二次創作小説(新・総合)
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- 【ポケモン】Pokémon and 7 trainers
- 日時: 2020/11/25 22:46
- 名前: さぼてん (ID: ysp9jEBJ)
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一つの死をきっかけに、七人の運命は交錯する
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─▼目次▼────────────────
序章………………………………………
第一章:ある獣の残骸…………………>>0037
第二章:闇に契る学徒…………………
第三章:水没都市の戦い………………
第四章:英傑・豪傑・女傑……………
第五章:伝統校防衛戦…………………
第六章:龍の極み………………………
第七章:原初と終焉の光………………
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─▼補足▼────────────────
注意事項…………………………………>>0038
用語解説…………………………………>>0030
登場人物一覧……………………………>>0014
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─▼挨拶▼────────────────
はじめまして、さぼてんと申します。
ポケモンの二次創作を悠々と書いていきます。
皆さまの暇つぶしになれば幸いです。
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- 第二話「強者」 ( No.42 )
- 日時: 2020/09/22 19:15
- 名前: さぼてん ◆FRQHwFT6AY (ID: KsKZINaZ)
一体全体どうなっているんだ。
目の前で起きている理解できない状況を解決しようと、必死に脳を働かせてみる。
しかしその答えは、自分では一向に出すことができない。
指示を出さない俺を見かねたであろうリンが口を開ける。
「突っ立ってどうしたの。……まさか命令することも忘れたなんて言わないでよ」
「…………おい、リン。どういうことだ」
「どういうことって……、そのままの意味だけど」
「そのことじゃない」
俺の口調と表情で何かを感じとったリンが、少し怯んだように見えた。
そんな彼女の目を見ながら、一直線に声を飛ばす。
「それはお前のポケモンじゃないだろ……!」
頭の中で解けなかった問題を、ようやく言葉として表す。
対面する二匹のポケモンは主の指示を待つ中、リンはピカチュウを出したボールを見ながら呟いた。
「…………えぇ。そうよ。あたしのポケモンじゃない」
やはりそうか。疑いが確信に変わる。
しかしなぜだ。なぜお前がミナのポケモンを……?!
まさか……。ミナのポケモンを盗んだのか?
一つの疑問が解決したと思う間もなく、次の疑問が重なるように出てくる。
……いや、それは考えすぎか。
なにしろリンの表情から読み取れるのは、昨日と同じく冷静かつ合理的な感情だけ。
加えてピカチュウも忠実に指示に従ったことも踏まえ、それだと辻褄が合わない。
でもなぜ自分のポケモンを使わないんだ。手を抜いているのか。
──考えを巡らせていると、リンは先ほどの発言を掻き消すように続ける。
「ねぇ、イツキ君。貴方、まさかあたしが手加減をしていると思ってるの? ……ならその考えは全くもって違う。あたしの考えはその逆。……“勝ちにいく”ためにこのポケモンを選んだの」
「それは正気で言っているのか? 自分のポケモンを使っていないのに、本気だと? ……それにそもそも、なぜミナのポケモンを持っているんだ」
そう返すと、彼女は深いため息をつき、一拍置いてからまた喋り出した。
「……色々と言いたいことがあるのは分かるけど、そういうの一度捨ててくれない? そんなことを言ってる余裕はあるの?」
ピカチュウが頬の電気袋から電撃を発生させ、次の攻撃の準備を始める。
「余裕か……。ああ、それなら大丈夫だ。何故ならお前が事を順調に進めるために出したであろう技が、逆に俺たちを有利にさせてしまっている」
ソウのルガルガンとの練習の最中に言われた、ミナのプランが頭をよぎる。
──「まず初めに“守る”を使うこと。なぜなら、そうすることで相手の出方を窺うとともに、“火炎玉”が発動するまでの時間を稼げる。つまり、一石二鳥ってことなの」──
初めから、そのプランは崩壊。
ミナのピカチュウの存在に気を取られ“電磁波”に反応できなかったからだ。
“守る”を使い損ね、今や持たせている“火炎玉”は完全に意味を失くしてしまっている。
ただ、奇跡的にやりたいことは支障ない。
“状態異常”による“根性”の発動。
ミナに教わった戦いの手順通りではないが、結果的に上手くいっている。
「こちらとしてはありがたいよ、リン。お前はリングマの特性を忘れていたのか? ……行くぞ、リングマ。“シャドークロー”だ!」
“根性”により“攻撃”が大幅に上がった今のリングマは、まさにリミッターが外れたような状態。
鍛えられたミナのポケモンと言えど、一撃で粉砕できる可能性の方が高い。
リングマが爪に影を纏い、ピカチュウ目掛けて駆ける。
──しかし、右足を踏み出したところで体勢を崩し、そのまま左足もろとも地面に膝をついてしまう。
「リングマ?!」
「……もちろん知っているわ、“根性”くらい。あたしだってそれを踏まえても尚、こちらにメリットがあると思って“電磁波”を使ったから」
俺の情けない声を引き立たせるように、リンは少し笑みを浮かべて喋りだす。
「早速“体が痺れて動けない”ようね。それだと技も繰り出せない。あなたのリングマではそれを治す手段はないはず。……技が出せるかは、リングマの“本当の根性”次第ってところ」
ピカチュウがリンと目を合わせる。
「……“雷”」
リンが指示した瞬間、ピカチュウが空に向かい全身から電気を放出させる。
とてつもない迫力。それは、ピカチュウが“電気玉”を持っているからだろう。
そしてそれは瞬く間に、巨大な雷として轟音を響かせながら、地上目掛けてやってくる。
「リングマ……!」
“雷”は二匹のちょうど間に落ち、閃光が周囲をほとばしる。
リンとピカチュウの表情が曇る。
これはもしかして────“外した”のか。
“雷”という電気タイプの特殊技。威力こそあるものの命中に欠ける、というところか。
それに加えこの時間、この場所。
周囲にある明かりは壊れかけの街灯のみ。
薄暗いだけで完全に見えないわけではないが、相手からすると“当たり”をつけるのが多少困難なのだろう。
対して俺たちは、“もう一つの光源”がある。
それこそまさに、いま電気を帯びて光っている“ピカチュウ”だ。
日中ではこの差は気にならないだろうが、暗闇ではただの的。
──この戦いは俺たちに分がある。
「……リングマ、立て! もう一度“シャドークロー”だ!」
今度は麻痺に抗い、技を繰り出す。
豪快に振りかざした右手はピカチュウの腹を切り裂いた。
──ように見えたが、それは幻の如く姿を消した。
「?!」
視界の隅に一瞬、黄色い発光がチラつく。
そこで初めて“本物”のピカチュウが別にいるのに気付いた。
「……“影分身”。影武者の方に攻撃してしまったようね。…………“回避率”を上げた状態と“麻痺”状態。これが重複することで、あなたたちの攻撃は通らないまま終わる」
これがリンの狙い……!
しまった。完全にハマってしまっている。
やはり“電磁波”だけでも防ぐべきだったのか。
そのとき脳内に、ある言葉が浮かぶ。
──「勝負で大事なのは“敵の隙を突くこと”。ただそれだけだ」──
オトギリ先生の俺への助言。
敵の隙を突く。そして隙が無いなら、自分で隙を作る。
後者は、今の俺にはまだ厳しいかもしれないが、相手が見せた些細な隙を見逃さないことはできるはずだ。
その一瞬の間を見つけなければ……。
上空で、雷鳴が轟く。──“雷”が落ちてくる前兆。
「リングマ、“守る”!」
咄嗟に叫んだ声に反応し、リングマは麻痺に逆らいながら何とか周囲に防壁を拡げる。
二度目の“雷”はリングマが生み出した障壁に向かって、激しい音を伴いながら落ちた。
「危なかった……」
ホッと胸を撫で下ろしていると、まだ“守る”を展開しているリングマ目掛けてピカチュウが走ってくるのが見える。
一体何を企んでいる……?
