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be there *完結*
作者: 花音  (総ページ数: 23ページ)
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10~ 20~

*6*

 一つ二つの軽い傷跡ならまだしも、腕や肩に歪に盛り上がった奇妙な傷跡は、『普通に』生きてきた人間が負う傷ではない。それを彼女が痛々しいと思ったのか、それとも友人たちに疑われるのを可哀想と思ったのか定かではない。
 女のコの可愛いポンチョなど羽織れるはずもなく――大きさ的にも無理だろう――肩に背負ったままの状態で少女の背中をさすり続ける。吐き気は峠を越したようだがクスリの効きは完全に抜けていない様子だった。
 周囲に誰もいないことを確認してから、吐瀉物に塗れた少女の顔を無理矢理に持ち上げた。
 黄色く濁った瞳。
 汚物と共にたれ流される唾液。
 鼻をつく吐息。
 痙攣し続ける体。
 ――勝手にイッてろ。
 思わずそう叫びたくなるのを必死で堪えた。クスリでトリップしてる人間など見ていて気持ちのいいものではない。
 少女の身体を揺すり、声をかけているところで滝沢と橋場さんが一緒に戻ってきた。
「西島、カドの部屋おさえてきた」
「サンキュ」
 と、少女を抱えようとした僕の腕をどけて、滝沢はするりと少女の脇と膝へ腕を伸ばした。体格がいいせいか重さなど感じられない身軽さで持ち上げる。
「――滝沢?」
「炎天下で部活やってるとな、一年がついていけなくてよくゲロすんだよ。俺もよくやった。そんな時は先輩たちが俺ら抱えてくれてな、だから俺も後輩のゲロには慣れてる」
「……ごめん。ありがと」
 気にすんな、と滝沢は胃液臭い少女など全く気にしない様子で歩いていく。その後ろを僕と橋場さんが追いかけた。
 人の往来が少なそうなカド部屋が取れたのはラッキーだった。照明をギリギリまで落としてもらい、機械の音量も全てオフにしてもらった。
「ごめん、滝沢。朝日奈たちを下で待っててもらえるかな?ドンキあたりで適当な服を調達してきてもらってるから」
「オッケイ。後は任せた」
 部活に勤しむ人間は『連帯感』というのが厚くて非常に助かる。
 一番広いソファに少女を寝かせてその横に膝をついた。橋場さんはどうしていいのか判らない、といった感じで反対側の丸い椅子に腰掛けた。
「西島くん、タオル」
「あ、ありがと」
 汚れてしまった少女の長い髪を丁寧にタオルで拭う。放っておけば異変を察した店員が警察に通報するか、別のナンパ男たちに連行されるかというような状況の少女は、身の危険も省みずに助けてくれた橋場さんのことなど全く気づいていない。
 僕にはそれが不愉快だった。
 勝手にクスリをキメて勝手にトリップして勝手に倒れた癖に、最悪の状況から助けてくれた恩人の顔を見ようともしない。――否、自分に何が起こっているのかすらこの少女には理解など出来る訳もない。
 精神的に『人』ではなくなっている少女の顔を無理矢理に持ち上げた。
「……あんた、ココまで何キメてんだ?初心者ならアタックあたりで十分トリップできるけどな、あんた中毒者だろ?あんな軽いモノで吐くほどキメらんないよな?……バツか?タマか?コカ買うほど金持ってないだろ?」
「――わかるぅ?」ようやく少女が口を開いた。「だーじょーぶ、タマいっこキメたらけらからあ」
「……呂律回ってねぇよ」
「ふふ、はなび、きれーねー」
 打つ手なし、だ。
 あれだけ吐いといてまだ抜けられないなんて、タマ一つでそこまでトリップするかよ。
 顔中が吐瀉物で汚れていることすら気づいていない。だらだらと唾液をこぼしながら少女はただ笑い続けている。
「――に、西島くん」
「なに?」
「……ごめん。あたし、ちょっと……」
 胸の辺りに拳をあてて橋場さんは俯いていた。言いたいことはよく判る。
「ここは大丈夫だよ。……気にしないで外に出てるといい」
「ごめん……ね。あたしが声かけたのに……何もできなくて……」
 気にしないで、ともう一度言うと、暗い室内でも判るほど青ざめた彼女は、少女に目を向けることなく部屋を出て行った。
 ――人間であることを放棄した人間。
 そんなものを見るのは辛いだろう?吐き気がするだろう?
 でも、それでいいんだよ。
 少女に嫌悪感を抱く君は正常だ。
 冷静でいる僕の方が異常なんだよ?

