複雑・ファジー小説
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- それでも獅子は吼える
- 日時: 2017/07/08 14:38
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: 4xvA3DEa)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
当小説はリレー企画「無限の廓にて、大欲に溺す」のスピンオフになります。
設定、世界観はあちらに準拠していますので、あちらから確認下さい。
- Re: それでも獅子は吼える ( No.5 )
- 日時: 2018/03/26 23:02
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
バシラアサドの帰りを待ちながら、ハヤの机から飴を拝借していたレーヴァは銃の図面を眺めていた。幼く、未熟な頭ながらもそれが人を殺しうる道具だという事が分かっていた。同時に人を守り得る道具にもなると。
バシラアサドはよく言う。力には二つあると。人を傷付ける力と、人を守る力があると。それは人と向かい合うもの全てに当て嵌まるとも言っていた。力のみならず、言葉や思考もそうだと。バシラアサドが使うセノール特有の煙巻くような本質を悟らせない言い回しをレーヴァは理解しているようで、そういった力を持たないにせよ、そういった認識を持っていた。故にレーヴァはこの図面に書かれた物は人を殺しうる道具なのか、人を守る道具なのかどちらに属するのか考える。ルーイットはこれを以てして仲間や、バシラアサド、自分の事を守ってくれる。だが、西伐ではアゥルトゥラとセノールが大勢殺し合った。この力がどちらに属するか分からず仕舞いで、レーヴァは小さく溜息を吐いた。それとほぼ同時に扉が開かれ、強張った面持のハヤと穏やかに落ち着き払ったバシラアサドの姿が入る。彼女達からは何かが焦げたような厭に鼻につく、厭な匂いがしていた。それはルーイットが「争いの匂い」と称する物によく似ている。
「おかえり」
「お待たせ。なんか面白い物でもあった?」
ハヤの机には珍奇な代物がよく並んでいた。極東の島国から齎されたという木製の子供を模した人形や、石を研磨して作った頭蓋骨を模した代物、全く錆びない鉄の板などと訳の分からない物ばかりだ。そういった物の蒐集がハヤの趣味であったが、バシラアサドにこき使われているせいで、蒐集は進まずにいるのが現状。レーヴァが眺めているばかりになっている。彼女もまた、レーヴァがそうしている事を良しとし机の上の配置を態々換えているようだ。今日はいまだに解読出来ていない文字盤、液化した賢者の石、異界より来たとされる人物の著書であり、未だ意訳すらされていない怪書「神値の淵源」などが置かれている。それ等を見て思わずバシラアサドは顔を顰め、教育に良くないとハヤの右足の甲を踏むが彼女は表情一つ変えない。靴に鉄板でも仕込んでいるのだろうか。
「母さん、これって銃だよね」
そうレーヴァは図面を指差しながら、バシラアサドに訴えかける。本来のバシラアサドならばそれがどうしたと、一蹴することだろうがレーヴァの前ではそれは出来なかった。人を殺める可能性を持つ代物を平然とした顔で作り、それを増やしているのだ。手勢一人に一丁。そのうちセノール人全体に一丁。それでも作り続け、改良を続けていく。血を流し、人を殺める術を育てているのだ。そんな後ろめたさからか、バシラアサドは図面が銃かと問われ、どことなくレーヴァに咎められているような気がしてならなかった。この手が直接、赤く染まり、汚れる事はないだろう。手を汚すのはこの銃を持った者、この銃を手に持った者。この銃を向けた者、そして向けられた者。己は平静を保つだけなのだが、幼い言葉は獅子の心臓を穿ち、抉る。
「……そうだけど?」
思わず声色が本来の彼女のそれになってしまった。ハヤが戒めるようにバシラアサドの脇腹を肘で小突く。その声色を止めろ、その顔を止めろと。心なしかレーヴァの灰色の瞳に恐怖の色がチラつく。どうも顔付きが元に戻らない、声色を変えようと空を飲み込むも、渇いた喉から出る声はいつもと違う事だろう。どこまで行けどもセノールだ。血の慣習に染まりきった愚かしい民族、普通に暮らし、平静を装おうとしてもそれすら出来ない人もどき。獅子の名を与えられた自身を呪う。友のように彪の名を誇りに思う事も、虎の名をらしくないと笑い飛ばす事も出来ない。幼い言葉はバシラアサドに宿った劣等感のような物を呼び起こしていた。
「アサド、ちょっと……ごめんね、レーヴァ」
そうハヤはバシラアサドをドアの外へと引っ張っていく。何が悪かったのかと、レーヴァは小首を傾げた。恐ろしげなバシラアサド。叱られている時ともまた違う。温情、情愛、そういった物の欠片すら持ち合わせず、何もかにもを憎んでいるかのようなそれにレーヴァは恐れとも、哀れみとも得ず知れない感情を抱く。尤もそれの感情の正体がレーヴァには理解できず、彼女も黙りこくったまま俯いてしまうのであった。
バシラアサドがこうなったのを見るのは二度目だった。一度目はジャリルファハドとの仲違い。六年前、彼女が実兄を殺めてまでバッジャールの実権を握った時の事。ぶっきらぼうで粗野な武人であるジャリルファハドであったが、彼は中々に良心的な性格の持ち主であった。武人の礼節、セノールの掟、師や父の教えそれを厳格に守り生きていた。常にセノールのためにと足掻き、己を研鑽し、その命すらも民族のために捧げようという高潔な人物だった。それはバシラアサドの兄とて同じく、ジャッバールもガリプもラシードも同じ。だというのにバシラアサドは実兄に毒を盛り、その家族を配下を使って殺めた。内部しか見ていない兄が邪魔だった、それが故に殺めた。それを許せないと裏切り者、同胞殺しと罵ったジャリルファハドに、己の中に昂ぶっていた理念、意思を打ち砕かれた。自身が最も信頼し、協力しあっていけるであろう人物から突き放されてしまった。故にバシラアサドはおかしくなってしまった。暫くは形を潜めたように見えた狂気をバシラアサドは孕んでいたというのだろうか。
