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*7*
† 四の罪 “時空を超えた邂逅” (前)
その晩、長老が酔い潰れると、部屋に戻った二人は会話を始めた。
「どこ行っても愛想ないんだねえ。アンタに従う悪魔しかいない地獄とは違うんだし、ちっとは笑わんと怪しまれるよ」
「既に怪しまれておる。俺は無駄は好まぬ」
一呼吸置き、煙草に火を灯そうとするアモンを目すと続ける。
「――空間干渉に地術を組み合わせる等と云う妙技が為せるとあらば、我等超上級の悪魔か、精々選ばれし一部の天使共であろう」
「ああ。それにあの爺さん……初動から形成まで、あの一瞬でアタシらが見ても綻びがまったくわからんほどの完成度ときたもんだ」
ルシファーは友とワイングラスを交互に見つめると、徐に双唇を開いた。
「アモンよ。我等が闇へと堕ちるより昔、竜族との戰を憶えておるか」
「何ちゃら戦役だっけか、アンタが指揮の元、ベリアルやパイモンの軍勢が連中のすみかを焼き払った……なつかしいねえ。当時は外野としての見物だったが、あん時のアンタはいまだに忘れもしないよ。数えきれん悪魔の大攻勢を眺める中で、ひときわ目立って強いアンタの背中にアタシはほれこんだわけさ。誰かの手下になんざなったことなんてなかったが、つかえんならこの人しかいない……そう思ったね。ま、随分と遠い話だが」
半笑いで語るアモン。
「真に遠き話であろうか。竜の園は滅ぶも、天使方は一つ大物を取り逃がした。其の者が今なお生き続けているのとあらば……」
「へぇ。“神の眼”を持つアンタと同じ考えに至るとはねえ……あっちに帰ったらアタシを武勇だけと思ってる連中に聞かせてやろう。それはそうと、そもそも竜が人と馴れ合うもんなのかい」
「あの者は中でも人間と距離を置く一派の盟主たる存在であった。然れど、如何なる巡り合わせか、此の場に於いて奴は人として生きている」
「まあ納得はいかんが神眼が言うならやっこさんに違いないんだろねえ。で、どうするよ? 何なら、あの小僧と一緒にまとめて始末しちゃってもかまわんかったが」
「そう急くな。相も変わらずお前は気が疾い。今はベルゼブブの手掛かりを知ることに徹する。目先の感情で熱くなって大義を疎かにしては本末転倒。其の気になれば我等のみで潰せる谷だ。察するに、此方と渡り合えるのはあの者のみ、戦力に値するはあのツェーザルとやらに、中庭で鍛錬していたもう一人の剣士が関の山であるが――あの娘……」
「どうしたんだい、途中で見かけたあのちっさい女子(おなご)がお眼鏡にでもかなったかい?」
「幼子の趣味は無い。あの童、竜の魔力を含んでおると我が眼が告げた」
「そうかい。やっぱ鍵は竜だわな。さすがは我等が総帥」
「侮るな。此の神眼と先刻の長老が力……加えて我等に事が知れては難儀なる様子」
物言いこそ一貫して悠然とした魔王だが、満更でも無いようである。
「上等だ、面白くなってきやがった。まあ……何があろうとお嬢は取り返すがね」
「お前の気に入った剣士も曾ての奴に同じく緑の魔力光を放っていた。“竜王”め、此方の与り知らぬ間に面妖なものを手に入れた様であるな」
窓を開け放つルシファー。夜風が銀髪を揺らした。
「失礼します。うっ、酒くさ…………」
ツェーザルは、端正な顔面を歪める。
「下戸のお主に嗅がせるとはすまんのう。しかしな、お互い隠し事をしたまま間柄を縮めるのは飲まずには難しいものよ」
「あの様なつかみどころの無い相手なら尚更でしょうね。とは言っても、知られて困ることまで喋らないで下さいね」
「心配いらん、酔ったそぶりこそしたが余計なことまで口走ってはおらんよ。そちもアザミのこと、やたらな場で話すでない」
「夕刻の一件はたいへん申し訳ございませんでした! しかし、あれも我が谷と、あの子のことを思ってのことで……」
「分かっておる分かっておる、そちは昔から不器用じゃったな」
苦笑する長老。
「すみません……熱くなるあまり秘剣を晒しかけたことも軽率であったと反省しております。得体の知れぬ者が突如として訪れ、しかも狼藉まで……ああいう輩から愛する故郷を護りたい一心で誰よりも強くなったのです。
一体あの2人は何者なのかお教え下さい。このツェーザル、どこの誰かも分からぬ乱暴者が滞在するとあっては不安でなりません。放浪した果てに辿り着いたと言っていましたが、さして薄汚くもありませんでした。
