ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
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- 【新に】ゆめたがい物語【移転済み】
- 日時: 2012/12/04 00:50
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Jk.jaDzR)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=10136
新の方に移転
今回の交渉の話、参考図書が全くなく、いつも以上にお粗末です。今後時間をかけて探していき、第二部での西郷隆の見せ場で納得いくものにしたいと思います。
思えば、ちょうど去年の今くらい、夏休みの後半くらい、この物語の骨組みは出来上がりました。
去年、高校三年生。受験生でした。志望校はC判定、模試によってはD判定だったものもありました。焦るというより、本当にいろいろな事が嫌になって、それでも諦められなくて。そんな頃に自然と出来上がった物語です。
信じてひたすら突き進めば、現実のものとして手に入れられる。この物語の主題ですが、何より自分自身にそう言い聞かせる意味もありました。
そういう過程を経て、出来上がった物語。ですから、今回銅賞というのをいただけたのは純粋に嬉しかったです。人気投票、実力を伴わない、様々な意見があります。しかし、このサイトに来て、つまり小説を書き始めてから五年目に入ろうとしている今、こういう結果を、この小説でいただけたというのは、私に取ってとても大きな意味があります。
至らないところは多く、まだまだ未熟な小説ですが、これからもよろしくお願いいたします。 8月31日 紫
諸々の記念>>41
レポートが予想より早く終わってルーズリーフに書きなぐったのを動画にしただけです
出来心。本当にごめんなさい……
1200記念 >>44
第二部で、主に出番のある、憲兵隊の西郷隆。たかし、でなくて、りゅうです。一部は下手するとこの次の話しか出番がorz
——春の夜の、儚い夢も、いつの日か、願いとなって、色を持つ。色は互いに、集まって、悪夢を違える、力となる。
こんにちは、紫です。ゆかり、じゃないですよ、むらさきです。
一年以上ぶりの書き直しじゃない小説です。
と言っても、この物語はファジーのほうで書かせていただいている、ノーテンス〜神に愛でられし者〜の原型となった、小学生の頃考えた話を下地にして作りました。どちらかと言うと、こちらのほうが原型寄りです。
ノーテンスが受動的な物語なら、こちらは能動的にしよう。あの物語で書けなかったことを書こう。そう考えているうちにどんどん形成されていきました。
と言うわけで、構成ぐちゃぐちゃ、文章ボロボロ、誤字脱字がザックザク……と、まあ、相変わらずそんな感じですが、よろしくお願いします。
アドバイス、コメント等、大募集中です!
お客様(ありがたや、ありがたや^^
風猫さん
春風来朝さん
夕暮れ宿さん
- Re: ゆめたがい物語 ( No.31 )
- 日時: 2012/05/09 23:59
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: AVqpQU0T)
「あ……」
部屋に入って、少年はそんなかすれた声しか出せなかった。
真っ白な部屋。三笠の病室より狭いが、窓からは海が見え、かもめの声が聞こえる。それだけなら、そんなに違いのない病室だった。
だが、ベッドの上にいる患者。その状態が、三笠とは比べ物にならなかった。
頭部が、すっぽりと無機質な灰色の機械に覆われていたのだ。顔すら分からない。体の至るところに点滴やチューブが取り付けられているが、そんなことは気にならないほどの衝撃だった。
部屋に入ったときから、あの声は聞こえなくなった。目の前にいるのは生きているのかすら分からない、哀れな患者。
ボリスは、横にあった丸椅子に、力が抜けたように座り込んだ。自然と、手は懐に伸びる。女神の彫られた玉を、取り出すことなく握り締めた。
「主よ、お救いください……」
