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*27*
† 十四の罪 “両雄激突” (前)
木漏れ日が水面を彩る。村の外れを流れる小川は、今日も静けさに包まれていた。
「――今日は暗いな」
谷に程近い荒野で壮絶な攻防が繰り広げられているとは想像もつかない静寂に、響くルシファーの声。
「……別にいつもと変わりません」
屈んだまま振り向くこと無く、少女は否定を示した。
「生憎であったな。如何に意地を張れど、我が眼を欺けはせん」
彼の言葉に、項垂れるアザミ。
「きみには言いたくないんだ。だって、大天使長はきみの……」
「実の弟であるが、其れが何か?」
ルシファーは平然と返した。
「話せば君はまた……暴力で解決しようとするから」
「何が悪い? お前たちの谷の男たちも今頃は暴力で暴力に立ち向かっている。俺は己が力故に栄光を物とし、力によって堕とされた。如何なる理趣も問われぬ。理不尽は理不尽に正されるのみ。元より何れかの者とは再び刃を交えるが運命。貴様が気に掛けることではない」
暫し黙り込んでいたアザミであったが、伏し目がちのまま重い口を開く。
「ぼく一人のせいで谷に迷惑かけたくない……もともとぼくから両親を奪った世界になんか何も期待してなかった。こんな苦しみに満ちた世界で生きようなんて望んでなかった、早く死んでせめて向こうでは両親と一緒にいられたらって思ってた……
それが長老と出会って変わった。あの人は赤の他人だったぼくに無償の愛をくれた。本当の家族のように接してくれた。この世界にまだいてもいいかなって思わせてくれた。でも、でも……そんな思い出もつかの間の夢と消えようとしている。また奪われてしまう……せっかく手に入れた幸せさえも奪われてしまうなんて…………」
か細い声を絞り出し、肩を震わせる少女。
「こんなぼくを今まで面倒見てくれた長老を苦しませたくない。あんなにいい人を悪者にしたくない。ぼくが存在することでこんなつらい目にみんなを遭わせないといけないの……? せっかくきみが生きることを教えてくれたのに、こんなつらい思いをしながら生きるの……?」
相も変わらず無表情で佇んでいたルシファーであったが、徐に歩み出た。
「お前は外の世界を知った。然れど自分自身をまだ知らない」
彼女が腰を落としている横に立って声をかける。
「ぼく……わからないよ。まだわかってない。何も、わからない…………」
「其の愚かしい己を見つめ直し、世界と向き合うが良い」
天使の九つある階級で最高位に位置する、それが熾天使。かつては七柱いたが、ルシファーとベルゼブブが堕天し、メタトロンが実務より退いたことで、ミカエルをはじめ、残った熾天使は四大天使と称されるようになった。その一角であるガブリエルの大軍に攻められて、大規模な戦とは無縁だった辺境の村が耐えられる筈も無い。
「兄上、村人の避難終わったよ」
返り血で赤黒い甲冑姿のデアフリンガーが櫓へと登って来た。
「ああ。そしてこの谷も終わりだな……」
焼け落ちた家々を眺める兄。
「ところで、と――」
険のある顔つきに変わり、彼は振り返る。
「どの面さげて来た? 悪魔め……!」
殺気立って柄に手を掛けるツェーザル。
「じゃあ話も聞かず武力にうったえようってそっちはなんだい?」
門の上に腰掛けたアモンが問い返す。
「村はこの通り滅ぼされたのだぞ。アザミは自分一人を犠牲にして皆を助ける覚悟であった! 長老だって苦渋の決断で汚れ役を……」
「この期に及んで悪魔じゃないなんてウソつく気はないさ。アタシらだって原因の一つだとは思ってる。だがね、若いアンタらは大人の事情なんて言われて納得いかねーかもしれんが、世の中ってもんはそう道理が通れば望んだ結果をくれるほど甘かねーわけよ。アタシぁアイツらのしてきたことを嫌というほど見てきたからわかる。何より体裁を気にするクソ共だ。はいそうですかで振り上げた拳をしまってくれるほど聞き分けのいい連中じゃないんだよねえ」
「……開き直りか。もう良い、村人たちの避難も完了したし私は最後にあの身勝手で尊大な悪魔を懲らしめにゆく!」
「行き場のない怒りをきっかけになった悪魔に向けてみんのは勝手だが、アンタらガブリエルの姉ちゃんより弱いから解決できなかったんじゃねーのかい。アタシ一人も押し通れなきゃアイツんとこ行っても一矢報いれず死ぬだけだと思うけどねえ」
