完結小説図書館
>>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック
*17*
† 九の罪 “幻影の処刑人” (前)
「――勝手に出歩いて良いのか」
野花を摘んでいる少女は、驚いたように振り返ったが、声の主を認知すると目を逸らす。
「この川だけは誰も来ないし特別に」
最低限の返答を済ませると、再び腰を落とした。
「邪魔か」
「別にどっちでも…………」
ルシファーの問いに、伏せがちな目で応じるアザミ。
「雅趣を好むのであれば何故更なる興を探し求めようとしない? 谷の外には未知なる美が存在しておると云うのに」
「遠くへいっちゃダメって言われてるから」
沈黙を小川のせせらぎが制する。
「……アザミ、と申したか」
「長老に聞いたんですね」
「此の谷へ到る道中、貴様の名と同じ花が咲いていた」
「それが何か」
彼女は向き直りもしない。
「見たことがあるか?」
「ありませんけど…………」
「往くぞ」
「……はい?」
曇った顔を上げる少女。
「此れよりかの地に赴く」
「えっ、いや……谷から出るのは…………」
困惑して立ち上がった。
「自分と名を同じくする存在が如何なるものか知るのに理由が要るか?」
「そういうことじゃなくて、だめって言われ……」
「然れば貴様は一生此の谷に閉じ篭っていろ。生涯此の儘見知った景色に囲まれて暮らすが良い。以後も護られるばかりの立場で何一つ決断すること無く与えられるが儘に生き続けるが良い。此の地と己が運命に縛り付けられて過ごし、外の世界を見ずして朽ち果ててゆくが良い」
「なんなんですか…………」
大きな眼で睨みつつ、アザミは詰め寄る。
「なんなんですか知ったような口で上から上から……! そんなに言うなら教えて! 外の世界には何があるのかを! ぼくに見せて! 谷から出たくなるような光景を! 宿命にとらわれずに生きる道を……ぼくに示して!」
息を切らして喚き散らす彼女を尻目に、河原を後にするルシファー。
「あの、ちょっと……!」
「昼過ぎには着く。我が歩みに後れるでない」
振り向きもせず進んでゆく宿敵を足早に追う少女の後ろ姿を、温かな眼差しで長老は見送った。
微風の吹き抜ける高原に薄紫の花が咲き乱れている。
「きれい……」
思わず屈んで見惚れる姿は、同年代の少女と何も違いはしない。
「痛っ!」
つい手を伸ばした瞬間、鋭い痛みが指を襲う。
「たちどころに何でも摘もうとするな、愚か者」
「お、愚か者じゃありません……!」
慌てて否定する彼女。
「アザミは棘を有する故、触れようとする者を阻む」
「こんなに綺麗なのに……」
「美しき花こそ容易く他人を寄せ付けぬ。さながら貴様の様にな」
「ふぇ……っ!?」
無垢な少女は、目を瞠って一驚した。
「ぼ、ぼくみたいって今…………」
今し方の言葉を確かめるかのように、怖ず怖ずと紅潮させた顔を上げる。
「付け上がるな戯けが。心を閉ざしている様が似ていると云ったのだ」
「あ……そうだよね、ぼくなんか…………」
項垂れるアザミ。
「愛されておるのだな」
「ふぇ……?」
唐突な一言に、またも狼狽えた様相を呈す。
「あの者は貴様の話をする折、莞爾として語った」
「ぼく、迷惑しかかけてないのに……」
「古の遺物には其れが僥倖なのであろう。迷惑等かけられる内にかけておけ。人間とは元より迷惑をかけずには生きられぬもの。生まれ出づる前より母体に負担を強い、自然を犠牲として暮らす。互いに迷惑をかけ合わずして万物は存在しない。此れを奴等は共生と呼ぶ。なれど愚かしいことに人間は其の輪より恰も自らが隔絶した器にあると自惚れ、共生ではなく寄生するに至った。なんと哀れで救えない恥知らずか。斯様な俗物が神の最高傑作を吹聴するとは笑わせる」
「じゃあ、どうすればいいの……どう生きれば…………」
困り果てる少女。
「其れを見出すのが生きることではないのか。皮肉にも過ぎた理性を与えられた人間は、宿主をも喰らい尽くさんばかりに自身の首を絞めてきた。俺は此の矛盾に支配された滑稽な生き物を地獄より眺める所存だ。老いること無き我が身が、限り有る存在……驕れる人間共の結末を見届けてやる」
「――いいや、見届けずして死ねぇい!」
アザミを抱えると、ルシファーは軽々と跳躍する。
「躱されたか。流石だな……捜したぞ、悪魔め」
現れた壮年の大男は、顰め面で地面より長斧を抜き去った。
「何用だ、小物」
刺すような魔王の眼光。
「決まっていよう。その身を討ち果たすのみ……!」
