複雑・ファジー小説
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- アンソニー (完結)
- 日時: 2017/02/10 22:23
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
永遠って、なんでしょう?
- Re: アンソニー ( No.7 )
- 日時: 2016/12/24 15:26
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
>>柚子雪みかんさん
はじめまして。よかせです。
コメントありがとうございます。
読んでくださっている方がいるんだなぁ、とあなたのコメントで実感しております。なんだか照れくさいですが、頑張りますね。ありがとう。
- Re: アンソニー ( No.8 )
- 日時: 2016/12/24 15:39
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
ゲロを拭いて染みになった床付近には、だれも近寄ろうとしない。そこだけぽっかり穴があいたような感じがする。殴られた男子と一緒に帰ってきた先生は、さっきのことについて一言も触れなかった。あえて触らないようにしていると思う。大人は、面倒事が嫌いなのだ。
からかった男子も、みんなの前で女の子に殴られたのが癪だったのか、なにも言わなかった。
けっきょく、その日、持田は授業に戻ってこなかった。
家に帰ると、麗子さんが鼻歌を歌いながら絵を描いていた。大きなキャンバスに「なんだそれは?」という感じで色を付け足していく。まったくわからない絵だが、麗子さんの生き方と考え方の一部が現れているようだ。
麗子さんは恋多き女だ。
刺激がないとなにも生まれない。
麗子さんはそう言って、興味のあることならなんでもやってきたという。実力的に、技量的に、経済的に、やりたい放題が許される彼女は敵も多かったらしい。麗子さんのことを悪く言うのは簡単だけど、受け入れて認めて支えていけたのは、アンソニーだけだと思う。
「ねえ、麗子さん」
「なんぞ」
麗子さんはぜったいに自分のことを「おばあちゃん」と呼ばせない。孫がいるということを感じさせない風貌であるので、違和感もない。
「いじめられたことってあるん?」
「んー、んー??」
ぼくが帰ってきて、初めてぼくを見た。
首を傾げて、しばらく考えたあと、「いじめられる前に、全員ぶっ倒してやったわ」と答えた。強い女である。麗子さんがぼくと同い年のときを想像できない。だけど、ぼくと同じようにひとりだったんじゃないかなと思う。群れることが嫌いなのではなく、そこに意味を見いだせないでいる。
「ぶっ倒すって……どうやって」
「簡単やわ。ちょっとだけ暴れてやればいいの。だいたい黙らせられるわ」
麗子さんの「ちょっとだけ」がどこまでなのかわからない。こんな強い人と持田を比べたらだめだ。
「いじめられたん?」
麗子さんの質問に、ぼくは首を横に振る。
ぼくのほうから、麗子さんに学校生活のことを話すことは、ほとんどない。麗子さんもたまに「参観日とかあるん?」と聞くぐらいだ。そういう行事ごとにはしっかり絡んでくるから、困ったものである。いろいろと目立つ人だから。
「いじめられんわ。でも、いじめられとるなって人はおる」
「その子が気になるん?」
「なんか、女の子やのに、凶暴になっとった」
「うわーお。すごくファイトなことしたんやね」
麗子さんがケラケラと笑う。ぼくは笑えなかった。
「ぼく、わからんのやけどさぁ。もしかして人間って、弱いもんを見ると、攻撃したくなるんか」
「せやな。どっちかいうたら、攻撃しよるほうが弱いんやけど」
「難しいな」
「単純でないところが、人間くさくて、ええでないの」
麗子さんはそう言ったきり、作品作りに夢中になってしまった。
お風呂に浸っているあいだも、ぼくは考える。
持田のこと。
鉛筆をガリガリ齧っていた、きれいなあの子のことを。
