複雑・ファジー小説

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【完結】春風の向こう側
日時: 2021/09/01 01:54
名前: ガオケレナ (ID: k98DLrCp)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12355

※この物語は、実際の事件や出来事を基にした完全なるフィクションです※

 風の吹く先には、何も無かった。既に満たされていたからだ。それに気付かなかった。気付けなかった。

 突然全ての記憶を失くした私は何者で、何処で、何をしていたのか。すべてが思い出せない。

 残された手掛かりは三つ。

 その手掛かりを追いながら、私は己がこれまで導いてきた答えを改めて覗くことになっていく。

 これは、私のこれまでと、そしてこれからを紡ぐー私の物語ーだ。


以下は順次追記予定

【主な登場人物】

私……作中の主人公。とある出来事がきっかけで記憶を失い、自分が何であるのかの一切を忘れてしまう。本名はパルヴィーズ。

レザー……私の弟。娘がいる。

マリアン……レザーの娘で私の姪。記憶に関する知識を披露する。

【しおり】

第一の手掛かり……>>1-7

第二の手掛かり……>>8-13

第三の手掛かり……>>14-20


改めましてガオケレナです。
普段は二次創作板でコソコソと自己満でしかない作品を書き続けていた私ではありますが、今回私が本来書きたかった、そして本当に伝えたかった事の一部を表してみようかなと思い遠征する事にしました。
あまり長くはない作品を予定しておりますが、その時までどうぞ宜しくお願い致します。

※コメントは雑談板の私のスレかTwitter垢へ宜しくお願いしますね※

☆2020年冬大会にて副管理人賞を頂きました。応援ありがとうございます☆

Re: 春風の向こう側 ( No.12 )
日時: 2021/01/24 01:15
名前: ガオケレナ (ID: uCPU0kM7)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no


『バスラに行くらしいな?』

『はい……、そのようです』

 俺はきちんと言いつけを守った。例のバイクで隣の駐屯地まで赴き、渡された小包をそこの将校に渡す。

 その時に言われた言葉だ。

『本気か? カルバラーチャハールで上手くいかなかった癖にか?』


 そんな事を新人の俺に言われても分かる訳がない。そもそも、将校と訓練兵上がりが同じレベルの会話をしている事自体俺にとってはおかしい。

『指導者たちは今年の六月までにはこの戦争を終わらせると宣言しています。支援も武器も有り、目的地まで近くに来ている以上進むのが賢明かと』

 そこで俺は、誰に対しても返事が出来るように上層部うえが考えた原稿スピーチをそのまま暗誦する。指導者の意向を含んでいる以上相手は頷くか、こんな下っ端が偉そうな事を言っているがために呆れるかのどちらかだ。要するに、こんな無意味な会話を終わらせる事が出来る。

『ふん、まぁいいだろう。俺としてもいい加減こんな戦争を終わらせたくて堪らなかったからな。いいだろう。そちらの部隊と同様に進もう』

 その将校はとにかく偉そうだった。自分だけ柔らかめの椅子に座り、人を見下す目をしながら煙草を口に咥えている。と、思うとガラにもなく本音を煙と同時に吐いてみせた。

『では、私はこれにて失礼します』

『まぁ待て。すぐに戻るよう言われているのか?』

『いいえ?』

『なら、今日はここに居てもいいだろう。お前一人増えた所で場所に困るほど逼迫ひっぱくしてはいないからなぁ?』

 どうやら俺は気に入られたようだ。よほど俺の演説に痺れたらしい。誰でも答えられる代物であるにも関わらず。かなり単純のようだ。

 俺は兵舎に連れられた。中に十人ほどが寝られる小さな小屋だ。
 俺はこの兵舎が嫌いだった。狭い空間に何人もの人間が押し込まれ、中は汗と体臭が混じって不快な臭いもするし、時折それに屁が混じる。

