コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
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- の甼
- 日時: 2017/07/22 00:39
- 名前: Garnet (ID: z/hwH3to)
Welcome to ???street.
Nickname is,"KUMACHI"
Their birthday...4th May 2016
To start writing...7th May 2016
(Contents>>)
【Citizen】(読み仮名・敬称略。登場人物の括弧内は誕生日)
●上総 ほたる (5/4)
●氷渡 流星 (12/23)
●佐久間 佑樹
●柳津 幸枝
○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
☆ ただいまスレ移動措置に伴い、スレッドをロックしております。 ☆
☆ 『 の甼』は、新コメライ板へお引っ越しする予定です。 ☆
*
──────強く、なりたい
- Re: の甼 ( No.6 )
- 日時: 2016/09/29 13:28
- 名前: Garnet (ID: 9RGzBqtH)
「流星」
手元の本へと伏せていた目を、僕を呼ぶ声のほうへ向けた。眩しさに目を細める。
「色々、ごめんな」
昨日まで高熱に魘されていたらしい、少し大きいマスクを付けた佑樹が、席の前に立っていた。
ほとんど目元しか見えないけど、すっかり快復したみたいだ。
僕たちのほかには誰もいない教室へ、青い空との境界線を溶かすかのように、白銀の光が差し込んでくる。
「オレ、心が汚いからさ、そういう話を信じられないんだ。信じたいとは思うんだけど、何処かで馬鹿にしてしまう自分もいる。……あと…………お前の過去のこと、母さんから聞いたよ」
「な、何でっ」
そのひとことに、肩がビクリと跳ねる。
押さえていた本のページがあっという間に早送りされ、寒々しい裏表紙のみが取り残された。
「勤め先が近いのは知ってるだろ? それで、あっちの駅前のカフェで会ったんだとさ」
佑樹は、僕の過去のことを語りはしなかった。
同情ならしないでほしい。申し訳ないけど、解ったふりをされるのは癪だし、そういう目で見られるのも嫌だから。
そして何より、自分自身が情けなくなってくるから。
「そのこと、誰にも言わないでくれるなら、これからも友達でいたい」
だから、今の僕にはこんなことしか言えなかった。
「……え? あ、うん、ありがとう」
「何マジな顔してるの」
「あ、いや、うん……勿論、母さんと妹には口止めさせておいたから。でもさ、母さんに怒られちまったよ。だれがそんな大事なこと言いふらすか! ってね」
「……」
「痛感したわ、オレって、すんげー子供だなって。もうさ、大人になれる気がしない」
しん、と空気が流れるのを止めて、僕たちに絡みつく。
「いや、子供なのは僕のほうだ」
大人になりたいと思った。大人になれないと思った。
どうせなら、ずっと子供のままがいいとも思った。
押し潰した声は、俯く佑樹には届かない。
今さら気づいたけど、わざわざ走って学校に来たんだろうか。随分髪が紊れている。
それからのこと、もう冷たい空気を感じることはなかったものの、僕たちは、ほたるさんのことを一度も口にしなくなった。
気を遣いたかったのか忘れてしまいたかったのかは知らない。
このまま彼女の存在が消えてしまったらどうなるのだろうと、馬鹿なことまで考えてしまう。
昼休みの終わりごろ、朝の快晴が嘘のように、突然分厚い雲が立ち込めて霧雨が街をすっぽりと覆い隠した。
外体育で持久走が始まる予定だったから、僕としては……いや、大半がラッキーだと思っただろう。
しかしその代わりに、ここぞとばかりに保健の授業を詰め込まれる。自習時間を期待していた身としては少々残念だ。
まあ、体育館で走らされるよりはましだと思うことにする。
普段の授業とは比べ物にならないほどスカスカな板書をとりながら、紺青色のフィルターの掛かる窓の向こうを眺めようとしたけど、室内の明かりが反射してまったくと言っていいほど見えない。
ジャージ姿のみんなが異口同音に寒いと言うので、先生が暖房を付けてくれた。清掃の時間になった今も、窓は開けたくせに、変に粘ってクラスメートは消したがらない。