そう祈ることしかできなかった。助けを求められても、兄のように医術を持っているわけではない。この日ほど、己の無力を痛感した日はなかっただろう。
外を、かもめが嘲笑うかのごとく、自分より高い場所を飛んでいった。
「祈るだけじゃ、母なる女神は何もお与えにならない」
一心に祈りを捧げていた少年は、ドアが開いたことに気付かなかった。
深く、厳かな響きを持った若い男の声。それは紛れもないシベル語であった。
病室の白いドアの前には、黒くゆったりとした着物に茶色のマントを羽織った青年がいた。濃い茶色の目に、三笠たちと同じような系統の顔。大和人だろう。
茶色のマント。それは、ムイ教徒の中では高位の聖職者を表す。敬虔な信者であるボリスは急いで椅子から立ち上がり、膝を付いて正確な礼を捧げた。
「老師様」
「君はこの子に、助けを求められた。違うかい?」
そう言いながら、聖職者の青年は下駄をならしながら、ボリスのほうへと近づいてきた。大きな足取りだ。坊主頭で、首は普通の人より太く、肩幅も広くがっしりとしている。
坊主頭は、ムイ教南道宗では清廉潔白を意味している。つまり、北道宗を信仰するボリスとは宗派が違うことを意味していた。
だが、今は些細な事でしかない。少年は目の前の高位聖職者に礼を尽くして、すがるような表情で彼を見た。
「この娘は、幼い頃より病で入院生活を続けている。そして、数年前に、その意識すら失い、以来ずっとこのように眠り姫だ」
「そんな……」
膝を付いていたボリスは、思わず立ち上がり、ベッドの上の哀れな少女に駆け寄った。わずかに見える首筋は細く、また、青白かった。
「十年前までは伝染病と誤解を受けてきた病で、今でも差別は残っている。差別をしない人たちは、こんな機械をつけている状況を見て、死んでいるとみなして、心臓などの臓器を提供しろと言い出す。そして、提供しないと、それだけで家族もろとも無慈悲な人殺し扱いだ」
青年は腕を組みながら、無表情で淡々と語る。それとは対照的に、ボリスの表情は哀れみから絶望に、そして怒りへと変わっていった。矛先は簡単に誰とは言い切れない。得体の知れない何かが心でくすぶっている。
心の中に溜まった混沌とした感情の洪水。それを吐き出すように、敬虔なムイ教徒である少年は今まで口にしたことも、また考えたこともなかった疑問を聖職者の青年にぶつけた。
「老師様、何故、主は彼女をお助けにならないのですか?」
「違う、我らが母は、彼女に手を差し伸べられた。君に、彼女の声なき助けを届けられただろう?」
「あ……」
青年の言葉に、ボリスは病室に入ったときと同じような声を出した。だが、今回は力が抜けて呆然とした様子ではなく、顔を上げて自分の手を目の前に掲げていた。窓から入ってくる日差しが、彼の手を白く照らす。
「僕に、できることがあるのですか? 彼女のために、こんな、医術も、主からのチカラもない、こんな僕でも」
「君にできることは、君が何をしたいかによる。答えが欲しいなら、考えなくてはいけない。答えが欲しいなら、探さなくてはいけない。答えが欲しいなら、自分で行動しなくてはいけない」
そう諭しながら、青年はベッドの横に立って、布団の中から点滴に繋がれた少女の細い右腕を出した。ボリスは釘付けになる。可哀想だと、そう思う気持ちに代わって、愛おしいと、別の感情が湧き上がってきた。
「手を、握ってあげなさい。彼女との出会いが、きっと君を大きく変えるだろう。君は何がしたいのか。この小さな手から、何かを感じて、帰りなさい」
聖職者に言われるがままに、ボリスは再び丸椅子に座ると、そっとその手を取った。か細く弱々しい手。だが、その中に、確かなぬくもりと鼓動を感じた。
ボリスはその命を感じようと、少女の手を自分の頬に当てた。途端に、涙が溢れ出る。何故か分からない。相手は、顔も、姿も、名前すら分からない少女である。
「僕に、何ができる? 兄さんみたいに、医術もチカラも語学力も、三笠さんみたいな何でも話せるような、友達もいない……」
少女の手に、涙がとめどなく流れる。全く動かないその手が、優しく涙を拭うことはない。
聖職者の青年も、ボリスに手を差し伸べることはしなかった。与えたのは問いだけである。それどころか、無力に泣き続ける彼を、そのまま病室に置き去りにしてしまった。
