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*81*
「貸してってどのくらいかしら?」
ルリィは首をかしげた。
(なんだろう、荷物運びにでも使うのかしら?)
なにか男手の必要なことがあるのかと頭をひねらせてると、フレルが怪しげにほほえんだ。
「そうね……場合によっては一日で済むし、時には一か月ぐらいかかるかも」
「ナイトを使って何をするのよ……?」
フレルの抽象的な発言にルリィは眉を寄せた。その様子にキャッツは明確な目的を長官フレルの代わりに説明する。
「すいません、馬鹿な長官のせいで説明が足らず。ナイトさんには最近、市民の間で声が上がっているある問題に協力してほしいのですが」
「ある問題?」
「そうです」
キャッツは軽くうなづき、机の隅にあった分厚いファイルを開いた。
「ここのところよく、狼の遠吠えの報告が上がってきています。なんといってもこの町は安全で活気あふれた町なので些細なことでも目に付いてしまうのですね。市民の中には狼を退治しようなんて動きもありますし。まあ、それほどなら下の警衛兵たちに任せて私たち情報部なんて出番はないのですが……少し不可解な報告もありまして」
キャッツがそこで一度言葉を区切り、赤いメガネをかけなおす。そして一枚の紙をファイルから取り出した。そこには異様な動物だと思われるものが描いてある。
「その狼っていうのがねー、普通の狼じゃないみたいなのよ。普通の狼の2倍はある大きさにギザギザな犬歯、角が頭に生えてるなんて言う怪しいものまであるわ。その情報をもとに作ったのがこの容姿」
フレルは腕を組んでうーんと唸った。
それはよくよく見てみると不気味なものだった。口から大量のよだれをたらし目はむき出ている。ルリィは少しだけ気分が悪くなった。
「デマではないの?」
この世のものとは思えない容姿にルリィは誰もが考える意見を口にした。しかしフレルは困ったように首を振る。
「それがね、そうとも言えないのよ。この狼による情報提供の数が数だもの。たくさんの市民から似たような情報が報告されデマともいいきれないの。他の市民たちも、もうそれをすっかり信じ込んじゃって夜は外に出ないようにまでしてる。夜でも明るかったこの町も今じゃ静かになって、経済的にも夜の収入がなくなってきて悪影響が出てるわ。このまま続くと町の活発さが減少、赤字が続出、国の破たんなんて考えられちゃう」
その口調は軽かったが内容はとても危険な状況であることを示していた。それにキャッツは苛立たしげな色を目に宿す。
「まったく困ったことです。下のほうからは市民の動揺を抑えるのに手が負えないだとか、上からは嘘でも本当でもどちらでもいいからどうにかしろとかくるんですよ!? 私たちはあくまで情報を処分する身であって事件を処分する部ではありません」
今日初めて聞く感情の困った声にルリィは相当の苦労があることを悟った。
確かに情報を処分する部ではあるが、そのため一番その事件にも詳しくなる。情報が錯乱してる事件ではその事件自体の鎮圧も任されるのであろう。
(おまけにフレルが長官だと苦労するわよね)
フレルに対して失礼な事を考えながらルリィはキャッツに哀れみの目を向けた。そして最初の疑問を思い出す。
「そこからなぜナイトが必要になってくるの?」
「それはナイト君が黒髪に黒目だからよ。狼は基本一匹体質が多いけれど仲間と認識したもの、自分より上と認識したものには従うわ。ナイト君は人間だけれどもその真っ黒な容姿を生かして狼に近づくことができる。運が良ければ相手だって服従させちゃうかもしれない……ってなわけでナイト君、貸してくれる?」
「――ふざけないで頂戴」
即座にルリィはフレルの願いを切った。
「ナイトをそんな危ない目にあわせられないわ。ただ黒いだけで仲間とみられるかもしれないなんて根拠もない作戦……」
「でもー、その狼は黒いものを仲間意識する体質があるわ。この町にはここまで黒といった黒の色素をもっている人は少ないし、ルリィ、月光の雫を手に入れたいんでしょ?」
ルリィは痛いところを突かれた気分になった。睨みつけるようにフレルを見る。しかしフレルはそんな視線を受け取りつつも優雅に構える。
(ここで断ったらきっとフレルは月光の雫の情報は教えてくれないわ。ここが最後のつてだったのに…………――でも!)
