複雑・ファジー小説

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【完結】「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜
日時: 2016/05/05 15:43
名前: すずの (ID: RvrChBm6)

初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
元空雲 海、またの名を空と申します。
今はすずのと名乗っております。

今回の小説は、もう完結しております。
これを私が書いたのは高校三年生かな。
なので、もう二年くらい経っています。
既にワードの方で完結させているので、さらさらと読めると思います。薄い文庫本一冊くらいかな。
このタイトルでホームページを開いたお方は、学園推理物が好きなのかなーと思ったり思わなかったり。
作者と話が合いそうですね。

学園推理物というと、日常の謎。
殺人が行われない、軽めの推理劇。
まぁ、この小説もそんなお話です。
だけど、そんじょそこらの普通の日常の謎と思って読まないでください。
少し覚悟して読んでください。




専門学生一年生にして、再び小説カキコに戻ってきてしまいました。
えー、そのときにお世話になった様々なす方へ。
なーにしてるんだろーなー、まだ小説書いてるのかなー、どうなんだろうなー。
朝倉疾風、元気か?
社会人してるか?
Nekopantiさんとか、何してんのかなー。

さぁ、そんな昔話は置いておいて。

どうぞお読みください。そして、ぜひご感想を。


プロローグ>>1-2
第一章>>3-10
第二章>>11-22
第三章>>23-27
第四章>>28-30>>33
エピローグ>>34-35




あー、やっと全てカキコに投稿して、やっとまともにこの最初のページを書いたよ。
ずっと今まで無法地帯のようだったから…。

Re: 「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜 ( No.21 )
日時: 2016/03/21 16:12
名前: すずの (ID: e.PQsiId)
参照: 第二章

 まあ、河岸としては、「今年もこれぐらいの予算でお願いしますよ」とまるで悪代官のような立場になりきっているが、こちら側としては全く無視している。当り前だ、会長にいつもしごかれている私達生徒会にとって、河岸の汚い考えなど通用する筈もない。いくら河岸といえど、全ての部活動の財政の分配を握っている生徒会に頭は上がるまい。
 しかし、いくら気持ち悪くて悪代官のような奴でも、彼の情報網は確実でこちらともなかなか縁を切れない相手にはなっている。きっとこれからもそれは続くだろう。なんだかやるせない気分になってきた。この気持ち、一体どうしたらよいのか、ほとほと困っている。