「アサド、しっかりしなさいな。あんたがやってる事はいつかセノールのためになるんだって」
珍しくハヤが年長者らしい事をバシラアサドに語りかける。全て完璧にいく、何もかにも上手くいく。そんな事はありえない。些事で悩むな、些事で足を止めるな。気を病むな。少ない言葉でハヤはそうバシラアサドを叱咤する。ここで道を迷えば、単なるセノールを捨てた背徳者にしか過ぎない。セノールを捨ててもセノールのためになれば、何れジャリルファハドも認めてくれる事だろう。その頃には彼はセノールを内側から強くしているに違いない。
「レーヴァだって悪気なかったんだよ。子供の言葉さ、深い意味なんてないんだって」
「……私の父はそうやって、外の文化を等閑にした。故に衰えたじゃないか」
バシラアサドの父は西伐を生き延びた兵だった。厳格にセノールの教えに基づき、セノールの神を崇め、武人である事を是とした。故に己を打ち負かしたアゥルトゥラの模倣や、新たな文化を取り入れる姿勢を非とした。ガリプが死闘を演じたが故に極端に数を減らし、力を失った。ラシードは当主を失い、迷走してしまった。しかし、ジャッバールは違った。被害は少なく当主は生きていた。私財と人生を擲ち、セノールを強くするために振舞っていれば今頃、セノールはアゥルトゥラと同等の力を持っていたかも知れない。だというのに彼は下らない矜持でその道を模索しなかった。父も憎い。その教えを守った兄も憎い。そして、それに思考を停止したジャリルファハドですら。今のバシラアサドからは憎悪の念しか感じられない。それを呼び起こしてしまったレーヴァに矛先が向かぬように、ハヤは扉の前に陣取り、自分よりやや背の低いバシラアサドの双眸を見つめる。セノールでありながら青い瞳、それは厭に鋭く、眼光は暗く。恐怖にも似た感情を抱く。
「あの世代は仕方ないんだ。負けたっていう一つの事で、何もかもおかしくなってしまった世代なんだ。私達は違う。そうだろう? その背を見て育ってきた。私達が今セノールを強くしなければいけない。私達が人生を擲たなきゃいけない。その覚悟があったから汚名を背負ったんでしょ? 小さい事気にしないでよ」
矢継ぎ早にハヤに囃し立てられ、バシラアサドは彼女を睨み付ける。これがガリプの人間だったら、激怒しながら手を上げる事はないのだがバシラアサドはジャッバール。何をするか分からない一族、その血を引く者である。ハヤの心臓は早鐘を打ち、バシラアサドの手を思わず見る。何も握っていないか、腰に刀を携えていないか、と。その刹那、右手が振られそれがハヤの頬に吸い込まれると渇いた音が通路に鳴り響いた。褐色の肌に朱が差す。呆けたようなハヤの表情に相反し、バシラアサドはややすっきりとした様子で薄ら笑いを浮かべていた。
何故打った。疑問と抗議が入り混じるような視線をハヤはバシラアサドへと向けた。彼女達の間に視線が絡み合う。バシラアサドが何を考えているか分からない。ハヤの瞳には僅かな怒りが宿りつつあった。全く似合わないハヤの怒り顔。全く箔のないそれにバシラアサドは思わず吹き出し、高笑いをしながら腹を抱えていた。
「ハヤ。そんな顔しても似合わない。笑っている方が似合ってるよ」
代々刀工として振る舞い続けるラーディン、武門を支え、いざともなれば戦に立つ。しかし、サチのように血腥い道を歩んで来てはいない。彼等の血にはそういった箔、恐ろしさや威圧感を放つ因子が刻まれていないのだろう。現にハヤの怒気はバシラアサドの高笑いに気圧されて、どこかに消し飛んでしまった。
「私がセイフの当主だったら、二度とジャッバールの刀作ってやらなないのに……」
「そんな事出来ないでしょ。アンタはシェミハレースにはなれない」
そうやってバシラアサドはハヤを揶揄する。セノールの始祖、古代の女王シェミハレースの名を挙げた。夫を毒殺し、暴政を強い、彼方此方を侵略した暴君。確かにハヤは彼女のように強かには生きられない。暴虐の限りを尽くそうとは思えない。しかし、バシラアサドはそれを為すだろう。既にシェミハレースを辿るように身内を殺めている。そして今、家門の政を図り、ハヤへはある意味での暴政を強い、何れ来る争いへ向けて直走っている。
「あんたはなれるかもね」
「……褒め言葉?」
「まぁ、そういう事かなぁ」
シェミハレースになれる。不名誉だと思ったのか、バシラアサドは顔を顰めた後、苦笑いを浮かべていた。この場に彪と虎が居れば、万事上手く行くのだろうが、と思うと何処となく心寒い思いを抱く。虎は砂漠から引っ張り出せば来てくれるだろうが、彪との関係修復は既に不可能に近い。道を違えた原因を思えば複雑であった。
バシラアサドが力を持ち、事を成し、セノールを捨てればあの彪は牙を向き、白刃一つで立ち向かい、抗い邪魔を為す事だろう。自分が死んだとしても彪は事を為す。血塗れになりながらも道連れに獅子の首を斬り落とすに違いない。それだけ彼はセノールの呪縛に囚われ、それを良しとし思考を停止させていた。
二匹の獣達は狂奔している。一匹の獣は全てを破壊し、全てを最初からやり直すため。もう一匹の獣は恐るべく力を手に入れ、己の血を絶やさぬようにと正道を歩み、全ての障害を乗り越えていく。自分よりも若く、幼い時から知っている者達の後姿がどこか遠く、大きく感じられた。本来はそれを祝福すべきだろう。だが、祝福する気にはなれない。二人の狂奔を見守るしか出来ない自分が、歯がゆく感じられた。