そういえば、もう冬みたいなものなんだよね。
「にしても、雨が降るなんて聞いてないよ……天気予報マジクソ。傘持ってきてねーし」
教室の後部に押し付けられた机たちの陰。
汚い色に濁るバケツの中に雑巾を突っ込みながら、目の前の佑樹がぼやく。
僕も雑巾を放り込んで、指先でぐるぐる渦を立てた。
小学生のとき、誰かが「洗濯機だ〜」とか言ってふざけてたっけ。
「職員室に借りに行ってももう無いだろう。さっき他のクラスの人が通りかかったとき聞こえてきたけど、あと数本しか無いって言われたって。意外とみんな、学校の物でも構わないって借りてってるらしい」
「うっわ、ひでーの。この雨、めっちゃびしょ濡れになるやつだろ?!」
「僕は折り畳み傘を常備してるから……男同士のせまーい相合い傘が嫌なら、ひとりで濡れて帰ることだ」
「ハイハイ相合い傘お願いしますー!」
怒りながら笑ってくるので、こちらまで笑いたくなってくる。
真っ黒な雑巾をつまみ上げてじょぼじょぼ言わせながら、ジャージを捲って鳥肌が立つ彼の腕に水をお見舞いしてやった。案の定喚くから面白い。
…………と。
「ちょっと男子! 騒いでないで掃除しなさいよ!!」
僕たちを含む男性陣に向け、女子高志望の学級委員の怒号が廊下まで響き渡っていく。まあ僕のことは見えてないだろう。物理的にも心理的にも。
「ほんとアイツウザい。昭和の学級委員って感じー」
「わかる、つーか昭和ってウケるなそれ」
男子か女子かわからない、小さな声が何処かから聞こえてきた。机の端から確認してみたけど、当の本人は全く気づいていない様子。
ああいう人は、事実を知ると僕みたいな人間に降格するだろう。14年間生きてきた経験上、きっとこの予想は的中する。
しかし、彼女はそんなこと認めたくないはずだ。だから僕も見ないようにしている。あの人のことを。
そんなことを思っているうちに、僕の脳裏にも人影が掠める。残像が痛い。
「佑樹、傘のなかに入れてあげられるのは、橋の前までだから」
まだ真っ白な雑巾をかたく絞って立ち上がり、机の影から離れて……僕は佑樹に無感情な声で云う。
一瞬首をかしげたその人は、何言ってんだよ、と春を泳ぐ綿雲みたいに笑った。
僕も笑っておこうと思った。
- Re: の甼 ( No.7 )
- 日時: 2016/06/13 23:57
- 名前: Garnet (ID: MHTXF2/b)
「んじゃ、ありがとな」
「ああ、また風邪引いたりするなよ」
「バカだからこれ以上引かねーわ!!」
いつもの橋の前に着いて、佑樹は黒い傘から出ていってしまった。軽く手を振って、"馬鹿"みたいに速い足で小さくなっていった。
やっぱり家まで送っていけばよかったかな。酷くなってきた降り方にそう思ったけれど、青白い靄の中へ人々は消えていた。まるでファンタジーの世界に取り残されたみたいだ。
そして僕は、意味もないのに河原へ下りる。橋の下に掛かる鉄柵の中はもちろん覗いたし、枯れ草の生え揃うこの場所を流れに添って歩いてみたりしたけど、誰もいやしない。
「もしかして、ほたるさんは本当に消えちゃうの?」
足元の萎びきったシロツメクサを眺めながら、特に何の気持ちも込めずにあふれた言葉。
それらが雨に打たれた途端、世界の音は何も聴こえなくなったし、かなり息も詰まった。目も見開いてたかもしれない。
そして同時に、姿勢をバサバサ正しながら何度も辺りを見回していた。彼女が今までここにいたという証拠は何か無いものかと。
よく、小説やドラマ、学校の人たちが話す怪談話とかで、こんな話を聞く。この目で見て声を聞いて、触れもしたのに、ある日を境にその者は姿を消していて、彼等の存在していた証拠まで全て消えている、ということ。彼等を通じて関わった人間の記憶まで抹消される、という場合もある。8割くらいは作り話なのだけど。
……フィクションを信じて、今度は物を探す。よく彼女が作っていた、シロツメクサの冠だ。ほたるさんの性格からして、川に投げ捨てたりはしないはずだから。
──頼れるのは流星くんしかいなくて
──嘘つき……
笑う顔、泣きそうになった顔、試す目、信じる目。
あっちこっちに点々と揺れる、丈の長い雑草が茂る場所を、いくつもいくつもかき分けた。傘なんて放り投げて。
僕は、彼女を見捨ててしまったんだ。自分の弱さに蓋をして、キレイな言葉を繕って逃げようとした。いや、もうにげてしまったんだ。じゃあ、またひとりぼっちになってしまった彼女はどうなる?
