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*35*
「嘘をつくなよ」
「嘘じゃないもの」
「それじゃあ、マンゴスチンのことを話した時、押田と付き合っているとどうして言わなかった!? あの時、既に押田と付き合っていたんじゃないのか!?」
僕の怒声に、彼女の目が大きく見開く。
河川敷で散歩をしている老夫婦が、訝しげにこちらを見つめてくる。
「単為生殖は雌だけで生きることが出来るって話した時……あの時、美桜は素敵だねって……笑ったじゃないか……」
目頭が熱くなり、声が震える。言葉をうまく発音出来ない。
「だけど、私は本当に誰でもよかった、なんて思ってないわ。それだけは本当よ。お願い、信じて。涼じゃないと、だめだったの……」
僕のヨレヨレの制服をぎゅっと掴み、必死に訴える。
溢れる涙を手の甲で拭う。もう、涙は出ない。涙など出さない。
「もうわかっただろう? 僕はサッカー部には戻らない」
彼女の頬に流れる涙を拭うのは僕じゃないんだ。彼女には押田がいるじゃないか。
シャツを掴んでいる彼女の手をそっと外し、背中を向けると、彼女の悲痛な泣き声が僕の鼓膜を揺らした。
「これだけは信じて! 涼じゃないとだめだった! 涼が大好きだった! ねえ、お願い。これだけは……」
僕は振り返らない。
気がつくともう日が落ちて辺りは真っ暗になっていた。冷たい夜風が僕の頬を撫でるように通り過ぎていく。
両親にちゃんと謝って、学校にも告白しないと。あと、確か生徒会にも迷惑を掛けたって風の噂で聞いたから一度謝らないといけない。
「ねえ! 待って!」
唇を噛みしめ、涙を堪える。
「私、待ってるから! 涼が帰ってくるの、待ってるから! 涼がいつでも帰って来れるように、携帯番号変えないから!」
もうやめてくれ。
「待ってる! 待ってる!」
もうやめてくれ。そんな声で、そんな言葉を言わないでくれ。
突然、背中に何かがぶつかってきたような衝撃が走った。同時に生温かい感触に襲われ、胴に腕が巻きついてくる。
美桜の腕だった。
「あなたじゃないとだめだった……信じて……待ってる。待ってるよ」
僕はゆっくりと、巻きついた腕をはがすと、向き直った。
さっきよりもひどい泣き顔が僕を待ちうけていて、少し笑ってしまいそうになった。しかし、すぐに視界がぼやけ、もう何が見えているのかわからなくなった。
本当は言いたいことが山ほどあった。でも、その言いたいことのほとんどは、どうにもならないことだった。どうして僕は男じゃないのか、どうして僕は美桜と一緒にはいられないのか。しかし、そんなことを今、ぶつけたって美桜が困るだけだ。困るだけなら、そんなことはしなくてもいい。だから、僕はお別れの言葉を言おうと思った。
「――ありがとう。ありがとう、美桜。美桜は、ほんとうに、やさしいね――でも、もう大丈夫。大丈夫だから。ちゃんと、立ちあがれるからさ」
彼女のことになるといつも自分の誓いは取っ払われてしまう。最後の最後まで、僕の思い通りにはならない。
目を閉じれば僕の頬に涙が幾重にも、幾重にも伝っていった。