今は一切の攻撃を受け付けないのに。
しかしわざわざ向こうから来てくれるなら、これは絶好のチャンス。
反撃の作戦を考えていると、リンが仄かに口角を上げるのが見えた。
そこで感じた嫌な予感が的中する。
「“フェイント”」
ピカチュウの手から生まれたエネルギーが、“守る”の芯を捉え、障壁が一気に崩れる。
中にいたリングマは、衝撃によって微々たるダメージを負う。
「こ、これは……」
“守る”を突破できる技、ということか。
知っていれば反応できたはずだが……。
いや、こんな無益な言い訳を考えていても仕方がない。
何にしろ今は、目の前に標的がいる。“シャドークロー”の恰好の餌食だ。
「リングマ、やれ!」
俺の命令を受けリングマは、痺れる腕を何とか動かし、爪を黒く染めて振り上げる。
それは確実に胴体に命中する。
──しかしまたも、切り裂かれたはずのピカチュウは、文字通り闇と一体になり消える。
残る虚空を見て、またしてもそれが“偽物”であることにようやく気付く。
「……ッ!」
「だから言ったでしょ。当てることは出来ない、って」
「でもそれはお前も同じだろう……!」
「さぁ、どうかな……。ピカチュウ、“雷”」
リンが追撃をせんと、ピカチュウに命令する。
また天に向かって膨大な電撃を上げると、それは稲妻へと姿を変える。
「“守る”!」
リングマは手足を広げ、エネルギーの障壁を作る。
と思ったが、それは完成しないまま“雷”がリングマを直撃する。
技が出せない原因は“麻痺”によるものだった。
“雷”を受けたリングマは右手で体を支えながら、ピカチュウを睨むように立ち上がる。
──この様子だと、体力はまだギリギリ半分以上残っているはずだ。
もしもう一度食らっても、わずかに耐えられる……。
「……勝負に置いて、“運”は最も重要かもね」
リンが呟いたその言葉で、ある作戦を思いつく。
当てることが出来ない……。なら、最初から当てるつもりじゃなければどうだ。
ただ運任せに攻撃する方法──命中率が低いから敢えて使わなかった“四つ目の技”。
“影分身”で回避率を上げられている今、この期に及んでそんなことを気にする必要は全くない。
“運”さえ味方すれば。……可能性はある。
「リングマ、周囲を覆うように“ストーンエッジ”だ!」
麻痺に何とか逆らいながらリングマが全身に力を込めて叫ぶと、周辺に尖った岩が次々と飛び出る。
それはどんどんと数を増やし、やがて“本物”のピカチュウの下からも勢いよく突き出る。
上手くいったか──
「ピカチュウ、“フェイント”」
がしかし、ピカチュウの繰り出した“フェイント”が岩をいとも簡単に粉砕する。
クソ……。駄目なのか。
頼みの綱が、呆気なく散ったのを見て愕然とする。
運よく攻撃を当てても“ストーンエッジ”では防がれてしまう。
どうにかして“シャドークロー”でいくしかないということか……。
ピカチュウは“フェイント”の動作を終えると瞬時に、見覚えのある構えに移行する。
「……“雷”」
ピカチュウが打ち上げた“雷”が、空の切れ目から光る。
「“守る”!」
リングマは防御壁を作ろうと行動するも、またしても手足の痺れにより動きが止まる。
“守る”の失敗。それは当然、無防備な姿を晒すということ。
「……クソッ、またか!」
しかし、運が向いてきたのだろうか。
“雷”はリングマとは間反対に位置する、ピカチュウ側の右後方の場所──それも地面ではなく、例の街灯に落ちた。
街灯は異常に明滅したあと──“雷”の余波なのだろうか──激しい電光が周囲に分散する。
距離が離れているリングマに届きはしないものの、その電撃は技を出したはずのピカチュウを襲った。
エネルギーの衝撃に吹き飛ばされたピカチュウだったが、受け身で反動を殺し、すんなりと起き上がる。
その表情は、ダメージを受けたのか受けていないのか分からなかったが、リンの方を注視しだす。
リンも、ピカチュウを見て何かを感じ取っているようだった。が────
──それは“隙”だった。
俺がこのバトルの最中、ずっと探していた“モノ”だった。
……当然、このチャンスを逃すほど甘くはない。
「リングマ!」
リンが俺の声に気付いたときにはもう、ピカチュウの目の前にリングマは立っていた。
「ピカチュウ、避けて!」
“持ち主”の育て方のおかげだろうか。
ピカチュウはこの状況に置いても身体をひねらせ、攻撃をかわさんと横に飛ぶ。
──ものの、リングマの“シャドークロー”がピカチュウの皮膚を微かに切りつける。
完全に捉えたわけではなかったが、多少のダメージを受け、ピカチュウの息が荒くなる。
こいつが“本物”。
この本体にしっかりと、もう一度当てさえすれば“俺の勝ち”。
……なのだが、“回避率”が上がった状態なのと“麻痺”状態は依然として変わらない。
どうすれば当てられる……。どうすれば……。
その時、俺の視界がまたも“あの”真っ白の光に包まれた。
それは完全に覚えのある光。あの時の──ソウのリオル戦のときと同様の激しい光の点滅。
視界が元に戻ると、またしても脳が冴え渡るのが手に取るように分かる。
そして頭の中で瞬時に算段がつき、“ゴール”が見える。
────“勝利への道筋”が、はっきりと。
「リングマ、“守る”」
「ピカチュウ、“フェイント”」
……ああ。そう来るだろうな。
ピカチュウがリングマの方に飛び掛かる。
しかしリングマは痺れて“守る”を展開できていない。
──でも今に限って、その状態はどうでもいいことだ。
「リングマ、技を変えろ! “シャドークロー”だ!」
「………………“雷”!」
俺が技を変えたのと同じように、リンは“フェイント”を止めて、ピカチュウにお馴染みの攻撃を指示する。
“フェイント”で些細なダメージを与えるくらいなら、運任せでも“雷”を落とすだろうな。
リングマは“技が当たらないかもしれない”し、“動けないかもしれない”のだから。
──でも残念ながら、リングマは“技を当てられる”し“動ける”。
“フェイント”をしまいと、リングマの目の前にやって来ていたピカチュウは技を切り替え、無防備にもそこで空に電撃を放出する。
もちろんそれは本当の無防備ではない。ピカチュウはそこに“無数”にいるのだから。
“影分身”と“電磁波”の双方の利点が上手く重なり合う戦法。
それにハマるかのように、またしても痺れて動けないリングマ。
俺はその状態に気付いても尚、リングマに声を掛ける。
「リングマ、左斜め前の“ヤツ”だ。……そいつに“シャドークロー”だ」
この発言後、瞬時に空が光り“雷”が落ちる。
それは見事、なおかつ“運よく”リングマに命中する。
──そう。それが発動条件。
対リオル戦での、最後の“シャドークロー”を使った時の“リングマの表情”。
そして俺が今朝、夢でみた“リングマの性質”。
これが今、確信となる。
……ポケモンにも千差万別で、そのポケモンが一番好きな“戦い方”というものがある。
攻撃技と特殊技を使い分けるのが好きなポケモン。変化技ばかりを使うのが好きなポケモン、というように。
そしてそのポケモンが好きな戦法を取ったとき──やはりポケモン自身嬉しいのだろう──本来以上の力を発揮してくれるように思える。
それはたとえ“麻痺”していても、それに構わず攻撃してくれるほどに。
──俺のリングマは“攻撃されたあとに仕返す”のが好きなやつだ。
本物のピカチュウはさっき言った通り、左斜め前にいる。
これで、リングマは“麻痺”に構わず“シャドークロー”を当てて──
「──俺の勝ちだ」
“雷”を受けたリングマは、ピカチュウ目掛けて両手を振る。
──その寸前。動きが急に止まる。
「……お、おい! リングマ」
いや、そんなわけない。
一回目の“雷”を食らったときは、まだ体力がギリギリ半分以上あった。
今、二回目を受けて倒れるはずがない。
ない。のに────
地面に倒れる鈍い音。
いつかどこかで聞いたことのある音がした。
その“音”はとても聞くに堪えない。
その後、負の感情に苛まれるからだ。
──どこで間違えたんだ。
俺が……勝った。と、…………思ったのに。
油断などしていないのに何故だ。
“倒れたリングマ”をボールに戻す。
そのとき視界が光で覆われる。
……あの“不思議な感覚”が終わるということだ。
光が晴れた後の俺は、またも疑問に思うことがあった。
今回は、確実に当てられる“自信”があった。
“回避率”を無視した“強制的な必中攻撃”をする自信が──。
いや、本当に当てられたのだろうか……“本物のピカチュウ”に。
こればかりは、当ててないから分からないことだ。