それにさえ気付かず、少年は与えられた問いについて、機械だらけの部屋で考え続ける。
そのうちに、見舞いを締め切る放送がなった。それでようやく少年は我に帰り、少女のベッドの横にある時計を見た。だいぶ時間が経っている。
「もう、帰らなきゃ」
ボリスは涙を拭い、寂しそうに顔を歪ませて、頭部の機械ではなく、数少ない生身である少女の手に告げた。
沈みつつある日差しが、病室をオレンジ色に照らす。ボリスは握っていた白い手をそっと自分の手のひらに乗せ、椅子から降りると、窓に背を向けてベッドの前に跪いた。何かの鐘の音が、病室に響き渡る。
赤い光、深く響く音の中で、騎士の誓いでもするかのように、見習士官は少女の手の甲に口付けをした。
流れた涙が、少年の頬、少女の手にまだ残っている。それは夕日を受けて、窓の外に見える海よりも、美しく輝いていた。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.32 )
- 日時: 2012/09/12 00:28
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)
第七話 北国兄弟と大和文化
日はすっかり沈み、夜空では無数の星が輝いている。
病院を出た後、どのように帰ったのか。ボリスはよく覚えていなかった。
何度も、かの少女の助けを求める声が、耳元で叫ばれているように反復する。バスで立っていても、そのあと道を歩いていても。
ぼんやりしすぎて、通りで人ともぶつかった。どうやら相手も雑誌を読みながら歩いていたようで、どちらも互いに謝りながら去っていったが。
落としたその雑誌の表紙には狐の面。薄暗い街灯の下で、ボリスに向かって妖しく微笑んでいた。
泊まり先である福井竹丸の住むアパートに着いたのは、夜七時を過ぎだった。
ドアの前にはプラスチック製の籠を手に仁王立ちする、黄緑色の髪をしたボリスと似た雰囲気の青年。ただし、服装は半そで半ズボンという、季節にあった涼しげなものであり、またその顔立ちは、切れかけている電球の薄明かりの下でも分かるほど整っている。
「よお、あと十分遅かったら迎えにいくところだったよ」
「兄さん、遅くなってごめん」
微笑みかける兄に、ボリスは汗を拭いながら謝った。
大和国は、二人の母国であるシベルと比べて暑い。それは夜になっても全く変わらず、学校で習った“熱帯夜”という馴染みのない単語の意味を、ボリスは身をもって学んだ。
「ま、いいさ。ボリス、風呂行くぞ、風呂」
「え、風呂?」
唐突に、持っている籠を弟の目の前まで持ち上げながら、イヴァンは満面の笑みで言った。その中には準備良く垢すりや石鹸、タオルなどが入っている。
「大和に来たら、温泉に行かないとな。明日にはお前、帰るんだろ?」
イヴァンは籠を突き出した手を下ろすと、弟に向かって優しく微笑んだ。心まで見透かされそうな、澄んだ青い目。ボリスは思わず兄から目を逸らし、アパートの廊下から見える、月を見つめた。この夜の月は、望月からは程遠い、下弦の月であった。
夜の湿った風に一部だけ編み込んだ髪を踊らせながら、イヴァンは目を合わせようとしない弟の横顔を、相変わらずの微笑を浮かべたまま静かに見守る。それに気付かず、ボリスは月から兄へと視線を代えた。しかし、それでも、兄の切れ長の碧眼を見ようとはしない。
「それじゃ、竹丸さん呼んでこないと」
紳士、良心、良い人。三つの称号を弱冠十三歳にしてほしいままにする少年は、早口でそう言うと、部屋のくすんだ銀色のドアノブに手をかける。
だが、その手は頭の上から降ってきた無情な言葉によって、一度動きを止めてしまった。
「ああ、竹丸なら、ドクターストップ。まだ怪我治ってないし、俺権限で今日は家でゆっくりさせる」
「……だから昨日飲み会なんてしないで早く寝かせてあげればよかったのに」
再び、忘れかけていた自責の念が、ふつふつと湧き上がった。夜風が生暖かさを運び、汗まみれの首筋にぶつかる。少年は掴んだままのドアノブに視線を落とし、深くため息をついた。
「どっちみち、竹丸さんに挨拶はしないといけないし、兄さんちょっとそこで反省してて」
今度も、兄の顔は見なかった。