「アサド、今晩飲みに行こう」
「……また急な」
「良いじゃないか、今後について」
「レーヴァも連れて行く。……悪い事をした。溝を埋めたいんだ」
仕方ない、不器用な奴だと獅子をからかうように笑い、ハヤは小さく頷いた。レーヴァに見せてはいけない顔を見せた。向けてはいけない視線を向けた。幼子の戯言は、獅子の怒りを呼び起こしてしまった。その怒りは幼子へと向かい、傷つけてしまったのかも知れない。バシラアサドは扉一つ向こう側のレーヴァを見るのが何処となく恐ろしかった。もし、彼女が恐れに戦いていたならば、今度こそどんな顔をしていいか分からない。
「踏ん切り付かないのかい、珍しい」
取っ手に手を掛け、未だに回そうとしないバシラアサドの手を重ね、無理矢理回す。一瞬、バシラアサドの瞳に怒りが篭ったが、彼女の背を押しながらゆっくりと扉を開ければ、大して気にしていないようにレーヴァは飴を舐めながら「神値の淵源」を読んでいた。何か理解したかのような表情をしている。
「どう? それ?」
「難しい……なにこれ」
「んー、訳分かんないおっさんが書いた訳分かんない本」
そう伝えればレーヴァは小首を傾げて、「神値の淵源」を机の上に戻す。そうして目を逸らしたバシラアサドを見つめていた。いつもの穏やかな雰囲気はなく、どことなく落ち着きなくそわそわした印象。普段見た事がない母の様子に、自分がやっぱり何かまずい事を言ったかと不安を抱く。それに気が付いたのか、バシラアサドは視線を合わせながら張り付いたような、不自然な笑みを浮かべた。
「母さん?」
「今晩、ハヤが奢ってくれるって。何食べたい?」
えっ、というような表情を浮かべハヤは引き攣ったような笑みに、表情を挿げ替える。このレーヴァの期待に輝く目が小悪魔の如く感じられ、その親である獅子の知ったこっちゃないというような余所余所しい様子にむっと表情を顰めた。バシラアサドは背負って起きられない程の金を持っているのだから、払ってくれても良いじゃないかと抗議の視線を向けたが、彼女がその視線を合わせる事はない。
「母さん、さっきはごめんね。あれ見ちゃいけない奴だったんでしょ?」
あれとは銃の図面。それを見たが故に、バシラアサドは怒りを己に向けたとレーヴァは判断したのだ。今まで見た事ないような怒り方に、レーヴァは素直に謝らなければならないと思ったのだろう。そんな考えをレーヴァが持ったと察したのか、バシラアサドは穏やかに笑みを浮かべる。
「見てしまったなら仕方ないさ、気にしないで」
レーヴァの誤解に乗っかる己自身が少し、情けなく思えた。しかし、此処で許したとする事でレーヴァとの関係を自ら取り持つ事が出来る。幼子相手でも打算的に考えてしまう自分は母親失格だ。今している顔は誰にも見せられない。顔を見せないようにレーヴァを優しく抱き締めるのだった。
- Re: それでも獅子は吼える ( No.7 )
- 日時: 2018/03/26 23:30
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
ハヤは酒精に弱く、その場に居るだけで空気に酔える。今も何やら言葉にならない、呻き声のような声をあげ、一人で訳も分からずに笑っていた。バシラアサドからすると、そうやって気が抜けるという事がとても羨ましく無防備な彼女の脇腹を肘で小突いた。もしバシラアサドがこうなれば、ハヤを小突いた肘ではなく、また別の刃物、銃弾の類を見舞われるだろう。今も現に監視と思われるアゥルトゥラ人が此方の様子を頻りに伺っている。これが敵勢勢力ともなれば、気を緩めるだけで命取りとなるだろう。今は護衛も居ない、尚更の事である。
「ハヤ、大丈夫なの?」
カウンターに伏せ、顔を一向に上げる事ないハヤをレーヴァが不安げに見つめ、淡い琥珀色の瞳に一抹の翳りを宿らせていた。バシラアサドの持つグラスに入っているアンバー・ラムのような色合いの瞳から翳りを取り除こうとバシラアサドは慣れない笑みを浮かべ、レーヴァと視線を交わす。
「大丈夫、ハヤはいっつもこうだから。……普段ならルーイット呼んで、連れ帰ってもらうんだけど、仕方ないかな」
今晩は比較的、涼しく夜の帳が降りていても人が出ている。諍い、争いを未然に防ぐべく憲兵の姿も見られるため、敵勢勢力が手を出してくる事もない。そう予測するのは容易く、遺跡の探索に疲れているであろうルーイット達を呼ぶ必要もない。事を起こせばどんな有力者とて、罰は間逃れず没落の道へ歩み出す事となる。幾ら封建制が根強く残るとは言えども、既にそんな時代ではないのだ。受けるべき罰は受けなければならない。
「勘定を」
バシラアサドの呼び掛けに店主は愛想の良い笑みを浮かべ、近寄ってくる。頭の中でバシラアサドは代金を計算していたのか、丁度の金額を店主へ手渡すと、代わりに見慣れない酒瓶を突き出す。怪訝な様子でレーヴァはそれを見据え、首を傾げていた。
「いつも来てくれる礼だ。取っといてくれ」
「……ありがとう」
酒瓶を受け取るなり、それをレーヴァに持たせバシラアサドは自分よりやや背の高いハヤの肩を担ぐ。細身な身体であったが、脱力した人物を支えるのは中々に辛い。自身の非力、女の身に生まれた事を呪う。店主はバシラアサドの後姿を見送りながら、やや不安そうな表情を浮かべていた。そんな事も露知らず彼女は店の外へと出て行ってしまう。仕方ない人達だと店主は静かに笑いながら、注文を取るのだった。
夜も闇に塗れているというのに、この街は喧騒に包まれている。早道だからと色街を抜ければ見知った顔の娼婦がバシラアサドを見て、恐れ戦いたように顔を隠してしまう。思わず「イザベラ」と彼女の名を呼ぼうとしたが、レーヴァの手前、そのような見知り合いが居る事を悟られる訳にはいかない。
「アサド。大丈夫?」
「こっちの台詞なんだけど、歩けるなら歩いて。酒臭い」
