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- 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐
- 日時: 2012/01/29 13:52
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
<登場人物>
秋山水速(アキヤマ ミハヤ)
17歳 男子高校生 黒髪天パの美形さん 冷静だけど若干ヘタレ
シイノの保護者。 彼女に振り回されてばかりいる。
根は優しく穏便な性格。 少々人間不信。
シイノ
14歳 外見が年齢より幼い 女児だが本人は自覚が無い
ボサボサの赤毛に中性的なべっぴんさん。
上手くいかない事があるとバイオレンスな一面が出てくる。
靴下が嫌いで常に裸足。 殺し屋。
奏多言理(カナタ コトリ)
17歳 柔らかい物腰で水速の同級生
性格はおっとりとしているが運動が得意。
かなり攻撃的でいきなり怒鳴ることが多い。
キミト
17歳 シイノの実兄 黒めの赤毛 さすがシイノの兄ってほどシイノの兄
普段は普通の高校生だが、実は殺し屋。
能天気で飄々としている。 翡翠色の目は生まれつき。
快楽殺人者で『ホノノギ会』では恐れられる存在。 シスコン。
神崎美砂子(カンザキ ミサコ)
水速の住むアパートの管理人・大家の女性
見た目は大学生くらいだが本人曰くもう少し年は上。
髪が長く高い位置で結ってる。 冷静に客観的に世間を見ている。
落種桜華(オチダネ オウカ)
19歳 容姿端麗才色兼備な女性 ニート
実の両親から10年間監禁されて育ったせいか、常識があまり無い。
常にド派手なジャージを着ている。 虫を潰すなど悪趣味。
キミトよりもある意味下種。 情報屋。
<朱蘭家>
朱蘭玲愛(シュラン レイア)
16歳 朱蘭家長女 艶やかな黒い長髪に紅い瞳
性格は極めて愛に一途で独占欲と嫉妬心が強い。
冷静沈着だが、怒るとヒステリックになりやすい。
朱蘭ヒズリ(シュラン _)
25歳 朱蘭家長男 長身で細身の男性
面倒臭がりな性格で仕事をなあなあにする事が多い。
自分の興味が沸いた物にしか関わらない。
朱蘭魅録(シュラン ミロク)
20歳 朱蘭家次男 感情を表に出さない青年
言葉が拙く、また多重人格。
外見は華奢で綺麗な容姿のため女性に間違えられる。
- Re: 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐ ( No.16 )
- 日時: 2012/01/27 23:22
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
χ……χ……χ……χ……χ……χ……χ……χ
今からちょうど7年前の事である。
その家に住む一家はありたいていの、普通の家族だった。
父親は普通のサラリーマンで、母親は普通の専業主婦で、何一つ不自由のない、けれど決して金持ちすぎる事もない。
そういう平凡な家庭。 近所との関わりもまちまちで、特に目立つ事もなく、それこそ普通で、日常的で。
そんな家庭で一家虐殺事件が起こった時は、当時の世間をひどく混乱させ、恐怖に陥れた。
もはや、誰しもが忘れていると思われる、他人の記憶から除外された事件。
その事件の犯人は、その当時まだ幼い殺し屋。
そして、ひとりの一般人市民だった。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
誰から逃げているのか、自分が何に対して恐怖を抱いているのか、まったく分からなかった。
とにかく早くこの場から離れたくて、息は乱れても速度は緩める事はなかった。
冷たい闇の中、ひどく混乱する頭をなんとか調整して、こみ上げる嘔吐感を必死で堪えた。
「はっ、ああ、あああああああああああああああああああ!」
溢れ出す感情を咆哮で吐き出す。
どうしようもなく、涙が溢れてきた。 泣くという概念が無いまま。
膝から崩れ落ち、自分がした事を忘れるように髪の毛を掻き毟る。
「アンタ、よく泣くのね」
声が聞こえる。
いや、聞こえるというよりは、心にすぅっと入ってくるような、そんな不思議な感覚。
顔を上げて見ると、白い頬に返り血を浴びた、黒い長髪に紅い瞳の少女がいた。
まだ、幼い、なんてことはない少女だった。
「私より年上だと思うのに。 おかしいのね」
「あ……っ、いや……やだ」
「何をそんなに怯えてるのよ。 “仕事” なんだから、仕方がないじゃない」
「し、ごと……」
「そうよ、お仕事。 あなただって楽しそうだったじゃない」
先ほど自分の家族が惨たらしい殺され方をされ、そして少なからずそれを見て自分はどういう感情をもたらしたのか。
