複雑・ファジー小説
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- 「知恵と知識の鍵の騎士団」完結
- 日時: 2017/07/07 23:17
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
本日、某小説の新人賞の落選が確定して、
悔しくて仕方がないいずいずです。
ほとんどの方がはじめましてですね。
はじめまして。
覚えていてくださった方、ご無沙汰しております。
「Family Game」ではたいへんお世話になりました。
また「女王陛下に知らせますか?」が途中になっててすみません。
またよろしくお願いいたします。
実はこのお話、今年の1月5日に急に思い立って、
6日間で仕上げて投稿したお話です。
結果は上に書いた通り落選してしまいましたが、
でも、新人賞取れなくてもいいから早くみんなに読んでもらいたい、
そんな気持ちを、書きあげてからずっと抱えていたので、
今日、ここにアップできること、
ほんとうに嬉しく思います。
これは完結したお話なので、
お待たせすることなくさくさく更新していくと思います。
「女王陛下に知らせますか?」とリンクしたお話なので、
「女王陛下に知らせますか?」を待ってくださるあいだに
(そんな奇特な方、いらっしゃるのかしら?)
お目を通してくださるとうれしく思います。
とりいそぎ、ご挨拶まで。
いずいず拝
*******************************
『Family Game』紹介 >>1
『朝陽』紹介 >>2
『女王陛下に知らせますか?』>>3
プロローグ >>4 >>5
1章 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>11 >>12
2章 >>13 >>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21
3章 >>22 >>23 >>24 >>25
エピローグ >>26
あとがき >>27
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章1 ( No.13 )
- 日時: 2017/06/24 20:38
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
2
あとになって冷静になって、なんであのときあんなこといったんだろうって海よりも深く反省することって、人生に一度や二度あると思う。
俺はいままさにそのさなかにいた。
「…………」
右から左から、俺たちを探す怒鳴り声と足音がやまない。ミスタとヴァリタはどうしたんだ。俺一人で、シアーシャをどう守れっていうんだ!?
車両と車両と繋ぐデッキに、俺はシアーシャを抱き上げて立っていた。風がびゅうびゅう痛いくらい当たって、シアーシャの服と同じ色の帽子はもうとっくに飛ばされて眼下の川の中だ。
先頭車両にも、後方車両にもオルグレンのクソどもが乗り込んでいて、やつらは自分の推す王子を国王に据えるため、シアーシャを掴まえたいのだ。あほか! シアーシャを掴まえたからって王になれるわけじゃない。王になったものに、シアーシャが神の言葉を伝えるってだけなのに。世の中のクソどもは、モルシアンの役目をちゃんと理解していやがらねえ!
「……なあ、シアーシャ」
俺はシアーシャをデッキにおろした。
いくらヴァリタが凄腕の戦士でも、いくらミスタ・ブラウンが有能なホテルマンでも、あれだけの数を相手に次の停車駅までしのぎ切れるとは思わない。遅かれ早かれ、やつらはここにくるだろう。
「兄というものはな、妹を守るために先に生まれてくるんだ」
俺はコートのベルトを外し、シアーシャの細い右手首に括り付ける。そのあとで自分の左手に括り付けると、腰をかがめ、目線をあわせる。
「だから、俺を信じろ。いいな」
「……」
シアーシャから返事はない。当然だ。彼女はまだなにもわからない、まっさらな赤ん坊のようなものなのだから。でも、その満月の瞳は理知的な光を帯びていて、すべてを理解し、俺を信じているような気がしてくるから不思議だ。
「さあ、おいで」
腕を広げて彼女を抱き上げる。飛ぶように流れ行く景色から視線をさげ、青々と水を湛えた川を見下ろす。
汽車を離れるなら、鉄橋を走っているここ、下が川のいましかない。山肌に添った線路に入ってしまえば、飛び降りたところで簡単に後を追ってくるものもいるはずだから。
——畜生、おひとよしすぎるだろ、俺!
心臓がバクバクうるさい。いまの自分の位置と川との距離を考えると、目がくらくらしてきて、気を失いそうだ。
あんな手紙に同情したから! ヴァリタをいい女なんて思ってしまったから! ミスタが出ていけっていったときに同意しなかったから! そもそもハーゲルの軍人もどきからこいつらかばったのミスタじゃねーか! 責任持てよクソ野郎!!