 不潔極まりないと俺は誰が見ても分かるように不快感を顔で示す。しかし、俺にそこまで興味を持って見てくれる人が居なかったので何も起こらなかった。

『お前の部隊には俺が連絡しておこう。だからまぁ、今日はここで休んでいってくれや』

 そう言うと将校は機嫌が良くなったのだろうか、自慢げに口から煙を高々と吐くと自分の持ち場へと去って行った。

 俺は複雑な心境だった。此処でどう休めと言うのだろうか。周りは知らない人のみ。もしかしたら訓練時代に一緒だった者も居るかもしれないが、俺がそんなのを覚えている訳が無い。

 今すぐに動けとの指令も無い。俺は居心地の悪いこの兵舎で適当に休むことにした。

 翌日。
 
 号令が上がり、周りのむさ苦しい男どもと一緒に飛び起きると軽く身支度を整え、外に出ると朝礼が始まる。
 全員が同じ歩幅で集合し、全員が同じタイミングで列を整える。俺はその端に立って将校が来るのを待った。

 上官特有の嫌な目をぎらつかせながら、人員の確認と必要事項の伝達を進めていく。彼曰く、近くイラク国内のバスラに向かう事を決めたとのことだ。

 朝礼が終わると、俺はヘルメットを付けながらバイクのある方へと歩く。すると例の将校がやって来た。

『戻るようだな』

『えぇ。動向も気になりますし。私の為に休息を下さり、ありがとうございました』

『なに、いいって事よ。戦争でも終わったら……どこかで一緒に酒でも飲もうや』

 続けざまに彼は更に一歩寄り、俺に耳打ちして来た。

『外国から隠れて仕入れて来た良い物があるんだよ』

 俺はそれを引き気味に聞き、彼の顔を凝視しては目が合った。彼は至って真面目に悪さをする子供のような顔をしていたが、俺があまりにも驚き惚けているのでばつの悪い顔をしては俺の背中を叩く。

『なんでもない。さぁ、行け』

 言われるまでもない。俺はオンボロのバイクに力を伝わらせるとけたたましい音を響かせて走り始めた。

 それから。
 目的地までもうすぐで中間点に差し掛かる頃。

『ん?』

 妙だった。

 妙な方向から、妙な飛行機が三機ほど上空を飛んでいる。

 それがイラク軍機だと知った時には、バイクのスピード以上に全身に悪寒が走った。

 バスラへの軍事作戦は一ヶ月前に失敗している。にも関わらず同様の作戦で突き進もうとしているのだ。相手が警戒していないはずがない。

 恐らくアメリカ製の飛行機が宙を舞っては俺と同じ方向へと飛んでゆく。俺に対して攻撃して来なかった理由はよく分からないが、爆弾が落ちてこなかった事に一旦は安堵したものの、少し冷静になってその理由を知った。

