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「ようそろ」
日時: 2012/08/02 23:44
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)

 こんにちは、紫です。ゆかり、じゃないですよ、むらさきです。

 設定が分からなくなるほど、久方ぶりの物語(笑)

 一年以上書いていませんでしたが、突然、書きたくなりました。設定もだいぶ頭から飛んでいて、少し大変ですが、また書き始めようと思います。昔々の文章なので、思うところが多々ありますが、せっかくのやる気をそぎたくないので、しばらくはこのままにしておきます
 おつきあいいただければ幸いです

 文章ぐちゃぐちゃ、構成ボロボロ、誤字脱字等連発と、まぁ、相変わらずそんな感じですが、よろしくお願いします。

 アドバイス、コメント等は二十四時間募集しています。

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Re: 「ようそろ」 ( No.25 )
日時: 2010/11/11 16:37
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: jXNvrQsU)

 十一

 ——深い森の中。およそ人が入り込む場所には見えない場所で、わずかに話し声が聞こえた。

「これで、よかったのね、ヒョウキ」
「ええ、後はどうなるかしらね。まあ、カエンがいれば何とかなるでしょうし、リュウクの妹さんもあれはあれで使えそうだしね」

 綺麗な二つの声。見ると、二人とも暗い森には不似合いな美しい女性だった。もっとも、そのうち一人は見かけだけではあるのだが。
 ヒョウキと呼ばれた黄緑色の髪をした女性は、少女のような顔に無邪気な笑みを浮かべ、手のひらの黒い幼虫を愛しげに撫でている。その一方で、話し相手である女医姿の男はひたすら彼女を睨んでいた。

「言っておくけど、カエンちゃんと赤猫ちゃんになんかするようなら、私があなたを殺してあげるわ」
「赤猫ちゃん、ね。カエンはどうとして、リュウクの妹さんまでお気に入りとは驚いたわ。カイジョが聞いたら怒り狂うんじゃないかしら」
「あら、失礼ね。あの海女のことだって嫌いってわけじゃないわよ」

 からかうような口調のヒョウキに、イハクはフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。そして近くにある古い木を忌々しげに蹴る。めきめきと音を立てて倒れる古木からは、そこを住処にしていたのだろう、何羽かの鳥が一斉に飛び立った。

「——ただし、好きってわけでもないけど。でも、あなたと比べればお月様とすっぽんね。……で、どうなの? 私にかかればあなたなんて瞬殺よ、瞬殺」
「村人を人質に取られただけで何もできなくなるあなたが? アッハハハハ」
「ここに、あの子達はいないわ。さあ、どうなの?」

 見え透いた挑発を受け流し、イハクは一歩、また一歩と目の前の女に近づいた。その手には治療に使うメスと針が握られている。さらに二つの医療器具の先端には何やら怪しい輝き。見る者が見れば分かる。そこには、毒が塗られていた。

「本気のようね。私を敵に回したら、あなたがどうしようもなくなるのが分かっていて?」
「確かに、あなたの“いい人”には逆らえないわ。でも、だからと言って二人を見殺しにするようなこともできないの。どちらかを選べと言われれば、私は迷うことなく裏切って死ぬ道を選ぶわ」

 言いながら、イハクは着々とヒョウキに近寄っていく。地面の枝を踏むたびに、乾いた音が暗い森に響き渡る。そして首筋にメスと針を突きつけたところで、やっと彼女は口を開いた。

「あの人の邪魔にならない限りは、私はあの子達をどうにかしようとは思わないわ。それに、あの人の思惑通りに進まないと、あの子たちも八方塞になるのだから」

 そう言うと、童顔の女は高らかに笑った。暗い森に響く甲高い声。風で木々はざわめき、鳥は去る。その様子をイハクは相変わらずの厳しい表情で見つめていた。

Re: 「ようそろ」 ( No.26 )
日時: 2010/11/12 17:40
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: jXNvrQsU)