全部、信じられない、受け入れられないものだった。
「たのしそう……? おれが?」
「少なくとも私にはそう見えたわ」
「おれが……父さんと母さんを殺した……」
「私とあなたで殺したのよ」
少女の言っている意味が理解できず、頭の中が真っ白になる。 汗で濡れている肌が夜風にあたって、寒気さえする。
心臓の動悸が早い。
目眩さえする。
「大丈夫? 過呼吸でも起こしてるのかしら」
「ひっ、ああ んがっ」
「ほら、私を見て。 あなたどうしてそんなに顔が真っ青なの」
目の前で家族がああいう目にあえば誰だってそうだろう。
しかし、彼女は表情ひとつ変えずに手を貸してくる。
「きみ……だ、れ?」
「私は玲愛。 朱蘭家の人間なんだけれど、あなたは知らないだろうね」
「しゅ、らん……ああがっ」
「あーほらほら息をあまり吐かないの」
肩を撫でてくるその手がひどく冷たいけれど、感触が人間のもので恐ろしい。
「朱蘭玲愛は愚者には優しいから、あなたにも手を差しのべるけれど。 服をこれ以上汚されるのは嫌よ」
腰以上にある長い艶やかな黒髪が、とてもくすぐったい。
そのまま導かれるように立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた少女は笑って言った。
「殺し屋に、あなたもなる?」
- Re: 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐ ( No.17 )
- 日時: 2012/01/28 02:53
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
第2章 『罪の意識の感化へ』
夢を見た気がした。
遠い遠い昔の事のようすらして、軽く錯覚を起こす。 隣にシイノが眠っているのを見て、落ち着きを取り戻した。
今日は平日で、第3火曜日なんだけどどうにも体が動かない。
キミトの来襲から一週間経って、それなりに外出もしているけれど、一向に殺し屋というものは姿を表さない。
それなりに警戒もしていたけれど。
「今日は学校は行かない事にする。 いま決めた」
「──不登校になるのかい、水速。 シイノはご飯たくさん食べれるなら、きみが不登校児になろうが登校児になろうがどっちでもいいよ」
「お前は本当にメシの事ばかりだな。 おはよう、シイノ」
窓から射し込む光に目を細めながら時計を見ると、ちょうどショートホームルームが始まる時間だった。 もう今から学校へ行く気にもなれず、かと言って担任に電話をしようと思っても、朝から小言を言われるのは気が引ける。
シイノが上半身を起こす。
赤い髪の毛が光で綺麗に光っていた。 優しい色だと思った。
「おはよう水速。 今日はからっとした天気だ。 いつもいつも曇っていたのに」
「シイノ、お前のその髪の毛は地毛か? 染めてたりとかしないのか」
「してない。 生まれつきこういう髪の色。 遺伝ってやつは鬱陶しいな。 シイノが死ぬまで一生消えない」
「そのままでいいよ。 染めない方がいい」
両親もその色だったのか、と聞こうとしてやめた。
この子に必要以上に家族の事を思い出させるのは、避けた方がいい。 一見何も感じていないようだけれど、実際は心の中で何を思っているのか分からないから。
そういや、キミトも暗めの綺麗な赤毛だったっけ。
「似てるなぁ……」
思ったことがそのまま口をついて出てしまった。
シイノは不思議そうに首を傾げていたが、やがて好奇心が薄れたようにまた布団の中へ潜り込む。
メールが入っているのでそれを見ると、奏多からだった。 僕が学校に来ていないので、心配してくれている。
「シイノ、隣に住んでいる落種桜華って知ってるか」
この前、桜華に言われた言葉を思い出して、シイノに訪ねてみる。
「オチダネ……。 ああ、情報屋か」
「情報屋?」
「名前だけは聞いたことがある。 だけどそうか隣に住んでいるのか。 シイノ、それは知らなかったかな」
「──なあシイノ。 僕は知らない事が多過ぎると思うんだ」
「知らない方がいいよ、水速。 知らない方がいいに決まってる」
シイノの口調は、まるで刺々しいようにも聞こえた。
「朱蘭家の奴らも襲ってこないし……大丈夫なんじゃないのか?」
「殺し屋だって、表では普通の一般人を装っている奴らもいるんだから。 シイノひとりを殺しにノコノコ来るほど、暇人じゃない」
どこかに紛れ込んでいる殺し屋を、僕はきっと見つけられないだろう。
もし接近されても、ただの一般人の僕が対等に渡り合える事はないだろう。
「シイノは本当に殺し屋なのか。 なんか力は成人男性以上並みに強かったけれど」
なんせ僕をベランダから放り投げるくらいだし。
「シイノはずっとずっと練習してきたから」
「──殺しの?」
