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*5*
† 三の罪 “訪問者” (前)
美しい自然との共存。山々に囲まれたこの地で、古よりの伝統を受け継ぎ、人々は暮らしている。
「今年もいい野菜ばかりですね」
「そうじゃな、みなが精魂込めてつくったおかげだのう」
夕陽に染まった畑を嬉しそうに見つめる翁。大きくはない体躯だが、其の背筋は曲がる気配も無い。
「……む?」
「どうかされましたか」
「いや、何でもない」
(この気配は…………)
かの者は、異質な空気が近づくのを感じた。只者ではなかろう。
「長老、身元の知れぬ男が門に来ています」
村役人が駆け寄り、声をかけた。
「まだ通すな、わしが直々に出迎える。決して乱暴な扱いをするでないぞ」
黒き外套を羽織った銀髪の青年が、集落の入口で櫓を見上げている。一見すると平和そうな地であるが、彼方を見遣れば崖の各所に覗く大筒。黒衣の男は黙したまま、村を挟んだ正面に聳える山の中腹に目を移した。
「後は頼んだぞ。では、下に参ろうか」
麓へと降りようと振り返った長老の動きが止まる。
「……長老? 何か」
「気のせいじゃ。さあ、客人が待っておる」
遙か遠方、門の元より射抜く様な視線を受けている気がした。実際に目が合った訳ではない。なれど、何やら胸騒ぎがする。無論、楼閣の影が辛うじて確認できる距離で、人間の顔など見える筈が無い。だがしかし、山を見ていたとは思えない、明らかにこの地点、寧ろ自分個人を凝視している“眼”を感じる。雷に打たれるが如く奔った感覚が、まことしやかに告げていた。
(やはり今回の訪問者は、難物のようじゃな…………)
「……して、何時迄此処で待てば良い?」
「もうしばしお待ちを……代表者がじきに参りますゆえ…………」
門番が必死に取り繕う。
「長の一存なしには入れもしない村、ねえ……こちとらこれ以上待たされたらさらに婆さんになっちゃうっての」
腕組みして溜息を吐くアモン。
「――騒がしいな、何事か?」
村人たちの壁が割れ、帯剣した若者が現れた。
「あっ、ツェーザル様・・・!」
「ツェーザルさんだー」
齢の程は二十を過ぎたという辺りか。女の様な美しい黒髪を束ねて背に垂らし、中央で分けた長い前髪より覗く顔立ちも中性的でありながら、その凛とした面構えは武芸者らしさを感じさせる。
「この谷に何用かな?」
「なんだい、アンタは?」
「そのまま返そう。よそ者が縄張りに入るからには名乗るのが道理だろう」
ツェーザルがアモンの面前に歩み出た。
「人捜しだ。通せ」
切れ長の目で流し見てルシファーが言う。
「どこに泊まるってんだよ、んな誰の回しもんかも分からん連中を招き入れるなんざごめんだぁ」
「そうだー! いきなり勝手にやって来といて村に入れてもらう姿勢じゃない!」
「ツェーザルさん、パパッと追い返しちゃって下さいよ」
この剣士が駆け付けて、村の者たちが態度を一変させた。それ程の実力者ということであろうか。
「こちとらこの村の代表とやらが来るってんで待たされてたんだよ。アンタその年で村長って訳でもなかろうに」
「素性の知れぬ輩などを長老と会わせる訳にはいかない。用があるなら何者か明かせ」
「いや個人情報はちょっと……」
「従わぬのなら帰ってもらう」
頑なに譲らない双方。
「ツェーザル様の言う通りだ、とっとと帰れ!」
野次の嵐が浴びせられた。
「左様か。して、飽く迄も居座ろうとするなら?」
「力づくでも逃げ帰らせてやる」
柄に手を掛けるツェーザル。
「宜しい。――我が声に応じよ、其の身を以て槍と成せ」
詠唱に引き寄せられる様にして、岩肌は剥がれ、足元の砂が虚空へと舞い上がる。
「あ、あれは……!?」
刮目する群衆。
「我が身を退ける、か……長旅で退屈していた頃合いだ。やってみるが良い、やれるのであればな」
粉塵はルシファーの右手を中心に集まると、紫の魔力光を発すると共に一本の槍を創り出した。が、その刹那――――
「いや……アンタが出るまでもないさ!」
そう叫ぶなり、アモンが青年剣士に疾風の如き刺突を放った。
「なんだか表がうるさいなあ。ねえ、何かあったのかな?」
「知らない…………」
「何が起きてんだろうね、見に行こうよ!」
「どうでもいい」
興味津々に窓を覗き込むデアフリンガーとは裏腹に、少女は動こうとしない。
「よその人が来てるから部屋にいなさいって言われたし」
