複雑・ファジー小説
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- はきだめのようなもの
- 日時: 2019/06/16 10:32
- 名前: 凛太 ◆ZR4vcGLyhI (ID: aruie.9C)
好きなものを好きな時に書きます。
【ショートショート】
罪に、沈む>>1
さすれば、花が咲く>>2
鴉飼い>>3
さよならノスタルジック>>5
別離に泣く>>6
マリオネット >>8 >>17
銀の塔の魔法使い >>10
花嫁行列 >>11
月を観る人 >>12
おはよう、おやすみ >>13
渇望 >>14 >>15
美しいひと>>18
金の砂塵>>19
【短編】
つがいの星 >>4 >>7 >>9 更新中
【雑多なもの】
>>16
- Re: はきだめのようなもの ( No.15 )
- 日時: 2018/01/23 20:17
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
Fは、僕にとっての唯一だった。
渇望 下
祖父が亡くなったのは、ちょうど9つを迎えた朝の時だった。寝台に横たわる祖父の亡骸は、まるで遥か昔からあったように、殺風景なこの部屋と調和していた。ただ、悲しかった。
事の始まりは、本当に偶然だった。
祖父の死以来、僕は孤独だった。永遠のようにも感じた。窓から覗くスモッグをただ眺めては、日々を無機質に過ごしていた。極稀に流れる国営のラジオ放送くらいしか、外の世界を繋ぐものはなかったのだ。世界は黄昏にさしかかっていた。もう、周囲には誰もいない。
単調な毎日だった。変化の兆しが起きたのは、今から4年前。とうに時代に取り残されたノートパソコンに、メールが届いていた。
寂しい。
たった4文字だった。けれど、それで十分だった。人々が終の住処に篭り、関わりを絶つようになってから。祖父以外の人と、言葉を交わせるなんて思ってもみなかった。返事を書こう。そう思い立ってみたはいいが、一体どうしたらよいのだろう。強張った指先でキーを押した。
僕と、友達になってください。
彼女のことはFとしよう。Fは同い年だった。やりとりを重ねるうちに、わかったことがある。Fもまた、孤独だった。そして、Fの住む世界はこことは異なるものだった。人が普通に暮らす世界。そこにはスモッグやひどい戦争なんてない。最初は妄言だと思った。けれど、Fの語る言葉はあまりにも生き生きとしていたから。僕はいつしか、Fのいる世界に自己を投影するようになっていた。嘘か本当かなんて、どうでもいい。ただ、Fが望むものは、まさしく僕の夢だった。
僕は度々悩みを打ち明けられた。人間関係のことや、外見のこと、将来。全てが僕には縁のないことで、新鮮だった。Fの便りを、日々待ち遠しく思っていた。
貴方のおかげで、明日を生きられる。
何かの折に、Fがそう綴っていたのをよく覚えている。顔や名前すらも知らないF。僕の友達。Fがいるだけで、僕は心が軽くなる。自分以外の誰かが居て、自分のことを気にかけてくれている。なんて喜ばしいことなんだろう。
僕達は熱心に文字を交わし合った。一年近く、それは続いた。祖父が亡くなってから、最も人間らしくいられた時期だったように思う。密やかな関係が崩れたのは、どちらからだったのか。
実際に会おう。
Fから持ちかけられた提案は、僕が欲してやまないものだった。けれど、どうしてそれが叶うというのだろう。あのスモッグに身を晒すということ。それは死だ。断ろう。これはFの為でもあるのだ。僕は、丁寧にキーを打った。
そして、そこからは。F、大事なF。僕は貴方ともう一度話したい。怒りさえも風化した。あるのは渇望だ。果てしなく横たわる、一人きりの寂しさは、こんなにも耐え難いものだったか。次は、逃してはならない。もし貴方と話せるのならば、僕はまさしく孤独から救われるのだ。
F、何処へも行かないで。
***
ヤンデレや!