独、迷、悲、傷、忘、消────死。
その結論に至った瞬間、自分の無力さに腹が立ってさえきた。立ち尽くすこの身に涙が打ち付けて、どんどん制服を冷たくしていく。
泣くなんてことはできなかった。
学校には腕時計も携帯電話も持ち込み禁止だから、具体的にどれほどその場に踞っていたかはわからないけど、随分長い間だということは確かだった。
17時を知らせるチャイムが街中に響き始めて、それと同時に、雨脚もすっと遠退いていくのがわかる。風邪引くなよと他人に言っておきながら、これじゃあ自分が盛大に風邪を引いてしまうじゃないか。
やっと冷静な頭を取り戻して、広げたまま転がっている傘をちびちびと折り畳んだ。見上げた空は、まだ厚い雲で覆われている。
見事に湿った上着を背中から引っ剥がし、Yシャツとカーディガンの上から鞄を背負って。
ほたるさんを探したい気持ちは山々だけど、もうこんな時間だから、家に帰って夕飯を作らなければいけないし、その前に文具店へ、授業用のノートを買いにいかなくちゃならない。使いやすくて気に入ってるやつだから、わざわざ家から遠いところに毎度通っているんだ。
重たい脚で立ち上がって、斜面に足の裏をくっつけ……ようとして気付いた。教科書たちが全滅しているかもしれないことに。けれどそれはすぐに杞憂に終わった。ジッパーを割いた中身は、100均で買ったプラスチックのケースに入ったノートやワークなどが数冊と、500円玉を忍ばせたペンケース、使っていないネックウォーマーくらいしか入っていなかったから。
今日は宿題も無いから良いんだけど、僕ってこんなに置き弁野郎だったっけ?
前の学校のときから使っているペンケースを開きながら、まさか中弛みとお友達になってしまったのではないかと不安になってきた。大人たちから、教室でわーきゃー騒ぐ伸びきった連中と一括りにされるのはごめんだ。
指先に薄く冷たいのをズボンのポケットへ突っ込み、気持ちを仕切り直して、地面を蹴りあげる。
いくら走っても、雨の匂いからは逃れられないけれど。
◇
「198円のお返しです! ありがとうございました!」
地元に根付いた八百屋みたいに眩しい接客で、ずっしりとお釣りを戴いた。この店には50円玉と5円玉がいらっしゃらないのだろうか。
こんなことなら財布ごとかばんに突っ込んでくればよかった。
一先ずポケットにじゃらじゃらお金を流し込んで、差し出されるビニール袋を受けとる。中身はたかがノート一冊と複合ペンのインク一本。
この時間帯は小中学生が多いので、かなり騒がしくなっていた。
後ろに並ぶ塾通いのついでっぽい男の子があくびしたのを見て、そそくさと店を出ていく。また店員の彼の爽やかボイスが聞こえてきて、もう暗い空に押し潰されるのが億劫になってきた。それに、もういい加減この格好は寒い。早く帰りたい。だから嫌でも歩き続ける。
……ここからもう少し街の端っこのほうへ行った先に、安い揚げ物屋があったな。このお釣りくらいでコロッケ3個は買えたような。前にお母さんとこの辺に来たとき、帰りに買っていってたんだ。