 駐屯地が危ない。

 俺は変わらず最高速でバイクを飛ばすも、戦闘機に敵うはずがない。
 しばらくして爆弾の落ちる音が立て続けに鳴り響く。

 余計な感情が消えた。
 今はとにかく戻らなければならない。戻って直ぐにバスラに行かなければならない。でないと、この戦争は終わらないからだ。

ーーー

 俺は、駐屯地"だった"ところで立ち尽くしていた。
 建物からテントまで、その悉くが破壊され今も燃えている。
 そしてそれは人も同じだった。

 動ける者は各々の力で突き進んでいた。中には掘り途中だった塹壕に隠れて身を防ごうとしている者まで居る。

 だが、肝心のバフマンの姿が見えない。

 俺は両手で銃を固く握り締め、辺りを注意深く確認しながら敵とバフマンの両方を探す。

 バフマンはすぐに見つかった。地べたに倒れ、苦しそうに悶えている。俺は彼の名を叫んだ。

 彼に近付かんと左手を伸ばした直後。

 真隣で爆弾が炸裂した。

 それが空から落ちてきた物なのか、それとも前方から敵が投げた物なのか。それはよく分からない。

 だが、その結果俺は爆風で吹っ飛ばされ、破片と衝撃で血を飛ばす。

 固い砂利の上に俺もゆっくりと倒れる。
 遂に、この戦争の終わりを見る事は出来なかった。

 薄れゆく意識を掻き消したのは爆発音と銃声であった。

ーーー

 次に目を覚ましたのは、野戦病院の中だった。

 目を開き、頭を上げると激痛が走る。俺も怪我をしているようだ。

『一体何が……』

『イラク軍が攻撃して来たのさ。見て分かるだろ?』

 俺の隣で寝ていた、見覚えのある男が憎らしそうに答えた。彼は右目に眼帯を当て、右足に包帯を巻いている。

 此処はどうやらイラン領内の、戦地からは大きく離れた箇所に立てられた簡素な病院だった。
 俺も自分の体をよく見てみると左の小指が変な形で折れ曲がっており、歯も一本無くなっている。

『バフマンは……、中尉は何処にいる?』

 俺は好きに動かせない首を動かしては探す素振りを見せる。どうやら首も痛めているようだ。

『あいつは……。生きてはいる。生きてはいるが……』

 医療従事者の一人が言葉を詰まらせつつ呟く。

『あいつは駄目だ。全身に大火傷を負っている。もう、手の施しようが……』

『何処にいるんだ?』

 俺は強めに言っては彼の言葉を遮る。
 今はとにかく奴の姿が見たい。その一心だった。

 俺は看護師に連れられて松葉杖を付きながらバフマンの元へ行く。彼は少し離れたテントの中で寝かされていた。

『この中だ。でもいいか、何を言われても絶対に水を与えるなよ。死ぬぞ』

 中に入った俺は途端に後退りをしてしまった。
 きつい臭いがしたからだ。その狭い空間には鉄の臭いが充満している。
 顔は黒く焦げ、至る所から血が流れ、それは煙臭さと混じっている。

 それはまるで、死臭のようだった。

『バフマン。おい、バフマン……?』

 俺は呼びかける。

『水を……水を、くれ』

 だが、奴は応えない。

『バフマン!! 返事をしてくれよ中尉!!』

『水が飲みたい……。水を、水をくれ……』

 彼はうわ言のように掠れた声で延々とそう言うだけだ。言葉が通じない。俺が残り少ない力を振り絞って叫んでも、彼は答えてくれなかった。

 自分のベッドに戻っても、頭の中で渦巻くのはバフマンの姿だった。彼はこのまま死んでしまう。だが、せめて、彼の願いを叶えてあげれば最後に、正に死の間際に少しだけ一言二言話せるのではないだろうか。

 夜になって俺は決心した。

 俺は自分のバックパックに入っていた水筒を取り出すと、バフマンの寝ているテントへと痛みの抜けないその足でゆっくりと歩き出した。

 彼はまだ生きていた。
 あれからずっと、とにかく水を欲するが為に同じ事を呟いていた。その声はテントの外からも辛うじて聞こえる。

 苦しそうな呻き声だ。最早聴くのも耐え難い。

 俺はテントを仕切っている布に手を掛けた。

 こういう役目は、小さい頃から一緒だった俺がやるしかない。

 俺が、友人だった俺が彼の望みを叶える。

『バフマン、俺……』

 自分の存在をアピールせんと俺はまず声を掛ける。すると、奴もより必死になって声を上げる。そのはずだ。

『ごめん……、母さん。皆。すまない……』

 聞くはずだった水を欲しがる声が無かった。
 代わりにあったのは、すべてを諦め、嘆きと悲しみと悔しさが混じった謝罪の声だ。

 俺はすぐさまテントに入る。臭いは不思議と捉える事が無かった。

 やはり、その通りだった。

 彼は死んだ。中尉としての役割を全うする前に、指示された作戦を完遂する前に。
 最後の小さな望みも叶う事も無く。

ーーー

 イラクの都市、バスラを狙った戦いは結局お互いが膠着状態に陥り、奪う事は出来なかった。

 約一ヶ月後には、この作戦が終了した旨を告げられ、一つの戦いが終わりを迎える。

 そして。

 千三百六十七年五月二十九日。

 イランは、停戦という形で終戦を迎えた。
 俺は負傷兵として医療機関に送られ、そこでこの報せを聞いた。

 この戦争における、イラクの戦死者はおよそ四十万人。

 対してイランは、倍以上の百万人。

 それは、あまりにも犠牲の多かった戦争であった。

Re: 春風の向こう側 ( No.13 )
日時: 2021/03/06 14:47
名前: ガオケレナ (ID: J3GkpWEk)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no


