コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
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- の甼
- 日時: 2017/07/22 00:39
- 名前: Garnet (ID: z/hwH3to)
Welcome to ???street.
Nickname is,"KUMACHI"
Their birthday...4th May 2016
To start writing...7th May 2016
(Contents>>)
【Citizen】(読み仮名・敬称略。登場人物の括弧内は誕生日)
●上総 ほたる (5/4)
●氷渡 流星 (12/23)
●佐久間 佑樹
●柳津 幸枝
○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
☆ ただいまスレ移動措置に伴い、スレッドをロックしております。 ☆
☆ 『 の甼』は、新コメライ板へお引っ越しする予定です。 ☆
*
──────強く、なりたい
- Re: の甼 ( No.26 )
- 日時: 2016/11/10 20:14
- 名前: Garnet (ID: w32H.V4h)
ときどわたしは、どうしてこの場所にいるんだろうと思う。彼の隣に、母の娘に、この家に、この町に、この国に、この星に、この宇宙に。どうして人間として生きているんだろう。
ほかの場所でもよかったはず。ほかの生き方でも良かったはず。それでもわたしはこの運命を選んだ。いつ解れて、千切れてしまうかわからないこの運命を。端からほどけかけていた脆い綱を、あの人は今この瞬間、しっかりとその手で繋ぎ留めてくれたんだ。涙が、とまらない。
彼の名をふと口にする。
薄い涙の味に混じって、儚く今にも消えてしまいそうな、それでいて美しすぎる名前が、情けないわたしの声に絡み付いて離れなかった。
「ほたるさん、君を呼び捨てられないのには、もうひとつ、別のワケがあるんだ」
聞こえるはずのない声を、はっきりと鼓膜が捉えてしまったのは、これまた運命なのでしょうか。自らの意思だったのでしょうか。
「その名前、偽物なんだよね」
気がついていたかな。わたしは何度も、あなたを呼び捨てていたんだよ。
狸寝入りに気づいたのかもしれないあなたは、祖母の呼ぶ声に弾かれるように畳を蹴り上げて出ていった。
良くも悪くも、わたしは嘘が巧くない。そのせいで、もう何人の心を傷つけたのだろう。
誰もいなくなったこの部屋の温度が、きっと3度くらいは落ちたと思う。その温度分があなたなのだと考えたら、理由のわからない生ぬるい涙が、こめかみに重なりあうようにして滴り落ちていくのがよくわかった。
「わたしは、大好きな人を、流星くんを、大切な人たちを最後まで守りたい……」
訴えかけるように言葉を紡ぎながら、重い身体をゆっくりと、起こす。
だめじゃない、上総ほたる。泣いたって、どうにもならないんだから。
首から提げた、細いチェーンに引っ掛かる金色の指輪を両手に包み込み、目を閉じた。
わたしは昔から、泣いてばかりいる。だからせめて、流星くんの前では決して涙を流すまいと努力してきた。弱いわたしから生まれ変わりたい、強くなりたい。その一心で。
「どうか、力を貸してくださりませんか」
明陽の者たちを見守り続けてくれていた、神様。
どうか、ふたつの町に、愛を。ご加護を。
第三章『ライアー・ボーイ』
「えっ、こ、こ、コロッケ?」
2番目にお風呂をいただいて、まだわずかに乾ききらない毛先をタオルで押さえながら居間に向かうと。流星くんが、おばあちゃんと一緒に、食卓に美味しそうな料理を並べていた。その中には、ついこの間見たばかりのような気がする、おばあちゃん特製の焼きコロッケも入っていたのだ。かなりの和食嗜好な彼女が、こう短いスパンでまたコロッケを作ったということにびっくりしている。
そして同時に、呑気に長風呂してしまったなと申し訳ない気持ちになってきた。入浴剤や給湯器の機種が実家のものと同じだからか、ついつい安心してのんびりしてしまったから。
「どうしたの、またコロッケ作ったの?」
「ぼっちゃんが教えて欲しいと言うもんでね。丁度材料も揃っておったし」