じっくり夕飯を作る時間も無さそうだから、助かった。
固く冷たいアスファルトをスニーカー越しに感じながら、人気の薄い、すこし寂しい方へ潜っていく。
「…………あ、そういえばこの辺って」
名前も知らぬ落葉樹たちの箒の集団がいくつかあるのを横目に、佑樹が前に言っていたことを思い出した。
古くから建っているこの辺りの大きなお屋敷に、おばあさんが一人きりで住んでいるらしいって。
何か他にも聞いた気がするけど、全然覚えていない。ただ、良い印象を抱かなかったのは確かだ。
まあ、明日また訊けば良いか。何はともあれ早くコロッケを買いに行こう。と、足を速めようとしたそのとき。
静かに隣へパトカーが止まって、出てきた人たちが駆け抜けていった。僕何かしたっけと一瞬だけ焦ったのは秘密の話。
彼らを細い視線で追うと、その先には、赤色灯の光を不規則に浴びる人だかりができている。
何事だろうと僕も走っていくと、スマホに向かったりざわざわと好き勝手にくっちゃべったりしている奥、雑木林のほうで暴れている大学生ぐらいの男が、数人の刑事に地面で取り押さえられているのが見えた。男の服に真新しい赤のシミが大きく滲んでいるのが見えて、思わず背中が震える。
「ここから先は立ち入りを制限しています! 危ないですから離れ…………………」
この場に濃くこびりつく雨の匂いと、赤い色と、彼らの険しい表情から逃げるように、僕はその場を走り去った。
温かいコロッケを買って小銭は少なくなったけど、この恐怖感はちっぽけな心を覆い隠して離れてくれない。
曇って聞き取れない無線の話し声が、今も遠くに流れているような気がしてくる。
ニュースのなかにいたあの人達が、こんなに近いところにいた。それはあまりにも、あまりにも……。
「うぅ…………ぐっ」
立っていられなくなって、近くの濡れたガードレールに指が触れた瞬間。誰かの呻き声が聞こえてきた。時々咳き込んで、靴と地面が荒く摩り合う音もする。
少ない街灯が淡く道を照らす以外には何もみえない。
「……」
しかし、また怖くなってきて、大通りのほうに向かおうと、ガードレールを飛び越えようとすると。
斜め向かいの、立ち並ぶ一軒家の路地裏から、見覚えのある人影がよろけながら現れたのだ。
ひどく乱れた柔らかい髪、土に汚れた白いワンピース。そして、彼女の、涙ぐむ虚ろな瞳は、その名前の通りに、暗闇に青く光をこぼしていて。
「ほ……たる……さん?」
恐る恐る、掠れる声で呼び掛けたら、目が合った。何処かから、真っ赤な血が地面へ滴り落ちた。
一秒も掛からずに答えが導き出される。さっきの人たちにやられたんだ。あの怪我じゃあ、すぐにでも手当てをしないと……。
ガードレールを掴んでいた手に力を込め思いきり飛び越えたのに。
彼女は僕に背を向け、走り出していた。
…………いや、これは思いきり逃げられてるよね?