「そっちも大概」
夜風に当たり多少、酔いが醒めて来たハヤを突き放す。スラムの建物、その外壁に手を突いて、よたよたと覚束ない足取りを取ったと思いきや、何かに躓きそのままハヤは地面に吸い込まれるように倒れ込んでいる。いつもなら痛いだの、酷いだの文句を垂れる彼女は馬鹿笑いをしながら、ゆっくりと立ち上がる。
「懐かしいねー、セノールに居た頃はファハドも、ナミルも居たんだよ。私が転べばファハドは馬鹿かって笑って、ナミルは助けてくれた。アサドは今と変わんないけど」
「もうそんな時は来ない、余り懐かしい話をしてくれるな。自分が老いた気分だ」
そうバシラアサドは静かに笑ってみせ、レーヴァの手を引き、握り締めた。昔の事はどうでも良い。やるべき事は一つのみで、それを成さなければ己の大願は果たされず、それを果たさなければ自分を慕い、この血の河、修羅の道を付いてきてくれる者達に面目が立たない。彼等は知っているのだ、何れ自分は主に使い潰され、血の河を彩る一つになり果てるという事を。死すらも厭わぬ、死兵の群れ、その主であるからこそバシラアサドは過去とは決別しなければならない。
「……さっさと帰ろう、蚊が喧しい」
帰路を急ぐバシラアサド。レーヴァの手を引き、彼女はハヤを置き去りにしていく。その後姿を見ながらハヤは小さく笑い声を上げ、その背を追うのだった。
頭が割れるように痛む。傍らではレーヴァが寝息を立て、居間の方ではハヤが引っ繰り返っていた。昨晩、帰ってから店主に手渡された酒で飲み直したのだ。途中でレーヴァは睡魔に抗えなくなったのか、寝てしまったがバシラアサドとハヤは昔話と仕様のない話に花を咲かせていた。久々にあれだけ笑った。自分でどうやって寝床に戻ったか思い出せないあたり、相当飲んだのだろう。元来、酒に強くないハヤに至ってはあの様であるからに、目が覚めてからも死人のような表情をするに違いない。
「……レーヴァ、そろそろ起きな」
そう彼女の肩を揺するも、何やら言葉にすらならない呻きを挙げるばかりで目は開かれない。よほど眠いのだろう。仕方ないとバシラアサドは諦めた様子で台所へと向かう。水道が整理されているおかげで、コック一つで清浄で冷たい水が得られる。それをコップに注ぎ、飲み干す。それが物凄く心地よく、三度ばかり繰り返した後、ハヤの分を注いで彼女の元へと行く。
「ハヤ、起きろ」
一度目の問い掛けにハヤは起きる気配はなく、ソファに引っ繰り返った彼女の耳朶を引っ張ると、ようやく薄っすらと瞳を開く。
「なんつー格好……」」
「見ての通りだ」
余り恥らう様子もなく、ハヤは起き上がるとバシラアサドから水を引っ手繰るようにして奪い取り、それを飲み干した。すっかり目が覚めたのか、ソファにふんぞり返るように座り直す。不思議と二日酔いの気がないらしく、顔立ちは仕事中のそれだった。
「アサド、今日は私やる事があるんだよね」
「いつもやる事を作れ、馬鹿者」
「まぁ、そう言わないでよ。例の鉄の車、その設計図が今日来るんだ」
鉄の車。バシラアサドが小銃の銃弾や、機関銃と並列して開発している大砲と装甲を積んだ代物。戦局を有利なまま運び、不利を覆す絶対的な力。それの設計図が来るという。ハヤが何故それを今の今まで知らせなかったかという事は不問とし、バシラアサドは三本の柱のうちの一つである「武器開発」が佳境に差し掛かったと感じていた。
「読めるのか?」
「なーに、三日くらい寝ないで解読するよ。任せといて」
こういう時のハヤの有能さは、心強いものであった。語学に長けている訳ではなかったが、それを意地になって読み解き、読み解き終える頃には理解してしまう、そんなバシラアサドにはない技。彼女が居なければジャッバールの兵器開発は進まなかっただろう。
「……少しは休め、お前に居なくなられては困る」
「あら優しいこと」
わざとらしい声色でハヤはバシラアサドをからかい、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。バシラアサドの抗議の視線を他所にハヤはすっと立ち上がり、ふらふらと窓枠に辿り着くなり、外を見据えている。朝日が眩しいのか目を細め、穏やかに笑っていた。
「さて、帰って一風呂浴びたら仕事してくるよ、暇だったらまた遊びに来てねぇー」
「さっさと仕事しろ、馬鹿者」
そう貶されるなり、へらへらと笑いながらハヤは部屋を出て行く。静まり返った部屋の中、レーヴァの寝息だけが聞こえている。昼まで寝かせておこうか、とバシラアサドはレーヴァを一瞥し、自分も風呂を浴びようと脱衣所へ向かうのだった。
- Re: それでも獅子は吼える ( No.8 )
- 日時: 2018/03/26 23:51
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
レーヴァは起きる気配もない。幼くあどけない彼女の寝顔を見下ろしながらバシラアサドはらしくもない慈愛を感じさせる表情を浮かべていた。その表情はどことなく不自然で、ぎこちなくあったが、昔からの彼女を知る者としたら、多少はまともになったかと胸を撫で下ろす事だろう。
ベッドサイドのテーブルに「仕事に行く」と短く書置きをしたバシラアサドはいつもように長い髪を櫛で整えるだけではなく、サイドアップに整えていた。そして、いつもより上等な布地で作られ、控え目な意匠を施されたサウィスの上に、丈の長い上着を羽織っていた。他所行きの格好である。その内側には短刀、更には回転式拳銃を一挺仕込み、必要最低限の自衛手段を用意していた。そして、ふと思い立ったように壁を見つめる。そこにあるのは護拳が付いた直刀。鞘は黒檀で作られ、朱漆を薄っすらと塗られ、微かな杢目が生える。また、セノール特有の貴金属を用いた細工が施されており、宛ら工芸品のよう。バシラアサドがこの世に生を受けた時から傍らにあり続けたそれは、久しく抜かれておらず、その何者をも断つであろう、白刃の輝きをバシラアサドは忘れ掛けていた。
