複雑・ファジー小説
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- 【完結】春風の向こう側
- 日時: 2021/09/01 01:54
- 名前: ガオケレナ (ID: k98DLrCp)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12355
※この物語は、実際の事件や出来事を基にした完全なるフィクションです※
風の吹く先には、何も無かった。既に満たされていたからだ。それに気付かなかった。気付けなかった。
突然全ての記憶を失くした私は何者で、何処で、何をしていたのか。すべてが思い出せない。
残された手掛かりは三つ。
その手掛かりを追いながら、私は己がこれまで導いてきた答えを改めて覗くことになっていく。
これは、私のこれまでと、そしてこれからを紡ぐー私の物語ーだ。
以下は順次追記予定
【主な登場人物】
私……作中の主人公。とある出来事がきっかけで記憶を失い、自分が何であるのかの一切を忘れてしまう。本名はパルヴィーズ。
レザー……私の弟。娘がいる。
マリアン……レザーの娘で私の姪。記憶に関する知識を披露する。
【しおり】
第一の手掛かり……>>1-7
第二の手掛かり……>>8-13
第三の手掛かり……>>14-20
改めましてガオケレナです。
普段は二次創作板でコソコソと自己満でしかない作品を書き続けていた私ではありますが、今回私が本来書きたかった、そして本当に伝えたかった事の一部を表してみようかなと思い遠征する事にしました。
あまり長くはない作品を予定しておりますが、その時までどうぞ宜しくお願い致します。
※コメントは雑談板の私のスレかTwitter垢へ宜しくお願いしますね※
☆2020年冬大会にて副管理人賞を頂きました。応援ありがとうございます☆
- Re: 春風の向こう側 ( No.7 )
- 日時: 2020/11/27 00:07
- 名前: ガオケレナ (ID: qiixeAEj)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
そして、私は現実に戻された。
電撃が走るとはこの事だろうか。私の全身に、痺れるような"何か"が流れては大いに体を震わせる。
「そう……か。そうだったのか。私は……」
「兄さん? 兄さん!? どうしたんだ? 大丈夫か?」
突然目を開けたかと思うと立ち上がり、そんな事を言うという奇行を目にしてか、レザーは駆け寄り私の腕を掴んだ。心配しているのだろうか。
「だ、大丈夫だ……。ただ……」
「ただ? どうしたって言うんだ?」
「思い出したんだ」
レザーは目を見開き私を凝視した。
何かを言いたそうに、半開きになった口が小刻みに震えているが、その言葉が中々出てこない。少しばかり間隔が空き、
「お前は何を言っているんだ?」
「だから……思い出したんだって!!」
弟の反応も無理はないのを承知だったが、私はこのままでは埒が明かないと思い、掴まれていた腕を振り払うと、ついさっきまで自分が座っていた、およそ三歩ほど後ろへと下がった。
最早全身で表現しなければ伝わらない。
「思い出したんだよ! 今から四十年前に……私は全く同じこの場所で!! まだレザー、君は幼かったけれども! ここで私は嘗ての仲間たちと共に語っていたじゃないか!!」
会話に熱くなったのは久方ぶりだった。意に反して、思わず大声で突然復活した夢を、記憶を、その有様を叫ぶ。
それが只事でない事を察知したのだろう。未だに荷物を車から下ろしていた母とマリアンが猛ダッシュでこちらへやって来る。
呆然と突っ立っているレザーとは、対照的だった。
ーーー
「それで、本当に貴方は記憶を取り戻したの?」
「すべてじゃないんだ……。でも、確かにアレは……」
家の中で話そうとレザーが提案した。外でずっと立ち話するのも身体に触ると、荷物もほとんど捌けているからという母を案じての彼の気遣いからくるものだった。
私は父の遺した別荘の広い居間で、ログハウスにありがちな丸太で作ったソファに座りつつシーリングファンの風を顔に浴びる。
「私の、確かな記憶だ」
「中身は」
