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be there *完結*
作者: 花音  (総ページ数: 23ページ)
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10~ 20~

*18*

 準備は整った。
 さあ戦いを始めよう。

 もそり、と厚いブランケットの上に寝転ぶカナの体が身じろぐ。何をどう手当てされたのか随分と熟睡していたな。
「……起きた?」と僕。「ごめんね、こんなトコで」
「ち…ひろ……?」
 目を半分だけ開いた状態で壁に寄りかかって座っている僕を見つめる。それから寝返りを打とうとして――がちゃり、と聞きなれない金属音に首を傾げた。
「一応、痛くないようにタオル巻いてみたんだけど、邪魔じゃない?」
「……ここ、どこ?何これ……?」
 カナの目に飛び込んできたのは知っている僕のフロ場ではない。綺麗なマーブル模様の染み一つない大理石の壁、つるりとした広いバスタブ、カーテンで仕切られた向こうには機能優秀なトイレが備え付けられている。そしてカナはバスタブのすぐそば、バスルームで言うところの脱衣所みたいなところに寝かされている。聞き慣れない金属音はカナの手首に嵌められた銀色の手錠が鳴った音。手錠は真新しい鎖がつけられている。その先にもう一つ手錠があり、それは壁に固定された手すりに繋がっていた。
「……あたし、マサトに監禁されちゃったの?」
「彼なら」僕の声は穏やかだ。「今ごろ警察に連れて行かれちゃったよ。お友達と一緒に」
 そのお友達の一人はきっと警察ではなく病院に連れて行かれただろうけど。
 がちゃがちゃと手錠を引っ張っては辺りを見渡す。
「ねえ千尋、ここどこ?何で手錠?マサトが警察ってどういうこと!?」
「君には必要なものが3つある」
 カナの問いかけを無視して続けた。
「一つは、ドラッグを与える人間から逃げる為の場所。もう一つは、ドラッグを断ち切る為の状況。最後に、ドラッグを忘れる為の時間」
「それとこれと何の関係があるのよぉ!」
「今から1ヶ月、ここで僕と生活してもらう」
 がちゃり、と外そうとしていた手錠の音が止まる。
「ここはホテルのバスルーム。ホテルといっても変なトコじゃないからね。きちんとした、それでいて吃驚(びっくり)するぐらい高級ホテル。この部屋を1ヶ月借りてもらったから、君は何も心配しないで僕とここにいてもらう」
「心配するなって……何で、こんなこと…」
「外にいればドラッグを完全に断ち切ることなんて出来ない。マサトとか言う彼氏が捕まったって、ドラッグ仲間は他にもいるからね。僕の部屋は残念ながらあんな状態だし、切羽詰った君が逃げだすことだって考えられる。この部屋で生活するってのも考えたんだけど、軽く拘束しとかないと禁断症状で何するか判らないしね」
「で、でも、千尋と1ヶ月も!?ここで!?食事は?ト、トイレとかさ!?」
「大丈夫。食事はちゃんと運んでもらえるようになってるし、掃除とか緊急事態に備えてそういう人も準備してあるから」
「大事なトコが抜けてるじゃん!」
「トイレのこと?気にしなくていいよ。僕も気にしないし」
「気になるでしょー!!」
「本当にドラッグきれたら気にする余裕なんてないから」
 僕は至って冷静だった。平然とした口調で答える僕を見てカナの目が恐怖に怯える。
「千尋…あたし、何か怒らせるようなこと、した?」
「怒ってないよ。本当。1ヶ月ってのは僕の夏休みのタイムリミットなんだ。ごめんね、学校が好きだから休む訳にはいかないんだ。
 カナが僕を許せないなら、夏休み最後の日に殺してくれても構わない。その時は君をきちんと守ってもらえるようにある人にお願いしてある。僕にはもうこの方法しか思いつかないんだ。君を助ける為に、汚い僕は汚い方法しか思いつかないんだよ」
 許してもらえなくて構わない。許してもらおうとも思わない。
 存在さえ許せないなら殺していいよ。自分の手で出来ないのなら僕が自ら消えよう。
 だから付き合ってくれ。この戦いに。
「……1ヶ月経ったら、あたしを解放してくれるの?」
「勿論」
「あたし、殺されたりしない?」
「勿論。――最悪、殺されるのは僕かもしれないけど」
「あたしを、助けてくれるの?」
「勿論。――全力で」
 カナはじっと左手首の手錠を見つめた。
「鎖の長さはそっちのトイレに届くまでにはしてあるけど、出口は僕で封鎖させてもらうからね」
 そう言って僕は隠していた右手を見せる。右手にはカナと同じように手錠が嵌められており、もう片方の輪はドアノブにかけられていた。
 判った、とカナが呟く。
「ドラッグやめられるんなら、もう何でもする」
「オーケィ。じゃあこの間の続きを始めよう」
「続きって?」
「昔話だよ。あれからちっとも進んでない」