だぼだぼな御古のパジャマの袖をまくり直し、3人分のグラスと湯呑に飲み物を注ぎながら訊ねると、彼女は意味ありげに微笑みながらそう答えた。その意味がわからずに変な眉のしかめ方をしながら首を傾げる。わたしの知らないところで、何かがあったみたい。
「お母さんが揚げ物嫌がるんだ。だから、油が少なくても出来るやり方を知りたくて。この間ご馳走になったのがすごく美味しかったんだよ」
最後の皿にサラダを盛りながら、一番風呂を10分で終えた、見事にサイズぴったりな部屋着姿の彼が嬉しそうに言う。お母さんと喧嘩をしたのかなと察してはいたけど、この様子なら随分落ち着いたんじゃないだろうか。
おばあちゃんがわたしの背中を優しく叩いて、向かいでパイプの折り畳み椅子を広げた。わたしは、いつも彼女が使う木の椅子に座る。その隣で流星くんが座るのは、生前におじいちゃんが使っていた、おばあちゃんのよりも少し大きな椅子だ。
流星くんの横顔が薄ぼんやりと、遠い記憶のおじいちゃんの輪郭に重なる。7年前まで、彼は確かにここに生きていたのだということ。今、その彼は本当に亡くなっているのだということを、痛く実感させられたような気がした。
「いただきます」
3人で手を合わせて、少し重いお箸を手にした。合図もしていないのにぴったり挨拶が揃って、ちょっとだけ可笑しくなった。
さっきまで乏しかった食欲が、3人でテーブルを囲んだ瞬間に、柔らかい風船みたいに膨らんでいくのが不思議。大好きな人たちと一緒に食事が出来ることが、こんなに幸せなことだったんだと、久しぶりに思い知らされている。無力感と幸福感は紙一重だ。
……お母さんと、お父さんと、また、3人でこうやってご飯を食べたい。おばあちゃんたちといるのも楽しいけど、ふたりに、会いたい。流星くんがつくってくれたコロッケをゆっくりゆっくり咀嚼していたら、思わず瞼が熱をもって、泣いてしまいそうになった。
それに気づいた彼に「ごめん、不味かった?」と心配されてしまったので、わたしは、首がねじれそうになるくらいの勢いで髪をぶんぶんと揺らし、
「そんなことないよ! 今まで食べたどんなものより、美味しい!」
そう言って、涙なんかに負けないくらいに、笑いました。
- Re: の甼 ( No.27 )
- 日時: 2016/11/10 20:13
- 名前: Garnet (ID: w32H.V4h)
すっかり冬らしくなった今日も、透明な夜空で、お星さまたちは風前の灯というように揺れて夢幻的な景色を作り出していた。
生憎わたしは星座にはとんと詳しくなくて、理科の授業で習うような最低限のものしかわからない。今も、オリオン座とやらは何処に浮かんでいるんだろうと、暗闇の中に好き放題殴り書きしている最中だ。
隣の部屋でも、彼の空を見上げている気配がする。少しだけ窓を開けているらしく、時折わたしたちを隔てる襖がかたかたと音を立て、冷気が足元で無遠慮にさざ波を立てている。
寒いとは思うけど、窓を閉めるように要求するつもりはない。頭が冷えて、何事に対しても冷静に思考を働かせられる気がするから。同じ理由で、冬という季節自体も、夏よりはずっと好きだ。
そんなことを考えていたら、庭の向こうの、まだ電気が点いて明るい一軒家の窓際にいる人と目があったような気がして、考える間もなく、自分を隠すようにカーテンの裏に飛び込んだ。時間差を作って、頬がかっと熱くなる。
何でこんなことするんだろう。
埃臭いそこに顔を埋めて、情けなくなる。びくびくしながらそっと、外を覗いてみたけれど、さっきの部屋の電気は消えて、遮光カーテンも閉めきってあった。たぶん眠ったのだろう。力ない溜め息が、部屋の中に思ったより大きく響いた。
昔からこう。いつもこう。要りもしない緊張で凝り固まって、よく周りの目を気にするし、そのせいか人と上手く接することもできない。仲良くなりたい、誤解をときたい、ふつうに生きていきたい……。その想いは人並みにあるはずなのに。
「あ…………えっと、ほたるさん、まだ起きてた?」
襖の向こう側から、彼の穏やかな声がしみだしてきて、思わず肩がはねてしまった。
「うん……。なんか、眠れなくて」
応えながら深呼吸して、くしゃくしゃに乱れた髪を直そうと、姿見に掛かった桃色の布を引いて下ろす。それと同時に、そっと窓を閉める音が聞こえた。
布が畳の上に、月明かりが銀色の表面に滑り込む。
「僕も」
後ろに声を聴きながら、鏡の中のわたしと、目を、合わせ、て、て。て?