「水速、好奇心はいいけれどそれより朝ごはん食べたい」
……ちくしょう。
- Re: 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐ ( No.18 )
- 日時: 2012/01/29 13:14
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
落種桜華。
僕の隣に住む住民はどうやら、裏社会に関わる情報屋だったらしい。
朝ごはんを食べた後、シイノを部屋に残して神崎さんの所に行くことにした。
古びたアパートの一階に住んでいる神崎さんは、ポストにあふれ帰りそうなほど滞納してある郵便物をどうにかしようとは思わないらしい。 郵便物を全て手に持って、チャイムを鳴らさずに扉を開ける。
相変わらず鍵はかけていなかった。
数日前なら特に何も思わなかったけれど、殺し屋云々があってからは、こういうのにも神経を使うようになった。
書類ばかりの部屋。 テーブルに本や書類が山積みになっていて、そこに埋もれるように神崎さんが紅茶を飲んでいた。
僕の登場に特に驚きもないようで、バサッと置いた郵便物の方に眉をしかめた。
「聞きたい事があるんだけど。 落種桜華は情報屋だったのか」
「──誰から聞いたのよ、それ」
「シイノから聞いた」
「あーもう……あの嬢ちゃんは本当にもう……」
神崎さんはカップを置いて前髪をかきあげた。
「アンタ、それ聞いてどうしたいの」
「僕はもう関係者だ。 シイノに殺しをさせないと決めた。 シイノの良心を護ると決めた。 だったらもうお互いに隠し事はナシだ」
こういうベタな展開なんだ。
正義を気取ったヒーローが、いたいけな、けれど謎のある美少女を護るために自己犠牲を払うんだ。 そして最後には必ず──
「アンタはシイノに殺しをさせない、良心を護ると言っているけれど……そして確かにアタシはアンタにあの子を護れとも言ったけれど……。 中途半端は困るんだよ、水速」
そうだ。
僕は中途半端なんだ。
殺し屋が来てシイノがそいつを殺すのも、殺されるのも怖い。 シイノが殺しに関わるのも、僕が殺されるのも怖い。
そんな恐怖でしかないのに、僕がわざわざ関わろうとするのは、きっと。
「シイノが気に入ったのね、水速」
「茶化すのは止めろ。 僕も色々考えたんだよ」
そして結論が出たんだ。
シイノを護ると。 まだ、何もわかっちゃいけないけれど。
「──桜華にも世話になったんだから」
「そう。 あの子の事も全部、ぜーんぶ護りたいって思っているのか。 あんなにギャアギャア言っていた水速が」
神崎さんは感心したように頷き、ニヤリと笑った。 大人なのに子どものような笑顔。
僕にはできない笑い方だった。
静かな部屋に時計の針の音だけが聞こえて、そんな時間が数分過ぎて、神崎さんが口を開く。
落種桜華。
彼女は小学校に上がる前から10年間、実の両親に監禁されていたのだと言う。
当時莫大な借金を抱えていた落種家は借金取りに追われており、桜華という少女の存在を消すために、家の押入れに彼女を閉じ込めた。
外の世界を知らず、家の中にあったただひとつのパソコンが遊び道具だったらしい。
やがて、なかなか借金を返さない落種家に、借金取りたちはホノノギ会に依頼をした。
「臓器を、もってこいってね。 そっち系のは高く売れるから」
その殺しを依頼され、殺し屋たちが冬の真夜中に落種家に押し入り、そのとき15歳だった桜華もまた両親と同じように、殺されるはずだった。
はずだったけれど。
「アタシが駆けつけた時、彼女は既に逃げていたんだよ」
桜華には、殺し屋の来襲があらかじめ分かっていたのだ
ハッキングという方法を使って。
並外れたハッキングの知識と、洞察力。 そして鋭い観察力。
桜華は自分たちを苦しめる借金取りの会社をハッキングし、そして殺し屋であるホノノギ会の存在も知った。 ありったけの知識が入った頭で桜華は考えに考え、そして、
「両親だけ死ねばいいと、そうあの子は思って黙ってたんだよ。 殺し屋が襲ってくるのに、あの子はひとりで逃げていた」
逃げて、逃げて、逃げて。
そして桜華は初めて外の世界を知ったのだと言う。
肌が凍るほど冷たい雪の感触も、白く吐く息の温かさも、ぞっとするほど広く深い闇の存在も。 すべてが桜華の好奇心を満たした。
「んで、アタシが保護したわけよ。 情報とハッキングのすべてをあの子に教え込んだ。 凄いねえ、最近の若い子は。 すぐに理解して覚えて受け入れて、桜華はひとりでコンピューターやらなんやらを何台も用意して、部屋に引きこもって。 今じゃあなんか情報を売買してるらしいわね」
「お前が桜華を引き入れたのか?」
「桜華は最初から桜華なんだよ、水速」
そして、シイノも最初からシイノってか?
