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大罪のスペルビア
作者: 三井雄貴  (総ページ数: 50ページ)
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10~ 20~ 30~ 40~

*37*

                † 十七の罪 “剣戟の果てに” (後)


 雲上の絢爛な館に於いて、殊の外質素な一室に最上位の天使は居を構える。日頃は華やかな席に在って政へ勤しむ彼には、心休まる場所も雑然としていることは耐え難かった。
 珍しく部屋で過ごすミカエルは、味気無い壁に掛けられた地図に目を遣る。広い。己の手が及ぶ範囲のみでもこれ程の広さ。何人たりとも唯の一度とてこの繁栄を覆すには遠く及ばなかった。恐らくそれは今後も変わりはしない。戦の天才と謳われたルシファーが、全天使の三割に達する大軍勢を以てしても果たせなかったのだ。再び天地を揺るがす大事が勃発しようと、この空前の威容を制することは成し得ないだろう。仮に考えられるとしたら、この本拠に直接攻勢を仕掛けるぐらいか。なれど左様に酔狂な者がいたとしても、強固な結界に護られ、現世より“閉ざされた”空間に対して成す術などある筈が無い。
「……ガブリエルが死にました、か。まあ面白いものが手に入ったし良しとしましょう。少数の手勢を率いて乗り込んで来るつもりだろうけど、僕と相まみえるのは彼だけで結構です。ラファエルたちが不在な今、宿命の再戦には持ってこいの舞台でしょう」
 強襲されようと迎え撃つのみだが、目障りな有象無象が居合わせては因縁の結末に相応しくない。かの者にとって、それは同胞のガブリエルも含まれている。彼方(あちら)に手痛い損害を与え、アモン辺りと相討ちになってくれれば都合が良い、と彼女へ密命を下した。ガブリエルの戦果が揮わなかった際に備え、全軍に臨戦態勢を整えさせてある。万単位の兵力を一掃する奥義を有するのはルシファーのみ。ベルゼブブといえど、圧倒的な数の暴力に阻まれる。どの道、新旧大天使長の一騎討ちを迎える筈だ。
(そして……僕が今回もあなたを破り、最強を証明する。あなたが残したものに、僕が積み重ねてきた功績が劣るはずないのだから……! そう、今までもこれからも僕よりも大天使長にふさわしい男などいない)
 窓の外に目線を移す。どこまでも明るい。
「――あの頃はすべて、あなたのものでしたね」
 なれど、この世界が闇に呑まれていないのは、後任の己が守護し続けているゆえだと言い聞かせる。
「兄さん……あなたが返り咲くことはない」
 思えば常に兄の後塵を拝していた。兄弟は比較される宿命であろうが、大天使長を賛美するのに何故わざわざ弟の不甲斐無さを嘆く必要があるのか。外野に言われずとも自分が誰よりも痛感している。
 数ある天使の中でルシファーのみが十二枚もの翼を持って生まれた。そんな兄を誇らしく思っていた感情に嘘は無い。強く、気高く、美しい兄は尊敬の対象だった。憧れは届かぬ相手だからこそ抱くもの。それでも兄のようになりたいと願い、努力を惜しまなかった。兄の戦いを間近で学びたい、兄に成長した自分を見てほしい、そう望み、戦場に供する日々。惨憺たる結果に終わろうと、兄は補ってくれた。足手纏いになりたくないと、さらなる苦行も乗り越えてきたが、世間の風は冷たい。
「今に見てろよ……こいつらなんか何も言えないぐらい強くなってやる……!」
 いつの間にか兄に次ぐ実力者としての地位を勝ち取っていた。しかし、どれほど強くなろうと、最強の彼には見劣りする、という風潮は無くならない。
(兄さんに頼り続けていては兄さんと並び立つ日は来ない、僕は一人でもやれるんだということを実証しよう)
 支えられるままの自分に決別すべく、竜族と決戦の折、未知の敵に警戒する慎重派を押し切って先鋒を買って出た。現実は厳しく、またも生き恥を晒して帰還した自分を変わらず温かく迎えてくれる兄。それが堪らなく嬉しくて、堪らなく辛かった。なぜ兄はこんな出来損ないの弟に優しくしてくれるのだろう。そんな兄を誰よりも敬愛していた。なのに、なのに何故あんなことを――――
 誰よりも恵まれていた彼が叛逆に奔ってしまった。乱の最終局面で対決に至る兄弟。そして、知らぬ内に兄と互角以上の実力を身に付けていた自分は激闘の末、彼を奈落の底に突き落とす。
「……さようなら」
 そして、誰よりも彼が憎くなった。
「兄さん、どうして…………」
 口を衝いて零れ出た独白で我に返る。疲労が溜まっているのだろうか。遠い昔の記憶に、意識を乱されていたらしい。
(まあ終わったことだ。また僕が天上天下、そして……彼に示す)
 壁際に掛けられた聖剣を見遣る。
「超えたんだ、僕は――あなたを……!」


 その男と出会ったのは、遠き日のこと。
「戦と聞いちゃじっとしてらんわな。しかも天使と竜族の激突とは一生に一度見られるかどうかの豪華対決、こりゃ見逃せないねぇ」
 高台に陣取って天使方の陣営を遠望する。最強と名高い大天使長直々の遠征とあって、どれ程の屈強な猛将が現れるのかと興味津々な彼女。
「お、アレは……!?」
 見逃す筈も無い。見渡す限りの天使達の中央に突出して強大な波動を感じ、目を凝らす。軍団の先頭にいた青年は中性的な面貌に色白の痩躯、そして片手には戦場に不似合なワイングラス。
「なんだアイツ、戦をおっぱじめようってのに呑んでやがんのか。天使ってクソ真面目なヤツばっかだと思ってたがルシファーとやらは酔狂なヤツみたいだねぇ」
 なれど滲み出る存在感は、数知れない強者と凌ぎを削ってきたアモンも納得させるのに十分な威厳を漂わせている。
「閣下! 申し上げます。先代の竜王フューラーは交戦を避けたいようですが、実権を握る竜帝フォルテが軍勢を率いて向かっている模様」
 グラスを口元より離すと、流し目で部下を一瞥する大天使長。
「――殲滅する」
 徐に呟くと、双剣を顕現させる。
「此れより進撃開始。全軍続け……!」
 彼は柄同士を繋いで大弓を成すと、天高く放った。
「……たまげた。優男かと思ったが、こんな腕達者が天使の中にいるとは」
 眼下を紅炎で染め上げてゆく疾風怒濤の攻勢にアモンは感嘆する。天使軍は何れも実力者揃いだが、大天使長は中でも飛び抜けて精強であった。
「強い。なんて強さだ……!」
 竜族を空戦で圧倒し、地上に降りてはすべてを灰に変える。膨大な魔力は底を突く様子も無い。巨大な竜を一太刀で屠るその勇姿に、彼女は刮目して見入る。
「こんなヤツがこの世界にいたのか!」
 かの者は破壊者でいつつも気品に溢れ、天使の身に在りながら冷酷すぎる程に情容赦無い男だった。

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