そこで、ざわめき、せめぎ合う頭の中が、瞬間冷凍されたように働かなくなるのを感じた。意識が身体から抜け落ちてしまいそうだ。
──────目、目が、目の色が、青い。何で。何で?
がたん。
音が立つのを気にも留めず、鏡の枠に力いっぱい両手でしがみつい……てしまいそうになったところで、我に帰った。何週間か前の朝にも、洗面台の前で同じようなことをやらかしたというのに、何をまた驚いているのか。
開けるよ、と彼が続け、鏡の中で薄い壁が開いて温度差のある空気が流れ込んできた。わたしは何事もなかったかのように、猪毛のヘアブラシで大雑把に肩まで垂れる髪を整え、爪先を上手く使って回れ右をする。
振り向いた先に佇む流星くんは、いつもとは違う面持ちに見える気がする。瞳への光の入り方が、まっすぐで、迷いがない。けれど、比較的彫りの深い顔のあちこちに厚塗りの陰が重なりあって、逆に、不安が大きくにじんでいるようにも見えた。
「どうしたの?」
「……あの、話したいことがあって」
どちらともなく窓際に腰を下ろし、向かい合った。あの河原で、何度もそうしたように。
風に伸びた雲が退けて、澄んだ月明かりがわたし達をそっと包み込んでいく。
夢の中みたいだと思った。ついこの間まで、夕焼けに染まる世界に閉じ込められていた"わたし"が、真珠色の月光も浴びることができるようになったのだから。
「途切れとぎれになってでもしてくれた、幸枝さんの話を聴いてて、思ったんだ。これは、今、僕らがやらなくちゃならないことなんだって。そうに違いないって。今を逃したら、また同じことが繰り返されると思うんだ」
「……流星くん」
思い出す。たくさんの色。
生まれ持った色、家族の色、初めて目にした色、心惹かれた色、ふたりだけの色、苦しい色、切ない色、ずっと前から背負っていた色。
わたしの世界の色が、鮮やかに、豊かになったのは。間違いなく、あなたに出逢ってから。
「ねえ、ほたる」
ああ、流星くんなら、どんな星座も一瞬で見つけちゃうんだろうな。
「夜が明けたら、ふたりだけで明陽に行こうか」
- Re: の甼 ( No.28 )
- 日時: 2016/11/16 19:15
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
やっほう。やっと来れました。いつもお世話になってます。感想、遅くなって本当にごめんね。
まず。……文章が素敵。私はすごく会話文が苦手で、がねさんの文章にすごく憧れます。会話がまるで流れるように綺麗。自然な感じ。
地の文自体もすごく素敵で、人物の心情がとてもよくわかる。章の終わり方も、謎をさんざん散りばめて散りばめて、不思議なところで終わらせてゆくから、続きが気になって仕方ない。はやく(・_・)
緑から青。はじめはほたるちゃんの目のことかな、と思ったんだけれども、緑はおばあちゃんのことだったのか。だって、緑色を青色だって言うし、そうでも全然不思議じゃないなって。瞳の色がキーになっているのかな。青い目だなんて、羨ましい(・_・)
コメライにしては少し暗い内容かな、とも思った。けれども文章はどちらかといえば軽い感じだし、最終的にはライトかな、と思いました。再度言うけれどもがねさんは言葉選びが上手。まるで星みたい。
村のお話。随分と壮大で、時代背景とかもよく練られてる。もしかして、歴史好き? そうじゃなくっても、きちんとそういうのを調べて書いているのってすごいことだと思う。
ほたるちゃんが本当の名前ではないということは、とてもびっくりした。え、えええええええ??? となりました。本当、伏線の貼り方が……やばい(語彙力) 本当の名前が明かされる日を待っています。
思ったよりもこの作品、長かった笑 それでも、すらすら読めて苦痛を感じませんでした。さすがベテランさんだ。精進して参ります。
最後に。甼、という題名が気になって調べてみたら、まち。市街。まち。ちょう、と出てきたので、ああ、なるほど、と思いました。そんな言葉、知らなかった……(悔しがる)
題名の意味を知ってから読み返すと、また違った味わいが出てくるような、そうでもないような。
もう、素敵な作品、これからも読み続けたい作品、としか言えないほどに素敵な作品です。これからも、一読者として応援しています。頑張れ!