黙りこくったまま、それを手に取り、鞘から引き抜いた。厭に手に馴染み、その白刃の輝きに目を奪われる。これを使ってセノールは血を流し続けてきた、そう思えば何故か自分もそれを成さねばならないという思いが込み上げ、何かを斬りたくなってくる。ふと、白刃に写った自分の顔がセノールの戦士のそれであり、バシラアサドは自分もセノールの血の慣習に染まった愚か者だと嘲笑するのだった。
自室を後にした彼女の腰には直刀が差されていた。室外には護衛として同行するルーイットが仏頂面で控えており、彼もまたバシラアサドと同じように回転式拳銃を一挺、やや長めな鎧通しを一振りだけ持っている。物々しく、そこに居るだけで空気が強張ってしまうような様相の彼であったが、その割に格好は何時もより整っており、武人らしさが形を潜めている。どうにも不釣り合いで、ちぐはぐな様子は服を着ているというよりも服に着られているという感じだった。
「すまない、待たせた」
「構わんよ"俺は"」
ルーイットの含みを持たせた物言いに、バシラアサドは苦笑しつつ腕時計を見た。時間は既に昼を回ろうとしている。先方との定刻まであと一時間余りしかない。呑気し過ぎたとバシラアサドは一人ごち、胸の前で腕を組んだ。
「……そんな便利な物がありながら、時間にだらしないとはな。ハイドナーの倅が出迎えに来ているが」
「奴は外に居るのか?」
「下で茶を見舞っておいた」
「重畳、重畳」
意地の悪そうな笑顔を浮かべながら、バシラアサドはそそくさと階下へと向かった。ハイドナーの倅は不味い茶に苛まれているのだろうか、セノールにおける茶は解毒や、滋養のために飲むものであり、嗜好品というよりも薬としての側面が強い。一口目は跳ね上がる程に苦く、後味も悶絶する程に苦い。そして、延々と後を引く。バシラアサドもセノールでありながら、この茶がとても苦手だった。
一階に降りると、すぐに待ちぼうけを食らう優男が見えた。それがハイドナーの御曹司「ガウェス・ハイドナー」であった。バシラアサドを見るなり頭を垂れ、会釈する。バシラアサドが返礼で応じる事はなく、ずかずかと目の前まで歩み寄り、幾分背の高い彼を下から睨み付けるように見上げた。
「待たせた、ハイドナー」
「いいえ、然程待ってませんので……」
何処となくガウェスの顔付が引き攣って見える。テーブルに置かれたのは空になったティーカップ。よく飲み干したものだとバシラアサドは感心しつつ、ガウェスをまじまじと見遣る。ハイドナーの当主でありながら、ハイドナーの走狗。血に隷属させられた愚かで弱い男。そんな者がハイドナーの当主で良いものかとバシラアサドは考え至る。家門を率いるのならば、強かでなければならない。彼の実父であるロトス・ハイドナーのように。
「そうか、では案内したまえ。私は早く商談を済ませたいのでな」
多くのセノールはハイドナーという一族を忌み嫌う。五十年も昔、中立を保っているはずの彼らは物資支援をアゥルトゥラに施した。物資の支援までは良かったが、「中立」を保っているはず、という事がセノールの怒りに触れたのだ。真っ向から敵として立ちはだかるなら、それも良し。互いに血を流し、命を奪い合う対等な存在となりえたからだ。もしそうなったならば、たった一つの一族が義理も、恩義もない戦に加わり、セノールの戦士を相手取って戦ったと寧ろ友好的に思う者も居たはずだ。しかし、この者の祖先は同じ土俵に立つ事すら恐れ、避けた卑怯者。それを許せるはずもなく、アゥルトゥラに対するセノールの敵対感情よりも、激しいそれを焚付けてしまっているのだ。尤もバシラアサドからしてみればどうでも良い話で、真っ向から殺しあう事を望んだセノールのような猪武者の集団を恥じているのだが。
「……長引くかと思いますよ?」
実父のセノールに対する慢侮の言葉、根底に巣食う侮蔑の念。これらが商談を破綻させる原因となり得ると、ガウェスは感じていた。バシラアサドはサチの武門、その筆頭たるジャッバールの当主。即ちサチ全体の当主といっても過言ではない。下手に刺激をすると何をされるか分からないというのが正直な所であった。バシラアサドの直接の配下である、レヴェリ、セノールの混成部隊のみならず、支配地域から大勢セノールが押し寄せてくる可能性もある。大っぴらにセノールの立ち入りを禁じれば、今度は国際世論に訴え掛けるであろう。どう転んでも不利益を被るのは必至である。
「そうか。もし、決裂するならばハイドナーに今後一切、西方交易路を使わせんだけだ。もし強硬的に使うならば"何者か"がそやつらの首をお前の屋敷に届け、胴体は色街の犬に喰わせる事だろうなぁ」
西方交易路はジャッバールが管理している代物。そこを使えないとなれば西、北、南からの権益を喪失する事となる。しかし、取り合うパイは変わらなく、西方交易路を用いての交易は一定の需要を維持しなければらない。そうなればハイドナーを追い出した隙間に入り込むのはジャッバール以外の何者でもなく、それが為されればクルツェスカ内の均衡も変わりかねない。既得権益に座す貴族達がジャッバールの横行を許すはずもない。何かしらの抗争が起きるのは必至であろう。
(獅子の見せしめ、か)
以前、バシラアサドが言う通りの殺人事件が起きた事もあった。ジャッバールと敵対した商人達が砂漠にて殺害され、彼等が拠点としていた店舗の入口、その屋台に首が並び、正中線上に股から腹、首に掛けて裂かれた死体が市場の入口に吊るされていた。その時ばかりは、勝手が過ぎたとジャッバールに内偵が入ったが証拠が掴めず、また内偵に入った憲兵が悉く消される等と異常な事態が起きたため、暗部に葬られていたが、商人達は皆口々に「獅子の見せしめ」と噂していた。強硬的に交易路を使えば、またやるぞとの意思表示にガウェスは口を噤む。破談したとしても、ロトスは交易路を使い続けるだろう。それが眠ったふりをしている獅子を怒りに駆り立てる原因となると知っていながら。