「ちょっとっ、ほたるさん?!!」
- Re: の甼 ( No.8 )
- 日時: 2016/06/17 22:28
- 名前: Garnet (ID: Om7nks4C)
▼
ほたるさんが河原から消える前の休みの日だから、土曜日のことだっただろうか。
今日は仕事が早く終わるからご飯はあたしが作るよ、と、お母さんから携帯にメールが来て、17時ジャストに玄関のドアが開いた。いつも僕に任せている分、余裕のある日はとことん手を掛けるんだと意気込む彼女の両手は、買い物袋でいっぱいだ。
居間で、テレビと換気扇の音声をバックミュージックに文庫本の薄いページをめくる。この時間が、一番生きている実感を持てて好きだと、つい最近思うようになっていた。
「あら」
主人公の鍵括弧を目にとらえたところで、ボウルの中味をかき回すお母さんが小さく声をあげる。ねちねちと立っていた音もいつのまにか止んでいた。
しかし大概は、牛乳買い忘れたとかそういうどうでもいいことなので、ぼくも9割方は気にしないでいるのだけど。
次のひとことで、僕は残りの1割に、割りと濃いめの記憶を留めることになる。
「あの町で事件が勃発してるって」
親指にページを挟んで、久し振りにテレビ番組へ目線が引っ張られた。
映像にもテロップにも、驚くほど網膜が馴染んだ。
そこに映っていたのは、前まで住んでいた町のことだったからだ。
ニュースキャスターは、行方不明、殺人、ひき逃げ、などと縁起の悪い言葉ばかり並べてきて、本当にあの場所でそんなことがあったのだろうかと、この耳を疑いたくなるほどだった。
良く言えば平和で静か、悪く言えば辺鄙。あの町は、10年前に隣の村と合併してからも、そんなイメージしか伝わってこないようなところだった。何せ山と川くらいしか無いのだ。夏には同じ顔ぶれの釣り人がやってくる程度だし、冬は酷いときだと吹雪くこともある。そんな場所に自ら出向こうだなんて考えるのは、林間学校の場所選びに失敗した小学校くらい。…………まあ、伝統工芸とかはあるっちゃあるが。
そんなところに犯罪者が何の用だと、僕は珍しくテレビを見つめ続ける。
何処からどうやって調べたかなんてわからないけど、片手の指で足りるくらいしか無いコンビニの防犯カメラの映像から犯人のひとりが割り出せたとのことで、人相の悪そうな20代前半くらいの男の画像をやたらでかく見せつけられた。
その後素早く画面が切り替わって、視野を広めにあの辺りの地図を写し取ったパネルを、隣のキャスターが机の上に立てる。ポツポツと赤い点が隣町にまで広がって、一つ一つの点に、事件発生日時などが記された。そのなかでもいちばん気になったのは、以前僕たちが住んでいた地域に落とされた、少し大きめの点。
小学生男児9歳と、──────続きを読もうとしたのだけど、玄関の呼び鈴が鳴ったので意識が外れてしまった。
「あっ、ごめん流星、宅配便だと思うから、受け取ってきてくれない?」
「ああ、うん」
ニュースに気をとられていたせいで未だに手を挽き肉でべとつかせる彼女に代わり、モヤモヤしながらも玄関に向かったのだった。
その後、見事に金色の肉汁が溢れるハンバーグを前にしても、気になっているあのニュースのことを訊けなかった。
きっとお母さんは、僕があの場所を嫌ってると、思っているんだろう。
▲
今度は粒の大きな雨が降り始めた。
雨筋がぼんやり、濁る街灯に浮かび上がっては地面に叩きつけられていく。
「ほたるさんっ、お願いだから待ってよ!」
こんなときでも、僕の足は速くなってくれなかった。2分たらずでもう限界。息を切らしながら真新しいシミを追って歩いていったけど、強くなる一方の雨に、とうとうそれが見えなくなってしまった。
手に持った透明なビニール袋がこすれて、雫がころころ逃げていく。今いる世界は現実なんだぞと、笑いながら囁かれているみたいだ。
何処かで雨宿りをしようにも、ここは初めて来るちょっとした住宅街。夕飯時の家に見知らぬ人が上がり込むなんていうのは少々問題があるし、かといって公園とかが何処にあるかもわからない。どうしよう。
