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作者: 花音 (総ページ数: 23ページ)
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*13*
彼はね、と昔話の思い切り冒頭で着信音が鳴り響いた。
いきなり腰を折るなよ、と呟きながら画面を見遣ると、つい八つ当たりをしてしまいたくなるような非通知。こんな時間に番号も出さずにかけてくる相手は一人しか知らない。
「もしもし?」ぞんざいな口調で「家で寛いでますけど、何か?」
――一度お電話しましたが出ませんでしたので、年の為もう一度かけてみました。
高校生相手とは思えない丁寧口調でとりあえず年上の相手はそう答えた。カバンに詰めたままの携帯の着信など確認している暇もなかった。それは失礼しました、と昔の仕事口調で返してしまう。
「友達を話し込んでしまっていたんで。特にトラブルがあった訳じゃありませんよ」
――それなら構わないのですが。
「じゃあ切りますよ」
――ええ、お休みなさいませ。
1分にも満たない通話記録はかけた相手から一方的に切られてしまう。電話は受けた方が切るっていう社会のマナーを知らないのか、あの男は!
「……誰から?」
「んー」説明に悩む相手だ。「僕は1年前に両親を事故で亡くしててね。その時の弁護士さん」
失ったのは両親ではなく初めて愛した少女だけど、彼が弁護士であることに変わりはない。通話をオフにした携帯画面を見ると、着信の他にメールが何通か届いていた。さっきの彼はメールという手段を使ったことがないのでこちらは学校の友人たちだろうと受信ボックスを開く。
「――見る?さっきの友達からだよ」
「え?」
「みんな、君を心配してる」
受信時間がまちまちなのであのファミレスを出た後、示し合わせた訳ではなく気になってメールを送ったのだろう。僕のメアドなのに内容はカナに充てたものばかりだった。
「……何で、みんなこんなに心配してくれるのかなぁ」
「友達だからじゃない?」
「あたしの友達はこうじゃないよ」
「それは友達じゃなくて、ただ同じコトをしてるだけなんじゃない?」
「そうかもね。……悩みなんて話したコトも話されたこともない。悪いコトを止めたコトも止められたコトもない。ドラッグが欲しい時だけ会うだけ」
「みんな、一人でキメるのが怖いだけなんだろうね。覚醒剤やヘロインをカッコよく呼ぶのだって、罪の意識を軽くしたいだけなんだろうし」
パチン、と携帯を閉じて僕に返す。ありがと、とカナは素直にお礼を言った。
「じゃ、始めようか」
「――うん」
「彼はね、犯罪者なんだ。でも警察に捕まったことは一度もない。
彼は犯罪者だった。生きる為なら何でもやるような男だった――否、犯罪を続けることでしか彼は生きる意味も手段も、『生きていく』こと自体も出来ない人間だった。
彼は生きる為に裏社会の人間たちから邪魔な人間を殺すように依頼された。そしてそれを完璧に実行した。他人の血で汚れた彼はまっとうな生活を送れる筈もなく、彼が生き続けることは世の中の犯罪の全てを犯し続けていくようなものだった。
ただ、彼は自分に一つだけ枷をつけた。
決してドラッグには手を出さないと決めていた。
カナの肩がぴくりと震えた。
「……あたしが、その人殺しよりサイアクだってこと?」
「そうじゃない。枷をつけた、と言ったろ?彼にとってドラッグは生きていくことに邪魔なモノだったんだ。ドラッグに染まってしまったら『独り』ではいられなくなる。ドラッグを求めて繋がりのあるヤクザと協定を結んでしまうかもしれない。依頼された殺人をまっとうできなくなるかもしれない。だから彼はドラッグを拒み続けた」
禁断症状の一つである不快感が強まっているのか、延々と喋っている僕よりもカナはミネラルウォーターを飲み続けている。新しいボトルをケースから取り出して続けた。