しかし、戦闘が終わったため回避率状態を解除した“本物”は、先ほど“指定した位置”にいた。
「……勝負は終わり」
リンの声が脳に木霊する。
────ああ、全くもって一緒だ。
タイプ:ヌルに負けたときと。
でも、ただ一点だけ。……一点だけ違うことがあった。
それは気持ち。
“良かった”という溢れる気持ち。
なぜなら今回は、ただただ。
「──悔しい」
その感情が“先”に来たから。
このバトルは、恥ずかしくない。悔しいんだ。
頑張った。勝てると思った。ただ、一歩及ばなかった。
ああ、リン。どうしてお前はただ突っ立ってるだけなんだ。
彼女の目が泳いでいるのが見える。
いいんだ。俺のことなんか気にしないでくれ。お前はそういう性格だろう。
さぁ、早く。言ってくれよ。
“代表から外す”とか、何とか。
でもあわよくば……。
あわよくば、それを思いとどまってくれ。
そして言ってくれよ。
“考えを改める”とか“負けてないよ”とか……。そういうことを。
「……負けてないよ」
え……。
その声を聴いたときは心底驚いた。
まさか俺の心の声が漏れたのかと思ったからだ。
そして、それはリンの声ではなかった。
俺とリンが向かい合っている脇──つまり校舎の影になっているところから聞こえた言葉だった。
人影が段々とこちらに近付いてくる。
すると、ピカチュウがその人物の方に駆けていく。
「イツキ君は、負けてないよ」
その声の主はミナだった。
「ミナ……? ……どこからどうみても、俺の負けだよ」
彼女の気持ちはありがたいが、俺は完全に負けてしまっている。
ミナはフフッと笑ってピカチュウを撫でながら口を開けた。
「ううん、……負けてないよ。もしも“部外者”がいなかったら、ね」
ミナがリンの方を見る。
「……そうでしょ? リン」
リンは仄かに首を縦に振った。
#7
- 第二話「強者」 ( No.43 )
- 日時: 2021/01/03 20:32
- 名前: さぼてん ◆FRQHwFT6AY (ID: ysp9jEBJ)
「ミナ、部外者って何のことだ? ここには俺とリン以外、誰も居なかっただろ」
「うん。それと私を含めて、三人以外は誰も居なかったよ。あの、覗き見しててごめんね……。どうしても気になって、二人のバトルずっと見てたの」
ミナは申し訳なさそうに眉を下げると、そのまま続ける。
「部外者って言ったけど、これは人のことじゃなくて……“ポケモン”のこと。ここには、リングマとピカチュウ以外の“もう一匹のポケモン”がいるの」
ピカチュウを触る手を止め、ミナは立ち上がる。
「……見てもらった方が早いかな。ピカチュウ、“あの街灯”に電気を流して」
そう言われたピカチュウは毛を逆立て、技とも言えない微力の電撃を街灯にぶつける。
照明部分にその攻撃が当たると、先ほどの勝負で偶然“雷”が当たった時と同じように、またも灯りは点滅を繰り返し、周辺全土に電撃を放射させた。
ミナはその状況を見て確信を持ったのか、やはりと言った表情でこちらを向いた。
「今、ピカチュウが流した電気の後に街灯から放たれたのは、決して電撃の余力じゃない。……ポケモンの技“放電”だよ。ピカチュウ以外の何かが繰り出した技。──つまり、そこにポケモンがいるってこと」
そう言いながら、ミナは照明を指差す。
だが、街灯は時折点滅を繰り返すだけで、俺たちに答えを示そうとはしない。
なかなか正体を現さない第三者に対し、ミナは意地悪に独り言を呟いた。
「出てこないね。……じゃあもう一度。いや、出てくるまで“雷”を当てるしかないかな。しょうがないよね」
その言葉が耳に入ったのだろうか。
街灯は黄色く明滅するや否や、一層強い光を周囲一面に放つ。
反射的に閉じた目を開けると、通常通り光る街灯の上に、別の光源が宙を漂っているのが見えた。
その部外者とやらは、遂にその姿を見せたのだ。
オレンジ色の身体に、青く光る電気が身体の周辺を覆っているこのポケモン────
「──ロトム?」
「そう、ロトム。……このポケモンこそ、二人の勝負の最中に入ってきてしまった、いわゆる部外者」
ロトムは俺たちの周囲を高速で飛び回りながら、ニッと白い歯を見せる。
その表情を見て思い出す。……そういえばロトムは、プラズマで出来た体を持っている。
その体で機械に入り込み、悪戯をするのが好きなポケモンだ。
「それじゃあ、まさか。この街灯の点滅も……?」
「うん。この街灯は壊れてるんじゃないよ。ロトムが入って、悪さをしていたみたいだね。当の本人はただ構ってほしかっただけなんだと思うけど。……ほらおいで、ロトム。さっきは“雷”が当たってごめんね。今、治癒するから大丈夫だよ」
ミナは鞄から傷薬を取り出して、ロトムに吹きかける。
ここに、俺たち以外のポケモンが、ましてやロトムがいることに全く気が付かなかった。
ミナは俺とリンの戦いを眺めていたようだが、いつから分かったのだろうか。
彼女が自称していた“戦いの強者”という言葉がさらに信憑性を増す。
とここで、リンとの勝負を思い出し、またも謎が出てくる。
「……いや、待ってくれ。それならばリンこそ被害者だろう。バトルの最中にピカチュウは、ロトムが繰り出した“放電”を食らったんだ。電気技でたとえ効果が今一つでも、ダメージを負ったことには変わりない。要するに、ロトムのおかげで、俺が有利になっていたということじゃないか」
「うん、それなんだけどね……」
ロトムの手当てを終えたミナが、ピカチュウを抱き上げる。
「普通のピカチュウの特性って“静電気”でしょう? 触れた相手をときどき“麻痺”状態にできる特性。……でも、私のピカチュウは違うの。“隠れ特性”に分類される、少し珍しい特性を持っている。…………その名も“避雷針”。ありとあらゆる電気技を呼び寄せ“無効化”する。それだけに留まらず、そのエネルギーを自分の力に変えて、“特攻”を上げることが出来る特性。つまり──」
ミナが喋っている途中、不意にリンが言葉を被せる。
「……ロトムの“放電”を受けたことによって、ピカチュウは“特攻”が上がっていた。そして、リングマを倒す決定打になった“雷”はその状態で繰り出された」
スッと糸がほぐれるような感覚。
ピカチュウが街灯からの“余力”を受けたときの様子。
あそこで感じた違和感の正体が、今はっきりと分かった。
それならば合点がいく。ピカチュウは突如として特攻が上がったことに困惑していたんだ。
「ということは、その“放電”が無かったら……」
「……イツキ君のリングマが“雷”を耐え、ピカチュウに“シャドークロー”を決めて、勝っていたということになる」
ここにきて初めて、ミナが言った“部外者がいなければ、負けていない”という言葉の真意に納得する。
「……リン。いつからロトムに気付いていたんだ。それともまさか仕組んでいたのか。…………どうなんだ」
リンは、きまりが悪そうに目を伏せた。
「…………あたしも、街灯からピカチュウに電気が当たったときに初めて気付いた。ピカチュウの訴えかける目を見て、すぐに分かった。このピカチュウが電気を食らったということは、“特攻”が上がってしまった、って。その時に、街灯には何か電気タイプのポケモンが潜んでいることも、確証は無かったけど、勘付いた。……ただ、あたしは陰謀なんて企てていない。だって、そうでしょ? この街灯は、昨日も点滅を繰り返していた。ロトムはずっとここにいたのよ。それに、勝負の場所を決めたのはイツキ君、貴方よ」
「なら、なぜ試合を中断させなかった? ……どうしてピカチュウの能力変化を知っていたのに、“雷”を出させたんだよ?」
そう言うと、リンは動きを止めた。
肩を震わせながら、手をグッと握り、喉まで出てきている言葉を必死に抑えようとしているように見えた。
しばらくするとリンは、強張った体を振りほどくように、そっと言葉を紡いだ。
「……そう。……それはあたしが悪いの。…………ごめん、なさい。……もう、どうしていいか分からなくて」
リンは手で髪をクシャッと掻くと、無理やり笑顔を作ってみせた。