軽く思考停止状態だ。
ただ道に従って歩いていくうちに、自分が街の何処にいるのか判らなくなってきた。
「…………はあ」
情けなさがそのまま溜め息になって出ていく。薄らと白い塊を作って、風に掻き消された。
びしょ濡れのセーターからYシャツへ浸透して、生温い水分が身体のあちこちを伝っていく。本当に、寒い。
一軒家の密集地を通り抜けた先に木が生えているのが見えたので、そっちの方へ早足で向かった。
その繁った葉の下で休ませてもらうよ。そう、心で声を掛け、太い幹を囲うように埋め込まれた円状のベンチにそっと、腰を下ろし、た、
「え」
ベンチに添えた右手が、何かで濡れる。決して良いものとは言えない感触。臭い。
震えるその手を遠くの街灯にかざしてみて、嫌な予感は的中した。
「ほ、ほたるさん、いるの? 近くにいるの?! いるんなら返事をして、お願いだから!!」
止まない雨の中に、飛び込む。
きっとあの瞬間は、今までどんなに速く走ろうとした時よりも、絶対に倍以上脚が動かせていたと思う。…………本気を出しそうになったあの瞬間、門から出てきた、傘を差したお婆さんに、ぶつかっていなければ。
どすんと鈍い音を本当にこの耳に感じた。文字にならずに発せられた、その人の驚く声も。
暗闇で、彼女が尻餅をつくのが変な角度で見えたと思った途端、僕も容赦なく重力によって地面に引きずりこまれてしまった。何が、誰が、どうして何処からいつ僕はどうなってる?
必要最低限の機能以外閉じていたこの頭では、まったく理解が出来なかった。雨の音が耳のすぐ近くにある。ばちばち、どおどお。
「あだだだっ……そこのあんた、大丈夫かね」
今さっきぶつかった物……じゃなくて、人が、声を掛けてきた。
歳を重ねていることが容易に想像できる、その声の色。おばあさんなんだろう。
アスファルトに擦ったせいでじんと痛む手をつきながら「は、はい」身体を起こした。
袋の中の3個のコロッケはもう、ご臨終だと思う。
……そして、何だかよくわからないまま、おばあさんの家のなかに入れてもらうことになってしまった。まさかこの豪邸が、話に聞いていた"あの"お屋敷だとも知らずに。
- Re: の甼 ( No.9 )
- 日時: 2016/06/21 23:19
- 名前: Garnet (ID: OLpT7hrD)
びしょ濡れの制服を洗濯機にぶちこまれ、息子さんが昔着ていたという少し大きめの部屋着を借りた。丁度今夜のご飯がコロッケだったからと、ダメにしてしまったのまで作り直してくれるそうだ。何度も平気だと言ったのに。
季節外れの豪雨が降り続くので、家に留守電を入れて、ここで雨宿りをさせて頂くことにした。
広いお屋敷の中で、意外と歩くのが速いおばあさんの後ろに付いていく。
彼女は前を向いたまま、僕に話しかけてきた。
「あんた、怪我はないかい」
「は、はい……。柳津さんは大丈夫ですか?」
「あたしゃあピンピンしてるわ! こう見えて足腰強いんでね!」
「それは、良かったです」
確かに動きで身体の丈夫さはよくわかる。
はっはっは、と彼女……柳津さんは気持ちよく笑った。
明るいんだけど、奥に品が秘められている。何というか、若さは年の功には勝てっこないなって思わせられるような笑いかた。
「それにしても、簡単にこの苗字が読めたねえ。よく迷われたり間違えられたりするんだわ」
「前に、学校に同じ読みの人がいたんです。だから勝手に"やなぎつ"って読んでしまって…………」
大きな障子をがらがらと開け始めたので、ぼくも反対側の障子を押していった。
「そうかそうか。……いやあ、来客は久しぶりなもんで。あんまし綺麗じゃあないが、その辺に座っていてくれ。あったかいお茶を淹れてくるでな」
「は、はい!」
部屋の真ん中の天井にぶら下がる、少し古い灯りの紐を何度か引っ張って、柳津さんは部屋を出ていった。