持田の名前がキミというのを初めて知った。
教室に入ると、真っ先に持田の姿を探してしまう。彼女は自分の席にいた。
よく考えれば、今まで持田へのいじめはあったように思う。ぼくが気にも留めていなかっただけで。授業もろくに受けていないし、クラスメイトの名前すら憶えていないぼくが、彼女の状況など知る由もなかった。
だから、初めて、「持田キミ」という存在を認識している。
病人みたいな顔色だった。目が大きくてギョロリとしている。全体的にほっそりとしているので、不安定さを感じさせる。ただ、顔立ちは人形みたいだった。美人さん、と言っても過言ではないほど。
持田は背筋をこれでもかというほど伸ばして座っていた。その口元が微かに動いている。机の上に転がっている鉛筆は、芯とは逆のほうに噛み痕があった。いまも食べているのだろうか。一度気になってしまうと、問い詰めたくなる。
「持田さん」
初めて、クラスメイトに声をかけた。
「鉛筆さぁ、ぼくも食べてかまん?」
- Re: アンソニー ( No.9 )
- 日時: 2016/12/25 16:40
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
ぼくのいきなりの申し出に、持田は明らかにギョッとした顔になった。どうしてきみが驚くの。鉛筆を齧っているくせに。
持田の返事を待つ。彼女はぼくをじっと見たあと、机に転がっている鉛筆にそっと触れて、言い放つ。
「かまわんといて」
鉛筆に触れたのは、おまじないなのか。その一言をぼくに突きつけるための勇気をください。そんなことを思ったのではないか。
攻撃している者が弱い。
麗子さんの言ったことは、本当なのかもしれない。
このいじめられっ子は、いじめられているわけではない。恐れられているのだ。あの集団から。だから、ひどい仕打ちを受けている。力でねじ伏せられようとしている!
ぼくが抱いたのはなんだったのか。
この子を守りたいという腐った正義感か、ぼくがやらなきゃだれにできるという歪んだ使命感か──。
先代アンソニーの言う、孤独な人間同士が惹かれあう、というやつなのか。
「これ、口説こうとしてるんやで。わかってる?」
クラス全員が静まってぼくらを見ている。
そんなこと、かまうもんか。ぼくは、持田しか見ていない。彼女も同じだ。
女を落とすときは変な建前などいらん、ストレートに行け!
麗子さんの声が聞こえる。そんな日が来るのかと思っていたけど、あんがい早くやってきた。
「わからんな」
持田は己の内にある困惑を、そのまま口に出す。
「わたしは、あんたがなにを言いよんのか、さっぱりわからんな」
わからんやつだな。
鉛筆がもし美味しいなら、その場でぜんぶ食べてやるって言っているのに。
ストレートに行け!
また麗子さんの声だ。
だったら直球でぶつけてやるよ。
「鉛筆、一緒に食べてやるって言うてんねん!!!」
その瞬間、チャイムが鳴る。授業が始まる合図だ。「席つけよー」と言いながら先生が入ってきた。固まっている持田とぼくという不思議な組み合わせに、少々面食らった様子の先生は、いろいろ想像しているに違いない。持田と、ぼく。なんでこの二人が一緒におるんや……仲良かったっけ……というようなこと。まさかぼくがいじめているという発想にはなっていないだろうけど。
いままで、ぼくらのやりとりを見物していたクラスメイトも、蜘蛛の子みたいに散っていく。
ぼくもそうした。
大人がいると、事態がややこしくなるにきまっている。
昼休みだ。昼休みに、持田を口説こう。
昼休みになるとほとんどの生徒は運動場に駆け出す。ドッヂボールや縄跳びや鬼ごっこをするためだ。
今までのぼくは次の授業が始まるまで眠ったり、鮮明に思い出せる解剖された動物の写真をノートに模写したり──そんなことをしていた。そういうところは先代のアンソニーに似ているのだ。静けさを好む。周りとは違う世界で、ひっそりと孤独に生きていたい。そんなことを常々思っていた。
きっと持田も。
「キミっていう名前、どんな字なん?」