「……正直、驚いた。貴方がたった一日で、もう十分に力をつけてきてて。特に後半は、いつも通りの強さのイツキ君で焦った。どうしてたったこれだけの時間でそんなに成長できるの、って妬んだ。だから俄然、どうしても負けるわけにはいかなかった。……こうやって勝っても意味はないって分かってる。…………分かってるけど、昨日、さんざん貴方のこと悪く言ったのに、あたしがここで負けたらあたしっていったい何なの、って思って。そのとき、たとえ正々堂々としたバトルじゃなくてもいいから勝っておきたい、って……。一瞬思った。そしたらもう、気付いたときには遅かった。……不正してまで勝っても、意味なんてないのに。トレーナーとして当然だけど、もう遅かったのよ。……でも、ピカチュウが街灯に“雷”を当てたことと、ロトムの“放電”がピカチュウに当たったことは、偶然だったの。あたしが悪い考えを働いたのは、“特攻”が上がった状態を承知して“雷”を指示したところだけ。…………ほんと、ごめんなさい」
失望感の中に、不思議と同情の念を抱く。
彼女の生温い精神に腹が立ったが、込み上げた思いをぶつけられ、その気持ちを押し殺す。
不正をしてまで勝ちたいとは思わないが、昨日まで棒立ちだった素人に負けることは、リンのプライドが許さなかったのだろう。
当然ながら、俺が一日でここまで成長できたのは、ここまで勝負の勘を思い出せたのは、エイジやソウ、そしてミナたち仲間のおかげだ。
俺一人では出来なかっただろう。リンにそのことを認められたようで、少しばかりの達成感も抱いた。
「……リン。お前の気持ちは何となくだが分かる。お前は勝ちに拘るあまり、間違った考えに舵を切った。だが、それを伝えてくれたんだ。…………なら、もう俺は何も言うことはない。……ただ、それとは別にまだ疑問が残っている。どうしてミナのピカチュウで勝負したんだ?」
先ほどのバトルの最中では、答えてくれなかったことを訊く。
リンは不意の質問に目を泳がせながらも、軽く深呼吸をすると、落ち着いて喋り出した。
「…………意外と単純な答えよ。ミナのピカチュウを使ったのは、貴方がピジョンを出す、と予想したから。……バトルの初めに呟いた通り“読みを外した”のよ、“あたし”は」
リンはその後も、淡々と言葉を連ねていく。
「イーブイはまだ進化前だから選ばない。ゴーゴートは、あたしの主戦力のゲンガーに不利だから選ばない。そして、リングマは昨日の戦いの痛みが残っているから選ばない。……だから、消去法でピジョンを出してくると思った。でも、あたしにはピジョンに有利なポケモンはいない。……従って、ミナからピカチュウを借りた。ただそれだけ。…………痛恨だった。まさかイツキ君がリングマを出すなんて。ほんとに予想外だったのよ」
「なるほど……。確かにそう捉えればピカチュウを出したことにも納得がいく。でも、その…………。二人はどういう関係……なんだ?」
記憶のせいで、リンとミナの関係性が掴めない。
ただただ純粋なる疑問に、リンが少しだけ顔を赤らめているように見えた。
「か、関係って……。その、……えーっと。……ただの、ともだ──」
「親友だよ、親友! 私とリンは幼馴染なの。記憶喪失だから、覚えてないよね?」
間に入ってきたミナがそう言うと、リンは顔を後ろに向けた。
「これで、万事解決ってところかな? ……リン、イツキ君は許してくれたよ? ならさ、リンも言わなくちゃいけないことがあるでしょ?」
ミナが諭すようにリンに語りかける。
リンは頷くと、ぎこちなくこちらに目を合わせた。
「イツキ君。結果こそ違ったけど、勝負に関しては貴方の勝ち。なら、約束は果たす。……もはやあたしが言うことじゃないけど、クラスBの代表として戦ってほしい」
「……良いのか、本当に。リンが昨日言った通り、戦力外だったのは事実だ。もしかしたら、また足を引っ張る可能性もある」
「それは昨日のお話。……もう忘れて。あたしが馬鹿だった、ほんとに。…………それで、もし良かったら。……良かったら、あたしも一緒に戦わせて。不正を隠蔽しようとした愚か者だけど、力になりたい。……イツキ君とタイガ君とあたしで。これまで通り、決闘試合を一緒に戦いたい」
リンから出た、決してぶれることのないような、芯のある言葉が俺の脳を揺さぶる。
犯した過ちを悔い改めたのち、頂という目標に向かって突き進もうとする、非常に頼もしい発言だった。
「何を言ってるんだ。端からリンの代表入りを決める戦いではなかった。俺の有無を決めるためだけの勝負だった。それに、俺に練習のきっかけを与えてくれたようなものだ。むしろ感謝している。……この勝負での過ちを反省しているんだろう? なら答えは一つだ。もちろん、一緒に戦おう。戦って勝って“英傑”になろう」
「…………貴方って、ほんと不思議ね。でも、だからこそ、なんだろうね。……ありがとう。あたし、もうこんな愚弄な考えは二度と起こさない。チームの力になってみせるから。絶対に」
俺たちは握手などはしなかった。
リンが元々そういう性格じゃないということもあるが、そんなことをしなくても彼女の思いは十二分に伝わってきたからだ。
「お二人さん。何だか結束が高まってるところ悪いけど、他のクラスも忘れないでね? 英傑はクラスFが戴くんだから」
「ミナ。張り切って空振りしないでよ。……イツキ君、決闘試合まであと二週間。本番まで残り少ない日数だけど、貴方となら何とかなりそうな気がする。タイガ君とも合同で練習して、再来週末からの戦い、一緒に勝ち抜こう」
それは今までの彼女からは想像もつかない、明るい声と優しい微笑みだった。
ロトムはそんな俺たちのやり取りを見届けたかのように、ちかちかと発光しながら街灯の中へと戻っていく。
リングマ。さっきは言えなかったが、お疲れ様。苦しかっただろうに、本当によくやってくれた。
お前が頑張った甲斐もあって、代表に残ることが出来た。ありがとな。ゆっくりと、休んでくれ。
リンが見せた心からの笑顔に、微かな希望が芽生えた。
*
リンと別れた後、話があるというミナと、寮への帰路を共にしていた。
「私ね。今朝、リンがピカチュウを貸してほしいって頼んできて、本当にびっくりしたんだよ? 昨日イツキ君が話してくれた、決闘試合の代表入りを決める勝負の相手が、まさかリンだったなんて。私はイツキ君の練習を手伝うからって言ったら、じゃああたしの力にもなってよ、って言われちゃってさ。結局断れなくて貸しちゃった。……イツキ君、私のピカチュウに負けたらどうしよう、なんて思ったけど。……結局のところ、代表に居続けれて良かった」
昼食後のミナを思い返す。
何故かいつもと違う雰囲気だったのは、俺とリンの試合を心配していたからのようだ。
「そうだな、ありがとう。ミナや皆のおかげだよ、本当に。……礼がしたい。今度、何か奢るよ」
「私なんて大したことしてないよ。……イツキ君、リンのことなんだけど。もう終わったことだけど、責めないであげてね? リンは、不器用だし、思ったことをズバッと言っちゃうから、誤解されやすくて」
「ああ、大丈夫だ。リンの性格は、多少なりとも理解してるつもりだし。それに、彼女なりの優しさも受け取れているつもりだ。心配しないでくれ」
俺はリンとの戦いの中で、一つ気になったことがある。
どうして彼女は自分の手持ちポケモンを使わなかったのか、ということだ。
彼女は、俺がピジョンを出すと思い、それに対する有効打が無かったからだと言っていた。
だが、この大事な一戦にわざわざ使い慣れていない他者のポケモンを使うだろうか。
それに、俺は戦いの時間も事前に伝えていた。
リンはゴーストタイプの使い手。この暗い夜の戦いでは、闇に紛れて遺憾無く実力が発揮できる。
それなのに、光って目立つ電気タイプを使ってきた。
そこが、どうしても引っかかる。
ただただ、そのデメリットを考えなかっただけなのだろうか。
俺には、彼女なりの一種の情け──相手のレベルと同等に合わせ、そこで本当の実力をぶつけ合うために計ったような、そんな気がしてならなかった。
「なら、良かった。……ねぇ、イツキ君。リンとのバトルの終盤、記憶喪失前と同じぐらい凄かったね。あれって、戦いの中で戦術やポケモンバトルの記憶を思い出したからなの?」
「あ。あれは──」
視界が光ると、どうすれば勝てるかが分かるんだ。……なんて言って、信じるだろうか。
そもそも自分自身、意味が分からないのにミナに言うと更にややこしくなりそうだ。
「……たまたま戦法が上手くいっただけだ」
「そうなの? ……うーん、そうなのかぁ」
俺はこの変な力を半ば信じ、半ば幻想と思い、胸の中にしまっておくことにした。
「なぁ、ちょっといいか。どうしてミナは、俺の力になってくれたんだ?」
「えっ、それは……」
ミナはその場で立ち止まり、手を後ろに回して、小石を蹴るような仕草をした。
「覚えてない……? あの“約束”。…………あぁ、やっぱいい。覚えてないよね。えっと、うーんと……その答え秘密ってことで。ね、いいでしょ?」
ミナとの約束……?