- Re: の甼 ( No.29 )
- 日時: 2016/11/18 18:46
- 名前: Garnet (ID: tQGVa0No)
>りんしゃん様
(りんりん様にしようかと迷ったのはここだけの話)
やっほうりんしゃん!
こちらこそ、いつもありがとう。
りんしゃんからの感想を読み終わったら、感激で泣きそうになりました……来てくれてほんとにありがとう(号泣)
具体的に色んなところを褒めてくれて、がねさんめためた嬉しい……【スヤァの絵文字】
ただベテランではないのでね! そこは! わたしから訂正を!!
これでもカキコはまだ2年目っす、おっす!
地の文や物語の構成を褒められることなんて滅多にないのであせあせしてまし。読者さん目線では伏線の張り方がどう映ってるのかな〜?とも気になっていたので、そう言ってもらえてとてもはっぴーよ!
段々ほたる視点の書き方にも慣れてきたので、できる限りばりばり進めてきますW
彼女の本当の名前も明らかになりますので……。
会話文は、今は苦手ではないなという自覚はあるのだけど、昔は結構自分で読み返すと何か変だなあってなってました。回数重ねて何とかなってる感じ。だからりんしゃんも得意になれるはず!ふぁいっ!
碧眼良いですよね。
国や地域によっては、青い目をセクシーに思う方々もいるらしいと聞いて最初は意味がよくわからなかったんだけど、ここ数ヵ月、わかるようになってきた気がするようなしないような。
お察しの通り、瞳の色はちょっぴりキーになってます。
それぞれの章のタイトルも、完結後にもう一度見てみると、また違った意味に感じられるかも。
歴史はね、好きなんだけど得意じゃない。特に日本史は。()
平安〜鎌倉、WWⅡ(って書くんだっけ?)前後は比較的覚えられるし、学ぶのも好きよ。因みにわたしは、日本史より世界史派です。 りんしゃんはどっち?
時代背景の設定、思ったよりも難しかったから、うまくできたみたいで安心しました。
確かにこの話って薄暗いよね(笑)
コメライの小説達や作者さんって、ハイハイみんなハッピー!朝だよ起きてー!外が明るい!!カンカンカン!なイメージだから、ときどき肩身が狭い思いをします……。だからこそと言っては何だけど、書き味(?)はさくさく軽めに、登場人物や読者さんの幸せを祈りながら執筆を続けているので、それをわかってくれる方が増えたらなあなんて、願ってたりして。
ダークとかファジーに根を下ろしちゃうと、それと全く逆のことをしてしまいそうだからコメライが今のところの我が家です。コメライから家出したら、登場人物たちをばんばん殺してしまいます。自称うちの子好き好き創作マンだから、できる限りそれは避けたいですね(苦笑)
題名について。
読んでくれてる人がほとんど「"甼"って何だ??」ってなるので、作者としては密かに微笑みます。そして調べてくれる人にはさらに好意を抱きます。現在カキコに投稿している物語の中でもかなり気に入っている題名であり、そこに注目してくれるのはとても嬉しい。
詳しいことは本編完結後に、あとがきにて記載しますが、言ってしまえば、本作においては町≒甼となります。
みち、とも読むそうです。
空欄部分は空欄のままか、それとも文字が入るか。甼、という字はどう解釈するか。これから、ほたると流星たちを見て、是非想像してみてください。
手のこんだ手抜きとかは言わないで……【スヤァの絵文字】
本当はりんしゃんの言葉にいちいち返事を書いていきたいくらいの勢いなんだけど、それやるとただのうざい人になっちゃいそうだから抑えておきます(笑)
それでも本当に嬉しいコメントだってことに変わりはありません。
ありがとうございました!