「それよっと。これが、お前が欲しがっていた情報だ。新聞部員と俺が汗水流してかき集めたんだぞ。大切に扱え」
 河岸はA4ぐらいの封筒を惣志郎の前に滑らす。
 惣志郎は器用に封を開け、一人でさっと資料に目を通し、数分後、カウンターにパサッと書類を投げ捨て、頭を抱えた。
 何が起こったのかわからない河岸と私は、二人で顔を見合わせる。
 きっと「欲しがっていた情報」ということだから、自分の考えていた七割が真実かどうか、これで全てわかったんじゃないか。でも、この顔色を見ると——。
「間違っていたの?」
 恐る恐る聞いてみると、ゆるやかに首が横に振られた。
「そうじゃない。逆だよ」「逆?」
「僕の考えは正しかった。だから、僕はサッカー部が隠し通してきた秘密が真実であると知ってしまったんだ。部外者が介入してはいけない秘密を」
「それじゃあ、教えてくれるのね!?」
「その前に、昨日僕と約束したこと覚えてる? あ、河岸にも言っておくなくちゃいけないね」
「なんだよ、約束って」
「このことを誰にも口外しないこと」
 惣志郎はグラスになみなみと注がれている水を一口だけ含む。
「はあ!? なんだそれ。俺がいつ人に言いふらしたんだよ。らしくないぞ」
 いつでも言いふらしているではないか、という突っ込みはさておき。
「本当の本当に口外しないね?」
 真剣な声の念押しに、ぐっと喉を詰まらせる河岸。
 絶対、話すんじゃないぞと目で合図を送る。
「これは僕達部外者が、簡単に話していい問題じゃないんだ。彼らが彼らだけで解決しないと意味がない。そして僕は彼らだけでこの事件を解決出来ると思っている」
 惣志郎の瞳が俯きがちになり、グラスの中で浮いている氷を指でカランと回した。
 彼の横顔には、解いてしまったという自責の念と後悔が感じられた。惣志郎の言う「秘密を暴いてしまった」という罪を感じているのかもしれない。しかし、瞳に映っているのは、隠そうと思っても隠せない、惣志郎の根源的な部分だった。事件に対する好奇心みたいなものが強い光となって宿されている。今の彼は、「全然わからないですよ」とおどけていたあの彼とはかけ離れている。
「愛華ちゃんは何も感じなかったのかい?」
 唐突に話を振られ、一瞬返事が遅れた。
「愛華ちゃんは、あの時現場に居て、何か感じたことはないのかい? 例えば、強烈な違和感とか——」 
 まるで私の心の中を探るようにじっと見つめてくる惣志郎の瞳。
 ないわけじゃない。感じなかったわけじゃないのだ。
「おいおい、ちょっと待て待て。俺にもわかるように説明しろよ。一体あの時、何があったんだ?」
「あー、そうだった、そうだった。河岸くんは全然知らないんだったね。それじゃあ、まずそこから教えようか」
 惣志郎は私の瞳から視線を外し河岸に向き直った。この事件の概要を惣志郎が河岸に説明している間、違和感について考えてみる。
 私はあの時、若井が一歩足を踏み出し、あの場の空気を掻き乱したあの現場で、感じなかったわけじゃない。だけど、それとサッカー部全員が守り通そうとしていることとどう関係があるのか、全くわからないのだ。惣志郎は、それさえもわかっていて、あえて私に尋ねたのだろう。「何か違和感はなかったのか」と。
 きっと今、話を一から聞いている河岸だって、私と同じ疑問にぶつかるに違いない。惣志郎は、そういった疑問も全て払拭してくれるのだろうか。
 惣志郎の説明が終わった後、河岸は俯きがちに腕を組み、何か考え込んでいる様子だった。
「一つ考えたことを言っていいか?」

Re: 「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜 ( No.22 )
日時: 2016/03/22 22:53
名前: すずの (ID: e.PQsiId)
参照: 第二章

 河岸が口を開く。
「それって瀬戸と押田と橘の三角関係っぽいよな」
 やっぱり、そう思った。河岸も。
「瀬戸と押田が付き合っているのを知った橘は、あまりのショックで咄嗟に家出をしてしまったって感じだ」
 そうだね、僕もそう思っていた、最初は。惣志郎が深く頷く。
「きっと愛華ちゃんもそう思ったはずだ。橘涼はあまりのショックで失踪した。だけど、その三角関係ではどうしてサッカー部全員が守り通そうとしているのか、答えに辿りつけないんじゃないかな」
 全部お見通しだった。河岸も眉を顰め、唸る。
「きっと愛華ちゃんと河岸はこういう構図を思い浮かんだはずだ」

瀬戸美桜→押田俊←橘涼

「こういう三角関係、だよね? でもそうじゃない。本当は——」

 押田俊→瀬戸美桜←橘涼

「こうだ」惣志郎は紙に三角関係の図を書く。
「おい、どういうことだ。これって、おい正気かよ」
 河岸の言葉がそのまま私の言葉としても具現化されている。
「正気の正気。これが真実だよ」
「ちょっと待て、猫又。だって橘涼は——女だぞ?」
「そうだ。自分のことを僕といい、サッカー部に所属しているが、瀬戸美桜と同じマネージャーだ」

Re: 「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜 ( No.23 )
日時: 2016/03/28 22:50
名前: すずの (ID: e.PQsiId)
参照: 第四章