後ろを振り返って話しかける。
持田は鉛筆を噛んではいなかった。消しゴムのカスを集めて、こねこねしていた。眉をひそめて迷惑そうにぼくを見る。大人びた表情だったので、ドキッとした。
「あんた、今日どうしたん。なんで話しかけてくんの」
「昨日の持田がすごいと思ったからや」
「それはわたしのこと、物珍しいだけやねん。そんなんで、関わらんといて」
「持田は孤独なん?」
そう訊くと、持田は口をぽっかりと開けた。
「孤独を好きでおるん?」
次の瞬間、ぼくは思いきり持田に頬を叩かれていた。
- Re: アンソニー ( No.10 )
- 日時: 2017/01/01 23:38
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
「なに、それ。手形の跡ついてるやん」
「……孤独の勲章やねん」
「なに言うてんの」
家に帰ってぼくの頬を見た麗子さんが、目に涙をためて笑い出す。どれだけ笑われたって平気だ。これは僕が持田に近づくことができた、証明なのだから!赤くなった部分をそっと撫でる。持田の悲しそうな表情。泣いてはいなかったけれど、今にも泣きそうだった。
美しい表情だった。
ぼくは、あれがほしい。
「この前、言うてた子に叩かれたん?」
「孤独が好きなんかって聞いたら、しばかれてん」
正直に言うと麗子さんはとことん呆れていた。きみあほやなぁ、と言って、今まで「賢い」と言われてきたぼくの脳みそが、実はスカスカだったことを指摘する。
僕があほだなんて知っている。
ぎゃくに自分が賢いと思っている人間のほうが愚かだ。ぼくは愚かさを知っている。それでいて、孤独なのだ。わかっているからこそ、ひとりを選んでいる。
そんなぼくが!あほだと!正面から言われるなんて!
ポカンとしていると、麗子さんはぼくの両頬に手を添えた。くすぐったくて、恥ずかしいのに、目を逸らせない。
「きみは孤独やろけど、幸せやろ」
「せやで」
「私もやねん、娘もアンソニーも逝ってしもうて、孤独になったけど、不幸だとは思わん。それは、同じく孤独なきみがおるからや」
「──それは、ぼくも同じや」
「せやろ。やけん、幸せやねん」
麗子さんが低く静かな声で言う。
あほなぼくに、教えてくれている。
「ほんまに孤独な人間は、孤独を嫌う」
その日の夜、ぼくはあまり眠れなかった。いつも麗子さんと世界のあらゆることについて語り合うのに、なぜだか、ぜんぜんそういう気分にならなかった。「それが大人になることや」と、麗子さんは笑って作品作りに励みだす。ぼくは、大人になるということがこんなに苦しいとは思わなかった。あほだから。大人は毎日こんなモヤモヤを抱えて生きているのだろうか。ぼくが見下している学校の先生も、このわけのわからない気持ちを抱いているのか。そうだとしたら、ぼくは、見くびっていた。
大人になることを、舐めていた。
あほだから!
持田はぼくより孤独を知っているのかもしれない。
他者からの影響をまったく受けず、奇行で彼らを跳ねのけようとする。そんな彼女はぼくにとって眩しくて、不思議で、なんだか、
「かわいそうって、思うねん」
夕暮れ時。学校からの帰り道。靴箱でたまたま一緒になった持田を追いかけて、認知症で徘徊癖のあるミヤさんの住むアパートの前を通り過ぎたときだった。ぼくの尾行に気づいていた持田は、ものすごく迷惑そうな、害虫を見るような顔で振り返り、
「あんた、なんなん。なんでそんな、わたしにかまうん?今まで、ぼーっとして、生きてんのか死んでんのかわからんようなやつやったのに。きしょいねん、ボケェ」
と、顔に似合わず汚い言葉を発した。
そのときに自然と出たぼくの言葉が、「かわいそう」だったのだ。
べつに同情しているつもりはないけれど、素直に、心から、ぼくはこの子をかわいそうだと思っているのだ。だから、言われたほうの持田がどんな気持ちになるのかなんて、どっちでもいい。
これは、片思いだ。
一方的な、ぼくの、想いだ。
「わたしは、かわいそうなんかやない」
ぼくを睨みつけたまま持田が否定する。