これからも頑張ります!
そちらへの突撃準備も着々と進めてるから、ちょっと待っててね( ^ω^ )←
- Re: の甼 ( No.30 )
- 日時: 2016/11/20 20:10
- 名前: Garnet (ID: ubqL4C4c)
この夜以外で、彼がわたしを「ほたる」と呼び捨てたことは、後にも先にも一切なかった。それは彼なりの意志の表明で、たくさんの想いが混ざり合ったものなんだろう。
いつか、遠い未来でも良いから、わたしの本当の名前を呼んでほしい。そうしたら、わたしはその名で生きていく。きっと、生きていけると思う。
午前5時もまえの、早朝。まだ朝日さえ昇らない、夜と同じ暗がりの中、目覚めに吐いたあくびが白く淡く広がっていくのが見えた。隣の部屋から物音がして、それを合図にわたしもなるべく早く、静かに支度を始める。
──今日、わたし達は、ここからずっと西の、山のほうにある明陽町に行く。昨晩、わたしと流星くんとで話し合い、ふたりの手持ちのお金で、何とか月美と明陽を今日中で往復できるという結論を叩き出した。わたしのお金に関しては、今までおばあちゃんからもらったお小遣いやお年玉だけ、このお屋敷のある場所にきちんと隠しているという習慣があるから心配はない。
歯磨きやお手洗いを済ませたあと、パジャマから、この前おばあちゃんに買ってもらったニットのワンピースに着替え、黒いコートに腕を通した。さすがにマフラーや手袋は調達できなくて、家を出てからコンビニででも買うことになった。それまでは流星くんが貸してくれるというから、つくづく優しい人だ。
ひとりで微笑みながら、布団を押し入れに戻していたら、大事なことを忘れていたのに気がついて、一瞬だけ背筋がひやりとした。
「あ、流星くん、着替えは大丈夫なの?」
ふすま越しに訊ねながら、何も考えずに開けたりしなくて良かったと、心底ほっとした。たとえ上半身でも、露にされた肌を見てしまうなんて、わたしが耐えられそうにない。それは決して、気持ち悪いとかいう意味ではなくて。
「中庭に干してあった、昨日着てた服が何とか乾いたから大丈夫。コートと荷物も、昨日、こっそりこっちに持ってきていたから」
「わかった。じゃあわたしは、自分のお金を取ってくるね」
彼の返答に改めて安堵のため息を吐いてから、足音を殺して向かう先は仏間。
いつにも増して沈黙を厚く纏うそこに、まるで、本当におじいちゃんが待っているみたいな気配を感じた。
ここに来て、紫紺色の座布団に正座すると、わたしの中にいつの間にか積もってしまった埃が、きれいにはらわれるような感覚になる。けがれはすべて、透明な光に浄化されて消えていく。
「おじいちゃん、おはよう。わたしはこれから、行かなくてはならない場所があります。……ここにもう一度帰ってこられるかはわかりません。でもこれは、おじいちゃんは勿論、おばあちゃんや、お母さんやお父さん、そしてご先祖様、今のわたしを支えてくれている流星くんの為でもあるの。だから…………見守っていて、くれませんか」
りんの音の残響と、いつ消えてもおかしくないように瞬くお線香の灯りに、意識のすべてを繋げて、祈る。
「ねえ、おじいちゃんは」
「わたしが何者なのか、全部知っていたの?」
———知っていたよ。君は、幸枝と私の、大切な孫娘だからな。
段々と力強くなるりんの音と、鮮明なおじいちゃんの声に、かたく閉じていた目蓋を思わず開くと。
さっきまでいた寝室の前の廊下に、いつのまにか立ちすくんでいた。
「………………あれ?」
反射的に吐き出した言葉と一緒に、白い息が、テディベアからほどけたリボンみたいに宙を舞う。
さっきまで必死に何かを念じていたような、祈っていたような気がするのに、記憶が混線して、思い出そうとする度に、古いネオンサインのうなる不快な音が、耳元でじりじりと響く。耳鳴り以上に厄介だ。こんなことは、たぶん初めてなんじゃないだろうか。
「わたしは……何を、」
一体どうしたものなのかと、ひとり困惑していると、ここから少し奥の部屋の扉ががらりと開いた。流星くんだ。