当のレザーは何処にも腰を下ろそうとしなかった。私が正気でないと見ているのだろうか、それとも座り心地が良さそうには見えない椅子しかないからだろうか。
つるつるとした木の柱に寄りかかりながら彼は小さく呟く。
「夢であれ記憶であれ、中身は何だったのかと聞いているんだ。思い出したんだろう?」
「お、お父さぁん……」
思えばレザーは私が目覚めてからずっとこの調子である。私に冷たいだけなのか、記憶喪失を信じていないのか。比較的私に同調してくれている母と彼の娘マリアンはそんな彼の言動が気になるようだ。たった今マリアンが脱力したような声を発したのもその現れだろう。
「その時は……夜だった」
そんな雰囲気も構わず、私は求められるがまま話を始めた。
記憶が蘇ったその瞬間は文字通りまさに"一瞬"であったのに、その中身は何年もの月日を跨いだ、とても濃い内容であった。私自信、果たしてそれが事実であったのか疑念に駆られる。
だが、話すしか無かった。
私が十七だった、未だ革命を知らなかった世界。自由ではあったが秘密警察に怯えていた日々。それが、突如消え去った。
打倒王政を叫んだ私と、嘗ての友たち。
その結果得られた新たな世界。
話の内容が革命期に差し掛かったところで私は突如言葉を詰まらせる。
話していて自分でも分からなくなった点が浮き彫りになったからだ。
「……?」
「どうしたの? パルヴィーズ」
「母さん……」
私は母の名を小さく呼んだ。この中で"それ"を知っているのは恐らく母だけだからだ。
「なぁに?」
「私の……友人は……今、どこにいるんだ? アリは? バフマンは? アッバースは? それと……」
私が薄れゆく記憶の中で見た友の顔。そして、
「シーリーンは……。今、何処に居るのかな……?」
ぼんやりと、思い出すように言ったせいで皆に聴こえたかどうか怪しかったが、母は頷いていた。レザーも顎髭を触りながらなにか考え事をしているようだ。私にはそう見えた。
「兄さん。もう今日は休もう。疲れたろ……? 皆明日まではフリーだ。マリアンも学校は休みだし、俺の仕事も問題ない。だから気にするなよ……? ほら、今日はもう休め」
レザーが近寄っては私の肩を叩き、席を外すように促す。一体彼が何を思い、如何に行動したのか、記憶の無い私には理解出来る筈が無かった。
ーーー
「パルヴィーズは?」
「外だよ。また海眺めてる。よほど気に入ったんだろうな」
あれから数時間が経ち、私たちの生活に夜が訪れた。
マリアンはテレビを付けながらスマホを眺め、一体何に意識を向けているのかよく分からず、母は夕食の片付けとして皿を洗っている。
「マリアン。なぁ、マリアン」
レザーは念の為二度娘の名を呼び、意識をこちらに向けるよう務めたが帰ってきたのは空返事に近かった。相変わらずスマホとにらめっこをしている。
「本当に兄さんは記憶喪失かな?」
「前にも言ったじゃない。記憶には三つの領域がー……」
「じゃあ、有り得るのか?」
「なにが?」
「兄さんのような事が……。失ったはずの記憶に密接な場所に訪れただけで記憶を取り戻す事が……! しかも、全部でなく一部だけ!! こんな事が有り得るのか……?」
とは言ったものの、記憶に近しい場所への旅行そのものについて賛成を投じたのは紛れもなくレザーだ。言葉で言ってはみたものの、実際に目で見てしまうと不可解極まりない。
「私もね? 色々調べてみたり、授業を思い出したりしてはいるんだけどー……ちょっとまだ分からないのよねぇ」
「そうか……」
そう言ってはレザーはソファへと落ちる。
波音だけが響いていた。
私は例のぶった切られた道に座り、暗黒の海を見つめつつ黄昏れる。
気分は四十年前に戻ったかのようだった。
尻に伝わる感触も、肌に触れる潮風も、耳に入り込む波も、すべてがあの時と何ら変わっていなかった。
唯一変わった点と言えば、今手に持っている飲み物だろうか。
当時はまだビールが飲めていた。だが、今私が飲んでいるものはザムザムのコーラだ。冷たさは変わらない。変わっているのは味だけだ。
もしも。
もしもこの段階で、すべてを知り得ていたとしたら。
未来の私がこの時の私に干渉出来たとしたならば。
この時点で、記憶を巡る旅を止めろと言うに違いなかっただろう。
知らないと言う事は、ある種幸福であるからだ。
これ以上の不幸があるなどと。
誰が予想出来たであろうか。
- Re: 春風の向こう側 ( No.8 )