くすんだドアノブをひねって、狭いアパートの中へと入っていく弟。家に上がるときは靴を脱ぐ。ついこの間までぎこちなかった動作も、合格点レベルには達したようだ。
もっとも、まだはだしには抵抗があるようで、スリッパは欠かせないが。
イヴァンはそんな弟の姿を、後ろから青い目を細めつつ見ていた。
「……さて、あいつ、今度はまた何を悩んでいるのやら」
弟の姿が見えなくなったことを確認し、苦笑を浮かべながらつぶやいた青年は、アパートの廊下にある赤く錆びた手すりに左手を乗せた。
どこに植えてあるのだろうか。百合の香りが風と共に歩き、目の前をゆっくりと通り過ぎていった。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.33 )
- 日時: 2012/09/01 23:34
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/351png.html
大和国は「どこを掘っても湯が出る」と言われていて、そのためごく自然に人々は温泉が身近にある生活を送っている。山の中の秘湯から、大都会の中まで、どこにいても天然温泉の銭湯が探さずとも目に入るほどだ。
福井竹丸のアパートは、海の区の中でも、限りなく山の区という地域と近い場所に位置している。
山の区は、ここ大和国首都東城の中でも一番の温泉地帯で、かのアパートの近くにも、当然のことながら大きな入浴施設があった。これ見よがしに、その建物の上では温泉マークが紅く光って、夜の静まり返った住宅街を月そっちのけに照らしている。
だが、現在絶賛大和満喫中のシベル軍軍医イヴァン=ボルフスキーは、そんな大きな銭湯に目も向けず、風呂の籠を持ったまま、その正面玄関を——ガードマンに挨拶しながら——堂々と横切ってしまった。
「兄さん、そこ、風呂屋じゃないのか?」
紳士、良心、良い人。そんなボリスは決して「どこ見てるんだ、通り過ぎたじゃないか」などという指摘の仕方はしない。それがたとえ実の兄であってもだ。
対するイヴァンは、きらびやかな銭湯をじっと見つめる弟に笑いかけた。
「ああいうのはどうも好かない。もっと小さいところで、ゆっくりじっくり入れるようなのが良いよ」
その言葉に、ボリスは納得して、「兄さんらしいや」と思わず笑みを浮かべた。
装飾の凝った銭湯から離れると、夜道はすぐに暗くなった。等間隔で現れる電灯だけが、先へ先へと続いている。住宅街も終わりに近づいてきたのか、ところどころに小さな畑が見えるようになってきた。
そんな寂れた通り。イヴァンはある建物の前で足を止めた。瓦屋根から下がっている看板はさびていて、文字も掠れてよく読めない。
だが、ガラス張りの引き戸は開いていて、中からは楽しげな声がいくらか聞こえている。
そこが、イヴァンの目指していた銭湯であった。
「ここはいいぞ、良心的な値段で、露天風呂まであるんだ」
番頭に二人分の料金を払い、紺色ののれんを潜ったイヴァンは、ものめずらしそうに辺りをきょろきょろと見る弟に笑いかけた。
周りの客は寂れた銭湯にやって来た外人の兄弟に、はばかることなくじっと目を向けている。近所の住民しか来ないような場所である。よほど奇怪に見えたことだろう。
そんな中でも、イヴァンがペースを崩すことはない。にこやかに挨拶をしながら、脱衣所の空いたかごの前まで来て、服を適当にたたみながら放り込んでいく。
一方でボリスは、裸になることはなく、どこから取り出したのか、地味でゆったりとした海パンをはいていた。
「ボリス、シベルの公衆浴場とは違って、大和ではそんなのいらないんだよ」
イヴァンは少々呆れ顔をして、弟を傷つけないように努力しつつ、やんわりと諭した。考えてみれば、彼が大和に来たのは今回が初めてで、それは致し方ないことだった。シベルと大和の文化の違い。それは単に宗教だけではなかったのだ。
ボリスは兄から目を逸らし、ため息交じりで海パンを見た。よく見ると、“2—B福井竹丸”と白い糸で縫われている。
「だから竹丸さん貸してくれたときに変な顔してたんだ」
「諸悪の根源は竹丸か。何で止めないんだ、あの馬鹿。あいつもせっかくの銀時計の頭、どうも有効活用してないよなぁ」
黄緑色の髪をくしゃくしゃとかいて、イヴァンは天井に目を向けた。ちょうど、そこではプラスチック製の汚れたファンが左、右と回転方向を不定期に変えながら回っていて、彼の頭の中を表しているようだった。