「我々とて無益に争いたくはない。まだ地上にこの世の地獄など作りたくはないのだ。良い返事を貰える事を願っている」
「……えぇ、本当にそうですね」
バシラアサドの脅し文句、これは本当になり兼ねない。彼女達は一発の銃弾を以てして、均衡を破り、薄氷の静謐を打ち壊し得る存在である。かといってロトスがセノールに対する姿勢を軟化させるとは考えられない。商談とは名ばかりで不平等で、足元を見たような交渉を為すに違いない。板挟みとなったガウェスは胸塞がるような思いに苛まれ、不安げに顔を顰めるのだった。
「お前も苦労しているな、若いの」
「苦労は買ってでもしろと言われますから……」
「買わずとも苦労する者の前で、よく言える事よ」
含みを持たせた発言、その巨躯の前に気圧されガウェスは胸が完全に塞がりきり、遂に口を閉ざす。
強硬的なバシラアサドと何故、商いを通じようと画策したのか実の父であるロトスを恨む。万事、自分の思い通りに行くとは限らない。獅子の怒りに触れたならば喉笛を噛み千切られると分かっていない。愚かだと内心悪態を吐くのだった。
- Re: それでも獅子は吼える ( No.9 )
- 日時: 2018/03/27 00:50
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
強欲の徒と狂った獅子は、互いに言葉を交わさない。
バシラアサドは咥えた煙草を燻らせ、白い一筋の煙が、やや甘い残り香を漂わせる。尊大かつ傲岸不遜に振る舞う彼女を見据えながらロトスは紅茶に口をつけ、不愉快だと静かに溜息を吐いた。
彼女達の回りには調度品の数々が鎮座していた。それは多くがセノールで作られたもの。エボニーの硬い木材に、金銀で僅かな細工が施されており、重工な存在感の中に美麗さが見え隠れしている。
「……ハイドナーよ。我々が住まう砂漠は広いとは思わんか」
煙草を口から離し、煙を僅か漏らしながら彼女は問う。ロトスとは大きく年齢差がありながらも、それを感じさせるような事もなく堂々とし振る舞い、我々は対等であると言葉なく語る。
「何が言いたい、獅子の小娘よ」
バシラアサドの強気な語り草を不快に思ったのだろうか、小娘と煽り、襤褸を出させようとするも、バシラアサドはくつくつと肩を震わせながら、声も上げずに静かに笑っていた。何がおかしいとロトスが視線を向けた時、煙草の火を消して、ようやく視線を交わし、口を開いた。
「手早く伝えよう。我々は西方交易路をたった五年で築き上げたが故、体制基盤が盤石ではない。多方に人を割けば、派閥ができ、群雄が割拠する。今の我々にはそういった事柄に対処するだけの力はない。故にだ、お前達の手腕を買い一つ提案があるのだが、乗ってくれるかね」
暗に提案に乗れと、強権的な物言いにロトスは再び不快感を抱き、顔を顰める。相反し不安げにバシラアサドとロトスの間で、頻りに視線を行き交わせるガウェスが滑稽で堪らずバシラアサドはまた先程と同じような笑い方をしていた。
「群れをまとめ上げられない獅子の提案に乗るとでも思うか? ジャッバールの若獅子よ、貴様は白痴の徒かね」
主を貶されたルーイットは小さく侮蔑するように鼻で笑い、顔色一つ変える事もない。そして、直接貶されたバシラアサドも顔色一つ変えずに、ロトスを見据える。何処となくその笑顔が牙を剥いて、敵意を剥き出しにしているかのように写り、思わずガウェスは腰に差した剣の柄に手を掛ける。これは斬らねばならないという、本能的な行動。全身の毛が逆立つような錯覚に襲われた。感じ得たのは恐怖という代物だろうか。さして年齢の変わらない目の前の女が、この世の憎悪、怨嗟、業を集め揃え、煮詰めたかのような存在に思えるのは気のせいではない。
「我々を侮るな。もう二度と頭を上げて生きられぬようにしてやろうか。容易いぞ、私がこの煙草に火をつけて、消し終えるまでに事は終いだが……如何に」
何の変哲もないセノールの女が語るそれは大言壮語、戯言の類に聞こえる。しかし、バシラアサドには実際にやるという実績があった。それは敵対していた商人の件や、各貴族が放った内偵が全く帰ってこない、帰ってきたとしてもまるで屠殺された家畜のような姿でだ。また最近では武器の開発に力を入れており、アゥルトゥラが所持していない機関銃、更には取り回しがよく小銃などの開発、所持、運用などと血腥い方面に向かっている。それはロトスとて知り得ている事であった。
「……ほう?」
「ハイドナー、我々獅子とその配下たる者共は血に飢えているのだ。余り煽るべきではない。最早誰の血でも構わんのだよ。────外で控えている女中であったとしても構わん。お前も。お前も。お前でも。……私の血ですら構わない」
セノールは血を求める民族だという、蔑西政策下でのアゥルトゥラやカルウェノに施された教育に則る形で吐き出した言葉は、最早呪詛であり殺害予告のように取られる。静かに語ったというのに、大声で吼えられたかのような錯覚に陥り、血の気が引いていくのが分かり思わずガウェスは剣の柄から手を離し、バシラアサドの視線から逃れるように一瞬、天井を見据える。
「……狂った獅子め、語る言葉もないわ」
苦し紛れに吐いたと思しき、その言葉にルーイットがガウェスのように天井を見据えた。恐れ戦いての事ではなく、余りにも滑稽な言葉であったためであった。狂った獅子に睨まれ、臆したのはどこの卑怯者であろうか、と。恐らくはこのロトス・ハイドナーという男は己が犯した業、その業のために犠牲となった者の気持ちが未来永劫分かる事はないだろう。臆病であるが故に身を恐怖に向かう気を持ち合わせぬ俗物に過ぎないためだ。
