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【完結】「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜
作者: すずの  (総ページ数: 39ページ)
関連タグ: 推理 恋愛 生徒会 
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生物の時間に習ったことを思い出す。確か遺伝子の単元だった。
 雌の遺伝子はXXで雄の遺伝子はXY。しかし、性染色体で性別が決まるのは古い話で、性別が曖昧な個体の存在は自然界では当然のものだ。
 例をだすと、カタツムリは雌雄同体といって、ひとつの個体に精巣も卵巣もある。一般的には他の個体と相互に交尾をすることで受精し産卵する。自家受精、つまり自分の体で自分の子孫を作りだすことも出来るが、産卵数、ふ化率ともに著しく低下する例があることから、多くは見られない。
 ということは、人間も雌雄同体であればきっとホモやバイといった侮辱的な意味を含む言葉はなくなるのではないか、と妄想を膨らましてみる。人間は、残念ながら男と女がセックスをしないと子どもは作れない。もし、カタツムリのように雌雄同体であれば、そもそも男と女という概念がなくなる。つまり、血の繋がっている家族以外、全員恋愛対象になるかもしれないのだ。別に同性同士で家庭を形成したって、誰も咎めたりはしない。なんと素晴らしい世の中だろう。人間には残念ながら男と女という越えられない性の壁がある。その壁だけで恋愛というものを考えるからややこしくなるのだ。
僕の部屋の窓からは、お母さんが丹念に育てている花壇が見える。小さい花壇だが、忙しい仕事の合間にまるで我が子のように愛でるお母さんの姿が好きで、よく見ていた。
 いつものように勉強机に頬杖をついて眺めていると、カタツムリが葉っぱを食べているのが見えた。
 僕は近くにより、間近で見る。カタツムリの持つその容貌と、生殖方法は気持ち悪いと一蹴されることが多い。しかし、種の保存方法は学ぶことがいくらでもあるはずだ。僕は周りと同じ言葉で切り捨てるなんて出来なかった。
 こいつは死なせてはいけないなあと、お母さんが花壇を見つめる時と同じ目でカタツムリを見つめ、勉強机に戻った。
 数日後、お母さんは花壇の世話をしていた。花壇は裏口にあるので、いつもならそのまま表口の扉を開けるのだが、今回は様子が違った。お母さんの手に、虫かごが握られていたからである。
 嫌な予感が脳裏をよぎる。
「あら、おかえり。涼。ねえ、見て、カタツムリ。気持ち悪いわ。塩を振りかけたら、縮んじゃったのよ」
 お母さんは自分の力だけでカタツムリを駆除したことが嬉しいのかニコニコしている。
「……殺したの?」
 自分でも驚くくらい、小さくて泣きだしそうな声だった。
「だって、せっかくの花壇が台無しじゃない。カタツムリはガーデニングの敵よ、敵! 私達の敵! 涼だってカタツムリ、嫌いでしょ?」
 ふふふと楽しそうに笑うお母さんの声がだんだん遠くなっていくような気がした。
 ああ――やっぱりそうなのか。敵なのか。僕も社会から見れば、醜い生き物なのか。そうか、そうだったな。今までだって、ずっと、そうだったじゃないか。
段々と縮み、力がなくなっていくカタツムリを、僕は無言で見下ろす。
お前、僕達の敵なんだってさ。

「見つけた」
 声が聞こえた。河川敷の土手に一人で夕景を眺めていると、聞き慣れた声が聞えた。
 烏が上空を舞い、夕暮れの太陽に吸い込まれるように消えていき、黒い粒となる。その後を数羽の烏が鳴きながらまた消えていった。
 犬のお散歩コースがジョギングコースに使われる土手はとても穏やかな空気が流れていた。
 これからシリアスな話をする僕達に、この場所はとても似合わない。しかし――お別れをする場所なら最適だ。清々しく、別れることが出来る。
 ゆっくりと振り返ると、今にも泣き出しそうな表情で彼女――僕の元恋人だった瀬戸美桜が土手の上に立っていた。
 僕はゆっくり立ち上がる。自分の制服についている土を払った。彼女から見ると僕は逆光のようで、目を瞬かせながら下りてくる。
 目の前に来た瞬間、彼女は僕の頬を引っ叩いた。まるでこの瞬間を待ち望んでいたように、渾身の力が込められていた。
 ジンジンと頬が痛む。父さんにもぶたれたことないのに、と有名なアニメの台詞を心の中で呟いてみる。いや、今はおどけている場合ではない。
 彼女は目に溜まっている涙をこらえようと必死に形のよい唇を噛む。しかし、その甲斐むなしく、決壊してしまった。大粒の涙が双眸から静かに流れ、止まることを知らない。
 僕は彼女が何も言わない間、顎に伝って落ちていく彼女の澄んだ涙をじっと見ていた。