 そうして、私の魂は現代へと戻った。
 ジリジリと焦がれるような石の熱さが、余計に私の意識を戻してくれる。いつの間にか膝をついていたようだ。私は、ゆっくりと立ち上がった。

「どうしたの? パルヴィーズ」

 声のする方へ、左隣の彼女を見る。

 紛れもなくシーリーンだった。かつての可憐なさまは消え失せるどころか、今も尚健在である。
 あれから四十年経っている。しかし、彼女はより魅力的に映った。大人の女性としての妖しさを撒き、当時穿いていたスカートの柄を思い起こさせるような派手でカラフルなヒジャブ。そこから堂々と出している前髪。はっきりとしている目元は特にメイクに力を入れているのだろう。より整った印象を与えてくれている。

 少女は女となった。だが、別次元の美しさを纏って今、私を見てくれている。

「大丈夫? 少し具合が悪そうよ」

「夢を……いや、昔の事を思い出していたんだ」

 私は悩んだ。すべてを話そうかと。
 しかし、余計な混乱は生みたくはないし更なる心配は掛けられたくない。全てとは言わずとも、真実だけを言う事にした。

「バフマンと一緒に居たこと、奴の……最期を」

「戦争で……亡くなったのよね」

 私は黙って頷いた。

 風を頬に受けて、私は少し考えた。先程まで見ていた過去と、ここ二、三日の今のこの国の姿を照らし合わせながら。

「あの戦争は……何か意味があったのかな」

 私は呟いた。シーリーンが彼の墓の前で屈み始めたので、私も同様にそうする。

「私は……何だかよく分からないんだ」

 それは記憶を失ったせいもある。だが、他に"なにかが"あるのだ。
 私はお陰様で革命前後から戦争後までの記憶は取り戻せた。だが、そこから今までの、現代までの記憶は未だ消えたままだ。

「教えてくれないか……?この戦争に意味なんてあったのかを。奴は何の為に死んだのかを……」

 過去がフラッシュバックする。声が弱々しくなるのを自覚する。出来るだけ女の前で泣きたくはなかった。だが、無理なものは無理なのだ。

「確かに、今も生活は苦しいわ」

「なら……何故っ!?」

「それでも、今が平和だからよ」

 言いかけた言葉を、私はぐっと飲み込んだ。

「革命前が良かったとか、その後が悪かったとかは私はよく分からないわ。けどね、あそこであの戦争が起きなかったら……どうなっていたと思う?」

 私はその問いには答えられなかった。参加しておきながら、本質がこれまで分かっていなかったからだ。

 革命直後のこの国の政治は荒れていた。もしも、イラクのフセインが仕掛けて来なかったらこの国は混乱に耐え切れず自壊していた。
 しかし、これによって国全体が一致団結し、纏まった事で士気は高まり圧倒的軍事力に立ち向かう事が出来た。

 彼女はそう説明してくれた。

「今私達が安心安全に暮らしていけているのはね、バフマンのお陰なのよ?」

 私はイラン人ではあるが恥ずかしい事に自国の歴史をよく知らない。少しでも造詣の深い者ならば、中東という地域は古来から争いが絶えない場所だということくらい分かるはずだ。

 実際、現代においても周辺国では混乱が続いている。そんな中で我々が平和を享受しているという事は。

「だから……そんな事言わないでちょうだい、パルヴィーズ。皆の尊い犠牲があって私たちがあるの。私たちはそれを大事にしなきゃ、いけないわ」

 彼女も次第に涙声へと変わってゆく。見れば、瞼に涙を溜め込んでいた。

「そう……だったのか」

 私はシーリーンの顔から目を逸らし、再びバフマンの墓を凝視する。

 まだまだ小僧だった頃に悪戯を繰り返していた時、海で彼女と共に黄昏ていた時にちょっかいを掛けられたとき、革命に参加して暴れた時、戦地で戦った時。

 いつもそこに彼が居た。
 楽しい時も苦しい時も、バフマンが必ずどこかに居たものだ。それらの思い出がぶわっと突如として大量に思い返される。そして遂に私は耐えられなくなった。

