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作者: 花音 (総ページ数: 23ページ)
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*14*
午前6時。携帯のアラームより少しだけ早く意識が覚醒した。
さすがに二日連続で雑魚寝はキツい。布団に吸い込まれる筈の疲労がまだ体内に残っているような感覚だった。
「――あ、起きた?」いきなり声が飛ぶ。「ねえ、パンでいい?」
「あぁ、うん。……って、カナ!?」
無意識に飛び起きた。
調達したスウェットに着替えたカナは、僕に背を向けたまま――台所に立っていた――せわしなく動いている。
「昨日、買ってもらった材料で作ったんだ。コーヒー飲む?」
「えと……いや、コーヒー苦手なんだ。冷蔵庫に紅茶があるから平気」
コドモみたい、と笑いながら器用にフライパンを動かす。……よかったな、フライパン。やっと本来の使用目的で使われて。
カナが出来上がった朝食を皿に盛っているところでトースターがチンと軽やかな音を立てた。コンビニの惣菜を温める以外に殆ど使用していなかったトースターが!
「――カナ、何時から起きてるの?」
「ん〜、30分くらい前かな?顔洗って、さっき作り始めたとこ」
「さっき!?ついさっき起きてこんな光り輝くモーニングが作れるの!?」
「大げさだよぉ。パン焼いて卵とウィンナ炒めただけじゃん」
けらけらと笑うカナに昨日の怯えは全くなかった。
布団を丸めて壁に立てかけたままのちゃぶ台を広げる。そこへ並べられた朝食は本当に光り輝いているように見えた。
「千尋って料理しないの?」
「しないというより出来ないね」いただきます、と両手を合わせる。「さっき使ってたフライパンもお湯を沸かすのが今までの使い道だったくらいだよ」
「朝ごはんどうしてたの?」
「近くに美味い紅茶を淹れてくれる店があるんだ。モーニングをやってるから朝はいつもそこ」
食べ慣れない甘いスクランブルエッグは、それでもふわふわとしていて朝のだるい脳を優しく溶かしてくれる。凄いね、天才だね、と賞賛すると、
「ウチ、お母さんいないからさ。ゴハンはいつも自分で作ってたんだ」
「……そっか」
「あ、紅茶飲む?持ってくるよ」
「ありがとう」
てきぱきと立ち上がっては欲しいものをくれるカナに自然と笑みが零れる。
昨日の禁断症状は一先ず波を越えたらしい。まあ半日持てばいい方だけど。
いつものモーニングと同じようにゆったりと朝食を摂って学校へ向かった。
玄関を出ると予想していた通り音無さんに捕まってしまった。カナが中毒者だということは隠して――殆どバレているようだったが――何があっても警察に通報はしないでほしいと頼む。部屋の中がどうなっても構わないからカナを否定しないでほしい、とも。
「放っておいていいんだな?」
安心に近い確信。お願いします、と頭を下げて階段を下りる。
今日は初日にあった教科の答案が返ってくるだけなのでカナを一人にしておいても半日程度のものだし大丈夫だろう。
そんなことを考えながら正門を潜る――と、後ろから声をかけられた。
橋場さんだった。
「おはよう!……西島くん、歩くの速いねぇ」
「そうかな?」
「さっき見つけて声かけようとしたんだけど。追いつけなかった」
そう言われてみると心なしか息が揚がっているような……。単に運動不足なのでは?
