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*71*
稲妻が駆け抜け、目の前で大切な人を奪っていった。その光景はまるで悪夢でも見ているようなフワフワしたもの、だがそんなの一瞬で現実に引き戻された。
重たい石が肩に圧しかかり水気を含んだ服が肌に吸い付く。髪はいつもより跳ね、あらゆる方向へ向かってた。
だが、そんなものを一切気にする余裕はその時のケイにはなかった。
「……あ、ああ、嘘だ。嘘だ!ナイト、ナイト、ナイトー!!」
無我夢中で初めて信じた友の名を呼ぶ。
そこらの草陰からひょこっと顔を出してくれないかと切実に願った。しかし、ナイトの姿も気配も一向になく残った灰は無惨に闇の中へ飲まれていく。
「出てこいよ……お願いだから、出てきてくれよっ! お前、図太いだろう。俺がいくら殺そうとしたって死ななかっただろう。だから、今も死んでないだろう……? なあ、なあ!!」
洞窟の外へ向けて叫ぶ。傷ついた足を引きずって、どうにか出口へと向かった。
外はまだ雨と雷が行きかい息をつく暇さえ与えない有り様だ
「一緒に帰るんだ、お姉さまのもとへ帰ろうよ……それに、僕、まだお前に…………――?友達になりたい?て伝えてない」
その場に崩れこむようにケイは座り込んだ。固い地面と雨粒が体の体温を奪ってく。
その時、走馬灯のように過去の記憶が頭をよぎった。
「お母さん、お母さん、どこへ行ってしまうの?」
「ケイ……ちょっと町までお買い物に行ってくるよ。ケイはまだ子供なんだから家でお留守番」
「やだよ! 僕も行く。行きたい」
「ケイ、我慢して。お願い。きっとすぐに帰ってくるから」
「…………わかっ、た。でも約束だよ! 絶対に早く帰ってきてね!」
「ええ、分かった。――ケイが大人になるまでには戻ってくる」
これが母との最後の会話だった。
今思えば、あの時の母の表情も言葉もおかしかった。顔は切なげで今にも涙がこぼれそうだったし、確かに「大人になるまでには戻ってくる」と言ったのだ。
その時は気づかなかったが、それが母との別れであった。
父は自分が幼い頃に他界している。その中、親がいなくなり一人となった時に引き取ってくれたのがキューマネット夫人、つまり祖母だった。
「僕はもう大人だよ。子供じゃないから帰ってきてよ……もう、一人ぼっちは嫌だよ……!」
洞窟の中に声が響き渡る。それは悲しく、そして無惨なほど美しく反響した。
「ウォーン」
狼のような遠吠えが脳内を走った。一瞬幻想かと思ったが連発してまた、遠吠えが聞こえてくる。
それもだんだん音が大きくなっていくのだ。
(こっちに狼がきてる!?)