「そう話を勝手に話を切り上げるな。単刀直入に言おう。我々の事業の一つを格安で貸付ようというだけだ。西の権益、喉から手が出るほど欲しいだろう? 更なる富を得たくはないかね。富を得たくて我々に仇名した業突く張りよ。それとも危険を犯す度胸すら持ち合わせて居らぬかね」
業突く張りという言葉が服を着ているような業の塊。獅子が既に仕留めた得物を砂漠のハイエナのように狙っていたのだろう。金の匂いがするなり、立ち去ろうとしていた心とその足を止める。バシラアサドの傍らでルーイットが笑いを堪えるのに必死になっている。彼の武人は金に興味がない。金など死ねばそこで終い。それがルーイットの宗教故にだ。
「ジャッバール女史……口を慎みなさ──」
「構わん、続けろ」
ガウェスの言葉を遮り、ロトスはバシラアサドへと向きなおす。それでも視線を交わそうとしない。黒い獅子の瞳がまるで得物でも定めようとしているかのように、ロトスとガウェスの間を行ったりきたりしている。何を考えているのだろうか。
「我々ジャッバールは西方交易路を築き、管理し、これを皆へと開放した。故に我々は急速に力を得た。中身が伴わぬ内にな。故に我々は今、身を切るつもりである」
遂にルーイットが噴き出し、それに怒った様子でバシラアサドはルーイットの足の甲を踏み付けた。思いの外、頑丈だったのか自分の足首を痛めただけに至ったが、ルーイットは正気に戻ったのか、肩を震わせて笑うような真似を止めるに至った。
「……その一手としてハイドナーに声を掛けたという事かね」
「然り。此処でご破算となればまた別の者達に話を振ろう、それでもダメならばセノールの何れかの氏族へとだな」
ハイドナーがダメならば、別の貴族へ。それ等がダメならばセノールへ。他者が利益を上げるというのはロトス・ハイドナーという浅ましい人物からすれば妬ましく、その利益を出来るだけ手中に収めておきたい。増してやジャッバールではないセノールがそれを得るなど、言語道断であった。まるで父の思考回路を全て読み取られているかのような錯覚に、ガウェスは今まで閉ざしていた口を開き、逸らしていた視線をバシラアサドへと向ける。二人の間を行き来していた視線が全て、ガウェスへと向けられ、一瞬言いよどむ。
「……セノールの中で利益を切り分ければ宜しいのでは?」
「────青いなぁ、当主殿。私はセノールが憎い、近代化への目を閉ざし、文化、慣習に縛られた者共が。それ故に私たちは五十年前から未だに立ち直れん。そのような愚か者達に私の財産"を任せる事など無理だ。であれば、仇敵ではあるが未来を見据える者達に一時的とはいえども管理してもらった方が良いのだ」
まるでセノールを悪というような言葉。これにロトスは乗ってくるであろう。そうバシラアサドは踏んでいた。しかし、これはブラフ。ハイドナーにはジャッバールの悪行の一旦を担いでもらい、それが明るみに出た時、滅んでもらうだけである。そのために一時的に交易路と事業を貸し付けるというだけである。
「なるほど。セノールにもお前のような者が居たか。いつまでも慣習に縛られ、血を好む蛮族で居られないと、ようやく悟る者が現れたか。──良いだろう、幾らで貸し付ける?」
金に二つ返事で飛びついた愚か者をバシラアサドは内心嘲笑し、ハイドナーの崩壊のエピソードを思い描く。自分の思い通りにはならないだろうが、それでも鉄で編んだ縄で縊られ続けるのは間違いではない。
「今一月辺りどれほどの利益が出ているのだ」
「純利なら百三十万ラニアばかり」
「ではその半分を寄越せ」
「ふざけるな、お前達の手では腐るだけだ。二割も渡せば上等だろう」
「我々も人を動かし、時間を費やす。二割では安すぎる、最低でも三割貰わねばならん」
「ならんなぁ、それでは私の配下が飢え、干からびてしまう。二割と七分。そこで終いだ」
「……分かった、分かった。それで手を打とう」
確かに大きな金額が動いているが、バシラアサドの示した純利が真実であるか、否かも分からないというのに、よくも頷けた物だとルーイットは再び噴き出し、顔を俯けた。この交易路の使用目的は香辛料を主に運び入れている場所であったが、ハイドナーが仕切りだした途端、香辛料よりも刺激的で命を燃やしても良い程、甘美な代物を運ぶ道となる。
「ハイドナー、努々勘違いしない事だ。西方交易路は私の持ち物。卿が我が物顔で使うともなれば、私達が牙を剥く事になろう」
そうバシラアサドは釘を刺せば、ロトスは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。恐らく交易路を勝手に広げ、別のルートを作るつもりでもあったのだろうか。ジャッバールが先手を打つという事は常々、監視されるという事。余計なことは出来ない。それは業突く張りであったとしても、理解に及ぶ事。ロトスとて屠殺された家畜のように市場に並びたくはない。
「……後日、契約書を送ろう。では、知っていると思うが事業の説明を一つ。──ルーイット、もう控えても構わん。卿も当主殿を下げられたし」
「という事だ、ガウェス少し外で待て」
納得いかないという様子でガウェスはバシラアサド、そしてロトスを見据える。ドアを指差すバシラアサドのジェスチャーを視線で追えば、ルーイットが静かに立ち去っていく。交渉する時は状況は平等になければならない。故にルーイットに場を作られたと、彼の巨大な背を憎憎しげに睨みながら、ガウェスは居室を後とするのだった。
- Re: それでも獅子は吼える ( No.10 )
- 日時: 2018/03/27 14:03
- 名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: 9RGzBqtH)
- 参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe
