複雑・ファジー小説

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フレコ〜集団就職残酷史
日時: 2018/12/31 12:10
名前: 梶原明生 (ID: Xc48IOdp)  

フレコは玖数郡神楽に生を受けた。貧しい苦しみの中育ち、やがて15歳になった時にやむなく「集団就職」というご時世に乗る以外生きる道はなかった。彼女にとっての武器は母子家庭に育った厳しい教育だけでなく、贔屓にしてくれた小学校教師岩佐先生から学んだ「空手」があった。…これは我が母「フレコ」の若かりし日の、数奇の物語である。

Re: フレコ〜集団就職残酷史 ( No.35 )
日時: 2019/11/05 08:25
名前: 梶原明生 (ID: JnkKI7QF)  

…夕日を見つめつつ、回想にふけるフレコ。土友紡績生地工業を出る前、何も貴船氏のことばかりが問題ではなかった。土友部長と須田課長とのやり取りを思い出す。「何だと、貴様恩を仇で返しておきながら、また仇を返すつもりかっ。」パワハラ全開の団塊以上世代の怒号が飛ぶが、ひれ伏すフレコではない。「何も仇など返していませんが何か。」「くーっ、お前なんぞ知らん。出ていけ。」「確か退職金は満二年以上から発生するそうですね。この契約書に書かれています。」「それがどうした。退職金など鐚一文だって払わないぞ。」このやりとりをフレコの電話で知った兄、幸久は「殴り込みをかけてやるっ。」と意気込んでいたが「あんたが行ってどうする。」とたしなめた。そんなやり取りを思い出しながら、フレコは明日の仕事への身支度を整えるのであった。車田紡績の下請け会社「剣崎工業」での仕事は拍子抜けするくらい平和な仕事ぶり。和裁学校に通ったり、孤児院(今で言う養護施設か。)に訪問ボランティアしたりしていた。しかし…「ねぇフレコちゃん。私猛火学会に誘われでるだ。今度学会に来ない。」「え…」麻衣子からのお誘いだった。この頃から「お題目」と称した暗唱により仏の御加護が得られるという宗教が台頭してきていた。仕方なく参加するフレコ。しかし…「人の弱みにつけ込む疫病神」とフレコは一蹴。受け付けなかった。麻衣子も学会から手をひいたのだ。そんなこんなで平和な日々を送り、仕事も順調で、「準責任者クラス」にまでなっていた。時の経つのも早く、いつの間にかフレコも22歳に。この頃頻繁に仕送りするたび玖数群の母、富子から縁談の話が持ち上がっていた。「お前は22じゃ。十分行き遅れとる。いい加減嫁に行け。」22で結婚手遅れ寸前とは、今なら考えられない話だが、祖母富子からしたらそれが常識だった。しかし母フレコからしてみれば、傍迷惑もいい所。せっかく仕事は準責任者クラスになったのに、嫁入りで仕事を諦めなければならないのが口惜しい。この頃富子は猛火学会の敵対組織、「幽友会」に入っていたのも影響していた。これが後に自分の宗教観の元祖となったのは「HTSSに生きる」にあるように、幽友会思想が影響している。と言っても今は一切関わりない。かくして渋々お見合いを受けることになったフレコ。だがもし、しなかったら、こうして自分は生まれていない。何故ならそのお見合い相手こそ、後に父となる「梶原国守」であるからだ。…続く

Re: フレコ〜集団就職残酷史 ( No.36 )
日時: 2019/11/13 13:46
名前: 梶原明生 (ID: SKF4GgT1)  