 僕が人生で初めて一目ぼれをしたのは中学の入学式の時だった。
 柔らかな栗色の髪に、触れたら壊れてしまうシャボン玉のように張り詰めた瞳、形の整った顔に申し訳程度にある小さなピンク色の唇。
 きっと心奪われたのは僕だけではないだろう。隣の男子だって、その隣の男子だってみんな彼女を見つめ惚けていた。周りの視線を集めたくなくても集めてしまう、名前も知らない彼女のことを、僕は咄嗟にこれからたくさん苦労するんだろうなあと感じていた。もしかしたら、もう今までにも苦労しているかもしれない。彼女は確かに美人だったが、誰かに支えて貰わなくては立てないような雰囲気を纏っていた。守らなければ壊れてしまうのではないかと思わせてしまうような感じだ。本当に彼女自身、立てないのかどうかわからない。もしかしたら、本当は立てるのに立てない振りをしているだけかもしれないとも思った。
 僕の中で衝撃的な出会いをした彼女との接点は悲しくなるぐらい一切なかった。
 彼女は六組で僕は一組。階も違うから、物凄い美女が一組にいるというぐらいしか耳に入ってこなかったのである。
 しかし、これから徐々に彼女の噂は悪くなっていった。どうやら男をとっかえひっかえし、授業もまともに出ておらず、ほとんど欠席するらしい。みんな、彼女の第一印象がよかっただけに、一気によそよそしくなっていった。二年生に上がるころ、久しぶりに廊下ですれ違った彼女は、入学式の彼女とは別人だった。
 金髪に染められた髪に、濃い化粧、パンツが見えそうな丈のスカート、なるほど、これが俗に言う不良なのか。
 確かに僕は自分の目を疑ったが、なぜか僕が一目ぼれをした彼女に間違いはないと思った。いくら姿かたちが変わっても、彼女が纏う雰囲気は全く変わっていなかったのだ。誰かに支えて貰わなくては立てないような、あの雰囲気だけは。
 ただ廊下ですれ違っただけだが、一度目に似た衝撃は二度目にでも感じてしまったのだ。

 幼稚園の時から好きになるのはずっと女の子だったし、興味があるのも女の子だった。思い出せるのは、「僕は男の子よりも女の子の方が好き」という感情だけで、それを周りに言った記憶はない。もしかしたら言いふらしたのかもしれないけれど、言いふらしたところでそれがどういう意味なのか、あの時の僕達は全くわからなかったと思う。
 小学校四年生の時、男の子と女の子の体の変化のビデオを見た。誰しもが一度は経験しているだろう。
 男の子はこれから声変わりをし、筋肉量が多くなり、射精をするようになる。女の子はこれから丸みを帯びてきて、柔らかくなり、胸も発達し、月経をするようになる、男の子は女の子を好きになるし、女の子は男の子を好きになるとビデオの中にいる女の人の無機質な声がそう言っていた。
 僕が所属する仲良しグループで恋話になったことがある。どうして恋話の流れになったのかは覚えていない。女の子同士の会話なんてそんなものだ。
「涼ちゃんはどうなの?」とリーダー格の子に話を振られるけれど僕は正直、質問の意図がわからなかった。彼女達が一生懸命話題にしているのは、異性のことで同性ではない。それでは、彼女達の恋愛対象は異性なのか? 僕はどうだ? 僕は——異性じゃない。今、輪になって話をしている女の子のなかにいる恵子ちゃんだ。恵子ちゃんは、グループの中でも大人しい子で、あまり前に出て話をするようなタイプではない。おしとやかで、どこか影がある恵子ちゃんのことが気になっていた。恵子ちゃんは、僕に振られた話を興味がないという風に、そっぽを向いている。「ねえどうなの、教えてよ」と懸命に聞きだそうとしているリーダー格の口から出てくるのは全て異性の名前だった。僕は僕の目の前にいる恵子ちゃんだとは、答えられなかった。答えてしまえば、僕はその瞬間、目の前にいる女の子達に白い目で見られるのを、小学四年生までの経験や記憶を総動員して悟ったからだ。
 彼女達と僕にある決定的な溝みたいなものを感じてしまった僕は、何とも言えない表情で曖昧に笑うしかない。ずっとそんなもんだから、段々と仲間はずれにされる格好の餌食となってしまった。
 恵子ちゃんもそのメンバーの一人だった。僕は、告白をしてもいないのにひどい振られ方をした気分だった。