 十二

 同じような部屋が過ぎてはまた現れ、また過ぎては現れる。
 少なくとも、田舎から出てきて機械なるものなどほとんど見たことがない少女の目には、そうとしか映らなかった。
 大きな製薬会社であるらしいことは分かっていた。しかし、彼女が考える薬屋といえば、生まれ故郷に住んでいる化け物のような老婆が薬草をあれこれと調合してすり鉢で混ぜる、というおよそ近代科学からはかけ離れたものだった。そもそも故郷を出る前の彼女には電気という概念が存在しなかったのだから、その感じ方は当然であろう。
 一方、二年前まで聖具使いのエース格として国の機関で働いていたカヨウは慣れたものであった。ロックがかかっているドアだろうが、侵入者探知の仕掛けだろうが、何の苦もなくクリアしていく。

「カヨウちゃん、すごい」

 いくつ目かのセンサーを解除した時、リュウカは思わずつぶやいた。それに対してクマのぬいぐるみを抱えた少女は照れくさそうにはにかんだ。

「これだけはカエン殿やリュウクさんより得意かな。でも……」

 途中から声のトーンががくんと落ちた。クマのぬいぐるみの腕をぎゅっと握る。そして盛大にため息をついた。

「こんなことが特技でも、あんまりうれしくないけどね。リュウカさんみたいに料理とかお裁縫とかができると私もリュウクさんの役に立てるのに」
「でもカヨウちゃん強いし、お兄ちゃんも助かるって言ってたよ」
「んー、戦士としてじゃなくて、もっと違うところで役に立ちたいの、私は」

 言いながらカヨウは歩き始めた。先の戦いにおいては聖具使い長リュウクに従う“三龍”と称された猛者の一人として名を全国に轟かせた聖具使い。だがいくらそうは言っても年頃の少女である。いろいろと悩みは多いようであった。

 一方、二人と別行動を取っていたカエンは、施設内にある牢屋の前で立ち止まらざるを得なかった。
 中にいたのは黒髪に白髪の混じった中年の男と、長い茶髪を一本で束ねている整った顔立ちをした青年だった。二人ともカエンとは面識がある。やつれた様子だがカエンを見るなり力を取り戻したように格子を両手で握った。

「カエン殿! 戻られて早々、情けない姿をお見せしまして申し訳ありません」
「……少し離れてろ。やけどする」

 苦笑いを浮かべる戦友である中年の男にカエンはそうとだけ言うと、聖霊の巨鳥を輝かせた。二人とも何をしようとしているのか即座に理解して牢屋の一番後ろへと下がる。すると輝く鳥は口を大きく開き、そこから業火を吐き出した。直撃を受けた格子は原形をとどめることなく溶け、二人は牢から出てきた。

「何故、“三龍”の貴殿らがこんなところで捕まっている?」

 表情にこそ出さないが、カエンとしては予想外の出来事であった。かつての聖具使い長リュウクに従って田舎に引きこもった三龍と呼ばれる三人の猛者。その実力は折り紙つきで、彼らの戦闘能力は最強の聖具使いであるカエンも一目置くほどだった。

「それがですね、カエン殿。実は——」

 若い方の男が口を開きかけたところで牢屋の向かいにあった扉が音もなく開く。すばやくカエンは二人を庇うように構えて、今にも踏み出さんとする。
 が、それは無用であった。扉の向こうからはフィンの構成員ではなく、少女が二人、カヨウとリュウカが現れた。

「あ、カエン殿! ……と、先輩方!? え、あれ? 何で?」

 カヨウは素っ頓狂な声を上げてカエンとリュウカを交互に見る。だが、もちろん一緒に来たリュウカにはわかるはずもなく、またカエンは「俺が知りたい」とだけつぶやいて帽子をかぶりなおした。
 同じ里のリュウカとカヨウは訳が分からず目を白黒させ、カエンはカエンで何も言わずに黙っている。そんな微妙な空気が流れていたが、牢に入っていた若い男が見事なまでに、その空気をぶち壊した。

「お嬢じゃないっすか! いやー、お久しぶりです、元気にしてました? え? 元気じゃない? 俺がいなかったから? やっぱり? そうっすよねー、俺もお嬢がいなかったから毎日毎日、来る日も来る日も、虚しい日々でした……さあ! ここは感動の再会。この俺の胸に飛び——グハァ」
「誰もそんなこと言ってねーだろ、ボケナス」

