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*23*
† 十二の罪 “慟哭” (前)
「やるな」
ツェーザルが傍らのアモンに呼びかける。
「そう言うそっちもね」
背中合わせで押し寄せる悪魔たちに立ち向かう二人。
「……圧倒的な戦力の此方が押されている……? 者共、全力を以て叩き潰すのだ!」
ソロモンが渋い顔で怒鳴る。早くも半数は削られたであろうか、尚も彼らの勢いは衰える気配が見えない。ルシファーの火力に、大方の悪魔は成す術も無かった。躱せたとしても空はベルゼブブに制され、アモンとツェーザルの猛攻から逃れつつ、思いの外派手に暴れ回る小さな巨人にも注意して、次の斉射に備えなければならない。これと言って、いまだ有効打を受けていない彼らに対し、一方のソロモン軍は損害を徒に重ねるばかりであった。
(おのれ、王権者たる余の軍勢と互角以上に……! 魔王は兎も角、あの者達……まさか此れ程とは……斯くなる上は被験体の力を発動し、捻じ伏せる……!)
「死力を尽くして食い止めよ」
生残している数十の悪魔達に命じると、臙脂色のローブを翻して反転するソロモン。
「あいつ、逃げやがった!」
「あの童の元へ参るのであろう。戰いを急ぐぞ」
敵影を斬り捨てながら、ルシファーがアモンに告げる。
「ああ、出し惜しみせずぶっ潰してくさ! さあ! 次の命知らずはどいつだ!?」
恍惚とした笑みを湛え、朦朧とする少女を引き摺ってゆく片銀眼の男。
「あの男が来てくれたぞ。今の内に悦んでおけ、まだ辛うじて人間であろう」
物言わぬ被験体を残忍な瞳で見下ろしながら歩く。
「クックック……祭壇の出来は申し分無い。あとは貴様の身一つで事足りる。
否、あの高慢な魔王も贄とするのであったな。最後に想い人と一つになれる幸福を噛み締めておけ。其の刻が訪れた頃には、もう実感を得ることも敵うまい」
一通り嗤うと、側近を目で呼び付けるソロモン。
「街に火を放て! 新鮮な負の気を集めるのだ」
「はぁ…はぁ……ぅ、ぐ…っ!」
デアフリンガーの額を汗が伝う。谷の奥義は魔道に長けた大人が使うもの。発動に成功しても、子供のままである肉体が反動に堪えられる保証は無い。強引な魔力制御に耐え兼ねて、肢体が悲鳴を上げていた。
(まだだ! まだ十数人は残ってる、ここで止まれば死ぬだけ……アザミは僕が助け出す、僕が必ず幸せに……まだ僕は倒れるわけにはいかない……!)
精神力で押し通してはいるが、負担は減ることが無い。少年の動きは見る見る内に鈍ってゆく。
(よく頑張ってはいるが、あのちっこい体じゃ限界か……?)
一気に上昇するアモン。
「お嬢、悪いが“あれ”をやるから坊やを抱えて飛んでくれるかい」
ベルゼブブの高度に達すると、苦笑いして伝えた。
「吾輩に命令できるのはご主人様だけだぞー。まあアザミを早く助けに行くために今回は応じてやるけどな」
張り詰める空気。夥しい覇気が迸り、地上のツェーザルも思わず頭上を見上げた。
「な、なんだ……あれは……!?」
遥かに天高く、炎が渦巻いている。
「アンタらに地獄を見せてやるよ。現世にいながらにしてな!」
そして、あらん限りの魔力を両腕に込め、古の大悪魔は爆発的に加速した。一閃の矢が貫く様にも似た、アモンの急降下。
「どいたどいたーッ!」
悪魔たちの間を縫うが如き低空飛行で、ベルゼブブが滑るようにデアフリンガーの元へと急行した。
「おぁ……ッ!?」
「騒ぐと舌を噛むぞ」
猛禽が獲物を攫うようにして彼を掴むと、問答無用で虚空を駆け巡り、舞い上がってゆくベルゼブブ。
「――一撃必殺……」
灼熱を纏いしアモンの腕が生物の如くうねる。
「煉獄の業火を纏いし一閃(パガトリグナス・ツォライケンス)…ッ!」
赤々と魔力光の尾を引き、悪魔たちの真っただ中に彼女が突撃したと思いきや、一帯は火の海に包まれた。
「……なんという威力だ…………」
猛煙が晴れ、顕わとなった裂けたように抉られている大地に、呆然と見入る一同。なれど、いまだ十柱程の悪魔が生き残っている。
「街に火の手が上がった……遂に儀式も最終局面、か」
紫の閃耀がルシファーの周囲に奔った。さらなる翼がその背に宿り、黒々しい六枚羽根が波動に揺らめく。
「宜しい。戯れは終わりとしよう」
眼下に犇く悪魔の群れを一瞥すると、右腕を突き出した。
「オブスクリアス・メテオ――」
罪深き者を灼き殺す業火の顕現を宣言する。
「……ペルグランデ……!」
平時の数倍はある七発の紫弾によって、特大の十字架が形作られた。
「すごい…………」