依頼を完璧に遂行する彼を自分の駒にしたがるヤクザは沢山いた。様々な手段を使って彼を誘った。億を超える金、女、そしてドラッグ。だけど彼は『独り』でい続けた。それはつまり全ての裏社会の人間のモノであることも意味した。自分が雇い主である時は安心するが逆は正に恐怖だ。彼は裏社会にとって諸刃の剣みたいなものだった。
ある時、一人の男が彼を駒にしようと近づいた。男は裏社会でも絶大な力と発言権を持つヤクザの組長だった。そして彼に何度も人殺しを依頼している上玉の雇い主だった。男は自分の片腕となって男の為にだけ動くよう彼を誘った。それでも彼はどんな条件にも首を縦に振らなかった。
カナの体がびくりと震えたので言葉を止めた。
どうかした?と顔を覗き込んでみるけどカナは僕の視線すら気づいてないようだった。
「カナ?」
熱帯夜のせいだけではない脂汗が流れている。顔を流れる汗を拭いもせずに震える指先を冷蔵庫へ向けた。
「な……に、アレ…」
「――冷蔵庫だよ?」
「違う!」いきなり叫ぶ。「ひ、人がいるじゃん!あそこ!小人みたいな!」
「カナ、どこにもいないよ」
「いるってば!やっ!こ、コッチに来るよぉ!!」
叫びながら後ずさるが薄い壁に背中をぶつける。それでも逃げようと壁に背中を打ちつけた。
「カナ!それは幻覚だ!ココにはそんなものいない!」
「ほ、ほら来た!小人がいっぱい!」
カナの目にはからくり時計に出てくるような人形が見えているのだろう。現実問題として人形が勝手に動くとか――そもそもこの殺風景な部屋に人形などある筈もなく、禁断症状からくる幻覚なのだ。現実との区別がつかなくなるのは……果たして神経なのか精神なのか、それとも脳内そのものなのか。
無数に押し寄せてくるらしい小人たちを必死になって振り払おうとするカナが今度は自分の指先を見つめ始める。
「な、何で……あたしの指がぁ!」
「カナ!落ち着いて!」
「指!指が小人になってるぅ!いやぁ――ッ!!」
禁断症状で幻覚だとか妄想だとか絶対あるだろうなとは思ってたけどココまで大騒ぎになるとは予想外だった。恐れるのはカナの精神状態の最悪さ――ではなく、人間として不可解な叫び声に通報されること。唯一の安息場所を追われるのは非常に困る。
「カナ、大丈夫だから!」
「来ないでぇ!小人が!指が小人にぃぃぃ!!」
「……ごめん!」
多分届いてないだろう謝罪の言葉を投げてから暴れるカナの鳩尾へ優しく――女のコ相手ですから、本当に優しく――拳を打った。急激なショックで前のめりになるカナの両肩を押さえて首の後ろにもう一つ。
気を失ってずるずると布団へ倒れこんだ。
「無理強いしたくなかったんだよ、ほんと……」
昔話は明日に持ち越しになってしまった。
気を失ったまま眠りに落ちたカナをそっと布団へ寝かせてやる。
耳を澄ませてみたけどサイレンの音は聞こえない。よく考えてみれば隣の住人は何か起きても後で聞いてくるタイプだし、階下の住人たちに至っては顔を合わせたことすら片手で数えられるくらいだ。まあ音無さんには明日、しっかりと事情を説明しなくちゃいけないだろうけどね。
カナから視線を外して冷蔵庫を見つめる。――近くの商店街で購入したシングル用の小さなアイボリーの冷蔵庫には友人に返す予定のマンガの日付とかゴミ出しの予定表が貼ってあるだけ。
……そう言えば『彼』は、薄暗い電球の下で無数の蛾を見たんだっけ。
今にも冷蔵庫の中から虫や人形が這い出してきそうで目を背ける。橋場さんたちには裏切らないから友達になって欲しい、と頭まで下げたのに、その日の内にドラッグがないと眠れないと哀願する。それでも断ち切りたい想いもある。――同居(同棲か?)していた相手が中毒者だったことも考えると、カナはドラッグを始めてまだ3ヶ月程度といったところだろう。軽い気持ちで始めたドラッグなら軽くやめられる。そんな風に思いながらも回数は増し、量が増え、結果的に相手と同じ位置まで堕ちてしまった、というところか。
「……僕なんかができる相手じゃないよ、全く」
昨夜と同じように窓の下で丸くなって眠りにつく。
明日のモーニングはちゃんと食べよう。