ルリィの答えは決まっていた。そう、嵐の夜の時から。
「その条件、断らしてもらうわ」
もう、大切な人を失うかもしれない危険を感じるのは嫌だった。常日頃に突然失ってしまう危険性だってあるが自らその危険に飛び込む必要なんてない。ナイトは自分の騎士であり、もう、いつも隣にいる存在なのだ。
だがそれに口をはさむ者がいた。
「いや、その条件受け入れよう。俺がその作戦に成功したら月光の雫の在り処、教えてくれるんだな?」
「もちろん」
口を挟んだのはほかでもない張本人、ナイトだった。権幕を張るルリィを押さえて一歩前に出る。今まで黙っていて気づかず本人を置いて話していたことを思い出した。
「何言ってるのナイト?」
「だって月光の雫が必要なんだろう? そのためだ」
「そんな……」
「――ありがとう、ナイト君。じゃあさっそくこれからその場に行って見ちゃいましょうか。ルリィは危ないからとりあえず家で待っててねー」
ルリィが止めようとするのに割り込みフレルは強引に話を進める。ナイトも何も言わず部屋を出くフレルについていく。
(ナイトがそういうのなら……)
奥歯を噛みしめ、かゆい思いを封じながらルリィはナイトの安全を祈るばかりだった。
「私もついていけばよかったわ」
フレルに危ないだのなんだの丸め込まれ結局一人ぼっちで館に戻ってきてしまった。ナイトはフレルに連れて行かれてどこかへ行ってしまった。本当にこれでよかったのだろうかと頭の隅で抗議の声が聞こえる。
(仕方ないのよ、だって月光の雫を手に入れるためなんだもの…………)
必死に自分をなだめるが、やはりどこかで不安な自分がいた。
「紅茶でも飲んで落ち着こう」
そう、誰もいない部屋で一人呟くと響いて聞こえた。久しぶりに自分で紅茶を淹れ口に含んだ。
「ううっ、まずいわね……腕がなまったのかしら」
こういう時にいつも出てくるのはナイトだ。ナイトがその時に合わせて砂糖控えめなオレンジティーを出してくれたり、濃厚なロイヤルミルクティーを出してくれたりする。カップを先に温めてからゆっくり焦らして適温で外の空気と混ぜてそそぐ。きっと自分にはできない技だ。
「ナイトがいないとこういうところで不便なのよ……だから……早く帰ってきなさいよ」
紅茶に映るゆらゆらとした自分を見つめた。その眼はどこか不安そうでさびしそうでもあった。
(この気持ちは何? ナイトが目の隅にいないと落ち着かないなんて)
胸にそっと手を置いてみると、あるケイの言葉が脳裏に浮かんできた。
「――ねえ、お姉さま。好きっていうのはね、その人の傍にいたいとか気がつけばその人のことばかり考えてるとか、その人に触れたいとかそういう気持ちなんですよ? お姉さまはそう思えるような相手はいらっしゃりませんか?」
ケイは優しく微笑んで訪ねた。それはそんな愛おしい相手のいる大人びたものだった。
なんでいきなりケイの言葉が浮かんできたのか分からないが少し考えてみることにした。
自分はどうだろうかと心に聞く。今の自分はきっとケイよりは子供だろう。好きというものが分からず、ナイトへの感情もあやふやなままだ。
(私はナイトの傍にいたい?)
自分に問いかける。確かに一緒によくいるが、それは傍にいたいというよりかはいるのが当たり前なのだ。
(私はナイトのことばかり考えてる?)
そう自分に聞いた瞬間、図星であることに気が付いた。今だってこんなにも頭を悩ませて考えている。
(ちっ違うと思うわ! 次、ナイトに触れたい……!?)
つま先から頭のてっぺんまで赤く染まった。わなわなと首を振る。きっと他者からみれば通報物だろう。
「違う違うわっ! そんなことさらさらも考えていない……?」
ついこの前、ケイが行方不明になって恐怖状態に落ちいていたとき、ナイトに抱きしめられ落ち着いた。それより前は口元にクリームがついていてナイトにとってもらっただけで顔が真っ赤になった。
なんだかよくよく考えてみるとよく接触している気がする。
「えっいや、好きだなんて、そんなことないわっ!」
全力で否定し深呼吸をした。そしてこの件は胸の中にしまう。本人は結局振り出しにもだっただけのことに気づいてはいなかった。
それからルリィは紅茶を飲み終えるとバラ園へ向かった。ここに一人で来るのも久しぶりだ。いつものようにバラ達と会話をし、ゆったりとした時間に浸かるが、なにかが引っかかった。
(今頃ナイトは何をしてるのかしら? 怪我なんてしてないわよね)
少しずつ不安になってくる。思考の中で渦まき、現実に引き戻されればいつの間にか手にしていた大事なバラの茎を無惨に折っていた。
「ああぁー……」
深い後悔にさいなわれため息をつく。そしてがばっと顔を上げた。その顔には悩みが吹っ飛んでいた跡があった。
(悩んでいてもしょうがないから行くわ)