はっきりと。
「だって、わたし、自分のことかわいそうとか思わん」
「ぼくはきみをかわいそうやって思うねん。だって、あんなふうにされて、孤独でおるやん。ぼくは孤独やけど、幸せやねん。きみは……ちゃうやろ」
なに、こいつ。
持田さんの脳内でぼくへの警戒心が強まっている。微かに唇を噛む。もしかしたら、なにかを噛むことが癖になっているのかもしれない。
「槙島ってさ」
あ、ぼくのことか。
槙島蓮太郎という名前がいまいちしっくりこない。あまり呼ばれないせいかもしれない。死んだ両親には悪いけど、ぼくは生まれたときからアンソニーだったのだ。
「わたしのこと、好きなん?」
- Re: アンソニー ( No.11 )
- 日時: 2017/01/07 18:52
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
小学6年生のぼくが恋愛をどこまで理解しているか。
そんなもの、経験がないからゼロに等しい。
麗子さんの話を聞いて、恋愛とは「大人のする戯れ」とか「熱しやすく冷めやすい」とか「順序良くいけば成功する」とか、そういうものだというのはわかる。
でも、持田に対して抱いている「かわいそう」は、恋愛感情ではないだろう。子どもだけどなんとなくわかる。
「うーん……気になるっていう言い方は、あかんか?」
「理解できんねん。わたしの、どこを、気になってんの」
「ぼくと同じやないかってことや」
「同じ……って……」
持田の顔がみるみるうちに歪んでいく。
崩壊だ。
美しい顔立ちが、その形成を保てず、震えながら崩れていく。
「わたしと、あんたの、どこが同じやねん」
「せやけん、孤独ってところが──」
「孤独、孤独って、うっさいねん、あんた!」
怒鳴ったあと、息を整える暇もなく、持田が言葉を押し出す。言葉というより、自分の内側の黒い部分をさらけ出していく感じ。
「あんたは、孤独なんやろ。いっつもひとりでおって、それを、なんとも思わんのやろ。わたしは!望んでひとりになっとるわけちゃうねん!お母さんが好きで、好きやのに、なにしても、うまくいかんくて……!なにが同じなん、なあ!わたしとあんたの、どこが同じなんや!」
ああ、そうかぁ。
この子は孤独に浸っているわけではなかった。孤独を嫌っているのだ。
ひとりぼっち故に、寂しさに沈まないように、周囲から浮いている。溶け込めないのだ。溶け込んでしまえば、きっと、孤独な自分の内側にもっと傷つくから。
ぼくはどうだ。
最初からひとりで、孤独なぼくは、どうだ。
孤独を愛しているぼくの声は、彼女に届くだろうか。
「そんなに孤独が嫌いなんやったら、ぼくが一緒におろうか?」
孤独を嫌っていても、愛していても、ぼくたちがひとりぼっちだということは同じだろう。
だったら──
「世界によっけ人がおっても、ぼくさえおればええっていうぐらい、ぼくを必要としたらええわ」
「──あんた、頭おかしいやろ」
鉛筆を齧る子に頭の異常度を指摘される。少しショックだ。
「あんた、なんなん。怖いわ。めっちゃ怖い。孤独とか、世界とか、よくわからん」
「よくわからんかぁ。まっ、ぼくも自分で言うてること、わかっとらんけどな」
「なんやそれ」
「あとぼく、アンソニーって名前やから」
「なにそれ、なんかのアニメのキャラクター?」
「ぼくに孤独の愛し方を教えてくれた人」
そうなんや、と持田が納得してくれた。
ぼくたちはそれから持田の家まで一緒に帰った。
古いアパートの一階に住む持田は、別れ際、「家の鍵、右から二番目の植木鉢にあんねん」と耳打ちした。そうか、と思った。剥げている白壁と、外に設置されてある埃だらけの洗濯機。割れた窓ガラスは内側から新聞紙が貼られていて、寒い日はとても厳しそうだ。
ここにこんなきれいな子が住んでいるのか、と変なところで感心してしまう。ぼくの家とは大違いだ。
確かに、アパート全体が寂しく、物悲しい、重々しい雰囲気に包まれている。
ここに立ち入るだけで呼吸が苦しくなる。
ぼくは、こんな孤独を知らなかった。