 周りと自分とのギャップに全然心が処理しきれていなかった。
 この世には男の子が女の子を、女の子が男の子を好きになるというのが当り前だと周りはみんな言っていた。その枠に入りきっていない僕は、じゃあこの世のものではないのか、と心底悩んだ。
 僕は家が忙しいから、常に伯父さんのスポーツジムに遊びに行っていた。その関係で、男の人の汗の臭いに慣れ、男の人の半裸は見慣れ、体重が体のどこから落ちていくのか、どこから増えていくのかわかるようになってしまった。もう彼らを異性として見ることはできなかった。女の子のほうがとても魅力的で美しいと思うようになった。だけど、女の子を好きなだけで、自分が男になりたいとは毛ほども思わない。ここが性同一性障害とは違うところ。
 僕が幼少期に育てられたこの環境は、インストラクターの目を養うばかりか、思わぬ副産物を産んでしまったのだ。

 二年生になっても彼女の悪い噂は消えることなく、接点を持つこともなかった。まずクラスが違うから階も違うし、どうやったってお近づきになんかなれない。しかしだからといって、この状況を嘆き、なんとかしようとも思わなかった。普通では考えられない関係を彼女に要求するなんて自殺行為だ。もし神様が天から舞い降りて「あなたの願いを叶えてあげよう」と言ってきても「そんなこと神様でも出来るわけがない」と追い払ってしまうくらい、ありえないと思った。僕のこの想いが知られたあかつきには「きもーい」と一蹴されていじめられるのが関の山だ。
 だから、僕は影ながら彼女のことを想っていた。それでいいと思ったのだ。彼女に僕の想いを知られてしまう方が、嫌だった。
 しかし、それは起こってしまった。いや、起こるべくして起こったのだと、今にはっては思う。全ては必然だったのだ。
 三年生、僕は彼女とようやく一緒のクラスになった。しかし、同じクラスになったのにも関わらず、彼女と会うことはほとんどなかった。彼女の方が無断遅刻や欠席が多く、学校にいること自体が珍しかったからである。
 二学期が始まってすぐだったような気がする。

Re: 「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜 ( No.24 )
日時: 2016/03/28 22:52
名前: すずの (ID: e.PQsiId)
参照: 第四章