「カナ、どうしてる?」
「朝は普通だったよ。ゴハン作ってもらっちゃった」
「へ〜」
二手に分かれた生徒用出入り口を抜けても、靴から上履きに履き替えても、橋場さんはそれ以上何も言わなかった。聞きたいことがあるんじゃないの?と階段を上りながら尋ねてみる。3階まで上りきったところで、ようやく足を止めた。
「……カナ、狙われたりしないのかな?」
「狙われる?」おかしなことを言い出す。「誰に?」
「その……クスリ売ってたヤクザさんとか」
おいおいヤクザに「さん」付けかよ、と突っ込みたくなったが、彼女の目は真剣そのものだった。
「クスリってヤクザさんが売ってたりするんでしょ?カナが急に買いに来なくなったりして、警察に行ったんじゃないかとか疑われて……そういうこと、ない?」
「ないよ」即答。「元締めはカナ一人消えたくらい何とも思わない」
「本当?」
「あのねぇ。――基本的にヤクザってのはドラッグを入手するだけ。それをバイヤーに売って資金を集めるだろうけど、バイヤーと接触するのだってヤクザのペーペーだよ。チンピラが捕まってもヤクザの中心まで警察の手は届かない」
「そっかあ。よかった」
あまり校内で話す内容じゃない。カナの話はもうやめよう、と言いかけた時、「あのさ」といきなり上から声が飛んできた。
二人でぎくりとして見上げる。
見たことのない女のコが頭だけ覗かせていた。
「ヤクザってのがどんな範囲でモノ言ってるのか知らないけど。あっち側の人間が全部悪人みたいに言わないでくれる?」
「……あっち側?」と僕。「それはどういう」
「自分の見たモノしか信じないような人、キライなんだ」
女のコはそれだけ言うとまた階段を上っていった。
「……あのコ、誰?」
「知らない……」橋場さんの声は震えていた。「聞かれちゃったね」
「大丈夫だよ。あのコはカナの話というより、ヤクザがどうのこうのってことに気分を害したみたいだから」
だけどまるで繋がりがあるような言い方。
はっきりとした線引きで僕らを拒絶した言い方。
『あちら側』と『こちら側』。
それはあのコの言う、『あっち側』で生きてきた僕がよく使う言葉だった。
返ってきた答案はどれも平均プラス10点といったところ。僕に両親がいれば怒られることもなく過度な期待をされることもなく、といったところか。
基本的に学校の成績がイイ奴と頭がイイ奴ってのは違うと思う。学校のテストは記憶力の問題だ。教師の癖を読んで出される問題を予想する。命を賭けた駆け引きをしていた僕にとって教師の癖を盗むのは非常に簡単なことで、うっかりすると成績上位者の掲示板に名前が挙がってしまいそうなほど。それはさすがに目立つしかといって追試なんてしてたら時間が勿体ないのでそこそこの成績で自分と周囲を安心させている。
答案を四つ折にして鞄に押し込む。女史と朝日奈は常に掲示板に名前の載る人間なので追試とは無縁な存在だ。――橋場さんと滝沢は眉間に皺を寄せて答案を見直している。
「滝沢ぁ」と僕。「夏休み、追試でフイにしないでよ?」
「わーってるよ!俺はカナちゃんと海に行くべくこの後の教科を神に捧げるんだ!」
「今更、神頼みかよ……」
頼むのは神ではなく自分の記憶力だろうに。
「カナは大丈夫なのか?」と女史。「学校は行ってるのか?」
「……行ってないみたい。家に居辛いみたいだから、昼間は僕のトコにいるよ」
本当は夜も一緒なのだが。
「今日また会えないかなぁ」
「橋場さんはバイトでしょ?」
「だって心配なんだもーん」
「大丈夫」根拠はないが。「落ち着いたらまた連絡するから」
カナの話でふと思い出した。――朝の女のコのこと。
「あんまり校内で話す内容じゃないから、しばらくこの話はナシね」
「何だよそれー」滝沢が口を尖らせる。「気になってテストどころじゃなくなるよ」
はて、カナに会ったのはテストが終わった後だったような気がするけど?
「家に帰って落ち着いてるようだったらメールするよ。……本当は病院に行くのが一番なんだろうけど」
「それはドラッグの内容が変わるだけだろう?」
ユイ、この計算が間違ってる、と答え合わせをしていた女史が言った。
「ネットで幾つか調べてみたが、依存症になって入院した場合、禁断症状を薬で抑えることになるんだそうだ。症状がひどければ服用する薬も増える。薬を薬で抑えるなんていささか間違ってる気もするんだが……」
この人、本当にいつ寝てるんだろう……。知らないことを知らないままにするのがキライなんだろうな。世の中には知らなくていいこととか知ったら戻れないようなこととかやはり沢山あると思うのだけど。
「カナは病院に行かなくても克服できると思うか?」
不意に声を落として真っ直ぐに僕を見つめる。揺ぎない瞳――そんなに真っ直ぐに見つめられたら吐ける嘘も吐けなくなってしまう。
「……現状は僕にも判らない。多少浮き沈みは激しいけど最悪って状況には陥ってないと思う」
だけど、と心の中で思う。
もし、カナが誘惑に負けて再びドラッグに手を出してしまえばもうカナに未来はないだろう。