渇望終わりです。
- Re: はきだめのようなもの ( No.16 )
- 日時: 2018/07/30 21:45
- 名前: りんた (ID: aruie.9C)
花に絡め取られた子どもは、白亜の塔にゆかねばならない。肢体に花の痣を宿し、その使命を果たすために。
ボタニカリウム
エトが左腕にエニシダの花を咲かせたのは、彼女が齢14を迎えた朝のことだった。乳白の肌を覆う、エニシダを象った琥珀色の痣。曰く、花の病という。花の病に身を侵された者を、けして嘆いてはならない。神さまが口づけを落とし、祝福した証なのだから。
「エト、起きなさい。あと少しで塔へ着くわ」
肩を揺り起こされて、エトの意識はゆっくりと浮上してゆく。烟る長い金のまつ毛を数度瞬かせれば、翡翠の双眸が顔を覗かせた。エトは、中性的な娘だ。細身の体躯はいたく不健康そうで、筋張った手足は憂いを纏う。少女とも少年ともとれる未完成な美しさが、彼女には備わっていた。
エトはひとつ欠伸をすると、身を乗り出すように窓枠に寄りかかった。理知的な色を濃く落とした両まなこは、列車の窓から望める景色にそそがれる。霧でくゆる視界の向こう、高らかにそびえ立つ2対の塔の影がみえた。
「ねえ、母さま。あれが白亜の塔なのですね」
「お行儀良くしなさい。ほら、タイが曲がったじゃない」
母は顔をかすかに顰め、彼女の胸を飾るループタイに手をかける。けれどもエトは何ひとつ気にかけず、ゆるやかに近づく塔を眺めていた。花の病を抱えたならば、白亜の塔に招かれる。そうして病が潰えるまで、故郷に立ち入ることは許されない。それが、古くからの習わしだった。
明日から彼処で朝を迎えるのだ。どこか実感の伴わぬまま、エトは片手で頬杖をついた。
「さあ、できた」
「ありがとう、母さま」
母の細い指が名残惜しそうに離れてゆくのを、視界の端で捉えた。
「私のエト。手放すのが惜しいけれど、これからは一人で上手く立ち回らなければ駄目よ」
労わるような、さりとてどこか厳しさを孕んだ声色に、エトは母の方へ顔を向けた。母の言葉は、いつもある種の呪いのように降り注ぐ。エトは淡く笑み、そして極めて軽い調子で肩を竦めた。
「わかっていますよ」
「それならば、別にいいの」
「それで、あの、母さま。制服のことだけれど」
幾つかの逡巡がしんしんと積み重なった後、エトは口を開いた。しかしそれも束の間のこと。すぐに母の明るい声に遮られる。
「ああ、よく似合っているわ。でも、そうね。髪はきちんと結んでいた方がいいわ」
「……はい」
エトはあでやかに波打つ蜂蜜色の髪を掬い上げ、銀糸のリボンで一つに纏める。その様を、母はひどく満足気に見つめていた。
「こうして見ると、男の子みたいだわ。エメにそっくり」
「母さま、それよりももうすぐ駅に着きますよ。塔まで見送って下さるんでしょう、さあ行きますよ」
折良く、終点を告げる放送が車内に響き渡る。もう塔は目と鼻の先で、大きな湖のほとりに、二つの尖塔が仲睦まじく並んで居る。このような辺境の駅に降りる者など、彼女らの他には誰もいない。エトは荷物を手早くまとめ上げる。永い旅路の伴侶は、たったトランクケースひとつばかりだ。軽やかにケースを掴み上げ、彼女はコンパートメントから躍り出た。
駅を出ると、辺りはしとやかなしじまに包まれていた。周囲は荒涼とした木々に囲まれ、神秘的な空気さえ孕んでいる。すぐ向こうには藍色の湖が口を大きく開けており、凪いだ湖面に塔を映していた。