- 日時: 2020/12/01 00:05
- 名前: ガオケレナ (ID: qiixeAEj)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
ショマールでの休息が終わった。
それから二日後の話だ。
朝から家の中は騒ぎに包まれている。
「どうしましょう……どうしましょう……」
母は包丁を持ちながらキッチンと、それに連なる広間を右往左往していた。
「母さん……危ないから! 何やってんの?」
顔を洗ったレザーが朝食を食べに広間へとやって来る。テレビは母が付けたのだろうか、既にニュースが流れており、白い髭を生やした偉そうな年寄りがボソボソと何かを言っている。
「あ、あぁ……レザー……。起きたのね、おはよう……今大変なのよ!?」
「大変なのは分かったから!! 普通に危ないからまず包丁置いてくれないか!?」
「どうしましょう……どうしましょう……」
「だーから何が起きたんだって!! まず話してくれよ!!」
レザーが声を荒らげる事で母も少しは落ち着きを取り戻したのか、一呼吸入れると手に持っていた包丁をシンクに置く。
それは唐突だった。
「パルヴィーズが居なくなっちゃったのよ」
「……何だって!?」
確かに少し部屋の中が大人しいと思った。人一人居なくなったような静けさが確かにあった。
部屋を見回すも、確かに兄の姿は無い。
別の部屋か、庭にでも居るのかと思いレザーは早足で家の中を回る。途中で少し寝坊したマリアンと廊下で鉢合わせした事以外は何も変わった事はなかった。
兄が失踪した。
それを理解するのに果たして家の中を何周しただろうか。
単に外へ出掛けるだけであればなんの問題も無い。
だが、彼は記憶を失っている。変な話、年寄りが突然行方不明になるのと意味合いとしては同じだ。
彼が何処へ何をしに行ったのか。それが全く分からない。
警察へ連絡しようかレザーは惑いつつも受話器を手に取った。
ーーー
さてパルヴィーズはと言うと、彼の家族が如何にして混乱しているかは露知らず、今にも消えそうな程の朧気で曖昧とした記憶を頼りにひたすらテヘランの街を歩いていた。
確かに見えた記憶の片隅に写った手掛かり。
そこに行けば何かあるかもしれない。
直感が、本能がそう訴えている。
頼りげの無い足取りはひたすらゆっくりに、果たしてそれが本当に目的の場所へ向かっているのか、もしも事情を知る者が傍に居れば不安になっていたことだろう。
だが、その前にパルヴィーズの元に変化があった。
その足が止まった。両足が同じ方向を向き、彼は"それ"をまじまじと眺めている。
街でも評判の、喫茶店だった。
ーーー
店に入ってから一時間半後。
すっかり冷めたコーヒーを凝視していたパルヴィーズは、扉が開くことで鳴るベルの音を捉えた。
また一人、客が来たようだ。
パルヴィーズはカウンターで注文を始めているその人を見た。
歳は自分と近しいようだ。性別は男。綺麗なスーツを着ている。時間的に見て出社前に此処に立ち寄っているようだ。
その男は一杯のコーヒーカップを持って適当に空いている席へと向かう。
それを見計らい、パルヴィーズもそちらへ移動した。
「や、やぁ……」
男はあえて甘くしたコーヒーを飲みつつスマホを眺めている。何やらニュース記事の類のようだ。
パルヴィーズはひとまず一声掛けると向かいの席へ座った。相手の了承は得られていないが、それは必要無い。必要の無い相手だと分かるからだ。
男は聞き慣れない声に不信感を抱きつつ、突然座り出した男を眺める。
不思議そうに自分を見つめる眼差し、まるで知り合いにでも掛けたような声。
男は少し考えた後に、
「パルヴィーズ……? お前パルヴィーズか!?」
名前を間違われること無く呼ばれると、彼は安堵のあまり口元を綻ばせた。
「ひ、久しぶり……だね。アッバース」
それは、偶然だろうか。それとも必然だろうか。
非常に危うい状況である中、パルヴィーズは嘗ての友人との再会を果たした。
- Re: 春風の向こう側 ( No.9 )
- 日時: 2020/12/19 20:25
- 名前: ガオケレナ (ID: qQixMnJd)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
