 気が付けば、ハルは左側の壁を蹴り飛ばしていた。そこにあるのはミカヅキが作った隠し棚のひとつ。ギイイイと悲鳴をあげながら、壁が半回転する。そして現れたのは、一振りの剣だ。反りの無いサーベルの様なその剣はミカヅキが愛用していたもので、鞘には十字架が刻まれている。王都の大教会の加護を受けた、いわゆる《聖剣》だ。
 ハルは聖剣を掴みとると、一息に刀身を抜き放つ。赤みを薄めた日光を反射して、白銀の刀身が輝いた。

「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 ハルは目を見開き、吸血鬼へ聖剣を振りかぶる。聖剣を見ても顔色一つ変えない化物は、ひらりと剣をかわす。それに構わず、ハルは本能のままに剣を振り続けた。東方系の剣術はミカヅキに叩き込まれているが、形式など気にしている余裕は無い。

「お前らは!!!兄さんを!!!……返せ!!!」

 ハルは、胸の穴から湧き出る憎悪を、喪失を、悲嘆を、剣に籠める。ハルの持てる力全てを駆使して繰り出される剣はしかし、ひらひらとかわされる。反撃する気はないのか、吸血鬼は後退を続けるばかりだ。

「返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せえええええええええええええッ!!!!」

 ハルの横薙ぎをしゃがんで避けた吸血鬼は、いきなりハルの顎を掴んだ。その速さと、もう少しで顔の骨を砕かれそうな力に、ハルはただ茫然とする。

(敵わない)

 こんな化物には敵わない、と思った。静かに心を満たしていく絶望が、体の力を奪っていく。

(兄さんが帰ってこない家に———)


(僕の存在価値は無い)


 ハルの手から、聖剣が滑り落ちた。

Re: 【登場人物更新】Into the DARK ( No.10 )
日時: 2016/03/18 18:40
名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)


 ミカヅキの聖剣がハルの手から離れ、地面を叩く。
 それを理解しつつも、ハルは動くことは無かった。全てが夢の中の出来事のようで、現実味が無い。目の前に迫る水色の双眸にも、不思議と恐怖は覚えなかった。

 殺せよ、と言おうとして、ハルは自分が声を出せない事に気づいた。喉がいう事を聞かない。喉だけじゃない、全身が震えて止まらない。心では制御できない震えが、身体を縛る。体中が、目の前の圧倒的な存在から逃げたい逃げたいとわめく。

(僕は、生きたいのか……?)

 ハルは自分の問いに対する答えを持たなかった。頭の中で、自分の疑問だけがぐるぐるとまわり続ける。

(両親に捨てられたこの世界で?兄さんと暮らせないこの世界で?自分の家族を忌み嫌うものばかりのこの世界で?誰からも敬遠される、こんな酷い世界でも、僕は生きていきたいのか?)

 答えが出ないうちに、吸血鬼がハルから手を離した。青白いその腕が、大きく振りかぶられる。
 その手がとらえたのは、ハルの頭ではなく———鈍く光る刃物だった。

「!?」

 ハルの頭が現状を把握する前に、身体が宙に浮いた。

「無理に動かないで、体の力を抜くのん!」

 鼻にかかった幼い声をハルが認識したそのとき、ハルは『飛んだ』。

「ぅあっ!」

 そして今度は、二本の固い棒の上へ着地する。それは筋肉質な人の腕だった。決して軽くはないハルを易々と受け止め、地面へ立たせる。

「大人しくしてろよォ、坊主ゥ」

 無精髭を生やした男は呟くと、腰のレイピアを抜き放った。男はふかしていた煙草を吐き捨てると、背中を向けたまま言う。

「今日は副将がパネしかいねぇ、もう少し日が昇ればあいつは撤退する。それまで持ちこたえるだけだ、できるなお前ら?」

「もちろんです、将軍」

 そう答えつつ煙草を拾うのは、まだ少女の面影が残る女だ。腰に剣を帯びた女を先頭に、同じ制服を着た剣士たちが『将軍』と呼ばれた男の後ろへ並ぶ。

「私達は聖軍です、吸血鬼ひとり追い払えなくてどうするんです?」
「いい返事だ」

 女は周りの剣士達に素早く指令を飛ばすと、最後にハルに向き直った。

「貴方は動かないで、ここにいて」

 その力強い言葉と眼差しに気圧され、ハルは頷いた。それを見た女は満足そうに頷き返し、吸血鬼の方へ走っていく。

「パネ副将!……代わります!」
「さんきゅーなの、メリィちゃん!」

 パネと呼ばれた、桃色の髪をした少女と入れ替わるように、女———メリィは勢いよく剣を抜き放った。抜刀時の斬撃はかわされたが、次々と畳み掛けるように攻撃を続ける。その剣筋には迷いがない。
 吸血鬼が反撃しようと足を踏み出した瞬間、今度は『将軍』が鋭い突きを繰り出す。それを避けるために踏みとどまった吸血鬼に、再びメリィが斬りかかる。吸血鬼が腕を振りかぶれば、パネがその腕を短剣で切り落とさんとする。一人が吸血鬼を追い詰め、反撃の色が見えれば他の誰かがそれを阻む。

(これが、聖軍……)

 確かに今のところ吸血鬼は傷を負っていないが、この人達は決して、噂で囁かれる能無しなんかではないと、ハルは思った。
 人間ですらない強大な力を前にしても一歩も退かぬ剣士たちは、舞うように戦う。その姿はどこか美しく、儚い。