−−時が置き去りになってしまったような、そうだ、エメが亡くなった夜に似ている。死が、隣に横たわっているのだ。そのような類の静けさをたたえている。
ここが気にいるだろうか。エトは自身に問いかける。白亜の塔。あまやかに花に病める子供たちの園。畏怖だ。けれど同時に、憧憬の念さえ抱いている。
「どうしたの、エト、立ち止まったりして」
「いいえ、なんでもありません。これからの暮らしに祈りを捧げていただけですよ」
エトは曖昧に笑い、母の背中を追う。そうしてもう一度2対の塔を仰ぎ見た。
***
何か書ける状態になったので、リハビリです。
頭の中にあるお話を、わーって書きました。
とりあえず、これだけ。
- Re: はきだめのようなもの ( No.17 )
- 日時: 2018/09/03 12:22
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
- 参照: https://musyokucode.jimdofree.com
彼女は、不変を求めていたのかもしれない。
マリオネット
遠江誉は、僕の口約束の許嫁だ。家同士の付き合いが古く、格も同じくらいだったのだ、許嫁になるのは当然の成り行きだろう。彼女は僕より二つ下で、幼い頃は雛鳥のように後をついて回ったものだ。あどけなく、そして純然と僕を見上げる双眸を、何よりも眩く思った。誉のことは嫌いではなかった。しかし、彼女をいずれは娶るのだと思うと、少年だった当時の僕は、奇妙な違和感だけが残るのだ。恐らくは、彼女も僕と同様だったのだろうか。今となってはよくわからない。
病や戦争で失われた過去の栄華を取り戻すため、大人たちは子どもの自由を奪う。決められた許嫁がいるということは、僕たちにとってはひどく当たり前だったのだ。
「きりひと、さん」
とおつになるまで、よく誉は舌ったらずな口調で僕を呼んだものだった。その度に、僕は目を細めて彼女の姿を認めるのだ。あの日は、たぶん、水色のストライプのワンピースを着ていた。裾にレースがあしらわれており、当時の彼女のお気に入りだった。
「なに、誉さん」
幼い彼女は晴れた昼下がりに僕の家の庭を探検することが得意だった。彼女の目には、珍しく映ったのだろう。誉の家は西洋の建築を模倣してたし、僕の家は日本家屋だった。
「みて、きらきら、見つけたの」
僕は縁側に腰掛けながら、誉が駆け寄るのを眺めた。そんなに急いでいたら、転んでしまう。たぶん、そのような類のことを言ったと思う。
誉は嬉しそうに頬を緩めて、右手を僕に突き出した。そこには、藍色のビー玉が陽光を浴びて煌めいていた。誉はうっとりとしたふうに、その硝子玉を観察する。まるで、お姫様が金のティアラを受け取ったみたいだ。
「本当だ、綺麗」
「私ね、綺麗なものが大好き」
誉は一等大切そうに、ビー玉を人差し指で撫でた。その時の僕は頬杖をつきながら、女の子はそんなものなのだろうな、といった感想を抱いただけだった。
「このきらきらも、夕焼けの空も、私のお庭に咲く花も、全部好き」
「誉さんらしい」
「きりひとさんは、好きじゃないの?」
彼女の問いかけに、僕は数度瞬きをした後、彼女の頭を撫でた。
「ああ、好きだ」
僕の答えに、誉は納得していないようだった。彼女は軽やかに僕の隣に腰掛け、そしてよく透き通る眼で僕を見据えた。
「でも、綺麗なものって、あっという間に壊れちゃう」
「だから、いいんじゃないの」
「……そういうものなの? 私、よくわかんない」
「大人になればわかるよ」
「きりひとさんだって、まだ子供じゃない」