 もう、こうやって美桜の顔を眺めることもないのだから、しっかりと目に焼き付けておこう。
「サッカー部の三年生全員が、涼を必死に探しているわ」
 少し驚く。まさかそんな大事になっていようとは、夢にも思っていない。
「後輩達は真剣に涼のことを心配して、黙秘を貫いてくれている。涼が帰ってきてもいいように頑張ってくれている」
 大きく目を見開いてしまった。自分の恋愛沙汰に、後輩まで――。
 一週間、この現状からずっと目をそらし続けてきた僕にとって、彼女の言葉はひどく心に突き刺さった。
「これからの天宮にあなたは必要よ。絶対に必要。伯父さんだって、涼がいないとやらないって言っているんでしょう? それじゃあ、涼が後世に伝えないといけないじゃない」
「僕はもうサッカー部には戻らない――いや、それどころか天宮にはもういられないだろう、こうなってしまった以上……」
 数分の重い沈黙が僕達に圧し掛かる。
 そう、僕はもうサッカー部には戻らないと決めたんだ。
「……私達と喫茶店で話をした、あの時からあなたはもうサッカー部をやめようと思っていたの?」
「ああ、そうだ。僕は美桜がいないサッカー部なんかに戻らない」
「……どういうこと?」
「もう僕が知る美桜ではなくなってしまった。美桜は押田と付き合うんだろう? 僕は――君がいるサッカー部が全てだったのに」
「あなたは三年間、尽力してくれたじゃない! サッカー部の仲間との思い出も、全てなかったことにするの!?」
彼女の悲鳴に近い健気な訴えは、「もういい」という僕の萎れた声に全て吸収されてしまった。鼻水が涙かわからないぐしゃぐしゃの横顔が夕焼けに照らし出される。美人が台無しだ。
「全てなかったことにはしない。僕だって悪魔じゃないんだから。でも、さっきも言ったけど――美桜が美桜でなくなった今、サッカー部を続ける意味なんてない」
 また一つ、また一つ大粒の涙が次から次へと際限なく、柔らかい頬に流れていく。
あの喫茶店で彼らの口から正式に付き合っているということを聞かされた時、どうして瀬戸美桜が僕から離れていってしまうのか、理解できない訳じゃなかった。むしろ、妥当だと思った。喧嘩という喧嘩をしていないのに、彼女を怒らせるようなことをしていないのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
だけど、正直もうもう何が何だかわからなくて、うん、とかあー、とか曖昧な返事しか返せなかった。だから、落ちついて考えて彼女にこうやって言いかえすことが出来なかった。当り前だ。僕はあの時、僕の中の一つの世界が死んだ瞬間だったんだから。
 でも今なら言える。一週間、逃げてきたばかりじゃない。ちゃんと別れを告げるための勇気を奮い起こす時間でもあったのだ。
彼女は僕と築いてきた絆を守り続けることよりも、押田との未来を選びとったのだ。
「美桜は僕と一緒にいるよりも、押田と一緒にいることを選んだ。そりゃそうだ。押田は男で、きっとこれから付き合っていく内に経済的な面でも、社会的な面でも、いろいろ助けてくれるだろう。性の壁は社会に恐ろしい程、浸透している。だって僕達は堂々と街中で手を繋いで、キスをすることも出来やしないんだから。美桜は僕と付き合っても、そういう現実的な安心感を与えられないと思ったんだろう? そうだ、その通りだ。僕は男じゃない。女だ」
 彼女は僕のような、女性愛者ではない。彼女は、多数派の異性愛者なのだ。そんな人間が、何年も僕と付き合っているという事態、おかしい話だったのだ。あの時、僕も彼女も立ちあがれる勇気が欲しかった。それが、彼女にとっては僕で、僕にとっては彼女だけだったという話だ。
 遅かれ早かれ彼女とそうなる関係になるには、男でないとだめなのだ。
 こんな未来を彼女が欲しがっても僕は与えてやることが出来ない。ほら、人間は性の壁を乗り越えることが出来ないじゃないか。
「美桜は、僕と同じじゃないんだ。それが今、よくわかったよ。僕はずっと今まで美桜の男癖をなおせるのは僕だけだと思っていたし、僕しか恋人はだめだと思っていた。でもそうじゃなかった。中学生だったあの時、更衣室で起こったあの場面で、美桜は確かに弱っていた。だから、同性と付き合うっていう普通じゃない判断をしたんだろ? そうじゃないと、僕と付き合ってくれる筈なんかない。今になって、冷静に考えることが出来るようになったんだろう? 自分は女性愛者(レズ)じゃないって。あの時に自分を守ってくれるなら誰でもよかったんだろう?」
 彼女は間髪いれず、ヒステリックに反論する。
「誰でもよかったんじゃないわ。あなたじゃないと、だめだったのよ。私はあなたのことが本当に好きだったわ」

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