 大量の涙を零し、大の大人になったと言うのに声を上げてとにかく泣いた。

「ありがとう……。ありがとう、バフマン」

 偉大にして勇敢な愛国者。それは決して間違いでは無かった。

 それを理解した今、私の中での戦争は終わりを告げたのであった。

ーーー

「ただいま」

 私は声を低くして扉を開ける。そこは私の、いや、私たちの家だ。

 私の姿を見るや、レザーは怒り狂ったような目を私に向ける。

「勝手に外に出やがって! 一体何処に行っていた!? もう警察に通報しちまったよ! 行方不明になったってな!」

「すまない……。どうしても用事があったもので……」

 この部屋に居るのは私とレザーの他にはマリアンと母だけだった。二人は呆然としている。

「いいから、朝から何処に行ってたのか言えよ。あまりにもふざけた事をしていると……」

「どうしてだい?」

 私はレザーの言葉を無視し、遮る。そして、奥の椅子に座っている母に尋ねた。

「戦争が始まったのは千三百五十九年だ。でも、私が実際に戦争に行ったのは千三百六十六年だった。どうして、こんなにもズレたんだ?」

 私のこの言葉に、レザーは突如として顔色を変える。マリアンと母も、ハッとして狼狽えはじめた。

「どうして、私はすぐに参加出来なかったのかな……? 兵役が課せられたせいで、男子全員の義務となった。だが、私はすぐには出来なかった。お陰で不自由だったよ……」

「兄さん……まさか、思い出したのか?」

「ねぇ、母さん。私が兵役に付けなかったのには理由があった。戸籍が無くなったからだ。確かに戸籍が無ければ軍隊には入れなくなる。でも、そのせいで私は満足にその間仕事も出来なかったし、バイクだって買えなかった。だから私は仕方無しに千三百六十四年に自分で新たに市役所に行った……。何故だい? 何故そんな面倒なことを……私の戸籍を隠すなんて事をしたんだい?」

「あなたを……死なせたくなかったからよ」

 弱々しい声が、静かな部屋に響く。

「あの時は沢山若い人が死んだわ……。あなたもそこへ行けば殺される、そう思ったの」

 私は何も言えなかった。
 それは親故の優しさ、そして愛。
 確かに不便な思いはした。しかし、そのお陰で私は生きている。

 それまで失せていた、生きた心地がこの時じわりと蘇って来た。

「そうか……。ごめん、変な事を聞いて」

「ちょっと待って、おじさん! 何があったの!?」

 勢いをつけてマリアンが椅子から飛ぶようにして駆ける。だが、私は今は何も答えたくなかった。

「ちょっと部屋に戻るよ。訳は……あとで話す」

 私は彼らに背を向けた。きっと皆も察した事だろう。

 私が再び記憶を取り戻した事を。

Re: 春風の向こう側 ( No.14 )
日時: 2021/04/10 23:04
名前: ガオケレナ (ID: QpYqoTPR)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

 
 バフマンと出会ってから二ヶ月後。
 私は、本来の仕事に戻る事にした。

 家族が言うには、どうやら記憶を失う前の私には仕事も家庭もあったらしい。過去形である理由は単純だ。妻が子供を連れて別居しているのだ。だから、私はそれ以降母と弟たちと共に暮らしている。

 仕事については難なく復帰できた。自営だからだ。

 戦争から戻ってからずっとやっていたらしい仕事だった。確かに、簡単で続けやすい。

 庭が付くほどの大きな家のリフォームとその庭の整備。つまりは、金持ち相手の仕事だ。だから一回の作業の報酬は悪くはなかった。

 だが、悪くは無いのであって決して良い仕事では無い。生活が継続できるギリギリのラインだからだ。苦しいことに変わりは無い。

 一ヶ月かけて、厳しい生活を続けられる賃金を受け取る私と、その程度の支払いなど痒くも無い依頼者。
 そのような一方的な差を突き付けられて、私はやるせない気持ちになってくる。