「な、なぁ……。最後に会ったのっていつ頃だったかな?」
私にはそれが分からない。だから尋ねる事にした。私が知っている……と言うより、思い出したのは千九百七十九年の革命が終わった時までだ。
そこから先はまだ思い出せない。
ここ最近までの記憶も、それは同様なのだ。
アッバースはカップを片手に私を変な物を見るような目で一瞬見つめ、
「さぁ……。どの位だろうな? 二年か、三年前じゃないかな?」
私に教えてくれた。
「あ、あぁ……そうか、そのぐらいか。ありがとう……」
何に対して"ありがとう"なのか。相手は恐らく分からないことだろう。故に私はおかしな事を言っている人間と思われてもおかしくはない。
「カップ」
アッバースは私のコーヒーを見つめて呟く。怪しい目付きは今度はそちらへと向かっている。
「湯気が出ていないね? ここのコーヒーは暖かいまでが美味しいのに。わざと冷ましているのかい?」
「えっ……」
途端に返事に困った。
彼はこの店に特別な拘りでもあったのかもしれないが、まさかの着眼点だ。ただでさえ言動が怪しい私に更なる要因を加えられてしまえば益々苦しくなる。
何を話そうか、どこまで話そうか。
モジモジと悩んでいると、彼は時間が来たからだろうか突如として席を立とうとした。
「待ってくれ!」
咄嗟に私はアッバースの肩を押さえる。彼はとても迷惑そうな顔をしていたが、それを見て私はどうして此処に来ようと思ったのか、それを思い出すと決意へと変えてゆく。
「待ってくれ……少し、話が……」
「悪いがもう時間なんだ。仕事へ行かないと」
「職場までついて行くよ……。どうしても聞きたい事があるんだ」
そう言うと彼も間に合えさえすれば良いようなので、私がついて来る分には何も言わなかった。
「実は私は……記憶を失っているんだ」
「……?」
「数日以前からの記憶が一切思い出せないんだ……。初めは私が何者なのかも分からなかった……だけど」
「嘘だね」
彼の職場は恐らくだが近いのだろう。バスにもタクシーにも乗ろうともせず、店を出ると迷いも見せずに歩き出した。
彼はそう言ってはまだ視界からは消えていない先程の喫茶店を指す。
「記憶が無いのなら、何故俺があそこに居ると分かった? 何故あの店の場所が分かったんだ?」
「それは……」
過去の記憶のお陰だった。
アッバースは若い時からの行きつけであったし、実際に思い出した光景の中には彼がそこで砂糖を多く入れたコーヒーを飲むシーンが何度が現れたからだ。
「それだけじゃない。直接的でないにしろ、母さんが教えてくれた。私はどうやら、友人とあそこへよくお茶しに行ったみたいだってね」
「……つまり、お前は過去の細すぎて最早どうでもいい部類の物まで思い出した訳か……」
「どうでも良くはないだろ! 現に私はこうして君に会えたんだ! 四十年前の友人に、やっと」
アッバースからすると三年ほど前の友人であるが故に大袈裟な表現ではあったが、素直な話私はそれが正直な感想だ。本当に、私からすれば遠い時代の仲間たちなのだから。
「それで? お前の望みは何なんだ?」
「望み……?」
「状態があまり宜しくない中お前は俺を尋ねてきた訳だ。何か目的とか望みがあるんじゃないのか?」
「あ、あぁ……そうだ」
私は家族と交わしたショマールでの会話を思い出そうとする。
幸いなのは、私の記憶は目覚めて以降は健在だという事だった。
「私の思い出は……革命で止まっている」
「それはさっき聞いた」
「そこから先を教えてくれないか!?」
ピタリと。
アッバースの足が止まった。
「……お前、本気で言っているのか?」
「私は君や……バフマンやアリやシーリーン達の身に何が起こったのか……あの後に何があったのかを教えて欲しいんだ……!」
見ると、アッバースの顔は凍り付いているようだった。
決して言ってはいけない暗黙の了解。それに触れてしまった時の、その時の聞き手の何とも言えない恐ろしさを醸し出しているような。
「お前……頭おかしいよ」
「仕方がないだろ……私はこの通りなんだ」
「戦争だよ……ッ!」
その時。
確かに空気が凍った。
「戦争が起きたんだよっ! この国で……。当然お前も俺達も軍に駆り出された……。それさえも忘れたのか? お前は」
「戦争……? 戦争だって!?」
「どうしても分からないか? ならば実際に行って見てみるがいいさ」
