完結小説図書館
>>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック
*13*
† 七の罪 “運命(さだめ)との対峙” (前)
「そんな……嘘よ…………」
ローランは実の父でない、とイヴが知ったのは十三の折である。
彼女が赤子の頃、蛮族の侵攻によって村は焼かれ、立ち向かった父は命を落とした。駆け付けたローラン率いる騎士たちの活躍によって、彼らは撃退される。他の騎士が諦めた後も生存者を捜し続けていたローランは遂に、身を震わせる母子を発見した。駆け寄って保護するも母親は娘を庇って重傷。子の方はまだ幼く、自分の名前がイヴであることしか答えられず、たどたどしい口調で父はどこへ行ったのか聞き返すばかりであった。
「大丈夫。お父さんならいるよ、これからもイヴちゃんを護ってくれるから心配いらないさ。今は安心して眠りなさい」
泣き疲れて眠る小さな寝顔を見守りながら、彼女を護ろうとした父の代わりに、これからは自分が護ってゆくのだとローランは誓う。夫の仇を討ち、自分と愛娘を助けてくれたローランに母は感謝し、ローランもまた、命がけで一人娘を護り抜いた彼女の愛の深さに触れた。
「あたし、お父様の子じゃなかったなんて……!」
ローランは真実を教えるには早すぎると、まだ彼女に伝えていなかった。その日、騎士たちが話しているのを立ち聞きしてしまったイヴは、どこへとも無く彷徨う。
「あたしの帰るところなんて……最初からなかったんだ」
戻る場所など思いつかない。彼女が騎士になろうと決意したのは、父に憧れた為であった。父のように強くなりたいと願い剣を握り、厳しい修行も耐え続ける日々。幼き頃より剣以外には見向きもせず、努力を重ねてきた。すべては尊敬して止まない父に少しでも近づく為、そして父に護られるだけの存在から護ることの出来る存在へとなる為に。
(あたしは今まで、何のために生きてきたんだろう…………)
降り出した夕立に打たれながら、ただ一人、濁った空を見上げている。いや、濁ってしまっているのは瞳の方か。どれ程過酷な鍛錬も乗り切ってきた彼女が泣いていた。もう涙と雨も見分けることが出来ない。
「――こんなとこにいたのか……母さんが心配するから早く行こう」
聞き慣れた声がした。驚いて振り返る。
「なっ、なんでここに……?」
唖然とするイヴ。
「決まっているだろう。お前が、私のかけがえのない娘だからだよ」
その眼差しは、慈愛に満ち溢れている。
「……嘘つき」
俯いて拳を握り締める彼女。
「なんで怒らないの? 私が本当の子じゃないから?」
「……知ってしまったんだね」
ローランは大地へと膝を突く。
「すまない、すまないイヴ……ゆるしてくれ!」
泥の中で頭を下げて叫ぶローラン。イヴが呆然と立ち尽くしていると、意を決したように彼は顔を上げ、語りかけた。
「今まで黙っていてすまなかった……しかし誰が何と言おうが、お前は私の娘だ。そして私は今までも、そしてこれからも……愛する我が子を護ってゆく。父として生きてゆく。剣しか出来ない私だ。父親として足りないことだらけかもしれない。そんな男がお父さんじゃ……イヴは、嫌かな」
暫し黙していた彼女だが、立膝で自分を真っ直ぐに見据えるローランへ駆け寄ると、抱きついた。
「ううん、嫌じゃない。嫌なんかじゃない! あたしの自慢のお父様だもの!」
「そうか、そうか……ありがとう我が子よ。まったく、こんなに冷えてしまって…………」
眉尻を下げて抱擁する。
「確かに不器用で親としては完璧じゃないかもしれないけど、ここまで育ててくれたことは変わらない。これからもっと父親らしいとこ見せてよね」
イヴはそう言うと顔を背け、慌てて離れた。