恐怖に足がすくむ。川が深いかどうかわからない。そもそも逃げなくても、どっちかにシアーシャを渡してしまえば、俺の命は無事なんだ。それだけで済むことなんだ、オルグレンが今後どんなことになるかなんて、シアーシャの母親が死んでしまったからって俺にはどうでもいいことだ。そうだ、渡してしまえば——、
(常に堂々と振る舞い、騎士である身を忘れることなかれ)
俺はぐっと歯を食いしばる。
「——いたぞ、デッキにいる!!」
前方からそんな声が聞こえた。すぐに後方からも追手の姿が見えるだろう。
シアーシャの細い腕が、わかってかわからないでか、俺の首に回される。ちいさな、ちいさな俺の同胞。美しいグリーンランドの大地の少女。
——グリーンランドの男はバカでろくでなしだが、やるときゃやるんだ畜生!!
俺はデッキの床を力強く蹴った。
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章2 ( No.14 )
- 日時: 2017/06/25 21:23
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
*
ミスタ・ブラウンが、ライトホールド・ロイヤルホテルに、休暇の延長願いとスイートルームを押さえておくよう指示を送るためにむかった電話室からの帰ってきたとき、彼の眉間のしわはますます深くなっていた。
「どうかなさいましたか?」
ヴァリタもそれに気づいたのだろう。編みこんでいたシアーシャの黒髪をほどき、梳っていた手を止めて、彼に尋ねた。
車掌が乗車券をあらために来るときだけ車窓から外に出ることを約束したヴァリタは、本来は俺の席だった座席に座って甲斐甲斐しくシアーシャの世話を焼いている。ひとつの動作をするたびに、これはなんという動作、これはどうという動きなどと必ず言葉と動作を結びつけるように話しかけていると思えば、歌ったり、ささやかな昔話を話して聞かせている。そんなに言葉を覚えさせては、母親に会った後、モルシアンに戻れなくなるのではないかと思わず心配する俺に、「そのときは、わたくしが養って差し上げます」と即答したのだから、そんな覚悟はとうに決まっていたのだろう。
ただ、それもあくまで母親に会えてからのこと。問題はそれまでの旅程だ。不機嫌そうなミスタ・ブラウンの顔がより不機嫌になっていると、なにかあったのかと不安になる。
案の定、彼はろくでもない情報を得てきた。いわく、
「モルシアンが神殿島を抜け出していることがオルグレンでも噂になっているそうだ」
「なんてこと」
ハーゲル国内最終駅での車内点検が長く、時間を取ってまで行われたのは、エストリュースとハーゲルが事実上同盟国である背景がある。
エストリュースは年中冬のような気候のため、作物がほとんど育たない。そのため、食糧の支援を隣国であるハーゲルに頼っているのだそうだ。ハーゲルはハーゲルで、エストリュースへの巡礼客の落とす金によって国内が潤っている部分もあり、エストリュースへの協力はやぶさかではないらしい。
そういうこともあり、ヴァリタとシアーシャをオルグレンに逃がしてしまう前に、徒歩や馬車、車での国境越え、および南北鉄道の検問を夜が明けてなお厳しく行っているようだとは、ミスタ・ブラウンが得てきた情報だ。
ちなみに、最果ての島であるシューテからよくここまで無事に逃げてこれたなと聞いたとき、ヴァリタはにっこり笑っていった。
「わたくし、自分の顔が殿方に与える影響をよくわきまえているのです」
それで、あの背負い袋の中のお金なのですわ、とコロコロ笑われては、口説き文句も喉に引っ込む。正直、この女は俺の手に余る。
閑話休題。
まあ、そんなことから、ヴァリタとしては、オルグレンに入ってしまえば以降のライトホールド、バンクロフト、東グリーンランドまでの道のりは比較的穏やかにすむと考えていたらしい。なにせ、オルグレンとハーゲルは非常に仲が悪い。モルシアンが逃げたので手を貸してくれとはハーゲルは絶対にいわないだろうし、いわれたところでオルグレンは絶対に応じなかっただろうから。
ただそれも、直接依頼があった場合、だ。そして、オルグレンがいままさに死を目前にした国王と、王太子派、反王太子派でもめにもめている議会を持っていなかった場合、だ。