「持ってきた?」と訊こうとしたらしい言葉が3文字しか声にならず、あとの2文字は沈黙に呑み込まれて、彼の柔らかい笑みがふと消えて。
「ほたるさん、いつもその服着てるけど、大丈夫?」
「え?」
「いくらなんでも寒いんじゃないかと思って……」
急に言われたその言葉を理解するのに、20秒くらい時間がかかった。そうか、この人には"そう"見えるのか。
あんまりわたしが動かないものだから、彼が怪訝な顔をして、恐る恐る近づいてくる。手を伸ばせば触れられるところまで彼がやってきたとき、さっきから両手に感じていた重みがお金の入った巾着袋なのだと気づき、コートのポケットにしまってから「ちょっと来て」彼の手を引いて、昨夜の姿見の前に連れていった。質問に答えず、更にはほぼ無言で引っ張られたのだから当たり前だろうけど、珍しく困惑の表情を浮かべつつ、流星くんはわたしの隣に立ってくれた。
「流星くん、鏡の中を、よく見ていて」
「……ああ、うん」
ちゃんと頷いたのをこの目で確かめてから、わたしは再び、桃色の布を引き下ろす。次の瞬間、鏡の中を覗きこむ彼の顔色が、みるみるうちに白く変わっていくのがわかった。
「え?何で?」
鏡に映り込むわたしと"ホンモノ"のわたしを見比べながら、眉を寄せたり歪ませている。
そのうち気付くだろうと思って何も言わずにいたのが、吉とは出なかったらしい。もっと早く仕掛けてしまえばよかった。
無意識に苦笑してしまいながら、彼のほうに身体を向け、思いきって言ってみることにした。
「間違い探し!おかしいところはどーこだ」
「は?」
期待していた答えとはあさっての方向に飛ばされた台詞に、ふざけていると思われたらしい。わたしの顔が映る目が、点になっている。
「いいから言って!」
わたしは極めて真剣にきいているのだと、目で訴える。
その数秒後、彼のほうから視線を逸らされた。頭を少しわざとらしく掻きながら、渋々答えを言い出す小さな声を、聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「わかったよ……。えっと、まず服が違う。ほたるさんは白いワンピースのはずなのに、鏡の中のほたるさんはニットのワンピースに冬物のコートをちゃんと着てる」
「正解。……もう、ひとつは?」
「え?」
はっと彼がわたしのほうを向いた。言っても平気なの?という心の声がそのまま聴こえてくるけど、何も聴こえないふりをする。ただ微笑んで、待ち続ける。
"上総ほたる"になってから、時々、あくまでも時々、人の心の声が聴こえるようになっていた。何故なのかはわからない。ただ、通行人や会ったばかりの人間の心の声は決して聴こえないから、信頼関係とか時間の積み重ねなんかが影響しているんだろう。
「もうひとつ、あるはずだよ」
もう一度問いかけながらも、自分でも声が震えているのがわかるくらい、怖かった。
ちゃんとこの人は答えてくれるだろうか。なぜ違うのかと訊かれたとき、わたしはきちんとした答えを、今ここで述べられるだろうか。もしここで失敗したら、すべてが水の泡になる可能性だって、充分にある。
そうなったとしたら。わたしは有無を言わさず存在を消されて、流星くんやおばあちゃんからも、上総ほたるとして共有した記憶を剥ぎ取られてしまう。そういう危険性は、彼らと出会った頃からずっとまとわりついていた。
ああ、何でこんなときに。馬鹿ばか、ほたるの馬鹿。
今、すべてが終わるか。望みが叶ってから、思い残すことなく本来の自分の場所に帰るか。それは天が決めることであり、わたしなんかが決められることじゃない。おしまいは常に、わたしたちの背後で牙を光らせ、舌なめずりしているんだ。遠くでカラスの叫ぶ声が、この空間を細く貫いていった。
やがて、彼の中で生まれた動揺が鎮まり、一呼吸おいて、最後の答えをそっと呟く。
「瞳の色だ。鏡の中の、君の色は、緑色をしている。青い色のはずなのに」
「…………正解」