 その一方で、何故私がこんな仕事を始めたのか理由が分かった気がした。

 作業中は何も考えなくていいからだ。

 過去の辛い記憶からも、未来に対する不安も、すべて。

 特に帰還したばかりの当時はより一層この思いが強かったに違いない。何故俺が生きて帰ったか。友人の死を直視したせいで大いに悩んだ事が想像できる。

 大きなため息を吐きながら私は家に帰らんと閑静な住宅地を歩く。テヘランとはいえ都市部から大きく離れているために家々もみな古い。今にも朽ち果てそうな石壁を横目に歩を進めたその時。

 子供の叫び声と共に銃声が鳴った。

 途端に私は足を止め、高鳴る鼓動を耳に刻みながら身構えた。

 遂に"来てしまった"と。

 だが、

「痛ぁぁぁーーーーい!! お父さん痛いよぉ!!」

「何やってんだお前は……」

「アラシュに撃たれたぁ! アラシュに撃たれたよぉ!!」

 とある家からそんな会話が聞こえた。叫んでいる男の子が泣きながら訴えているのでよほど痛かったらしい。
 見れば、向かいの家の窓からほくそ笑んでいる男の子が二人居た。要は、私の頭上で銃撃戦を行っていたようだ。なんとも迷惑であり、平和なしるしそのものである。

 軽く鼻で笑った私は、構わず行くはずの道を進む。父と子の会話はまだ微かに聞こえていた。

「それで……、お前はやり返さなかったのかい?」

「ダメだよぉ……。撃てないよ、だって僕、泥棒役だもん……」

ーーー

 家に着いた私は、広間に通ずる扉の前で奇妙な物を見つけた。

 知らない人間の靴である。
 誰か来ているのだろうか。私はそう思いつつその場で靴を脱ぐと扉を開けた。

「ただいま」

「あら、おかえり。パルヴィーズ」

 出迎えてくれたのは母だ。それから、部屋の奥に、椅子に座って紅茶を飲む一人の男性の姿が。

 その男は私を見るなり少し微笑んだ。

「よう、お帰りかい? ホスロー様」

 何度も言うが、私は記憶喪失だ。この男は、坊主頭で髭もじゃなコイツは一体何者なのか、私は知らない。覚えがない。

 そんな私も何かを言いたかったのだろう。呻き声のような小さな声を発しつつどもっていると、その男が近付いて来る。

「なんだよ、忘れちまったのかい? この俺様を。マブダチのアリ様その人だぜい?」

 かつて。
 かつて若かりし頃、共に遊び、共にはしゃぎ、共に暴れた三人の友人の内のその一人が、どういう訳か私の家にやって来ていた。

 そして、ここから私の記憶を巡る旅は終局へと向かおうとするのであった。

Re: 春風の向こう側 ( No.15 )
日時: 2021/04/10 23:55
名前: ガオケレナ (ID: QpYqoTPR)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no


「い……」

 私は上手く声が出せなかった。何から話せばいいのか頭が混乱しているためだ。

 アリという名を聴き、私の記憶が洗われてゆく。その名前とその顔。少ない手掛かりで十分だ。私の中で照合が済むと、目の前の綺麗すぎて逆に裏でもありそうな笑顔を振り撒くオヤジはその瞬間、友人へと変わる。

「今は……何をしているのかな……」

 結局私はつまらない質問をしてしまった。
 座り直しては再び紅茶を飲み出したその男はフフッ、と鼻を鳴らして小さく笑う。

「あんたがあと十五分早く帰っていればな……」

 私は彼の言った言葉の意味が分からない。だが、その怠さと余計な一言で理解をした。

「この家の中でこの話をするのは二回目、って事さ。それに、前に会ったのは三年前じゃないか? それなのに忘れたってのかい? あんたは本当に人に興味が無いのな?」

 ここで私はアリとの距離感を測ることが出来た。シーリーンのようにウン十年振りの再会などとは違って、頻繁にとは言わずとも何度か会っているらしい。三年前ともなればまぁまぁ久しぶりな仲だ。