刮目して見届けるデアフリンガー。眩いばかりの白光を伴って降り注いでゆく光景は圧巻である。紫炎が消えた時、悪魔たちも残らずその姿を消失させていた。誰もいなくなった下界に悠然と着地する魔王と地獄侯爵。
「おい童貞、大丈夫か?」
少し酔い気味の少年を降ろすと、ベルゼブブが問いかける。
「僕は平気だって言っただろ! それよりアザミはずっとひどい目に……」
「平気じゃないから吾輩が割って入ったんだろが! あのまま童貞のまま蒸発するか、討ち死にするまで放っといた方が良かったか」
一喝されて沈むデアフリンガーを尻目に、ルシファーは先を急いだ。
「異様な波動が生じている。喧嘩は向い乍らせよ」
鉛の如き空の下、生贄の血で彩られた祭壇を、似たように赤黒い外套を羽織った中肉中背の男が見上げている。中央には昏睡した少女。
「さあ、己が内に眠る竜の血を呼び覚ませ。貴様は此の世界を焼き尽くす存在となるのだ……! 手始めにあの男を喰らうが良い!」
ソロモンは上機嫌に両腕を広げる。
「……だ」
微かにアザミが口を開いた。
「いや……だ…………」
か細い声を振り絞る。
「此の期に及んで何を云うか」
顎を掴み、顔を覗き込むソロモン。
「余の左眼を見よ。其処に映っている世界、此の宿願の成就は貴様に委ねられている」
赤紫の魔力光が生じ、アザミが苦しそうに身を捩る。
「貴様が拒むと云うのなら、余の魔力で覚醒めさせてやろう」
ソロモンの左眼に禍々しい炎が灯り、脈動する少女の身体。
「ぁ、うぅ……ッ!」
全身を深紅に発光させ呻く様子を、満足気に見つめる。
「フッフ……クハハハハ、余を興じさせよ化け物」
笑い狂う王権者。
「……思ったより早かったな。今宵は魔王が人間に跪く記念すべき日だ! 誘き出された時点で命運は尽きたも同然。救おうとした女子に蹂躙され、吸収され、絶望の中で死すが良い! ククク……憐れ憐れ。其の傲慢な面が泣き顔に変わるのが楽しみでならんなあ!」
「――其の嗤い声が気に障ると云っている」
点滅する稲光を背に、魔王が立っている。
「ルシファーよ、市街地が燃えておるぞ。此れの比ではない土地が今夜は焼き払われる。貴様が果たせなかった世界の破壊と再生、余が成し遂げてみせよう。貴様の時代は終わった。其処な怪物の糧となり、我が栄光の踏み台として最後に一華咲かせるが良い!」
二人の王が再び相見えた。
「おいおい、アタシらの戦争がこんな小粒なヤツと比べられてるよ」
意気揚々と語るソロモンを冷めた目で見遣るアモン。
「アザミは怪物なんかじゃない! そんなこと言うヤツは……王様だろうが何だろうが僕が許さない!」
「下がっていよ」
鼻息を荒くして歩み出ようとするデアフリンガーを、ルシファーが振り向かずして片手で制した。
「ソロモンよ。貴様、其の左眼で世の真実とやらを視抜くと宣ったか。然れば我が神眼とどちらが理を視通せるか、競ってみるは如何であろう。貴様が未来を視ると云うのであれば、此の身は未来を変えてみせよう」
射抜く様な双眸で問う。
正対する両雄の影を浮かび上がらせる雷。自信に満ちたルシファーに、ソロモンも嬉々として臨む。
「良いぞ、其の瞳だ。最強の魔術師である余と最強の悪魔である貴様……歴史の変わる記念すべき夜の開幕に此の上無く相応しい対決であるな!」
燃えゆく街並みを女騎士は走った。暑い。なれど足を緩めず、熱風の中を駆け抜けてゆく。鼻腔を衝く異臭。肺が痛む。それでも彼女の疾走は何人にも止められない。
(騎士は辞めようと、何があってもわたしのすることは変わりはしない。父の遺志を守り、騎士としての道を守り、人々を守り抜く! ちっぽけなわたし一人の力でできることがある限り、わたしは……わたしは何が何でもそれを成し遂げてみせる……!)
呼吸は乱れ、煤に塗れようと、イヴは尚も直走る。見渡す限りの地獄絵図を、どこ迄も生存者を捜し続ける。もうどれだけ走り続けているのであろうか。いつの間に怪我を負ったのか、道筋に血の跡が点々と続いている。なれど彼女は一向に速度を落とそうとしない。そのようなことは彼女にとって問題では無かった。火の粉に身を焦がされようと、鋼の心を焼き尽くすことは出来ない。
ふと、幼子の泣き喚く声が耳に飛び込んで来た。咄嗟に周辺を見渡す。黒煙の狭間に女児を見つけた時には、考えるよりも先に駆け寄っていた。
「大丈夫だよ、大丈夫だからね…………」
何と声を掛ければ良いか考え付かず、彼女の薄い肩に手を遣る。この年齢ということは親がいる筈と気付いて、赤い視界で眼を凝らすイヴ。ふと、瓦礫の下より覗く半身に目が止まった。
(まだ生きている……!)