「竹丸さんは悪くないよ、兄さん……でも、絶対、着てっちゃだめ?」
「郷に入っては郷に従え。というより、赤信号、みんなで渡れば、怖くないってな。みんな裸だ、気にするな」
天井から視線を戻し、編み込んだ右側の髪を解きながら、イヴァンは弟に向かって輝く笑顔を向けた。
ちなみに、彼はもうすでに何も身につけていない。シベル人らしさの欠片もない、そんな男であった。
「赤信号って、それ、兄さんの造語? ルールはちゃんと守らないと」
「大和の慣用句だって竹丸が言ってたぞ……それはどうでもいいから、大和のルールはちゃんと守らないとな」
「……大和の文化って、シベル人には難しすぎるよ」
理論を逆手に取られ、ボリスは結局しぶしぶ大和風の入浴方法に従うことにした。
それでも、言いようのない違和感と恥ずかしさが体にまとわりつき、少年は小走りで浴場へ入っていく。
大和語を解さない彼に、“それ”が分かるはずなかった。浴場へのドアには、一枚の張り紙。
「おい、ボリス、走ると転——」
——浴場のほうから、何やら大きな音がした。時すでに遅し、という奴である。
イヴァンが浴場へと入った時には、ボリスはすでに起き上がっていて、特にどこを強く打ったという様子はなかった。上手いこと受身が取れたのだろう。つい忘れてしまいがちだが、彼は中学生であると同時に、シベル軍見習士官でもあった。またの名を、アルバイト軍人。
だが、そんな見習士官の雪国育ちの白い顔は、見ていて可哀想なほど耳まで真っ赤に染まっていた。見ると、浴場のほぼ全員の視線が、哀れなアルバイト軍人に集まっている。兄が入ってきたのにも気付かず、少年は湯船へと早足で歩いていった。
そんな弟の様子を後ろから眺め、「ボリス」と青年は大声で呼び止めた。
少年の足が止まる。振り向いたその顔は白いもやでよく見えなかったが、何となく、家族の第六感とも言うべきか、怒っているとイヴァンは感じた。
「何? 兄さん」
「え、いや……大和では、湯船に入る前に、体洗うんだよ」
弟に怒りの矛先を向けられたような気がして、しどろもどろに教えるイヴァン。彼の行動は予測できたはずで、これでは竹丸のことを悪く言えない。
ボリスは早足で兄の方へ行き、決まりが悪そうに引きつった笑顔を造る彼の手から、石鹸などが入った籠を強引に奪い取った。終始無言である。
「俺は、悪くないよな、何も悪くないよな」
肩を落として、弟に悟られないように、大和語でつぶやいたイヴァン。すると、背後から、突然、肩をぽん、と叩かれた。
振り返るとそこには、細い骨と皮だけでなんとか魂をこの世にとどめているような、一人の老人。感慨深そうに何度もうなずき、その度に老人とは思えない力で肩を何度も叩く。
老人は、何も言わないでシャワーの方へと歩いていった。
齢百といったところだろうか。人としての大先輩に背中を押されたイヴァンは、背筋を伸ばして老人に軍隊風の敬礼をすると、機嫌の悪そうな弟のもとへと、その足を進めていった。
※参照は参照600記念の曝しものです。
- Re: ゆめたがい物語【記念】 ( No.34 )
- 日時: 2012/06/19 23:00
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: 0/YvRfBI)
その後もボリスはいくつもの文化の違いにぶつかり、その都度兄に指摘されながら、何とか後は浴槽へ入るだけ、というところまでたどり着いた。
この辺りになると、流石の彼も周りを見て空気を読む、という大和の技を身につけ、イヴァンに教えられなくても、頭の上にタオルをのせて、そっと湯船へと入っていく。
「シャバゴクラク、シャバゴクラク」
突然、何事かつぶやいたボリス。湯につかり、体の力を抜いてのんびりしていたイヴァンはぎょっとして弟を見る。
周りの老人たちは何が聞き取れたのか、歯のない口を開けて大笑いしていた。
「今何つった? ボリス」
「え、さっきほかのお客さんが入った時に言ってた……お祈りか何かか? シャバゴクラクって」
「そんな大和語知らないぞ」
大和語に関しては、医術と同じくらいの自信を持つイヴァンである。それが慣用句であれ、方言であれ、わからないままでは引き下がれない。