呆れる地獄の侯爵。
「一週間前、お前の攻撃は見切らせてもらった」
ツェーザルが抜刀した。
「上等だ。前は驚かせてもらったが、こっちも最初から本気でいかせてもらうよ!」
楼上へと跳躍するアモン。
「ッ……!?」
驚異的な踏み込みで分解した足場が崩れるより早く、二人は脱出した。
「……何と馬鹿げた瞬発力だ」
「はーん、よくかわしたねぇ。人間にしちゃずいぶんとやる方だが……」
城壁を蹴り、宙を裂いて、地上のツェーザルに向けて急降下する。
「この程度じゃルシファーには歯が立たんよ!」
「それは――」
瞬時に後転してツェーザルが踵を反し、逆に肉薄した。
「どうかな!?」
薙ぎ払われた剣を受け止め、睨み合いながら鍔競り合う。
「ぐふ……ッ!」
アモンが押し返し、蹴り飛ばした。
「剣技だけに頼ってちゃ、得物がないと喧嘩できねーだろ」
「調子に乗るなぁああ!」
再び距離を詰め、撃ち込んでゆく剣士。
「……まだ魔術も使っていないというのに、兄上と互角以上なんて…………」
固唾を飲んで弟が見守る。
(……我が剣をこれほどまでに捌ききる相手がこれまでにいたであろうか。いや、いない。地獄にはこのような猛者がいるのか――――)
剣戟の中、彼は今まで感じたことの無い感覚を抱いていた。
「たいしたもんだ。兄ちゃん、アンタやっぱ強ぇよ」
十数合を重ねてなお、互いに決定打を受けていない。
「その言葉、そのまま返そう」
間合いが空くと、双方は讃辞を交わす。
「だけど……いや、だからこそ負けるわけにはいかなくてねぇ。この地獄侯爵アモンの名にかけて!」
不敵に苦笑うアモン。
「魔界の強者に名乗られるとは光栄だ。しかし我が人生、剣をとって敗れたことは一度としてない。この身は不敗の剣士ツェーザル……その称号は今までも、これからも変わることはない!」
凛とした面構えでツェーザルも応じた。
「――やはり谷は滅んだか」
陽が落ちてなおも朱に彩られた荒野の彼方を遠望する二柱の悪魔。
「……長老は、長老はどうなったの……?」
悲痛な様相でベルゼブブが尋ねた。
「此度こそ奴を仕留めようと望む天使方が見逃す筈は無い。奴等が何より重んじると抜かす正義とやらは体面の換言故な」
そこまで口にするとルシファーは、徐に遠方へと視線を戻す。
「何れにせよ帰るべき地を失い、遠からず死ぬ身であろう。然れど此の身はあの者を我が宿敵に値すると認めた。故に俺は手向けとして相応しい最期を与えねばならぬ。滅びの結末しか待っていない運命とは云え、斯様な輩に討たせるには過ぎた男だ」
「――それは光栄じゃ」
紅く燃えゆく地平線を背にした長老の影が、夕闇に浮かび上がっていた。
「そちと顔を合わせるのも最後じゃな……。まずは礼を言わせてくれ。アザミを守ってくれてありがとう」
この期に及んでなおも微笑みを絶やさない。傍らに伴われているのは、思い詰めた表情のアザミ。
「礼は要らぬと云った筈だ。我等が交わすは己が技のみ」
対してルシファーは愛想笑いも見せない。
「では最後に、ひとつ約束をしてくれんかのう……勝ち残った方がこの子らを導くと」
長老の声色に重みが加わる。
「宜しい。死を以て決着するより他に、因縁の終焉は望まぬ」
両雄の問答は短く、なれど明瞭であった。
「……なんで……なんで戦わないといけないの……! 二人とも敵は天使なのに手を取り合えないなんて…………」
堪らずに少女は喚く。
「然も己が正しいかの様に平和を主張するのであるな。戰とは如何なるものか知らずして平和を語る等烏滸がましい。
竜王よ! 決戦の舞台は整ったが、童に気を取られて貴様が本気を出せねば興が冷める。其の者、遠ざけておけ。王者の戰いを邪魔する等、無粋極まり無い真似は赦さぬ」
ルシファーは眉根を寄せて彼女を流し見ると、宿敵に要求した。
「アザミ、これから始まろうというのはそちの知っておる戦いではない。未来の長いそちを巻き込みたくないんじゃ」
悲しげな眼差しで長老は諭す。
「すまんのうアザミ、わかってくれ……大切な子を危険から守りたい、そちと出会ったとき誓ったこの想い……命に代えても貫きたいんじゃ」
眉尻を下げ、娘に笑いかけた。
「……いこう」
肩を震わせる彼女の手を引き、デアフリンガーがその場を後にする。逆らいはせずとも、アザミの目は最後まで彼(ちち)を見つめていた。
「――開幕だ」
魔王の一言と共に、周辺の空気が一変する。