 目を輝かせ、リュウカの両手を握り締め、端正な顔立ちの男は答える暇も与えずにぺらぺらとまくし立てる。が、途中で場の空気の読める年配の聖具使いの拳骨をくらって、薄汚い床に膝を付いて頭を押さえてしまった。それでも、リュウカを見上げる顔は幸せそうで、隙を付いてはまた気ほどの続きをしようとしている下心は、そのへらへらとした表情からよく分かる。
 だが、この男は気付いているのだろうか。目の前の少女の顔がドン引きを取り越して——いや、あきれ果てたといって方がいいだろうか——カエン以上に感情の欠片もないことに。

「……で、何があった?」

 騒がしいやり取りを前にして、カエンは少し機嫌を損ねたらしく、いつも以上に低い声で中年の聖具使いに向かって聞いた。相手は顔なじみといえども最強の聖具使い。さすがにまずいと思ったのだろう。先程から頭を押さえてうずくまっていた若い聖具使いのほうも立ち上がり、二人とも揃って略式の礼をした。

「リュウケイ里が、フィンの襲撃を受けました」

Re: 「ようそろ」 ( No.27 )
日時: 2011/02/17 23:15
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: jXNvrQsU)

 十三、

 リュウケイ里。
 それは東にある、小さな村のことだ。学校がなければ、特産物らしい特産物もない村で、半ば伝説と化してしまった場所である。
 そんな伝説の里が存在するということを全国に知らしめたのは、リュウクというリュウケイ里出身の一人の少年だった。
 センキと呼ばれる各地で行われる聖具使いの大会。恐らく真名で書くと“戦記”であろうと想像されるその戦いは、持つ名のとおりに政府の書記官達によってどんな小さな大会でも正確にその様子が記録される。
 そんなセンキに参加し続けたわずか十歳の少年の名が国中に知れ渡るまで、大して時間は掛からなかった。何せ、その少年、リュウクは相手がどんな人間であろうとも——時には樹海の怪物まで——軽々と、いとも容易く打ち負かしていったのだ。
 国は喉から手が出るほどその少年を欲した。だが、彼はなかなか国の聖具使いにならなかったらしい。それよりも、好奇心旺盛な少年は全国を旅したかったのだ。
 そこで国は一つの提案をする。学校を建てて経営できるほどの金を、リュウケイ里に給付するというものだった。ここまでされてはさすがのリュウクも断りきれない。かくして、史上最年少で聖具使い長に任命される少年は、国の聖具使いとなったのだった。
 フィンとの戦いの後、リュウクは聖具使い長を辞任したのは周知の通りである。国は当然渋った。だが、当時の世論でリュウクの人気は絶対的であり、大多数の人々が故郷に帰りたいという彼の意思を尊重した。

 さて、そのリュウクの故郷、リュウケイ里のことである。
 実は、未だにその村は地図に載っていない。里の人々しかその場所は特定できないのだ。国もこの村の対応には困っている。しかし、原因が分からない以上はどうしようもなく、何十年も前に国はこの里については関知しないことを決定した。人口も少なく、特産品もない里だから、税金もあまり入らず、大して痛手にならないのだ。
 リュウケイ里について記した古い手記がある。遠い昔、東の農民が、道に迷ってその里に辿り着き、親切にしてもらったらしい。伝説となって語り継がれる村の様子は、唯一その手記を以って知ることができる。
 桃が辺り一面に咲き誇っている里だと、手記の冒頭に記されている。小川は底の石の色が一つ一つ分かるほど透き通っていて、その上をゆっくりと桃の花びらが流れる。小川の両岸には明るい色の柔らかそうな草が右へ左へと風に揺れ、その上をたんぽぽの綿毛が小川を流れる桃色の花弁のように舞っていく。その近くでは村の子ども達が遊んでいて、大人はその様子をしながら川で洗濯をしたり魚を釣ったりしている。
 のどかな里である。それは今も昔も変わらない。