ちょうど、近くに先ほど彼の方を叩いて激励した、かの老人がいる。何事も、先達は大切。イヴァンは頭を軽く下げながら、人生の大先輩に近づいた。
大和語を解さないボリスには、兄が何を話しているかわからない。
だが、雰囲気から、すっかり意気投合して上機嫌に語らっていることはわかる。
さらに、二人だけだった会話から、一人、二人と増えていき、いつの間にかイヴァンは五人の老人と熱い温泉の中で談笑する、という状況が出来上がっていた。
兄と老人たちとの会話に入れず、これからどうしようかと思っていた矢先、ボリスはどこからか、この浴場内とは違う、息苦しくない空気が入ってくるのを感じた。辺りを見回すと、外へと続くドアがあるではないか。
「兄さん、あのドアの先には何があるんだ?」
ボリスは老人たちに配慮しつつ、兄に小声で聞いた。
「ああ、露天風呂だよ。外にも風呂があるんだ。露天もいいぞ、俺はしばらくこっちにいるけど、先行ってろ」
笑顔でいうと、イヴァンはまた老人たちとの会話へ戻る。世代はもちろん、国境すらも軽々と超える。ここまできたら、彼のこの交流力はある種の才能だろう。
このままここにいてもどうしようもない。それどころか、真夏の室内温泉という最悪のコンディションの中で、吐き気すら感じ始めている。
ボリスは、タオルを手に持ち、老人たちに頭を下げると、露天風呂へと続くドアの方へいそいそと歩いていった。
ボリスが一人で露天風呂へいってから、優に三十分は過ぎた。室内浴槽談笑メンバーはさらに増え、今や十人弱の団体となっている。
「……ところで外人のあんちゃん、大和へは留学かい? 旅行にしちゃあ、こっちの言葉がうますぎるのう」
最初の方から話していた、白髪の少々恰幅の良い老人が、ずれかかった頭のタオルを直しながら訊いてきた。周りの客たちも、皆疑問に思っていたようで、うんうんと頷きながらイヴァンを見る。
「仕事ですよ、仕事。弟はただの観光ですけど」
「兄ちゃん若いのにもう出張が必要なほど働いてるのか。こりゃ頭が下がるな、うちの倅なんて隣町に配達行くのも渋るってのに」
ほかの老人から見ると少しばかり若い、わずかに黒い髪の残っている男が、ため息まじりにつぶやいた。何人かは他人事に聞こえなかったようで、「偉いのう、兄ちゃんは」と感慨深げに同意する。
タオルが熱くなってきた。これで何度目だろうか。イヴァンは一度浴槽を出て、タオルを冷やしにいく。その様子を見ていた、先ほどから会話に加わった長い白ひげの老人は、ほお、と目を丸くした。
「おぬし、いい体つきじゃな、スポーツか何かでもしてるのか?」
「ええ、柔道を少々」
湯船に入り直しながら、イヴァンはにこやかに微笑みながら答えた。本当は軍に在籍している、といえば話は早いのだが、それを言う気にはどうしてもなれなかった。
「少々なんて謙遜するでない。その筋肉じゃ、相当強いだろう。……悔しいものじゃ、最近大和は柔道で負けっぱなしでの。何年か前に国際大会で優勝した子も最近話題にすら出てこぬ。もう、高校生くらいだと思うんじゃがな」
その言葉に、イヴァンは思わず意味ありげな苦笑いを浮かべる。
だが、その表情はもやでかすんだのか、誰に指摘されることもなかった。ただ、シベル人の青年の中で、気まずさに似た感情が渦巻き、ふと親友の顔が浮かんだ。
体つきを指摘した白ひげの老人は、そのまま話し続ける。
「今大和で強いって言ったら何じゃろうな、国防軍の甥があり得ないほど強い中佐殿と少尉殿がいるとか言っておったが……」
「いやいや、やっぱりあれやないか? ほれ、キツネ面。……兄ちゃん、キツネ面って知っとるか?」
苦笑いを浮かべたまま、心が完全に別の場所へ飛んでいたイヴァンは、耳慣れない訛った大和語を聞いて、不意に現実に引き戻させられた。
「え、あ、キツネ面、ですか。あれですよね、チカラを持った犯罪者、および元犯罪者を殺してるって」
「流石兄ちゃん、大和の問題ねんに勉強熱心やな。あんたもええ体つきやけど、キツネ面には敵わんやろ」
そう言うと、方言の老人ははげた頭を光らせながら、誇らしげに胸を張った。浴室内では声が反響して、耳にがんがんと響いてくる。老人の自慢。何かが、ずれているとイヴァンは思うが、突っ込むことはしない。