敵対国ハーゲルを抜けてではないと会いに行けない、王権を授ける神の依り坐し・エストリュースのモルシアンが国内にいるとわかれば、誰もが競ってその身を奪いにかかるだろう。モルシアンが神の言葉を授けさえすれば、自分が推す王子が、あるいは自分自身が王になれるかもしれないのだから。
——こんなちいさな子がひと目親に会いに行く間ぐらい、どうしてそっとしておけないのかね。
権力欲に取りつかれた意地汚い大人たちを心の中でバカにしていたときだった。
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章3 ( No.15 )
- 日時: 2017/06/26 20:18
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
「遅かれ早かれ、また検問に引っかかるだろう。最初の駅でひとまず降りるぞ」
「へ?」
壁際に垂らすようにして畳まれていたテーブルを引き上げ、支えをはめ込むと、その上にどこかから仕入れてきた地図を広げ、ミスタ・ブラウンが指でルートを辿ってみせる。
「そこで、ホテルマンの仲間が、そちらのふたりの旅券と衣服を用意してくれている。受け取ったら、時間はかかるが、南北鉄道ではなく、別の路線で移動する。この乗車券も手配してもらっている」
おお、さすが有能なホテルマン。仕事が早い。いちばん高い部屋を一週間貸し切り、専属ホテルマンにした甲斐はあったんじゃないか。
「ただ、状況によっては車でライトホールドに入ることも考えておいた方がいい。ミスタ・マッカリース、運転は?」
「できるが同乗はお勧めしない。女がいうには俺はスピード狂らしい」
「結構。ハンドルはおまえに任せる。ナビゲートはしてやるが、どのルートを通ってもライトホールドに入れるように、いまのうちに地図を頭に叩き込んでおけ」
「マジかよ! 責任もてねぇぞ!?」
返事はなかった。すでにミスタ・ブラウンはコンパートメント内の自分の荷物をまとめに入っている。仕方なく、俺も地図を頭に入れはじめるが、俺のハンドル捌きに不安を感じたのか、ヴァリタがおずおずと意見を口にする。
「それでしたら、この、トルキアケにむかう汽車に乗って、トルキアケ、ユスタベリ経由でバンクロフトにむかっては?」
確かにバンクロフトに入り、東グリーンランドに辿りつければ、どのルートを使おうが問題ない。ミスタとしては自分のホームグラウンドだからライトホールドに立ち寄りたいのだろうが、もしトルキアケ、ユスタベリルートのほうが安全であるなら、そっちを選ぶべきだと俺も思う。
しかし、ミスタ・ブラウンは、ヴァリタの提案を却下した。
「考えないでもなかったが、オルグレンさえ抜けてしまえば、ライトホールド経由で東グリーンランドを目指した方が安全で手っ取り早い」
「安全で、」
「手っ取り早い……?」
どういうことだと地図から顔をあげて彼を見れば、意外に片づけ下手なのか、中身があふれ、締まらない旅行鞄に悪戦苦闘している。手伝おうとしたヴァリタより先に、ミスタはシアーシャを抱き上げると旅行鞄の上に座らせ、それでなんとかふたを閉めた。
——心からお仕えするといった相手になにやらせてるんだ、こいつ。
ミスタ・ブラウンはもう一度シアーシャを抱き上げると、そのまま何事もなかったかのように、呆れて見上げる俺たちを見下ろし、ライトホールド・ルートを選ぶべき理由を述べた。
「ライトホールドに入れば、女王陛下にお目通り願える。あの方はご自身も親を知らぬままお育ちになったので、モルシアンには同情なさるだろう。おまけに陛下のご夫君はバンクロフトの元軍人でいらっしゃる。東グリーンランドまでの安全を保障していただけるはずだ」
「でも、そんなにも簡単に、一国の王にお会いできますものかしら」
手を差し出し、ミスタ・ブラウンの腕からシアーシャを引き取ると、その膝に座らせたヴァリタが尋ねる。もっともな疑問だったが、ミスタには愚問であったらしい。
「あなたは、誰を専属ホテルマンに任命したのかよくご存じないようだ」
「——っ!」
ヴァリタが頬を紅潮させた。なるほど、女がときめきそうな台詞だ。あなたは、誰を専属ホテルマンに任命したのかよくご存じないようだ。今度使ってみよう。
俺はひたすら地図を頭に焼き付ける作業に戻った。