「俺は今イスファハーンで仕事しているよ」

「イスファハーン? 一体何の? 観光客相手の何かをしているのか?」

 自分で言っておきながら何か引っ掛かった。

 アリは、"三年前に会ったのに忘れたのか"と逆に聞いてきた。それはつまり、私の記憶が消えた話を知らないと言う事だ。

 それはいい。問題は、自分でした発言だ。

 何故私はイスファハーンという街の事情を知っているのだろうか?
 過去に何かしら関わった街だっただろうか?
 だが、思い当たる節が無い。

 自分で勝手に混乱している姿が異様に見えたのだろう。アリは強い語気で私を呼ぶと、お目当ての質問に答えてくれた。

「半分合ってるよ。俺は今イスファハーンのバザールで本を売ってるよ。まぁ、本当は本だけじゃないけど……ほら、こんな感じのをな」

 そう言ってはアリは足元に置いていたリュックサックから分厚い本を一冊取り出した。
 題名はペルシャ語だった。『ルバイヤート』という題名が振られた代物だ。

「今どきイラン人相手に『ルバイヤート』なんてバンバン売れる訳が無いからな。それはペルシャ語に加え英語とドイツ語、それからフランス語にも対応している観光客向けのお土産さ」

「それはいいね……。やっぱり客は来るもんなのかな?」

「どうだかな。前と比べるとかなり減ったね。その代わりにアラブ人と中国人が増えていやがる」

 本を返そうと彼に差し出したら、それはお前にやるとジェスチャーで示された。冷静に考えたら、この詩集は読んだことが無かったかもしれない。記念として今回は素直に貰っておこうと私もここは彼の優しさに甘えることにした。

「ところで、あんたこそ今何を? まだ金持ち相手にリフォームかい?」

「知っているじゃないか」

 昔の私ならば何度かあった人間かもしれない。だが、今の私としては今日初めて会った仲間だ。若い頃の話も交えて色々と語りたくなってきた。

 私も自分の紅茶を用意すると、思い出話に浸る事にした。

ーーー

 一時間半は経過したかもしれない。
 アリが「そろそろ時間だから」と帰る準備を始め出した。母が夕食を勧めて来たが、そうなると帰りがより遅くなるからだろうか丁寧に断っては挨拶をし、家を出た。

「じゃあな、ホスロー様。気が向いたら俺の出店にも来てくれよ。サービスするからよ」

「ありがとう……。近い内にまた、行くよ」

 私は、彼が家の前の通りにてペイカンを拾っては乗り込むまで見送った。アリの姿が完全に消えると、私は部屋へと戻る。

 リビングに放置されていた『ルバイヤート』が目に留まる。私はそれを手に取り、パラパラと捲ると確かに他言語で書かれたページもあった。

 特に中身を楽しむような事はしなかった。
 日を改めて読もうかと思い、本を片手に私は自室へと向かった。
 その部屋には木製の古い机がある。そして、少し分厚い程度の本ならばスッポリと収まる横長の引き出しもある。

 ガタガタと鳴るそれは所々突っかかって上手く開ける事は出来なかったが、無造作に小物がしまってあった事以外は何の変哲もない引き出しである。

 私は本をそこに置こうとした時、ある物が目に写った。

「あっ、」

 ズキリとした静電気が走ったような小さな衝撃がこめかみに走ったかと思ったのも一瞬、更なる異変が起こる。

 その時、私は記憶のすべてを思い出してしまった。

Re: 春風の向こう側 ( No.16 )
日時: 2021/05/03 11:23
名前: ガオケレナ (ID: cFBA8MLZ)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12355


 翌日、私の取った行動はといえば、再び友人に会いに外に出たことだった。

 それまでの世界は朧気な夢を見ているような、不確かな空間だった。だが、今は違う。明瞭で、ハッキリとした視覚を伴い、そしてすべてが判る。

 それまでの私は街を歩くことでさえ、不安で仕方がなかった。常に何かに怯えていないと逆に落ち着かなかったのだ。

 だが、全てを思い出した今、私に恐れるものなどない。おぼつかなかった足が軽い。

 既にこの街は私の知る街だ。だから、何処に何があって、何時誰が出てくるのかもうすべて思い出している。すべてが範疇だ。
 だから私の視界に彼が映っている。アッバースだ。