「そうかもしれないけどさー。ほら、アザミは気にならないの?」
「ならない」
「えー。どんなヤツなのかな、この谷に何しに来たんだろ」
「そんなに興味あるならデアフリンガーだけ行ってくれば?」
表情を変えることなく、彼女は気怠そうに返す。
「じゃあ僕ちょっと行ってくるよ! 兄上がわざわざ出てくんだ、ただごとじゃないって絶対」
長年の腐れ縁だけあり、アモンの初動を見慣れているルシファーは事態を呑み込めていたが、あまりに一瞬かつ唐突なる出来事に唖然とするのみの一同。来訪者が突如、槍を生み出しただけでも十分に予想外だが、それ以上の衝撃が続いた。別方向から襲いかかられたツェーザルが瞬時に抜刀して見事、アモンの一突きを受け止めてのけたのである。
「おっと、こいつァ人間とは思えねー速さだね」
ギリリと鍔迫り合いながら楽しそうに鼻を鳴らす地獄の侯爵。そう、この女は強者と命のやりとりを生き甲斐とする猛将。必殺の一閃を初見で防いでみせるという離れ業を目の当りとし、己が自慢の戦技と同じ極地に生きる達人との出会いに上機嫌である。
「私としては、その腕の方が人間には思えないが」
受け止めたアモンの刃と化している片手を一瞥して返す青年。
「ツェ、ツェーザル殿……!」
尋常ならざる殺気を放ち、敵を睨みつける同胞に畏怖したのか、女子供のみならず、村の男たちも後退る。
「面妖な動きだ。人であって人ならざる者――魔道剣士、か」
静観していたルシファーが呟いた。まさに迅雷と言うべきアモンの驚異的な踏み込みは、一流の武芸者でも見切ることが敵わないであろう。人間とは、自らで再現できない動きには対応することが不可能なものだ。だがしかし、悪魔は違う。相手の気を読み、魔力の波動を読む。至高の天使として生まれ、神の眼を持つとされるルシファーにとっては、いかに瞬く間だろうと魔力発動を見逃すことは無い。
(奴(ベルゼブブ)程には満たぬが、其れでも此の者、人の身に在って奇なる迅さ…………)
ふと、魔王は唯一かの水星に追い着くという不可能を可能にした地獄大元帥、かつての戦友の名を想起する。この剣士も若くして相当な使い手に相違無いだろう。盟友アモンと熾烈な決闘を展開する様を見物してみたくもあるが、今はこの谷に在ってベルゼブブを捜し出すことが先決だ。下手に暴れて大事になっては、先手を打つ為に訪れた甲斐が泡沫に帰す。
「双方、得物を収め給え」
ルシファーの冷たい声が響いた。
「チッ……ま、アンタのお望みじゃしゃあないねえ」
一方の若武者は、尚も構えを崩そうとしない。
「貴様も疾く収めよ」
「言ったはずだ。二人とも追い返す、と。……そちらも魔術には通じているようだな。しかも得物を生成するとなると、高位の術者……そのような危険な者を村に入れる訳にはいかない」
「――やめぇいッ!」
一喝。
「女こどもの前で荒事とは感心せんのう」
しわがれていながらも良く通る声と共に、群衆が再び裂ける。
「長老……!」
顔を顰めた翁が現れた。そして、その傍らに伴っているのは……
「ああっ、あの時の……!」
ルシファーの姿に目を止めるなり、イヴが叫び声を上げる。
「何時かの未熟者か」
「みっ、未熟者じゃないわよっ! 私は騎士だから!」
「然れば他者を指差すことが騎士の行いである、と」
「うぅ……そ、それよりッ! なんであなたがここにいるのよ」
敵意を隠そうともせずに問いかけた。
「貴様こそ何用で此の地に?」
「イヴ殿。この男と知り合いか?」
ルシファーを正視したままツェーザルが聞いた。
「知り合いなんてほどじゃありませんよ。ここに来る途中で見かけただけで……」
「なら斬り捨てても構わんな」
「なぜそうなる。ほれツェーザル、落ち着くのじゃ」
諫める長老。
「斯様な不埒者を我が郷里に入れる訳にはゆきません。村の一員である私に刃向かったからには、この場で我が剣の錆とします!」
「声を荒げるな。斯様に騒々しいと、つい手が滑って二度と叫べない身にしてしまうやも知れぬ」
「おのれ、大して歳も変わらぬというのに……その無礼な言葉、捨て置けん! 斬り捨てる……!」
「ほう。威勢が良いのは結構であるが――」
辺り一帯の空気が緊張った。
「果たして其れが貴様に成せるかな」
ツェーザルをルシファーが拘束したのであろう。瞳の色すら変えない程度の僅かな魔力解放で、魔力光も発していないものの、対人としては十分すぎる効力を有することに変わりは無い。だがしかし――――