鈴の鳴る声で、彼女は笑う。彼女はどこまでも無邪気な子だ。僕は返答に困り果て、耳の裏をかいた。
「ずっと、ずうっと綺麗なものがあればいいのに。そしたら私は、それをつかまえてみせて、宝箱にそうっとしまい込むの」
その時の僕は、こないだ誉に読み聞かせた、ピーターパンを思い出していた。大人になることもなく、変化を遠ざけてネバーランドで暮らす。それは、本当に幸せなのだろうか。
「泥棒が入ったら、とられてしまう」
僕はからかう気持ちでそう言った。予想通り、彼女は頬を膨らます。
「誰にもとられないように、するもん」
「どうやって」
「じゃあ、私も宝箱の中に入る」
「出られなくなるかもしれないな。間違えて、誰かが鍵をかけてしまうかも」
彼女はそっぽを向いて、「もう!」と呟いた。その様子がおかしくて、思わず口角が上がる。
「でも、そしたら」
誉は迷いもなく、そしてさも昔からの決定事項のように、淀みなく言い放った。
「きりひとさんが、助けてくれるでしょう」
約束よ、そう言って、誉は小指を差し出した。
それから、何年か経った今でも、僕は誉の言葉に絡めとられている。幼い頃の、無垢な口約束に過ぎない。けれどどうして、僕は見て見ぬ振りが出来ないのだろう。
僕には誉が、いつか朽ちてしまうのだと、そうした予感があった。空が移りゆくよう、花や枯れるよう、綺麗なものも滅びを辿るのだ。誉とて、例外ではないのかもしれない。彼女は危うく、そしてどうしようもなく綺麗だった。だからいつの日か、誉を水底から掬い上げねばならぬと、そうした偽善めいた義務感を背負いこんでいるのだ。だから、けして、二人の間に縁が絶えぬよう、歪なやり方でも繋ぎとめておくことしかできない。
***
珍しく、この二人は登場人物から作ったので、気に入っています。
少しずつ、自分の作品を参照に纏めているので、遊びに来てくれたら嬉しいです(こそこそ)
- Re: はきだめのようなもの ( No.18 )
- 日時: 2019/01/05 00:42
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
この世で一等、美しいものを妖精王に差し出すこと。そうすれば、この身にかけられた呪いは、露と散る。きれいなもの、かわいいもの、うつくしいもの。かつては、それら全てをまなこにおさめては、心ときめかせていたものだ。されども彼女の醜い呪いは、それらに対する執着を封じ込めてしまった。
いまいちど、甘く胸を高鳴らせたい。
そう願ってから、いくつめの春が訪れたのだろうか。
美しいひと
「結局、ただの噂話だったってわけね!」
澄み渡る空の下、わたしは盛大に溜息をついた。つまるところ、遣る瀬無いのだ。友人の魔女から伝え聞いた話では、眸から大層うつくしい結晶を産み落とす一族がいるという。遠く、山をいくつも越えた先の田舎村。時間をかけ、慣れぬ山道を歩き、ここまで来たというのに。
「ペネロピ、私の師匠よ。落ち着いて下さい」
隣を歩く手ずからの弟子は、つんと澄ました顔でわたしを宥めてみせる。彼の麗しいかんばせは、いかに凍てついた婦人の心をも、そうっと溶かしてしまうのだ。だって、わたしがそのように作ったのだから。マギ。わたしの、うつくしのホムンクルス。妖精王に献上するつもりだったのに、彼に心が芽生えてしまったものだから、今でもこうして傍にいることになってしまった。
「これが、落ち着いていられるものですか! だって、今度こそはと思ったのに」