 そんな悠久の時を経るような場所が、襲撃を受けたのだという。

「襲撃は、突然でした」

 年配の聖具使いは、静かな口調で言った。しかしその内面では激しい感情が渦巻いているようで、握っているこぶしははちきれそうだった。

「自警団はもちろん応戦しましたが、まもなくして里の人々が人質に取られて、リュウク団長の命令で、俺たちは全員武装解除しました。それで、俺たち二人と団長はフィンに連れて行かれて、今に至ります」

 若い方の聖具使いは、先程とは打って変わって、このような事態だというのに冷静だった。彼は分かっているのだろう。この状況で自分の感情を表に出しても何も変わらないということが。さすがにその昔、リュウクが現れなければ次期聖具使い長候補と目されていた人物だけある。

「お兄ちゃんは!?」
「リュウクさんは!?」

 二人の説明を聞くや否や、リュウカとカヨウの二人は同時に声を上げた。リュウケイ里の自警団から連れて行かれたのは目の前の二人だけではない。リュウカにとっても、またカヨウにとっても大切な人の安否が分からないのだ。当然の反応だろう。
 一方、三龍の二人はお互いに顔を見合わせて、それから若い聖具使いが口を開いた。

「すみません、お嬢。実は俺たちも知らないんです。聖具を取り上げられて、ずっとここに幽閉されてたんで……あ! でも、大丈夫っすよ。何せ団長ですからね。もしかしたら、もう脱出してるんじゃないですかね」

 若い聖具使いは途中から急に声のトーンを元に戻した。リュウカを元気付けようとしているのだろう。また、彼自身がそう信じているということもある。だが、そんな彼の努力もむなしく、リュウカは暗い表情をしていた。

「どうしたんすか? お嬢」
「……あのね、お兄ちゃんのショール、突然、効力がなくなっちゃったんだ」

 リュウカはそう言うと、ワッと泣き出してしまった。彼女が考えていることは、その場にいる全員が理解できた。三龍の二人、それからカヨウもその話を聞いて顔を青くしている。恐れていたことが現実になる。そんな予感がした。そんな中でカエンだけは表情を変えなかった。

「……先に進む。リュウク妹。この研究所には、まだ行くべき場所がある」

 カエンは四人を一人ひとり見てから帽子をかぶりなおした。泣いていたリュウカは顔を上げる。それを見たカエンは部屋の隅にある暗い扉を指差した。

「希望を捨てるな。望みを捨てるな。歩みを、止めるな」

 そうとだけ言うと、カエンは扉に手をかける。しかし、かなり厳重なセキュリティーが施されているらしい。するとカエンの横から白い手が伸びてきた。

「希望は捨てない。望みは捨てない。歩みも、止めません!」

 カヨウだった。扉の隣にある小さな装置を目にも留まらないスピードでいじりだした。残りの四人はそれを静かに見つめる。そして一分もかからずに、ピー……という音がして何かが外れた音がした。カヨウは勝ち誇ったような顔をして扉を開ける。向こう側は暗い。それでも何のためらいもなくカエンはその中へと入っていき、カヨウ、リュウカ、それから二人の聖具使いもそれに続いていった。

Re: 「ようそろ」 ( No.28 )
日時: 2011/03/24 16:10
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)

 十四

 暗い中、手探りでスイッチを探して明かりをつけると、やっと部屋全体が見えてきた。
 一言で言おう。汚い。物が散乱している、という意味で、だ。
 あまりにひどい棚等の配置の仕方だから、部屋の奥までは全く見えない。また、机の上には書類やビーカーなどが無造作に置かれ、床を見るとよほど慌てていたのか、割れたコップやフラスコが見て取れた。そんな中で、何とか倒されずに済んだコーヒーカップから出ている白い湯気が、つい先程までここに人がいたことを示している。
 誰が何をすると言うこともなく、カエンは手近にあった書類に目を通し始め、カヨウはすでに机の上の機械をいじっている。リュウカはそんなカヨウの作業を見つめ、三龍の二人は障害物と化した棚や机をどかしながら部屋の奥へと進んでいった。