…しかし、それをどこで知ったか播磨が命懸けの求婚活動に走ってきた。「僕は死にます。結婚してくれなきゃ絶対トラックの前に出て死にます。」と母フレコが名言のように覚えているセリフを吐いたのもこの頃だ。「じゃあ死ねば。」と素っ気ないフレコ。「なら見ていて下さい。トラックの前に出ます。絶対死にます。」とまるで某90年代ドラマの名セリフを叫んだものの、敷かれることはなかった。ハッタリだったのだ。かくしてフレコは休暇中に数年ぶりの玖数群に戻ってきた。「玖数群の町…フフフ、私こんな田舎町を大都会と思ってたんだ。」思えば飢え死に寸前の小学生の頃。富子に連れられて来た玖数群の町は、山奥の田舎暮らしのフレコにとって大都会にしか見えなかったろう。母フレコは後にこのことも自分によく語っていた。「さて、何か食べ物買うかな。」近くにスーパーが出来ていた。当時まだスーパーマーケットは珍しく、多くの客で賑わいを見せた。しかし誰もがフレコをジロジロと見る。無理もない。フレコは後に知るが、割烹着にモンペが当たり前な場所に、いきなりミニスカートの山本リンダ小柄版みたいな女の子が現れたら垢抜け過ぎて浮いただろう。気にせずレジに品物を持っていくと、いきなり名前で呼ぶ女性。「あれれ、フレコちゃんじゃない。すっかりキレイになって見違えたよ。」「はぁ…誰ですか。」「忘れたの、ほら、中学校一緒に帰ってた祥子だよ。強姦魔から助けてくれたじゃない。」「あーっ、祥子ちゃん。懐かしい。」びっくりだ。祥子おばちゃんとこの時フレコは再会したのだ。おばちゃんと言っても当時はまだ22歳の若い女の子だが。「卒業してから私ここで開店時から働いてるんだよ。恵子ちゃんも。」なんとあの二人組が同じスーパーのレジ打ちだったとは。「恵子ちゃん、フレコちゃんだよ。」三人はしばし旧交を暖めあった。さて、いよいよバスに乗り込んで母富子と親戚の待つ神楽へ。「お母さん只今。」「おお、フレコかよう帰ってきた帰ってきた。」富子は涙ながらにフレコを出迎える。しかしその傍らには正装に近い服装の親戚のおばちゃん一人と。「初めまして。民子と言います。」幽友会メンバーの一人、民子婆ちゃんだ。実は民子婆ちゃんは父、国守の叔母にあたる。国守は早くに両親を亡くしており、今や後見人として国守の親代わりをしていた。中学校時代は剣道部で九州大会二位に上り詰めた剣豪で、母フレコと同じく中卒。材木会社に就職後、陸上自衛隊に…続く

Re: フレコ〜集団就職残酷史 ( No.37 )
日時: 2019/11/17 21:24
名前: 梶原明生 (ID: 0Q45BTb3)  