アッバースはそう言うと片手で持ち上げていた小さな鞄から街のパンフレットを取り出し、地図の上に印を付けると私に渡して来た。
「これは? ここに何があるんだ?」
「行ってみろ。すべて分かるさ」
鞄の蓋を閉め、アッバースは再び歩き出した。だが、その方向は先程とは違う。
「そう言えば……時間は大丈夫なのか?」
「問題ない。もう着いているからな」
アッバースが足を止めた理由。
それは私の言葉に驚愕したからだけではなかった。方向転換もしたかったようだ。
「此処は……役所?」
「俺は市の職員だ。いつも此処で働いている」
私の目には、大きな現代的な建物が見えた。
広く、高く、それでいてアラベスクな意匠も見て取れる立派な建物だ。
「それはつまり……君は政府の人間になった訳だね」
「ま、まぁな……。言ってしまえば、そうなる」
「何か……変わったかい? 革命前と、今とで。良くなったかい? ……私にはそれがよく分からないな」
「待て。待てパルヴィーズ。それ以上言うな」
私は特に意識せずにそう言った。だが、それがいけなかったようだ。
「お前はそれ以上言ってはいけない。俺はお前を警察に突き出す事も出来るんだぞ?……今ので」
「何故だい? まさか文句か? 待ってくれ。私はそんなつもりで言った訳じゃない。私は思い出せないから……」
「だから、だ。お前が本当に忘れているのなら、軽はずみな言動はよせ。理由を知らない人からすると勘違いされてもおかしくないんだからな」
そう言うとアッバースは私の元を離れ、建物の中へと入っていく。
軽く脅された訳だが、ピンと来ない私はぼんやりとその背中を見つめることしか出来ない。
強い風のせいで、私の手の中のパンフレットが揺れた。
- Re: 春風の向こう側 ( No.10 )
- 日時: 2020/12/24 20:53
- 名前: ガオケレナ (ID: Se9Hcp4Y)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
テヘランという街は、地上においては混雑を極めるという意味では不便であれど、地下においてはそうでも無かった。
テヘラン・メトロ。
中東を、いや、世界を代表する大都市の奥底に張り巡らされた新交通システムは千二百リヤルで何処までも行ける代物だと言うのだから利便性は上々と言ったところである。
問題とするならば、そこに至るまでに苦労したことだった。
何度も言うようだが、私は記憶喪失である。今においては全てではなくなったが、一切の思い出が私には無い。
「すみません……。あの、すみません」
どうにも出来ない私は声を掛けた。私同様、外に出てはゆっくりと歩いているその人に。
その人は老婆であった。手押し車を押しては面白味のないリズムで地を踏んでいる。
はじめは私の声に気が付いていない様子だった。一言目では私の声を無視し、通り過ぎようとしていたからだ。
「あの……、あのっ!!」
私はより声を上げ、彼女の肩に優しく触れた。
そして、老婆は遂に私に気が付いた。
「なんだい? アンタ誰だい?」
「私は……ちょっと道が知りたくて」
老婆ははっとした顔を一瞬見せたかと思うと、他人だと知るや否や目付きをきっと尖らせ、そのように鋭く言い放った。警戒しているようだ。
私はすぐに、アッバースから貰ったパンフレットをポケットから取り出す。そこに、彼が印として付け加えてくれた手掛かりがあるためだ。
「ここに行きたいんだ」
私は地図の上に書かれたペンの印を指しつつ老婆にパンフレットを渡す。彼女は目が悪いせいか、これでもかと目の前に手に持ったそれを近付けてはまじまじと見た後に、目元から離しては再びじっと見つめる。
「アンタは此処に行きたいのかい?」
「あ、あぁ……。そこまでの道が……そこが何処なのかよく分からなくて」
「アンタ頭おかしいんじゃないかね?」
「えっ?」
「いや、それとも外国人かぃ? 何処から? パキスタン? シリア?」
「え、えっと……」
私が返事に困っていると老婆は、ため息の代わりとでも言いたそうな鼻で笑う仕草をするとパンフレットを私に返して来た。
「共同墓地だね? ベヘシュテ・ザフラー共同墓地。ここからずっと南だよ。地下鉄使いな」
「そこから先へはどうやって?」
「知らんよ! 駅の人に聞きな」