違うだろ、神崎さん。
シイノは違う。 あの子は自分から進んで殺し屋になんかなりたくなかったんだ。
だから、逃げてきたんじゃないか。
- Re: 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐ ( No.19 )
- 日時: 2012/01/29 17:37
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
部屋に戻って、いつものようにダラダラとテレビを見ているシイノの姿が無い事に驚いた。
物音がして寝室に行く。
嫌な予感がした。 ざわざと心がざわめき、そしてまるでこれから起こる事を予期しているかのような、そんな悪い事しか頭に浮かばない。
次に誰かの声がして、焦りはいっそう核心に迫ろうとする。
寝室の扉を開けるのを一瞬躊躇ったけれど、中の物音はさすがに無視できず、思い切って、開けてみる。
「え……」
そこにいたのは、思っていた人物ではなかった。
そして、なによりも最悪の状況だった。
「シイノっ!」
布団の上で返り血を浴びているシイノが、こちらを向く。 その眼は必死だった。
同じく布団の上でシイノの腕を掴み、赤い爪をその柔らかな肌に突き立てている少女が、怪訝そうに僕を見る。
「貴方、誰なの?」
黒い長髪はとても艶やかで、透き通るような白い頬。 まるで人形のようだと思った。 年齢はきっと僕と同じくらいだろう。
黒いフリルのついた傘を左手には持っていた。
その細くて小さな指の先端の爪は赤くて、それがシイノの手首を傷つけている。
嫌な予感が、した。
「僕は秋山水速。 お前は誰なんだ」
「──水速……。 ああ、貴方が水速か。 想像していたより大きいわね」
「質問に答えろ、お前は誰なんだ」
シイノの眼が逃げろと訴えているのは分かっていた。
けれどどうしてか、いつもの僕なら逃げているのに、その少女と眼が合うとなんでだろう。 逃げる気が失せたのだ。
「私は朱蘭玲愛。 朱蘭家の長女だと言っておけば、誰の事か分かるはずよね」
「殺し屋……ホノノギ会の……っ」
朱蘭家。 禍々しい殺気とどこか高貴な印象を持たせる。
シイノは、僕に気を散らせている玲愛の腹部を思い切り蹴り上げた。 普通の女の子ではありえないほどの威力があったのか、玲愛が布団から転げ落ちる。
シイノは僕の腕を引っ張って、寝室から出ていく。
「ちょっ、シイノ!」
「逃げて、水速。 早く逃げて」
「だ、ちょっ待てよ! そんなにしたら服がっ」
「シイノは殺し屋だけど朱蘭相手に水速を巻き込むわけにはいかないからっ」
靴も履かずに玄関の扉を開けようとする。 しかし、そのシイノの右手は傘の先端によって貫かれた。 赤い血の飛沫が、僕の視界を点々と色づかせる。
「あ、ああああああああああああああああッ!」
「本当はシイノじゃないのよね。 私はターゲットは……秋山水速」
ゾクリと背後に寒気を感じて振り向いた。
ニヤリと笑っている朱蘭玲愛が、そこに立っていた。
「シイノ、しっかりしろよ!」
シイノの右手の平から傘を抜く。 血がドクドクと溢れるそこにハンカチを押さえつけ、傘を足元に捨てた。
ああ、落ち着け。 落ち着けよ僕。 玲愛はさっき、ターゲットが僕だと言ったんだ。 どうして僕なのかは分からないけれど、でも、それならシイノを守れるかも知れないだろ。
「僕がターゲット? どうしてだ、言ってみろよ」
「ただの好奇心よ。 キミトが言ってたの。 その子の傍に水速っていう男の子がいるって聞いたから……だから、ただの興味」
「意味わかんねえな! 殺し屋っつうもんは依頼が無けりゃ動かないもんだと思ってたけど」
「そんなの偏見よ。 殺し屋だって遊びを思いつくし、普通に恋だってするわ」
「そうか。 なら僕だけを殺してシイノを逃がせって要求は通るのか?」
シイノが僕の手を強く強く掴んでいる事にも、驚愕の表情で僕を見ている事も分かっていた。 気づいていた。
「たいへん面白い相談だけれど、そちらの彼女は憤慨しているわね」