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章4 ( No.16 )
- 日時: 2017/06/27 22:49
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
予定通り、オルグレン最初の駅で俺たちは下りると、ミスタ・ブラウンの襟章と同じ、開いた本の間に鍵が置かれた金色の襟章をつけた年輩の男が迎えてくれた。
「旅券に貼る写真は、写真館がすぐに用意してくれる。ご婦人方のお着換えは、そちらでいっしょに」
「わかりました」
「ご婦人の旅券はこちら。名前はアーネ・アンデルセン。リクエスト通り、ハーゲル風にしておいた。お嬢さんのはこちら」
「ミスタ・マッカリース! おまえのファミリー・ネームの綴りはこれで間違いないか?」
突きつけられた旅券には、なぜかシアーシャ・マッカリースとタイプ打ちされている。
「なんで、俺のファミリー・ネームが」
「あっているのか、いなのか」
「あってますぅ!」
よしと身を翻し、旅券をコートの内ポケットにしまいながら、ミスタ・ブラウンはおっさんとともに、おっさんが用意していた車へとむかう。その後ろをシアーシャと手を繋いだヴァリタがついていく。目線がついついシアーシャの背を追う。
見たのは一瞬だったが、見間違えるわけなかった。シアーシャの旅券に記されていた住所は、俺の、グリーンランドの実家のものだった。
「…………」
腹の底のほうがなにやらほかほかとあたたかくなる。
ミスタ・ブラウンがどこかで俺の旅券をチェックしたのか、それともあの有能そうなおっさんが調べたのかわからないが、シアーシャ・マッカリースか。いいじゃないか。ずいぶんと子どもの頃に、妹が欲しかったような気がするし。
——ちょっとお兄ちゃん、頑張るか!
エストリュースの民族衣装は島内では目立ちすぎる。そういってミスタ・ブラウンが用意させていたワンピースに着替えたシアーシャとヴァリタは、身につけた衣装云々の話ではなく、存在自体が目立つのだと、ミスタ・ブラウンに頭を抱えさせていた。
「おー! 可愛いじゃないか、シアーシャ。さすが俺の妹!」
かわりに俺は実に能天気な声をあげる。頭を悩ますのはミスタの仕事。俺は、兄として、年の離れた妹を守るのが仕事だ。こういうときは誰よりも全力で褒めればいい。
実際、頭を抱えるミスタ・ブラウンの気持ちはほんとうに理解できた。編みこんでいた黒髪をほどき、背中に流して、赤いベルベットのワンピースに同じ色の帽子をかぶり、白いタイツと黒のエナメルの靴を履いたシアーシャは、いままでに俺が見てきたどんな女の子よりも可愛かったのだ。
おいでと手を広げれば、それが抱き上げられる合図だと結びつくようになったのか、とことこと近寄ってくる。抱きしめ、腕に抱き上げると、衣装をあらためたヴァリタが微笑みながらそばにきた。
「すっかりお兄さま子になってしまわれて」
彼女は深い緑の清楚なワンピースを身に纏い、すでに外套とベールのついた帽子もかぶっている。とにかく目立つなとミスタ・ブラウンに命じられ、なるべく顔や体のラインが出ないように気を遣っているらしいが、それが逆に禁欲的に感じられて、写真館の枯れたような親父ですら、顔を赤らめるほどだった。
逆に俺は、口説きたいと思っていた昨日がまるで嘘のように、彼女を眺めていた。彼女の目線の先に、シアーシャ以外の人物があるようになって、興味が薄れたせいもある。
ふと悪戯心がよぎって、その耳にささやきかけてみる。
「あなたは、誰を専属ホテルマンに任命したのかよくご存じないようだ」
「——っっ!!」
途端ヴァリタが顔を真っ赤にして飛び離れる。おお、面白い。
「惚れたの?」
ニヤニヤしながら尋ねてみれば、耳まで真っ赤にしてヴァリタがいいよどむ。
「シアーシャの前で……!」
「シアーシャの前だろうが、誰の前だろうが言い訳つかないぐらい真っ赤だぜ、アーネ・アンデルセン。それに、人が人を好きになるのは、原始的な行為の一つじゃね? シアーシャには、むしろおおいに見せつけてやった方が教育にはいいと思うなぁ」
「からかわないで、アレスター・マッカリース!」
腕を振り上げて怒るヴァリタが幼い少女のように可愛くて、口元が緩むのが止められない。笑って逃げようとしたら、今度は俺の耳元でくすくす、くすくすちいさな声がする。
——え?