「せっかく、秘境の村まで来たのです。今日は祭り事が行われてると聞きます、覗いてみませんか?」
祭り事。その言葉を、胸の内で転がしてみる。ひとたびマギの横顔を盗み見れば、彼のアメジストの瞳は、僅かに熱に浮かされている気がした。意志というものに触れてから日が浅いマギは、こういったものに興味津々なのだ。額に手を当てて、わたしは重々しく頷いた。
「……まあ、いいでしょう」
「さあ、早速行きましょう」
心なしか早足になるマギに、わたしは密かに苦笑する。これでは、ほんの幼子みたいだ。
「ペネロピ、少々お待ちください」
「ちょっと、マギ、ってもう行っちゃった……」
村の広場まで着くと、マギはそう言うやいなや、わたしを置き去りにした。いくつかの出店や、行商人、ちょっとした旅の一座の姿もあってか、なかなか活気があるように見えた。
うららかな春の風が頬を撫でた。村の子どもたちは鮮やかなはしゃぎ声をたてながら駆け回り、大人たちもまたエール酒で春の訪れを祝う。なんて、やわらかな時間だ。この空気に浸っていると、呪いなんて縁遠いものなのだと錯覚してしまえる。大体、マギがおとなしく妖精女王に差し出されていれば、今頃は呪いが解かれていたのだ。こんな辺鄙な場所の祭りにだって、行かずにすんだのに。
「お待たせして、申し訳ありません」
そう、胸中で呟いていたとき。マギが慌ててわたしの元へ駆け寄る。
「いきなり、どうしたのよ」
「いえ、これを見かけたものですから」
彼は硝子細工をわたしに差し出した。小鳥を象った、青色の髪飾りだ。
「……それで、どうしてわたしに?」
「代わりにならないものかと」
「……代わり?」
「まなこから結晶を生み出す一族はいませんでしたが、これも中々美しいと感じたのです」
「あのね、マギ。こんなものじゃ、代わりになんて」
マギはわたしの言い分を聞かず、髪飾りを陽光に透かしてみせた。そうしてそのまま、わたしの髪にあてがう。彼は、唇のふちに、いたくやわかな笑みを浮かべた。
「やはり、とても美しいと思います」
しばらく、言葉が出てこなかった。マギがこんな勝手な行動に出たから? それともあまりに自然な笑顔だったから?
いいや、そのどれもが違うことを、本心ではわかっていた。要するに、予想外の台詞に、不本意ながら照れてしまったのだ。この、稀代の錬金術師たるわたしが、ホムンクルスに対して。
「……もう、帰るわ!」
「ペネロピ、どうかしたのですか」
「知らない、知らない、知らない!」
言葉任せに叫びながら、急いで踵を返す。ああ、もう、これでは馬鹿みたいだ。この調子では、呪いが露と散るなんて、随分先のことだろう。頬に熱がはらんでゆくのを感じながら、そう思いを馳せた。
***
自サイト「無色透明」で掲載していた、オムファタールという中編の小話です。
リハビリで、メモ帳にあった話を最後まで書きました。
この二人を書くの、バタバタして楽しかったです。
- Re: はきだめのようなもの ( No.19 )
- 日時: 2019/06/16 10:35
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
心臓の音が耳朶を打つ。イェルダはいたく動揺していた。
乗客も疎らな中、列車は雨の中を進んでゆく。黒々と垂れ込めた雲を眺め、イェルダは震えが止まらなかった。
金の砂塵
イェルダという娘は、とおく異国の地のたもとに生み落とされた。世にも珍しい、深い琥珀のまなこを持つ民。イェルダは、その血の連なりにあった。