「……何これ、こんな厳しいガード初めて」

 カヨウはキーボードを叩きながら幼げな顔を歪ませて唸った。それがどのような仕組みであるかはリュウカには分からない。彼女の目には、ひたすら画面いっぱいに広がる意味の分からない数字や文字の羅列だけが右から左へと流れていた。

「無理そうか?」

 書類から目を離して、カエンはカヨウの元へ歩きながら訊いた。無表情である。だが、いつもと何か違う。少なくとも、リュウカはそう思った。どこか怒っているように見えたのだ。

「ちょっと、難しいですね。相当やり手ですよ、これ作った人」
「……そうか、お前がお手上げなら、このメンバーじゃ無理だな。どうも、連中がしてた研究っていうのが、聖具関係らしいから情報がほしかったんだが」

 ここでリュウカは一人で納得する。カエンには、聖具の欠片に関係するトラウマがある。書類から何か心を抉られるような情報を得たのだろう。
 その間にもカヨウは話を続ける。

「ごめんなさい。スイメイ殿がいらっしゃれば、何とかなったかもしれませんが」
「スイメイさん? 今の聖具使い長の? あたしあの人嫌い。お兄ちゃんに文句ばっかり」

 リュウカはへそを曲げたようにそっぽを向いた。スイメイとは、リュウカが言ったように現聖具使い長の青年である。聖具使いの中では名家中の名家の出の男で、実力も備わった有能な人物だ。
 しかし、前聖具使い長リュウクとは仲が悪い。ことあるごとに衝突しているのだ。もっとも、そのほとんどがスイメイから仕掛けてきたものであるが。
 一方でカエンは少し驚いたような顔をしていた。それを見てカヨウはそれ以上に不思議そうな顔になる。

「スイメイ殿がリュウクさんの跡をついで聖具使い長になるのは当たり前じゃないですか。あの人がなんだかんだでリュウクさんとカエン殿に次いで強かったんですし」
「いや、そうじゃない。それじゃなくて、リュウクとスイメイは仲は良かったと思うが」

 カエンの言葉に、リュウカとカヨウの二人は目を丸くする。リュウクとスイメイの仲が最悪であることは世間の常識である。一説では、リュウクが聖具使い長を辞任してリュウケイ里に帰ったのは、実はスイメイがただ単に嫌いだったからだ、とまでまことしやかに囁かれているほどだ。

「知らないのか? リュウク妹はどうとして、カヨウが知らないとは驚きだな。事実として、スイメイの奴は、リュウクのことを家兄(このかみ)とか呼んで慕ってた」
「……スイメイ殿とは、ほとんど話したことがなかったものですから。生まれもぜんぜん違いますし」

 カヨウは恥ずかしそうに小さな声で言った。リュウクの部下でありながら何も知らないことへの恥じらいか、話の後半部の生まれについての劣等感か——恐らく両方であろう。
 ここで一つつけ加えておくと、カヨウの生まれはそれほど恥じ入るものではない。ごくごく一般的であった。だが、スイメイという男は別格であった。先にも述べたように、名門中の名門の出身なのだ。しかもただ一人だけいた兄が病死したことによって、スイメイは家の莫大な遺産を相続することになっている。
 いわば、雲の上の存在であった。
 
「生まれ、か。スイメイの前で言うなよ、殺されるから」
「え?」
「いや、なんでもない。冗談とでも受け取ってくれ」

 冗談にしては、深刻そうな口調だった。カヨウはわからないが、少なくともリュウカはそう思った。しかし、冗談にしか考えられない。スイメイは、誰よりもプライドが高く、生まれについても彼の自信の源でしかないのだ。
 だが、結局リュウカが疑問を挟むことはなかった。いざ口を開こうとすると、カエンはさっさと何も言わずに先へ進んでしまったのだ。カヨウもその後に続く。しょうがない。いろいろと知りたいことは山積みになっているが、今は前に進もう。そう考え直してリュウカも一歩踏み出した。
 その時だった。
 部屋の奥から若い方の三龍が飛び出してきた。その表情は青ざめている。それでも何とか立って、カエンの行く手を塞いでいた。