駄目だ、さっぱり分からない。
彼女もはぐらかしたようだし、このことに言及するのはやめておこう。
「じゃあ、私からも質問! イツキ君は退院後、どうしてすぐに学校に来てくれたの?」
「あ……!」
その無邪気な質問で、俺はすっかり頭の片隅に追いやっていた、ここに来た理由を思い出した。
決闘試合の代表入り騒動に気を取られていたせいだろうか。
何故こんな大事なことを忘れていたのか、自分でも恥ずかしいくらいだ。
「そうだ、俺は記憶を取り戻すためにここに来たんだ。どうして記憶を失ったのか、ここに来れば何か分かると思った。……ミナ、何でもいい。何か知っていることはないか?」
「……えっと、何かって。うーん、そうだな。記憶を失ったのは在学中なのに変わりはないけど、そもそもイツキ君はこの学校で一ヶ月間しか学んで無かったから……。何が原因なんだろうね? ……どこで記憶を失ったか、とかは聞いているの?」
「確か…………。そうだ、森だ。担当医が森で倒れていたと言っていた。ミナ、この近くに森はあるか?」
そう聞くとミナは、人差し指を顎に当て、空を見上げるように考え込んだ。
突然「あ!」と叫んだのが思い出した瞬間であることは、誰もが明確に分かるだろう。
「トヤノカミシティで森と言えば、“間の森”じゃないかな?」
「間の森か、ありがとう。……そこに行くと何か思い出すかもしれない。一刻も早く行かないと」
ミナに話したことで、思いもよらない収穫を得た。
間の森。俺が倒れていたという場所。……そこで何か思い出すといいのだが。
胸が高鳴る俺を制すように、ミナが真剣な口調で話し出す。
「イツキ君、落ち着いて。間の森は、トヤノカミシティの中でも最北に位置する場所で、ここから行くとしても、だいぶ時間がかかるよ? 今は決闘試合前の大事な練習期間だし、行くのはそれが終わってからにした方が良いと思う」
「……確かにそうだな。今は少しでも多く練習して、チームの為に、クラスの為に頑張らないといけない。……分かった。行くのは決闘試合が終わってからにするよ。…………そういえば、ミナ。話があるって言ってたよな?」
「あ、いや。それは、もう……いいの。…………ねぇねぇ。それよりも、何奢ってくれるの? 私ね、お洋服とかアクセサリーが良いなぁ。欲しいのが山ほどあるの」
「……か、考えとくよ」
*
寮に戻る道中、事の異変に気付いたのは、生徒たちの騒めきが聞こえたからだ。
もう夕食も済んでいるような時間帯なのに、寮の周りは人々で群がっていた。
「こんな夜中に、一体何だ……?」
少し呑気に呟くと、横でミナが息をつまらせる。
「……まさか」
言葉と同時に駆け出したミナを、追うようについていく。
緊張感のある声色に、ただならぬことが起きているのかもしれない、と憶測を巡らせる。
ミナは、走った先にいた生徒の中の一人に声を掛けた。
「何かあったんですか?!」
「見ろよ、あれを!」
興奮気味に叫ぶ男の差す方向──寮から見た校舎の外壁。
石造りの壁の端から端まで、かなり長い距離を、まるでキャンバスにでも見立てるかのように、巨大な文字が書かれている。
強固な石壁を、鋭利な刃物か何かで削り取ったようだ。
それらはわざわざ照明を当ててライトアップされており、ここからだと際立って目に留まる。
「何だ、あれ……。エイ、エル、ピー、エイチ、シー、オー、ディー、イー、コロン、セブン」
最初は大掛かりで質の悪いイタズラか何かと思ったが、どうしたものか、見れば見るほど体が強張る。
咄嗟に横を向くと、体を震わせてはいるものの、どこか怒りを滲ませるミナの横顔が目に入った。
「ミナ、知っているのか? ……あれは何なんだ?」
「……ALPHCODE:7。…………“アルフコード:セブン”」
突如として現れた、巨大で奇怪な文字群は、これから何かが始まることを主張しているようだった。
それは、ここにいる誰もが同じことを思っていたに違いない。
#8 第二話「強者」END
- 第一章:ある獣の残骸 ( No.44 )
- 日時: 2020/12/10 20:40
- 名前: さぼてん ◆FRQHwFT6AY (ID: ysp9jEBJ)
「さっきまで、こんなモノ無かったはずだよ……?」
「これは、誰かの悪ふざけよね……?」
「何にしてもこの歴史ある校舎に傷をつけるとは……。どこかの目立ちたがり屋の犯行か?」
「……というか、なんて書いてあるの? それに、どういう意味?」
第三話「襲来」
“ALPHCODE:7”。
このたった十の文字列に、皆は酷く不穏な空気を感じ取った。
なぜならば、わざと人々の不安を煽るように歪な大きさで削られ、さながら怪文書の様に見えるからだ。
また、石造りの壁ということもあって、正気を感じない冷たい印象を直に受けることも、その要因の一つだろう。
「……“アルフコード:セブン”とは何なんだ? 知っているなら教えてくれ、ミナ」
「しっ。……イツキ君。あまり大きな声で言わないで。このことは、今はまだ終の機関の機密事項なの。この大勢の生徒の前では言えないよ……」
「終の機関だと……。なら俺にも知る権利があるな。分かった、場所を移すか」
「……そうだね」
ミナの言葉と、謎の文字を見に来た生徒たちの会話から察するに、何らかの理由で、まだ人々には公表されていない事柄であることは間違いない。
しかしながら、ミナの普通じゃない焦りようは、俺の動悸を更に激しくしていた。
詳細を聞くためその場を離れようとすると、聴き馴染みのある声が脳を木霊する。
俺は、一歩踏み出したところで足を止め、声のする方を振り返った。
「……っと。こりゃなんだ。校舎が傷つけられていると聞いて来たが、想像以上だ」
群がる生徒の中を割って入ってきたのは、アゲラ先生だった。
来るや否や先生は、例のモノを見上げながらため息をつく。
アゲラ先生は腕を組んで少し考えると、その後ろからやってきた、比較的身長が高い女性に声を掛けた。
「一体、誰が何のためにこんなことを……。とにかく、上へ報告しないといけませんね、ツリィ先生」
「そのようですね。でもまずは、生徒たちを寮に帰しましょう。……騒ぎが大きくなるのも困りますし」
ツリィ先生と呼ばれたこの女性、恰好こそ教職員だが、髪を隠すように黒いウィンプルを被り、更には黒いポンチョまで纏っており、なかなか異彩を放っている。
アゲラ先生は、ツリィ先生の発言に頷くと、集まった生徒たちへ撤収を呼びかけた。
「皆、速やかに寮に帰りなさい。質問、私語は無用だ。このことは、休み明けには学校側から連絡できると思うから、今日のところはもう戻りなさい。……いいね?」
穏やかに、その上で強いるようにアゲラ先生が言うと、生徒たちは渋々といった様子で寮に入っていく。
生活の中のこういった刺激に少なからず心を躍らせる者もいるようで、皆の足取りは重かった。
「ほら、イツキと横の女の子も。早く寮に帰るんだ」
アゲラ先生は、まだこの場にいる俺とミナに注意する。
これを聞いて、仕方なく寮に戻ろうとしたそのときであった──。
突然、赤に染まる眼界。
遅れてやってくる、肌を切り裂くような熱風。
まるで、目と鼻の先に太陽でも存在するかのような、鈍い深紅の情景と灼けるような感覚が俺を襲う。
それは、刹那の──瞬きも終えないくらいの、本当に一瞬の出来事だった。
──何だ?! 何が起こった?
頭がようやく状況を理解し、目を閉じ、頭を庇う。
パニックからか、正常に判断が出来ず、脳と心臓だけが揺れ動く。
しかし、本能なのか、それとも反射なのか。
思考が停止しているにも関わらず、俺は右手でポケットにあるモンスターボールを探っていた。
熱さが和らいだのを境に、恐る恐る、かなり慎重に目を開ける。
──青暗い夜の景観、スポットライトを浴びた文字列。……視界は通常通り。
そう確認したのち、先刻の光景と明確に違う一点を発見する。
その一点とは、目の前に威風堂々と鎮座する、図体の大きなポケモンのことである。
ボリュームのあるオレンジとベージュの体毛、あらゆる大地を駆けまわれそうな程しっかりとした、四本の脚。
毅然とした態度で背を伸ばし、正面についた両の眼は、俺の視線と完全に合わさる。
──こいつは、炎タイプのポケモン、“ウインディ”。
いつの間にやってきたのだろうか。
それだけが頭の中を渦巻く最中、ウインディは姿勢を崩したかと思うと、身体を横に向ける。
そこでようやく気付く──背中に、二人の男女が跨っていることに。ましてや、二人ともトヤノカミ中央の制服を着ていることに。
そのすぐ後、今起こったことが、ウインディの移動に伴ったエネルギーだということを悟った。
「先輩、スピード出し過ぎですよ? 危うくぶつかるところでした」
「……相変わらず手厳しいねぇ。俺にとってはこれが普通なんだけど」
生徒たちが解散した場所にいきなり飛び込んできたかと思えば、即座に一人の女性がウインディから飛び降りる。
冷たい目つきをしたその女性は、乱れた金髪のポニーテールを軽く整えると、周りを見渡した後に先生に声を掛けた。