さっきから気になっていたけど、随分特徴的な喋り方だなあ。
摺り足の音がフェードアウトしていく。僕もお言葉に甘えて、いつのまにか置かれていた座布団の上へ膝を揃えた。正座は特に苦手じゃない。
心地いい雨のノイズを聴きながら、艶々な机のキメを目で追ってみたり、よく解らないけど高価そうな掛け軸に首を傾げたりしていたら、時間はあっという間に過ぎていった。摺り足がフェードインしてきたので、反射的に姿勢を正す。
「寒いだろう、暖房と加湿器を付けような」
「すみません。ありがとうございます」
シワの深い手には、空調のリモコンも握られていた。
濃い湯気を立てるお茶がとてもありがたいんだけど、僕は猫舌だからすぐ飲めそうにない。
良い歳してみっともないなと思いながら、控えめに息を吹きかけてすすった。やっぱあぢい。その様子を見られていたようで、斜め前に座る彼女に、わははっと笑われる。
「ところでぼっちゃん、こんなところで何をしていたんだね。それに、この街じゃあんまり見かけないような顔立ちだ」
「あ、えっと……」
さっき外で、右手に付いた血を見られたときも、ぶつかったせいでどこか切ったんじゃないかと相当心配された。もちろん怪しまれない程度には誤魔化した。
この人はきっと、色んな人の色んなとこを見ているんじゃないかと、思った。だから"彼ら"は嫌うんだ。なんでも見透かされているような気がして、良い気持ちにはならないんだろう。
「言いたくなければ、無理に言わなくても構わないさ。あたしにも、他人に語りたくないことは山ほどある」
何となくだけど…………何となくだけど。柳津さんも、世の中に流れ出す理不尽の被害者なんじゃないかと思う。
「あ、あの」
「どうした?」
すっかり、名乗るのを忘れていた。
ほたるさんのときもそうだ。何だかんだでいつもそう。頭の中では必死に考えるのに、喉に声が引っ掛かる。足が震えてしまう。
「名前を言うのを忘れてしまっていたので……氷に渡る、流れ星のリュウセイで、氷渡流星といいます」
「………………ほう」
「………………はい」
暫く沈黙が続いた。
何なんだこの時間は。
コミュニケーション力というものが僕には不足しているので、とっても困ってしまう。
雨はどんどん強くなるし、家から電話が折り返される気配が微塵も感じられない。廊下に見える振り子時計は19時半を示しているから、その中身が狂っていなければ、お母さんは家に帰ってきていないんだろうけど。ていうか何で家のほうに留守電入れた?携帯に入れれば良かったのに?
この静けさとは裏腹に、脳内では後悔の大合唱。折畳み傘も何処かで落としたみたいだしもうとことん付いていない。
子どものように、何処か一点を凝視する……ように見えるだけで本当は目を細めているだけの柳津さんを見つめながら思う。
「茶柱」
そんな彼女がいきなり、聞き慣れない単語を机の上に正座させる。あんまり久しぶりに聞いたから、それが物の名前なんだと認識できなかった。
「はい?」
「ぼっちゃんの湯呑の中、見てみぃ」
「ん?」
透き通る緑色に自身の表情が映りこむ。そのはしっこに、細い茶っ葉の欠片みたいなものが浮かんでいた。ああ、茶柱ってこんなのだったっけ。
「ほんとだ、茶柱」
「きっと良いことが起きるぞ」
「だといいんですが」
「……悪いことでもあったみたいだね」
「残念ながら、最近、良いことがあまりありません」
程好く熱の抜けてきたお茶を飲み込む。
「大切な人を、見捨ててしまった。傷つけてしまった」
あんなにも綺麗な人が、今日、汚れた人の手であんなにも傷ついていた。泥と、血と、冷たい雨。
彼女がいた夕焼けの世界は夢みたいな場所だったから、きっと僕は、現実を目にして戸惑っているんだ。
あの子も、僕と同じ人間なのに。
「僕はあの子を、守れなかった」
あれ、何か、目が痛い。熱い。
感情の読みにくい顔をする柳津さんが静かに息を吐く。それさえも解像度が低くなってきた。
「泣くんじゃないよ、ぼっちゃん」
僕、今泣こうとしているの?