 体育の時間だった。少し気分が悪い僕は見学を申し出て一階のトイレに向かった。体育館の一階には、大きなトイレの他、障害者用のトイレ、そして男子共に更衣室があるのと、柔道に使われる畳部屋なんかもある。その女子トイレに入った瞬間、あの独特な臭いを察知し、ゆっくり歩を進ませる。すっぱくてどろっとしているあの臭い……彼女は洋式の便器に顔を突っ伏し——吐いていた。胃液から何から全て吐いていた。
 どうして彼女だとわかったのか、と問われれば個室の扉を開けっ広げにしていたからだ、と答えるだろう。周りには彼女の吐瀉物と思われるそれが床にぽつぽつ散らばっている。もしかしたら吐きながらトイレに入ったのかもしれない。
 当初の用をたすという目的がすっかり吹っ飛んでしまった。考える暇など皆無だった。僕はとりあえず彼女が吐いている個室にゆっくり近づいてみる。
 怖いもの見たさというやつだ。この行為は普通、彼女に対する気持ちが一瞬にして消え去ってしまうかもしれないが、そんなこと僕は考えられなかった。彼女の気持ちが消え去るなんてことはまずありえないし、心の中に一瞬で出来た怪物のような好奇心をなんとか沈めたかったんだと思う。
 どうやら吐き終えたみたいで便器にまだ顔を突っ伏したまま、ぜえぜえと荒い息を繰り返していた。
 僕は彼女を刺激させないように、掃除道具入れのロッカーからぞうきんをとってくると、水でしぼり床を拭き始める。
 今思えばどうして自分がそんな行動に出たのか不思議でたまらない。物凄くタイミングの悪い時に居合わせ、衝撃的な彼女の姿に、気が動転してとりあえず床を拭こうと思ったのかもしれない。正直「想っているだけでいい。僕は行動になんか移さない」という僕の誓いは完璧に消し飛んでしまった。
 荒い呼吸が段々おさまり、周りの状況が判断出来るようになると彼女は、口元にまだ涎が残ったまま、困惑と疑問が入り混じったような瞳でせっせと吐瀉物を拭いている僕をじっと見つめてきた。
 僕が何者なのかきっと自分の記憶から掘り下げようとしているのだろうが、残念、彼女の中に僕の記憶なんてないのは僕が一番よく知っている。だって、記憶させた覚えなんてないから。
 床に散らばっている全ての吐瀉物を拭き終えると僕は彼女がさっき吐いたばかりの個室に入って行く。便器の中で水に浮いている吐瀉物に目を当てないよう、代わりに洋式のレバーを引いて流してやる。
「あんた、誰」
 これが、僕と彼女が初めて言葉を交わした瞬間だった。彼女の声は、もう蠟(ろう)がつきる寸前のろうそくのように頼りなく、か細い声だった。
 ずっと見ているだけだった彼女が今、僕の目の前で喋っている。僕は息を呑んだ。
「瀬戸さんは僕のこと、知らないと思う」
 必死に冷静を装いながら、声が震えないように気を付ける。
「なんであたしの名前、知ってるの?」
 心臓の心拍数が大きく跳ね上がる。
 ここでずっとあなたのことを見ていましたと告白できる勇気があれば、どれほど苦労しなかっただろう。
 何の躊躇いもなくじっと見つめてくる瞳に耐えかねて、僕は視線をそらす。
「有名だしね、瀬戸さん」
「悪い意味で、でしょ? わかってるわよ、そんなこと」
 瀬戸さんは唇の端だけで笑った。
 彼女がどうして下呂をしているのか、もうそんなことはどうでもよかった。
 問題は、目の前で彼女が僕の目を見つめ、僕と話をしていることだった。例えこの下呂の原因が人には言えないとしても、それでも僕は彼女と喋れるというだけで、嬉しく思ってしまったのだ。それくらい彼女と話したかった。この時間で、このタイミングで授業から抜けていないとだめだったのだ。
「まだ吐く?」
 個室の壁にだらしなく体を預けている瀬戸美桜を、見下ろし問うた。初めて視線と視線が交り合った瞬間だった。だけど、その名の通りそれは一瞬の出来事ですぐに彼女は視線をそらし、すくっと立ち上がってしまった。
「もう吐かない」
 僕を押しのけるようにして個室から出ようとする。彼女の金髪が僕の肩よりも上でなびいていた。
 彼女は僕がどう声を掛けようか、迷っている間に何回も口をゆすいだ。しかし、僕の視界から彼女の体が消えるのと、彼女がトイレから出て行くのはほぼ同時だった。