そちらを見ようとした瞬間と、ミスタ・ブラウンが「写真ができたぞ!」と待合室のドアを開けたのはほぼ同時で、俺があらためてシアーシャの顔を見たときには、彼女はいつもの無表情のままだった。
笑い声が聞こえたのは気のせいだったのか?
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章5 ( No.17 )
- 日時: 2017/06/28 21:37
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
島内を南北に走る鉄道から、乗り換えやあえての乗り過ごしを何度となく繰り返し、この間に稼げた距離は、南北鉄道の約半分。あのままシアーシャたちに出会うことがなければ、いまごろはライトホールドに入国していただろう。グリーンランドまでの一等車の乗車券が文字通りぱあになってしまったのはほんとうに惜しかったが、
「……マジかよ」
旅券を用意してくれていたあのおっさんがオルグレン国内で手配してくれていたホテルを見て、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
もともとは貴族の城だったという建物を造り替えた豪奢なホテルで、南北鉄道のコンパートメントとは天と地の差だったのだ。
おまけに、ミスタ・ブラウンのあとに続いてエントランスをくぐる際にはドアマンに笑顔で迎え入れられ、館内の移動にはベルボーイが付き従い、四人で通された最上階の超高級スイートルームには部屋専属のバトラーがいるありさま。
こののち俺がどんなに役者として名をあげても、おそらく一生泊まることはできない、そんな素敵ホテル! マジか!!
——なのに。
二室ある寝室の、相部屋の相手はミスタ・ブラウン。なんだろう、この寂しさ。せめてシアーシャと交換してくれ! などといったら、ミスタ・ブラウンと同室になるヴァリタに張り倒されかねないので黙っているが。
「……それで、ホテルマンの仲間から来た情報によれば、オルグレンではすでにモルシアンたちは国内に入っていると判断し、海路陸路すべてに検問を設置、二十四時間体制で監視しているらしい」
リビングのテーブルに地図を広げ、それを鋭い目で見つめながら、ミスタ・ブラウンがいう。
この広すぎるリビングにいるのは俺たちふたりだけだった。
エストリュースを出て以来、精神が休まる暇がなかったのだろう。ここは安全だというミスタ・ブラウンの言葉によっぽど安心したのか、ヴァリタは崩れ落ちるように眠ってしまったのだ。彼女と、うつらうつらと船を漕ぎはじめたシアーシャを彼女たちの寝室に放り込んで、男だけで作戦会議中だった。
とはいえ、一介のホテルマンが、いったいどうやってそんな情報拾ってくるんだよ。すげえな、ホテルマン・ネットワーク。
「それで? 検問と監視が解けるまでの間、ここで過ごすのか? 俺はいいぜ? こんなホテル、もう一生泊まれないだろうし」
食事もうまかったし、提供された酒も極上だった。しかもこの宿泊料金はすべてミスタが所属している、島内最大のホテルマンの組織からまかなわれるというのだから、頼まれないでも何泊だってしてやるつもりだ。
だが、ミスタ・ブラウンは、シアーシャとヴァリタの一週間限りの専属ホテルマンだ。そうのんびりしてもいられないのだろう。軽口をたたく俺を鋭い目でにらみつけると、
「幸い、検問で止められているのは主に女子供のふたり連れだと聞いた。モルシアンとヴァリタが私たちと行動していることは、まだ気づいていないらしい」
……だから、どうやって仕入れてくるんだそんな情報。
「長居をすればどこかで情報が洩れる。明日のうちに、ライトホールドまで行くぞ」
「へえへえ」
「そこでだ、ミスタ・マッカリース。おまえにもうひとつ、覚えておいてもらいたいことがある」
「なんだ? もう一枚地図を覚えろって? 俺は記憶力には自信があるが、できれば文章のほうが助かるんだが……」
「——いまからこの地図の上に、私が印を描いていく。その位置と、どこにいてもそのどこかには辿りつけるルートだ」
「マジで地図かよ!!」
文章にしてくれた台詞ならいくらでも頭に入るが、また地図! 思わず頭を抱え込みそうになる俺に、彼はその印がなにを指し示すのか教えてくれた。
「仲間がいるホテルだ。明日なにがあるかわからない以上、覚えておいて損はない」