そのような調子で人を伝ってはまた更に人を伝い、その結果私は目的地に至る事が出来た。
ベヘシュテ・ザフラー共同墓地。
またの名を、ザフラの楽園。そこは、国内で最大規模の墓地である。
毎日毎日、布に包まれた遺体が運ばれる。間隔無く、次々に。
包まれた布が静かな花柄模様にも見えるせいか、ある種の神聖な儀式にも見て取れるようだ。こちらで永眠を約束されたほとんどの人間がイスラム教徒であるからだ。
そんな光景を見、足を踏み入れた直後、異変が起こった。
私の足が勝手に動き出したのだ。
まるで、既に知っているかのように。私の意に反して、この中の目的の箇所を予め知っているかのような足取りをして。
それから、不思議と戸惑いもしなかった。
思い出すことすらも出来ない、ある意味初めて来た場所であるのに、過去に何度も通い詰めたような"慣れ"と"安心感"があるように。
私の足は止まった。
そこに、私でない他の誰かが立ち塞がっていたためだ。
その人は、女性であった。
ヒジャブで髪を隠しているせいでシルエットが掴めないが、辛うじて横顔が望める。
目を瞑り、祈っている。
奇妙なことに、彼女の祈る対象は私と同じようだ。体がそう訴えていた。
「……あら?」
彼女は目を開け、気配を察したからだろう、自身を見つめている私を見ては驚く素振りを見せた。
そして、私と彼女は固まった。
どこかで会った事がある。お互いそう思っているらしく、各々記憶を遡って思い出そうとしていた。現に私がそうだからだ。
年齢は私と同じようだ。四十代後半から五十代前半若しくは後半。そのように見える。もしかしたら知り合いなのかもしれない。
そのように思いつつ蘇ったほんの少しの記憶の断片。それを今と照らし合わせる事で、
「シーリーン?」
ひとつの答えが生まれた。
「……パルヴィーズ?」
同じタイミングで同じようにして、
彼女も声を上擦らせては私の名を呼ぶ。
「どうして……ここへ? 貴方に会うのは……何年振り……かしら、ね?」
「さ、さぁ……私もよく、分からない……な」
一歩足を踏み出したその直後。
私は見てしまった。
彼女が祈りを捧げていた者の名を。
私が忘れてしまった者の名を。
"あの時"と同じような異変が再び巻き起こった。
頭の中が猛烈に回り始め、視界がぼやけていく感覚。認識した事で数多の情報が、記憶が、一気に流れ込んでいく。
記憶の復活が始まろうとしていた。
バフマン・サーダーヴィー
勇敢にして偉大なる愛国者、ここに眠る。
プレートには、そのように刻まれていた。
- Re: 春風の向こう側 ( No.11 )
- 日時: 2021/01/10 02:08
- 名前: ガオケレナ (ID: EVwkkRDF)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
千三百六十六年。
革命を終えて八年が経った今。
俺は、戦争に駆り出されていた。
仕方の無い事だ。何故ならこれは男の義務でもあるからだ。
俺はバイクを走らせ、駐屯地へと走る。裏方の配達。それが新人の俺に任された仕事なのだ。
『おい……、お前パルヴィーズか!?』
『そう言うあんたはバフマンか?』
ある日の早朝、街からの物資を届けに来た俺は、革命以来の友と偶然の再会を果たしてしまう。見間違いではない。見慣れた顔だ。緊張感がやや解け、自然と顔からは笑みが生まれる。
『お前、今年で幾つになる?』
『俺か? 二十七だが?』
『聞いた話だとお前最近配属されたらしいな? まさか十八の時からずっと訓練していた訳じゃないよな?』
『それに関しては……まぁ、ややこしい事があったんだ。それよりお前は? 今まで何をしていたんだ?』
『全く……呑気だこと』
バフマンは小さく笑うと両腕を広げ、自らの軍服をこれでもかと見せつける。軽やかにステップを刻みながら。
『よく見ろよ。俺は大学を卒業して此処では中尉だぜ? 大出世だろう?』
『あぁ、確かに……そうだな。服が違う』
俺は端からこんな戦争に興味など微塵も無かった。ただ義務だから。仕方無しに参加した以外何の感情も生まれてこない。
周りの若い男たちは愛国に燃え、必ずやイラクのフセインを倒すとその士気の高さを窺わせている。