 片膝をつき、今度は扉付近でお腹を押さえうずくまる。
も う四の五の言っている場合ではなかった、僕は急いで彼女の元に駆け寄り、背中をさする。そして、背中をさすっている間、僕は咄嗟の出来ごとであっても彼女の体に躊躇なく触れていることに、驚いていた。そしてもう一つ、驚いてしまったことがある。
 彼女の背中を撫でようと、彼女と同じように屈んだ時だった。確かに見えた。制服の襟の隙間から、背中に大きな一本傷が。こんなところを自分自身で傷つけることは出来ない。ということは、誰かに乱暴されているのか——そこまで考えたところで、「水、水」と訴えかけていることに気付いた。
 僕ははっとしてこの恐ろしい考えを振り払い、靴もそのまま体育館の入り口から外へ出ると、右にある給水機で備え付けの紙コップに水を入れた。
 零さないように速足でまた戻ると、彼女の姿はなかった。一体、どこへ行ったのか、まさかあの状態のままどこかへ行ったのか、と頭の中で処理しきれないほどの膨大な思念が次々に飛び交ったが、しかし、その心配は杞憂に終わった。女子更衣室から手招きが見えたのだ。
 トイレの奥にある、誰にも使われていない女子更衣室だった。トイレの前を通り過ぎると、まだ彼女の吐瀉物が残っていた。後で片付けてあげよう。
 僕は、慎重に紙コップをうなだれている彼女に渡すと、彼女は一瞬で飲み干してしまった。
「まだいる?」
 と、思っていたよりもぶっきらぼうに聞くと、
「もういらない」
 案外、しっかりとした口調で彼女は答えた。
 僕はその様子に少しだけほっとした。
 普通、人が吐いているところを見ると自分も吐き気が催されるとか言うけれど、それは本当にその人が大事な人では断じてないと認識しているからに違いないな、と僕は彼女の吐瀉物を始末しながら思う。
 更衣室に戻ると、彼女はうなだれていた体を起こし、体育座りをしていた。手持無沙汰になった僕は彼女の隣へ、静かに、慎重に、腰を下ろした。
 シミ一つない、白い壁に視線を投げる。濃い霧のような沈黙が二人を包みこんでいった。
 何も喋らない彼女を横目に、僕は小さくため息をつく。先ほどの張りつめた緊張感から解放された、安堵のため息だった。
 トイレに行くと断ってから、既に何分が経過しているだろう、先生は怒っていないだろうか、と他のことにも意識が向いた時、
「もういいよ、吐かないから」
 唐突に、霧が破られたかと思うと、彼女のくぐもった声が僕の耳にゆっくりと届いた。しかし、その声と共にまた、嘔吐をする時の、あの特有の声が一緒に聞こえてきた。彼女の意思とは無関係に、体は喋らせまいとしていた。
「二度も吐く人を、放ってはおけないよ」
 真実だった。人として当たり前の選択、無難な選択だと思った。僕が、彼女のことを好きだから、そういう下心が一切なかったとは言い難いけれど、「もう吐かない」と言っておきながらすぐに二度目の嘔吐をするような彼女を僕は放ってはおけなかった。
 また背中をさすってやる。
「もう何も言わなくていいから」
 僕はまたぶっきらぼうな口調で、彼女にそう告げた。本当はもっと優しい声で言ってあげたいけれど、この状況でそんな器用なことが出来る程、出来た人間ではなかった。
「……いわないの」
 ぜえぜえと荒い息の中、彼女の声が聞こえた。
「ん? なんだって?」
 僕は彼女の口元があるであろうところに顔を寄せていく。まるで心臓の音を聞き洩らさないよう、神経を研ぎ澄ます医者のような気分だった。
「……先生に言わないの? 私がここにいるって」
 なんだそんなことか、と少し拍子抜けしてしまった。彼女が荒い息の中で聞きたいことはそんなことなのか。愚問だ。例え想っている彼女ではなくても、こんなことになっていたら言わないと思う。保健室に行かないということはそれなりに理由があるだろうし、他人が嫌がるようなことをしてはいけないと学校で習ったことがある。体調不良の人を無理に動かすこともない。余計、面倒になるだけだ。先生というものは、事を大きくすることにだけ関しては専売特許みたいなものだから。
「言わない」
 今度は少しゆっくりと言葉を発音してみた。ぶっきらぼうな口調が少しは改善されたはずだった。