「シイノは関係ない。 これは僕の持ちかけた相談だ」 「な……っ」
「ふうん。 朱蘭を前にしても驚かないなんて……やっぱり貴方は面白いわね」
白い腕が伸びてきて、僕の頬をそっと撫でる。 冷たかった。
そして、どこか懐かしい感じもした。
「水速に、触るなあああああああああああああああああああァアアアアアアァァアアアッ!」
それは叫びというより怒鳴り、怒鳴りより咆哮といった方がいいかも知れない。
普段の彼女からかけ離れた表情で、シイノは、
「え?」
右腕を、まるで、化物。 赤黒く硬そうな皮膚、どこかの物語に出てくるような、そんな、そんな歪な形の右腕だった。
華奢な少女の身体には絶対に不似合いな、そして有り得ない腕だった。
「水速……シイノの事、嫌いになって……」
- Re: 少女、闇。 ‐ミハヤの濁音‐ ( No.20 )
- 日時: 2012/01/29 23:01
- 名前: 林檎の中身 (ID: yqB.sJMY)
きっと、一生、僕に見せるつもりなんかなかったのだろう。
シイノの右腕は赤黒く、化物のような腕だった。 こういう表現は良くないと思うが、本当にそのとおりなのである。
柔らかい皮膚ではなく、ゴツゴツとした硬そうな皮膚は凹凸ばかりで、人間のものではない。 鋭い、鉛筆の芯が巨大化したような爪は切り裂かれたら絶対に死ぬと確信できる。
「シイノ……」
「朱蘭より化物だとは聞いていたけれど、本当にそうなのね」
「お前は黙ってろ!」
どういう事だよ。 シイノの腕。 その、腕。
状況が飲み込めず、ただただ震えが来る。 怖いとか恐ろしいとか、そういうんじゃなくて、単純にショックだった。
そして、シイノに纏わる殺気がいっそう強くなった事にも、ショックだった。 いやでも殺し屋だと自覚させられる。
「シイノ……その腕……」
「水速、シイノは約束は守るよ」
その殺気が一瞬緩む。 そして振り返ったシイノは、精一杯の歪んだ笑顔を見せた。
「人は殺さない、ね」
次の瞬間。
シイノの鋭い爪が玲愛を狙う。 軽やかにそれを交わして、玲愛は玄関に落ちていた傘を素早く拾った。 しまった、僕が持っていればよかった。
玲愛は傘をひと振りさせ、その先端をシイノではなく、僕につきつける。 目と傘の先端は数センチも無かった。
「本当にそんな甘ったるい事を押し通せると思っているのなら、残念ね」
シイノが歯ぎしりをして、拳をわなわなと震わせる。 右腕だからか、バキバキと音がした。
怒りをあらわにするシイノが面白いのか、玲愛はクスクスと笑う。 笑うたびに傘の先端が揺れるから、こっちとしては冷や汗ものだ。
どうにかしないと。
「シイノが水速を人質に取られて、それでおとなしくしていると思っているのか」
「違うの? 貴方にとってこの子は、大切な人なんじゃないの? 自分が不利になる約束を守るくらいには」
「シイノをここまで育てたのは誰だ。 きみたち朱蘭家だろう」
目の色が変わった。
そう思った瞬間、シイノが玲愛に詰め寄る。 玲愛は傘の先端を彼女に向け、思いっきり刺した。 けれどシイノは悲鳴もうめき声さえあげずに、彼女の右腕を思い切り引き裂く。 玲愛の服が破け、柔らかい皮膚から血が飛び散る。
玲愛も顔をしかめただけで、傷の手当もなくシイノの左肩から傘を抜いた。 先端に付着している血から見て、4センチは傷口が深いだろう。
シイノはそのまま玲愛を押し倒し、その首元に爪を突き立てる。
ピタリと、静止した。
「シイノは人を殺さない。 そう水速と約束したから」
「──哀れねぇ、シイノ。 そんなんじゃあ殺されるわよ」
「殺されない。 水速の日常に戻ると、そう約束した」
「なら、私が本気で水速を殺そうとしたら殺せるわね」
「そんな事、絶対にさせない」
色々と疑問はあるんだ。
どうしてそんな腕になったんだとか、まだ僕に隠し事をしているのか、とか。
だけど、すべてがどうでもよくなって。
シイノの言葉は決して、嘘なんてついていないから。 僕はそう核心しているから。
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