……何よりあれ程の攻撃……教えて下さい! 杯を酌み交わした折に何を申していましたか? 彼等は何者なのですか、何をしに参ったのでしょうか……!?」
歩み寄って問い詰める。
「さあな。じゃが……手強い旅人であろうよ」
長老は暫しの沈黙を経ると、手短に告げた。
「みんな遠いところよく来てくれたわね。待ってて良かったー」
夜が明け、谷に到着した同僚との再会を喜ぶイヴ。
「……して、帰らぬのか? 騎士気取り」
「正真正銘の騎士ですが何か? ……って、あなたは……!」
振り向いた先に佇む黒装束を見るや否や、剣に手を伸ばす。
「今日こそは借りを返させてもらうわ! あなたの素性を突き止めてお上に報告させてもらうわよ。従ってくれないなら、倒してでも連れてくわ」
「俺を倒す? お前は何を云っているんだ」
困惑しているルシファー。
「戯言は好かぬ。他のことで愉しませよ。
――“salta(踊れ)”……!」
指を鳴らすと、意識の内に直接そう声が響いたかのような感覚へ陥り、イヴが滑稽に跳びはね始めた。
「イ、イヴさん……!?」
「な、なんなのこれ!? あなたたち、見てないで助けなさいよー! ……って、笑うな!」
懸命に抗おうとするが、その必死な形相が面白おかしさを増徴させる。
「うわァ…………」
仲間たちの憐みと好奇に満ちた視線が集まり、さらに赤面する女騎士。
「イヴさん茹蛸みたいになってるわ」
「茹蛸って言うか、もはや気違いの顔ですわ」
「あのねー、聞こえてるからね! あんたも早くこの変な術を解除しなさいよ! あーもうっ! お嫁に行けないじゃない! 許さない、絶対にだ」
「え……そもそも結婚できるつもりだったんだ、あの人」
一人の口から小声ながら本音が漏れてしまった。イヴは容貌こそ美人と言って差し支えないし、体型も筋肉質でありながら出るところは出て大人びてはいるが、その男勝りな言動と強気な性格を仲間内で知らぬ者はいない。
「ちょっと、こんなことになってるからって覚えてないと思ったら大間違いだか……って、きゃーっ!」
ふらついた拍子に、思わず若い女性らしい悲鳴を上げる。
「おい、今なんか女みたいな声出したぞ。隊長……踊り狂い過ぎて頭もおかしくなっちゃったのかな」
「こらー、わたしは女だー!」
ルシファーと部下たちを涙目で交互に睨むイヴ。
「ハァハァ……あなたこの谷に来て何する気? あれだけの人を殺しといて……」
踊り狂いながら問いかける。
「冗談は動きのみにせよ。貴様らが力及ばなかっただけで、元より我等を殺す気であったではないか」
「あうぅ……そっ、それはそうだけど私は騎士として仲間を護ろうと……」
「力も持たずして正義面で誰かを護る等と抜かすでない。己を正当化しようと云う姿勢と無力を棚に上げる図々しさは一人前であるな。人間とは、神の名を借りて都合が悪い存在は異端として排除することで見せしめとし、何時の世も力で正義の押し売りをしてきた、矛盾に満ちた愚かで哀れな歴史の創造者とやら……相違あるか?」
「まっ、まるで自分が人間じゃないかのような……」
言い終わる前に違和感を覚えたイヴは、足下を向いて驚愕した。
「ファッ……!? ななな、今度は何よこれ!」
辺りの砂や泥が圧縮されたのか、彼女の首から下が巨大な球体に包み込まれている。
「飽きた。泥団子にでも入っているが良い。悦べ、此の俺が手ずから珍しき技を使って遣ったのだ」
「あーもう、まったく……! よりによって後処理がめんどくさいような技の練習台にしないでくれる? もうちょい他になんかマシなのあったでしょ」
「其処に泥があったから。地が泥濘んでおろう」
「人権なんてあったもんじゃないわね」
「其の儘転がって失せるとせよ、次第に泥も落ちよう」
「こんな非人道的な姿にした上で騎士を転がすなんてどういう神経して……あっ、ちょっと!」
坂を疾走してゆく丸々とした後ろ姿。
「騒いでいると舌を噛むぞ。黙して往くが良い」
「あなたねぇ……って、うわぁみんな見てんじゃん……キャッ! ちょっと! ねえ速い、速いってばー! ふぐうぅ……こんな思いをするのなら花や草に生まれ……うわあァッ!! あ、あなたたちー! 今日はー何も見なかったことにーしなさいよねーッ!」
そう喚き散らしながら遠ざかって往ったきり、その日イヴが口を利くことは一度も無かった。