「アゲラ先生、ツリィ先生。状況は確認しました。先生方は、この文字列を人の目につかないように、上から何かで覆うよう、お願いします。これについての今後の対応は、改めてご連絡します。あとは私たちにお任せください」
「お、おう。分かった」
「では、よろしくお願いします。……あと、生徒は寮に帰すように指示されたみたいですが、あの二人とは話があるので、もう少しばかりご容赦ください」
ポニーテールの女性は、冷静かつ手短に先生方とのやり取りを終えると、こちらに寄ってくる。
「元気そうで良かったわ、イツキ君。それにミナ」
上品に微笑みを浮かべる女性に対し、俺もぎこちない笑顔で返す。
ウインディに乗っている男も、顔の横で軽く手を挙げ、挨拶をしてきた。
そんな中、戸惑う俺を察してか、ミナが前に出てくる。
「イツキ君。この方は、二年生のユキ先輩。そして、あちらの方は、三年生のアツロウ先輩」
先輩、と言われて気付く。
よく見ると、そのユキ先輩とアツロウ先輩、そして俺とでは、制服に些細な違いがあることに。
二年のユキ先輩はリボンが青色で、三年のアツロウ先輩はネクタイが緑色、そして一年の俺とミナは赤色。
つまり、制服の装飾の色が異なるのだ。
エイジは、胸ポケットについているバッジの数で、その生徒のクラスが分かる、ということを話していた。
これも同様で、学年ごとに色を変えることで、一目で何年生なのか判断がつくようになっているのだろう。
「……すみません、名前も覚えていなくて」
「記憶喪失なんだろう、気にしなくていいって。むしろ、こっちから名乗るべきだった」
アツロウ先輩は黒いぼさぼさの髪を、くしゃくしゃと掻きながら言った。
するとミナは、胸ポケットに何回か指を当てて、俺に見るよう促す。
「ほら、見て。私たちのは銀色だけど、先輩方のは金色のバッジでしょ? 先輩二人とも“クラスS”なの」
「クラスS?」
俺が聞き返すと、何故かミナが満足げに話し出す。
「クラスSは七番目のクラス。通称、“幻のクラス”。優秀な成績を収めていると、二・三年次に学校から贈られる肩書きのことだよ。普段は私達みたいに、クラスA~Fに属しているんだけど、個人のタイミングで、より専門的な授業を受けたり、更にはクラスSしか入ることの許されない特別施設まで使えるらしいの。“教室のことを表すクラス”っていうよりかは、“階級を表すクラス”って言うと、分かりやすいかな。……要するに、生徒の憧れの的なの。ですよね、先輩!」
確かに、先輩方二人の胸ポケットには、荘厳に煌めく金のバッジが付いている。
“英傑”とは別の、その人の実力を表す肩書きの存在に、自然と二人を見る目が変わる。
対面で褒められたユキ先輩は、まんざらでもない顔を見せたが、瞬時に照れを隠した。
「……もう、ミナ。色々と喋ったわりには、一番大事なことを言っていないじゃない。あくまでもこれは、緊急事態なのよ」
「そうでした、ごめんなさい……」
ユキ先輩は、少し声のトーンを落とし、電子端末を取り出してメモを取る準備をする。
「イツキ君、本題にいくわね。私とアツロウ先輩は、貴方たちと同じく、終の機関に所属しているの。生徒の騒めき声が聞こえて駆けつけたんだけど、何となくしか、状況が分からなくてね。ちょうど貴方たちがいたのを発見したから引き留めたのよ。……ではまずあの文字について、何か分かっていることを報告してくれるかしら」
すると、ミナが少し落ち着いた様子で、言葉を返した。
「えっと。教えられることと言っても、私とイツキ君は今の今まで外出してて……。状況としては先輩方と同様です」
「あら……。こんな夜に、二人きりで何をしていたの?」
「いや、二人きりっていうか、その……」
困り顔のミナが、俺に助け船を出す。
そのとき、文字をじっくりと眺めていたアツロウ先輩が、気だるげな声を出した。
「ま、それは良いんじゃない。……それよりあれ、間違いない」
そこまで言うと、壁を指差す。
「アルフコード:セブン。“今度”はトヤノカミシティがターゲットということだ。……あーあ、参ったね」
アツロウ先輩は「面倒くさくなりそうだ」と付け加えると、ポケットに手を入れ、ウインディにもたれかかる。
それとは対極的に、ミナとユキ先輩は落ち着きがなくなったように見えた。
「……ターゲットとは、どういうことですか? そもそも、アルフコード:セブンとは一体何なんです?」
俺がそう聞くと、ユキ先輩は少し怒りを滲ませたような真剣な表情で話し始めた。
「まだ憶測段階なんだけど、簡潔に言うとすれば……あれは合図。これからここで起こるであろう、怪事件の予告みたいなもの。…………全ては二ヶ月前、隣町の“ゴドタウン”から始まったわ。そのときも、ゴドタウン内で同じ文字が発見されたみたい」
「……あの文字が現れると、何が起こるんですか?」
ユキ先輩は、一瞬だけ俺と目を合わせたあと、文字列の方へ体を向けた。
「……このコードが現れた周辺で、突然ポケモンが暴れ出したり、建物が破壊されたりする。今のところ、二つとも原因不明だけどね。とにかく、“普通じゃないこと”が起こるの。それも一度じゃない。何度か起こる。……終の機関での情報によれば、少なくともゴドタウンのときはそうだったみたい」
「…………つまり、二ヶ月前にゴドタウンで、このコードが見つかったのが全ての始まり。そして、これが現れることをきっかけとして、その周りで何度か不可解なことが起きる、と……?」
確認するように俺がここまで言うと、アツロウ先輩が休めていた体を起こした。
「そういうこと。だけど、あくまでこれは終の機関による見解。まだ仮定段階の話なんだ。この謎のコードとポケモン凶暴化事件、及び建造物破壊事件は、まだ因果関係が確定していない。大きな共通点がないからね。だから、ゴドタウンのときは、大々的なニュースとしては取り上げなかった。……まぁこれは、住民の混乱を防ぐためでもあるんだけど。そんなわけで、このコードの存在自体を知らない人もたくさんいる。それは、先生や生徒たちの反応を見て察しただろう? …………ただ、この三つの事件の同時発生が、偶然にしては出来すぎているように感じる。従って、俺たち終の機関では、これらは繋がりがあると推測しているんだ」
今言われたことを、何とか整理しようと頭を働かせていると、アツロウ先輩はだけどね、と言葉を続けた。
「……コレがここに現れてしまっては、今までのようにはいかない。何たって、“二度目”だから。もしこれからこのトヤノカミシティで、凶暴化や破壊事件が起これば、もうこの仮説は十中八九当たりってことになる」
しん、と静まりかえる。
この平和に思えた街に、魔の手が迫るかもしれないのだ。
──護らなければならない。俺の記憶が眠っているこの街を。
怒りによって、俺の手は震えていた。
「……それらがいつ起こるのか、誰が行っているのか、何のためにするのか。そういったことは判明しているのですか?」
「…………いいえ。事件の意図等は、まだ分かっていないの」
ユキ先輩は、無力を噛みしめるように吐き捨てた。
その傍ら、アツロウ先輩がニッと歯を見せると、自身の顎を撫でる。
「ただ、一つ朗報がある。来週、俺たちは終の機関に招集がかかっているだろう? そこでどうやら、事件の進展が発表されるらしいんだ。おそらくだが、何か新しい情報を掴んだんだと思うよ」
「本当ですか」
そこまで話すと、アツロウ先輩はユキ先輩とアイコンタクトを取った。
すると、ユキ先輩が補助を受けながらウインディに跨る。
「それまでに、何か起きないことを祈るしかないわね。……じゃあ私たちはこれから、このコードの存在を終の機関に話しに行くから。引き留めて悪かったわね、貴方たちはもう帰りなさい。…………それと、くれぐれもこのことについては内密にね」
「しかし何でだろうねぇ……。よりによって、俺らの学校に刻まれるとは。…………じゃあ一年生たち、お休み」
夜の隙間に消え入るように、ウインディが走り去る。
踏み込みで生じた熱風。それを掻き消さんとするばかりに、冷たく訴えかける文字列。
感じていた恐怖はいつの間にか、嫌悪感に変わっていた。
*
あれから、一週間が経った。
壁の文字は、次の日にはもう布で隠され、それ以降、人の目に触れることはなかった。
また、学校側は、校舎が傷付けられるという事件に対し、これまで通りの生活を送るよう、生徒たちに言い渡した。
それは、もし何かあれば、終の機関が生徒や職員の安全を保障する、と強く念を押したためである。
ここまで、緊張の緩まない日々を過ごした。
一時の平穏かもしれないが、俺たちが危惧していたことは、未だ起こっていないことに安堵する。
コードを見た生徒たちも結局、行き過ぎた悪戯という認識に至ったようで、その注目度も徐々に薄れつつあった。
ただ、俺にはもう一つ心配事があった。
この一週間で、リンやタイガと朝から晩まで合同で練習をし、いざ実践の授業で腕を試すという頃合い。
そこに、ムツミの姿がないのだ。
よくよく考えれば、あのタイプ:ヌルに負けたとき以来、顔も見ていない。
俺は焦っていた。
あいつと手合わせできないと、あのポケモンの倒し方、そして俺自身の実力が分からない。
──このまま勝ち逃げする気か。それとも、本番までお預けか。