「ハッハッハ、この騎士ローランもお前にだけは敵わんな。まったく……手厳しい愛娘だこと」
困ったように笑うローラン。
「だからね、ずっとあたしの父親でいてくれるようにあたしが護る。これからはあたしがお父様を護りたい。だから……だからあたしは強くなる! あたしがお父様より強くなって、お父様を護れるようになるよ。だからもっと剣を教えて! これからも私のお父様でいて!」
「任せなさい。イヴが一人前の騎士になるまでは死ねないと思っていたが、老後の心配もなさそうで何よりだ。安心しなさい。どこにも行かないよ、お父さんは強いからね」
娘の頭に軽く手を乗せる。
「うん……知ってるよ、誰よりも知ってる」
父に似て不器用な彼女が微笑み返した。
「さあ一緒に帰ろう、我が家に。ほら、下がぬかるんで危ないよ」
「ちょっと、もうそんな歳じゃないのにー」
一瞬、戸惑いながらも差し出された手を取るイヴ。手を繋いで歩くなど、何年ぶりであろうか。いまだに自分よりも遥かに大きく力強い父の掌……まだまだ己が父を護る側になるのは先のことだと実感した家路であった。
(お父様を奪ったのは悪魔でなかった……じゃあ私は誰を討てば良いの……?)
あの者の言葉に偽りは感じられない。だがしかし、その事実を知って、今まで自身が父の敵討ちの為に歩んできた日々は、磨いてきた剣技とは何だったのか、とイヴは打ちのめされていた。追いかけ続けた昔も、失った今も、彼女の視ているものは変わらない。一つのことだけを見つめ、ただ斬る為だけに存在する刃のように己を鍛え上げてきた。心身とも鋼が如く硬く強く成長はしたが、決して曲がることを良しとしなかった結果、遂に折れてしまったのである。思えば、あの日も剣を握る意味を見失いかけていた。今や、立ち上がることを教えてくれる父はいない。
(……それでも、戦うことをやめたら終わりなんだよね…………)
ローランより受け継いだ愛剣に問いかける。物心つく前より、理は示されていた筈だ。父と母が身を挺して戦い、此の身は護られた。父が死んだら、父の護ろうとしたものを自分が護らなくてはならない。その為に戦う。戦って護る。戦って強くなって護れる者になる。父のように立派な騎士になると決めたのだから。
(私は戦う。戦い続ける。今までどんなに辛くても乗り越えてきたんだもの。投げ出した途端に、何もかも無駄になっちゃうんじゃお父様に顔向け出来ないよね)
刀身に映る彼女の表情からは曇りが消え、自らのすべきことを見定めた凛々しい騎士の顔があった。
「さて、お嬢と合流して目的は果たしたはいいがどうする?」
壁に背を預けたアモンが口火を切る。
「……いい人だよ、長老は…………」
顔を曇らせるベルゼブブ。
「お前の正体を存じながら丁重にもてなしていたとは殊勝な男よ。なれど我等は悪魔。あの者は竜族。努々、忘れること無きよう」
「そうだけど……そこをその、なんとか…………」
あくまで馴れ合う気は皆無と念を押す主君に、彼女は悲痛な想いで食い下がる。
「それはそれ、これはこれってヤツだねえ。そう言えばお嬢……ガブリエルの姉ちゃんに誘き出されたんだったかい」
「え、それが何か……?」
アモンの問いに向き直る。
「ソロモンって男に使役されたことがあってねえ。アタシ以外にも七十一柱もの悪魔を操る人間界の王。最近、天使方と仲いいらしいじゃないか」
「かのソロモン王の後継か。我が知に及ぶ限りでは七十二柱にベルゼブブは含まれておらぬ筈……あの者が此の現世にてベルゼブブを手中に収めようと欲した、とでも?」
そう述べると、飲み終わった杯を机に置くルシファー。
「さっすが、話が楽で助かるねえ。……ところで、お客さんのようだ」
窓の外に人影を認め、アモンが合図すると、使い魔が鍵を開けに向かう。