は18歳になると同時に入隊。半年の教育期間後、当時冷戦真っ只中の要衝として現ロシア共和国の前身。ソビエト連邦の侵攻を迎え打つため、北海道の自衛隊に配属となった。「アメリカ軍が到着するための身代わり、人柱だ。」とたたかれていたようだが、それがあっての国防をできたことは語るべきではないか。そんなこんなで父、国守はアイヌや厳しい雪原を体験して紅玉市に帰ってきたのだ。やがて隣町である紅玉に、フレコと富子達は見合い会場へと足を運んだ。「母ちゃん。こんな話聞いてないわよ。お見合いについて話があるって聞いてただけだし。今日いきなりお見合いするなんて。」「こうでもしないとあなた嫌がって帰らないから仕方なかったのよ。」祖母富子の策略だった。かくして料亭に着き、部屋に案内された。いきなりスーツにネクタイ姿の褐色肌だが小柄な男性が顔を赤らめてフレコを迎えた。「こちら、梶原国守さん。」「は、はじめまして。…」終始そっぽを向いて、早く終わらないかだけ当時母フレコは考えていたと語っていた。「フ、フ、フレコさんとは気が会いそうですね。ハハハ。」ハァ、とフレコは言いたかったそうだ。まだ2、3口聞いただけなのに。その後、茶碗蒸しをお茶と勘違いして熱くて落とすは、料理を取ってあげようとしてフレコの服に零すは、それを謝りながらハンカチで拭こうと胸や太ももに触ってしまうは散々なドジぶりだった。「仕方ないな。私がそばにいないとこの人危なっかしくて仕方ない。」後にこれが結婚する決意の理由と聞かされ、自分は未だに理解できてない。そんなことぐらいで結婚するのかと。確かに父、国守は無口で武骨者で不器用人間だった。逆にそこが当時の母フレコの琴線に触れたのかも知れない。こうして交際一年でフレコと国守は結婚。その三年後に自分が生まれた。フレコは紅玉市で長家に国守と新婚生活をはじめ、紅玉市付近の駐屯地勤務となった。「剣の父と拳の母」に生まれたものの、母の空手拳法は潰れた。持病が悪化したため、激しい運動はできなくなったのだ。しかし、その後富子と共に暮らし、自分入れて四人の子供に恵まれ、フレコは主婦業に邁進した。持病と戦いながら今でも母フレコは健在だ。息子である明生の(自分)鍛錬を見るとたまに哀愁の目で「ワシももう一度やりたいのう…」と型の真似事をしたりして見てくることがある。母フレコには、自分をここまで育ててくれたことに感謝したい。…次回終「激動の昭和」に続く

Re: フレコ〜集団就職残酷史 ( No.38 )
日時: 2019/11/18 00:08
名前: 梶原明生 (ID: q6woXfHh)  

エピローグ「激動の昭和」……………………………………何でもとある記録によれば、正式に集団就職列車が終わりを告げたのが昭和52年3月の便だったとか。この昭和50年から日本は「新人類」と呼ばれ、「もう戦後ではない」という言葉さえ淘汰されはじめたのもこの頃であった。ホワイトカラーもブルーカラーも関係なく職業の選択肢が増え、ある意味「自由な就職」を体現できた時代に突入したと言える。だがいいことばかりではない。「総中流家庭時代」と持て囃されても、内実は「金が支配する世の中」を剥き出しにした時代だったとも言える。「汗水流して忠義に働く」という、美徳は廃れて家族より儲けを優先し、「心」も廃れてしまった時代に思える。過去のあらゆる事件、政治、事故などを振り返れば一目瞭然だ。母フレコの若き時代が良かったなんて言うつもりはない。ただ、昭和という時代に先ほども書いた日本人の「心」もどこかに置き忘れてきたのではないか。そんな気もするのだ。…やがてHTSSに生きるに書いた通り、紅玉市を引っ越して寛大市に移った。そこで奇跡的な再会をする。「姉御。久しぶりっす。」「フレコちゃん、会いだがっだ。」たまたま風邪を引いた自分を市民病院に連れてきてた時に、早紀子と佐知子おばちゃんが来ていたのだ。それぞれ小さい子供を連れて…「あたしらこっちの男と結婚しやしてね。近くに住んでるんでさ。」「まぁ、そうだったの。」喫茶店で昔話に華やいでいたのをそばで見ていた記憶がある。「明生、私の過去を絵本替わりに語ろうか。」ここから耳にタコができるフレコの物語は始まった。…了

Re: フレコ〜集団就職残酷史 ( No.39 )
日時: 2019/11/18 14:29
名前: 梶原明生 (ID: W4UXi0G0)  

あとがき………皆その後。富子…幽友会と思想面で反発。脱会して無宗教に。1999年に他界。 幸久…フレコの結婚後慌てて福井の女性と結婚。2女の子供(自分には従姉妹)をさずかるもDVが原因で離婚。2005年孤独死。 貴船…農村の家督を継ぐ。 佐知子、早紀子…寛大市にて健在。土友紡績生地…借金を抱えて倒産。夜逃げ状態。梶原国守…脳梗塞を患い、介護病院にて終身入院。フレコ…今も健在。


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