 僕が知っている、ドラッグに汚された『彼』の話だ。
 どうしようもない殺し屋で、だけどドラッグだけはやらないと決めていた彼だったけど、彼を自分の駒にしようとしたヤクザに罠にかけられた。
 ある人間を殺して欲しいと頼まれた彼はヤクザからの情報で汚い雑居ビルへ乗り込んだ。そこに殺して欲しい人間がいるから、と。だけどそこに依頼されたはずの人間はいなかった。彼はヤクザたちに捕まり、ボスの駒になるよう脅された。彼は勿論拒んだ。
 ボスは彼を駒にする為にドラッグを使ったんだ。
 街で売られているような粗悪なモンじゃない。純度の高い――それだけ強力な覚醒剤を何度も打たれた。ドラッグの為に自分の言うことを聞くようにしようとしたんだ。
 彼は数時間で一気に中毒者(ジャンキー)になった。普通の人間ならショックで精神が壊れるような量だったけど、彼は不幸にも肉体的にも精神的にも常人じゃなかった。体内を駆け巡る覚醒剤にも耐え切ってしまったんだ。そして彼は雑居ビルの一室に閉じ込められた。こんな綺麗なホテルじゃない、埃と黴と悪臭にまみれた汚い部屋の小さなトイレに。自分からボスの駒になると言えばそこから出て、覚醒剤も好きなだけ打ってやる、と。
 その瞬間から彼の地獄が始まったんだ。


 カナの息遣いが荒くなっていく。僕はそれを無視して続けた。

「打たれた覚醒剤はあっという間に体内で消化され、彼の意思とは無関係に続きを欲した。それでも彼は屈しなかった。汚物に塗れた床を転がり、激しい離脱症状と幻覚に苛まれながらも耐え続けたんだ。ドラッグに折れることは自分を失うことと同じだったからね」
 ガチャガチャガチャ!とカナが手錠を激しく揺さぶった。
「聞きたくない!あたしはそんなんじゃないもん!人殺しじゃないしこんなトコ閉じ込めなくたってちゃんと!」
「君が出来ても周りが――ドラッグで繋がってる共犯者が許してくれない」
「もういってば!あたしなんかどうなったっていいんだってばぁ!」
「……彼は耐えたよ。部屋中に飛び回る無数の蛾にも、今まで殺してきた人間が目の前に現れても。意識がなくなりそうになれば壁を殴って自分を取り戻した」
 喉で呼吸をしながらカナは尚も手錠を外そうとする。体内から消えかけていたドラッグを再び取り入れたのだ。反動は今までよりも大きい。
「会いたい!会いたいの!マサトに会わせて!あいつがいなかったらあたし誰にも愛されない!!」
「――カナ、両親は?」
 びくり、とカナの体が震えた。
 家出をしてきたというカナが両親へ連絡を取るのを見たことがない。捜索願を出されるのが困るからと言って定期的にメールを送る家出少女が多いというのに。
「……あいつらのことなんてどうだっていい」
「でも、両親が心配」
「誰が心配なんかするもんか!」
 ガチャリ!と拳を床に叩きつける。
「あいつらはね、あたしの心配なんか一度だってしたことないんだよ!あいつらの子供は成績優秀なお兄ちゃんだけだよ!無視だよ無視!家にいなくてもどうってことないんだよ!」
「……そう。君は両親への愛情とドラッグで繋がっただけの男の愛情を取り違えたんだね」
「マサトは愛してくれた!」
「愛情の形は違うけど、君を心配する人はいるよ。ちゃんと」
 ジーンズから携帯を取り出してメールボックスを開ける。
「見える?僕と君の友人たちからだ」
 夏休みの約束を全て反故にした僕へ、怒りではなく心配するメールの多さ。そして一緒に居るはずのカナを心配する文章が、瞳だけでなく心に届くだろうか。
「……そんなの」カナは呟く。「カワイソウだからでしょ?ドラッグにハマッてカワイソウナコダネって言ってるだけじゃん!」
 被害妄想が拡大し始めてる。今日はもう何を言ってもマイナス思考だろう。
「じゃ、僕はそろそろ寝るよ」
「はあ!?」
「ちょっとケンカしてきて疲れてるんだよね。おやすみぃ」
 手錠が邪魔で寝転がることが出来ないので扉に背を預けて目を閉じた。
 カナはまだ僕に向かって罵詈雑言を浴びせまくっている。興奮状態だが手錠が切れることはないのでそのままにしておいた。
 僕には後でやらなきゃいけないことがあるから先に寝かせてもらうよ。
「ちょ、ちょっと千尋ッ!」
「ごめんね、おやすみ」

 入り口に額を押しつけて目を閉じる。こんなところで寝られる訳ないじゃない!とか何とかカナは叫んでいるけど、僕はどこでも、どんな状況でも寝ることが出来るんだ。

 ということで、おやすみなさい。

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