キツネ面。それは、十年ほど前から大和を騒がせている、謎の人物のことだ。
わらべ歌にもなっている。
『白い狩衣、身にまとい、黒髪闇に、なびかせて、正義の鉄槌、振り下ろす。笛の音高く、響いたら、すぐそこちょうど、その後ろ、キツネの面の、死神が』
どうやら、老人たちの話題は完全にその暗殺者へ移ったようだ。イヴァンは少し彼らとは心の距離を置き、湯の白いもやに身を任せ、その会話をぼんやりと聞いていた。
「チカラを持った犯罪者はおっかないからな。キツネ面がなんとかしてくれとるから、わしらも平和に生きていけるってもんや」
「でものう、いくら危険人物じゃからといって、突然殺して良いものかの」
イヴァンはそんな意見を聞きながら、ほう、と上を向いて息を吐き出した。汗が、こめかみから首筋へと伝う。すると、ちょうど時計が目に入った。思ったより長湯をしてしまったようだ。
何かを忘れている。そんなことを思ったのは、時計を見て、さらに数分あまり経ってからのことだった。その間に、何人かの老人は露天風呂へ行ったり、脱衣所へ行ったりと、談笑メンバーも少なくなってきていた。
もう何度目かわからないが、頭のタオルを冷やしにいこうと青年が立ち上がったその時、露天風呂のドアが勢いよく開いた。慌てて出てきたのは、ほんの少し前に露天風呂へと行った恰幅の良い老人。
「外人のあんちゃん、弟さん倒れてるぞ!」
「……あ」
こともあろうに、弟思いだったはずの兄は、その存在を小一時間もの間、すっかり忘れていたのだった。
急いで露天風呂へと行くと、湯に入ったまま、黄緑色の髪の少年が、風呂を覆う比較的平らな岩に突っ伏していた。心配するより先に、イヴァンは頭を抱える。おそらく、彼は休憩しながら入るということを考えずに、小一時間ずっと浸かり続けたのだろう。
「のぼせちまったか、兄ちゃん、弟さんその辺に寝かしときな、医者がいないか待合室探してくる」
ゾロゾロと室内風呂から様子を見に来た老人の一人は、早口でイヴァンにそう言うと、急いで露天風呂を後にしようとする。そこで、自責の念で頭痛のしていた青年は、己のするべきことを思い出した。
「あ、俺、医者です」
そう言ってからの行動は早かった。
周りの老人にタオルや水を持ってくるように、テキパキと指示を飛ばし、自分はぐったりしている弟を湯から引きずり出す。どうやら完全に意識を飛ばしている、という訳ではなく、朦朧としているという方が正しいようだった。
石畳の上に仰向けで寝かせると、ちょうど洗面器にたっぷりと入った水が届けられた。それでタオルを冷やし、頭、それから足先にのせる。何かの本を見ながらやっているのかと思うほど、その動きに無駄はなかった。
弟が倒れたというのに、慌てることなく一つ一つ冷静に済ませていく、外国人の青年。
先ほどまで他愛もない話で笑い合っていた老人たちは、そんな彼をあっけにとられて見つめていた。
- Re: ゆめたがい物語【記念】 ( No.35 )
- 日時: 2012/07/04 00:26
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: 0/YvRfBI)
「どうしてもさ、食べたかったもんがあるんだ」
銭湯でさらに小一時間弟を休ますと、イヴァンは唐突にそんなことを言って、まだ多少の具合悪さの残るボリスを、無理矢理待合室のソファから立たせた。周りの老人たちは心配してもう少しいるように勧めたが、こういう時は医者の意見が絶対的である。
結局、老人たちの願いもむなしく、イヴァンはずるずると弟を連れて、寂れた銭湯を後にした。
下弦の月は竹丸のアパートを出たときと変わらず、山の上でぽっかりと浮かんでいる。畑のトウモロコシの陰では、一匹のキツネが息をひそめて顔を上げていた。
カエルの鳴く田んぼを過ぎ、大小さまざまな犬に吠えられながら住宅街も過ぎ、二人は車通りの多い国道に出た。
銭湯で予想外に長居をしてしまったため、時刻は既に夜の十時過ぎ。それでも、車は絶え間なく目の前を通り過ぎ、歩道にもスーツ姿の酔っぱらった一団、学生鞄を提げて早足で歩く高校生、ジャージでランニング中の老人など、国道沿いのこの辺りはまだ眠っていないようだった。
「兄さん、大和の人は寝なくても生きていけるのか?」