他人を思って泣くなんて、もう随分昔にやめたはずなのに。
「泣くんじゃないよ……流星」
ぼかしに呑み込まれて、目の前の顔が曖昧に変化していく。よーく知っているその顔に気付いたから、涙は引っ込んでしまった。
"あの人"の前で泣いてはいけない。僕の涙は、割れたガラスの破片くらい無価値だから。何も考えないように、ちっちゃな茶柱ごと、温くなった緑茶を飲み干した。
- Re: の甼 ( No.10 )
- 日時: 2016/06/21 23:22
- 名前: Garnet (ID: OLpT7hrD)
「あら」
再び雨の音が耳に入るようになったと思ったら、この家の固定電話がコール音を響かせ始めた。
同年代の人とは比べ物にならないであろう軽い動きで、柳津さんがひょいひょいと部屋を出ていく。たぶんお母さんだ。
そういえば、留守電が携帯に転送されるようにセットしてあったんだっけ?使い方は間違ってると承知の上で言うけど、結果オーライ。
若返った声が途切れる。
「ぼっちゃんの親御さんからだったよ。今から、車で迎えに来るそうだ」
座布団の上から立ち上がると、彼女はそっと微笑んだ。
この人も子どもがいたんだもんな。今の顔は、母親の顔だ。
「わかりました。ありがとうございます、本当に」
「気にすんでないよ。……ああ、おしゃかにしてしまったコロッケを交換せねばな。制服も乾燥掛けが終わる頃だろう、洗濯機の近くに紙袋があるから、それに入れていきな」
「はい! あ、この部屋着は──」
「好きにしな」
それは、返すも返さないも自由だと、そのままの意味で受け取ってもいいということなのか。まあ返しに来るつもりだけど。
今さらだけど、何だか会話のテンポが珍しいタイプだ。
お母さんの職場からここまでは車で3・40分掛かるので、ゆっくり帰り支度を始めることにする。暖房やら電気やらのスイッチを切り、和室を出ていった。
それにしても、結樹が僕に残した、柳津さんの色があまりに片寄りすぎている。これは明日、もう一度確かめてみるべきか。
廊下の窓の向こうで、夜空を包む雨雲が風に流され始めている。どうやら雨は止んでくれるようだ。
8時もまわった頃、このお屋敷の呼び鈴が来客を告げた。
やっぱりそれはお母さんで、玄関で僕の隣に立つ柳津さんに、何度も頭を下げる。僕らが以前まで、河の上流に位置する町に住んでいたのだと話すと、彼女は目をまん丸くして自分も昔住んでいたんだ、と教えてくれた。
最後にもう一度お礼を言って、軽自動車に乗り込んだ。見送りに手を振り返したら「良いこと、あるといいね」と、意味ありげに口角を上げられたので、僕も「努力します」と笑っておいた。
その後、いつもより遅くなった夕飯の食卓では、魔法にでも掛かったように美味しいコロッケが主役になった。
*
雨が上がり、本来の空が開けて見えるようになった。
これでようやく安心できると、部屋の窓際で丸くなる少女が安堵のため息を漏らす。
無限の月と、冬の星たちが、この地に美しい光を運んでくれるのだ。少女はその光に祈るよう、身体を起こし、膝まずいて両手の指を絡み合わせた。
そんな彼女の背後に、静寂に溶け込む、けれども軽やかな足音が近づく。
「怪我の具合はどうだね?」
「お月さまが見えるようになって、だいぶ楽になったよ」
「それは良かった」
普段の話し方より少し柔らかいおばあさんの声に、少女は手を合わせていたのをやめて、振り向いた。
少女の美しい心を、そのままひとかけ填めこんだように輝く、青い瞳を潤ませて。
「おばあちゃん、ほんとに、ありがとう」
第1章 『ブルーアイズ・ガール』 完