Re: 「秘密」〜奔走注意報!となりの生徒会!〜 ( No.25 )
日時: 2016/03/29 20:58
名前: すずの (ID: e.PQsiId)

「一番知らされたくない相手は、きっと先生だろうし、そんなこと率先してやらないよ」
 彼女の息が段々と静かになっていく。
 確かに、学年一のヤンキー中学生、瀬戸美桜が体育の授業も受けずに、ましてやこの健康状態で、先生に何も言わないのはきっと常人から考えれば間違っているのかもしれない。しかし、僕にとっては、大切な時間なのだ。例え彼女が僕に対して「親切な人」としか思っていなかったとしても。
 彼女は僅か数分前の質問を再度繰り返した。
「あんた、誰」
 数分前と違うところと言えば、彼女がしっかりとした口調で僕の目を見つめて言っていたことだった。本当はもっと聞きたいことがあるけど、この状態じゃ多く喋るのはままならないから最重要事項だけを聞いたという感じが、彼女の表情で見てとれた。
 僕はゆっくりと息を吐くと、これ以上はないという程に忌み嫌う自分の名前を告げた。
「——橘涼」
 この名前を聞いた最初の人の、次の言葉はもうわかっている。これは僕が実際に経験した経験則から基づくものであり、外れたことはない。きっと彼女はこう言う——男子みたいな名前ね。僕の周りの人は、十人中十人はそう言う。だから彼女もそう言うんだろうと、思っていた——。
「ふうん。なんだか噛みそうな名前」
 自然と目が大きく見開くのがわかった。
「——何を驚いてんの」
 違った。
「ねえ」
 彼女だけは違った。
「ねえ、聞いてんの?」
 彼女だけは——。
「何をそんなに驚いてんの?」
「……初めてなんだよ。『男子みたいな名前』って最初に言わない人は」
 彼女はさっきの僕と同じような、なんだそんなことか、と言いたげな表情で僕をまた見つめ返してきた。
「何を言ってんの。そこらへんと一緒にしないでよね」
 彼女の頬が、少し弛んだ気がした。僕は、その時の彼女の表情、今でも覚えている。

 それから僕達は、週一でトイレのとなりにある女子更衣室でさぼるようになった。普通、体育は二クラス同時に展開されるから、教室を男女交換して着替えている。ここの女子更衣室を使うことはほぼなかったのだ。そして秘密の雑談が始まる。秘密の雑談と言っても、大抵は彼女が保健室に行きたくない程の傷をつけた時や、また体調が悪くなった時にここに来るといった、偶然的なものだった。僕もそれでいいと思っていた。こんな曖昧な関係しか保てないと思っていたし、もうここから僕と彼女が親密になるということはないだろうとも思っていた。僕が一方的な片想いだけで、彼女が近寄ってくるということはないはずだ。こんなにも世界が違う僕と彼女を、たった一度の偶然が引き合わせてくれただけでも有難いことなのだ。
 非行少女と言われるだけあって、大抵の悪は全てあらかたやってしまっていた後だった。お酒、たばこ、不純異性交遊……両手では数えきれないほどの、事件を、まるで昨日の晩御飯の献立を言うみたいに喋ってくれた。僕にとってそれは壮絶な過去と言わざるを得ないのだが、彼女にとってしまえば常人とあまり変わらないのかもしれない。
 それから、彼女は自分の生い立ちについての話を聞かせてくれたこともあった。
 彼女は、大きな不動産屋の社長の娘として、厳しい教育を幼少のころから受けていた。彼女は姿形がよく、頭の回転もはやかったため、叔母や叔父、祖母や母や父といった家族にこれでもか、と愛されて——つまりはわがまま放題に育ってしまった。
 人は自分が頑張らなくても寄ってくるし、何不自由ない生活をしていた。世界は自分中心に回っていると本気で思っていたらしい。彼女はこの時、純真無垢な幼い少女だったのだ。いつしかその幸福な日々が崩れ去り、厳しい現実が現れ、牙をくことも知らずに。
 彼女に集まってくるのは、何も母や父に選ばれた由緒正しき家柄のお友達ばかりではない、悪い奴らもいるのだ。それを何もしらない彼女は、小学校五年生にして、その悪い奴らにそそのかされて、たばことお酒を口にしてしまった。その瞬間、親戚中から、おじやおば、祖母まで彼女のことをまるで化け物のような目つきで見るようになったのである。
 その瞬間、彼女はショックというか、衝撃を受けたらしい。
 今まで優しくしていた友や家族や親戚までもが、掌を返すように態度が変わり孤独感を覚えた。人生初めての孤独感だったという。