「何のつもりだ? フウガ」

Re: 「ようそろ」 ( No.29 )
日時: 2012/08/02 23:43
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)
参照: 設定が分からないほど久しぶりの物語

「この先は、俺達だけで何とかします。カエン殿はお嬢とカヨウを連れてここを出てください」

 それだけを、若い聖具使いは早口で言った。青かった顔が、どんどんと泣きそうなものへと変わっていく。それはもう、嘆願と言ってもよかった。
 しかし、それだけで納得するカエンでもない。一度下を向いて舌打ちをすると、フウガと呼んだ青年をにらみつけた。

「何のつもりかと、俺は訊いている。で?」

 さすがに、かつて最強と謳われただけある。一睨みしただけで、相当の実力者であるフウガも思わず後ずさりした。しかし、道は開けない。その目はふとカエンから逸れ、後ろにいる少女達に向いた。唇を噛んだ。そして、再びカエンに目を向けると、やっと口を開いた。

「見ない方がいいです。三人とも、お願いですから俺たちに任せてください」

 フウガが震える口調の中、やっとの事で言い終わると、カエンは一度目をつむり大きく息を吐いた。再びまぶたを開く。その瞳は暗い光を放ち、一歩前に進むと、フウガの肩に手を軽く置いた。

「分かった、何があったかは分かった。だがフウガ、隠し通せる事でもないし、隠し通すべきでもない。三人とも通せ」

 手の置かれた肩が、急に力なく沈む。茶色の長髪がふわりと揺れ、そのまま、若い聖具使いは地べたに座り込んでしまった。
 カエンは「気を遣わせて悪かったな」とつぶやくと、部屋の奥へと足を進める。それに続いて、リュウカとカヨウも足を進める。座り込んで、呆然とうつむいている青年に目を向けた。嗚咽が聞こえる。二人は、そんな彼の弱みをこれ以上見続けられず、何度か振り返りながら、カエンの後を追っていった。

 ——リュウクって名前、結構気に入ってるんだぁ。

 足を一歩進めると、不意に、ずいぶん前に捨てた故郷の訛りがリュウカの頭で響いた。
 歩みが止まりかける。次に進もうと上げた足は、役を失ったようにそのまままっすぐに落ちた。

 ——竜駆、天才の意味じゃあないぞぉ。駿馬の方だぁ。誰よりも速く駆けてぇ、おいらはぁ……

 まだ、リュウクが放浪の旅に出る以前、もう何年も前。春の柔らかな木漏れ日を受け、桃の木の下で寝転がりながら。特に何という事のない、一つの、ひとひらの記憶。
 頭を乱暴に振り、ついてくる記憶を落とそうとした。赤いツインテールが四方八方に乱れ揺れる。
 重い足を上げ、幾分か先を歩くカエンとカヨウの背中を、追いつこうとする事はなく、ただ追いかけた。倒れた棚を飛び越え、散乱する本の上を行く。
 誰も声を発しない。カエンは両手の拳を強く握りしめ、カヨウはいつも持っているクマのぬいぐるみをぎゅっと腕に抱いていた。
 視界を遮るかのように高く並べられた本棚の間、妨害するかのようにコンクリートの床にぶちまけられた本や割れたビーカー。歩いていくと、急に棚がなくなり、視界が開けた。すぐに様々な大きさの水槽やビーカー、フラスコ、薬品の瓶などが目に入る。
 その中でも一番大きな水槽。最初に叫んだのは、カヨウだったかもしれない。
 リュウカは声を上げる事もできず、ただ足の力が抜け、気が遠くなる。

 ——おいらはぁ、一番先にぃ、どこにいてもぉ、みんな守ってみせるからなぁ。

 遠のく意識の中で、誰かがリュウカを支えた。誰だろうか。考える余裕はリュウカにはなかった。ただ、はっきり分かった事が一つ。その腕も、震えていた。
 黒い闇に沈んでいく視界が最後にとらえたのは、水槽の中でうつろに目を開く、自慢の兄の姿だった。


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