「チッ」

 剣が空を切り裂く音の中、小さな舌打ちが聞こえた。
 吸血鬼は高く跳躍すると、ハルの家の屋根に立つ。

「軟弱な人間共が」

 毒づいた吸血鬼は、つい、と踵を返す。その動作は決して野蛮ではなく、ある種の優雅ささえ覚える。人間にはあり得ない速さで逃げ去った吸血鬼が見えなくなった時、ハルは膝から崩れ落ちた。
 先程の女剣士が駆け寄ってくる前に、ハルの意識は闇へと消えた。

Re: 【登場人物更新】Into the DARK ( No.11 )
日時: 2016/04/17 21:41
名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)

 ———甘い、花の匂い。
 それは嗅ぎ慣れぬ匂いだった。甘ったるく、それでいて不快を感じない不思議な香りが、ハルの鼻腔に満ちる。

(何の花だろう)

 ハルは、ぼんやりとそんな事を考える。決して花に詳しいわけではないが、その不思議な香りに興味を持った。

(今度兄さんに聞いてみようか)

 ミカヅキの顔を思い浮かべた瞬間、ハルの意識は瞬時に覚醒した。
 目を見開き、飛び起きる。視界に飛び込んできたのは、自宅の白い壁ではない。くすんだ濃い緑色の壁紙だ。ハルの急な動きに、簡素な造りのベッドが不満げな音をあげた。

「ここは、……」

 ここはどこだ、とハルが自問する前に、部屋の扉が開いた。ゆっくりと入って来たのは、あのメリィという女剣士だ。メリィは上体を起こしたハルを見ると、はっと目を見開いた。

「大丈夫なの!?」
「ここは、どこですか」

 ハルが間髪入れず尋ねると、メリィは手に持っていた盆をテーブルに置き、ハルのベッドに腰を下ろす。腰に引っ掛けた小振りな剣の鞘には、青い十字架が彫られている。

「……その前に、あんたの名前を教えてくれる?」
「ハル。姓は無い」

 ハルは、メリィの瞳を真っ直ぐに見つめた。気の強そうなつり目が、ハルの瞳を見つめ返す。

「メリィよ。メリィ・エスペラール。聖軍の第一部隊隊長」

 エスペラール、という姓に、ハルは聞き覚えがあった。

(大教会の孤児院……)

 確か、王都の大教会の孤児院の名前が、エスペラールと言ったはずだ。
 メリィはそのことには触れず、質問を続ける。

「あんたの事を教えて欲しいの」
「何故?」

 ハルが聞き返すと、メリィは少し身を乗り出した。ハルとの距離が一気に縮まる。

「聖軍の将軍が、あんたを欲しがっている」

 メリィは至極静かに、言葉を並べる。

「給料は小遣い程度しか出ない。でも、家と食事、そして武器は国から与えられる」

 代わりに、とメリィは一度言葉を切った。ハルは自分の中で、何かが動き出したのを感じた。その原動力は憎しみかもしれないし、哀しみかもしれない。少なくとも、胸に開いた空っぽな穴からきていることは明らかだった。

「代わりに、世界のために戦って欲しい。———世界のために、あんたの命を捧げて欲しい」

 重い響きに、ハルはしばしの間黙り込む。
 口から漏れ出したのは、ハルの素直な感情だった。

「こんな世界のために、命なんてやれない。でも、」

 メリィは静かに、ハルの言葉を待つ。その眼差しは鋭いが、内に秘める優しさも感じさせた。

「でも、兄さんのために、貴方たちと協力することはできる」

 ハルが言い切ると、メリィは神妙な顔をした。どう答えればよいのか決めあぐねている様だ。そのとき突然、男の野太い声がした。

「随分と偉そうな新人だなァ?ん?」

 開け放たれていた扉から煙草の煙が漂ってきて、ハルは顔をしかめる。

「将軍……!」

 メリィは直立不動の姿勢をとるが、それには目もくれず『将軍』はハルの前に立つ。
 改めて見れば、やはり、かなりの長身だ。決して太ってはいないが、大岩のような威圧感がある。
 男が着ているのは、メリィと同じ青い十字架がデザインされた制服だ。しかし、男の方にはくすんだ金色のバッジが添えられていた。作られたときには黄金の輝きを放っていたのであろうバッジには、いくつもの傷が刻まれている。
 男は煙草を指に挟み、ハルの顔を覗き込む。そこだけ澄んだ色をした、藍色の瞳がハルに迫った。男の体に絡みついた煙草の匂いに、ハルは顔をしかめそうになる。

「お前、戦いたいか」

 臭い息は生暖かく、ハルの鼻をなでる。
 荒々しい山男のような風格とは裏腹に、その問いはどこか優しく聞こえた。

「戦いたい」

 自分の口から出た言葉に、ハルはぐっと拳を握った。

「僕は、兄さんを救いたい」

 ハルが言い切ると、『将軍』は上唇を舐めた。そしてじっと、品定めするようにハルを見つめる。

「……お前の兄の名前は?」

 突然の質問に、ハルは体の力を抜いた。

「ミカヅキ。姓は無いと思う」

 ハルの答えに、『将軍』は眉を上げた。ほう、と灰色の息を吐くと、メリィに短くなった煙草を渡す。

「俺はラドルフだ。聖軍の総指揮を執る将軍を任されている。俺のことは将軍と呼べ」
「それって、」
「お前は副将軍の世話係をしろ。説明は明日の朝だ、それまでに体を休めておけ」

 ラドルフは捲し立てるように言うと、すぐに踵を返す。

「僕はここに居ていいのか?」

 ハルがその背中に問いかけると、ラドルフは首を捻り、ハルを見下ろした。

「お前が、ここに居たいのならな」

 ラドルフの煙草を捨てたメリィは、ハルに向かってにやりと笑った。


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