野暮な葛藤が渦巻いたが、一応頼みの綱がある。
それは、アゲラ先生が言っていた臨時講師のイリマ先生だ。
この休みが明ければ、学校に赴任してくると聞いている。
タイプ:ヌルの情報を入手する手段は、もうイリマ先生しか残っていない。
先生が知っていることに、賭けるしかなかった。
「……大丈夫かい? 少しボーッとしているみたいだね。薬はちゃんと飲んでいるかな。寝たきりの状態からすぐに動ける体の丈夫さには心底おどろいたが、あまり無理はしちゃいけないよ」
担当医の男が、俺の顔を覗き込む。
その声を聞いて、定期検査で病院に来ていることを思い出す。
「あ、すみません。……体調は大丈夫です。それに、ほんの一部ですが、過去の記憶も思い出しました」
「……ほう、この短期間で。それは良かったよ。私としても本当に嬉しい」
担当医はカルテに文字を継ぎ足すと、俺の足元にいるイーブイの方を見た。
「実はね。イツキくんが森で倒れていたとき、このイーブイが、近くにいた人を呼んできてくれたらしいよ。お利口さんだね、イーブイ」
イーブイはそれを聞くと、甘ったるい鳴き声を上げた。
お前が助けを呼んでくれたのか、ありがとな。
俺はイーブイの頭を撫でながら、担当医に質問を投げかける。
「あの……。その森って、間の森で合っていますか?」
「あぁ、そうだが。どうしたんだい?」
「いえ、確認しておきたくて。……俺の記憶の手掛かりがあるかもしれない、と思ったんです」
担当医はシワをつくりながらにこやかに笑うと、筆を置いた。
「そうかい、そうかい。行動力があって素晴らしい。何事も気持ちは大事だからね。……君は、今の自分自身と向き合えて偉いよ」
「ありがとうございます。…………ただ、こんなことを言うと変かもしれませんが、俺にはこうしなくちゃいけないような……そんな使命感があるんです」
診察室の窓から入った陽射しが、俺の顔に当たる。
この眩しい光が、同時に世界を照らしていることに、感銘を受けた。
なぜその時そう思ったのかは、自分でもよく分からない。
#1
- 第三話「襲来」 ( No.45 )
- 日時: 2021/01/04 19:43
- 名前: さぼてん ◆FRQHwFT6AY (ID: ysp9jEBJ)
トヤノカミシティの中心にある、トヤノカミ中央トレーナーズスクールを少し南に行ったところに、[メイズ通り]と呼ばれる広大なショッピング街がある。
そこは“無いものは無い”とまで称されるほど、様々な専門店や施設がところ狭しと立ち並んでおり、人々が一層集まる賑やかな場所であった。
俺が当時入院していて、尚且つ定期検査で用のある病院もこの一角に滞在している。
検査が終わった俺は病院の扉を抜け、買い物袋を下げながら“鉄の箱”を出入りする人々をまじまじと見つめた。
メイズ通りでは、ポケモンを所持していない人の足となる路面電車が、表通り一帯を覆うように走行しているのだ。
楽しそうなお喋りと車輪の軋む音が行き交う。
「俺もようやく羽を伸ばせられそうだな」
軽く伸びをして、強張った体を解きほぐしながら呟く。
病院特有の雰囲気にやられたのか、無意識にも緊張していたみたいだ。
だが、深く息を吐きながらこの後の予定を思い起こすだけで、自然と口が緩んだ。
病院を出た、という理由だけじゃない。これから、エイジとソウと買い物に行くからだ。
二人と会う理由は、俺の電子端末やソウの妹さんへの誕生日プレゼントを買うためだが、正直なところそれはどうだっていい。
ショッピングではなく、友人たちと休日を過ごせる、ということが楽しみなのだ。
それもそのはず、だと思う。
記憶喪失で目覚めたと思いきや、いきなり来る決闘試合の為に、バトルの練習や勉強を朝から晩まで行ってきた。
おまけに校舎には謎の文字が刻まれ、それが事件が起こる前触れかもしれない、とまで聞かされて、もう流石に頭がいっぱいいっぱいだ。
欲を言えば夜まで二人と遊んでいたいが、実のところそうもいかない。
午後にはミナと共に、終の機関の招集に向かわなければならないからだ。
よって、正午までには買い物を終わらせる必要がある。
予定を詰め込んだ一週間前の俺を、今になって恨むことになるとは。
なんて思いながら、エイジとソウが待つ集合場所に向かうため、病院の敷地内を通っているときのこと。
からんからん、と何かが地面を転がる音と共に、上の方から若い声が響き渡った。
「いけない、やっちゃった!」
見上げると、病院の三階の窓から、緑のニット帽を被った困り顔の子どもが上半身を乗り出している。
──患者の……少年だろうか。白い入院着姿で下を覗き込んでいた。
「キミ、危ないぞ」
今にも落ちてしまいそうな体勢の少年に対して、咄嗟に声を掛ける。
俺の声を聞くと、その少年は安堵したかのように、出していた体を室内に戻した。
「あっ、えっと……お兄さん! そのボール、落としちゃって……」
少年が指差す俺の足元に一つ、モンスターボールが落ちている。
おそらく、不注意で彼が落としてしまったのだろう。
「これか、分かった。俺がそこまで持っていくよ。君、何号室だ?」
「301号室だよ。…………だけど。ねぇ、お兄さんってポケモントレーナー?」
「そうだが、どうした?」
少年は、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあさ、そこから投げ渡してよ! ひょい、って。……ポケモントレーナーなら出来るんでしょ?」
「駄目だ」
「……やだ、おねがいだよ。入院生活続きで、パパとママにはワガママ言えないんだ。だから、お兄さんぐらいは、おねがい聞いてよぉ」
少年は、少し放っておけば泣き出してしまうのではないか、と思うほどの潤んだ声を上げた。
これによって、子どもの扱いが分からない俺に残ったのは、もう彼の言うことを聞くしかない、という選択肢のみ。
投げて他所に当たれば危険ではあるが、この距離なら問題ない。しぶしぶ腹を括り、ボールを握りしめる。
──このとき、やけに手に馴染むような不思議な感覚を抱いた。
「……しょうがないな、分かったよ。ただ、ちゃんと受け止めるんだぞ」
「うん!」
少年が胸の前で手を広げたのを確認して、緩やかに投げる。
ボールは彼の体に軽く当たると跳ね返り、開いていた手に上手く収まった。
「わぁ、すごい! ちゃんとここまで届くんだ! お兄さん、どうしてこんな正確に投げられるの?」
両手でボールを大切そうに握りながらも、興奮した少年の明るい声が辺りに木霊した。
「そうだな……。ポケモントレーナーは、ポケモンを捕まえるときも、ポケモンを繰り出すときも、いつだってモンスターボールを投げる。何百回、何千回とボールを投げているんだ。そうやって毎日繰り返していれば、自然と上手くなる」
「そっかぁ……。ポケモントレーナーって、いいなあ……」
少年の声が、少しだけ物悲しそうに聞こえた。
「それ、キミのポケモン? 何のポケモンが入ってるんだ?」
そう聞くと、彼は考えこんだのち、眉を下げながら返答した。
「……えっと、ごめんなさい。これの中身は秘密なんだ。誰にも言っちゃいけない、って言われてるから。あっ、これも言っちゃダメなんだっけ。…………んと、お兄さん。ほんとにありがとね、じゃあね」
少年は早口でそこまで言うな否や、手を振ってカーテンをサッと閉めた。
──ここに至るまで、彼は一度も俺と目を合わせようとしなかった。それは一体、何故だろうか。
俺は呆然と病院の窓を見つめながら、ふと、そんなことを思った。
*
「イツキさん。改めて、決闘試合の代表入り、おめでとうございます!」
「おめでとう、イツキ」
「ああ、ありがとな。お前たちが手伝ってくれたおかげだよ。ここは俺の奢りだから、気にせず食べてくれ」
買い物を終え、エイジとソウと一緒に少し早めの昼食を取る。
メイズ通りの路地裏にある小さなカフェだが、味はやみつきになるほど絶品で、ここを選んで正解だったみたいだ。
二階のテラス席からは、連なる建物の隙間を縫って遠くの運河を垣間見ることもでき、一息つくには丁度良い。
夏本番も近づき、蒸し暑くなってきているため、時折りどこからか流れてくる風が心地よく感じた。
そんな景色と休日のひと時に酔いしれているとき、何度も聞いた定型文が、突然俺の耳に入ってくる。
「そろそろ教えてくださいよー。どうやって勝ったんですか?」
「…………」
エイジの質問だ。
彼はどうやってリンに勝ったのか、ということを訊いているのだろう。
エイジは会うたびに詳細を尋ねてくるが、俺はその答えを未だに伝えていなかった。
それもそうだろう。厳密には勝ったわけではないのだから。
「……何回も言っているが、運が良かっただけだ。偶然勝つことが出来た、としか言いようがない」
「勝ちに至るまでの経緯が知りたいんですよー。決め手となった技とか、色々と教えてくださいよ!」
彼が純粋無垢に瞳を輝かせ、問いかけて来る姿勢を適当にあしらうのは少々胸が痛い。
しかし、俺にはこうやって曖昧にやり過ごす対応法しか思い浮かばなかった。
よって、この話を終わらせるためにいつも行っている方法を実行する。