人攫いが目を付けたのは、ただ、それだけが理由だったのだ。若く、至上の眸を持つ娘は、ある日を境に売り飛ばされた。稀代の芸術家の渾身の一作や、世から世へと主を渡り歩いた真紅の指輪。ありとあらゆる什宝を蒐集した、老齢の豪商の元へと。
それからの日々は、世事など疎いイェルダにとって、酷薄なものだった。食餌など、欠片ほどしか与えられず、僅かにでも主の気に障れば、拳を振るわれた。
だから、イェルダは館に火をつけたのだ。彼女はさいわいに恵まれた。膨大な砂漠の中から、まばゆい一粒の好機を見つけたのだった。そうして、イェルダは裸足で駆け抜けた。道中で金をくすね、あるいは泥水を啜り。生にしがみ付いて、イェルダは逃げ延びたのだ。
とにかく、遠くへ行かねばならぬ。琥珀のまなこが厭わしくて仕方がない。このままでは、ふたたび同じ目に遭わされるのだから。
ゆえに、イェルダは隣国を目指した。彼処の国は、奴隷制が廃止されていると聞く。なんとしてでも、たどり着くのだ。
かくして、擦り切れた衣のままに、イェルダは夜行列車に飛び乗ったというわけだった。
無骨な列車の椅子に深く腰掛け、イェルダはぼうと外を眺めていた。時刻は夜半を回る頃だろう。豪商の館から、随分遠くまで来たものだ。窓硝子に映る彼女の面は、あどけなくも鬱屈としたものをたたえていた。
うつら、と舟を漕ぐ。イェルダは疲弊していた。瞼は重く、肢体は鉛のようだ。コンパートメントで仕切られているため、周囲に人はいない。イェルダが、たやすくも意識を手放そうとした、その時。
「そこのお嬢さん」
ふいに声をかけられて、イェルダの肩が大きく跳ねた。恐る恐る、廊下の方へ視線を向ける。そこには、帽子を目深に被った青年が佇んでいた。かなりの上背があり、手狭なコンパートメントの中では、窮屈な印象を与えた。
「ご一緒しても?」
そう問われて、イェルダが被りを振ることなど、到底できそうになかった。何故なら、青年は言葉を返す前に、向かいの席に座ったからだ。
青年の古めかしい外套は、雨に濡れていた。彼は悪戯めいたように肩を竦める。
「外は大雨だし、参ったね。それで、お嬢さんは何処までいくんだ? こんな夜更けに、一人きりで?」
青年は気さくに話しかける。その口角は、軽薄そうにつり上がっていた。
「……祖母のところへ、お見舞いに行く途中なんです。父さんや母さんは仕事が忙しいから、あたし1人で」
「へえ」
イェルダは必死に嘘を並べ立てる。怪しまれてはいけない。ここまでしてきたことが、全て泡と帰してしまう。
青年は納得したように顎を指で撫で、次に大仰に脚を組んだ。彼の仕草はどこか悠然さを帯びていた。憔悴したイェルダのかたわらにあっては、殊更。
「しかし、一人旅は寂しいだろう。俺で良ければ、君の話し相手になりたいのだけれど」
「……ありがとう、えっと」
「テオドール。テオでいい」
「ありがとう、テオ」
小さな声で、イェルダが礼を述べる。彼女は困惑していた。厄介なことになった。眼前のテオドールという男は、妙に計り知れぬところがある。僅かにでも尻尾を見せれば、一瞬にして全てを見抜かれてしまうのだろう。
「テオは、何処へ行くんですか?」
「実は、まだ決めてないんだ。でも、いろんなところへ行ってみたいな。人で溢れた大都市や、片田舎の牧歌的な村もいい。ああ、でも」
半ば、独白のようなものだった。テオドールは声を弾ませて、言葉を手繰り寄せた。
「隣国へ物見遊山、でもいいかもね」
イェルダの頭が、さあと冷えてゆく。まさか、気づかれたのだろうか。けれども、何故?