叫ぶと同時に、アリオトと二方より攻めかかった。ルシファーは左手でアザミを取り回して斬撃を避けさせつつ、彼女を傷つけること無く右手の剣を振るい応戦する。
「こわ……い…………」
蚊の如き声で怯えるも、剣戟に掻き消され、凍り付いた表情で前後左右上下に揺さぶられる彼女。
「うぬっ、器用な男め……!」
妙技で渡り合ってはいるが、凌ぎ続けるのみでは埒が明かない。数々の任務を共に乗り越えてゆく中で培った連携からなる異端狩り二人の戦意と、小脇で振り回される谷以外の環境に慣れていない少女の吐き気……どちらが先に限界に達するのか。最悪の事態を見越し、合理的に決断した自他共に認める戦の天才は、一瞬の隙を見逃すこと無く得物を自ら頭上へと放ると、魔法陣を展開して襲い来る白刃を防いだ。そして――――
「ふぇえええっ!?」
渾身の力で今日初めて谷から出た美少女を放り投げたのである。意外とそう遠くない辺りに墜ち、叩きつけられながらも手は口から離すまいと懸命に耐えるアザミをよそに、涼しげな顔で落下する剣を華麗に掴み取り、何事も無かったかのように戦闘を再開するルシファー。なれど、鍔迫り合いの最中ドゥーベが目配せすると、アリオトが疾駆する。
「迂闊だったな! アリオトの速さならこの程度離れたところで即座に追い付く!」
「迂闊は貴様の方だ、あの童を殺すは気兼ね無く全力を使える俺に討たれることを意味すると心得よ。なお、魔力を防壁に回していた為思いの外飛距離が出なかったに過ぎぬ故、努々思い違えるでない」
「戦いの基本は敵の弱点を突く! なお間違っても今更もう引っ込みが付かなくなった訳ではないからな。さあアリオト、殺れ……!」
地に伏したまま青ざめた顔色で口元を押さえて苦しむ彼女に、百戦錬磨の殺し屋より逃れる術は無い。陽光に煌めく大鎌が、身を屈めるアザミの首筋へと正に振り下ろされようというその刹那…………
「――ったく、いい年してお互い見栄張り合って思春期かい? アンタら誘導尋問に引っかかるタチだろ」
猛禽を思わせる両翼の悪魔が急降下し、彼女の小さな躰を抱きかかえると、紅毛を靡かせて舞い上がった。
「で、ひとつ聞くが……」
宙へと追撃して来るアリオトを蹴落とすと、到着した長老にアザミを投げ渡し、地上の斧使いを睥睨する。
「二人がかりで仕かけた挙句、丸腰の子どもを狙うとは騎士のすることかい?」
「ぬう……しっ、知る必要は非ず。まとめてこの場で裁きを下してやる!」
アモンの目力に気圧されつつも、吼えるドゥーベ。
「何が裁きだか……コイツら悪魔以上に悪魔みたいな連中だねえ。出るとこ出させてもらう!」
そう宣言し、刃状の両手を硬化させた。
「悪魔と一緒にするでない、此の者は只の――」
不服を唱えながら、右手に紫の魔力光を灯すルシファー。
「下衆だ」
無数の魔力弾を斉射する。
「むん……ッ、ぐぉおおお!」
咄嗟に深紅の魔法陣を現出させたドゥーベであったが、魔王が放つは付け焼刃の魔術で遣り過ごせる代物ではない。堪らずに退く。
「くっそ、なんてデタラメな速さだ……!」
上空では目にも止まらぬ攻防が繰り広げられていた。地獄に於いても五本の指に入る実力者のアモンにとって、総合的には格下の相手に相違無い。とはいえ、敵は自身以上に超高速での格闘戦へ特化され、敏捷な身のこなしと小さな的に飛び道具も相性が悪く、芳しくない戦況を余儀無くされている。
「悪いが……一気に決めさせてもらうよ」
赤々と魔力光を帯びてゆくアモンの両腕。
「ディメント――インクルシオ……ッ!」
挙動が劇的に俊敏となったことにより、多くの刺突を一斉に繰り出したかの如く錯覚させる程の離れ業であるが、アリオトはさして驚く様も無く、次々と回避する。
「……信じられない。あんな攻撃を全部かわすなんて……!」
アザミの背をさすりつつ、驚嘆するデアフリンガー。
「いや、何発かは当たっておる」
時折避け切れていないようにも見受けられるが、一瞬目を瞑って僅かに口を開くのみで、痛みにより動きが鈍る気配は無い。
「――“Ad augusta per angusta(狭き道によって高みに)”」
アリオトが囁くと、彼女と同一の形貌を持つ幻が十数と生み出された。
「……幻影の処刑人」
「分身したとこで本体も含めて一網打尽さ!」
だがしかし、アモンが貫く間にも新たなる個体は生じ続ける。
「おお、奥義同士の激突じゃな」
視認を許さないアモンの連撃と、十数人のアリオト。一騎討ちでありながら乱戦の様相を呈する展開に、悠久の刻を生きてきた竜王も思わず舌を巻く。