複雑・ファジー小説
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- アンソニー (完結)
- 日時: 2017/02/10 22:23
- 名前: 夜枷 透子 (ID: hf2.ND4p)
永遠って、なんでしょう?
- Re: アンソニー ( No.1 )
- 日時: 2016/11/27 15:07
- 名前: 夜枷 透子 (ID: cGvMnxlr)
第一章 アンソニーとアノン
アンソニーと出会ったのは、高校に入学して一ヵ月が経とうとしていたときだった。
明日に提出しなければならない古典語の意味調べという、面倒くさいことこのうえない厄介物の存在を思い出し、私はひとり教室にいた。吹奏楽部のプーポーという間抜けなトロンボーンの音と、グラウンドから響いてくる野球部たちの声、ひとりぼっちの1年3組。
友達のふみちゃんから借りたノートを写していくだけの、無意味な時間。ふみちゃんは、家できっちり宿題をやってくるタイプの子だから、丁寧に紙の辞書を引いて、整った字で意味を書き込んでいる。よくやるなぁ。ノートを貸してと頼んだときも、嫌な顔ひとつせずに「いいよ。どうぞ」と、渡してくれた。あんな子になりたいわ。どうでもいいけれど、私の高校は電子辞書の使用を禁止している。あの分厚い辞書を家から持ってこなければならない。そんなのはまっぴらごめんなので、私はいつも辞書を持ってこない。それだけで授業態度の点数をどうこうしようという先生ではないけれど、いつも「持ってこいよ」と言われる。
嫌な気持ちになりそうだったので、だめだめと自分を戒めつつ、またシャーペンを走らせる。
白いノートが私の歪な文字で埋まっていく。小学生のときから、字を書くことが苦手だった。習字なんてもってのほかで、墨をぶちまけて、文鎮でクラスの子の頭を叩き割ってやろうかとさえ思った。もちろんそんなことはできないので、授業のたびにぶすぅっとした態度をとっていたけれど。
「なにしてん?」
急に声をかけられて、少しペン先が震えた。
手を止めて顔をあげる。
教室の入り口のところに、男子がいた。
「宿題」
あなたはだれ?という気持ちもあったけれど、とりあえず質問に答える。
身長は180センチ近くあるだろうか。ひょろりとしている。前髪が長いので、顔がよく見えない。男子はゆっくりこちらに近づいてきた。私の前に立ち、ノートを覗きこむ。それが宿題だとわかったのか、ふんっと鼻で笑った。
「家でやりゃええやん」
「家だとだらけてしまうから」
「ああっそ。やけん、こんなところでやってんか?」
「うん。……そうですね」
話してみるとなんとなく年上かな、と察した。口調を改めると、「うひひひひっ」という妙な笑い方をして、「べつに気にしてへんよ」と言う。やっぱり先輩だったらしい。
「ぼくな、アンソニーっていうねん」
アンソニーは明らかな偽名を堂々と名乗り、前髪をかきあげた。
よく見ると瞳の色がほんのり青い。色が白くて、どこのパーツをとっても整っていて、きっと外国の血が混じっているのだろうと思った。じゃなきゃ、こんな人形みたいなきれいな顔にならない。だから、本当に名前もアンソニーなのかもしれない。
「私は、アノン」
「アノン……またおもろい名前やな。どうやって書くん?」
ノートの余白に、「亜音」と書く。これで「アノン」と読ませるのだ。感心したように息をついて、アンソニーはその字を、そっと指先でなぞる。べつに私に直接触れたわけじゃないのに、くすぐったい気持ちになった。
そのとき気づいたけれど、アンソニーの声はすごく穏やかで夜の静けさみたいだ。あるいは、母親の胎内のなかにいるような。ふわふわと羊水に包まれて浮いている、あの感じ。周りは嘘だと笑うけれど、私は母親の胎内にいたときの記憶がある。早く出せと思いきりお腹を蹴っていた。狭いところは好きだけれど、早く外の世界を見たかったのだ。だから、予定日より一ヵ月早い冬の日、私は産まれた。
あの胎内の心地良さを思い出させてくれる声で、アンソニーは笑いかける。
「ぼくな、きみと話してみたかってん」
「私のこと、知っているの?」
中学まで関東にいたのだが。
私が目を丸くすると、ますます面白いのか、アンソニーはあの変な笑いをした。そしていたずらを思いついた子どもみたいな顔をする。
「これ、口説こうとしてるんやで。わかってるか?」
「なあにそれ。私なんかに一目惚れしちゃったの?」
「せやなぁ。……そうかもなぁ」
曖昧で確証のない言葉。
古典の宿題は途中だったけれど、これでいいかという気持ちになって、ノートを閉じた。アンソニーはニヤニヤしながら、私をじっと見つめる。キスするのかしらと思ったけれど、しなかった。その代わり、アンソニーと私は、友達になった。