通路に立つ二人。誇りを重んじる騎士と人の形をした龍蛇の武人。不釣合いな二人の間には沈黙という壁が存在する。ふとガウェスがルーイットを見やれば、腿のホルスターに一挺の回転式拳銃が納められ、それは使い古されている事から、人を撃った銃だと察する。それに空恐ろしさを感じながらも、ルーイットをどう倒すかという、ある種の職業病のような想像を思い浮かべた。剣を振るったとしてもレヴェリのスケイラーは鱗で防ぐだろう。ともすれば銃か、その鋭く石壁をも穿つ爪に殺められるだけだというのは目に見えていた。恐らく鎧を着ていたならば、剣を抜き切る暇すら与えてくれないだろう。
ガウェスからの視線に気付いたのか、比較的長身なガウェスを見下ろすような形でルーイットは穏やかに笑ってみせ、口を開く。彼の身長はガウェスよりも七寸ばかり高い。
「当主殿。そんなんじゃ親父さんの侍従にしか見えないが、もう少し堂々としたらどうだね」
低くやや野太い声で彼は言う。人の良さそうな声ではあるが、彼の言葉から察しとるにガウェスは見透かされ、侮られている。ルーイットの一言からそれがあからさまになると、ガウェスは口を噤み、暫く物思いに耽るように壁を見据えた。何を考えているかルーイットには分からない。ただ、彼も口を閉ざし、ガウェスの返答を待つのだった。
「……父の手前、そう振る舞うのも難しいですよ」
ガウェスは父であるロトスが苦手である。あの黒い瞳に見据えられれば何も言えない。また父や祖先が犯した業が己に降り掛かり、潰れそうになってしまう。そんな面を上げ、前を見られない感情を察したのか、ルーイットは、さも愉快そうに悪い笑みを浮かべ語りかける。
「故にお前はアサドからハイドナーの走狗のようにしか見られていない。実父のせいで正当な権力を振るえぬならば、それを斬れ。お前にはその権利と力がある。そうだろう?」
邪魔ならば実父を殺せという物騒な論調。ルーイットは昔にも同じような言葉を使っていた。それは九年前のバシラアサドへ向けた言葉である。結果的に彼女は革命、改革に盲目的な父のみならず、跡継ぎとして権力を握っていた兄まで謀殺するに至った。
「貴方方は狂っている、その権利と力があったとしても、それを無暗に振るわず理を以て制すのが、人間という生き物でしょう」
力を持っていたとしても無闇矢鱈には振るわず、その力を温存し、必要な時にその力を振るう。それが人間だ。ルーイットにその言葉を語れば、彼の金色の瞳は見開かれ、瞳孔が開く。武力を持つならば、理も遠慮もなくそれを振るうのが常であった彼からすれば全否定されるような言葉。それに激昂したのだろうか、と思い至りガウェスは思わず剣の柄に手を掛けた。
「そうか。そうやってお前は潰れていくのか。俺はアサドがそれを為すように入れ知恵をし、アサドは自分の手を汚して今に至る。……お前、いつまでも騎士がどうだとかと、誇りのみで生きていくつもりか。誇りだけでは飯は食えんぞ。手を汚し、危険と共生せねばお前の鎧は──誇りは錆び付いて終いだ」
このルーイット・フォグナーはまるで聖書に現れる蛇のような男である。知恵の実を食らえと唆し、悪へと人を導く。もしバシラアサドはこの男に出会っていなければ、まともに居られたのではないのだろうか、などと架空の今を思い描く。頭の中で刹那に百度、繰り返したとしてもそうなった今は見られない。あれはバシラアサドの本性であり、ルーイットがそれを目覚めさせただけに過ぎないように感じられた。
「セノールは誇り高い民族と聞きます。それを擲ってまでバシラアサドは生き、己を恥ずる事がないと……?」
「お前は誤解しているな。セノールは確かに誇りだ教えだと面倒な民族だ。しかし、実際は徹底的な程に現実を直視している民族でもある。生き永らえぬならば誇りを捨て、歴史を紐解けば掟を曲げてきた。大凡、そういったものの取捨選択をしてきた。五十年前の西伐とてそうだ。知らんか? セノールでは魔法は禁忌だったと。……民族を新しい時代へと導けず、その障害があれば排除する。ならば、アサドは根からのセノールだ。少なくとも俺はそう思っている」
本来のセノールはバシラアサドのようなものだと暗に言っているようなものである。そんな事があって堪るかと、抗議の視線を向けた時、不意に二人の間の扉が開かれ、その視線は遮られた。部屋から出てきたのはバシラアサド、ガウェスを睨みつけるように一瞥した後、ドアの向こう側へと向き直る。
「────余計な事を吹き込むな」
低く唸るように龍蛇の武人を戒めた獅子は右手から血を流していた。まだ真新しい血からは鉄錆びたような匂いはしない。何があったとガウェスはその手に目を奪われる。
「その手は……?」
赤い血をバシラアサドは仕切りに舐めていた。まるで野生の獣が己の傷癒すため、舐めるように。その光景は見てはならない物のような気がしてガウェスは思わず視線を逸らす。一瞬、頽廃的にも思えるその光景が、禁忌に触れたような感じがして、直視する気勢を殺がれたのだ。
「お前の父が朱を貸してくれんのだ。故に己の手を裂き、朱を出したに過ぎん。血は念が篭る。ハイドナーはこの獅子と随分と強い契りを交わしたかったのだろうな。後悔しなければいいのだが。……では、我々は暇を貰おう。またな、当主殿」
踵を返し立ち去るバシラアサド、自分で裂いた手を強く握り締め、血の滴を一つ、二つと垂らしながら彼女は行く。ルーイットよりも一回り、二回り、もしくはそれ以上に小さな背中は厭に巨大な者に見え、思わずそれを目で追ってしまった。
「またな、当主殿」
バシラアサドの口真似をし、立ち去るルーイットはその血の滴を踏み付けていく。まるでそれは我々の道には血しかないとでも言っているかのようであり、彼女達が人であり人ではない、何かのように感じられ、ふと視線を下ろすのだった。