「星回りなのよ」
彼女の口から聞き慣れない言葉が飛び出した。
「星回り?」
「そう、星回り。もうどこにも逃げられない運命なのよ。私がこうなることは全て仕組まれていたの」
彼女は、まるで怒る風もなく淡々と事実だけを述べていくように、淡々と口から言葉を発した。
「私がどうしてこんなことをするのかって思うでしょう? 不毛だとも思うし、何度もやめたいって思った。今度こそ、もう好きじゃない人とセックスをするのはやめようとか、お酒はやめようとか。でももうどうにもならないの。どうにもならないから、どうすることも出来ないのよ。私はね、あの時からなんだかおかしくなったのよ」
「あの時って……たばことお酒?」
「……ううん、もしかしたら私が生まれた瞬間にもう仕組まれていたのかもしれない」
 僕は、彼女の背中に刻まれている一本傷を思い出した。
 こんな突飛な話を、きっと誰しもが笑い飛ばすだろう。そんなことはあり得ない、と。どこにも逃げられない運命をもし信じてしまえば、それは自身で決定してきた全てを否定していることになる。星回りという言葉で、人生の決定を放棄しているのと同義なのだ。しかし、僕は頭ごなしにこんなことを言うつもりは毛ほどもなかった。
 彼女の「星回り」という言葉を聞いた瞬間、何かが腹の中ですとんと落ちたような気がした。腑に落ちたと言った感じだった。何故、今まで気がつかなかったのだろう。自身の選択とは全く関係のない所で、どこにも逃げられない、自然とそうなっていた、いや、そうなってしまっていた——星回り。僕は彼女の瞳に自信を投影させた。きっと、僕の瞳にも彼女が映っているのだろうと思った。
「僕も星回りなのかもしれない……」
「え?」
 彼女がなんて言ったの? と再度問いかける。しかし、その問いかけに僕が答えることはなかった。
 僕の運命が、星回りが、忌み嫌い、憎み、妬むものだったとしても、彼女に出会えたからそれでいいのかもしれない。
 僕は、ただ彼女の問いに笑みを返した。
 彼女は何かを感じ取ったのか、何も言わず、同じようにまた笑みを返してくれた。

 彼女は本当に、誰かに守って貰わなければ立てないような、そんな弱さを常に抱えていた。
 そんな彼女を、僕が守りたいと思ったことだって一度や二度ではない。そうすることが出来れば、とも。きっと今の彼女に必要なことは、守ってくれる「誰か」なのだ。しかし、心の奥底でそうは思っているものの、行動に移すことは絶対に出来なかった。彼女は僕の心の中にあるどろどろとした執着心と嫉妬心が内在しているなんて——僕が友達以上の感情を抱いていることなんて——これっぽっちも考えはしないだろう。当り前だ、表の方に出すまい、出すまいとずっと気張ってきた努力の甲斐がある。僕は彼女と数十分だけでも笑っていられればそれでよかったのだ。
 しかし、彼女に対する想いは日に日に強くなり、僕自身もう抑えきれなくなっていた。爆発寸前だった。四六時中彼女のことを考えてしまう。中途半端に関係を保ち続けているから、尚更独占欲が湧く。もっと、もっと欲しくなってしまう。だが結局は毎回、同じ所に帰結する。
 僕のこの気持ちを受け止めてくれる訳なんかない。
 彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ度に、今にも押しつぶされそうになっていた。

 体育大会の練習が佳境に入る頃、三年生はこれで中学校生活最後ということもあって、本番間近の熱気は高まっていた。
 しかし僕達は周りがどうだろうと相変わらず、いつのもように体育の時間をさぼるために嘘をついた。仮病の嘘ももうそろそろ底をついてきた。どうしようかと思いながらまたトイレの隣にある更衣室に向かう。僕は普段真面目に授業を受けているから、ただ体育が苦手としか見られていなかった。まさか、この学年一の不良とさぼっているだなんて、夢にも思わないだろう。


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