だが、俺はその限りでは無かった。革命を終わらせてしまえば、この国そのものを貪っていた悪を倒せばそれで終わりだと思っていたからだ。そこで戦いは終わり。にも関わらず、どういう訳か俺は今、国の存亡を賭けて戦地に立っている。
意味が分からなかった。
何故戦っているのかを。
何故八年もの間、この国は戦争をしているのかを。
『パルヴィーズ、来たばかりのお前とはいえある程度は知っているだろうが、一応説明させておくぜ。此処は街からは離れた砂漠のド真ん中だ。街とは反対の方角に更に走っていけばイラクとの国境が、更にその先にバスラが見えてくる。だが、知っての通りこの戦いは今年でもう八年だ。膠着状態が続いている』
『知っているよ。それで? 俺に何をさせようってんだ? 地雷原を突き進むのは嫌だからな』
『勃発直後の話をされてもな……。今はもう他国の支援もあって武器もある程度は揃っている。そこは安心して欲しい』
一転してイスラム国家となったイランだったが、そのせいで周辺国家は大いに焦ったそうだ。
事実、この戦争もイランとイラクという二国間の争いだが、背景にはイラン人とアラブ人という人種問題、イスラム教のシーア派とスンニ派の対立、国境線からなる領土問題という種々の要素をも含んだ複雑な状況を表している。
にも関わらず、革命後の政治的混乱のせいでイラクのサダム・フセインが動き出した。
アメリカや周辺のアラブの国々から支援を得たイラクは戦況を有利に進めていた反面、イランはそれらに乏しく、人海戦術に頼るしか無かった。
その際大量の地雷を埋められ、身動きの取れなくなった軍の為にと無数の少年少女や老人らが自らその先を恐れず歩んでは進軍に貢献した……という話も耳にした事がある。
今となっては開戦時ほど動きも活発で無くなり、世界各地で紛争が起きた事からさほど注目もされなくなった。このまま沈静化し終わりへと向かう。多くがそう思っていた頃だ。
『今日やる事はと言えば敵の動向のチェックとミサイルの準備、それから……』
そう言いながら、バフマンはどこからか小包を取り出してはそれを俺に手渡して来た。
『これを隣の駐屯地まで運んでやって欲しい。いや、重要な物では無いんだが』
小包は重くは無かった。小さな紙を何枚も何枚も重ねたような半端な重みだけが手に伝わる。
『電話でやり取りすれば良くないか? なんでわざわざ御遣いなんかを?』
『新人の癖によく言うんだな……。電話でも良いんだけど電話線は駐屯地と駐屯地のみを繋いでいる。故に盗み聞きされる事はそうそう無いんだが、そういうのはもっと大事なやり取りに使うんだよ。つまり……』
『あぁ、本当に御遣いレベルって訳か』
俺は小包をポーチに入れると、普段使用していたバイクに跨った。目指すは二十km先の隣の陣地だ。
荒野の中の、一本だけ引かれたような真っ直ぐな線の上をひたすらに走る。互いに疲弊しているとはいえ、油断はならない。意識は前方よりは真上に向いている。いつか爆弾が落ちてくるのではないか。先が見えないが為の大きな不安はいつまでも俺を覆っては離れない。
ふと、何でもないタイミングでバイクを停めてみる。
気のせいではなかった。
何処か遠く、遥か向こうでミサイルの飛ぶ音が聴こえたからだ。
近くではない。それでまず安心はしたが、脳裏に浮かんだのは兵役を課されて間もない、訓練兵時代の光景だ。
十五ヶ月前、右も左も知らなかった俺は夜中の砂漠で一人監視をさせられた事があった。
どうしていいのか分からず、それでいて夜の砂漠はかなり寒い。混乱と冷えに悩まされた俺がまず掴んだのは音。
遠すぎて朧気にしか見えない山々。その向こうからミサイルか爆弾の落ちる音が微かにしたのだ。
無駄に長く響く空気を裂く音に、自分は本当に戦場に居るのだと、夢でなく事実として戦争に参加している事を、それを実感してぶわっと全身から鳥肌を立たせたものだった。
それを思い出させられた。
ただ変わった事はと言うと、慣れという感覚が生まれていた事だ。冷や汗をかいて尚更に体温を下げる事も無ければ鳥肌を立たせて震える事も無い。
俺はため息を吐く。いつまでこんな事をしなければならないのかと。俺が参加するだけでそろそろ二年になろうとしているのに、終わりの気配が見えない。
俺はただ、普段通りの生活がしたいだけなのに、それが未だ叶わない。
このまま突き進んだ先に日常が、元の生活があればいいのにと願望を含めた妄想をしつつ、俺は再びバイクを走らせた。