こんな場面で、しかも足を負傷している今、狼を相手に対峙する体力はもう残っていない。
きっと今の自分にできるのは洞窟の奥に隠れて息を殺すことだけだ。
「くそっ、なんでこんな時に!」
本当に自分はつくづく運がついてないと思った。大事な人が目の前から消えてから数分足らずで次なる不幸が襲ってきたのだ。
「今はともかく隠れて見つからないようにしよう。見つかったら大変だし…………――!!」
後方転換をし洞窟に戻ろうとしたとき、闇の中、金色に光る鮮やかな瞳と目があった。どんなものでも嗅ぎ付ける鼻、尖った耳、肉を引きちぎるための牙。「狼」まさしくそれだった。
「まさか血のにおいで……?」
無理やり動いた反動で足の傷がまた開いて血がにじんでいる。きっとこの狼はこんな微かな匂いを嗅ぎつけてきたのだろう。
「結局、僕は誰一人心から信じあえたものはいないのか。大事な人は僕を置いて去って行ってしまう……もっと、もっと人を信じてみたかったな。そしたら今がちょっとだけでも変わってたかもしれない」
草木の香る庭でおいしく紅茶やお菓子をつまんで談笑する風景がまぶたの裏に浮かぶ。そこにはルリィとナイト、そしてお母さん。
「そんな未来だったら」
――どんなに幸せだっただろうか。
今にも襲い掛かってきそうな獰猛な狼を目の前に、ケイは死を覚悟した。
自分にはもう、戦う体力も術も力もなかった。ただ静かにその一瞬が通り過ぎるのを待つのみ。
(バイバイ、そして……――ありがとう)
頬をひつ雫の涙がつたった。それは今まで流した悲しみの涙の中で一番温かいものだった。
一歩、一歩狼は慎重に近づく。まるで一飲みに食らう時を待っているかのように。そしてついにその距離がたった数センチとなった。固く目をつぶる。そして狼が一気に加速しその大きな口を開いた――。
「くぅん」
場の空気が止まり、ケイは固く閉ざしていた眼を開ける。するとそこにはまるで背中に「乗れ」と言っているようにケイへ背中を見せた狼の姿があった。
「は……?」
開いてふさがらない口から言葉がもれる。緊張の糸は切れ、喉がカラカラだった。
「夢を見ているみたいだ」
ナイトを信じてみようと思ったこと、ナイトが雷に撃たれたこと、そして狼がまるで自分を助けるように今、背を向けていること。
すべてが夢で嘘かと思った。しかし、足の痛みはさらにひどくなり現実だと脳内に鳴り響く。
「僕に乗れってか?」
そう狼に向かって問うと狼はこくんと一つ、首をかしげた。
その時、そのまなざしがどことなくナイトと重なって見えた。すると不思議なことに恐怖感もなくケイは自分の倍はありそうな狼の背に乗っていた。
それから数刻、狼の背にまたがり傷ついて歩けない足をかばいながらも山道を下った。狼のほうは一直線に、まるでそこに見えもしない目印があるかのようにルリィの館を目指し走った。
着いたころにはすっかり嵐が止み、残っているのは飛ばされ破壊させたガラクタと草木の山。
「お姉さまっ!」
館の前でナイトとケイの帰りを待っていたルリィのもとへケイは狼の背を下り、一目散に駆けて行こうとする。
しかし、傷ついた足が上手く動かずその場に倒れそうになった。それを同時に駆けてきたルリィがふんわりと抱き留める。
「ケイ、よかった……無事で何よりだわ。お願いだから、もういなくなったりしないで。貴方は私の大事な人なの」
「お姉さま……」
ケイを痛いほどの力で抱きしめるルリィ。ケイは胸の中で何かが崩れてほころんで溶けた気がした。
「もう、いなくならない。約束するよ、絶対に」
必要とされることは何よりもうれしい。相手に信じられ、自分も相手を信じる。それはなんて素敵なことだろうか。
「……っ! ナイトが!」
幸せの余韻に浸っている場合ではなかった。
ルリィの服にしがみつき必死の形相でナイトが雷に撃たれたことを伝えようとするとふいに聞き覚えのある声が聞こえた。
「ったく、ボロボロじゃないか」
めんどくさそうに呟く声、低く静かで透き通っていて、自分が初めて素で話し合った相手の声。きっと一生忘れることない声だ。
「ケイ、無事だったか」
ケイは信じられない気持ちで声のした方を振り返った。
そこにはあちらこちらに葉っぱをつけ少しボロボロになったナイトの姿があった。めずらしくストレートな黒髪も跳ねている。
「ナイトー!!」
ケイはその場を思いっきり踏み込んでナイトに飛び込むように抱きついた。
「おっと。なんだお前、元気だな」
「生きてたんだな! やっぱり僕が思った通りお前は図太かったんだ。殺しても死なないんだな!」
キラキラと光る瞳でケイはナイトを見やった。ナイトもどこかもの言いたげだが、やさしい目でケイを見つめ返した。
いつの間にやら、ケイを運んできてくれた狼は姿を消していた。