「それよりさ、エイジ。俺が買った電子端末の機能、色々と教えてくれよ。一番物知りのお前が頼りなんだ」
「……もう、しょうがないですね」
エイジの扱いは簡単だった。
彼の自尊心をくすぐるような得意分野への質問によって、あからさまな話題の変更でもなぜか上手くいく。
エイジには悪いとは思うが、毎回このように切り抜けられるのだ。
俺は、先ほどデパートで購入した電子端末をエイジに手渡し、説明を促した。
「……ええっと。まずこれが、チャット機能と通話機能。連絡やメッセージのやり取りが出来ます。こっちは、映像や写真としての記録機能。自身のポケモンを撮影したり、バトルの様子もビデオとして撮っておくことが出来ます」
エイジは画面を素早くタッチしながら、表示されたアイコンの解説をする。
「あと、これがタウンマップ表示。この辺りの地理や施設の詳細が載っています。そして、その隣がポケモン図鑑機能。捕まえたポケモンの細かい説明や、生息分布等が記されています。他にも、モンスターボールと連携することで、手持ちポケモンの状態や技の確認をする、なんてことも可能です。……まだまだいろんな機能がありますが、重要なのはこのくらいでしょうか」
「へぇ、色々あるんだな……」
聞く限りでは、電子端末はポケモントレーナーにとって必須のアイテムだろう。
ポケモンを持たない人にとっても、これほど便利なものは無いと思う。
二人で端末の画面を注視していると、横にいるソウがフォークを皿に置いた。
「……そう言えば、元々イツキが持っていた端末はどこにいったんだろうか。覚えてないんだろ?」
「ああ、一切記憶にないんだ。情報や記録も少なからず残っているだろうし、見つけられるなら見つけたいんだけどな……」
俺が低く唸り声をあげると、ソウは普通の表情で言葉を返した。
「電話は掛けてみた? イツキの前の端末へ。もし誰かが拾っているなら、出てくれるかもしれないし」
「あ、そうか……」
俺とエイジが顔を見合わせる。
あまりにも単純で思いもよらない方法に、なぜ今まで思いつかなかったのかと目を丸くした。
「では、イツキさんは前の電話番号を憶えていないでしょうし、ボクが掛けてみますね」
エイジはそう言うと、端末を耳に当てしばらく待ったが、やがて俺たちを見ながら首を振った。
「……駄目ですね、出ません。一応、呼び出し音は鳴るんですけどね」
「そうか。まぁ、新しい電子端末も変えたことだし、前のは見つかればラッキーというスタンスでいることにするよ。……今日は買い物に付き合ってくれてありがとな」
俺がエイジとソウを見ながら言うと、二人は順に喋り出した。
「こちらこそ、昼食ご馳走様でした」
「俺の方もご馳走様。……それに、妹へのプレゼントも一緒に悩んでくれてありがとう」
ソウはデパートの買い物袋を指で示す。中に入っているのは、少々値が張る洋服だ。
「ああ、喜んでくれるといいけどな。……俺たち男三人の感性じゃ、妹さんの好みに合わないかもしれないから」
俺の発言にエイジも頷くが、ソウは首を横に振った。
「いや、きっと喜んでくれるさ。渡すのが楽しみだよ」
洋服に移した彼の眼差しは、まるで慈母のように繊細で優しく、そのうえ温かかった。
なら良かったと返すと、ソウは思い出したかのように時計を見た。
「……っと。イツキ、時間は大丈夫かい? 午後から終の機関に行くんだろう?」
慌てて俺も時間を確認する。
急ぐ必要はなさそうだが、そろそろここを出た方が良さそうだ。
「そうだな、俺はもう行くことにするよ。……二人はどうする?」
残っていた料理を口に運びながら訊く。
「ボクたちはもう少しだけ、ここで時間を潰すことにします。電車の発車時刻まで、まだ時間があるので」
「ん……? ここからトレーナーズスクールまでそれほど距離は無いだろ? 電車に乗って、どこか行くのか?」
二人は徒歩でここまで来たはずだ。
不思議に思いながら尋ねると、次はソウが口を開いた。
「ああ、街の大図書館に行くんだ。あそこだと、学校の図書室よりも沢山の本が置いてあるから、お目当てのものがあるかもしれないと思って。エイジも読書が好きだから、午後から行こうと約束してたんだ」
「そうなのか。何か探している本があるのか?」
「“トヤノカミ神話”の本さ。俺はそういう類のものが好きで、よく調べているんだ。……まぁでも、俺の生まれはここじゃないから、トヤノカミシティにも代々伝わる神話があることを、最近知ったばかりなんだけど」
これを聞いたときどういうわけか、俺は全身を這いずるような不安に駆られた。
だがそれもすぐに消え去る。彼らの期待が膨らむ朗らかな顔を見て、ただの杞憂だと思ったからだ。
「そうか。じゃあ二人とも、楽しんでこいよ。……今日は良い時間を過ごせたよ。またな」
二人の別れの挨拶を聞き終えたあと、料理の代金を支払い店を出る。
そのままゴーゴートを繰り出すと、メイズ通りを後にした。
*
陽が空の真上に差し掛かった頃。
俺は寮の脇にあるシンボルツリーにもたれ掛かり、ミナを待っていた。
「流石に暑いな……」
終の機関に行く、ということで戦闘服に着替えたはいいものの、上下黒のせいかなかなかに熱を持つ。
おまけにこれまた黒のコートを羽織っているため、夏場の格好としては最悪と言っていい。
半袖仕様は無いのだろうか、なんて思いながらイーブイとじゃれ合っていると、見覚えのある人影が視野に入る。
「イツキ君、ごめんなさい。また待たせちゃったね」
足早に駆け寄るミナも、同じく終の機関の団員服に着替えていた。
俺との違いは、ズボンがスカートになったくらいだろうか。
「いや、俺も今来たところだ。……それより、これ」
俺はそう言って、黄色いヘアピンをミナに差し出した。
デパートに行ったついでに、ミナが欲しいと言っていたファッションアイテムを購入していたのだ。
「え、ウソ……! …………い、いいの?」
彼女は困惑したように尋ねてきたが、俺は当然のように首を縦に振った。
「もちろんだ。ミナにはバトルの練習に付き合ってもらって、本当に感謝している。高いものじゃないが、ミナに似合うと思って選んだから受け取ってくれ」
彼女は顔を赤くして受け取ると、背中を向けて、さっそく自身の髪に取り付けた。
そうして、ひらりとこちらに向き直した後の彼女の笑顔は、少しだけ恥ずかしそうに見えた。
「ありがとう、イツキ君。……これ、宝物にするから」
ミナは、俺の目をじっと見ながら言いきったと思いきや、視線をすぐに逸らした。
「ああ。喜んでくれたなら良かったよ。……じゃあ、行こうか」
俺の発言に頷くと、ミナはモンスターボールを投げる。
低い咆哮と共に出てきたのは“リザードン”だ。
一対の大きな翼を持ち、長い尾の先には猛る炎が揺らめいている。
濃いオレンジの体はこれでもかというほど引き締まっており、彼女が育てたポケモンであると一目で分かった。
威圧さえ感じるリザードンに見惚れていると、ミナが口を開ける。
「終の機関へは、空を飛んで行こうと思ってるから。イツキ君もピジョンを出して」
「ピジョンか……、分かった」
俺はイーブイと入れ違いに、ボールからピジョンを繰り出す。
茶色い体毛を持った、比較的小型の鳥ポケモンが姿を見せる。
ミナはそれを見届けるとリザードンに乗り込み、明るい声を上げた。
「よし、出発だね!」
翼を羽ばたかせて上昇し始めるリザードン。その光景を見て、俺は咄嗟に声を掛ける。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はどう乗ればいいんだ?」
隣で姿勢よく命令を待つピジョンを指差す。
と言うのも、俺がピジョンの上に乗るには少し面積が足りないのだ。
この小さな体の上にどう乗ればいいのだろうか。当然の疑問がこぼれ出る。
対してミナは、こみ上げてくる笑いを押し殺そうと必死な様子だ。
「えっと……、乗るんじゃなくて、持ち上げてもらうの」
「ほ、本当か?」
「うん、イツキ君はいつもそうやって空を飛んでたよ。…………あの、ごめん。とぼけたように言うから、面白くって」
俺だって、これが冗談ならどんなに良いことか。
少し不貞腐れつつも、言われた通りピジョンに指示する。
ピジョンは俺の背中を両足で軽々掴むと、そのまま上昇した。
「ね、言ったとおりでしょ?」
「そうだがなぁ……」
空に上がったにも関わらず、若干不格好な飛び方に羞恥を覚える。
鷲掴みにされたこの姿は、さながらピジョンの餌のようだった。
それを察してかどうかは分からないが、ミナは一転して真剣な表情で呟く。
──空を飛ぶイツキ君、まるで天使の翼を持ってるみたいだね、と。
#2
- その他の登場人物(第一章) ( No.46 )
- 日時: 2021/02/15 22:50
- 名前: さぼてん ◆FRQHwFT6AY (ID: ysp9jEBJ)
【その他の登場人物(第一章)】
※話の展開に応じて更新していくので、ネタバレを気にされる方は注意してください※
※登場順で並んでいます※
▼301号室の入院患者
緑のニット帽を被り、白い病衣を着用。
メイズ通りにある病院にて、長い間入院している。
・手持ちポケモン/???