 彼は役所の外で苦々しい表情をしながらそれを眺めていた。高給取りなのか、紙巻きたばこを咥えながら、だ。

「やあ、アッバース」

「またお前か……」

 面倒な相手だと思われているようである。それもそうだ。前に会った時は私はある種の障害を伴っていたのだから、またそれを"持ち込みに来た"と思われているのだろう。だが、私に恐れは無い。

「楽しそうじゃない顔をしているね?」

「そういうお前こそ何をしている。仕事はどうした? それとも作業のパターンまで忘れてしまったとかか?」

「今日は休みだよ。私は好きなように休みの日を作る事が出来るんだ。これでも自営なんで」

「それで? ご要件は?」

「すべて思い出した」

 はっきりと、そして流れを断ち切るが如く私は告白する。
 一瞬、そして確かにアッバースは驚きの表情を見せた。だが、相手が私だからか少しでも弱さを見せたくないという気持ちが働いたのだろう、すぐに平静を装う。

「言っていることの意味が分からないな」

「記憶のすべてを思い出したのさ! 前にあった時は一部のことしか分からずにいた。だがあの後、私は君のお陰でバフマンのことも思い出せたし、シーリーンにも会えた。別の日にはアリにも会えた。その後に私は"ある物"を見て残りの記憶を取り戻せたのさ」

「そんな都合のいい事が起こる訳がない」

「だけど、実際に私はそうなった」

「全く……どれだけ時が経っても変わらないな。お前はどこか気に入らない」

「でも、そんな私を友達として見てくれている」

 私は、にやりと小さい笑みを見せた。それは自信の現われだった。それまでアウェーだった環境が、途端にホームへと変わる。

「アレが何か……お前には分かるか」

 つまらない会話のせいだったからか、突如そう言ってはアッバースは指を差した。その方向には一つの建物がある。

「サッカースタジアムだろう? それがどうかしたのかい?」

「迷惑な野郎共が試合の妨害をしているのさ。さっきこの通りを、あるデモの参加者たちが通って行った。そいつらが今スタジアムの観客席を占拠して何やら叫んでいる。観客を装っているのか、最初からこの目的であったのか……。どちらにせよ本当にウザったい事この上ない」

「一体彼らは何を叫んでいるんだい?」

「行けば分かるさ。見に行くのならば警察が来ていない今の内に行った方がいい。面倒なことになるぞ」

 そう言って彼は背を見せた。そしてそのまま役所へと吸い込まれてゆく。

 同時に、私は彼の不満げな顔の理由が分かった。
 彼はデモ隊に対して向けていたのだ。

 好奇心が駆り立てられる。私は面白いものでも見るように駆けて行った。勿論スタジアムに向けてだ。

 建物内に入った私は、そこからでも微かに聞こえるシュプレヒコールをじっと聴き取ろうとした。中にはロビーからそのフレーズを呟くモノまで居た。
 抵抗感は無かった。私は迷うこと無く観客席へと向かう。

 広々とした空間、ぽっかりと空いたサッカー用のフィールド。そこに向かって彼等は、いや、私以外の全員の人間が力強く叫んでいた。

 レザー・シャーと。

 私は理解した。これは反政府のデモだと。

 その名は最後の、私が若かった頃のこの国を統治していた皇帝、モハンマド・レザー・パフラヴィーの名だ。
 つまり、彼等は王の再臨を望んでいる。その場面に出くわしてしまった。
 だから彼は、アッバースは殊更に嫌な顔をしていたのだ。

 しかし私は、同時に彼に対して申し訳ない気持ちをも抱いてしまった。

 私は、彼等の叫びに対してすべてを否定する事など、いや、むしろこれに対しての反対の意思を示す事が出来ずに居たからだ。


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