街灯すらない田舎育ちの少年には、明るい夜というのが不可解で仕方ない。恐る恐る兄に尋ねると、イヴァンは苦笑いを浮かべた。ちょうど、何かの看板の明るい光が、苦笑いを打ち消すように照らしつける。
「夜型なんだよ。そのかわり、お前みたいに朝の四時に起きたりはしないから……さて、着いたぞ」
話しながら、イヴァンは大きな駐車場があるファミリーレストランの前で立ち止まった。
背の低い植木があたりを囲み、それぞれを小さなライトが下から照らしている。入り口ではそれより大きく明るいライトが輝き、背丈ほどある旗にはパフェやハンバーグなどの写真がプリントされていた。
中は外見の華やかさとは裏腹に空いていて、本を開いた学生がコーヒーを飲んだり、くたびれた背広姿のサラリーマンが、遅めの夕食を食べていたりするくらいだった。さすがに、十時を過ぎると客も限られてくるのだろう。
「夕飯まだだろ? 奢ってやるから好きなもん食べろよ」
ウェイトレスに案内された窓際の席に着くなり、イヴァンはカラフルなメニューを開いて弟に突き出した。どのページでも、様々な料理が所狭しと並んでいる。
ここで、一番高いものを選ばないのが紳士、良心、良い人、この三つの称号をほしいままにする少年の生き方である。目に映るあまたの値段の中から、そこまで高くない、かといって、安すぎて遠慮しているようにも見られない、ギリギリのラインを見極めてボリスは夕飯を選んだ。
注文は全て兄に任せて、ボリスは大きな窓の外を見た。すぐ近くの電柱が目に入る。そこには、一枚の指名手配写真。不気味なキツネの面をした暗殺者が写っていた。
「ここの抹茶パフェ、昨日竹丸の部屋の雑誌で見たんだけど、どうしても、食べたかったんだよ」
イヴァンは弟に向かって無邪気に笑いかけた。ボリスは「また甘いものばっかり」と呆れた顔をする。その顔を凝視はせず、そして整った笑顔を変えることもなく、兄はじっと見つめていた。
「……温泉じゃ、散々だっただろうけど、ま、来年学校で大和旅行するんだろ。良い予行練習になったな」
あくまで笑顔を変える事はない。イヴァンは、どこまでもきれいな笑みを浮かべている。
それに対して、ボリスはふと暗い顔になった。
「そのことだけど、兄さん。僕、行かない。行かない事にした」
一度落とした暗い影を、どうにか拾って微笑んだ弟。しかし、兄から視線をそらしたその表情は、暗いものよりも痛々しかった。
イヴァンは何も言わない。腕を組んで、じっと弟を見る。そうしているうちに、イヴァンが頼んだセットのサラダが届いた。
「父さん、また入院するんだろ? 今度は、手術もするって言うし、いろいろお金もかかるから」
腕をほどいてサラダを食べ始めた兄。ボリスはそれを機に、両手を膝の上に置いて絞り出すように言った。その手は兄には見えない。強く、握りしめていた。
イヴァンは一度フォークを置く。笑顔はない。強さを感じる碧眼でまっすぐに弟を貫いていた。
「バカ、金なら俺がなんとでもしてやる」
ボリスが大和に来るという話を聞いたときから、何となく、イヴァンは予感がしていた。家の経済状況が分かるようになってきた弟が、いくら軍で見習いとして働いて貯めた金だとしても、思いつきの旅行で消費するはずがない、と。
一度軽く息を吐くと、イヴァンは優しい笑みを浮かべた。
「今回大和に来たのも、諦められなかったからだろ。飛行機代だけなら、お前の貯金で何とかなったはずだからな。……今度は、学校の友達連と楽しめよ。金なら大丈夫だから」
「でも……兄さんには、良い中学行かせてもらってるし」
そんな弟の言い分も、兄には十分予測できていた。食べかけだったサラダに再び手を付けていく。
ボリスは現在、シベル国内でも名門と名高い私立の進学校に通っている。彼としては、小学校卒業後は兄と同じように軍で生活するつもりだった。家に金がないのは相変わらずなのだ。
しかし、イヴァンは決してそれを認めなかった。
それどころか、普通の公立の学校でもない、何倍もの学資のかかる学校への進学を熱心に勧めた。学費は全て一人で負担すると、渋る親族を黙らせて。
それをボリスは後ろめたく思っていた。
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