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*23*
僕が人生で初めて一目ぼれをしたのは中学の入学式の時だった。
柔らかな栗色の髪に、触れたら壊れてしまうシャボン玉のように張り詰めた瞳、形の整った顔に申し訳程度にある小さなピンク色の唇。
きっと心奪われたのは僕だけではないだろう。隣の男子だって、その隣の男子だってみんな彼女を見つめ惚けていた。周りの視線を集めたくなくても集めてしまう、名前も知らない彼女のことを、僕は咄嗟にこれからたくさん苦労するんだろうなあと感じていた。もしかしたら、もう今までにも苦労しているかもしれない。彼女は確かに美人だったが、誰かに支えて貰わなくては立てないような雰囲気を纏っていた。守らなければ壊れてしまうのではないかと思わせてしまうような感じだ。本当に彼女自身、立てないのかどうかわからない。もしかしたら、本当は立てるのに立てない振りをしているだけかもしれないとも思った。
僕の中で衝撃的な出会いをした彼女との接点は悲しくなるぐらい一切なかった。
彼女は六組で僕は一組。階も違うから、物凄い美女が一組にいるというぐらいしか耳に入ってこなかったのである。
しかし、これから徐々に彼女の噂は悪くなっていった。どうやら男をとっかえひっかえし、授業もまともに出ておらず、ほとんど欠席するらしい。みんな、彼女の第一印象がよかっただけに、一気によそよそしくなっていった。二年生に上がるころ、久しぶりに廊下ですれ違った彼女は、入学式の彼女とは別人だった。
金髪に染められた髪に、濃い化粧、パンツが見えそうな丈のスカート、なるほど、これが俗に言う不良なのか。
確かに僕は自分の目を疑ったが、なぜか僕が一目ぼれをした彼女に間違いはないと思った。いくら姿かたちが変わっても、彼女が纏う雰囲気は全く変わっていなかったのだ。誰かに支えて貰わなくては立てないような、あの雰囲気だけは。
ただ廊下ですれ違っただけだが、一度目に似た衝撃は二度目にでも感じてしまったのだ。
幼稚園の時から好きになるのはずっと女の子だったし、興味があるのも女の子だった。思い出せるのは、「僕は男の子よりも女の子の方が好き」という感情だけで、それを周りに言った記憶はない。もしかしたら言いふらしたのかもしれないけれど、言いふらしたところでそれがどういう意味なのか、あの時の僕達は全くわからなかったと思う。
小学校四年生の時、男の子と女の子の体の変化のビデオを見た。誰しもが一度は経験しているだろう。
男の子はこれから声変わりをし、筋肉量が多くなり、射精をするようになる。女の子はこれから丸みを帯びてきて、柔らかくなり、胸も発達し、月経をするようになる、男の子は女の子を好きになるし、女の子は男の子を好きになるとビデオの中にいる女の人の無機質な声がそう言っていた。
僕が所属する仲良しグループで恋話になったことがある。どうして恋話の流れになったのかは覚えていない。女の子同士の会話なんてそんなものだ。
「涼ちゃんはどうなの?」とリーダー格の子に話を振られるけれど僕は正直、質問の意図がわからなかった。彼女達が一生懸命話題にしているのは、異性のことで同性ではない。それでは、彼女達の恋愛対象は異性なのか? 僕はどうだ? 僕は――異性じゃない。今、輪になって話をしている女の子のなかにいる恵子ちゃんだ。恵子ちゃんは、グループの中でも大人しい子で、あまり前に出て話をするようなタイプではない。おしとやかで、どこか影がある恵子ちゃんのことが気になっていた。恵子ちゃんは、僕に振られた話を興味がないという風に、そっぽを向いている。「ねえどうなの、教えてよ」と懸命に聞きだそうとしているリーダー格の口から出てくるのは全て異性の名前だった。僕は僕の目の前にいる恵子ちゃんだとは、答えられなかった。答えてしまえば、僕はその瞬間、目の前にいる女の子達に白い目で見られるのを、小学四年生までの経験や記憶を総動員して悟ったからだ。
彼女達と僕にある決定的な溝みたいなものを感じてしまった僕は、何とも言えない表情で曖昧に笑うしかない。ずっとそんなもんだから、段々と仲間はずれにされる格好の餌食となってしまった。
恵子ちゃんもそのメンバーの一人だった。僕は、告白をしてもいないのにひどい振られ方をした気分だった。
周りと自分とのギャップに全然心が処理しきれていなかった。
この世には男の子が女の子を、女の子が男の子を好きになるというのが当り前だと周りはみんな言っていた。その枠に入りきっていない僕は、じゃあこの世のものではないのか、と心底悩んだ。
僕は家が忙しいから、常に伯父さんのスポーツジムに遊びに行っていた。その関係で、男の人の汗の臭いに慣れ、男の人の半裸は見慣れ、体重が体のどこから落ちていくのか、どこから増えていくのかわかるようになってしまった。もう彼らを異性として見ることはできなかった。女の子のほうがとても魅力的で美しいと思うようになった。だけど、女の子を好きなだけで、自分が男になりたいとは毛ほども思わない。ここが性同一性障害とは違うところ。
僕が幼少期に育てられたこの環境は、インストラクターの目を養うばかりか、思わぬ副産物を産んでしまったのだ。
二年生になっても彼女の悪い噂は消えることなく、接点を持つこともなかった。まずクラスが違うから階も違うし、どうやったってお近づきになんかなれない。しかしだからといって、この状況を嘆き、なんとかしようとも思わなかった。普通では考えられない関係を彼女に要求するなんて自殺行為だ。もし神様が天から舞い降りて「あなたの願いを叶えてあげよう」と言ってきても「そんなこと神様でも出来るわけがない」と追い払ってしまうくらい、ありえないと思った。僕のこの想いが知られたあかつきには「きもーい」と一蹴されていじめられるのが関の山だ。
だから、僕は影ながら彼女のことを想っていた。それでいいと思ったのだ。彼女に僕の想いを知られてしまう方が、嫌だった。
しかし、それは起こってしまった。いや、起こるべくして起こったのだと、今にはっては思う。全ては必然だったのだ。
三年生、僕は彼女とようやく一緒のクラスになった。しかし、同じクラスになったのにも関わらず、彼女と会うことはほとんどなかった。彼女の方が無断遅刻や欠席が多く、学校にいること自体が珍しかったからである。
二学期が始まってすぐだったような気がする。