急いた思考を巡らせたのは、ほんのまたたきほどのことだった。
「他所の国に行ってみたいんだ。仕事柄、あまり国境を跨ぐことはなかったからね」
あまりに自然な息遣いで、テオドールがそう告げるものだから、イェルダは密かに胸を撫で下ろした。
良かった。まだ、悟られていないのだ。
けれどもこの調子では、イェルダの心臓がもたない。彼女は矢継ぎ早に、次の一手を投じてみせた。
「どんなお仕事をされているんですか?」
「退屈な仕事さ。ずうっと、一つところにいて。同じやつの顔を眺めてさ」
テオドールはうんざりしたように、ため息を一つついた。その様子は幼子めいていて、思わずイェルダはくすりと唇を綻ばせてしまう。
「それで、長いいとまを取って、観光へ?」
「……うん、そうだね」
帽子を深く被ったテオドールの、陰を落とした口元が、仄暗く嬉しそうに緩んだのを、イェルダは見逃さなかった。ぞわりと背筋が粟立つ。
テオドールは身を僅かに乗り出した。薄く開かれた唇から、生々しい舌がちらつく。
「さあ、今度は君が話す番だ。さもなくば、不公平というものだろ」
テオドールの目元までは見ることは叶わぬ。だけれども、きちりと視線が交錯した気がした。
「なあ、イェルダ?」
自らの名を聞いた時、イェルダは息を呑んだ。紗の幕のように覆われた、長い前髪の向こう。彼女の双眸は、ゆっくりと、確かに見開かれていた。
テオドールはくつくつと喉を鳴らし、帽子に手をかけた。さらけ出されたのは、うつくしい糖蜜の髪にまぎれた、褐色の角だった。
魔術師だ。イェルダは直観した。人を模した、異形のもの。だけれども、どうして魔術師が。
「愚かなイェルダ。君は、疑うことを知らないのか? 非力な小娘が、いかにしてあの館を一人きりで抜け出せる?」
「……あなたは、だれ?」
イェルダの唇がわななく。
テオドールは邪気のない、虚ろの笑みを浮かべた。彼のよく熟れた真紅の瞳が、ゆるやかに細まる。イェルダは、その色をよく知っていた。
「手酷いな。俺たちは、主を違えることなくまつろう、同胞だったというのに」
主。あの、豪商のことか。だとしたら、テオドールは。
イェルダは必死に記憶の糸を手繰る。
真紅の、瞳。そうだ。イェルダがあの忌まわしい館に連れてこられてから、ずっと。繰り返し、この目におさめてきたではないか。
醜い豪商の指には、いつだって真紅の宝石が飾られていた。それを視界の端に捉えるたびに、イェルダは見張られているような、気味悪い感覚に足を竦められたのだ。
「ひとめまみえた時から、一等哀れに思っていた。だから、手を貸した。いい加減、あの主には辟易していたから」
テオドールは、イェルダの手をそうっと取った。 体温は、全く感じられなかった。手を引っ込めようと力を込める。だけれども、ぴくりとも動かぬ。
「イェルダ。君があの豪商にナイフを突き立て、館に火を付け、殺したその瞬間から」
世から世へと主を渡り歩いた真紅の指輪。本当だとしたら、目の前の男は。
「君が、俺の主になったんだ」
不意に、イェルダの口から、乾いた笑い声が漏れた。テオドールは笑んだまま、かすかに首を傾げる。
「……だとしたら。本当に、そうだというのなら」
溜め込んだ澱を、時間を掛けて吐き出すように。イェルダは切望した。
「あたしの、逃亡に、手を貸して下さい」
「……うん」
テオドールが何かを促すように頷いた。彼は、待ち望んでいるのだ。そのことにイェルダははっと気づき、目を瞑る。そうして、言葉を続けた。
「あたしの命を守って。あたしを殺そうとするものを、この両目を狙うものを。全部、全部殺して」
感情の波が、堰を切る。閉ざされたイェルダの瞼から、つうと雫が垂れ落ちた。
イェルダは、そのまなこを除けば、凡庸な娘だ。豪商の館に来るまで、虫だって殺せぬ、臆病者だった。だけれども、彼女は。豪商の、そして彼の館で働く人の命を、根こそぎ燃やし尽くした。
「新たな我が主。その命、確かに」
いつのまにか、イェルダの人差し指には、あの指輪が嵌められていた。
イェルダは、砂塵の中から黄金を手にした。されども、彼女は知っている。いつか、テオドールは己れを殺すのだ。逃げ延びねば。そのために、彼を利用する。
イェルダが彼を睨め付ける。
テオドールは、丁寧に三度瞳をまたたかせた。そして、ただ愛おしそうに、彼女の指を撫でたのであった。
***
半年ぶりくらいに、多分何かを書きました。
Twitterやらなろうやら、アカウントを作っては消して。
そろそろ、どこかへ羽を休めたいです。