 密閉された室内に少女の異臭が篭り始めた頃、滝沢がみんなを連れて戻ってきた。橋場さんも青い顔のまま室内へと入ってくる。

 大丈夫?と僕が尋ねると、「あんまり平気じゃないけど……」と静かな口調で答えた。
「着替えさせてあげないと」
「――あぁ、そっか」
 さすがに男の僕が服を脱がすのは抵抗がある。
 西島の分な、と言って朝日奈から服を受け取った。一瞬、腕の傷に目を遣ったが朝日奈は何も尋ねてはこなかった。彼から受け取ったのは先ほどまで着ていたのと同じような長袖のパーカーで、ご丁寧にインナーまでセットになっていた。腕ほどではないが身体の至るところに残る傷跡を見せるのは構わないが、見せられる方は気になるだろう。それを受け取って「着替えてくるね」と部屋を出て行く。
 部屋のすぐ隣がトイレだった。
 綺麗とは言えないトイレで臭いの移ったTシャツも脱ぐと、洗面台につけられた鏡に無残な僕の上半身が映っている。どんな傷も過去の僕だ。――そして、この傷と共に今の僕がある。
 汚れたTシャツはそのままゴミ箱へ放り込んだ。
 トイレから出ると朝日奈と滝沢が部屋の外で仁王立ちしている。
「……追い出されたんだね」
「さすがにな」朝日奈が苦笑する。「脱力してるから着替えさせにくいらしい。時間かかるかもって」
「――なあ、西島」
「何?」
「あのコ……佐藤さんだっけ?」
 ……そうそう。そういうことになってたんだっけ。佐藤さん(仮)だ。
「何ていうか……具合悪いって感じじゃなさそうだし、酔っ払ってると言えばそんな気もするけど、でもやっぱ違う気がする」
「多分ね」隠せる状態じゃない。「説明すると物凄く長くなるし、きっと女史も気づいてる。橋場さんには少し話したから、着替えが終わったらみんなで考えよう」
 あのコをどうするのか。
 それきり、僕たちは黙って立ち続けていた。
 どのくらいそうしていただろう、そっと扉が開いて女史が顔を出した。
「男子、いいぞ」
 室内は換気と冷房で寒いくらいだった。佐藤さん(仮)は意識があるのか寝言なのか、時々小さな声で笑っていた。
「さて、説明してもらおう」女史が問う。「西島の知り合いなんだな?」
「まぁ、近所の知り合いというか」そういうことになっちゃいました。「話したことはあんまりないんだけどね」
「いつもこんなに酩酊してるのか?」
「――彼女の日常は知らない。
 さて。ちょっと僕から質問させてもらえるかな?」
 佐藤さん(仮)を広いソファに寝かせてしまったので、僕たちは膝を突き合わすような形で座りあった。
「みんな、ドラッグの経験は?」
 無言。当たり前だ。
「じゃあ、周りに経験者は?」
 これも無言。
「……実は、僕にはいる。凄く身近だった人間が」
 無言のまま、全員が息を呑んだ。
「信じて欲しいのは、僕自身じゃないってことだ。西島千尋はみんなに誓ってドラッグの経験はない」
「……当たり前だろう?」滝沢は続けて「千尋がそんなモノやるような人間に見えねえよ」
「ありがと。
 話を戻そう。――彼女の状態は『彼』によく似ていた。だから僕の対応が早かった。意識が戻った時に聞いてみたら、彼女はやっぱりタマをやったと言った」
 タマ?と朝日奈が首を傾げる。
「クスリの名前だよ。依存性が高い。高校生が買える代物にしたら一番、ヤバいやつかもね」
「そんなヤバいドラッグを、このコがしてるっていうのか?」
「自分でそう言ったんだから間違いないと思う。恐怖心もなさそうだし、誰かに飲まされたんじゃなくて、自分の意思で」
「……高校生が買えるのかよ?ドラッグが?」
 ドラマやニュースの中でしか耳にしなかったモノを目の前の同年代が使用している。そんな状況に曲がったことが大嫌いな朝日奈は困惑していた。
「この街ならきっと中学生でもお金を払えば買えるだろうね」
 彼女の状態を説明するのに嘘や遠回しな表現は使えなかった。

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